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ユーゴ関連=バルカンの戦争、第3次世界大戦に続くシナリオ&ユーゴの独立ラジオ局B92を支援(日本語版)&NEWユーゴ便り&NEW 難民を助ける会リポート&NEWユーゴ空爆について考える掲示板&ユーゴ空爆略図&NATO加盟国& コソボ状況地図(英文UNHCR) |
晴
小市民的憂鬱の日々
1999/05/30、日曜
晴時々曇(最低気温13.7平年13.0、最高気温22.7平年20.0)
曇(最低気温15.0平年12.9、最高気温10.6平年20.0)
盗聴法案が強行裁決された。その危険性は言うまでもない。そして、それを通過させた代議士たちの人格もまた問われねばならないだろう。この暗黒社会を招いた彼らを決して忘れてはならないのだとも思う。このことで絶望感を味わった人も多いだろう。権力の魔性が圧制となって大衆を操作しようとする時ほど、民主主義の真価が問われていることにもなる。闇が深くなればなるほど求められなければならない光のことを考えよう。絶望が闇なら、光は希望であり、その光を灯すのは権力側ではなく大衆の総意にある。戦争法案の可決から盗聴法案裁決の一連の流れは、紛れもなく人々を闇に葬る悪しき胎動の始まりである。指導者たちがどんな美句麗句を並べようとも、彼らが権力の魔性に憑依されている限りにおいては偽善の何ものでもない。そのことを見極めるべき知恵こそ希望となる、光り輝く未来を信じていくしかない。まずは平和への祈りが希望へとつながる光のことを、心の砦だけは決して崩せないことを、全ての為政者に知らしめるための意志表示をしていきたい。内なる問いかけの継続と自戒をこめて。
1999/05/28、金曜
曇
昨日は片っ端から同業者に電話をかけまくり、業界の動向を再確認してみた。予想していたことだが、結果は惨憺たるものだった。みんな不景気に悲鳴をあげている。政府が時々発表する「経済は僅かながら回復傾向にある」などとは全くの戯言でしかない。政府はもっと国民の生活に密着した調査を行うべきであり、親会社がコケれば元請け、下請け、孫請けと連鎖してコケてしまう構造不況の実態も把握してほしいものだ。中には仏壇に供える僅かなご飯でさえ勿体ないと、供養した後で食べているという人までいた。私もこまめに電気を切り、ガスを使用する時には沸騰した時点でガスを止める保温調理法を実践している。10〜20分後には素材に熱が浸透して料理が完成する。これは是非すすめたい。また炊飯器には事前に米を水に浸しておき、食事の20分ぐらい前にスイッチを入れるようにする。そうすれば炊きあがる時間が少なくてすむ。洗濯も事前に水と洗剤を入れておけば短時間で汚れが落ちる。これから梅雨時に入るので、洗濯機を使わない時には蓋を開けて乾燥させておくべきだろう。浴槽も水を抜いて乾燥させておこう。生卵は食べない方がいい。去年、自家製のマヨネーズを食して死んだ人がいた。テレビでもまだ生卵を食する番組を放映しているのが気になっている。サルモネラ菌の恐ろしさがまだ浸透していないようだ。料理は必ず熱を通して殺菌する癖をつけるべきだろう。参考、節約の達人・家計費節約の裏技
グウタラ自然流のススメ
心の健康のことで言えば、疲れたら休む、こまめに仮眠するよう習慣づけたい。知人に不眠症に悩んでノイローゼになり入院した例があった。不眠症という病気はあり得ない。夜眠れないだけであって、必ず眠っている時間帯があるはずだ。私の場合、眠れない夜はそのまま起きて読書したり、会社の帳簿に目を通している。こんな不景気に熟睡できる方が不思議だ。夜眠れない分は、昼食時に仮眠で補っている。ある長寿者は「眠りたい時に眠り、食べたい時に食べる」のが長生きの秘訣だと語っていた。スケジュールに縛られる現代人にとっては一見グウタラに思えるような生活だろう。しかしそのグウタラな生活もよくよく考えてみれば、生体の自然な欲求に忠実なだけであることに気付く。むしろ眠りたいときに眠れない、食べたいときに食べれないことの方が不自然なのではないか。そこに無理が生じ、不健康にもなるのではないだろうか。つい最近も息子が親を刺し殺すといった事件があった。周囲の誰もが「明るい性格だった」と証言し、親を殺すような素振りはまったくなかったと言う。そのフツーな家庭の何処にも殺人を犯すような原因を見出すことはできないように思える。しかし・・・私たちがいったんその家庭の一員と化して心を共有する時、見えてくるものこそ最も重要な問題ではなかったかと。そこでは親の教育熱心に従順たろうとする子供心の痛ましさ、無理、焦りが浮き彫りになってくる。その精一杯の反抗が塾通いをやめたことだったのだが、親はそんな我が子の心の悲鳴には気付こうともせずに、追い打ちをかけるように立身出世のための勉強を責め立てている。これは他人事ではない。ごく一般家庭にも潜むブラックホールでもある。向学心ゆえの勉強であるならば、親に強いられなくとも子供は自ずと勉強するだろう。あるテレビの街頭インタビューで子供に「いつか死んでしまう人間なのに、なぜ生きているんですか?」と逆に問いかけられて、大人が口ごもるという場面があった。「何のために生きるのか」この素朴な疑問こそが、今、大人たちが我が身に問いかけねばならないことであろう。
ジョージ・ソロスが仕掛ける7月大暴落
またもや新たな7月暴落説の噂が飛び交っている。今度はロシア危機の再燃からドイツのマルク安、そして円安へと波及、その結果日本の株価が1万3000円台まで大暴落するというものである。これらはソロスが画策しているものとして「ロシアの政情不安を喧伝して一気に危機を煽り、日本株が暴落した時に逆に底値で買い漁る」といったシナリオなのだそうである。この情報は東邦生命の太田清蔵元社長がソロス・グループのユダヤ系投資家からもので「ソロスは日本株の暴落後、数千億単位の投資シンジケートを組むから、一枚加わらないか」と誘われたらしい。この件に関して当の太田元社長は笑い飛ばしているという。【参考『週間新潮』21号53〜54頁「変な噂、黒い噂」より要約】
NEWS MEMO=NY株価大幅下落−235.23ドル
1999/05/27、木曜
雨のち曇(最低気温16.7平年12.7、最高気温23.7平年19.8)
24日にはついに戦争法案が成立してしまったが、一方では幹部自衛官たちが「実戦には向かない」という甚だマンガチックな内部告白をしている。題して・・・
危なすぎる防衛庁機密情報
「機関銃なんか、弾が出ないんです。弾が出ない武器ほど悲しいものはないですよ(笑い)。殴るしかないんです。いまは5.56ミリの『ミニミ』という新しい機関銃(FNミニ機関銃、ベルギー製)が入っていますけどね。62式機関銃(62年に採用された国産機関銃)の場合、中に入っていたバネがすぐ縮んじゃうんで、撃ったらすぐバネを出して、延ばしてまた入れて撃つという、とんでもない機関銃なんです。それを今でも使っている。戦闘機は実戦を想定しないから丁寧に扱いピカピカにして飾ってあるだけで、結局は自衛隊がやっていることはメンテナンスだけなんです。 戦争を想定すれば緊急発進、緊急着陸で傷つくのが当たり前になる。だから自衛隊員にとっていちばん志気が上がるのは災害派遣なんです。自由時間で外に出るときはいちい背広に着替える。食事にしても、酒を飲みに行く時も、制服は何となく一般の日本人には受け入れてもらえないのではないか?という不安がはたらく。仮に北朝鮮あたりが隠密に日本に侵入しても自衛隊は何もできない。つまり彼らが制服を着ていない限り、拳銃を所持していようと、戦闘機や戦車を持ってこようと何もできない。国際法で軍事戦闘員についての規定があり、それ以上のことはできないことになっているんです。我々の自衛隊というのはアメリカ軍の存在があっての軍隊であって、彼らが日本を去るようなことになれば『待ってくれ!』という話ですよ(笑い)。そういう意味で米軍から離れた日本の自衛隊の実力はゼロということになります」【参考『宝石』1月号123〜133頁「仰天スクープ・危なすぎる防衛庁機密情報」より要約】
取引先の営業マンが支店長を引き連れてやってきた。以前私が設備投資に見積もってもらった件の進行状況を探りに来たのだ。それにしても支店長直々に訪れるとはよほど切迫したものがあるのだろう。従業員も驚いていた。今年の6〜8月にかけての経済動向、それに年末から正月にかけての2000年問題をキーポイントとして足踏みしていることを伝えた。つまりその二点が最大の危機ではないかと、設備投資への借り入れを渋っているのだ。例をあげながら説明するも、支店長はポカンとしている。営業マンは盛んに相づちを打つが、用は設備投資の有無だけが彼らの関心事であることが見え見えだ。とにかく国際情勢にはまるで関心がない、関心を示さない、目の前の餌にだけ食いつこうと必死になっている。サクラダファミリアではないが、大きな展望をもとに事業を推し進めるという大局的な余裕が感じられない。この不景気で幹部の椅子すら失いかねない保身のみの不安で動いている、いや動かされている。気の遠くなるような夢であってもいい、着実に理想に向かって永遠の歩みを持続する・・・そんなことを考えていた。
1999/05/26、水曜
晴のち曇(最低気温15.7平年12.5、最高気温21.0平年19.8)
1999/05/25、火曜
晴時々曇・強風(最低気温17.0平年12.3、最高気温27.5平年19.5)
サラ金『レイク』を身売りして所得日本一になった浜田武雄
先頃公表された1998年度の高額納税者番付で一位を記録したノンバンク『レイク』の元オーナー会長、浜田武雄氏(60)の納税額は69億7000万円、その奥方の恵美子夫人も4億9000万で24位にランクされている。浜田氏は『レイク』をGEキャピタルに一株1400円という安値で売り飛ばし、個人的には180億円のカネを手にしている。本業のサラ金では320億円の経常利益を上げており、浜田氏はなぜか急ぐように安値でレイクを身売りしたことから株主から不満も出ている。その背景には旧誠備グループの加藤氏らとの株での仕手戦の失敗があると言われている。その時に買い漁っていた絵画も暴落して、今年から2003年にかけて300億円相当の美術品がニューヨークなどで売却されることになっている。サラ金に見切りをつけたと言いながらも、昨年11月には『サミット』なる会社を設立、中小のサラ金に資金を融通する事業を展開するつもりらしいのだ。【参考『週間新潮』20号28頁「サラ金レイクを売って所得日本一、浜田武雄の転身」より要約】
国連査察の中の特殊工作部隊
今年1月初め、米国のボストン・グローブ紙とワシントン・ポスト紙は、CIAがUNSCOM(国連大量破壊兵器査察委員会)を隠れ蓑にしてイラクでスパイ活動をしていたと報道した。これについて元UNSCOMチーフ・インスペクターのスコット・リッター氏は「その中にはスペシャル・アクティビティーズ・スタッフ(敵国政府を転覆させるための特殊工作員)9名が参加、同時進行していたCIAが立案したとされるイラク将校たちによるクーデター計画を補佐するための任務を担っていた」と証言している。96年6月、このクーデター計画はイラク政府が事前に知ることとなり失敗したが、この計画自体CIAが立案したものではなく、実際にはスペシャル・アクティビティーズ・スタッフが立案実行したものだった。そのリーダー格は各国紛争地帯で暗躍した元クリーンベレーのベテランだと言われ、彼らはUNSCOMに紛れ込んでWMD(大量破壊兵器)が隠匿されているスペシャル・リパブリカン・ガード第3大隊の建物をターゲットとしていた。ここで彼らは危機的状況を作り上げ、それを契機に米国が空爆を開始、そのタイミングに合わせてイラク将校たちが決起することになっていた。しかし査察以前にクーデター計画は発覚、空爆も当時のUNSCOM委員長ロルフ・イケウスとイラク副首相タリク・アジィズの会談で回避された。こうしたWMDに関する情報はイスラエルの空軍情報部アマンによってもたらされたと言われる。【参考『週刊プレイボーイ』22号185〜189頁、河合洋一郎「中東ハルマゲドン8・アメリカの犬に成り下がった国連」より要約】
1999/05/24、月曜
薄曇のち夜雨(最低気温14.2平年12.1、最高気温21.3平年19.6)
『日本の動揺』
内から揺さぶる歌もあり、外から揺さぶる歌もある。
夕焼け小焼けのテポドンドン、海に落ちたは、いつの頃
秋の夕日に横切るテポドン、故意も脅しも空しいあがき・・・
ほか、北の国から、津軽海峡頭越え、キムたちがいて僕がいた
【『FOCUS』1998年37号より転用】
溜まっていた4月分ビデオテープのタイトルをまとめた。標準で録画しているので、すぐ溜まってしまい部屋が占領されてしまう。新たに本棚を買うか作らねばならない。一ヶ月約20本は使う。それを5本ぐらいずつ束にして輪ゴムでくくっている。山積みに重ねているだけなので地震が起これば崩れることもあるだろう。とりあえずタイトルだけでも書いておけば活用できるのではないかと思っている。効果的な整理法はないものか。
NEWS MEMO=ガイドライン関連法成立で運輸省マニュアル作製急ぐ
1999/05/23、日曜
晴(最低気温13.2平年12.0、最高気温23.6平年19.4)
雨は下から降る
毎年、毎度のことだが、ささやかな我が庭にも雑草が蔓延っている。キンモクセイの脇には野菊が申し訳なさそうに白い可憐な花を咲かせている。これらを妹は雑草と見なして全て抜き取ってしまう。去年は親戚までやってきて一斉に雑草狩りをしていたものだ。その排除されてしかるべき雑草に、私は言え知れぬ愛着がある。「雑草だって生きているんだ。やめてくれないかなぁ」と言ったとたん、親戚は「せっかく雑草をとってやっているのに」と怒りだして、それ以来我が家には寄りつかなくなった。私も雑草のようなものだから嫌われても仕方あるまい、と自分で自分を納得させている。私だって少しは庭の手入れをしているのだ。日射しを好むものと日陰を好む植物の分類程度にはハサミを入れている。あとは植物たちの育つがままに、それを眺めて楽しんでいる。今年もそんな雑多な庭に黒アゲハが飛来している。そのたびに妹は「あっ、母ちゃんが来たよ」と言う。そうなのだ、母が死んだ翌年の夏こと、黒アゲハが毎日のように飛来するようになり、夏の終わりに母の位牌の前で息絶えていたことがあったのだ。それから私は黒アゲハが飛来するたびに母を思い出すようになった。いつしか母が黒アゲハに変身してもおかしくはないと思うようになっていた。時として黒アゲハは家の中まで入ってきて乱舞することがある。まるで我が家を懐かしむように・・・
こんな私に影響を受けたのか、植木をこよなく愛する友人から「オマエのおかげで植木にハサミを入れられなくなった。最近は雑草ばかり眺めている」との電話があった。その友人が老後のための準備をしているという。「貯金があればこその老後対策だな」とビンボーな私が精一杯の皮肉を言う。失うものが何もない私としては、死期が迫ったら黙って山の中に消えていくだけさ・・・そんな私に「おいおい、捜索するの大変だからやめてくれよなぁ」と笑う友人。人は死して土に帰るのは自然のあり方としてはごく当然なことだ。何も死んでから人間の手を借りて焼却することもあるまい。ウジ虫たちが綺麗にしてくれるし、森は私の全てを栄養に変えて処理してくれる。そういう意味では私はやっと自然に溶け込めるわけだし、役に立つことになる。死出の旅路には「五木の子守唄」でも歌ってほしい。なぜかこの歌には私の心が同調する。
おどま盆ぎり盆ぎり、盆からさきゃ居らんど、盆がはよ来りゃ、はよ戻る
おどま勧進勧進、あんひと達ゃよか衆、よかしゅよか帯、よか着物
おどんが打死(うっちん)だちゅうて誰が泣いてくりょか
裏の松山、蝉が鳴く
蝉じゃござんせぬ、妹でござる、妹泣くなよ、気にかかる
おどんが打死ちゅうだば道端いけろ、通る人ごち花いけろ
花は何の花つんつん椿、水は天から貰い水
自然農法を実践する四国の福岡正信氏はその著書『自然農法、わら一本の革命』において「雨は下から降る」という謎の言葉を投げかけている。野菜は雑草の中につくるべきであり、野菜を野草にすべきだと言うのである。そうすれば雑草の根によって水が蓄えられ、それこそ「雨は下から降る」ように野菜は強く育っていく。さらに雑草が枯れれば野菜の肥料ともなり、ここに生命共生が完結する。砂漠に雨が降らないのも土中深く根ざす雑草の根がないせいだと言うのだ。雑草恐るべし、決してバカにしてはならない。かくして我が庭からも雑草が消えることはなさそうである。
水は昼も夜もとどまることがない
高きを流れて雨露となり、低きを流れて河川となる
水は志高の善となす
【老子】
1999/05/22、土曜
晴(最低気温11.7平年11.9、最高気温22.1平年19.4)
赤い薔薇はあつい情熱をささやき
白い薔薇はそっと愛をささやく
おお、赤い薔薇は鷹
白い薔薇は鳩
ジョン・ボイル・オライリー『白薔薇』
1999/05/21、金曜
晴(最低気温12.6平年11.7、最高気温26.5平年19.3)
ガウディの一見カオスそのものに見える建築物にも何らかの法則性に基づいているのではないか?と思ってきたが、昨夜のNHK総合テレビ「ガウディの謎を解け」がその謎の一端を解き明かしてくれた。ジョルディ・ボネット氏(73)によれば、構築物の寸法は12という数字をキーワードに一定の比率に整然と並んでいることが分かったという。しかしなぜ12なのか?という謎はまだ解けない。このことはガウディ自らが自然の森を模倣してきたと証言してきたように、その自然から数字のパターンを会得してきたことは明らかである。数学者のイアン・スチュアートはその著書『自然の中に隠された数字』において「数字はパターンの科学であり、自然は存在するパターンをあますところなく活用している。自然がなぜこのようなふるまいをするのか・・・おそらく問題は、あとさきが逆になっているのだ。つまり、自然のふるまいが先にあって、私たちは数学によって後からそこにパターンを見出しているのだろう。肝心なのは、この種の問題をたずねることのできる生物は、そういう構造をもつ宇宙のなかでしか進化できないということだ」と語っている。これまでの建築家はまず念頭に居住性をおいてから、そこに芸術的な個性を反映してきたように思う。芸術性を全面に押しだそうとすれば、構造物の力学から多くの問題も生じてくる。いかに美しい建築物であれ、構造的な不備があればいずれは脆く倒壊してしまう結果になりかねない。ガウディは単に芸術性を念頭においたのではなく、自然の中の法則性からそれを建築物に活用しようとしたのではないか。ガウディは設計に行き詰まるとユーカリの木を飽くことなく見つめていたという。「私の師匠は木です。よくごらんなさい。幹のあの面を、あの線を、これは神が何千年も前から我々に示された模範です」こうしたガウディの考えは、彼が世間一般に言われている天才としてではない、自然への敬虔な憧憬と祈りに根ざしていることを教えてくれる。サクラダファミリア(神聖家族聖堂)の完成に至ってはあと何百年かかるか分からない、気の遠くなるような作業が続けられている。ガウディ(Antoni Gaudi 1852-1926)は69歳にして事故死しているが、彼の意志は大聖堂で作業をしている人々によって引き継がれている。その彼らが死んだ後にも、次の世代によって延々と作業は引き継がれていくことだろう。それはまさにガウディが師匠としてきた樹木のように、大聖堂は着実に天に向かって、その向こうの宇宙へとつながっている。一国家においてさえ、これほど時間を超越した規模の大事業は他に例はないのではないか。日本では欲得利権のプロジェクトがバブル崩壊と共にものの見事に頓挫している。あとは互いに莫大な負債責任のなすりあいで終始している今、その尻拭いを国民の血税に頼るという醜態さえ演じている。いったい日本は何を目指してきたのか?これから何を目指そうとしているのか?首都圏に林立する超高層ビルは化石のように死んだまま、人間の欲望を凝縮した墓標にしか見えない。対してガウディの神聖家族聖堂は貧しき人々の寄付に頼りながらも、そこには人間の祈りが永遠に続くかのような希望がある。心なき人々の嘲笑であれ、人々の平和を希求する尽きることのない祈りで形成された神聖家族大聖堂は、そのまま人類の平和の象徴として永遠なる輝きを放つことだろう。
1999/05/20、木曜
薄曇り(最低気温14.1平年11.7、最高気温23.6平年19.2)
野生化のススメ
1999/05/19、水曜
雨
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北朝鮮の金昌里(クムチャンリ)への核査察が20日に行われるらしい。地名がフジテレビでは「金倉里」となっているが正確な地名はどうなのだろう。手持ちの地図にも見あたらない。NHKでは衛星写真を元に核施設の場所を紹介、それによると蛇行した河に沿って施設が散在しているそうだ。トンネル4本によって掘り出された土砂は38万トン、トンネルの地下には東京ドームの3分の1に相当する空間があると想定している。寧辺(ニョンビョン)の核施設をつくった同じ部隊が建設、ダムからトンネルに向かって原子炉の冷却水と思われるパイプも敷かれてあるようだ。これまで寧辺には3つの原子炉、核関連研究所ならびに関連施設があると言われていた。今回の金昌里への核査察は、寧辺から密かにプルトニウムを金昌里の地下核施設に運んでいるのではないかという疑惑が元になっている。査察団の一行は日本の横田基地を経由して軍用機で北朝鮮に入っている。 |
1999/05/18、火曜
薄曇り(最低気温10.2平年11.5、最高気温20.1平年19.1)
1999/05/17、月曜
晴(最低気温9.9平年11.4、最高気温18.9平年11.1)
第二次大戦前の日本はその経済不安という点で現代と似通っているところが多々見受けられる。大学生の就職難も同じで、1929年に公開された小津安二郎監督の「大学は出たけれど」という映画に続いて、5.15事件が起こった1932年6月には同監督の映画「生まれてはみたけれど」が公開されている。その翌月、文部省は「弁当を持ってこれない欠食児童が20万人」と発表、その殆どは日本の東北部農村に集中し、娘の身売りも続出している。この年の3月1日に日本は「満州国」建国を宣言、「満州行進曲」(作詞・大江素夫、作曲・堀内敬三)の歌が巷に流れた。同時に古賀政男・作詞作曲による「影を慕いて」という物悲しいメロディーが流れたのもこの頃であった。私の父が思春期、母がようやく小学校に入学した頃のことである。大工の棟梁をしていた祖父(私にとっては)の元で手伝いをしていたという父は、二人の兄と二人の姉、そして弟という大家族の三男坊であった。すでに高齢となっていた親の面倒をみながら、やがて父は兵隊となって中国に渡ることになる。母は農家の四人姉妹の三女として生まれ、幼い頃に母親を亡くし、継母に馴染めないまま看護婦を目指して勉強する。何度か聞かされてきた父母の半生も、他界してしまった今は聞くすべとてないが、こうして歴史を振り返ってみれば何故か皮膚感覚で実感できる。世の中に漠然とした不安を抱いている思春期の父、産みの親を亡くしたばかりの時に出現した継母に戸惑う幼い母、その背景は刻々として暗雲立ちこめる戦争前夜に彩られている。周辺から聞こえる軍歌と、出征兵士を送る万歳三唱のうねり・・・テレビなどなかった時代の、父と母の青春の日々がどのようなものであったか。新ガイドラインという横文字で、まやかしの平和を装いながら戦争に加担しようとする今の政府と酷似する戦争前夜のことを、私たちはしっかりと認識しておくべきだろう。戦争は人類の最大の罪であり、戦争を容認する全ての法律は生命の法則では違法であり、犯罪である。また国の方針に従って自分の子供たちを戦争に送り出す親も同罪である、と考えるのは誤りだろうか?正義の戦争などというものが何処にあるというのか!沈黙せるは戦争加担の共犯と成りうる過去のあやまちを今こそ振り返るべきではないだろうか。
森村かつみさんの証言(埼玉・浦和)
1945年6月、私は勤労奉仕隊員として15歳でソ連国境付近の東安省宝清県の開拓団に送り込まれました。8月9日にソ連が参戦したとの報を聞き、私は荷物をダーチョ(馬車)に積んで逃げました。10日ほどして開拓民として夫婦で満州に先に渡っていた姉に再会、姉はソ連が参戦した日、8月9日に娘を出産したばかりだった。やがてソ連軍が攻撃してくるというので関東軍から暗に玉砕の指示があり、そこで私たちはあちこちで母親が自分の子供たちを絞め殺す場面を見なければならなかったのです。母親に井戸の中に投げ込まれる子供たちが「お母ちゃん、ボク何も悪いことしてないよ〜!」と死にきれないで泣き叫ぶ。それを関東軍の兵隊が機関銃で撃ち殺しました。そして真っ先に姿を消して逃げたのが彼ら兵隊でした。私は姉の手を引いてソ連軍の銃弾が飛び交う草原の湿地を逃げ回りました。やっと山の中に逃げ込んで夜明けを待つことになり安心していた時、姉の子が空腹のあまり火のついたように泣き出したのです。ソ連軍が迫る中、その泣き声は居場所を知らせる時限爆弾でもありました。周囲から「みんなの命が大事か、たった一人の子供の命が大事か」という、姉にとっては悪魔のような恐ろしい声がかけられました。姉は母乳のでないオッパイを我が子の鼻と口に押しつけ、窒息させて殺しました。朝、山の斜面には黄色いオミナエシ(女郎花)の花がいっぱい咲いていました。姉はその花を抱えきれないほど摘み取って、我が子の遺体が見えなくなるほど供えていました。私は「姉さんのせいじゃない、戦争が悪いのよ」と励ましましたが、姉は抜け殻のようになって一言も言葉を発しませんでした。それから三年後に姉は失意のうちに亡くなりました。戦争は何の罪もない女や子供を犠牲にします。戦争は絶対にしてはならないし、戦争法案はなんとしても許すわけにはいきません。
1999/05/16、日曜
雨のち曇
67年前の今日、日本は「5.15事件」の余波で株式市場は休会となり円が暴落している。この5.15事件の前日にチャップリンが来日、事件の当日には犬養毅の息子・健(たける)らと相撲見物をしていた。犬養首相の千代子夫人と芳沢外相は帝国ホテルの結婚式に列席している。そして午後5時30分頃、三上卓(27)、山岸宏(23)の両海軍中尉、後藤映範(23)海軍士官候補生ら九人は、首相官邸において犬養毅首相(76)に向けて二発の銃弾を放つのである。当日の国技館は日曜日とあって客が大勢詰めかけていた。チャップリンは力士と記念撮影した後、来賓席で観衆の万歳三唱に迎えられている。この頃の相撲協会では西方力士たちの待遇改善要望という騒動が持ち上がっていた。親方の贅沢な生活とは対照的に、力士たちは食うや食わずの困窮にあえいでいたのだ。そんな時のチャップリンの相撲見物はかっこうのイメージアップにつながると協会側は目論んでいた。チャップリンに同行していた犬養健は途中で高齢の親のために京橋の「Aワン」にスープを特別注文している。運転手はそのスープを首相官邸の裏門前まで運び、車を降りようとした瞬間に二発の銃声を聞いたのだった。裏門に逃げる軍服の男たちを追いかける警官・・・「犬養首相、凶弾に倒る」の急報は帝国ホテルの千代子夫人の元に届けられ、夫人は芳沢外相らと首相官邸に駆けつける。そして午後11時26分、「憲政の神様」犬養毅は首相官邸において76歳の生涯を閉じるのである。
【参考『日録20世紀1932年版』27〜29頁「クーデター5.15事件の全貌」、松田十刻著『チャップリン謀殺計画』183〜217頁「第四章・5.15事件」】
1999/05/15、土曜
曇、微風
昨日の暖かさとは一転して今日は肌寒い日となった。それでもキュウイの花の蕾が膨らみ、ビワの小さな実も見え隠れしている。しばし庭に佇み、ぼんやりとした時を過ごす。曇り日の暗い木陰、私の吹かす煙草の煙が白く空間に淀んでいる。薄暗いビワの木の根本にシダの葉が生い茂っている。シダの葉は夏至の太陽が元の軌道に戻る直前、輝く黄金のような花を咲かせるという伝説がある。ひとりの狩人が夏至の太陽を射ると、太陽の血は三粒の光るシダの種となって手のひらに落ちてきたという。シダは誠実と謙虚の象徴として、その種を見つけた者の姿を見えなくすると伝えられている。
わたしは
透明人間になる薬など持っていなかった
シダの種などポケットにはなかった
ベン・ジョンソン『新しい住まい』
NEWS MEMO=【国内】福島県小名浜保健所ではムラサキガイ(通称シュウリガイ)から下痢性貝毒(症状、嘔吐・腹痛)を検出したと発表。
1999/05/14、金曜
晴、無風(最低気温14.1平年11.2、最高気温20.1平年18.1)
英国情報部MI6の機密情報がインターネットに流れたようです。元ダイアナ妃の事故死に関連しているようなので、参考としてリストを作成することにしました。資料を入手次第、更新していきます。
NEWS MEMO=【世界】北京で大使館空爆の犠牲者3人の追悼式が行われた。【国内】ガイドライン関連法案 今月24日にも成立へ。
1999/05/13、木曜
晴(最低気温12.6平年11.0、最高気温20.9平年18.8)
国際結婚はもはや珍しくもないが、先月22日、東京新高輪プリンスホテルで一組のカップルが盛大な披露宴を挙げた。新婦は福嶋真弓(22)さんで元大洋ホエールズの福嶋久晃氏を父とする。真弓さんの姉はゴルフ界の女王・福嶋晃子、妹もゴルファーの福嶋浩子というスポーツ一家だ。相手の新郎はフィル・トレナマン(28)さんで、母方の祖先は19世紀に活躍した首相、グレイ伯爵につながる名門一族だという。【『週間新潮』19号130頁】さて、そのトレナマン新郎の祖先であるところの19世紀の英国首相だがCharles Grey伯爵のことだと思われる。その二代目グレイ伯爵がトワイニング紅茶『アール・グレイ』となって(トワイニング紅茶の缶には彼の顔が描かれている)、グレイ一族の血流はVictoria Grey嬢がArthur Grenfell氏にに嫁ぐことで世界金融のモルガン・グレンフェル一族と合流していた。さらにグレイ一族はJane Grey(二代目グレイ伯爵の甥)がFrancis Baringと結婚したことによりベアリング商会とも縁続きとなり、サンドイッチ伯爵のMontagu家から金融王ネイサンで有名なNathan Rothschildの血流とも合流したことになる。そこから枝分かれして辿り着くのがビール王ギネスのBenjamin Guinness氏であり、そのギネスとハイネケンという二大ビールの結婚と離婚で泡立っていたりする。真弓嬢と結婚したグレー家の末裔トレナマン君本人にもこうした背景はあまり分かっていないようで「まるでおとぎ話のよう。ボクは彼女のプリンスにはなれないかも知れないけど、真弓は間違いなくボクのプリンセスだからね」と披露宴で語るほどの喜びようなのだ。
教訓としての地震、そして防災
1999/05/12、水曜
晴(最低気温8.0平年10.9、最高気温20.0平年18.7)
失業率が増加している中、再就職もままならず失意の日々を送っている人も多いのではないか。私のように零細企業を営む者にとっては、従業員を休ませるわけにはいかず赤字覚悟の仕事を続けている例も多々あると思われる。それに銀行の貸し渋りが追い打ちをかけている現在、倒産もまた覚悟しておかねばならない。貧乏を覚悟の切りつめた生活に、やはり心の支えとなるのは家族の理解と励ましだろう。経済的な困窮を何とか生活レベルを下げて乗り切ろうと励まし合うことでしか、先の見えない今のところ術はないようである。
人間が生きる上に最低限必要なものは何か?考えてみました。
NEWS MEMO=【世界】12日、米大統領報道官は国連協議が進まなくてもユーゴ空爆を継続すると発表。:露大統領がプリマコフ首相はじめ内閣全閣僚を解任。
1999/05/11、火曜
雨のち晴(最低気温8.6平年10.8、最高気温17.2平年18.6)
NEWS MEMO= 11日コソボ自治州軍とセルビア警察部隊は部分撤退を開始:ロシア特使、ユーゴ問題で新提案へ(NATO空爆中止後、中国軍を含めた国際部隊を派遣するというもの):中国政府「空爆の即事停止」を強調
1999/05/10、月曜
晴のち薄曇り、無風(最低気温15.4平年10.7、最高気温20.5平年18.5)
私が死んでも、いとしい人よ
私のために悲しい歌を歌わないで
私の頭上に薔薇を植えないで
木陰をつくるイトスギの木も
クリスティナ・ロセッティ『歌』
1999/05/09、日曜
晴(最低気温13.5平年10.6、最高気温20.9平年18.4)
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昨日の三島神社の境内は静かで、参拝客は私ひとりだった。参拝客と言うより、幹回り3メートルはあるかという大樹を見に来たのだ。三島神社は鎌倉時代まで遡る由緒ある神社なのだそうである。樹齢は分からぬが、その神社の傍らに植えられた樹木は、おそらく何百年に渡って人間模様を記憶しているはずである。見上げれば脳のシナプスのような形状をしている枝が、びっしりと空間を埋めている。それはまるで宇宙と交信するためのアンテナのようにも思えてくる。神社の中を覗くと、丸い鏡が正面に置かれてあった。かすかに雅楽の音が響いてくる。テープでも回っているのだろうか・・・精神性を呼び覚まされる不思議な感覚であった。 |
1999/05/08、土曜
晴、無風(最低気温12.0平年10.5、最高気温23.1平年18.4)
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フェデリコ・フェリーニ監督の『悪魔の首飾り』という短い作品がある。ポーの原作三部作のオムニバス映画の一作品なのだが、落ち目の若手人気俳優が神経症に陥り、撮影から逃げ出すようにしてスポーツカーで国道の闇を暴走していく。その果てに待っていたのは寸断された橋であり、それを覚悟で主人公はスポーツカーのアクセルを踏む。凄まじいエンジンの爆走音が途絶えた後のワイヤーロープの軋む音・・・その血のしたたり。向こう岸の国道に転がる主人公の生首、それを拾い上げる少女の幻影・・・現代の狂気がそこに凝縮されていたような気がする。 TOBY DAMMIT(日本版「悪魔の首飾り」) トビー・ダミット=テレンス・スタンプ |
1999/05/07、金曜
晴(最低気温9.9平年10.3、最高気温20.3平年18.3)微風
渚にまき散らされた貝殻を集め
その唇に耳をあてよ
どの貝殻も同じ願い、同じ神秘を囁く
大海原の語る声のこだまを
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ『海原の果て』
アプロディーテ(ヴィーナス)が帆立貝からから立ち現れるよりも、トリトンが波間から巻き貝を吹き鳴らすよりさらに古くから、貝は神秘的な再生を象徴していた。貝に神性を見ることは、有史以前からいたるところで行われていた。ヒンドゥー教では結婚を告げる喇叭(ラッパ)にヴィシュヌ神の象徴である巻き貝が使われた。南米のアステカ民族は貝を霊的再生の崇高な象徴と見なし、信仰上の儀式で重要な役割を果たした。中国では巻き貝を安置して裁判が行われ、中世におけるキリスト教徒の聖ヤコブ寺院の巡礼の印は帆立貝であり、古代日本では再生を確実なものとするため遺体に貝殻の粉を塗った。広く宇宙に関わって生命の象徴とされる貝は、宇宙的リズムの破壊や、社会への犯罪を解明する力をもつと考えられていた。【J・ガライ著『シンボル・イメージ小事典』238〜239頁「貝殻」より要約】
「ユーゴ空爆に踏み切ったNATOへの批判」、海外新聞の抜粋記事
歴史を振り返っても、空爆にたまりかねて降伏した国家は前例がない。第二次大戦中に英国がドレスデンその他の都市をじゅうたん爆撃してもドイツは耐え抜いたし、米国が名前は『スマート』(頭がいい)がほとんど『ダム』(頭が悪い)な爆弾(誘導装置のない在来型の爆弾)をバグダットに投入した時にも、あるいは冷戦時代、ハノイを猛爆した際もそうだった。唯一の例外が1945年の日本降伏だが、これは降伏を迫って2個の原爆を使用した特殊な例だ。【『ザ・ネーション』(タイ)4月2日「人類に惨禍もたらす点でNATOも同罪」、「軍縮」83頁】
「反人類罪」とか「民族浄化の罪」を勝手に主権国家に宣告し、主権国家の内政問題まで「侵略」呼ばわりする一方、自分の武力干渉を「人権を保護する」ためと称して、国家主権と領土の不可侵という原則を打破した。武力行使という高圧政策をとって、自分の意志でつくった干渉的内容の「協議」を無理矢理に主権国家に加え、それを受け入れなければ徹底的な軍事打撃を与える。これこそNATO「新戦略概念」の試みであり、米国が21世紀を主導する「新国家秩序」である。【『人民日報』(中国)4月10日「新戦略概念の覇権主義的論理」、「軍縮」85頁】
気になるNEWS・MEMO
G8で7項目を基本合意、独首相「派遣部隊は戦闘能力を持つ必要がある」。日本農水省、米国とカナダ産トマトの輸入を全面解禁。インドネシアでのODA事業巡るリベート問題で海外経済協力基金検査方針。
1999/05/06、木曜
曇(最低気温11.7平年10.1、最高気温17.9平年18.1)
ニコルの森
C・W・ニコル氏は伐採されていく黒姫の森に危機感を抱き、10年前から自費で荒れ果てた森を買い続け、今では4万5000坪になっていると言う。雑木として切られていく木々も、雑木という言葉は人間が勝手に付けたものであり、森には雑木もなにもない。人間が森を大事にすれば、そこには自然と小さな命たちが集まり、賑やかになる。妖精だって集まってくる。妖精を信じればお爺さんお婆さんも子供になれる。そしてニコル氏はその森を「おしゃべりの森」と称して、森の賑やかな様子を紹介する。私たちはもう一度自然の中で妖精を見いだす子供の心に帰る必要がありそうだ。(「おしゃべりの森」の音声を入れようとしたが、うまくいかず。後で何とか工夫してみます・・・うむむ、残念)
昼寝のススメ
「この気怠さは何だ?」言わずと知れた連休明けの後遺症・・・これが以外と仕事に支障をきたす疲れだったりする。最近の航空会社はパイロットの昼寝を推薦しているようで、わずか15分ぐらいの仮眠でも効果があるそうだ。研究によると疲労のピークは午後2〜4時と、午前4〜7時の二度あるらしい。これは居眠り運転事故が多発する時間帯でもあり、ちょっと仮眠をとれば防げる事故でもあるのだという。せいぜい20分あたりの仮眠が適当で、熟睡してしまってはかえって仕事に支障をきたすらしい。私も昼寝に熟睡してしまって、現場の足場に上れなくなったことがあり、危険でもある。「三時のおやつ」とは良く言ったもので、「おやつ」とはお菓子ではなく時間の「お八つ」を指し、江戸時代までは午後2時から4時までは日本人にも昼寝の習慣があったらしい。ところが明治時代になって西洋諸国の文明が入り込むと、欧米諸国を追い越せとばかり昼寝は一転して怠け者の悪習となってしまう。こうしてみると昼寝こそ人間の生理に適した健康法であり、それを怠け者の習慣としてしまった多忙な文明のありようこそ悪習となる。現代人は少なくとも食後の仮眠で疲れをとるべきかも知れない。ちなみに徹夜を余儀なくされる場合には夜明け前の午前4〜7時までの仮眠だけは確保するといいらしい。この時間帯は体温が下がって眠くなる頃なのだそうだ。最近では病気に応じて薬の最も効果的に効く時間帯を指摘する医師も出てきた。体内時計は睡眠だけではなく内臓全般に渡ってのリズムがあるらしい。連休明けの疲労回復には仮眠で体内時計を調整すべし。
1999/05/05、水曜
曇のち晴(08時現在、気温18湿度70)、こどもの日
河上イチロー氏が抗議するところの「組織的破壊活動」が、その河上氏に向けられたことで彼らの強権的な牙を自ら露呈したようです。一応、事の成り行きをみていきますが、私も強く河上氏の抗議を支持するものです。先ほど自動販売機前でタバコを吸っていたら、パトカーの中の複数の眼が私に集中していることに気付きました。お仕事ご苦労さん、監視の眼が絡みつく防犯国家ニッポンの平和に欺瞞を感じました。
泣く子も黙る税務警察(ロシア)、銃を片手に税金徴収
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かつてのKGBや保安委員会に引き抜かれたエリツィン大統領直属の特殊警察、「調べたいことがある。税務警察だ!ドアを開けろ!」こうして税金未払い者に対する強権発動がロシアの至るところで行われている。旧ソ連の共産主義社会から自由経済社会へのステップとして、税金を払うという習慣を税務警察によって教えてやろうという実に親切でかつ乱暴なシステムなのだ。 |
1999/05/04、火曜
雨(18時現在、気温18湿度70)、国民の休日
昨夜は友人と痛飲、彼がいつ帰ったのかも知らず、そのまま寝入ってしまった。母親の長患い、娘と息子の教育費と、苦労の耐えない友人の話を聞いていた。この不景気で家業が続かず、さる大手会社で何とか準社員として働いている。奥方もパートで働く共稼ぎである。この先どうなるのだろう?いつの日か家業を再開したい。そんな話で終始した昨夜、今日は冷たい雨が降り続いている。
1999/05/03、月曜
曇(10時現在、気温17湿度60)、憲法記念日
アジア侵略の象徴としての日の丸批判がある。沖縄はその時「日本」だったのか、それとも侵略されたアジアの側なのか、明確な回答を出すことは困難である。ただ、大切なのはひとつの旗に、その時代に生きた人間の愚かさと智恵を読みとることだろう。そのような人間の一貫しない姿勢こそが歴史の時間であったと、日の丸を見るたびに心に刻むことなのだ。甲子園優勝が熱狂的に受け止められた沖縄にとって「日本一」の意味をあらためて考えたい。(与那原恵、ノンフィクション・ライター。SAPIO・5/12号106頁より一部抜粋)
とうぬゆーからうちなーゆ、うちなーゆからやまとぬゆー、やまとぬゆーからあめりかゆー、あめりかゆーからまたやまとぬゆー
1999/05/02、日曜
晴
仕事の追加で従業員の休みが1日伸びた。明日は工場を貸してほしいという若者で、連休中は留守ができなくなる。貸すのは工場だけではなく、機械も使うことになる。以前は材料も買って欲しいと頼まれた。頼まれるがままに動いていたが、作業は深夜にまで及び、あげくは友達を連れてきて騒いでいる。苦情を言ったら後で謝罪に来た。こういう常識は苦情を言われる以前の問題だろう。今回は事前に挨拶に来たが、貸す側としても作業中は管理上の責任があるので付き合わされることになる。貸す借りるといった約束事にも互いの立場を考えた配慮が必要なことは言うまでもない。作業を終えたら清掃ぐらいして「ありがとうございました」と挨拶されれば、こちらも「良かったね」と素直に喜んであげられる。人間なんて単純なもので、喜ばれて喜ぶようなところで信頼関係も成り立っていると思う。かつて仕事がなくて困っている業者に、自分の仕事をそのままやったことがある。ところがその業者は自分の仕事が出てきたからと中断し、残った分の材料代と手間賃を請求してきた。これには私も驚いた。先輩でもあるので黙って了解したが、その後、また仕事がないと困って頼みにきた。そしてまた以前と同じように仕事を中断して放り投げてしまう。何度かこういうことを繰り返していたが、ついには私も絶交をするしかなくなった。自分の都合だけで生きているとしか思えない。しかもそのことだグループがいた。バで人に迷惑をかけたことにも気付いていない。数年前、深夜の工場に忍び込んットを振り回して追い払ったが、その慌てようは実に滑稽だった。哀れと知れない。警察には通言うべきかも報しなかったが、後で別件逮捕されたらしく、警察か?」と訊ねてきた。私が少年たちを連れ「見覚えはないは知らないと答えた。貴重な犯罪に走らせる原因青春が窃盗に彩られることの不幸を嘆くばかりだ。彼らをは何なる。それは日常においのだろう。犯罪行為そのものを裁く以前に、私には彼らの失意と絶望感を感じての自分の心にも思い至ることである。私には彼らを裁く権利もなけれい。結果的に自分の犯ば、裁く気もなした罪は自分で裁くようになると思うからだ。仮にいる者がいるとしても、完全犯罪を成し遂げてほくそ笑んでその犯罪の目撃者は唯一を目前にして自分で自自分自身であることを知ることになるだろう。私もまた、死分を裁くような瞬間が訪れることを予感している。それが唯一の救いであるかのように・・・
1999/05/01、土曜
晴
ドケチのススメ
連休の生活費6000円のところ、それを何とか8000円にしてもらう。友人が来れば3000円ぐらいは吹っ飛ぶ・・・く、苦しい。その8000円からタバコ代とビデオテープ代差し引きが食費となる。融通がきかない会計担当、今日は冗談も通用せず・・・社長とは名ばかりの貧しい生活が続いている。テレビで1日40円の食費で生活している青年が紹介された。「キュウリの九ちゃん」なる漬け物105円を数日間のオカズに過ごしているらしい。残った漬け物の汁はチャーハンの味付けに使い「うまい!」と喜んでいる。やれば私にも出来るのかも知れない。私の場合、食費は削っても書籍など情報関連の経費は譲れない。むろんインターネットも・・・それを贅沢だと言う。開いた本を妹が片っ端から整理していくので、読んでいた箇所が分からなくなる。そこで口論になる。価値観の相違としか言いようがない。ゴミの山にしか見えない雑多な本も、私にとっては真理探究に欠かせない宝の山なのだ。その本代も削減されつつある。そこでテレビを唯一の情報源としてビデオテープを買うようになった。体は衰えても好奇心は旺盛でありたいものだと常々思っている。私がもっとも恐れているのは夢が無くなることだ。心ぐらい贅沢にしていたい。あのキュウリの漬け物をオカズに生活している青年も、自分の夢を実現する生き甲斐をもつゆえに生きていられる。ドケチを生き甲斐にしているのではサラサラない。夢の実現のためにドケチを覚悟している。そう言えば彼の冷蔵庫には何も入っていなかった。電気も切ってあった。私の冷蔵庫にもマヨネーズぐらいしか入っていないので、さっそく真似して電気は切っておこう。かつて母が「オマエは勝手放題しているが、貯金ぐらいしておかないと後で困るぞ」と言っていたことを思い出す。そして今、確かにそうなっている。あの時、私は「カネを貯めるには大きな金庫が必要だ」と冗談で返し「その金庫にはオマエが入っていろ」と母が切り返していたものだった。これから大きな金庫を買うために貯金でもしようかな・・・そして誰にも邪魔されない金庫の中に入るのだ。そこは世界核戦争が勃発しても安全だろう。でも、どうやって出るか?それが問題だ。
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ロシア特使 ユーゴ大統領と会談