04/06/19 (土)
18〜22℃、南よりの微風
ウィンザー公の恋文競売
競売にかけられたエドワード8世とシンプソン夫人の遺品 同左、写真コレクションの一部。
04/06/17-競売にかけられた
エドワード8世とシンプソン夫人のラブレター
 【ローマ17日共同】1936年に英王位を捨て米国人のシンプソン夫人との結婚に走り「世紀の恋」と騒がれたウィンザー公(エドワード8世)の約70年前の恋文14通や2人の写真が17日、ローマのクリスティーズで競売にかけられ、計1万8600ユーロ(約250万円)で競り落とされた。
 ウィンザー公は手紙で「愛は募るばかりだ。別れていることがこんなに地獄だとは」と夫人に熱い恋心を訴えている。
 2人は37年に結婚。ウィンザー公は72年にパリで死去。夫人は86年に死去したが、2人の間に子供はいなかった。(共同通信)

【関連】
世紀の恋、その1(2002年6月30日の日誌)
(以下抜粋)
ロスチャイルド家四代目ナサニエル(Nathaniel Rothschild 1812-1870)はエドワード皇太子の祖父(Edward Z 1841-1910)と親友であり、その後もロスチャイルド家と英王室の密接な関係は継続されていたのだ。二人の死後「世紀の恋」の遺産は「サザビーズ社」によってオークションにかけられたが、その会長はジュリアン・トンプソンだった。またエドワード7世は世界最大のダイヤ「アフリカの星」の持ち主だったが、これを継続するべきエドワード8世は退位し、次いでジョージ6世からエリザベス女王の戴冠式を飾った。【参照】英国「ウィンザー王家」系図 そして、それらのダイヤ市場を一手に操る「デビアス会長の名前をジュリアン・オギルヴィー=トンプソン(Julian Ogilvie-Thompson)と言った。これは偶然だろうか?今のところ、この意味ありげな二人のジュリアン・トンプソンが姻戚関係にあるかどうかは分からない。ただ「デビアス」会長の家系を遡ることで、彼がロスチャイルド家と遠戚になっていることは証明できる。「伝説の金融王」ネイサン(Nathan Rothschild 1777-1836)の娘(Hannah Rothschild 1815-1864)がFitzroy家に嫁いだところから・・・Fitzroy家→Seymour家→Brand家・・・となり、ここでBrand家とThompson家が結ばれると「デビアス」会長Julian Ogilvie-Thompsonが飛び出して来るのだ。

世紀の恋、その2(2002年7月1日の日誌)
(以下抜粋)
エドワード8世ことウィンザー公はシンプソン夫人のために1936年に退位したが、退位後の結婚を予想して嗅ぎまわる新聞記者から身を守るため、英国政府はスイス・チューリッヒのホテルを隠れ家に用意している。しかし二人はそれよりも安全で快適な別の隠れ家を知っていた。彼らはかつて逢瀬を重ねた隠れ家ロスチャイルド家の屋敷を思い出したのである。かくしてロンドンのロスチャイルド家からオーストラリアのロスチャイルド家へとウィンザー公の意向が伝達されると、オイゲン・フォン・ロスチャイルド(Eugene Daniel Rothschild 1884-1946)所有の、オーストリアのウィーンに近いエンツェスフェルト城が用意された。1936年12月11日、国王の座を捨てたウィンザー公は、その48時間後にはロスチャイルド家所有のエンツェスフェルト城の門をくぐっていた。

「世紀の恋」めぐる駆け引きの舞台裏明らかに(2003/02/06の日誌)
(以下抜粋)
当初、エドワード8世ことウィンザー公には大財閥モルガン家の令嬢セルマという愛人がいた。彼女は既婚の身だった。セルマは双子姉妹の一人で、もう一方はグロリアといい、やはり大財閥ヴァンダービルト家の御曹子レジナルドと結婚していた。そして、セルマの親友がシンプソン夫人だったのである。世紀の恋にはそれに相応しい恋の争奪戦が繰り広げられていたというわけだ。

シンプソン夫人とエドワード8世の関連年表
エドワード8世 - 統合戦争辞典
”世紀の恋”の舞台裏発覚! 公安がつかんでいた「不倫」の現場 - サンデー毎日
(以下抜粋)
 公開文書では、国王は、真意を国民に直接訴えようと、ラジオ演説を準備した事実も明らかになった。
「私は愛する女性と結婚する固い決意でいる」
 同演説の草稿内容は、ボールドウィン首相を激怒させた。首相は、「政府の助言なしにこのような演説をすれば、立憲君主制への重大違反となる」と国王に伝えたという。
 実は、この演説草稿の執筆を手伝ったのは、後に首相となった、かのウィンストン・チャーチル議員。チャーチル氏は首相が進めたナチス・ドイツとの融和政策に反対しており、2人は保守党内の「政敵」同士だった。首相は、国王のラジオ演説が実現すれば、チャーチル氏らが「王党派」を結成し、首相の地位を脅かす行動に出る、と恐れたのだ。
国王は極度の緊張下にあり、ノイローゼに近い状態」などと、チャーチル氏が首相にアドバイスした書簡も今回初めて公開された。しかし、首相はそれを無視し、国王の退位準備を進めた。国王の恋愛問題が政治抗争の渦に巻き込まれた様子が、公開文書で裏付けられた格好だ。

ヴィクトリア女王の子孫と婚姻関係 - 婚姻の相手のきまりなど。想い出のページ
ウィンザー家 - 旅研

【私的めもらんだむ】
8時
 「世紀の恋」今回の注目点はチャーチル、彼は「ナチス・ドイツとの融和政策に反対した」とされるが、これはおかしい。何がおかしいのか?は、これから資料を元にして説明していきたい。また資料を探さなくてはならない、ふぅ。

 それにしても、こうも仕事が暇なのはどうしたわけか?普段はのんびりを装っている私も、さすがに焦ってくる。来週あたり元請け会社を偵察する予定だ。そんなことはしたくないが、監督の「忙しくなった」という言葉が引っかかるのだ。私の聞き違いだったのだろうか?月2万未満の売掛収入では生活していけない。もはや我慢の限界はとうに過ぎている。奥山くんの「悲惨な状況でも冗談が云える」男になりたいと思いながら、そうは成れない生身としての人間が邪魔をする。泣きたいのに笑う辛さ・・・土壇場を越えたところで笑ってみるか? ハハハハ・・・オレ、貧乏神に好かれたみたい。数年前から自宅に居座って出て行ってくれないんだ。彼はオレが窮地に陥るのがとても嬉しいみたいだ。さっきもオレを見て嬉しそうに笑っていたよ。愉快で失敬な仲間だぜ。退屈しないよ、こんちくしょうめ!ハハハハ・・・ふぅ。

12時
 ふっ・・・まだ資料が見つからない。時間の無駄だ。今日は溜息ばかり出る。大筋でいえば、チャーチルは「ナチス・ヒトラーが打診してきた融和政策に非公式に応じる約束をしていた」ということである。約束していながらチャーチルは黙殺し、業を煮やしたヒトラーがポーランドに侵攻してしまった。イギリス伝統の二枚舌は、ひょっとするとチャーチルあたりがその起源かも知れない。

 天気予報では曇空のはずが、今日は今朝から何度も雲間から陽射しが射し込んでいる。ここでの冒頭にある温度も予報の範疇であり、実際の温度とは隔たりがある。後の参考にするには値しない。さてと、昼の食事は・・・面倒だから飯に水ぶっかけて済まそうと思っている。おっと、いま援助物資が届いた。小分けキャットフード10袋、それと人間用(オレ用)の餌確認、ありがたい。昨日は妹がアンパン持って来てくれた。みんなに生かされている間は何としてでも生き延びて、そして恩返しをしたい。監督、そういうわけだから仕事頼む。(コレ、読んでないか?)
【視聴予定】
21時
15 NHKスペシャル21世紀の潮流アメリカとイスラム(02)シーア派の選択”革命25年目のイラン”=NHK総合テレビ
 反米姿勢を崩さない革命二十五年目のイランの素顔に迫り、中東・中央アジアで対立するアメリカとイスラムの関係を描くシリーズ二回目。イラン・イラクのシーア派のつながり、国境地帯の人や物の流れを取材し、反米を貫くイランからアメリカを見る。 イスラム・シーア派はイランを中心にパキスタンからアフガニスタン、イラク、レバノンへと続く一大”シーア派ベルト”を形づくる。このルートを各国シーア派巡礼団が行き来し、同じ道を難民が移動し、時に麻薬や武器が密輸されるという。
22時
00 ETV特集 消えぬ戦世(いくさゆ)よ・随筆家岡部伊都子の語りつづける沖縄▽59年前の沖縄戦を胸に秘めて非戦と平和を訴える81歳の人生▽心のふるさと竹富島=NHK教育テレビ
 戦争の悲劇を訴え続ける随筆家・岡部伊都子の言葉と活動を追う。一九四五年六月、沖縄が連合軍に敗れて今年でほぼ六十年がたつ。この間一貫して沖縄を見続け、語り続けた岡部。沖縄は岡部の婚約者・木村邦夫さんが戦死した場所だ。当時十九歳だった岡部は、彼が戦地に出征する前に岡部にだけ告白した重要な言葉の意味を全く理解できずに、木村さんを喜んで戦地に送り出した。そして敗戦。岡部は戦後、木村さんにとった自分の行為にさいなまれることになる。


新じねん」TOP