★イングーシ共和国前大統領・ルスラン・アウシェフへのインタビュー
ノーヴァヤ・ガゼータ(以下NV):
9月3日の、17:00ごろに交渉が行われるはずだったと言うことは本当ですか? テロリストに対して、子どもたちを解放しろと言うマスハードフ(チェチェン共和国大統領、独立派)の伝言を持って行こうとしていたというのは本当ですか?
アウシェフ:
その通りだ。昼までは全て正常だった。死体を回収に行かせた。21名の死体が横たわっていたから。グツェリーエフ(現地本部の要員?)が彼らと(編集者注:テロリストたちと)話しあった。車に医師を乗せて5人で行くことに合意したんだ。その時に、向こうの建物の中で爆発音がした。女性が飛び出してきて、何かに引っかかったと叫んだ。電線だか、そんなものに戦闘員の一人が引っかかって、爆発が起こったんだ。われわれの方も何が起こっているのか、確かめようとした。そしたら、射撃が始まった。次々といろんなことがね。
NV:
射撃というのは校内からですか?
アウシェフ:
いや、校内で起こったのは爆発だ。そして子どもたちが飛びだしてきた。爆発が起こって、人々が出口に殺到して、その後は大混乱だ。
われわれは射撃を止めさせようと思った。彼らはこう言った。「こっちは撃つのをやめた。撃っているのは、そっちだ」と。こちらも「一切撃つな、射撃止めろ」と命令を出した。ところが、馬鹿なことに軍でも犯行グループでもない、「第3勢力」がいたのだ。そんな連中が、一体なぜあそこにいたのか、自動小銃などを手にした「自警団」の様な連中が、自分たちで人質を解放しようとした。そして彼らが学校に向かって撃ったのだ。ということで、公式な部隊は撃たなかったし、占拠者も撃たなかった。われわれは互いに怒鳴りあっていた。「誰が撃っているんだ?」学校の中にいる連中は「もうダメだ、ならば自爆だ」で、自爆した。彼らは突入と解釈したのだ。自爆があって初めて、こちら側でも突入命令が出た。
NV:
あなたの計画では、どういう展開を考えていられたのですか?
アウシェフ:
われわれはアスラハーノフの到着を待っていた。私はアスラハーノフと一緒に校内に入ろうと思っていた。マスハードフの声明を持ってね。
NV:
マスハードフはあなたに自分の声明を託したのですか?
アウシェフ:
とてもよい声明だった。チェチェンの戦士たちは独立のために戦っているのであって、女子どもをそれに巻き込むことはない。アスラハーノフがこっちに飛んで来る間、ロンドンのザカーエフ(文化相、独立派)を掴まえることができた。「アフメード、あんた、できることなら人々の解放を助けてくれないか?」「もちろんだ」「そしたら政治交渉は受けて欲しい」彼らは相談して、マスハードフの声明が出たんだ。その声明を私は、占拠者たちに手渡そうと思った。というのも彼らと話し合ったとき、聞いたんだ。「誰と交渉しろと言うんだ?」彼らは「マスハードフとだ」と。でもアスラハーノフが着いた時には全てが終わっていた。(編集者注:アスラハーノフは、いったんモスクワに寄ってから、現地入りした)そして思惑では、彼らにプーチン大統領宛の手紙を出させようと思っていた。
NV:
彼らは手紙を手渡していたのですか、ルスラン・スルターノビッチ?
アウシェフ:
私個人にはね。
NV:
手紙には、特別な要求でもありましたか?
アウシェフ:
いや、軍隊の撤退。チェチェンの独立国家共同体諸国による管理などなど。それで、こちらも状況の軟化を狙って、「あんたたちの手紙はロシア連邦大統領に必ず届けられるから」と。われわれは子どもたちを救いたいと思っていたんだ。
彼らの方だって、自分たちの電話番号を教えて、ロシア連邦の大臣クラスの高官が誰でも電話をかけて来られるようにしていたんだ。それを誰だか判らん民間人連中の銃撃がふいにしてしまったんだ。とにかく「突入の準備はできていた」などと言うのは嘘っぱちだ。私はその場にいて準備がないのを見ていた。全部が水泡に帰してからだよ、軍人たちが動き出したのは。彼らは私に電話で叫んでいた。「突入してくるじゃないか!」、われわれは答えた「いや、突入はない。アルファ部隊の連中は、まだこっちで待機中だ。」彼らは「われわれに向かって撃ってくる。われわれに向かって突入してくる。もうわれわれは自爆だ!」
NV:
あなたはご自分の発意で現地入りされたのですか?
アウシェフ:
現地本部の要請で私はあそこに飛んだ。
NV:
なぜ、ジャジコフやザソーホフという彼らが望んだ人物たちは行かなかったのですか?
アウシェフ:
それは彼らに聞いてくれよ。ただ一つ言えることは、誰が交渉に行くのかと言うことで、1日半を無駄にしていたということだ。将校の誇りにかけて言っておくが、与えられた期限は3日間だった。3日で解決するか失敗するか。それを誰にするかで、1日半を失っていた。
NV:
何で2日間も、人質は2−300人だと言われていたのですか?
アウシェフ:
数字には絶えず政治状況が絡むんだ。私は体育館に入ったとき何とか人々を安心させようと思って喋ったんだ。「皆さん、私が誰だか判りますか?」って。みんな言っていた「はい判ります」それで私は言ったんだ。「私は何とかしようと思っていますから」って。それでも、彼らは飛びださざるをえなかった。
NV:
ルスラン、何と言っても本当にありがとう。とにかくアウシェフが26人を救い出したと言うことに多大な感謝を!
アウシェフ:
ディーマ、26人ではなく、本当に大切なのはそのことではなく、最も大事なのは乳飲み子たちなんだ。15人の乳飲み子たちだよ! 彼らは大きくなった時、きっと知るだろう。ワイナハのわれわれとオセット人の友好は永遠でなくてはならないのだと。これを絶対に書いて欲しいんだ。
NV:
絶対書きますとも。
追記:この質問を、私は彼には聞けなかった。
なんでこの子どもたちはこんな目にあわねばならなかったのか?
【詳細】チェチェンニュース Vol.04 No.31 2004.09.14
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