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【トピック】
チェチェン元大統領殺害 独立派、聖戦を訴え 後継にサウジ出身者任命

 【モスクワ=内藤泰朗】ロシア・チェチェン共和国の独立派指導者、マスハドフ元大統領が殺害されたことを受け、同派武装勢力最強硬派のバサエフ司令官は十日、インターネットの同派サイトでロシアに対する「聖戦」の強化を訴えた。また、同派は、マスハドフ氏の後継として武装勢力とは関係の浅いイスラム宗教関係者を任命。ロシア側との対決姿勢を崩していない。
 バサエフ司令官は、独立派サイト、カフカス・センターで、マスハドフ氏が、ロシア側に殺害されたドゥダエフ大統領、ヤンダルビエフ大統領代行に次ぐ三人目の「殉教者」になったと称賛し、同氏の死が独立派の結束を強めたと強調した。
 ロシアのラジオ放送、エホ・モスクブイによると、アゼルバイジャン在住のマスハドフ氏の息子は、チェチェンのおきてに従って「必ず報復を行う」と述べ、チェチェン独立を目指した父の遺志を引き継ぎ、ロシアへの抵抗をさらに強化する意向を示した
 また、後継の独立派新指導者には、同派政府のイスラム法最高裁長官のアブドゥル・ハリム・サイドゥラエフ師が就任すると語った。
 ロシアの日刊紙コメルサントによると、同師はサウジアラビア出身で、同国のイスラム教スンニ派の中でも厳格なワッハーブ派に属しており、イスラム原理主義国家樹立を目指しているという。ロシア側から指名手配はされていない。
 しかし、親ロシア派のチェチェン共和国政府側は、同師が武装勢力を束ねる力は持ち合わせていないとして、実質的に独立派を動かすのは、バサエフ氏だとの見方を強めている。
(産経新聞)

マスハドフ元大統領殺害でチェチェン緊迫 独立派報復を宣言

穏健指導者失い和平遠のく
 【モスクワ=内藤泰朗】ロシア南部チェチェン共和国の独立派武装勢力の穏健指導者、マスハドフ元共和国大統領(53)が八日、ロシアの特殊部隊の手で殺害されたことで、独立派は今後、対露最強硬派を中心に再結集していくとみられ、血で血を洗う報復の連鎖は避けられない情勢だ。十年余に及ぶチェチェン紛争は、泥沼のテロ戦争へと向かい始めている。
 ロシア側発表によると、連邦保安局(FSB)特殊部隊が八日午前、チェチェンの首都グロズヌイ北東約十キロのトルストイユルト村でマスハドフ氏の隠れ家を急襲、同氏側と約一時間、交渉したものの投降を拒否したため、殺害した。
 同氏は隠れ家の地下の塹壕(ざんごう)に警護要員三人とともに潜んでいた。(←ロシア政府の発表を鵜呑みにしている) 三人は特殊部隊に投降した。
 ロシア国営テレビなどはマスハドフ氏殺害について「独立派武装勢力に甚大な損失を与えた」と評価し、残るのは一連のテロの黒幕とされる同派最強硬派指導者のバサエフ司令官だけだと楽観的な見通しを示している。
 だが、チェチェン側の「血の掟(おきて)」による報復を懸念し、問題がさらに複雑化して出口のみえない状況に陥ったと指摘する専門家は少なくない。
 独立派のウドゥゴフ情報相は九日、ウェブサイト上で、「チェチェンとロシアの対立は、和平交渉も停戦もない時代に突入した。マスハドフはロシアに和平の手を差し伸べて最初に殺された大統領だ」とし、今後は武力闘争路線しかないと早くも報復を宣言している。
 チェチェンでは二〇〇二年三月、独立派に加担したアラブの傭兵、ハッタブ野戦司令官がロシア軍に殺害された。約半年後の十月にはしかし、モスクワ劇場占拠事件が発生。さらに一年余り後の〇四年二月には、ロシア特殊部隊要員が中東のカタールで、チェチェンのヤンダルビエフ元大統領代行を暗殺したが、約半年後には、チェチェンと同じカフカス地方北オセチア・ベスランで学校占拠事件が起きている。
 ロシアの情報機関も、チェチェン紛争ではこうした報復の連鎖が常態化しており、司令官を殺害してもすぐに新しい司令官がそれに取って代わる現実を認めている。
 にもかかわらず、情報機関出身のプーチン大統領は、ロシアの祝日、国際婦人デーにあえて特殊部隊作戦を敢行した。
 その背景として、プーチン氏は今年初めから急速に支持率が低下し、外交、内政両面で苦しんでおり、人気回復のための何らかの「勝利」が必要だったとの見方もある。
 プーチン大統領は「テロリストは殲滅(せんめつ)する」と断言、強硬路線を貫く姿勢を示してきただけに、長期に及ぶ血みどろの闘争が懸念されている。
     ◇
 ≪ジャーナリスト・林克明氏≫
 ■独立派の精神的支柱
 マスハドフ氏はロシアにとって最も都合の悪い指導者だった。テロ・グループに対する掃討作戦は国内では支持を得やすいが、マスハドフ氏は最初から死の直前までロシア側に停戦と和平交渉を呼びかけ、欧州などで共感を呼んでいたからだ。
 マスハドフ氏とは計四回会った。最初はロシアとの第一次紛争が始まっていた一九九五年九月。彼は当時、チェチェン軍の参謀長だった。ロシア軍が平野部を制圧しつつある中、山中で行われた部下の結婚式で、「きょうだけは嫌なことを忘れて楽しもう」と話していたことを覚えている。
 チェチェンの野戦司令官というとカリスマ性に富み、大衆受けするフレーズを好む人が多いが、彼は違った。自らの役割を淡々とこなす実務派という印象で、地味ながらみな一目置いていた。
 最後に会ったのは第二次紛争開始後の九九年十一月だ。ロシア軍が首都グロズヌイの七割を包囲していたが、共和国大統領になっていた彼は、貫禄(かんろく)さえ漂わせていた。
 彼には旧ソ連陸軍大佐としてバルト三国の独立紛争の鎮圧に向かった経験がある。そのとき、自らを「侵略軍」だと痛感した彼は退役してチェチェン独立紛争に加わった。勇猛な司令官らを指揮しつつ、ドゥダエフ初代大統領らと政治・軍事面でのシナリオを描いてきた。職業軍人である彼がいなければ、抵抗運動がここまで長続きすることはなかっただろう。
 チェチェンでは現在、文化面も含めたロシアによる同化政策が浸透しており、今回のマスハドフ殺害にはチェチェンの精神的支柱を一気に奪い取る狙いもうかがえる。(談)
(産経新聞)

★チェチェンでヘリ墜落、12人死亡

 【モスクワ10日時事】インタファクス通信によると、ロシア国境警備隊のヘリコプター、Mi8が10日、南部の紛争地帯、チェチェン共和国中部で墜落し炎上、乗員12人が死亡し、2人が負傷した。
 同共和国内務省は、技術的原因によるもので、攻撃はなかったとしている。チェチェンでは8日に独立派最高指導者、マスハドフ元大統領が殺害され、ロシア連邦軍は独立派の報復攻撃があるとみて警戒態勢を強化していた。

★チェチェンニュース Vol.05 No.08 2005.03.10  (以下、部分引用)

マスハドフとは何者だったか
 もとソビエト陸軍の砲兵隊の大佐で、1992年に引退して以来、チェチェン独立派の総司令官になった。94−96年の第一次チェチェン戦争を指揮し、ロシアのレベジ将軍との間で和平合意を結ぶ97年1月に、欧州安全保障協力機構(OSCE)などの監視下で行われた民主的な選挙により、大統領に選ばれた。同年5月にエリツィン大統領との間で平和条約を締結。チェチェン抵抗勢力のなかで、一貫してロシアとの交渉を主張していた人物だった。ロシア側によると「ベスラン学校占拠人質事件の黒幕」だが、有力な根拠はなく、むしろマスハドフは事件の最中にも、犯人グループを非難していた。
人物情報: http://chechennews.org/basic/biograph.htm#Maskhadov
マスハドフの結んだ合意と条約:
ハサブユルト合意(96年)
http://chechennews.org/archives/khasaviurt.htm
平和と相互関係に関する条約(97年)
http://chechennews.org/archives/peacetreaty.htm

ロシア側の目的
 邪魔だから消した。と、シンプルに考えるのがよいと思う。
 まず、選挙当時の国民の明確な支持のあったマスハドフと、親ロシア派のカディロフ(04年に暗殺)や、アルハノフ(現在の親ロシア派大統領)を比べると、親ロシア派の選挙違反は数限りなくあり、国際機関も選挙監視していない点で「見劣り」がした。多くのチェチェン市民にとって、親ロシア派は軽蔑と憎悪の対象であるし、私兵集団「カディロフツィ」の出現以降は、これに恐怖も加わっている。
 マスハドフは、2月の停戦を実行したときに、気になる言葉を口にしている。 「(もしもプーチン政権が交渉に加わらなければ、)流血はまた長い間続くだろうが、われわれはその最悪の事態に道義的責任を負えない」



マスハードフ大統領の息子
Anzor Maskhadov
バクーで父の冥福を祈る
Anzor Maskhadov
【私的めもらんだむ】
 人間心情からして予想された成り行きというか、マスハードフ大統領の息子が「必ず報復をする」として父親の仇討ち宣言をした。和平交渉に歩み寄る一国の指導者を、その交渉の場で騙まし討ちするロシア政府の卑怯は、そのままプーチンの卑怯でもあろう。プーチンは実の父親の素性を消そうとしているという噂もあるが、そのへんどうも引っ掛かる。極度の貧しさに育ったプーチンの心の闇、ひょっとすると父親がチェチェンと関係があるのではないか・・・そんな憶測すらしてしまう。チェチェンに歩み寄りながら事故で死んでしまったロシアの英雄レベジ将軍を思い出す。彼が生きていたら、おそらくマスハードフ大統領と握手を交わす歴史的瞬間が見られたことだろうと・・・

【視聴予定】
21時
00 NHKスペシャル「研修医」 理想に燃える若者が直面する生と死▽苦悩の決断▽遺族からの手紙
23時
00 宇宙船 無残な南極ゴミ山とペンギンの涙襲う大洪水
25 NHKアーカイブス「ドラマ”破獄”昭和初期4回にわたり脱獄を繰り返した無期懲役囚と看守の壮絶な人間ドラマ・85年」 緒形拳津川雅彦 
24時
25 ドキュメント'05 ニート…漂流する若者たち学校も仕事も拒否…52万人の心の闇▽狂ったままの歯車


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