ロシア南部チェチェン共和国からの情報では、同国のグロズヌイで、9日午前10時40分(日本時間同日午後3時40分)ごろ、第2次世界大戦の対ドイツ戦勝記念式典の最中に爆発が発生した。観閲していた親ロシア政権のマフマト・カドイロフ大統領が重傷を負った。インタファクス通信によると、大統領が死亡したとの情報も流れている。ほかにロシア軍幹部ら少なくとも14人が死亡した模様だ。 同通信によれば、グロズヌイ中心地の競技場に設けられた政府や軍高官の観閲席付近が爆発した。大統領の暗殺を狙って、時限式の地雷が仕掛けられたと見られる。ロシア当局は、ロシアからの独立を求めるチェチェン武装勢力によるテロとみて、捜査を始めた。プーチン大統領は「テロリストを懲罰する」と言明した。 カドイロフ大統領は昨年10月、ロシアのプーチン政権の後ろ盾で実施された大統領選で当選した。これに対し、チェチェン独立派は、不正選挙による「傀儡(かいらい)政権」と反発。モスクワの地下鉄で2月、爆破テロを起こし、さらにチェチェン政府に対しても「テロ攻撃」を宣言していた。 【関連】 ★爆撃でチェチェン大統領殺害さる【BBC News】少なくとも32人死亡、46人負傷。ロシア大統領は復讐を誓う(阿修羅掲示板より) ■カディロフ事件について 2004.05.10 大富亮/チェチェンニュース 昨日、親ロシア派の大統領、アフメドハッジ・カディロフが、グロズヌイの競技場で、戦勝記念式典の最中に爆殺されました。犯行声明がないので、犯人は今のところわかりません。チェチェン側の通信社カフカスセンターによると、爆発は女性殉教者(シャヒドカ)による自爆攻撃だといいます。 http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=1327 その背景を考えてみます。まずこの日についてですが、1944年の5月8日に、ドイツ軍がジュ―コフ元帥を前に降伏文書に調印しました。それ以来、翌5月9日はロシアの対独戦勝記念日となり、毎年各地でお祭りが催されてい ます。 チェチェン問題の視点から見ていると、とても危険な日です。毎年のように事件が起こるからです。代表的なのは、2002年のこの日に発生した、チェチェンの東隣のダゲスタン共和国の港町カスピスクでの爆破事件です。 このときは、パレードの最中に強力な爆弾が爆発し、40人以上が死亡しました。事件直後から、ロシア政府は、犯人がチェチェン人のラッバニ・ハリロフという野戦司令官だと主張しましたが、のちにハリロフはチェチェンに逃亡、戦闘中に死亡したと発表しています。 http://chechennews.org/archives/20030508cn.htm 最近もこの事件の容疑者3人に対する裁判がダゲスタンで開かれましたが、弁護士と家族は「自白を強要されている」として、徹底的に法廷で闘争する決意のようです。結局、犯人は曖昧なまま。そもそも、チェチェン独立派がダゲスタンで爆破事件を起こすことには、何のメリットもなさそうですが、ロシア当局としては、そう睨んでいる。あるいはそういう風に、世界に信じさせたい。 さて、カディロフの立場ですが、端的に言うと、ロシア側の傀儡として、民主的とはとてもいえないやり方で選出された「大統領」です。チェチェンを取材しているジャーナリストや学者のコメントでは、「彼を尊敬しているというチェチェン人を見たことがない」というのが通説。 逆に、彼の息子ラムザンを中心とする私兵集団「カディロフ一派」が、こともあろうに同じチェチェンの一般市民に暴行、略奪を繰り返していることから、チェチェン市民の憎しみの的です。このことは、アムネスティ・インターナショナルなどが共同声明でくわしく伝えています。 http://chechennews.org/archives/pr20040507amnesty.htm カディロフは1951年生まれのチェチェン人で、一時期はマスハドフらとともに、チェチェンの抵抗勢力に加わっていました。しかし、1999年にロシアの二度目の侵攻が始まって以来ロシア側に寝返り、2003年にはロシア側が主導した非民主的な選挙で大統領に選ばれています。このいきさつについては、『チェチェン「大統領選挙」の諸相』として調べています。 http://chechennews.org/chn/0336.htm あえて図式的に言えば、今回の事件は、ロシアの傀儡であるカディロフに対して、抵抗を続ける独立派レジスタンスが「殲滅」を図ったと考えることができます。ここに、今日まさに日本の各報道機関が伝えているところの「テロ」行為があるわけですが、あまりに粗雑な捉え方だと思います。 「テロ」という言葉がもつ「ぬえ」のような得体の知れなさにはとまどうばかりですが、少なくとも、1996年に、独立派のドゥダーエフ大統領をロシア軍がロケット弾か爆弾で爆殺したときには、「テロ」という言葉は使われませんでした。なぜか? 「テロ」とは結局、「私たちに向けられた暴力」を指す言葉であって、決して「私たちが荷担する暴力」ではない、ということだと思います。こう書くとき、私は仮に、自分をチェチェン侵攻の正当性を疑わない、ごく普通のロシア人の立場に置いてみるのですが。 チェチェンでは、なにか非常に奇妙なことが起きている。警戒厳重だったはずの式典会場でこんな事件が起こった以上、もしかしたらカディロフはロシア当局にとって、不要な存在になったのかもしれません。そうだったとしても、やはりこの事件を「テロ」と呼ぶ必要性はあるのでしょう。 事件を、「プーチン政権のチェチェン統治政策に重大な打撃(共同)」という捉える向きもありますが、逆にこう考えることもできます。「私たち」ではない何者かが、「チェチェンを安定させるために選ばれた」指導者を殺した以上、彼らは自動的に、危険な「テロリスト」であることになる。人びとがその考えに慣れることは、戦争を続行しようとする勢力にとって有利です。理解できず、危険な存在である以上、屈服させるほかないからです。 96年のドゥダーエフの爆殺さえ、いまだにわからない部分があります。 このカディロフ事件に対する考察は、まだ時間がかかりそうです。
以下、チェチェンvsロシア関連ニュース チェチェン油井で爆発 同時爆破テロか 2004/03/30 【モスクワ30日共同】インタファクス通信は30日、ロシア南部チェチェン共和国にある油井が29日に爆破され炎上していると報じた。 国営石油会社ロスネフチの報道官らによると、29日午前2時すぎ、ほぼ同時にチェチェン内の別々の地区にある4カ所の油井で爆発が起きたといい、テロの可能性が高い。 消火作業が続けられているが、30日現在も3カ所で炎上している。(共同通信)
カタールがロ工作員逮捕 チェチェン独立派暗殺で 2004/02/26 【モスクワ26日共同】カタールで今月中旬、ロシア・チェチェン共和国の独立派指導者、ヤンダルビエフ元共和国大統領代行が暗殺された事件で、カタール治安当局がロシアの情報機関員3人を殺人容疑などで逮捕していたことが26日分かった。 ロシア外務省は同日、政府の関与を否定する声明を発表。イワノフ外相代行が同日、カタールの駐ロシア大使を呼び、即時釈放を求めるなど外交問題に発展した。 ロシアでは今月6日にモスクワで、チェチェン独立派の犯行とみられる地下鉄爆破テロが起き、元大統領代行の暗殺はプーチン政権の報復との見方が出ていた。 元大統領代行は今月13日、亡命先のドーハで車が爆破され、警護員らとともに死亡。カタール国営通信は容疑者2人の逮捕を報じたが、身元は伝えていなかった。
【視聴予定】
【私的めもらんだむ】