午前9時半現在
荒っぽい作りになってしまったが、臨場感は伝わると思う。最後のほうの文字が出ないのは、書けなかったからだ。なぜか涙が溢れて書けなかった・・・息詰まる緊張感と、恐怖と焦り・・・不意に訪れた死の予感・・・機長の、500人以上もの乗客の命を背負った究極の責任感・・・そして・・・
惨劇の後に運輸省が何故資料を破棄しようとしたのか?JALは何故唯一の物的証拠となる残骸を処分しようとしたのか?それらの工作の全てが彼らの隠蔽を示唆するものであり、国家の犯罪を露呈するものであると、断言したい。謎だらけのこの事件に、私は以前から引っかかっていた。そして今、権力の側にも良心の呵責に耐えられずに内部資料を提示する善意の者に、深い敬服を感じつつ、「捨てたものではない」この世に一抹の光明を見ている。密かに、半ば公然と大量の公文書が継続的に破棄処分されている現在、それに歯止めをかけられるのは真実を知ろうとする民意にしかない。何となれば民衆の無知こそ権力が付け入る突破口となるからだ。
まだこの動画は未完成だ。コックピット内のやり取り、機内アナウンス、管制塔との会話記録等々、その全てを動画に盛り込むことは不可能だ。映像を使わなかったのは、読者の想像力に委ねたかったからだ。墜落を強いられたJAL123便の機内に心を固定して、その緊迫感と恐怖を体感することの意味は大きい。520人の犠牲者の中には明日の未来を担うべき子供たちも含まれている。国家権力者たちの隠蔽工作はその子供たちの未来を奪うことにもなったのだ。彼らが破棄してきた資料より以上の、真実を追究しようとする人々よる資料補填によって、多くの子供たちが近未来にあって閲覧研究できるデータベースを作ることの必要性を訴えたい。
私は忘れない・・・そして、私は許さない・・・幾多の人命犠牲を踏み台にして君臨する権力の魔性を・・・
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