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【トピック】 ★グルジア首相謀殺か ロシア政府系テレビ報道
【モスクワ7日共同】ロシアの第一チャンネルは6日、一酸化炭素中毒による事故死と発表されたグルジアのジワニア首相の死因に不審な点があると報道、サーカシビリ大統領周辺が絡んだ他殺の可能性を強く示唆した。
同テレビはプーチン政権の支配下にあり、報道には親欧米派の同大統領を中傷する意図があるとみられる。しかし、ロシア対外情報局が事件の真相に関して確度の高い情報を得ている可能性も指摘され、ロシアと米国が影響力を競うグルジア情勢に複雑な影を落とすことになりそうだ。
同テレビは看板番組ブレーミャで、首相死亡は「多くの人々に都合がよかった」と指摘。グルジア政府の検視発表に混乱があったことや、首相が最近、サーカシビリ大統領の頭越しに米政府との関係を深めたため、大統領との間で確執が深まっていたと伝えた。
★グルジア首相死亡 「革命」主導者、ガス中毒か
【モスクワ=内藤泰朗】グルジアからの報道によると、同国のジワニア首相(41)が三日、首都トビリシの友人宅で死亡しているのが発見された。ガス中毒が原因とみられている。同首相は、政権交代につながった一昨年秋の「バラ革命」の主導者の一人で、サアカシビリ大統領は「祖国を愛した朋友を失った」と語った。
同国内務省の発表によると、同首相は二日深夜、グルジア地区のユスポフ副知事宅を訪問。翌三日未明になっても連絡が取れないことを不審に思った首相の警護要員がドアを破り、首相と副知事の遺体を見つけた。部屋内では、ガス暖房器具が使われており、ガス漏れによる中毒で死亡したものとみられる。
ロシアのプーチン大統領は三日、哀悼の意を表明した。サアカシビリ大統領は、一週間以内に新首相を指名する。
ジワニア氏は、退陣したシェワルナゼ前大統領の支持者だったが、一昨年の「革命」で、当時野党指導者のサアカシビリ氏に合流した。同国では、両者間に対立があると報じられていた。
(産経新聞)
★ズラブ・ジワニアZurab Zhvania---対外情報調査部一部より
1963年12月9日、トビリシに生まれる。1980年、第1実験学校を、1985年、トビリシ国立大学生物学部を卒業。1985〜1992年、人体・生物生理学部において、先任研究員及び初級科学職員として働く。
1988〜1993年、彼が創設した「緑」の運動(後に党)の党首。2年間、欧州「緑の党」共同議長だった。
1992年6月から同年11月まで、グルジア黒海生態学委員会委員長のポストを占めた。
1993年、エドゥアルド・シェワルナゼの政策の支持のために創設された連合党、「グルジア市民連合」の総書記のポストを占めた。1992〜1995年、グルジア議会議員、「緑」会派党首、議会国際問題委員会副委員長。
1995〜1999年度のグルジア議会議員、議長となった。1999年の選挙後、議長のポストに再選出されたが、2年後、議長を離れた。2001年、このポストを離れた。
2002年から、「統合民主」党党首。
2003年11がtyから、グルジア首相。
妻帯、3人の息子。
★ミハイル・サーカシビリMikhail Saakashvili
1967年、トビリシに生まれた。学校を優秀で卒業した。1992年、キエフ国際関係大学国際法学部を卒業。2年後、コロンビア大学法学部学士課程を卒業。ジョージ・ワシントン大学で学位審査にパス。また、ストラスブール人権大学の卒業証書も授与。
ノルウェー人権大学、グルジア国家人権擁護委員会、ニューヨーク最大の弁護士事務所の1つで働いた。
グルジア議会代議員(1995〜1999、1999〜2000)。
1995年12月から、議会憲法・法務問題・適法性委員会委員長。
1998年8月、エドゥアルド・シェワルナゼの支持のために創設された連合党「市民連合」党首に選出。
2000年10月、グルジア法務相に任命。
2000年1月、欧州会議議会総会副議長。
2002年、政治組織「国民運動」を創設。同年6月、トビリシ市立法院議長となる。
「国民運動」が現政権の敵対派となった2003年11月1日の議会選挙後、サーカシュヴィリは、シェワルナゼ体制に対する大衆抗議デモの発議者の1人となった。野党は、政府退陣と新選挙の実施を要求した。抗議行動は、いわゆる「バラ革命」(2003年11月20〜23日)で終わった。
シェワルナゼ退陣後、サーカシュヴィリは、期限前の大統領選挙に立候補した。選挙は、2004年1月4日に行われ、サーカシュヴィリの勝利で終わった。
妻帯、妻はサンドラ・ルロフス(1968年生まれ)、息子はエドゥアルド(1995年生まれ)。
★<グルジア>首相府職員が自殺 首相死亡との関連は不明
インタファクス通信によると、グルジアのテレビ放送局は4日、同国首相府職員のゲオルギー・ヘラシビリ氏(35)が自宅で拳銃自殺したと報じた。同国ではジワニヤ首相が3日、首都トビリシの友人宅で死亡しているのが見つかった。ガス中毒死だったとされるが、首相府職員の自殺が関連しているかは不明だ。
(毎日新聞)
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新国旗
死亡した
ズラブ・ジワニア首相
Zurab Zhvaniaジワニア首相の葬儀 大統領Mikhail Saakashviliと
未亡人Nino Zhvania![]()
★警察署前で爆発、5人死亡 グルジア中部、テロか
【モスクワ1日共同】インタファクス通信によると、グルジア中部ゴリの警察署前で1日、止めてあった自動車が爆発、警察官3人と通行人の計5人が死亡した。車に爆弾が仕掛けられていたとみられ、警察当局はテロの可能性があるとみて調べている。事件の背景などは不明。
ゴリは首都トビリシの西約80キロに位置し、グルジアからの分離とロシアへの編入を主張する南オセチア自治州に近い。旧ソ連の独裁者スターリンの生地としても知られる。
★コーカサス安定化作戦 2004年4月29日 田中 宇
昨年11月、コーカサス地方の黒海沿岸の国グルジアで起きた「バラ革命」と呼ばれる無血クーデターは、奇妙な革命だった。グルジアでは、旧ソ連の外相だったシュワルナゼが約10年間にわたって大統領をしていたが、昨年11月2日の議会選挙で不正が行われたとして野党勢力が反政府運動を展開し、デモ隊が国会議事堂を占拠した。シュワルナゼは非常事態を宣言したが、軍や警察などの幹部が反旗を翻したため逆に孤立し、11月23日に辞任に追い込まれた。
シュワルナゼ追放後、グルジアでは今年1月に選挙があり、35歳のサーカシビリが大統領になった。サーカシビリはシュワルナゼを倒す無血クーデターを率いていた人で、彼が大統領になるのは、シュワルナゼ政権が転覆された時点で予測されていたことだった。
奇妙なのは、サーカシビリは2001年までシュワルナゼの下で法務大臣をつとめていた「門下生」だったことだ。サーカシビリ大統領の下で首相となったジワニヤ(Zurab Zhvania)、国会議長となったブルジャナゼ(Nino Burdzhanadze)など、新政権の首脳の多くは、90年代にシュワルナゼが若手の後継者として育てた人々だった。
ソロスの資金で革命を輸入
こうした異様な展開の背後には、アメリカによる画策があった。シュワルナゼは大統領を辞任する前に「ジョージ・ソロスが過激な反政府運動を支援している」と批判し、追放された後は、ソロスに加え、アメリカ政府にも裏切られたと発言している。(
アルメニアやアゼルバイジャンでも、グルジアの政権転覆の成功に自信をつけた市民組織が、反政府運動を強めている。ロシアの新聞プラウダは「ソロスはそろそろ政権転覆の準備のためにアルメニアを訪問するのではないか」という観測記事を出している。
中央アジアでは、ウズベキスタンがソロスのオープンソサエティ財団の事務所を閉鎖する命令を出した。アメリカ政府はこれに抗議し、ウズベキスタンはアメリカからの経済援助を削減されそうになっている。
ソロスの財団は旧ソ連15カ国のうち14カ国に事務所を構えている。西欧的な文明の中にあって民主化が進んでいるバルト三国を除き、旧ソ連のどこの国でグルジア型の政権転覆が起きても不思議はない。ルーマニアなど東欧でも、グルジア型の政変が起きる可能性がある。
★消えた単独覇権主義 2004年1月22日 田中 宇
パウエルの政治野心
ロシアとアメリカの実際の関係は今のところ微妙だ。グルジアのシェワルナゼ前大統領を辞任に追い込んだのはアメリカだったことや、アフガン戦争後、中央アジアに米軍基地がいくつも作られたことから、むしろアメリカはロシアを包囲しようとしているようにも感じられるが、もう一枚下の様相を見ると、その後グルジア大統領になったサーカシビリはシェワルナゼの門下生で、ロシアとグルジアの関係も新政権になって強化される感じがあり、ロシア周辺の国々をめぐるアメリカの戦略は、必ずしも反ロシアではない。
パウエルは「米ロ関係は、エネルギーを中心に拡大している」「ヨーロッパはますます統合し、安定しているが、こうしたヨーロッパ(の統合)には、ロシアや周辺の旧ソ連諸国も含まれることは明らかだ」としている。つまり、いずれEUはロシア圏との統合を進め、ユーラシアの東では中国圏、南ではインド圏が強化され、それらをアメリカが支援監督することで、ユーラシア大陸を安定させていこうとするのが、パウエルが提起する世界戦略であると読める。
★ロシアとアメリカは敵か味方か 2002年10月16日 田中 宇
2002年8月23日、ロシア(チェチェン共和国)から隣国グルジアに30キロほど入ったパンキシ渓谷という地域で、ロシア側から越境していたチェチェン人ゲリラ拠点に対し、戦闘機による空爆が行われた。グルジア政府は、ロシアの戦闘機が領空侵犯して空爆したものだと主張し、アメリカもロシアを非難した。
一見、3年前に自作自演の爆弾事件を起こしてチェチェンへの攻撃を開始したロシアなら、このくらいの領空侵犯はやりかねない、と思われた。ところが、空爆が行われたときの状況を子細に見ていくと、まったく違う可能性が浮かび上がる。
隣国グルジアも、数機のスーホイ25を持っている。グルジアの所有機は昨年、イスラエル企業によって改造が施されており、夜間飛行が可能だ。このことから、ロシアを悪者に仕立てることを目的としたグルジア軍による自作自演の可能性が指摘されている。グルジアのシュワルナゼ大統領は、かつて崩壊前のソ連で、KGB長官を長く務めた諜報作戦のプロである。
アメリカ政府は、空爆を行ったのはロシア軍だとして非難したが、空爆がグルジア側の自作自演だった場合、アメリカはグルジアに騙されたことになるのだろうか。グルジアには今年(2001)5月から、アメリカ軍の特殊部隊が派遣され、グルジア軍に対し、チェチェンゲリラを掃討するための訓練を行っている。空爆が自作自演だったとしたら、アメリカは騙されたのではなく、逆に自作自演の作戦立案に参加していた可能性がある。
グルジア側は、8月23日の空爆を「ロシア軍がやった」と非難した後、8月25日に1000人規模の軍隊(内務省部隊)をパンキシ渓谷に派兵し「ロシアからお節介な空爆を招かぬよう、自国でゲリラを掃討する」という理由をつけて、チェチェンゲリラの掃討作戦を行った。
ところが、この掃討作戦も、見かけ倒しのものだった。グルジア国防省の幹部が「われわれは、パンキシ渓谷のどこにチェチェンゲリラが潜んでいるか知っているが、それを攻撃することはしなかった。チェチェン人ゲリラの存在は、ロシアの問題であって、わが国の問題ではない」と発言したのである。グルジア側は数日間の掃討作戦を実施したが、ゲリラを一人も捕まえなかった。
爆発現場
【私的めもらんだむ】 ジワニア首相のガス中毒死から、その首相府職員の拳銃自殺にと、一連の不可解な死の報道過程で謀殺疑惑が出てくる素地はあったと・・・だからといってプーチンの息のかかったテレビ報道も鵜呑みには出来まい。かつてロシア政府は何度か自作自演という手口を使った形跡があるからだ。その線から憶測すれば、ジワニア首相がガス中毒で死んだ(殺された?)とする死因に関連して、先ごろロシア国営石油会社ロスネフチが買収した会社が、ユガンスクネフテガスというガス会社だったことに思い当たる。ガスの専門家なら、どれほどのガスで人間が中毒から死に至るかにも詳しいはずだ。自作自演の例としては去年9月の「大統領暗殺テロ摘発は当局の創作?容疑者は死亡」があげられる。今のロシアにおいては犯罪でも「何でもあり」なのだから、私の憶測もあながち的を外れたものとは云い切れまい。
【視聴予定】 21時
15-58 プロジェクトX「地下鉄サリン・救急医療チーム・最後の決断」 ---NHK総合テレビ
平成7年3月20日午前8時、都内の地下鉄で出勤途中の人々を人類史上初の毒ガステロが襲った。
「オウム真理教・地下鉄サリン事件」
乗客や地下鉄職員が、車内やホームで次々に倒れた。およそ3千人が救急車で、都内各地の救命救急センターに搬送された。
最大の受け入れ先になったのは東京築地の聖路加国際病院。
「すべての業務を停止して、患者の治療に当たれ」。院長の日野原重明の決断の下、全スタッフが結集した。
待合室、廊下、病院内の教会にまで病人たちが運び込まれ治療が始まった。
先頭に立ったのは、医師・石松伸一(36)。患者は瞳孔収縮、謎のけいれんが起きていた。
一刻も早い処置が必要だった。しかし、石松たちは症状の原因がつかめなかった。
当初、大方の見方は農薬中毒。だが、治療の先頭に立った石松は疑っていた。農薬を飲まないで、瞳孔収縮が起きるなど聞いたことがなかった。薬の種類を間違えれば、患者の症状を悪化させる危険があった。石松は、混乱する現場で処置を早まらないようにスタッフに呼びかけ、必死に原因究明にあたった。
その時、石松の元に一本の電話が入った。長野県松本市の信州大学付属病院・柳沢信夫からだった。半年前に起きた「松本サリン事件」で治療の指揮をとった医師だった。救急車で運ばれる患者をニュースで見て、松本サリン事件と似ていることに気づいた。柳沢は、石松にサリンの可能性を伝えた。
それを受け取った石松。十分な検査をしている余裕などなかった。
一つの解毒薬が思い浮かんだ。「PAM」。間違えば、患者を死に至らせる危険な薬だった。
石松は決断した。
「何もしなければ患者は死ぬ。可能性にかける」。
番組は、地下鉄サリン事件の混乱の中、命と向き合った医師たちの壮絶な闘いを紹介する。
test
スクロールがスムーズにいかない。改良の余地ありだね。
♀ 「新じねん」TOP
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