日々雑感
相棒に会って来た。かなり弱っているようだった。持参した混ぜご飯は何とか食べてくれたが、チーズには口をつけなかった。去年は救急車で運ばれたと言う。いつ何時倒れても不思議はない現状の中で、一人で暮していること自体危ないのだ。誰かが傍にいなければ、倒れたまま誰も気付かないことになる。兄や妹もいるが別に世帯を持っていて、週に一度ちょっと様子を見にくるだけだという。心配なので一泊した。相棒のイビキが凄くて眠れなかったが、今度はいつ会えるかと考え込んでいた。むしろ、もう会えなくなる公算のほうが大きい。弱い立場の人間が捨て置かれ、忘れ去られているという今の事実にやりきれなさを感じた。「また来るよ」と言い残してきたが、その「また」が来るほど時間は待っていてくれないだろう非情を思いながら。
報道特集でアフガンの義援金に触れていた。 すでにニュースでは「義勇兵数千人集結、アフガンへ パキスタン北西部」として報道されている。番組ではパキスタン国民からの義援金を集金している某モスクの様子を放映していた。そこには19日からの義援金4万ルピーの札束が山になっていた。日本円にして約8万円、これはパキスタン国民一人では一生かかっても稼げない金額だと言う。番組ではそれらの集金システムがどうなっているかは触れなかったが、正規のイスラム教組織とは別組織のルートで流れて行くのではないかと推測した。タリバンに流れるのであれば、その慈善団体を装う「アル・ラシッド信託」あたりであろう。ここはタリバンなどへの支援組織のパキスタン拠点となっていて、アフガンのカブールには同様の「ワファ人道機関」がある。それらを統括しているのが「イスラム救済財団」で、これがオサマ・ビンラディンに関連していく。500億円ともいわれているビンラディンの建設一族の資産だが、アメリカがビンラディンに関連する27団体の資産凍結を決定してから、フランス、イギリス、イタリア、香港や日本までも呼応してタリバンを封じ込めてきた。その対象がNGOまでに及び、アフガン難民の救済も絶望視されている今、空から食糧を落とすアメリカの欺瞞を感じざるを得ない。果たしてビンラディンの資金源はこれで壊滅的になったのであろうか?すでにビンラディンが投資していたとされる「カーライル・グループ」約2億5000万円も撤退を余儀なくされたと報道されているが、その顧問ブッシュ大統領とは何の関係もなかったのだろうか?「カーライル・グループ」の会長フランク・カールリッチは、その前身「ランド・コーポレーション」に所属していた。ここで彼は鉱物の宝庫であるコンゴに関連して、コンゴと対立していたベルギーで工作してきた。それらの実績がCIA副長官、国防副長官、大統領補佐官、そして国防長官という華々しい経歴に結実してきたといえよう。彼がコンゴの鉱物利権に関与して工作を行ってきたベルギーには、ダグラス・マッカーサー2世がベルギー大使として派遣されていた。日本人には決して忘れ得ないであろうこの名前は、むろん日本進駐軍の総帥マッカーサー元帥の甥である。そのマッカーサー元帥は「レミントン・ランド」の会長をしてきたが、それが改組されてカールリッチが所属していた「ランド・コーポレーション」となった。これは偶然だろうか?レーガン政権下で国防副長官をしていたカールリッチは、ロデリック・ヒルズ会長の「シアーズ・ワールド・トレード」に社長として招き入れられたが、そのヒルズ会長の細君がカーラ・ヒルズであった。ここから石油成金ブッシュ一族へと関連づける作業はさほど難しくはないだろう。話を「果たしてビンラディンの資金源はこれで壊滅的になったのであろうか?」に戻す。そもそもタリバンの資金源はビンラディン一族に限られたものではなく、アフガンのパンジシール渓谷は宝石の宝庫と言われてきた。この豊富な宝石をベルギーに代表されるユダヤ商人が買いあさってきた。故マスード司令官はここを拠点としてイスラム協会軍を率いて、やはり世界一高いと言われるラッピス・ジュールの宝庫であるタジキスタンのゴルノ・バダフシャンを占拠した。戦争の影に利権あり、とり急ぎ大雑把に書いたが、あとでゆっくりまとめて検証してみたいと思う。
そろそろJFK暗殺の11月13日が近づいてきた。ブッシュの名前が出たところで、彼のオヤジとJFK暗殺に関連する謎についても迫ってみたい。JFK暗殺において、なぜかこの大ブッシュの動向が空白になっているからである。「どきゅめんと日誌」に書き溜めておいたものがあるので、それを参照にされたい。それに加筆することになると思う。【JFK暗殺の謎】
これから白鳥を見に行こうと思う。末期癌の母も、その最後の年の初めに白鳥を見に行った場所だ。ビデオには白鳥に餌を与える母の様子が写っている。あれから九ヵ月後に母は死んだ。おそらく母の与える餌を食べたであろう白鳥も、その時には越冬して来ていただろうと思う。その白鳥を、これから見に行くのだ。数日前、そんな白鳥が一羽、別の川に迷い込んでいるのを発見した。カメラを向けると逸早くそれを察知して河上に逃げていく。私も堤防沿いに追いかけながら、カメラを向けると逃げるということを繰り返していた。仲間から遠ざかる白鳥は、そのまま迷子になってしまうのだろうか。今にして、私がカメラで白鳥を追い込んでしまったのではないか?という自責の念にかられている。
その日に私はいつもの相棒を訪ねた。知的障害をもつ彼は一人暮らしをしている。以前に訪れた時には、オカズもなしにご飯に水をかけただけで食事を済ます彼に驚いたものだ。訪ねてみれば、相変わらずの貧乏生活をしていた。それでもニコニコして私を迎えてくれる。帰る時には「寂しいから帰るな」と私を引き止める。「また来るよ」と言い捨てて帰ってきたが、その「また」が今日になりそうだ。オレだって寂しいんだ。それでも会社のこと考えると、寂しいとばかりは言ってられなくなる。父はよく「経営者は孤独だ」と口癖のように言っていたが、今の私はそれが骨身に染みるほどよく分かる。その父もとっくに死んでしまった。私が20代半ばの時だった。人はみなそんな孤独を噛みしめて生きているのだろうか・・・相棒よ、これから行くぜ。ワインを抱えて、今夜はしばし酔いしれながら一緒に仕事をしたことなどを話そう。
倒産した隣の空き地に雑草がはびこっていた。コンクリートの小さな裂け目から必死に顔を出し、根を張る彼らに生きる原点を見た。命とは生きるようになっているんだ。生きていればこその命も、最後には死が待っている。そして、その死が決して無駄ではない証として、植物たちは実を結びタネを落としていく。彼らは人間のようにあくせく動き回ることはしない。大地と太陽の光だけに満足して、その場所から一歩も動くことなく自然を享受している。彼らが死んだように眠りつづける冬が過ぎれば、やがて小さな芽を吹きだす春がやってくる。春は全ての命の再生の季節だ。人間もまた自然の一部であるとするならば、死んだ人もまた決して無駄ではなくなる。絶望の淵に時折よみがえる父や母の面影も、それは単なる幻影ではないないような気がする。私の心の中で忘れないでいる限り、私の両親はまだ私と一緒に生きているんだと・・・確信をもって言い切ることは出来ないが、そう思う。そう思いたい。そう思い込んでいる限り彼らはまだ死んではいないのではないか。カーヴァーが言うように、不可視的世界において静かで小さな心の呼びかけに妖精たちが応じてくれるとすれば・・・この殺伐とした人間社会も一変するのではなかろうか。
これから白鳥を見に行こうと思う。ワインを片手に相棒に会いに行こうと思う。土曜の昼下がり、秋晴れの自然を背景に・・・
▼2001/10/24、水曜▲
久しぶりに秘密の幽谷を訪れた。ここに来ると、まるで故郷に帰った気持ちになる。自然が私を待っていて「おかえりなさい」と迎えてくれる気がする。自宅への帰路では自分の顔がだんだん険しくなるのが分かる。気の許せない人間社会が戦場のように思えてくるのだ。かつての戦争においては犠牲者の死体が河に投げ捨てられた例も多い。川面を眺めながら、これが戦時なら人間の死体が流れていても不思議はないと、真っ赤に染まる川の水を想像していた。自然が本当に自然のままでいられるのは、そんな人間たちがいなくなった時しかないのだろうか?絶壁の山に繁茂する植物たちによって水はあくまでも透明にして、川の源泉となって流れつづけている。これが奇跡でなくて何だろう。巨大な岩の間を縫って流れる清水を眺めながら、私は心地よい目眩に浸っていた。この感動を伝えるには言葉だけでは不足だ。というわけで写真をパノラマにしてみた。欲を言えば、岩間に響いている水の音もステレオで入れたいものだ。
ふとアフガンの河を思い浮かべた。カラコルム山脈の西の端、そこからアフガニスタンに河は流れている。険しい山並みを縫うように河は下流へと流れながらも、その水の恩恵を受けることなくアフガンは荒涼としている。濁流の波音と共に聞こえるのは爆弾が炸裂する音だ。河の流れのように、多くの難民たちが流れている。聖戦と正義の戦争という大義の対立に、人の血が流れている。人間が本当に戦うべき相手は、戦争そのものではなかったか。人間の心に巣食う憎悪が戦争を生むのであれば、内なる我が心の憎悪を根絶やしにするのが先決だ。正しい戦争なぞあるものか・・・
私はそれが分かっていながら、日々の生活での憎悪を消し去ることが出来ないでいる。幽谷の清流に憎悪の全てを捨て去ることが出来たらどんなにいいだろう。それを捨て得るのは愛なのだと、マザー・テレサは言った。人に愛されない、必要とされないことほど不幸はないのだと・・・しかし、私は自分が愛されない以上に、戦争を矛盾することなく正当化し、受け入れてしまっている普通の人々を愛することが出来ない。公園で寝ているホームレスの人々を、子供の教育に悪いと追い出す秩序の人々を愛することが出来ない。そんな彼らの子供たちがバイキン狩りと称してホームレスの人々を襲っている現実を容認できない、許せない、我慢できない。それを人間性の欠落だという知識人がいる。人間性?地球上に繁茂する全ての命の中にあって、戦争を起こすことが出来るのはその人間だけではないか。私もまたアフガン難民のように、人生に漂流している人間にすぎない。アフガン難民の人々は飢えと寒さに命を脅かされているが、私とて愛の何たるかを知らずに、愛に飢えている難民のようなものだ。それでも戦争が諸悪の根源であることぐらいは知っている。この何処にでも蔓延り、侵入する悪の本質とは何なのだろう?イスラムもキリストも、仏陀もまた人の殺意を戒めているのに、人間はその信仰を唯一としてそれを信じない者を悪としてしまう。イスラムの信者にとってキリストが悪であるように、キリスト信者にとってイスラムは悪となる。アメリカ大統領は「これはテロに対する報復であり、決してイスラム教を対象とするものではない」としながら、自分たちの報復を十字軍になぞらえている。キリスト教聖地パレスチナをトルコ支配から解放するために結成された十字軍も、後にはイスラムとの聖地争奪戦にも加担してきた。
信仰とは何だろう?少なくとも自分が信じるに足る教義をもって、それを信じない者には排他的になるというような狭い見識であってはならないと考える。もっと内なる心の問題であり、その心の葛藤の内に見いだしていくべき光のようなものではないか。私はそれを既存の宗教ではなく、黙して語らない自然に見いだそうとしている。「タスキーギの魔法使い」と呼ばれた黒人農芸化学者ジョージ・W・カーヴァーは、その類い稀なる才能で自然の農作物からさまざまな製品に変えて農民たちの生活を安定させている。かつては動物の餌として低級とされていたピーナツやサツマイモから何百種類の製品をつくり、化学者や多くの人々を驚かせ黒いレオナルドと称され、尊敬された。その彼には財閥などの多くの資金提供者もあらわれたが、彼は「神がピーナツをお創りになったからといって、その代金を私にもあなた方にも請求なさったことはありません」と断っている。その彼の次のような言葉が私をして自然に導いてくれた。
「花は人間が地球上に現れるずっと以前から存在し、この先何百年も存在し続けるだろう。その花を通して私は無限なるものと話をする。無限者とは静かなる力(サイレント・フォース)にほかならない。これは物質的・身体的接触ではなく、地震とか風とか火といったものの中にあるわけではない。すべては不可視的世界のうちにある、あの妖精たちを呼び出す静かで小さな小さな声なのです」▼2001/10/22、月曜▲
昨日、今月最後の仕事を終えた。この一連の仕事は毎月出てくる。私は建築部門が専門で、車輌部門のこの仕事は畑違いなのだ。従業員がいない以上、否応なく私が全部仕上げなくてはならない。試行錯誤と失敗の中、何とか完成させている。しかし、こうした定例の仕事も限られている。それが終われば来月を待たなくてはならない。つまり、仕事がない。暇なのである。それでも会社を続けているのは、仕事のつながりを維持したいためだ。景気が回復すれば大きな仕事も出てくるだろう。今やめてしまえば、それらの希望も断ち切ることになる。要は景気次第なのだが、この底冷えするような不況にあっては先が見えない。政府の政策にしても、何ら効果的な打開策は見えてこない。「痛みを伴う」などと総理が言い出している限りにおいては、景気の回復は望むべくもない・・・そう判断せざるを得ない。さて、どうするか?どうするか以前に、どうにもならないところで足掻いている。
先行きを考えると夜も眠れない。中小企業の経営者たちは口を揃えてそんな悩みを互いに打ち明けあう。それが挨拶言葉にもなっている。取引先が逃げた、自殺した、それでも驚かないほど不況の波に慣れ親しんでいる。いつ沈没してもおかしくはない、小さな中小企業という木っ端のような舟が、不況という大波に浮き沈みしているのだ。
テロに絡まるアフガン戦争勃発にも、これで軍需景気が起きればいいと、不謹慎なことを言う経営者も出てきた。かつて日本は朝鮮動乱による軍需景気で高度成長になったという経緯がある。他国の不幸がもたらすこうした利益に、なんら疑問も抱かずに高度成長期を満喫してきたことの原罪を感じている。戦争をもビジネスという視点で捉えられるほど、私は逞しくもないし強くもない。犠牲者を踏み台にしてまで利益を得て、何の幸福感があるというのだ。だから、問題は人それぞれの価値観にあるのではないかと、思い至るようになった。物理的な困窮が、決して心の貧しさにはならないのだということを、証明する必要がある。そのために今の困窮は試練と受け取るべきなのだと・・・思いつつも、覚悟には至らない「なまみ」の人間のところで足踏みしている。泣きたいのに涙も出ないのはどうしたわけか?浴びるように酒を飲んだ深夜に、ガランとした工場で大の字になって煤けた天井を見詰めていた。父と母の残像がスレート天井の染みとなって襲ってくる・・・そんな錯覚に怯えていた。私は誰?何者だ。何のために苦しむのか?私は苦しむためにだけ生まれてきたのだろうか・・・そうした自問自答の繰り返しに疲れ果てながら、それでも人が生きていくことの意味を探りつづけている。
▼2001/10/21、日曜▲
倒産した材料店に整理屋が参入、売掛金の回収に乗り出している。100社以上の売掛金名簿を公示、債権譲渡の権限をかざしてきたのだ。名簿を見れば同業者の台所事情もおよそ推測できる。これは違法ではないのか?と、心配する同業者が訪ねてきた。整理屋とはむろんアウトサイダー関連、彼らに払ってしまった後に、更に材料屋に二重支払いすることになりはしないか?と心配しているのだ。しかしながら、名簿には材料屋の実印が押されている。ということは社長が納得済みで整理屋に実印を渡し、事後処理を委託したことになるだろう。その社長は今も行方をくらましたままだ。疑心暗鬼の空気が漂っている。少しウラ情報を収集してみた。さもあらん、といった状況が分かってきた。アフリカの大平原での掟、食うか喰われるかの弱肉強食の世界で、食われたものにハイエナが群がるようなものだ。彼らはきれいに食い尽くしてくれるはずだ。そして、彼らが去った後には何も残らない。疑心暗鬼の空気が漂っているだけだ。
▼2001/10/12、土曜▲
仕入先の倒産が地元の新聞に載った。負債額は約六億円、やはり本業のほかに手を出した商売で躓いたらしい。本業だけを手堅くやっていればいいものを、バブル経済絶頂期に欲が出たのだろう。この会社の社長は、以前にも新聞に載って話題になっている。あまり誉められたものではない、カネと欲に絡んだ新聞種のことを思い出している。カネになるなら手段を選ばない、そんな類いの社長であった。カネといえば、断っても毎日かかってくる投資勧誘の電話についにキレてしまった。ちと忠告しただけなのだが、謝罪したところから二度と勧誘はしてこないだろうと思われる。あまり誉められたものではない忠告のこと、何を言ったかは内緒にしておこう。カネ、カネ、カネの世の中、そのカネが原因で起こる事件は数知れず、今の私もカネのことで苦しみ、悩んでいる。会社も一時は解散手続きまで考えていたが、何とか持ちこたえている。ここ数日間、徹夜で仕事をこなしてきた。従業員を整理したので、仕事は私一人でやらねばならない。何としてでも生き延びてやりたい、そんな気持ちが蘇えってきている。苦しい、寂しい、つらい・・・追い詰められた極限でしか味わえない、この体験を私は決して忘れない。不況の波をもろに受けるのは零細な企業だ。カネを投資目的に使い、何でもカネで買えるという欲望と錯覚によって日本は滅んでいくような気がしてならない。経済の基盤は生産であり、カネでカネを買う現代の経済のありようは間違っている。狂っている。人間の努力や汗が報いられないような経済構造そのものが異常なのだ。
今夜は珍しく、従弟や友人が訪れ、そして飲んだ。話題はアメリカとアフガンの戦争に及ぶが[・・・生活に追われて戦争どころじゃねえ。勝手にやってくれ、てなもんだ・・・でもよ、戦争おっぱじまれば、もっと生活が苦しくなるんだぞ・・・だからって、どうしようもねえべさ。アフガンで戦争起こったって、日本は関係ねえよ・・・ありゃ、ホントにそう思ってんのかよ?自衛隊だって後方支援で動いているってのに、話にならんな・・・石油だって高くなるよな・・・」酔いが回ってそれぐらいしか覚えてないが、いつものことながら現実的な生活の話に終わったようだ。宴の後、ビールの空き缶が散らばっていた。チーズの残りは猫族たちが喰い散らかしていた。無惨な光景ではあるが、いつものことだ。酔いが醒めるつれ孤独が身に染みる。これもいつものことだ。何も変わっちゃいない。歳月だけが正確に時を刻んで流れ去っていくだけだ。深夜、サラエボ出身の女性歌手ヤドランカがテレビに出ていた。その歌声を聴きながら、酔い醒ましの水を飲んでいた。とりとめのない散文を書いた・・・食べるものがない
仕入先の会社が倒産してから四日が経過した。買う立場であるから私の会社には被害はない。むしろ買掛金が多少残っている。私など、会社の絶体絶命の危機に際しても、こうして何とか生き延びている。これがいつまで続けられるか・・・続けていくだけの余地がないのに・・・踏ん張っているのはただ突っ張りの意地でしかない。大宮の友人が心配している。彼自身、会社をクビになったばかりなのに、自分のことより他人の私を心配してくれる。ありがたいと思う。その恩に報いたいと思いながら、何も出来ない自分が歯がゆい。
昨日、仕入先に指定材料を注文した。それから間もなく「注文材料はキャンセルさせてもらいたい」との電話あり、面くらう。社長が行方不明になり閉店せざるを得なくなったと聞き、さらに面食らい、そして驚いた。何とまあ・・・返答に困っていると「どうも長い間ありがとうございました」という看板嬢の丁寧な別れの言葉で電話が切れた。いつも丁重な態度で受付をしている彼女のこと、育ちの良さを感じさせる美人であった。店じまいより、彼女に会えなくなることのほうが寂しい。名前すら分からないままサヨナラとは寂しい限りではないか。とはいえ、社長のことも気がかりである。行方をくらますぐらいだから、相当の借金を抱えていたものと思われる。私だけではなく、従業員も寝耳に水だったはずだ。おそらく、社長の行方が分からなったのは数日前のことだろう。それでも当初は社用で何処かに出かけたものと思っていたのが、昨日になって店を捨てて逃亡したことがハッキリした。後継者もいないために急遽店を閉じることになった・・・そういうことだろうと憶測している。今日注文して数時間後にキャンセルされたのだから、業者としては私がもっとも早くこの悲劇を知ったことにもなろうか。親しくしている業者仲間の社長にこのことを伝えたら驚いていた。返ってきたのは「うちも他人事ではない」だった。そうなのよ、他人事ではないというその言葉は、そのまま私にも当てはまるのだから・・・くそったれ、なのである。どこかの総理のような痛みを強いる発言どころではない、今度の不況は死ぬか生きるかの話なのだ。「ちょっと痛いけど我慢してね」ぐらいで我慢できるような痛みではない。激痛を通り越して、刃を突きたてられ瀕死の状態に置かれているに等しい。それでも我慢しろということは、大量の出血のままで放置されるようなものだ。それにも増して、同時多発テロ事件に便乗して戦争を正当化しつつある我が国の指導者たちはどうだろう?頼みもしないのに「親分、武器でも何でも運びますぜ」と擦り寄る子分よろしく、大国の傀儡に成り下がった国の末路はあまり期待できるものではないだろう。自国の瀕死をよそに、戦争のために税金を放出し「これはテロに対する正義の戦争なのだ」と言い含める為政者は、国民の命もまた自由になると錯覚しているのだ。権力者のこうした魔性に気付かずに、国民が戦争に加担していくようであれば・・・それは、いつか来た道・・・かつて通ってきた地獄の坂道を転落していくことに他ならない。逃亡者となったかの社長は、今頃どうしているだろうか?