04/05/29 (土)
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15〜20℃、南よりの微風
伊フィアット会長が死去 昨年2月から会長職
ウンベルト・アニエリさん(イタリア最大の企業グループ、フィアット会長)は27日、がんのため、北イタリアのトリノ郊外の自宅で死去、69歳。ロイター通信などが伝えた。創業者一族で兄のジョバンニ・アニエリ名誉会長の死去で昨年2月に会長に就いていた。同社は経営再建中だが、不透明感が増すことになる。日本との交流に尽力し、勲一等瑞宝章を受章。イタリア・日本協会の会長を務めた。
Umberto Agnelli
【関連】
★フィアット会長ジョバンニ・アニエリ死去、03/01/25の日誌
★フィアットとバチカン銀行、03/01/27の日誌
★イタリア国立労働銀行とフィアット帝国、03/01/29の日誌
【私的めもらんだむ】
0時
新サーバが不安定どころじゃなく、ここのサーバがかなり不安定になってきている。「れいんぼう」を移した新サーバは、日中に一時不安定になるだけで、あとは支障なく動いている。おそらく日中はメンテナンスをしているのだろう。このサーバも何とか修復してもらいたいが、どうしても支障がつづくようであれば、新たなサーバを探すことになるやも知れない。ここはしばらく様子をみるしかない。
不安定なのはサーバばかりじゃなく、私の生活状況もかなり不安定になってきている。飲酒もストレス解消とはならず、かえって体調を崩すはめとなる。自律神経とかが正常に働かない感じ、何より血圧が上がるのが自分でも分かるぐらい・・・やべえなぁ・・・今も首筋あたりに違和感あり、早めに眠ることにする。早いたって、もう遅いか・・・
10時
このサーバもいつの間にか安定している。知らぬ間にスタッフによる原因追求が成された結果だろう。トラブルの経過など報告してくれるページがあってもいいと思う。これで新旧サーバ共に安定したことになる。あとは内容の充実を図ること、これからも様々な試みを通じて読者に喜んでもらえれば本望だ。
フィアット会長ウンベルト・アニエリの死去が伝えられている。一年半前には兄ジョバンニが他界している。フィアット王国総帥の相次ぐ死は、今後の自動車業界勢力図にどのような変化展開をもたらすのか?以前に調べたものを参考にしながら探っていきたい。
19時
数ヶ月前だったか、ここで紹介した音楽「SPECTRA vol.2 the red FIREBRAND」(クリック注意、音楽が出る)の作者・小倉君が第16回力作コンテストの総合グランプリ部門に入賞した。まだ17歳、これからが楽しみだ。私は、彼の音楽の使用許可を得ているので、いずれ使ってみたい。彼の作品には群を抜いた「華」みたいな輝きがある。最初、彼の音楽を聴いたときの感動を思い出す。とにかくオメデタイ、そしてちょっぴり羨ましい。
チェチェンイベント情報、04/05/29 今日、『コーカサスの金色の雲』ラジオドラマが放送されます。
日時:5月29日(土)22:00-22:50
周波数:NHK-FM(82.5MHz)
ラジオドラマ、『コーカサスの金色の雲』(シリーズ ロシア・ユーラシア
の現代文学)が、今日5月29日(土)22:00-22:50に再放送されます。中篇小説
を1時間に短縮していますが、うまく原作の持ち味を生かしていると思います。
『コーカサスの金色の雲』は、ロシアの作家A・プリスタフキンが、現代の
チェチェン戦争の前史を描いた作品です。私はこの本を読むまで知らなかった
のですが、ドイツとの戦いで三千万人近い犠牲を出したロシアでは、星の数ほ
どの孤児が路上に放り出されていました。保護されるべき子どもたちは、生き
るためにスリやかっぱらいを繰り返し、社会の最底辺を生きていたようです。
この子たちが、さらに大掛かりな差別(=強制移住)の後のチェチェンに送り
込まれたとき、何が起こったのか―――。
偶然ですが、昨年この番組が放送されたとき、日本のチェチェン支援関係者
は市民平和基金に集まり、討論会を開いていました。放送が、懇親会の時間に
あたってしまったので、チェチェン関係者に限って聞いていないみたいです。
現代のチェチェン戦争という状況の中で絶えず新しい意味が見出され、今も成
長を続ける文学作品『コーカサスの金色の雲』。この機会に味わっていただ
きたいと思います。以下の評論はぜひ、ドラマを聞いた後に読んでください。
(大富亮)
●評論:われらの心に宿る「無関心の闇」をめぐって/姜信子
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kafkas/alfzule/write/20021101kyounobuko.htm
●評論:子どもの瞳に映るもの―――「金色の雲は宿った」を巡って/大富亮
http://chechennews.org/chn/0337.htm
●群像社のサイトなどから、『コーカサスの金色の雲』が購入できます:
http://www.gunzosha.com/books/ISBN4-905821-90-8.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905821908/qid%3D1085759318/249-3371268-9874718
ナブルス通信、04/05/29(抜粋) 「ラファが喪に服しているときに殺された子ども」
──レインボー作戦の最後に殺された3歳のラワン
サンドラ・ジョーダン
2004年5月23日
(オブザーバー)
Another child dies as Rafah mourns
Sandra Jordan in Rafah
Sunday May 23, 2004
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,2763,1222713,00.html
3歳半のラワン・アブ・ゼイドはわずかな小銭をもって姉たちと一緒
にお菓子を買いに店に出かけた。
イスラエル軍の攻撃がはじまって一週間、家に閉じ込められてうんざ
りしていた女の子たちは、激しい攻撃の束の間の小康を利用して外に
出たのだった。しかし、その数分後、ラワンはイスラエル軍の戦車に
よって顔と首を撃たれた。
死を前にしてラワンが残した最後の言葉は「マミー、マミー」だっ
た。
娘の死から3時間後、父親のムハンマドは小さなラワンの遺体を埋葬
した。彼が彼女のために残せたものは、小さなかわいいラワンの写真
一枚だけだった。
12人の子供の親である45歳のムハンマドはラワンがどんなふうに彼
のもとに駆け寄ってきたのか、そして彼女が彼の腕に抱かれて眠るの
がどんなに好きだったのかを話しながら泣いた。「母親は彼女を生む
なり死にました。だから、私はいつもその埋め合わせをしようと頑
張ってきたんです。そういうわけで、私とラワンの間の愛情は特別
だったのです。私は父親であると同時に母親でもありました。彼女は
本当に頭のいい子だったんですよ。3歳の子どもというよりは10歳の
子どものようでした」
パレスチナ側によると、先週から始まったイスラエル軍のレインボー
作戦によって殺された子どもはラワンで11人目だという。葬儀の
間、イスラエル軍の戦闘機は空を巡回し、少なくとも60人以上を殺
したイスラエル軍の攻撃が弱まるのではないかというラファに暮らす
人々の希望を挫いた。
イスラエルはラファで殺された7人の兵士の報復として攻撃を開始し
た。イスラエル軍は攻撃の標的は武装勢力のみであり、エジプトから
武器を密輸するのに使われるトンネルを隠す家屋のみを破壊している
のだと主張している。「ラワンが戦車を運転するのでしょうか」父の
ムハンマドは尋ねる。「彼女がロケット砲を撃つとでも?」
イスラエル軍によって殺されたパレスチナ人の葬儀には、ありふれた
誇張表現など一つもない。イスラエルで働いてきて、今は失業中のム
ハンマドは「シャロンは最初で最後の非難されるべき人間だ」と静か
に語った。
ラワンの叔父であるアーベドは彼女が殺されたことを聞かされて身を
震わせた。「ラワンは純粋な子だったよ。彼女は母親を失い、愛の手
が差し伸べられて当然だったのに……。ラワンの元には愛ではなく
て、アメリカ製の武器を握ったイスラエル人の手からは死がもたらさ
れたんだ……」
肉の腐った悪臭が共同墓地には広がっていた──半分が埋まった群集
墓はシャヒード *1のためにぽっかりとその口を開けていた。ラワン
の墓で空砲をならす闘士たちはいなかった。そして死んだ幼児を讃え
るために集まった参列者は、普段なら集まる何千よりも少なかった。
そのかわりに、彼女の家の隣人達のほとんどは運搬用のロバに所持品
を積み、次のイスラエル軍の包囲によって破壊されるのではないかと
恐れて、おのおのの家を後にしていた。
地域のほとんどでは電気や水の供給がストップしている。まるで地震
に見舞われたかのようだ。道路は戦車によって掘り返され、道路に面
した家々はすべてがれきと化した。
少なくとも先週から3000人 *2 が家を失った。そしてさらに数千人
が(ムハンマドもそこに含まれる)週末を経て同じ状態になると予想
されている。
「私はもう二度と自分の子どもがシャヒードになることを望みませ
ん。生き残った子どもたちのために家を監獄のようにします。子ども
たちを家から決して出さないように──」
【視聴予定】
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