日々雑感
2001年11月

2001/11/30、金曜

 今日は母の命日である。母の死んだこの日、庭のモミジが真っ赤になっていたのを鮮明に覚えている。今年のモミジはあの時より多少色褪せていたが、それでも晩秋に自然の彩りを添えてくれている。モミジの紅葉は母の死を連想させ、母の死は真っ赤なモミジの彩りをもって蘇えってくる。今日は風が強かった。風に舞うモミジの葉を猫族たちが追っている。足元の落ち葉も、よく見ると美しいものである。晩秋の突風に乱舞する落ち葉に冬の到来を予感しながら、足元の落ち葉にカメラを向けた。
【母の命日ログ】2000年1998年

 テレビ番組を毎日録画している人も多いと思う。そんな時に困るのが、録画した番組のタイトルや日付を忘れてしまうことだ。私はテレビ番組をここで毎日アップしてきたが、同時に保存もしてきた。というわけで、バナー広告用のサイトに保存版を置く事にしたので、録画テープを整理するために役立ててほしい。ところどころ保存を忘れた日もあるのであしからず。
テレビ番組、保存版

2001/11/29、木曜

 「あれま、こんなに大きくなったの!」久しぶりに我が家を訪れる人が必ず発する第一声である。我が家の猫族、その子猫チロとペロを見ての感嘆であった。そして、「ずいぶんやつれたんじゃない?」という私を見ての感想が付け加えられる。夕方訪れた元従業員もまたその定番に沿って会話が始まった。そうなのよ、わたしゃ猫族たちに生気を吸い取られて、何とか辛うじて生きている状態なのね。猫の食事はドライフードに猫用缶詰、最近ではそれにヨーグルトが加わって、飼い主の私は即席ラーメンで食事を済ますことが多くなっている。この日、元従業員を呼んだのは仕事の技術的な教えを乞うためであった。いま唯一残っている仕事が私の生活の糧になる。これだけは何としてでも続けなければ会社は事実上の倒産という憂き目にあう。来年一年だけ様子をみながら、最終的な決断をするつもりでいる。つまり、会社の存続か整理かという二者択一の決断のことである。毎日のように職探しをしなければならない彼も大変だろうが、いつ潰れてもおかしくはない会社を引きずっている私の危うい立場も理解してもらった。そのときに私が温めていた仕事のアイデアも披露した。彼も職探しには苦労しているようで、何より相談相手がいないことを苦にしていた。それは私も同様で、先輩や業者の長老的存在の人たちが相談そのものを拒む傾向が強くなっている。話し合うことすら拒まれるに至って、私はとっくに諦めている。私の父が生きていた頃は、ひっきりなしに相談者が押しかけてきたものだった。それが今はない、心を通わす場もなければ人もいない。あるのは業者間の警戒心だけ・・・いや、そんなことはない、と私も言ってみたい。苦しいのは自分ひとりではないのだと、みんなが苦しい中でも互いに助け合う心の絆があれば・・・と。実際、そうして仲間内で助け合ってやっている例も多い。しかし、それも小さな仲間内だけのことで、それらグループ同士が対立しているありさまはかえって見苦しいものだ。「また、来るよ」と帰った元従業員だが、やはり辞めた従業員でも気軽に元の会社に来れるような環境は残しておくべきだろう。倒産した隣の会社では、その社長がまとまったカネを持って夜逃げ、激怒した誰かがダンプで倉庫に突っ込むという事件まで起きた。今年の正月のことであった。

2001/11/28、水曜

 いらない毛布はないか?と気心の知れた友人たちに頼んでいる。これから冬の寒さを迎えるホームレスの人々に送りたいためだ。本来なら今年の夏から彼らのところへ行っているはずなのだが、会社の逼迫した経営難やら足の痺れの持病、そして何より旅費すら工面できない資金難が重なって断念せざるを得なかった。とにかく彼らと生活を共にする目的だけは果たしたいし、あきらめてはいない。そのための準備も少しずつしている。一人で寝れるツーリング用テントはすでに用意し、最近では防寒目的の暖房ベストも手に入れた。足の痺れも筋肉トレーニングで解消しつつある。あとは即席ラーメンをつくれるぐらいの小さなアルミ鍋や、湯を沸かす携帯ストーブなども必要になるだろう。当日は運転手も雇い入れての出発となり、毛布などボランティアに渡したら車を帰し、そのまま私は現場に居座ることとなる。何かとカネもかかるが、出来ないこともないと思っている。少なくとも一週間ぐらいは滞在する予定だ。時期的には春の初めころになるだろうか・・・また計画倒れになる心配もあるが、意気込みだけは旺盛だ。友人らから「そのまま帰って来ないんじゃないか?」と言われているが、ミイラ取りがミイラになる可能性は十分ある。今年の夏から野宿するなどして自然環境に馴染む訓練をしてきたが、日常生活においても電気を消すなど自らを不自由な生活に追い込んでいる。電気を使えない状況下では充電式の乾電池が便利であり、必須になってくる。ニッカド電池よりニッケル水素電池が長持ちする。寝袋は以前に購入した夏用のものだが、今の時期でも何とか使える。しかし、これから寒さが本格的になれば眠れたものではないだろう。それを暖房ベストを着込むことで解決しようとしたが、このベストは触媒方式とはいえ通気性のない寝袋では使えないかも知れないことに気付いた。空気が必要なのだ。それにわずかな排気もあり、密封状態では一酸化炭素中毒の危険もあるのだという。テントと寝袋という密封状態の中でも使用可能かどうか、テストしなければならない。それに足の弱い私にはMTBは不可欠だ。このマウンテンバイクはアルミ製の折りたたみになっていて、いざという時には電車やタクシーの中に積んで移動できる。それでも重いので、その時はタイヤを取り外そうと考えている。今では折りたたみ式のタイヤもあるのでザックに入れればいい。実際に実行するとなると様々な障害も出てくるが、それらを一つ一つ解決していくのも楽しいものだ。

2001/11/27、火曜

 工場の屋根裏にかつて私が住んでいた部屋がある。今は使わないため物置部屋と化してしまった。冬は陽射しが差し込んで暖かいので、日中は猫族共々ここで過ごすことが多くなった。そんな物置部屋には以前定期的に読んでいた月刊誌の類いが埃をかぶっている。そんな中に「バラと聖戦士(ムジャヒディン)」という写真と解説文が載っていた。10年前の月刊誌だが、カンダハル州のムジャヒディンたちが花に囲まれて写っている。この当時は旧ソ連がアフガンから撤退して一年半が経過した時点だが、実際には水面下での戦争は継続されていたのだという。ムジャヒディンたちはその荒々しい髭面の風貌に似つかしくないバラを好んだ。彼ら自身が「花」であることもしばしばだ。ジャナート・グル(天国の花)、グル・ラフマーン(慈愛の花)、グラブ・シャー(王のバラ)、グリスターン(花園)・・・その彼らは今、どうしているだろうか?どうなっているだろうか?生きているのか死んでいるのか、ジハード(聖戦)を行う者という意味をもつムジャヒディンたちは今度のテロ大戦でも戦っているに違いない。今日から米軍がカンダハルに総攻撃をかけたというニュースが流れている。戦争はバラの花を踏みにじるように、人の命も蹴散らしていく。ムジャヒディンの勇者たちよ、あなたたちが花を愛でるように、自らの銃口にバラの花を刺して今度は平和の勇者たれ・・・もう戦争の英雄は要らない。

2001/11/26、月曜

 ここ連日して晴れ間が続いていたが、今日はあいにく曇り空だ。しかも寒い。それでも例年よりは暖かい、暖冬である。魚場も北上して漁師も困っているらしい。私の遠い親戚筋にも漁師がいたが、さびれる一方の漁業を見限ってすでに転職している。それに加えて魚場が沿岸部から遠ざかっているのだから、尚更さびれるばかりだ。黒潮のルートが変化したせいもあるのだという。マラリアの到来を警告する学者も出てきている。まさか?と思われるが、この異常気象は日本を亜熱帯にしかねない予兆を含んでいるらしい。シベリアの極北でも氷が溶け、マンモスが出てくる事態にも陥っている。かつてはマンモスの発掘など困難を極めていたのが、今では氷が溶けた泥の中から容易に発掘できるまでになっている。そのマンモスの精子から、生きたマンモスを再現しようという動きまである。最近では、死んだ精子でも受精できるまでになっているのだ。それを証明してみせたのが日本人の学者で、つい数日前にひょっこりテレビに登場している。今は幼稚園の園長として、マンモスの大きなオモチャを作って園児たちを遊ばせていた。面白いというか、怖いというか、実際にマンモスが再現されれば世界中で大騒ぎされるだろう。シベリアの毛長マンモスは高さ2.8メートルぐらいだが、かつてドイツでは4.3メートルものマンモスの化石も発見されている。何より特徴的なのは5メートルにも及ぶ牙で、更新世という1〜164万年以上も前の大氷河時代に旧石器時代の人類と共生していたらしい。およそ100億年とされる太陽の寿命も、50億歳を迎えた今、あと50億年は核融合反応で生きられるそうである。そんな太陽の寿命からすれば、164万年の大氷河期時代ですら一瞬の出来事にすぎない。まして人間の寿命なぞ比較にならないほど短いものになる。

 ゲルク派「死者の書」には、かつての閻浮提(えんぶだい)の人々は寿命がすこぶる長かったと書かれてある。閻浮提とは人間社会を指し、人は元々母胎によらずに忽然と生まれる化生(けしょう)であったとされる。人は虚空を自由に飛び交うことすら出来たというこれらの昔話は、何かしら宇宙のおとぎ話のようで心惹かれる。思えば今に生きる人間の何と不自由なことか・・・以前にNHKでも「死者の書」をテーマにした番組が放映されたことがあり、私も録画した記憶がある。人間は死んだらどうなるのか?そんな素朴な疑問に番組では分かりやすく解説していた。確かあれはニンマ派によるものだと記憶しているが、ゲルク派の「死者の書」ではそれを恐ろしいほどリアルで詳細に説明している。信じるか信じないかは別として、私はその教えの宇宙的な壮大さに興味を抱いている。また、キリスト教と仏教の接点はないものかと、私なりの宗教観を確立すべく追及もしてきた。特定の宗教宗派は持たないが、信仰心はあるつもりでいる。ただ、それだけ素晴らしい宗教を信じていながら、人間はなぜ他宗教には排他的になって憎悪をつのらせ、あげくは殺しあうまでになってしまうのか?仏も神も人間社会においては限りなく汚されていくような気がしてならない。まるで人間には神仏を信仰する資格すらないかのようだ。だから最近の私は自然の内にそれを見いだそうとして野草を、空を、星を眺めている。そして感じたことは、自然を眺めるということは自分に向き合うことではないか、ということであった。つまり、自然の内に自己を見いだし、自己の内に自然を見出しながら、そこに善悪の本質たるものも実感できるのではないか、と思ったわけである。そんな模索の連続が死ぬまでつづく予感を覚えながら、成るように成っていく自然のままに生きていくことにしている。

2001/11/25、日曜

 不況で仕事が少ない上に、連休となれば休息の意味も成さない。束の間の休息とあって、はじめて人は癒されるのであろう。というわけで、ここ数日の連休は空ばかり眺めて悶々とした日々を過ごしてきた。そんな心とは裏腹に空はあくまでも青く澄み切っていた。人間が自然と同化する能力があれば、晴々とした大空の心をそのままに癒されるものを・・・流れる雲に否応のない時の流れをひたすら実感していた。過ぎ去った日々は二度と戻ることはない。人は歳月の流れに逆らうことはできないという、その制限をもってしても人間は不自由このうえないものである。若い頃は未来があった。たかだか百年未満の寿命であっても、若さは未来を信じれるだけ希望がある。夢がある。しかし同時に、それではその夢とは何か?という問いかけの意味が「何になりたいか?」という意味合いになっていることに一抹の不安も覚えている。何になりたいかって?人間は人間以上の何者でもないはずなのだ。「とにかくカネを握ったものが勝ちだ」と、私の後輩が酔った勢いで本音を吐露した夜のことを思い出す。その時にもう一人の後輩のことが話題になった。そいつが今では億のカネを動かす出世頭になっているのだ。この二人の後輩共々会社興して社長になっている。オマエは奴が羨ましいか?先輩、当たり前でしょう。億ですよ、億。そんだけカネがあれば何でも出来るってことですよ!・・・そうか、それがオマエの到達した人生の価値観なら、もうここには来るな。オレの価値はカネで買えないものに置いているのだから、話は食い違うばかりになる。オマエの価値観からみれば、貧乏な今のオレは論外になるよな。だから、もういい・・・何になりたいか?その問いかけ自体が無意味なんだ。本来の夢を問うなら「何を考え、何をしたいか?」ではないか?・・・どう生きていくか?どんな生き方をしたいか?じゃないのか・・・戦争の話になれば「戦争になって軍需景気になれば不況も解決する。どんどんやってくれ」と意気込む、そんな世相にオレは疲れた。だから背を向ける。そして足元の雑草の小さな花に心を傾ける。捨て置かれた小さな命に自分の心を移入する。あいつは商売がうまくいかなくなって気が狂ったんじゃないか?毎日屋根に登って猫と一緒に空ばかり見ているぜ。そんな嘲笑が気にならなくなるぐらいに、私は本来の自分探しに旅立つことにする。旅費はいらない、心の旅路だ。足元の野草と、大空の果ての漆黒の大宇宙とが一体になって融合している、その実感への果てのない旅路だ。

2001/11/24、土曜

 二度と会いたくない、と思っていても、どういうわけか会ってしまう人がいる。会いたい人には会わされず、会いたくない人は向こうからやってくる。今日もそんな日だった。それだけ嫌う理由が私にはあるのだが、思い出しなくないことばかりなので伏せておく。仏法では会いたくない人に会わねばならぬ不幸というのがあるらしい。それらは全てが自分の心に起因しているという。心とは厄介なものである。肉体的な痛みはやがて消えることが多いが、心の傷は時として生涯消えることのない痛みを伴う。私も今年の夏、骨に達するほど腕に傷を負ったが、今では腕の傷跡こそ残ったが痛みはなくなっている。しかし、今も心の傷だけは消えないで、幾多の憎悪となって私を苦しませてきた。それはとりもなおさず、私が人を許せないということでもあろうか。他人を許せないほどに自分は自分を信じきれるのか?と自問するとき、自分の過ちさえも正当化してきた己れの甘さにも気付かされる。自分が負った心の傷以上に、私もまた他人の心を踏みにじり、傷つけてきたことはなかったか?そう言いきれるか?否・・・自分がこうして生きていられるのも、心の何処かで自分を正当化しているからなのだ。してみれば、会いたくない人に会わねばならぬ苦痛というものも、自分を許せるぐらい寛容であれば消滅するはずではないか。自分の心すらままならぬのに、他人を許せない資格とてあるわけがない。まさに「心こそ心惑わす心なれ、心に心、心ゆるすな」である。

2001/11/23、金曜

 老人介護に従事する友人から電話があった。仕事が苦痛になってきたと言う。介護されたいのは自分かも知れないと、心身共に疲れきった様子。仕事なぞしなくても生活するだけの蓄えはある、と言うから、嫌々ながら仕事するくらいなら辞めたらどうだ?とアドバイスする。介護される側にとっても、心ない介護はかえって迷惑だろう。仕事を好きになれ、とまでは言わない。ただ限りある寿命を精一杯人間らしく生かせてあげたいとする、命への愛おしさ無くして介護は成り立たないのではないか・・・それがオマエの仕事だろう。介護する側の人間も生身の人間だ。いつも愛情のこもった笑顔で接するわけもいくまい。それでも笑顔をとりつくろうことで患者に安心感を与えられることだってある。それが出来なくなるほど苦痛になったと言うなら、患者のためにも辞めたほうがいい。冷たい言い方かもしれないが、オレはそう思う。オマエは自分をごまかすことの出来ない性格だからこそ悩んでいるんだ。それが分かりすぎるほど分かるから厳しい言い方になってしまうが、オマエが介護する老人は未来の自分なんだ。やがて自分も老いて介護される側に立つことになる。その時の自分がどう介護されたいか?を考えれば自ずと答えは出てくるだろう。オレも偉そうなことは言えないが、少なくとも弱い立場の人間への思いやりぐらいはあるつもりだ。初心忘れるべからず、オレはまだ覚えているぞ。介護の仕事はつらいが、感謝されると疲れも吹っ飛ぶ。オマエはそう言ったはずだ。今のオマエが、感謝されても心が動かないほど疲れていると言うなら、やっぱり辞めるべきだろうな。かくして電話は延々一時間あまりも続いた。結局のところ、人間は真正面から自分と向き合うことでしか悩みは解決しないように思える。介護する相手に接するとき、そこに居るのは決して他人ではない自分自身なのだと、自分に向き合うようにして介護することが求められているのではないか。

2001/11/22、木曜

 かつては毎年11月22日になるとケネディ大統領暗殺に関する特集番組を放映していたものだが、ここ数年は全くやっていないというか、それだけ関心も薄れてきたということなのだろう。大衆の面前で大統領の頭が吹っ飛ぶというこの狙撃事件は、それが数々の謎を残し今もって事実が曖昧にされながら迷宮入りしようとしている。少しでも事実を真摯に知りたいとする人なら、JFK暗殺事件がオズワルド単独犯などではなく、その背後に大国を支配するほどの陰謀を嗅ぎ取れるはずなのだ。権威に安住する知識人たちは、こうした真相追究に迫る人々を陰謀説という枠組みに封じ込め、バカバカしい妄想だと一笑に伏してきた。果たしてそれがバカバカしい妄想の類いなのかどうか?は、事件そのものを丹念に辿ることで分かってくる。私も以前から少しずつ自分なりに資料を集め「JFK暗殺」にまとめてきた。この中では実行犯の追及に終始しているが、JFK暗殺の最も重要な核心は、実行犯の特定より背後で彼ら実行犯を操ってきた黒幕の存在であろう。それが誰なのか?は、そのことを知る立場にある者によっても口を固く閉ざさざるを得ない何かを暗示させてきた。しかしながら、そうした真実を我々が知ることは全く不可能というわけではない。のちに映画化されたドナルド・フリード&マーク・レーン共著「ダラスの熱い日」は、冒頭からその黒幕を想像させるに十分な内容ゆえに映画化は無理だとされていた。事実、映画製作が極秘で進められながら、その映画スタッフがCIAからサポタージュを強制され、問題となった。この映画をみれば、それだけインパクトのあることがハッキリする。私はJFK暗殺を企てるグループの冒頭シーンに面食らったものだ。グループの中で教授と呼ばれる人物がいるが、メーキャップからしてキッシンジャー博士であることは一目瞭然なのだ。そのキッシンジャー博士が仕える相手こそ黒幕の中心的存在なのだと、映画は暗黙のうちに示唆している。これこそマスコミや歴史家たちが沈黙する理由でもあったろう。JFK暗殺は公開処刑であり、闇の帝王に逆らったことへの見せしめだったのだ。たとえその事実を知る者がいても彼らは問題としないほど巨大化してしまった。投資(博打?)が合法化されている国際金融システムが彼らによって完成され、いまや芸術的完璧さをもって膨大な利益が彼らのグループに集中しているように・・・このJFK暗殺という歴史的犯罪もまた完璧な陰謀となりつつある芸術品でもあるかのようだ。そして、そうさせているのがマスコミなど知識人たちの沈黙であることは明白だ。知っていながら知らない素振り、黙して語らぬ保身ゆえに謎は謎のまま捨ておかれるというわけである。
【関連サイト】ケネディ大統領暗殺事件映画「ダラスの熱い日」

2001/11/21、水曜

 昨日は父の命日であった。父は戦時中において満州で戦争を体験し、終戦時には全身腫れあがるという病をおして、命からがら日本に帰ってきたという。その父が何とか病を乗り越え、戦後の高度成長期の波に乗って会社を興し、火災で会社を失いながら、さらに再起を果たし・・・そして急死した。私が20代半ばのことであった。事業主としては若すぎる死であったと、周囲から惜しまれながらの突然の死である。残された家族、特に母の悲嘆は尋常ではなく、位牌の前で泣く悲痛な母の声が今でも耳に聞こえてくるようだ。その母も父の急死から一年後に癌で入院、18年間の闘病生活の果てに末期癌で亡くなった。奇しくも、父の命日から10日後のことであった。父の死んだ日、外は冷たい雨が降っていた。葬儀には県下一円から父の息のかかった職人たちが集まり、仕事一筋に生きてきた父が偲ばれた。いまに思えば夢のよう・・・歳月は全てを夢に変えていく。迷惑ばかりかけてきた私などは忘れられて本望だが、父の場合は忘れ得ぬ人たちがまだ残っている。「どきゅめんと日誌」でも何度か父を偲んだ形跡がある。命日には、それらを読み返すのが習慣になっている。ごく当たり前の平凡な生活が、これほど貴重なものだったのかと・・・夢を辿るように父を思い出している。
父の命日ログ=1999年 2000年

2001/11/20、火曜

 この「日々雑感」をメイン・ページにすることにした。ほぼ毎日思いつくまま書いていくページである。これでは「どきゅめんと日誌」の時と大差ないが、これからは自然をテーマにした内容が多くなるだろう。科学の急速な発達は目を見張るほどだが、それで何が分かったのだろう?という素朴な疑問がある。例えば電気、これほど日常的に利用されながら、それでは電気とは何か?と問われた場合、プラスとマイナスなど科学的な記号説明で理解したような気持ちになっている。しかし、それらの説明はあくまでも人間がつくりだした記号で法則性なりを便宜上説明したものであり、電気の本質を解き明かしたものではない。応用において多用され、電気が便利な生活をもたらしただけで、電気の本質を理解したことにはならないのではないか・・・「宇宙電気栽培」の著者ジョージ・スター・ホワイト博士は金属片を果樹にぶらさげておくと成長が促進されることに気付いた。またペンシルベニア州立大学のマー博士は、作物地帯の上に人工的な電場を保持すると収穫が増大することを知った。いずれも実験証明されたものだが、時の権威はそれらの説をばかばかしいものとして認知することを拒んでいる。こうした電気栽培が普及すれば困る業者がいるからである。ここでは封印されてきた先達のこうした業績に、もう一度光を当てて検証してみたいと思っている。

 ところでポップアップ広告消去プログラムだが、「ClosePopup Version 0.64」は使い勝手が良いことが分かった。私はさっそく常駐させて使用している。私の場合、Windows→スタートメニュー→プログラム→スタートアップ、という順でショートカットのプログラムを置いて常駐させた。便利なので是非試してもらいたい。

2001/11/19、月曜

 深夜午前1時から2時までの一時間、「しし座流星群」を眺めていた。南の夜空、オリオン座下方で右から左に流れる流星を何度も見た。時に赤く発光した流星が長く尾を引いて流れていくのを、寒さ軽減のワインに酔いしれながら「すげぇ!」と感嘆の声を発していた。こんな時でもなければ夜空を仰ぐこともない日常にあって、夜空の星々はあくまでも澄み切って輝いていた。この時期、毎年出現する「しし座流星群」も、約33年ごとに大流星雨となって地球に降りそそぐという。1833年には1時間に20万個という大流星雨を記録している。星座ライオンの首筋にあたるγ星が流星群の放射点で、その名の由来はヘラクレスが殺したライオンというギリシア神話に基づいている。今夜も見ようと思っているが、寝不足が怖い。今朝も目覚めが悪かったが、あの長く尾を引いた流星の美しさを見るためには寝不足も仕方があるまい。昨夜は偶然夜空を見上げて驚いた人もいたという。急いで家族に知らせ、みんなで降り注ぐ流星を眺めては感嘆の声をあげたと、ほほえましい光景が目に浮かぶようだ。

 昨日はポップアップ広告云々の事情説明をしたが、消去プログラムのリンク不手際に気付いた。どうやらサイトを移動したようである。申し訳ないということで、急遽別のサイトを紹介することにした。今回紹介しているのはフリーの「ClosePopup Version 0.64」というもので、私がいま使っている消去プログラムとは違うが、それより機能が充実しているようだ。今夜のテレホーダイ時間帯に私もアップロードして使い勝手を報告するつもりでいる。ほかには「IE&ポップアップ自動キラー IE Buster 」なる消去プログラムもあったが、これは登録料800円がかかる。中にはバナー広告をも消去してしまうようなソフトもあるようで、いずれ検討してみたい。

2001/11/18、日曜

 北部同盟のカブール奪還でタリバンの敗北は決定的になったようだが、カンダハルではタリバンの抗戦が続いている。アメリカの空爆も続行され、アルカイダの壊滅とビンラディン拘束が果たされない限り今度のテロ大戦に終わりはないと言い切っている。その意味での長期戦をアメリカは覚悟しているということなのだろう。タリバン劣勢のもう一つの決定的な要因に、タリバンの内部分裂があげられよう。オマル師支持グループ、元国王支持グループ、元北部同盟の鞍替えグループという三つのグループの対立が結果的にタリバン兵士の戦意を喪失させてしまったといわれる。北部同盟にしても、マザリシャリフにおいて学校に立てこもった義勇兵700人を殺害するなど、降伏の余裕を与えない報復虐殺の懸念が浮上してきている。北部同盟の勝利に浮かれる現在のアフガン情勢も、再び内戦の悲劇に見舞われるか分からないだろう。かつての旧ソ連とのアフガン戦争でアメリカはアフガンを支援し、ビンラディンもまたアメリカの支援を受けてきたことを考えれば、今回のテロ大戦においてアメリカが正義の戦争などと宣言すること自体偽善的な思いがしてくる。

 ポップアップ広告は煩わしいのでその消去プログラムを紹介しているが、それでもプログラム立ち上げを忘れることもあり面倒でもある。というわけでバナー広告用も使用することにした。私がポップアップ広告用を使っているのは、地図を作成する時に都合がよいためで、後でレイアウト枠を追加する際に便利だからだ。つまりバナー広告用だとその分位置がずれてしまうのだ。もっとも広告無しならば問題はないのだが、有料とあって貧乏人の私は敬遠するしかない。これから出来るだけバナー広告用を使うことにして、地図を入れるときだけポップアップ広告用を使うようにしたい。

 ところで今夜は「しし座流星群」が見れるとのこと、今からいろいろ準備しようと思っている。何より寒さがこたえるだろうから、車のヒーターで暖をとり、ワインで体の中から温めることにした。地面に鏡を置いて、車中から見下ろすようにすれば首も疲れない。その前にワインで酔っ払ってしまうかも知れない。

2001/11/15、木曜

 アフガン情勢がタリバンの敗北という早急な展開で幕を閉じた。というより、閉じつつあると言うべきか。長期化するのではないか、という私の読みも外れたわけだ。しかしながら複数の民族で構成される北部同盟がアフガンを統治することには困難がつきまとうことも確かであろう。11月6日の時点で日本の中谷防衛長官はアメリカのコーエン前国防長官と会談、そのコーエン氏がアフガン攻撃は長期化すると述べていた。また同じ日にタリバン側もそれに呼応するようにモタキ教育相が長期戦の備えを強調している。それが早くも一週間後にはタリバンの劣勢が伝えられ、瞬く間に北部同盟がタリバン主要拠点を奪回して勝利宣言をするに至った。その直接の原因として、タリバンが6日の時点で「アメリカが地上戦に踏み込めば長期化する」と言っていたのに対し、アメリカはその同じ日にアフガニスタン北部で1万5000ポンド(7トン級)の大型爆弾BLU―82の投下を始めたと伝えていた。アメリカは二日前から燃料気化爆弾BLU―82の投下を開始していたのだ。このことの意味は大きい。当時のニュース映像でも投下後の爆弾の炎が顕著に見てとれていた。山岳部の地下に網の目のように掘られていたとされるタリバンのトンネル網も、これら燃料気化爆弾によって相当の被害を被ったはずである。これはトンネル内でガス爆発が起こったようなもので、中にいたタリバン兵は爆風の熱線で蒸し焼きになったと推定される。地上戦を想定し、トンネル地下内に主要兵力を集中させていたタリバンの戦略は、ここにおいて裏目に出たわけである。そこで思い出されるのが湾岸戦争で、後に塹壕からイラク兵の死体が続々発見されたというニュースが報道されたことがあった。秘密兵器の実験場とも言われた湾岸戦争だったが、戦場の報道管制が敷かれる中でアメリカ軍がどのような新兵器を使ったのか?今もって謎とされている。分かっているのはアメリカ軍が累々たるイラク兵の死体を塹壕ごと埋めてしまったということと、投降する何万ものイラク兵の顔に一様にいえ知れぬ恐怖の表情があったということだけだ。思い起こせばアメリカ軍のパナマ侵攻の際にも報道管制が敷かれ、民間人までもが随所で集められながら、のちに地面から続々死体が発掘されたということがあった。いったいパナマで何があったのか?パナマの某博士は目撃者の証言を検証しつつ「車がレーザー光線のようなもので真っ二つに切断された」ことや「強力な光線で人間が蒸発した」という信じがたい報告を行ったことがある。しかも、光線銃で消えたはずの人間が、実際には何も起こっていなかったというような報告もあった。博士は推定結論として、アメリカ軍はあのパナマ侵攻で、人間の脳にダメージを与えるような電磁波兵器のようなものを使用した可能性があるとしていた。すでにアメリカ政府はデモによる暴徒鎮圧の対策として、波動砲なる非殺傷兵器を公表したことがあった。非殺傷兵器と言えば聞こえはいいが、殺傷能力はないが脳や神経に著しいダメージを与えるという点で、その後遺症には深刻なものがある。我々が日常的に使っている電子レンジなども、当初は軍事目的に研究されてきたものであることは衆知の事実である。今回のアフガン戦争でも戦場ではどんな新兵器が使われたのか?実際には我々は何も知らされていないのではないか・・・

2001/11/14、水曜

 仕事の合間にこれを書いている。今日が引渡しの仕事のこと、つくづく仕事の難しさを思い知る。完璧な完成品を目指しながら、それがままならない。自分で納得できるような製品が出来ない。こちらを立てれば、あちらが立たず。人間関係に似ている。材料の物理的特性を把握するのはもとより、絶えず対象物との対話が欠かせない。もの云わぬ対象物との対話は、職人の技でもある。習うより慣れろとはよく言ったものだ。慣れるには時間が必要だ。ここ数日間、そんな仕事の葛藤を続けている。付きっきりで昼夜を問わず工場で格闘している。一段落ついた今も、つい工場に足を運びたくなるのを我慢している。あまり手を加えると、かえってトラブルが発生することが多い。それは材料の物理特性を無視することにもなり、修正のつもりが新たな修正を生むことになる。引渡しの時間が迫っている今、焦りは禁物だ。成るようにしか成らない。
 昨日は同業者が入れ替わりやってきた。雨で仕事にならないと言う。私の手がけている製品を見ながら単価を問う。それに答えると驚いていた。そんなに安いのか?と云うわけである。手間がかかるわりには利益が殆どないのだ。苦笑するしかない。安かろうが、いったん手がけた仕事には最善を尽くしたい。そんな思い入れが昼夜を問わない作業になっている。誰にも頼れない孤独な作業を通じて、生前の父の労苦を振り返っている。若い頃には反抗ばかりしてきた私も、そんな父が遺した会社が不況の荒波に傾きかけている今になって、損得を度外視した父の苦悩をなぞっている。「親の小言と冷酒はあとできく、さればとて墓に衣は着せられず」である。引渡しが済んだら冷酒でひとり乾杯しよう。成るように成れ、だ。成るようにしか成らないものを、何をあくせく、ここは成るように成れと腹をくくってしまえ。
 めっきり肌寒くなってきた。毎年そんな頃にやってくるのが父と母の命日だ。ごめんな・・・あなた方が遺してくれた会社も寿命が来たようだ。俺ひとりじゃ、もう支えきれないよ。風が冷たい吹きさらし、あとは野となれ山となれ。昨夜はマフラーを外したバイクが何度も轟音を発して走っていた。あの悲鳴のようなバイクの唸りは、それに乗っている少年の自己主張であり、悲鳴なんだ。何となく分かるような気がする。死に急ぐかのように暴走する少年たちの自暴自棄に、かつての私の青春を重ね合わせる。俺もひどかったけど、生かされるままに生きてきた果てに、否が応でも死はやってくるんだ。死に急ぐことはない。淡々と流れて、死であれ何であれ待っているものを受け入れていくだけさ。

2001/11/10、土曜

 夜、友人から電話があった。「今度のアフガン戦争どうなるんだ?」いつもの同じ質問である。「おまえはいつも同じ質問しかしないな。マザリシャリフが陥落したってニュース流れているだろ。あそこはアフガン北部に位置しているんだが、そこを北部同盟がタリバンから奪回したんだ。たまには世界地図広げて位置の確認ぐらいしろよ」・・・電話口で友人が苦笑している。「問題はそこだ。あれほど空爆をしながら、まだ北部あたりで苦戦を強いられている。当初アメリカは空爆は数日で終了させると言いながら、一方では長期化が予想される地上戦をも匂わせていた。つまりアメリカは最初から長期戦を覚悟していたってわけだ。これってベトナム戦争に酷似していると思わないか?」・・・私が気になっていたのもそのことであった。ブッシュ大統領が攻撃を決断した10月6日の23日も前にすでに特殊部隊がアフガンに潜伏していた。あのテロと目されたビル激突事件からたった2日後のことである。アメリカがベトナム戦争介入のきっかけとなったトンキン湾事件の4年前にも、アメリカは秘密部隊をベトナムに派遣している。しかし実際にはその10年も前、アメリカはフランスのベトナム介入を支援した(1950年)時から第一歩を踏み出していた。当時の大統領トルーマンにそれを勧告したのが弾薬メーカー「デュポン」の弁護士ディーン・アチソンだった。アチソンは当時の国務長官として、自分の娘を部下のウイリアム・バンディーに嫁がせている。ウィリアム・バンディはCIA局員として東アジアに精通、のちにマクナマラ国防長官に弟のマクジョージと共にベトナムへの積極介入政策を勧告した。またウィリアム・バンディーは弁護士として、義父のアチソン・オフィスの顧客を引き継ぎながら後のCIA長官アレン・ダレスと連携プレーをすることになる。弟のマクジョージ・バンディーは「フォード財団」理事長でもあり、暗殺されたJFK(ジョン・F・ケネディ)大統領の政権下では大統領特別補佐官の地位にあった。今回のアフガン戦争が長期化しかねない傾向は日々のニュースからも読み取ることが出来よう。ラムズフェルド国防長官は空爆開始数日後に「終戦までには冷戦のような長期化する可能性がある」ことを表明していた。かつてベトナム戦争が長期化することでアチソン国務長官が顧問弁護士となっていた弾薬メーカー「デュポン」が潤ったように、今度のアフガン戦争長期化でもラムズフェルド国防長官が幹部となっていた「ランド社」に連なる軍産複合体もまた潤うことは確かだ。ちなみにベトナム戦争では質の悪い弾薬でアメリカ軍の銃がよくジャミングを起こしていた。「そうか、戦争はまだ続くのか」友人が電話口で溜息をついている。「大統領といえども逆らえない大きな力の存在があるんだ。それでなければJFKのように公開処刑されるのさ」・・・そう言えば今月の22日はJFKの命日であった。また明日13日は原発がらみで交通事故死したカレン・シルクウッドの命日でもある。【参照=原発によって消されたシルクウッド、その物語

2001/11/6、火

 6日の午前0時過ぎにこれを書いている。いつもなら風呂に入って就寝しているところだが、このHP「じねん」が発足当初の意図とはかけ離れていくような不安を覚えて眠れなくなった。つまり、限りなく「どきゅめんと日誌」に近づいていく不安のことである。それだけ「ときゅめんと日誌」への思い入れは強く、そして長きに渡っていた。母が末期癌で死んだ後の心の空洞に、思い立ったようにインターネットを始め、そして書きつづけてきた「どきゅめんと日誌」であった。その影響が新しく改編したはずの「じねん」に付きまとってしまうのも仕方のないことかも知れない。それが「アフガン情勢」に色濃く残ってしまっている。これも当初は情報を分析して、独自の見解を打ち出したいという意図があった。それが今、情報収集の段階で膨大なものとなりつつあり、分析どころではない忙しさに振り回されてしまっている。情報を収集して検証し、それをもって仮説を立てるといったプロセスにまで至らない焦りが出てきたのだ。自分の中では『それでもいいではないか』という気持ちもある。これが限界だというところまで詳細な情報を掻き集めながら、それを読んでいてくれる人がいて、参考として利用してくれれば本望ではないかとも思うのだ。いつの日か、いま起こっているアフガン戦争が再検証される時のために、私なりに整理しておいた資料が役に立つことを願っているわけである。今も試行錯誤がつづいている。これからも試行錯誤はつづくであろうが、会社や持病のこともあり、これから先どれだけつづけられるか分からない。それでもつづけていきたい。大袈裟に言わせてもらえれば、命がつづく限りにおいて、そうしたい。
 ここでは出来るだけ本音を出していきたい。それでも私生活に関することは伏字にしなければならないこともあるだろう。例えば、会社の件で私はどす黒い利権の存在のことを仄めかしているが、それに関して実名を出すことは無理である。それが即、自分を窮地に追いやってしまうことにもなるからだ。かつて河上イチロー氏とそのことに触れたことがあった。当時はまだ彼の実名も何も知らなかった頃のことであった。いかにそれが事実であるにしろ、言えないこともあるのだと・・・最近の彼は自分が旧オウム真理教の元信者であったことを告白しているが、そのことで彼は何かしら吹っ切れたような心境に至ったのではないかと憶測している。そう言う意味では羨ましいと思う。羨ましい半分、ちと近寄りがたくなったという気持ちも隠せない。矛盾するようだが、彼が自分の属性のことを曖昧にしていてくれたほうが話しやすかった気がしている。属性というユニフォームを脱いだ一人の人間として・・・
 外は雨、猫族が凄い勢いで廊下を走り回っている。元気が有り余っているらしい。会社が傾きかけて来客もめっきり少なくなった私の境遇とは対照的だ。金の切れ目が縁の切れ目とは男女の仲だけではないことを実感している。人間社会とはこんなものだったのかと、雨音に耳をそばだてている。我々人間は落下する水滴の形状すら科学的に把握出来てはいない。ごく7年前にエッカーズとデュポンがそれが流体の運動方程式の結果であることを証明したが、自然の数学と答との相克の隔たりはいかんともし難いようだ。時として人間は、蛇口から落ちようとする水滴の複雑な形状をじっくり眺めてみるのもいい。そのとき人は神秘に触れているのだ。その後、シカゴ大学において落下する水滴のメカニズムはコンピューター・シュミレーションで相似解への理論を発展させたが、それは物質の原子構造の限界を無視したうえでのことだった。今から70年も前、エドワード・バックというロンドンの若き医師は、個々の花びらに付着している露を集めるという気の遠くなるような作業を繰り返していた。彼は花びらの水滴を集めて万能薬を作るという夢に憑りつかれていたのだった。しかし、それらは何の効果も発揮することなく徒労に思われたが、その花の水滴が日光に晒された時に効能を発揮することを発見した。今にして、バックのこうした治療薬は伝承されイングランドの多くの人々を救っているといわれる。雨上がりの庭に咲く一輪の花の、その水滴にも自然の神秘があるという、そのことを想像しただけでも嬉しくなってくる。

2001/11/5、月

 昨夜の日本テレビ系列知ってるつもり「父子の戦い・アメリカ大統領ブッシュ親子物語」を観た。この番組はいつもながら権力者の家族関係にスポットをあてているが、今回もまたブッシュ親子の愛情物語で上手にまとめていた。つまりは、いかに強大な権力者であろうと、我々とは変わらぬ心ある人間であることを強調したいのだろう。もしそうだとしても、親子二代の大統領という極めて強大な権力のもつ意味はあまりにも大きいとは言えまいか。これを番組では宿命的な偶然の一致としてとらえていたようだが、それを偶然としてしまうには早計すぎるだろう。むしろ、富と名声とを共にする巨大な利権渦中に位置するグループにとっては、彼らの代表としての必然的な意味合いの方が濃厚ではないのか。偶然でなんかあるものか・・・全ては準備された上での完成式典がアメリカ大統領の就任式であり、ブッシュ親子が指揮した湾岸戦争とテロに絡まるアフガン戦争もまた彼らに連なる戦争屋の懐を温めることになるんだ。
 何がなんでも空爆の続行を維持しようとするラムズフェルド国防長官の強硬姿勢は何に起因するのか?それを考える時には、彼が軍事シンクタンク・ランド社の幹部であったことを思い起こす必要がある。その同じ幹部のカーラ・ヒルズは現大統領の父親ブッシュ政権下の通商代表ではなかったか。そのカーラ・ヒルズの夫ロデリック・ヒルズは「シアーズ・ワールド・トレード」の会長として、同じランド社の幹部だったフランク・カールリッチを社長として招き入れた。この当時、カールリッチはレーガン政権下の国防副長官だった。よく思い出してもらいたいものだ。今やそのカールリッチが会長をつとめる「カーライル・グループ」にオサマ・ビンラディンが2億を越える投資をしていたのだ。しかも「カーライル・グループ」の顧問にジョージ・ブッシュ元大統領の名が連なっているとすれば、その息子がかつてはアル中だったが、今では父を乗り越えてアメリカ大統領になってメデタシ、メデタシで終わるような物語ではあるまい。ブッシュ親子が共にアメリカ大統領として、同じように「正義の戦争」を旗印に戦争を鼓舞するという異常事態にこそ気付くべきではないのか。

2001/11/4、日曜

 昨夜から日曜の正午近くまで眠りつづけていた。会社の行く末を考えると不安になり、何度か夜中に目を覚ましたが『いいから眠れ、何も心配することはないんだ』と自分に言い聞かせては眠りつづけた。実はここ数日、一方的に仕事を打ち切った会社のことを探っていた。そして分かったことはトンデモナイことだった。中でも暴力団との関係は一考に価する内容であった。その社長が繁華街に繰り出す際には暴力団のボディガードが付く、ということは噂になっていた。地元商工会の重鎮でもある社長が、なぜ?と思っていたが、今度の調べでその謎が氷解した。ここで詳しく書くことは出来ないが、ウラ社会の抗争が関係していることは確かだ。これ以上探ることも必要あるまい。権力の構図として記憶に留めておきたい。いつか全てが明らかになる時が来るだろう。一件のどかな地元にあって、その背後にはどす黒い利権構図がしっかりと根付いているのだ。

 最近野草の写真を撮りまくっている。雑草の小さな花に魅入られている。現実逃避でもあろうか・・・不確かな人間社会に疲れ果てたあげくの逃避であり、小さな世界に無限の命を発見したような気持ちでいる。人間は色とりどりの花を見て心が癒されることは漠然と知ってはいるが、果たして植物と人間の関係性はそんな気休めに留まるものなのであろうか?馬鹿げた妄想として権威に退けられてきた先達の教えに、もう一度我々は耳を傾ける時ではないか・・・今から170年余も昔にドイツの医学&物理学教授グスターフ・テオドール・フェヒナーが残した次のような言葉にも、人間と植物の関係性がものの見事に集約されている。

人間の肉体の究極目的の一つは植物に奉仕することにある。生前は炭酸ガスを出して植物の呼吸を助け、死後は屍で植物に肥料を施す。草花も木も最終的には人間を食いつくし、遺体を荒土や水や空気や日光と併合することによって、人間の肉体をもっとも壮麗な形態と色彩に完全に変貌させてくれるのである

2001年10月分