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【トピック】
北の武装スパイ侵入も=軍事境界線の鉄さく切断−韓国軍が警戒

 【ソウル26日時事】韓国国防省は26日、朝鮮半島の軍事境界線付近に設置された鉄さくが切断されているのを、最前線で定期巡回中の兵士が同日午前1時46分ごろ発見したと発表した。韓国軍合同参謀本部高官は「さまざまな可能性を考慮して軍事作戦を進行中」と述べ、北朝鮮から武装スパイが侵入した可能性もあるとみて警戒態勢を敷いたことを明らかにした。
 韓国メディアによると、鉄さくが切断されていたのは中部の江原道鉄原郡。さくが2カ所、縦、横の長さがそれぞれ40センチ、30センチの大きさで切られていた。国防省は、北朝鮮側から人が侵入した痕跡の有無などについて現場で調査中と説明した。

「誰がいつ切断したか」 謎深まる最前線の鉄柵
朝鮮日報

 北朝鮮の武装スパイが侵入したのだろうか。万一、そうだとすれば、目的は何か。スパイでないとすれば、誰が何のために鉄柵3か所を切断し、穴を開けたのだろうか。

 26日午前、江原(カンウォン)道・鉄原(チョルウォン)郡・中部前線の最前方地域の鉄柵3か所が切断されていることが確認され、軍当局が3年ぶりに対侵入作戦の「チンドッケ1」を発令、「チンドッケ1」が発令されたのは2001年以来のことで3年ぶりだ。
 軍当局は今回発見された鉄柵の切断時点が25日夜から26日午前1時の間である可能性が高いと見ている。25日の昼以前に切断されたとすれば、昼間パトロールをしていた哨兵の目を避けることは難しいと軍関係者は話した。
 この近隣地域には、70年と71年に2度武装スパイが侵入したことがあるが、80年代に入ってからは最前方の鉄柵が頑丈になり、警戒システムも発達したことによって、90年代初期以降は地上から北朝鮮の武装スパイが侵入した事例はないという。
 某消息筋は「武装スパイによるものである場合、78年の第7師団事件以来26年ぶりのこと」とし、「それ以降漢江(ハンガン)河口または海を通じ侵入した」と話した。90年代半ば以降は潜水艦と潜水艇を利用しての水中侵入が主流だった。96年の江陵(カンヌン)潜水艦事件、98〜99年のYUGO CLASS潜水艇侵入事件がその例だ。
 事件がパウエル米国務長官が韓国を訪問した日に起こったという点から、北朝鮮が6か国協議と米大統領選挙を控え、交渉を有利に運ぶために「敢行」したのではという分析もある。
 なかでも今年6月の将官レベル会談での合意後、北側が北方限界線(NLLを相次いで侵犯したことに続き、今月10日以降、東海(トンヘ)上で北朝鮮の小型潜水艦侵犯に関する情報が相次いで提供された点から、計画的挑発の可能性があると消息筋は伝えている。

韓国
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【私的めもらんだむ】
10時
 NHK教育テレビの「安否情報」を見ながら『これってオレオレ詐欺に使えちゃうな』と思ったものだが、さっそく同種の事件が起きた。震災おれおれ詐欺…安否情報を悪用、被災者へ送金装う(読売新聞-阿修羅掲示板) 実名と住所、安否を訊ねる人の関係まで報道してしまうのだから尤もな話だ。ビデオで録画して、後で再生しながら筆記し、電話番号を調べて付け加えればオレオレ詐欺の名簿は出来る。そのへんNHKは想定していなかったのだろうが、後で気付いた筈だ。不注意なことをしたものだ。もう裏社会での名簿として出回ってしまったことだろう。

赤道ギニア援助金疑惑の容疑者マーク・サッチャー(Mark Thatcher)の、南ア・ケープタウン高等裁判所での審問法廷が16日行われた。右の写真は裁判所を去るときのマークが冗談を云って悪ふざけしているもの。彼はマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)元首相のバカ息子。冗談を云えるほどの余裕は何処からきているのか、罪の意識などサラサラ無いんだろうなあ。
サッチャー氏の長男を逮捕 南ア在住…赤道ギニアのクーデター計画に関与-04/08/27
赤道ギニアのクーデター計画2004-その1-04/08/28
英国諜報機関が赤道ギニアのクーデター策謀に加わっていた(エル・ムンド)-04/08/30
赤道ギニアのクーデター計画2004-その2-04/08/31

12時
27日10時40分頃の地震(中越地方):マグニチュード6.0:震度6弱 広神村今泉-阿修羅掲示板より
地震情報( 各地の震度に関する情報 )
平成16年10月27日10時49分 気象庁地震火山部 発表-27日10時40分頃地震がありました。
震源地は新潟県中越地方 (北緯37.3度、東経139.0度) で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は6.0と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。
新潟県 震度6弱 広神村今泉
震度5強 長岡市幸町 小千谷市城内 栃尾市大町*
越路町浦* 新潟三島町上岩井* 堀之内町堀之内*
広神村米沢 六日町伊勢町
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 ズシンと来たね。ちょうど猫に餌を与えようとした時だった。猫は「地震なんかより早く餌くれ」状態で、我関せず。『死ぬ時にはみんな一緒だぜ』と猫族に覚悟の程を云っていた。まずもって猫屋敷と噂されている我が家のこと、救助隊も気味悪がって助けに来ないかも・・・ああ悲惨だ。

●25日、サザビーズ香港(Sotheby's Hong Kong)はアジアでは最大のステップカット白ダイヤモンドを競売にかけた。約100万ドルで落札されるものと予想されている。
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 サザビーズを支配しているのはジェイコブ・ロスチャイルドが会長のロスチャイルド信託銀行(Rothschild Investment Trust & Northern PLC)だ。世界のダイヤ市場を統括する「デビアス」の支配者がエドモン・ロスチャイルド(Edmond Rothschild)なら、その大株主がロスチャイルド家直属のアドルフ・ゴールドシュミット(Adolph Goldschmidt)ときている。ゴールドシュミット家がロスチャイルド一族であることは、アドルフの兄マキシミリアン(Maximilian Goldschmidt)がロスチャイルド家のMinna Caroline Rothschild (1857-1903)と結婚していることからも分かるが、何よりその子息の名Rodolph Goldschmidt-Rothschild (1879-1941)が如実にそれを示している。このへん相関線で結んでいくと更に面白い展開になるのだが、長くなるので省く。

17時
 今回の破損パソコンのトラブルでは10月以前のデータの殆どが使えないことになった。メールも例外ではなく、アドレスもその受信ファイルも全て使用不能にある。よって近しい人への返信もままならず、この場を借りて謝罪すると共に、再度のメール送信を望みたい。そうすればそのまま返信できる。特にT君へ「米届いたよ〜」と、これだけはどうしても伝えたかった。住所も自宅電話番号も分からなくなり、連絡できずに申し訳ない。これ読んでたらメール頂戴ませ。

18時
 昨日26日、カーン・ユニス(Khan Younis)において、イスラエル軍に撃たれて死亡した犠牲者の葬列を見て、泣いている少年(右の写真)。胸にはアクバと書いてある、年の頃は6〜7歳ぐらいであろうか。
 この時の戦闘で17人のパレスチナ人が殺されたとされるが、アクバ少年の下の写真はその犠牲者の一人Hesham Ashour少年。まだ二十歳に満たない少年たちが、こうして日常的に殺されていく。
 その同じ日の夜、イスラエルは「入植地全21カ所からの撤廃」を国会で承認した。大手メディアは「イスラエル初のガザ撤退」として「中東和平への大きな前進」と報じているが・・・何かしら白々しさが拭えない。仮にイスラエル軍が撤退したにしても、パレスチナの大地に流された夥しい血が乾くことはないだろう。

【視聴予定】
21時
15-00 その時歴史が動いた ええじゃないか・幕末謎の大騒動▽発生の瞬間を解明▽民衆パワーと維新 NHK総合テレビ
その時:慶應3年(1867)年12月9日
出来事:「ええじゃないか」が原動力となり、王政復古のクーデターが行われた時

 江戸時代がまさに終りを告げようとしていた慶応3年、日本中の庶民を踊りの興奮へと駆り立てた大騒動「ええじゃないか」。集団ヒステリーや宗教活動など、これまで様々な解釈がなされたが、その正体は今なお謎である。ところが近年、「ええじゃないか」がなぜ始まったのかを詳細に記した史料が見つかり、謎を解明する糸口が見えてきた。それによれば、「ええじゃないか」は三河の農村で起きたある偶然の出来事が契機となっていたのである。その小さな事件が、やがて幕末の民衆の心をとらえて「ええじゃないか」の大騒動へと発展していく。「ええじゃないか」の騒動は各地の民衆パワーをエネルギーとしながら、三河から東海道沿いに広がり、ついに京に至る。そして、ついには岩倉具視ら討幕派の王政復古へとつながり、日本の歴史を大きく動かして行くのである。当時の庶民はなぜそれほど「ええじゃないか」に魅せられたのか。番組では、今年発見されたばかりの「ええじゃないか」を描いた貴重な絵をはじめ、様々な資料に基づきながら、「ええじゃないか」の実像を明らかにする。

ええじゃないか騒動
 1867年(慶応3)7月ころから翌年の春にかけ,東は江戸から東海道,西は安芸国広島・四国にわたる広範な地域でおこった一種独特な騒乱状態をさす。神仏の「お札ふり」を契機とし,民衆をまきこんだ祭りの踊りとして展開されたこの騒動は,「世直し」「世直り」観念と結びついた「世直し」運動の一つの形態であるが,前後の「打ちこわし」騒動の中に「ええじゃないか」騒動に通じる要素があること,また,1638年(寛永15)以後,60年前後を周期として,1867年(慶応3)までに15回おきた「おかげ参り」もその要素の一つであることに注目する必要がある。「ええじゃないか」は,神仏の各種のお札・お祓などが降下したことを契機として,老若男女を問わず,盛装・異装し,それぞれの地方特有のことばではやしたて踊りだす。そして,町場へとくり出し,降札のあった豪農商から酒食の振る舞い,撒き銭を受けた。この騒動で主体となったのは,都市や宿町の下層町民・宿民であり,幕藩体制下の日常的な抑圧からの自己解放が認められる。
さりとてはおそろしき
年うちわすれて
神のおかげで踊り
ええじゃないか
日本のよなおりは
ええじゃないか
豊年おどりは
おめでたい
日本国へは神が降る
唐人やしきにゃ
石がふる
ええじゃないか
ええじゃないか
年うちわすれて
神のおかげで踊り
ええじゃないか
日本のよなおりは
ええじゃないか
豊年おどりは
おめでたい
日本国へは神が降る
唐人やしきにゃ
石がふる
ええじゃないか
ええじゃないか


映画「ええじゃないか」今村昌平監督
 「にっぽん昆虫記」「復讐するは我にあり」の今村昌平監督が、“ええじゃないか”騒動が突如発生した江戸末期の騒然とした世相を背景に、江戸の東両国界隈に生きる種々雑多な下層庶民のバイタリティ溢れる姿をエネルギッシュに描いた群像ドラマ。


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