朴大統領の暗殺直後に、韓国の南海域に世界最強の米海軍「第7艦隊」が、空母キティー・ホークとともに姿を現し、状況次第では突入する構えを見せた。続いて米軍は11月13日に、合同捜査本部が金載圭に死刑を求刑し、送検した日を狙って、韓国軍と突然に合同演習を開始した。韓国全土に対する、威圧のデモンストレーションだ。粛軍クーデターが12月12日に起こり、米軍を背景にして全権を把握したのが全斗煥と盧泰愚だった。彼らは陸軍参謀総長たちを一網打尽にして、逮捕した。ルーツはベトナム戦争にある。全斗煥と盧泰愚は陸軍士官学校の同期生だった。韓国全土が反米、反政府闘争となって広がり、翌80年に決定的な事件を迎えた。全斗煥の退陣を求めて激しいデモが起こったのだ。かくして5月17日から26日まで続いた光州事件で、明かに米軍の指示を受けた韓国軍が、民衆を虐殺するという流血の大惨事を招いた。金載圭が処刑されたのは、この事件の最中だ。5月20日に、大法院は事態の発覚を恐れて急いで死刑を確定し、24日には絞首台で死刑を実施した。異常なスピードで証人を抹殺したのだ。
---弘瀬隆著「脅迫者の手」43-44頁より抜粋
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