韓国全土に戒厳令が敷かれていました。5月15日には全土で16万人の学生デモが繰り広げられ、18日には全南大学の学生たちが光州で静かなデモ行進をしていたのです。19日にはそれが一挙に1万5000人に膨れあがった。デモ隊は戒厳令を解除せよと要求していた。そこへ米軍のグリーン・ベレーが鍛えた韓国軍の特殊部隊「特戦隊」が襲いかかったのです。彼らは光州の町全体を道路封鎖で孤立させ、報道を一切遮断するといった極めて計画的な襲撃を行ったのです。女性は乳房をえぐられ刺し殺されました。胎児まで殺された。学生が木に吊るされ、子供は頭を踏み潰されて殺されました。光州市民70万人の殆どが動き出し、そして白昼堂々2000人が殺されたのです。韓国軍が韓国の国民を殺したんだ。全斗煥は最後に2万の大軍を動員すると、27日未明3時に空軍の戦闘機と戦車で襲いかかった。光州市民はそこに米軍がいたことを見ていた。彼らは市庁舎の上から眺めていた。それを承認したのが国連軍司令官ウィッカムだった。彼はベトナム戦争で指揮官をしていた。米軍のヘリが飛び、米軍のトラックが光州市民の死体を運搬した。光州事件を誰が動かしたかは明白だ。
---弘瀬隆著「脅迫者の手」44-46頁より抜粋
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