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ダイアナ元妃(Princess Diana)と婚約者ドディ(Dodi
Fayed) がパリで事故死(?)した現場。
(AFP/File/Pierre Boussel) |
ありし日のダイアナ元妃
.(AFP/File/Gerry Penny) |
以下、阿修羅「戦争」掲示板より
やっぱりダイアナは妊娠していた。(インデペンデント紙)
投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年
12 月
22 日
同紙はフランス警察の高官がこの衝撃的なニュースの情報源だとしている。この高官はダイアナの死亡が謀殺であったことこそ否定しているものの、妊娠の事実を隠蔽する工作があったと断言している。時期から見てドディの子どもであった可能性は限りなく高く、Princess
of Walesの肩書きを持つダイアナがイスラム教徒の子どもを生むこと、そしてドディとの結婚によって彼女自身もイスラム教徒にならざるをえない、という現実の可能性を突きつけられて、王室関係者が震え上がったことは想像に難くない。何しろ未来の国王(英国国教会のトップ)の母親がイスラム教徒ということになるわけである!このフランス警察高官の「謀殺ではなかった」は自己撞着にしか聞こえない。現時点ですでに9割近い英国民が「ダイアナは暗殺された」と信じているわけだが、この情報で95%くらいに跳ね上がるかもしれない。
ダイアナ暗殺の再考。テレビ朝日で年末に特番を組むようなので。
投稿者 スーパー珍米小泉純一郎 日時
2003 年
12 月 18 日
【フランス政府の公式発表(簡単に辿る)】
事の始まりは、1997年8月31日午前12時20分頃にダイアナ元皇太子妃を載せた自動車は、パリ中心部のリッツ・ホテルから移動した。ダイアナを乗せた自動車は、ダイアナのほかに恋人のドディー・アルファイド、運転手のアンリーポール、ボディー・ガードのトレーバー・リース・ジョーンズを乗せてパリ市内のアルマ広場下のトンネルを高速で走行中に、運転を誤り中央分離帯の柱にぶつかった後に側壁に激突した。車体は大破し、恋人のドディー・アルファイドと運転手のアンリー・ポールが即死した。ダイアナ元皇太子妃は頭部と全身を強打し、約一時間後に救出され、病院に運ばれたが肺からの出血多量で死亡した。助手席にいたボディー・ガードのトレバー・リース・ジョーンズだけがシートベルトを締めていたおかげで助かった。事故から二時間後にパリ警察は、7人のパパラッチを重要参考人として拘束した。事故の原因は「パパラッチの執拗な追跡にため」との最初の事故原因発表をフランス政府は、発表した。しかし、30時間後にフランス政府は劇的に訂正する発表し「事故原因は運転手のアンリ・ポールの薬の服用と多量のアルコールの飲酒による」のが事故原因だと訂正発表をした。この事故原因は1999年の再調査でも同じ結論である。
以下、解説&検証
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/466.html
【本誌の関連ファイル】
1997/9/1-翌日には私も事件の背景などを書いていた。当時の興奮の度合いが伝わってくる。リンク切れ多々有り。
1998/3/30-ダイアナ妃衝突死の謎
2003/10/21-自動車事故の計画ある、ダイアナ妃の手紙
2003/10/23-ダイアナ妃と英王室の系図
クリスマス・カード用に猫族の動画を予定、写真を集めたが間に合いそうもない。これらの写真は年賀用に活用することにした。これでもほんの一部、猫族栄えて飼い主没落の予感・・・
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