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チェチェン暗殺史-1
カディロフ大統領爆殺・ニュースログ
2004/05/10
-チェチェンで爆発、大統領死亡か 対独戦勝記念式典で
2004/05/12-独立派、大統領暗殺爆弾テロ関与を否定

【トピック】
誰がアスラン・マスハードフを殺したのか
2005年 3月10日 ノーヴァヤガゼータ 17号 

 われわれの情報源によると、イチケリアのリーダー、アスラン・マスハードフがトルストイ・ユルトのどこにいるかを教えたのは、その直前に拘束された武装勢力の者たちだったことを確認した。その者達は拷問されただけでなく、親族に制裁を加えると脅迫されたのだった。

 トルストイ・ユルト、スヴォーロフ通り1の一階建ての建物は、3月8日(6日?)の朝、FSB(連邦保安局)情報総局の特殊部隊によって包囲された。肝をつぶしたその家の主は、マスハードフとそれ以外に3人が 地下室に居ることを知らせた。地下室に手榴弾を放り込むことは容易だったので、逃走するどころか、それ相当の抵抗をすることすら不可能だった。マスハードフは投降を提案されたが、拒絶した。自分のイニシアチヴで交渉を始めたのはイチケリア大統領の元人事課長のワヒド・ムルダショフだった。そのあと、マスハードフと彼の側近たちの間で撃ち合いとなり、その結果、イチケリアのリーダーは殺害されてしまった。

 マスハードフの殺害後、彼の3人の同志、ムルダショフ、その甥、そしてもうひとり、ボディーガードのエリスハノフは、戦わずして連邦軍に投降した。

ノーヴァヤ・ガゼータ 軍事論説員 ヴャチェスラフ・イズマイロフ
http://2005.novayagazeta.ru/nomer/2005/17n/n17n-s01.shtml

【私的めもらんだむ】
 この時点でもイズマイロフ軍事論説員と、マスハードフ大統領夫人クマーサの証言とには食い違いがある。「事件は二日前の6日に起こった」のであり「別の場所で殺害された遺体が運ばれた」と夫人は云っているのに、イズマイロフは基本的にロシア側の発表を踏まえて付け加えた証言になっている。どちらかが間違っているというか、故意かどうかは分からぬが間違った情報を伝えていることになる。それを判別するのは簡単だ。生き残ったというムルダショフとその甥、ボディーガードのエリスハノフの目撃証言で全て事実が判明するのだから・・・ところが、である。その3人の同士が証言台に立つようなことが出来るかどうか、という問題がある。交渉の場で殺害するようなロシア側が、彼らをむざむざ証言させるようなことをするだろうか?裁判そのものが行われない可能性が大だろう。
 去年5月に爆殺されたカディロフ大統領については、チェチェンでは異例の親露派大統領が選任されたということで、独立派による暗殺疑惑が取り沙汰された事件であった。しかし、独立派の犯行説では動機が成立しなくなるという矛盾が出てくる。チェチェンがロシアに歩み寄ろうと決断して親露派のカディロフを選んだ時点で、独立派がそれをぶち壊すことは有り得ないだろう。何故なら、独立派はロシアとの和平交渉によってチェチェン独立がより近くなると判断していたからである。それを拒む動機はロシア側にしかない。一連のチェチェンによるとされるテロ事件でも、ロシア側の杜撰な捜査による一方的な判断によるものが多く、ロシア政府の自作自演説が囁かれる原因にもなっている。事実、目撃証言の殆どがそれを裏付けている。KGBあがりの大統領でしか成し得ないことだ。むろんモスクワ劇場占拠のような例外と思われる事件もあるが、それですら誘導されて自滅に陥るよう仕組まれた形跡が随所に綻んでいる。唯一の解決策は、それが事実かどうかという綿密な真相究明の分析調査で公正な裁判が行われることだろう。そして、それをロシア政府が受け入れるかどうか・・・残念ながらそれは期待できない、というところにチェチェンの悲劇がある。

【視聴予定】
21時
たけしのTVタックル 最終決戦…堀江VS フジ北朝鮮経済制裁に三宅&ハマコー(秘)一刀両断ポスト小泉

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