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10・26から5・18事件への血塗られた道程
アメリカが金載圭の処刑を急がせたわけ
 朴大統領の暗殺直後に、韓国の南海域に世界最強の米海軍「第7艦隊」が、空母キティー・ホークとともに姿を現し、状況次第では突入する構えを見せた。続いて米軍は11月13日に、合同捜査本部が金載圭に死刑を求刑し、送検した日を狙って、韓国軍と突然に合同演習を開始した。韓国全土に対する、威圧のデモンストレーションだ。粛軍クーデターが12月12日に起こり、米軍を背景にして全権を把握したのが全斗煥と盧泰愚だった。彼らは陸軍参謀総長たちを一網打尽にして、逮捕した。ルーツはベトナム戦争にある。全斗煥と盧泰愚は陸軍士官学校の同期生だった。韓国全土が反米、反政府闘争となって広がり、翌80年に決定的な事件を迎えた。全斗煥の退陣を求めて激しいデモが起こったのだ。かくして5月17日から26日まで続いた光州事件で、明かに米軍の指示を受けた韓国軍が、民衆を虐殺するという流血の大惨事を招いた。金載圭が処刑されたのは、この事件の最中だ。5月20日に、大法院は事態の発覚を恐れて急いで死刑を確定し、24日には絞首台で死刑を実施した。異常なスピードで証人を抹殺したのだ。
---弘瀬隆著「脅迫者の手」43-44頁より抜粋
【トピック】
★光州事件で25年記念式典 大統領ら犠牲者追悼

 【光州(韓国南部)18日共同】韓国の軍事政権に対する民主化運動の象徴となった1980年の光州事件から25年を記念した式典が18日、同国南部、光州市の5・18国立墓地で行われた。

 盧武鉉大統領や政府関係者ら約2000人が出席し犠牲者を追悼、「正当な民主化要求運動」と位置付けられる同事件を記憶に刻み、民主主義の尊さを確認した。

 盧大統領は演説で「5・18(光州事件)は勝利の歴史だ。軍事独裁の暴力も民主主義に向かう光州市民の熱い思いを抑えることができなかった」と強調。「感情的な対立を乗り越えて合理的な考えが支配する社会にならなければならない」と述べた。



【私的めもらんだむ】
NHK教育テレビ「こころの時代」より

「田舎暮らしを始めてからは、人間というものが何処にもチカラというものが無くて、感動するものが全部自然にあって、私がその中にいる、その自然の中の一つなんだという実感が出ましたね。生かされている、ということを体で実感した。そうした驚きは都会で暮らしていたのとは質が違う。都会にいたときは、安売りなんかで抱え込むほどモノを買い込んでいたけど、ほんとはモノなんか要らないんです。自然の中に埋もれているだけで心が充実するんです。都会で気になるものは、人間の作ったモノ、それにオカネ、田舎に来てそんなもん何の興味も無くなりましたね。作品も自己主張を極力無くそうとしてきた。私にとっては自然それ自体が主体なんです」

夏 1967 渚の秋 1970
堀文子
大正7年(1918)東京生まれ。
昭和11年女子美術専門学校師範科日本画部に入学。昭和41年新美術人協会第2回展に初入選以後、入選を重ねる。 昭和15年女子美術専門学校を卒業。昭和26年新制作協会日本画部会員。昭和49年創画会会員、多摩美術大学教授となる。 平成11年創画会を退会、多摩美術大学客員教授を辞す。

日本画家、堀文子
春の来る径 1971

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