●イスラエルの高等戦略
2002年9月30日 田中 宇
軍事部品をイスラエルから送り出したイスラエル企業PADの、アビハイ・ウエインスタイン(Avihai Weinstein)という経営者が、以前にも似たような事件で逮捕されながら、イスラエル当局の手によって不起訴処分になっていた。
ウエインスタインは32歳で、1996−97年に装甲車用のエンジンなどをイランに輸出しようとしたとしてイスラエル当局によって2000年に逮捕されている。このときは、ウエインスタインの親戚であるエリ・コーヘン(Eli Cohen)という人物も一緒に逮捕されているが、コーヘンは1992年にも、アメリカ製のホーク型ミサイルをイランに密輸しようとした容疑で、アメリカ当局に逮捕された経験を持つ。
スラエルの核兵器開発などについて1991年に書いた本「サムソン・オプション」(セイモア・ハーシュ著)によると、イスラエル情報機関のアリ・ベンメナシェ(Ari Ben-Menashe)と、ロンドンの新聞デイリー・ミラー紙のニコラス・デービスという人物が、イスラエル政府承認のもとに、イランに武器を偽装輸出する会社「オラ・リミテッド」を設立し、当時のイランのラフサンジャニ国会議長との間で4000基のミサイルを売却する計画などを進めたという。(同書日本語版368ページ、文藝春秋刊)
イスラエルは、イランとかつて友好関係にあった。イスラエルとイランでアラブを挟み撃ちする、という戦略のもと、イスラエルはイランと軍事的な同盟国だった。
ところが1979年にイスラム革命が起こり、イランは反イスラエル・反アメリカのイスラム原理主義国になってしまった。スラエルにとって、イランはアラブ諸国と反目し続けている点で、地政学的に「使える国」であることは変わりなかった。間もなくイラン・イラク戦争が起き、イスラエルはこの戦争を長引かせるために、イランに武器をこっそり供給する、まさに「敵に塩を送る」プロジェクトを開始した。
イランの武器は、大半がイスラム革命前の親米政権時代に、アメリカから輸入したものだった。イスラム革命でイランは反米の国となり、アメリカからの修理部品が輸入できなくなった。イラクとの戦争が長引くと、この点がイランの弱点となったため、イスラエルがアメリカ製の軍事部品をイランに密輸する関係が始まった。イランとイスラエルは、表向きは仇敵どおしで、両国とも政府の公式レベルでは、相手方と武器の売り買いをやっていることなど決して認めない。だが、裏の関係はその反対だった。
この枠組みの中で、1986年に「イラン・コントラ事件」が起きている。この事件は、アメリカのレーガン政権が、武器輸出の禁止対象だったイランに武器を売る一方、その代金をニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」を訓練する秘密資金として使っていたことが暴露されたもので、アメリカからイランに流れた武器の一部はイスラエルを経由していたことが分かっている。
「サムソン・オプション」によると、イスラエル人の武器商人は、アメリカ製の武器だけでなく、冷戦時代のソ連から武器を買ってイランに売るビジネスも展開していた(同書357ページ)。
イスラエルの戦略は、イランとイラクを戦わせ、ペルシャ湾岸を支配できる強い国を作らせないというアメリカの「均衡戦略」とも合致していた。
8月末にイスラエルからイランに軍事部品が密輸されようとしたのは、時期的な理由がありそうだ。アメリカのイラク攻撃との関係である。アメリカ政府のイスラエル系高官(ネオコン)が以前から支援していたイラクの反体制組織「イラク国民会議」は、米軍がイラク攻撃を開始したら、イランを通って北イラクに脇から軍事侵攻し、北イラクに「新政府」の拠点を作り、そこから米空軍の支援を受けつつバクダッドに進撃する計画を立て、すでにイラン側の承認を取り付けたという。
このことから、イラク反体制の兵力がイランを通行させてもらうために、もしくはイランの装甲車を使ってイラク反体制の兵力がイラク北部に入る作戦を実行するために、イランが必要としている軍事部品が密輸されようとしたのではないか、と思える。
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