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1999/04/30、金曜
晴、肌寒し
また寒くなってきた。寒の戻り、というやつだろう。炬燵はしばらく手放せない。ジンチョウゲも椿の花も散って、カリンの桃色の花が咲き始めた。新緑が眩しい季節、自転車に乗って野山の自然に浸りたくなった。小川のせせらぎ、風に揺れる葉のざわめき、目を閉じて自然の音に耳を傾ける。夢うつつ、いつしか天女の膝枕でうたた寝をしている・・・目を覚まそうとすると「そのまま眠っていなさい」と、やさしい天女の声が心の中で響く。そんな幻想に遊んでみたい。空を飛ぶ夢をみた子供の頃のように、いつしか解放された心のままに青空いっぱい飛行する鳥になりたい。あの雲の彼方に、なつかしい父と母の幻影がある。
昨夜は珍しく立て続けに電話が鳴った。口論して絶交したはずの友人「元気か?ちゃんと飯食ってるか?連休に行くから酒用意しておけ」、スナックのママ「今夜は酒飲んでないのね。いい子にしてお休みなさい。ツケあるからね」、そしてリストラ後に何とか再就職した友人「おいインターネット中毒、世界はどうなってるんだ?」・・・どうなってるんだろう?
1999/04/29、木曜
晴時々曇一時雨
もんど氏よりユーゴの独立ラジオ局B92を紹介されたので冒頭にリンクした。正確に言えばB92を支援する日本語サイト、ユーゴ政府の弾圧の中での勇気ある命がけの発信を提供している。
夜、友人から電話あり「NHK見ていたろう?」だって、「どうして分かるんだ?」と逆に訊ねたら「長いつきあいだもの、そのくらい分かるべさ」と電話口で笑っている。ちょうど「決定の瞬間・記録されていたキューバ危機」を見終わった後のこと、全面核戦争の恐怖がヒシヒシと伝わってくる迫真の番組だった。あの当時はアメリカ国民が心底から危機を感じた大事件でもあった。核兵器が地球の至るところに装備されている現在、かえって危機感が薄れているように感じるのは私だけだろうか・・・感覚が麻痺してしまったのかも知れない。これはむろん私にも言えることで、そのために冒頭に「原爆の詩」をリンクして自戒しようとしている。原爆被災者の命の悲鳴は平和の誓いとして、深く心に刻んで永遠に忘れてはならないのだと・・・
1999/04/28、水曜
曇のち雨
世紀の大悪法、介護保険制度
来年から実施される介護保険は「切り捨てご免」の弱者切り捨て制度のなにものでもない。特に在宅介護への負担増は重度と認定される患者の家庭において、月総額で25万以上の自己負担額になるという試算結果も出て「厚生年金が月10万しか出ないのに、これでは死ねと言われているようなものだ」との悲鳴があがっている。政府の目論見は「それなら月5~6万以内で済む施設介護にすればいい」というのが本音だろうが、最期は自宅で迎えたいとする老人たちの切なる望みは今度の介護保険制度によって断ち切られることになる。老人たちをまとめて施設に収容してしまう制度のありようは、人権という視点からも問題となりそうだ。また自立及び要支援と判定された人は5年後には退所が義務づけられており、厚生省のモデル事業でも1万4000人が追い出されるという試算結果が出ている。今は三ヶ月の在籍保障期間があるが、介護保険は入院した翌日から保険が打ち切られるという問答無用の制度となっている。さらに介護サービスは認定された65歳以上の人に限定され、例えば62歳で交通事故で寝たきりになっても対象外となる。保険料は年金から天引き、1年半以上滞納すればサービスは受けられなくなる。何とも酷い制度なのだ。
1999/04/27、火曜
晴
昨夜、今は老人となった昔の職人の家を訪ねる。本人はかなり弱ってきているので、介護している女性が代わりに応対する。息子夫婦もいるのだが、介護はほとんどこの女性がしている。息子夫妻はこの女性が邪魔らしく、つきっきりで介護していることに感謝の言葉すらないと憤る。なんとも複雑な人間関係だが、職人気質の御老体本人は寝たきりの状態になっていた。早々に引き上げるつもりが長話になってしまう。私も母の介護で疲れ切っていた時期があるので、その労苦はよく分かるつもりだ。深夜じっと息をこらして夜明けまで看病し、早朝の交替にフラフラになって病院を後にする日々が続いていた。母の意識がなくなった時点で、私のストレスは頂点に達し、弟夫婦と妹夫婦が交替で看病する頃には脱力感から酒を飲むようになった。親戚が押し寄せ、意識のない母を見舞う頃には私は一人閉じこもりっていた。そんな私へ非難の声が浴びせられ、母の葬式が済んだ後にも私の親不孝ぶりが周囲に伝わっていた。彼らに何が分かると言うのだろう。17年間に及ぶ母の長い闘病生活において、深夜息を殺して母の寝息に耳を傾けていた日々のことを・・・彼らは知らないし、知ろうともしないで残酷な言葉で私を責め立てている。それと同じことがここでも起こっている。心の中まで入らずして、不用意に非難する人々の残酷が、看病する者の心を突き刺しているのだ。感謝されてしかるべき介護に、周囲の無理解が逆に追いつめてしまっている。彼女のやり切れなさはそのまま私自身のやり切れなさとなって、世間の冷たい風に吹きさらしとなって漂っていた。
1999/04/26、月曜
薄曇り
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深夜に放映されるドキュメント99で、ある女性弁護士の数奇な半生を紹介していた。彼女は思春期においてグレ始め、極道の世界へと身を投じてしまう。しかし知人の男性から厳しく叱咤され、子供たちを自分と同じような道を歩ませないため弁護士となって更正させることを決意する。彼女は報酬の安い国選弁護士を自ら引き受け、家庭環境に恵まれない子供たちにこだわり続けている。真摯に少年たちの更正に奔走する彼女に幾度も襲いかかる挫折、更正を誓いながら犯罪を繰り返す少年、それでも彼女はあきらめない。地獄から這い上がってついには弁護士となった自分の生い立ちを振り返るとき、その地獄に転落していく子供たちを見捨てることはできないのだ。彼女の決意とは覚悟のことでもある。自分が極道世界の直中にいたことは背なの入れ墨と共に消えることはないが、その覚悟において彼女は見事に生まれ変わったと言えよう。 |
1999/04/25、日曜
雨
ブラントと30年来の友人と言われるビクター・ロスチャイルド(Victor Rothschild)は、ブリティッシュ航空がBOAC(British Overseas Airways Corporation)と名を変えた後の重役椅子に座っている。ビクターは大戦中からイギリスの諜報機関の世界に飛び込み、数々の機密文書にも目を通す立場にあった。このことは世界的な財閥ロスチャイルド家にとっても好都合であり、そのように仕組んできたことでもあろう。元々ブリティッシュ航空は「デピアス」のダイヤを扱う商会の持ち物であり、そのダイヤで世界を支配してきたロスチャイルド家のものでもあった(「デピアス」の重役はEdmond Rothschild)。そのBOACが再び「ブリテッシュ航空」と社名を戻し、民営化されたのは1987年のこと、それ以後は欧州航空界を次々と吸収して大きくなっていく。(『赤い楯・上』P357)
1999/04/24、土曜
雨
昨夜は深夜まで開業している古本屋を覗いてきた。けっこう大きな店なのだが中には客が誰もおらず、若い店員ひとりが漫画本みて笑っている。半数以上が漫画本で占められている本棚を眺めながら、目的の本を探す。目的の本といってもタイトルから読みとるしかない。導かれるように真っ先に手に取ったのが赤羽尭著の『国際スパイ戦争・13の記録』、内容は分からなかったが何となく買ってしまった。帰ってから目次に目を通し、第3章「女王陛下の美術顧問」にピンとくるものがあった。内容を読んでみると何と『スパイキャッチャー』で読んでいたブラントのことではないか・・・何万冊という本の中から無作為に選んだ本が、自分が探していた内容の本に突き当たる確率のことを考える。以前にもこんなことが幾度かあったのでさして驚かなくなっているが、やはり不思議ではある。
その本の中には「英国王室はブラントことアンソニー・ブラントが旧ソ連のスパイであることを知りながら、女王陛下の美術顧問としてブラントを雇っていた」ことも書かれてある。その理由は、かつてジョージ6世の特命を受けたブラントが、その困難と思われる任務を果たしたことから王室の信頼を勝ち取ったものであった。ブラントは西ドイツのフランクフルト近郊にあるヘッセ家の城から英王室の書簡類を持ち出したのだ。そこにはビクトリア女王の長女がプロシャ帝国皇后フリーデリケにあてた手紙、ジョージ5世の妻メアリー王妃がドイツの縁筋に送った手紙、ウィンザー公(参照『赤い楯・上』P93~95「パンサーの宝石」)とナチ指導者との関係を示す書簡も含まれており、それらの書簡が当時西ドイツを占領していた米軍の手に渡ることを懸念したジョージ6世がブラントに特命として奪回を頼んだのだった。ブラントはMI5に所属していたこともあって、こうした隠密行動には手慣れていたはずである。【参考】『国際スパイ戦争・13の記録』P50~52「鉄の女・宰相の手で暴かれた事実」、リンク英国王室ウィンザー公
ブラントに関してはフリーマントル著『KGB』(参照P83~122「対イギリス浸透工作」)にもその名が出ていた。いずれも詳細な経緯が載っているので、『スパイキャッチャー』『国際スパイ戦争』『KGB』それぞれの資料を突き合わせながら読めばかなりのことが分かってくるのではないか。さらにビクター・ロスチャイルドが出てきたところで、戦時中のロスチャイルド家とナチスの関係を知るならフレデリック・モートン著『ロスチャイルド王国』が参考になる(参照P223~244「ヒトラー対ロスチャイルド」)。もっと深く調べるなら広瀬隆著『赤い楯・上下』とゲイリー・アレン著『ロックフェラー・ファイル』巻末資料「ラコフスキー調書」(参照P169)が手助けしてくれるだろう。いずれの本も私がこれから深く分け入っていこうとする迷路の入り口である。
1999/04/23、金曜
曇のち雨
ピーター・ライト著『スパイキッチャー』(SPY CATCHER)という本を読んでいる。MI5(Security Service)に所属していた著者が英国内の外国人スパイとそれに組みする自国のダブルスパイを摘発してきた暴露本である。この本が翻訳され各国に出版されてからサッチャー元英首相が各国に出版差し止めを求め、法廷闘争を繰り返してきた曰く付きの本でもあった(参照P538「監訳者あとがき」)。最初私がこの本を手にした時は、難解な暗号や防諜関連の専門用語に辟易して読むことを中断して放り投げておいた。007シリーズのような娯楽的な面白さを期待していたせいもあって、地道な調査に終始する淡々とした回顧録には興味が湧かなかったのだ。しかし実際にはそうした地道な調査の積み重ねこそ事実に迫るものであり、他国の国家機密を探るといったスパイの性質上、仲間のスパイさえ監視しなければならない厳しく冷徹な世界であった。英国秘密情報部MI6(Secret Intelligence Service)による各国首脳の暗殺計画などの実態が、それを補佐する機関のMI5の徹底した調査によって支えられているという事実は、それが公になった時にはかえって自国を危うくする皮肉な結果となる。ピーター・ライトのMI5内部暴露によってサッチャー首相が必死に回収しようとした慌てぶりも決して大袈裟ではないことになる。その時点で英国諜報機関は大きく改変されただろうし、我々一般人が事実を知る頃には尻尾をつかまれるような機密情報は暗に処分されていることだろう。それでもなおピーター・ライトの暴露本は今もって衝撃的な内容であることには変わりがない。
本書の多くのページは旧ソ連のKGBとの諜報合戦で占められているが、私がこの本で注目しているのはブラント事件である。旧ソ連への内通者としての疑惑の渦中にあったブラントには学生時代からのさる財閥の友人がいた。その名をビクター・ロスチャイルドという。ライト(著者)がブラント事件の件で長官室に呼ばれた時、そこには放心状態のビクター・ロスチャイルドがいたという。そのビクターもまた調査の対象になるのだが、むろん清廉潔白(?)という決定に落ち着いている。MI6はロスチャイルド家の持ち物である、という噂はさておき、ブラント事件はその後の英国王室の動揺にもつながっている、ような気がする。このことは著者のライト自身、あまり気にとめることなく断片的に記録しているにすぎない(参照『スパイキャッチャー』P291~294)。出版後の法廷闘争においても著者のライトが何が原因で追究されているのか分からず、面食らっているふしがある。訳者の久保田誠一氏もあとがきで「本書の中には知られたくない事実がある」としているが、それが何であるかは指摘していない。それが単に英国諜報機関の非道を意味しているとは私にはどうしても思えない。私の考えているキーワードは「ビクター」、サッチャーがそれこそ慌てふためいた理由はそこにあったのではないか・・・こんな瞬間が私に読書の醍醐味を満喫する至福の時を感じさせてくれる。
1999/04/22、木曜
晴
木々の葉が日増しに大きく新緑が鮮やかに映えてきた。毎日ほんの数ミリずつ成長しているのが分かる。植物の営みはゆっくりだが、確実にその命の成長過程を見せてくれている。命というのは正確ではないかも知れない。植物たちは我々人間のような生物体系とは全く逆で、口や目などの感覚器官はどこにも見えない。しかし感覚器官が見えないから感覚機能がないということにはならない。根は土中の水分を吸収し、花は太陽の出没によって開いたり閉じたりする。オジギソウは触ると葉を閉じる。私はかつてそのオジギソウを事務所で育てていたことがある。ピンクの糸状の花が咲くことも知った。苗を10個も買って、窓際に置いていた。手のひらでオジギソウたちを撫でていくと、一斉に葉を閉じる様子が面白く、そして不思議であった。語りかけたら応えるようにも思えた。何より植物たちの多種多様な花の色彩、葉の形状と艶、それらを見る人の心に安らぎを与えてくれるのも不思議であった。それはまさに神秘というべきものであろう。しかも花弁や葉の数、枝振りなどから一種の法則性さえ見受けられる。その法則性は宇宙に通じるものではないか?と思うことがある。テニソンがいみじくも言ったところの「全ての中の全てなる」小さな花の宇宙のことである。かつての科学者たちはそうした神秘に深く感動し、そして敬虔な態度で癒やしの心を植物たちに学んできた。最近では薬草の本格的な研究も始まり、その効用を科学的に解明しようとしている。その中にはダイオキシンさえも解毒する薬草があることにも気づき始めたようだ。またある大学では植物の葉が色を識別することに驚き、センサーとして使えないかと模索している。いつの日か最先端のテクノロジーによって植物の感覚機能がセンサーとして利用される時が来るだろう。その時になって人間はかつて迫害された多くの科学者たちの偉業にも気付くのだろうか。彼らは自然の中の神秘に目覚めたゆえに、時代時代の権威者によって抹殺されてきた。「隠された」という意味をもつ「オカルト」(OCULT)がいつしか秘術を行う危険な研究としての意味合いをもつようにもなる。ミステリー(MISTERY)「神秘」という言葉さえもオカルトと混濁して、その時代の利権に反するような発見は異端視され、弾圧するための言葉の武器となる。現代において電気はありとあらゆるところに応用されてはいるが、その電気の本質は何ら解明されてはいないのではないか。植物の種にある特定の電流を流すと発芽作用が促進される、といった昔の研究成果も時の権威に押し潰され消滅した。幼児たちの泥遊びに汚いからと言って叱る母親は、子供たちが直感的に泥の中の幾多の小さな生き物の感触を味わっていることに気付かない。小さな花に語りかける子供たちを見る大人たちは、実は子供の心が深遠な宇宙意識に通じているのだとは思いもよらないだろう。自然の中で無心に遊ぶ子供の心は、やがて人間社会に適応させられるにつれ失っていく。キャンプ場で「川の音がうるさくて眠れない」「水洗便所がない」と苦情を寄せる都会人が増えているという。田舎の空気はおいしい、と深呼吸しながらコーラを飲み干して缶を捨てていく。その田舎で農家はせっせと畑を耕し、都会に新鮮な食べ物を送る。その報酬として都会はゴミをどっさり田舎に捨て、おまけに原発までもプレゼントしてくれる。なんとありがたいことではないか。
1999/04/21、水曜
晴
今勃発しているユーゴ戦争には第一次、第二次の二つの世界大戦の状況と似通っているとよく言われることである。世界大戦の引き金ともなった85年前、サラエボでハプスブルグ家皇太子が暗殺され、3年後の1917年にはロシアのロマノフ王朝が倒れるといった欧州王室が大きく変動した時期でもあった。南部(Yugo)の、スラブ族の土地(Slavia)という意味をもつユーゴスラビアは、ロマノフ王朝が倒れた翌年にセルブ・クロアート・スロベンス王国として輪郭を形成していく。それから11年後にユーゴスラビア王国と改名するのだが、ユーゴ王室は一貫してカラジョルジェヴィチ家に支配されていた。そのユーゴスラビアにおいて初めて世界にユーゴ国王の存在を知らしめたのがペータル1世セルビア王(在位1903~21)だったが、ペータル1世の妃はゾルカというクロアチア国王ニコラ1世モンテネグロ王(1910~18)の娘であった。ユーゴスラビアがまとまりかける以前の王室はこうしてセルビアとクロアチアがごく当たり前に結びついていたことになる。帝政ロシアのロマノフ王朝が消滅した年、ユーゴ皇室ではアレクサンダル1世(1914~21)が国王に就くのだが、その妃マリアはルーマニア王室フェルディナンド1世(1914~27)の娘であった。ルーマニア皇室からマリアがユーゴ国王(正確にはまだセルビア国王かも知れない)の妃となると、妹のエリザベートはギリシア国王ゲオルギス2世(1922~24・35~47)の妃となる。セルビア、クロアチア、ルーマニア、そしてギリシアと皇室同士の結びつきが民族や国境の枠を越えていくにつれ、再び第二の大戦が暗い影を落とし始める。正式にユーゴスラビア王国が発足してから4年後、新たにユーゴ国王となったペータル2世(1934~45)の時代にナチスの牙が向けられていく。そのペータル2世の妃アレクサンドラはギリシア国王アレクサンドロス1世(1917~20)の皇女でもあったが、ここにユーゴ国王ペータル2世の母親マリアの妹エリザベートもまたギリシア皇室に嫁いだことを考えれば、ユーゴとギリシア皇室同士の血脈で結ばれた深い関係が分かる。現在のユーゴ空爆でのギリシアの複雑な思いも伝わってくる。そのギリシア皇室はコンスタンティノス2世(1964~73)が妃に迎えたデンマーク国王フレデリク9世(1947~72)の皇女アンナ・マリーによって、さらに系図は広く複雑に絡み合っていく。しかし、1941年4月、ユーゴのペータル2世がナチスに追われて国外に亡命すると、東欧の皇室に王制廃止の逆風が襲いかかってくる。そしてギリシア国王コンスタンティノス2世もまた在位就任から2年後のクーデター失脚でイギリスに亡命するはめになる。第二次世界大戦においてドイツとイタリアに占領されたユーゴは、その後チトーによって全土解放後に人民共和制が宣言され、1953年にユーゴスラビア連邦人民共和国として統一されていく。そして現代、再びユーゴに火がついた1992年の6月、ペータル2世の亡命先ロンドンにおいて、息子のアレクサンダル2世皇太子がセルビアに帰国した。帰国の理由は定かではないが、その後のユーゴ内戦とNATO空爆という最悪の事態に至っている今日、アレクサンダル2世皇太子の突然の帰国にも一つの要因が隠されているような気がしてならない。
1999/04/20、火曜
晴のち曇
時間を忘れてインターネットに没頭していたら割り当てられた使用時間を超過、課金対象に突入するところであった。ここはコントロールして時間を調整しなければならない。まず全くインターネットを使用しない日を設定、一日の使用時間も半分に減らす。これで時間を稼ぎながら、何とか一週間で標準規定時間に戻す計画をたてる。あとは無料メールサービスを多用して掲示板の情報などをメールで確認する。昨日、NTTのタイムプラスというサービスに登録した。これで月200円納めれば3分10円の電話代が5分10円で済む。市内通話のみという制限はあるものの、少しは電話代を稼げる。何より電話代を占めていたのが遠距離通話料で、大宮の友人への電話が長くなってしまうのが響いているようだ。何でも話せる唯一の友人で、時には延々と時間を忘れて話し込む日もあった。彼とは手紙でやりとりをすることにして、電話代を節約することにした。こんな細かいことに気を使うのも不景気のせいである。ために衛星放送の視聴も停止、定期購読していた朝刊もやめ、食事代を削り、夜遊びもやめている。コンビニの支払いで10円玉をジャラジャラ出して数えていたら店員に笑われた。一円玉ならもっとある。五円玉は穴に針金を通して大きな首飾りのようになっている。桜が満開の時、花見に行きたいとお小遣いを会計担当の妹に頼んだら「そんな余裕はない」と一言で退けられた。ストレス解消もできない。仕方なく、これまで一度もやったことのないヘソクリを密かに貯めている。5000円貯まったらカラオケに行こうと思っていた。ところが、ヘソクリがその5000円になった時、今度はモッタイナイという気分に襲われた。これには自分でも驚いた。宵越しのカネは持たぬと豪語して飲み屋をハシゴしていた過去は何だったのか?ヘソクリは今やっと1万円を超えた。そのヘソクリは丸めて壊れた携帯ラジオの電池を収納するところに隠してある。ここで書いてしまってはヘソクリの意味をもたないが、幸いにも妹がパソコン嫌いのために助かっている。しかし、よく考えてみると私の弟がインターネットをやっているので、この日誌を読むかも知れない。たぶん読んでいるだろう。すると弟から妹へと情報が漏れていく可能性がある。というわけで、これから別の隠し場所を探すことにした。家族兄弟といえども、ことヘソクリに関しては他人である。心を許してはならない。テレビの中に隠そうと思ったが、以前テレビを分解していてブラウン管に触り強烈な衝撃を受けたことがある。あれはけっこう危なかったのではないだろうか?うむ、話が意外な展開をしてしまった。何の話かも忘れた。終わり。
1999/04/19、月曜
曇のち雨
クリントンが世界の帝王になるのは問題だ。彼はわがままで自己中心的、人間的に卑怯で残酷で不道徳であると同時に、無能でもある。彼は世界を弱肉強食の無法地帯に戻しながら、愚かにも自国の牙や爪を捨て始めているのである。(『オーランド・センティネル』紙チャーリー・リース)
リース氏のこの痛烈なクリントン大統領への批判は、NATO軍のユーゴ介入が抜き差しならぬ人類への悲劇とつながっていくことを暗に示唆している。「口先ウィリー」ことクリントンは同時に、その不道徳ゆえに地球儀を抱えたまま地獄のただ中へ転落しようとしているのだ。アメリカ国民は国際金融マフィアに仕掛けられた絶頂景気を見抜くことができず、それをクリントンの功績だと錯覚しているがゆえに、不倫もユーゴ空爆も許してしまうという愚かな選択をしてしまった。そして今、ロシアが動き出そうとしている。これから入ってくるニュースはより緊迫した事態の連続をもって、どんなホラー映画もかなわない恐怖を与えてくれるはずである。
1999/04/18、日曜
薄曇り
偶然にみたNHK教育テレビ放映の『バイバイおばあちゃん・ソビエトロシアへの鎮魂歌』監督レベッカ・フェグ、制作パーイスタンス・オブ・ビジョン・フィルム(米1997年)は素晴らしいドキュメンタリー映画だった。ロシアの辺地に住むマリーナという一人の老婆にスポットを当てながら、レーニンからスターリン時代、そしてソ連崩壊の歴史を辿って当時の苦しかった生活を回顧して証言させている。気負いのない淡々とした流れの中で、インタビューに答える老人たちの様々な忍従の人生模様がくっきりと浮かび上がってくる。私はいつしか強く心を揺り動かされ、そして泣いていた。マリーナ婆さんの誕生日にカメラが入る。愛は救いですか?「私にはそんなこと分からないよ。愛は救いかなんて、あなたはどう?あなた自身はだれかを愛して救われた?愛した人はとうに死んだ。思い出しても寂しいだけ・・・」招かれたもう一人の老婆が言う。「1947年に結婚しましたが、数年後夫が死に、二人の子どもと残されました。それで、子どもを連れてこの村に移り住んだんです。その後、再婚することになり三人目の子どもが産まれました。再婚した夫も今はもう亡く、子供も二人先立ちました。最初の結婚で生まれた息子は25歳の若さで死にました。末の娘は1985年に自動車事故で死亡、その際、私の孫まで道連れに・・・一人残った娘は離れて暮らしています。それぞれ事情をかかえているけど、夫や子供がいる人はそれだけでも幸せね。良くないことばかりでも、つらい毎日でも、何のために苦労しているか分かるもの」そして老人たちは歌う。
マリーナの誕生日にケーキを焼いたわ。小さくても、飾り気なくても、それは立派なケーキ。ケーキが焼けたわ。さあ、みんなで祝おう。長生きしてね、マリーナおばあちゃん。いつまでもお元気で。
さらにインタビューは街頭の老人たちに向けられる。ソビエトでの女性の社会的地位は?「女性扱いはされないの、馬なのよ。(爆笑)毎日、重い荷物を下げて歩くもんだから、腕がサルみたいに伸びちゃうの」「ロシア女性は昔から思いやりを学びました。ところが今世紀、共産主義建設の時代は、この女性の美点を否定し、排除しようとしたのです。思いやりは忌むべき行為だと教わり、女性としての美点を奪われかけたのです。でも失いはしなかったわ」そして取材中にマリーナばあさんは他界する。映画のラストに歌が流れる。
凍てついた荒野、ホコリまみれの道。寒さに震え、雑草だけが生い茂る。私の運命はいずこへ続くのか、この荒野で命果てるのか・・・
1999/04/17、土曜
晴、微風
昨夜のフジテレビ「20世紀最後の真実怪事件」はダイアナ妃謀殺説を裏付ける情報部員の新証言、御巣鷹山におけるJAL123便墜落事件の謎に迫った興味深い番組であった。ダイアナ妃と婚約者ドディ氏が乗った車が事故を起こしたトンネル内でパパラッチが放ったとされるフラッシュは、その目撃者と元英国情報部リチャード・トムリンソン氏の証言から、実際にはカメラのフラッシュではなく「セキュリティ・ブラケット」と呼ばれる強烈な閃光だったとされる。つまりその強烈な閃光によって運転手が一時的にれたゆえ視力を奪わの事故だというのだ。その裏付けとなる資料や実験を通して改めってきた。て謀殺説の信憑性が浮かび上が
また歌手の坂本九ちゃんも乗っていたことで有名な昭和60年のJAL123便墜落事故は、事故調査委員会の「圧力隔壁破壊説」では高度20000フィートでの機内で呼吸は3~6分ほどしかもたず、40分も旋回飛行していたことからも事実ではないとされる。なのになぜ調査委員会は圧力隔壁破壊に固執し結論付けてしまったのか?これをさらに推理して、実は自衛隊の標的機「ファイアー・ビー」が123便の垂直尾翼に衝突したのだとする池田昌昭氏の説がより真相に肉迫してくる。番組ではほかの事件の謎にも触れているが、私が以前から疑問に思っていたダイアナ妃と123便の二つの事件に絞って考えをまとめてみたい。
今月3日、ニューヨークのブルックリン橋でスタントマン志望のプロボクサーが転落死するという悲劇が起こっている。このプロボクサーはロバート・ランデッタ氏(27)で、89年にリングデビューして連勝していたが二年目のジンクスで落ち目となる。そこでスタントマンの転身を図ったランデッタ氏はテレビ会社や映画会社にアピールするため5本のブルックリン吊り橋を4時間で登るという記録に挑戦した。開始してから15分後、観衆に手を振っていたランデッタ氏はバランスを崩して75メートルの高さから落下してアスファルトに叩きつけられた。氏が4時間で5本にこだわったのはテレビ局がプレッシャーをかけたせいではないか?と噂されている。
1999/04/16、金曜
薄曇り、無風
スプリングマイヤー氏は何処に潜伏しているのだろう?氏は数週間潜伏するとのことだが、そのことは最悪の事態が数週間のうちに起こるということだろうか?氏はカリフォルニア州サンディゴの秘密会議においての機密情報を得たのだが、そのサンディゴにもロシアのミサイル攻撃の照準が合わせられているという。4月3日までに退避命令が下ったというから、すでに彼らは安全地帯に避難済みであると思われる。ペンタゴンが管理する地下都市への移住も行われているかも知れない。しかしながらマスコミにはこうした情報が一切流れていないというのも不気味である。それは徹底した機密情報ゆえなのか、まったくもって不可解な、そしてあまりに深刻な内容だけに戸惑うばかりだ。氏は「ユーゴの悪天候のためにシナリオが数日間ずれた」と書いているが、その数日間の遅れが何の意味をもつだろう。AH64アパッチ対戦車攻撃ヘリなどは全天候型兵器であってあまり悪天候には左右されないはずである。また氏は「ロシアは彼らの緊張を表さないために、彼らの真の緊張を隠す笑顔の仮面をつけるだろう。けんか好きなフルシチョフのような人物ではなく、彼らの獲物に気取られないために穏やかで感じの良い人物を前面に押し出すだろう」とも書いている。この人物とはおそらくミロシェビッチと交渉したエフゲニー・プリマコフ首相のことだろう。当時の写真には満面に笑みを浮かべた両氏が手を携えて写っている。これらをNATOは全く無視して空爆を続行しているわけである。ユーゴ空爆をNATOに指示した日、クリントンはゴルフを楽しんでいた。モスクワのアメリカ大使館にペンキが投げつけられた時にも、NATOは意に介さない態度でそれを無視してきた。モスクワ大学のある講師は「怒りがひしひしと伝わってきた。今はアメリカが威張っているが、いずれロシアの核ボタンを押して思い知らせてやる」との怒りをぶつけている。こうしたロシアの怒りをスプリングマイヤー氏は真摯に受け止め「我々アメリカはロシアに恥をかかせた」として「このシナリオは第三次世界大戦へ導くだろう」と結論付けるのである。かつて松本清張は珍しく核戦争を想定した小説を書いたことがあった。誤動作で太平洋を越えてくる核ミサイルを、ハワイの迎撃ミサイルが撃ち落とし日本国民が拍手喝采で喜んでいるラスト、実際にはもう一発の核ミサイルが日本に向かっていたという筋書きだった。日本の上空の黒い点がみるみる間に大きくなった、というところで終わるのだが、その黒い点がアメリカ合衆国の上空に現れる日・・・考えたくない現実が否応なくやってくるのだろう。「なんだ、何も起こらないじゃないか」と思うことができるほど平和な世界であるなら、こんなに危機感を抱くこともないだろうに・・・
「このままでは済まされない、しかるべき処置を取らせて貰うかも知れない」そう社会保険の職員に言われたと落胆して帰ってきた妹「もう行きたくない」と言う。さっそく抗議の電話を入れる。「この不景気に何とか工面して払ってきた誠意をくんでほしい」という私に「不景気で苦しんでいるのはアンタだけではない。他の人はきちんと払っている」との返事だった。「私の言いたいのはもっと人間らしい扱いをしてほしいと言うことだ。こっちの事情も考えてもらいたい」と言ったら「人間らしいだって?払うものを払わずに言える言葉じゃないだろう」と反撃された。「だから払ってきたじゃないですか」「それでは足りないと言ってるんだ。延滞金でもっと苦しくなるんだよ」「それ以上工面するのが困難な状況を汲み取ってほしい」「それが出来ないなら差し押さえするしかない」「ほう、差し押さえですか。そこまで言いますか?」「言うんじゃなくて、やると言ってるんだ」「じゃ、やってもらいますか」売り言葉に買い言葉、つい興奮して電話を切ってしまったが、某事務所にことの成り行きを報告、相談した。「彼らが差し押さえをすると言っている以上、やりますね。手形を押さえられて倒産した会社もありますから、注意した方がいい。即刻、手を打つべきです」とのこと、やはり動転する心は抑えられない。折り返し社会保険事務所に電話、支払いを銀行振込にする場合の手続きをたずねる。「払う気になったようだね」と電話口で冷笑している様子、「払う気になったというより、払わされている気分ですよ」と言うしかなかった。最後に追い打ちをかけるように「今度は上乗せしてお願いしますよ」と言われる。悔しい・・・向こうには御上の威光があり、権力の傘の下で強権的な物言いも出来るのだ。こっちは何があるというのだろう。何も無い。それまで何もない方が気楽でいいと思ってきたが、実際には税金という借金が少しずつ蓄積されていたのだった。何も無いどころか、税金があったのだ。こうして生活費を削るようにして払い続けた社会保険が、私が老いた時にその保障が果たして実行されるのかどうか・・・それが財政的に困難になっている事情がより不安と憤りをつのらせる。この日本のという国には国民の困窮に耳を傾けるだけの心もなければ意志もさらさらないようだ。父と母の遺影の前で悔し涙の混じった酒を飲みながら「今日は差し押さえされるところだったよ」と独り言をつぶやいていた。まだまだ潰されるわけにはいかない。折しも車の仕事が増えてきて、大型バスなんかあると知人から「この不景気に随分儲けているようだな」などと言われる。そんな時には「ああ、儲かって困っている。何なら少し融通してやろうか?」などと冗談のひとつも言ってしまう。こんな冗談を死ぬ間際まで言い続けていられたら、それはそれで幸福だったと思い込もうとしている。
1999/04/15、木曜
晴、風強し
スプリングマイヤー氏がユーゴ空爆の情報に絡んで、それが第三次世界大戦に誘導されたものだとする内密の情報を入手、そのリポートを公開しました。氏本人はこれを切迫した状況と深刻に受け止め、アメリカがロシアの核ミサイルで攻撃されるのも間近として地下に潜伏しました。よって連絡も途絶えております。真意のほどは各自が氏の報告から読みとるしかないようです。マスコミがこのような報道を全く流していない以上、私としてはミサイルの標的とされる都市の映像をリアルタイムで流すことしかできません。仮に今すぐ非常事態が勃発することはないにしろ、緊迫している世界情勢を考えれば、これからいつ起こってもおかしくはないこととして、このことを重く受け止めております。権力者たちが政治的にであれ、戦争を正当化するいかなる理由にもならないと思います。以下、木村氏の韋駄天資料室にあるリポートです。
1999/04/14、水曜
晴時々曇
昨夜は目眩との葛藤であった。寝入りばなに目眩がするので始末が悪い。いつでも電話をかけられるように手元に電話機を置きながら、目眩の原因を考えていた。まずは熱い風呂に入るという習慣、汗が流れるまで入らないと気が済まないことがあげられる。この悪習慣をやめることにした。次ぎに思い当たったのが、足の故障以来、殆どトレーニングをしていなかったこと。足を庇うあまり、全身の筋肉が萎えてしまい、体力が弱っていたことだった。これは上半身を鍛えることにして25キロのダンベルを使いはじめた。いずれバーベルで全身を鍛えることにする。そして最大の理由は、母の死の記憶を引きずってきた数年間のマイナス思考だと思い至った。末期ガンの母に「母ちゃんが死んだらオレも後を追うからね」と宣言し、その母の死後も生きてきた自分への負い目があった。生きていることに意味を見いだせない自虐の日々が、少しずつ命を蝕み続けていたのかも知れない。これまで仕事でも危険な目にあいながら生きることを実感してきたのとは逆に、不景気で現場の仕事が無くなったことと相まって、最初から生きる気力を無くしていたことに気付いた。思えば足場から転落し、右腕が動かなくなった時にも「まだ左手がある」と執念を燃やして働いてきた時もあった。タンクの中で防毒マスク一つで真っ黒になりながら働いてきたのは何だったのか?その仕事が無くなったらデスクワークもあるではないか・・・さまざまな想いが脳裏をかすめていった。時として死は魅惑的な様相で人を誘惑することがある。もう頑張らなくてもいいのだと、深い眠りにいざなう甘い香りを放つ。私の目眩はそんな死神が用意した甘美な麻酔なのかも知れない。確かであるはずの物象が突然ゆらゆら歪む目眩の中で、電話に向かう私の手さえもスルリと突き抜けていくような錯覚は、やはり死神のいざないであったのかも知れない。昔の人は「一寸先は闇」という諺でとらえどころのない人の運命を表現したが、実際には「一瞬先が闇」と言い換えた方がいいだろう。たとえ一瞬先が闇であれ、人は死ぬまで生きる存在であることは確かであるようだ。つまり生きている間は「死んでたまるか」という本能が何より優先する、それが命の本質でもあるということだ。それは余命半年を宣告された母の口癖となっていた言葉でもあった。ガンに倒れて死んでしまった母ではあるが、生きる本能を死ぬまで保ち続けていたことで母はガンに打ち勝ったのではなかったか。手術台に向かうたびに私に見せてくれた母のVサインは、あらためて今の私に生きることの意味を教えてくれている。人は死そのものを恐怖するのではない、死を恐怖するそのことを恐れているにすぎないのだと・・・
1999/04/13、火曜
曇
真夜中0時頃、突然強い目眩に襲われる。電話で救急車を呼ぼうとするが、視点が定まらず電話番号を間違って押してしまう。少し落ち着いてから何とか妹夫婦の電話番号を押すことができた。事情を話しながら深呼吸を繰り返す。万が一の場合は妹の方から救急車を呼んでもらうことにして、とりあえず様子をみることにした。背筋の圧迫感もある。ひたすら呼吸を整えることに専念、心を陽気にしようとスナックで歌を歌おうとするが深夜のため閉店していた。みんな眠っている時間帯に、自分は死の恐怖に脅えている。断続的な軽い目眩に不安を覚えながら、ひとり酒を飲んで歌い「このまま死ねたら本望だ」と思い込もうとしていた。目眩と酒の酔いが混濁して区別がつかなくなるまで・・・
1999/04/12、月曜
雨のち曇
昨夜の開票発表につき合っていたせいか今朝は体調がすぐれず。後頭部から首筋にかけて圧迫感があるが、これはいつもの高血圧のせいだろう。炬燵に足を突っ込んだまま眠ってしまう悪習慣がより体調を崩しているのかも知れない。以前ならトレーニングすれば回復した体が、この頃はそのトレーニングさえやる気が起きない。25キロのダンベルと40キロのバーベル、エキスパンダー、サンドバック、鉄下駄などの運動器具もここ数年使われずに埃をかぶっている。ブルース・リーが登場した頃はそれにヌンチャクが加わっていた。それが今では酒とタバコを摂取しながら本に埋没する不健康な生活が続いている。惰性そのものというよりほかはない。高い足場の上で仕事をしてきた現場の感覚も薄れている。不景気で仕事がない、と言ってしまえばそれまでだが、やはり体調が悪くなると危機感に襲われる。暖かくなってきたことだし、トレーニングを開始して生活のリズムを整えようと思うが、かつてのように激しいトレーニングはできない。何より精神面での鍛錬が先決かも知れない。自分の価値観を何処に見いだせばいいのか?自問自答の日々はまだまだ続きそうである。
朝食(バナナ一本)、昼食(納豆・胚芽米・ダイコンの味噌汁)、夕食(雑炊・ブロッコリーのマヨネーズあえ)
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昨夜のテレビ(知ってるつもり)で黒澤明監督の「七人の侍」での様々なエピソードが紹介されていた。私もこの黒澤作品で映画の醍醐味と面白さを知った。命を削るようにして創り上げられた映画の完成度と素晴らしさは、人それぞれの生き方にも多大な影響を与えるものであることも知らされた。夢の演出に生涯を送ることのできた黒澤明氏は、やはり幸せな人だったのではないかと思った。 |
ドキュメント99ではホームレスの親子を追跡した記録を放映していた。冬の路上で肩を寄せあうようにして眠る老いた父親とその息子・・・そこには通り過ぎる無関心な人々の冷たい風だけが吹いている。マザー・テレサはそんな無関心な日本人に対して「誰にも愛されないという不幸ほど残酷なことはない」として痛烈な批判を浴びせていた。最も気になったのは、そのホームレスの親子があるボランティアに助けられ、施設に入所したところからであった。この番組を観ていた視聴者の多くは「これで助かった」と安堵の胸をなでおろしたに違いない。私もそうだった。しかし現実は意外な展開を示し始める。その親子が「一緒の布団で寝ていた」という理由で施設から追い出されるのである。施設側の誤解がどんなに歪んだものであるかは想像がつく。別々の寝床を用意されていても、ホームレスでの寒さで肩を寄せあって眠ってきた習慣がそうさせたにすぎないのだ。それを、性的な歪んだ邪推によって排除するという行為は暴挙以外のなにものでもあるまい。欧米では親子が挨拶代わりにキスを交わし、肩を抱き合うスキンシップが通例であるが、それを汚らしい性的な行為と見る人は殆どいないと思う。思えば現代の日本人は人と握手するのでさえ拒む潔癖性が蔓延しているようである。老人が通りかかると鼻をつまんで迂回する若者の話も聞いた。一連の少年によるホームレスの人々への「バイキン狩り」事件も象徴的にそれを物語っている。今も路頭に迷って徘徊するあのホームレスの親子は、冷たい世間の視線の中を歩き続けているに違いない。 | ![]() |
1999/04/11、日曜
今日は地元の県会議員投票日、応援してきた候補者が上位で当選した記念すべき日となった。妹の結婚式では仲人を引き受けていただき、さまざまな相談にものってくれた庶民的な人格者である。権威を傘にきることなく、決して威張らない気さくな性格と、困っている人には徹底して相談にのってくれる正義の人でもある。地元の日産サニー殺人事件では冤罪の疑いありとみるや、裁判だけでなく、その家族の面倒までみてしまう。原発や廃棄物処理問題では、その堂々とした抗議ぶりを幾度となくテレビで拝見してきた。数々のエピソードもあるが、とりあえず今夜は彼を心から祝福したいと思う。まだまだ世の中も捨てたものではない。
1999/04/10、土曜
1999/04/09、金曜
貧乏生活は変わらないが、昨日からにわかに仕事が増えてきた。この前までは仕事が皆無で会社存続の有無まで追いつめられていたのに、今は嘘のように多忙になってきている。むろん明日のことは分からないが、人間の杞憂とは別のところで人生流転の意志が決定されていくような気がしてならない。なるようになっていく、ということであろうか・・・なるようにしかならない人生のことも常に念頭に置いておく心がけが必要なのかも知れない。目先の変動に敏感に反応しては一喜一憂して早計な判断を下すことの危険を感じている。特に経営者はそうした罠に陥りやすい立場にある。会社を倒産させるほど容易いことはない。経営者の一言で一瞬にして会社は消滅する。仕事が無くなるたびに周囲の焦りが伝わり、それが経営者の動揺となって決断を急いでしまいかねない。そういう局面が幾度となく繰り返されているのが今の現状である。そんな時に私は『人間なんてたかだか百年も生きられない存在だ』と思うようにしている。人間の寿命が尽きれば、その人にとっては会社もまた消滅する。会社は生活の糧の媒介として認識すべきだと思うのだ。会社が苦しければ苦しいなりに経営者の生活レベルを落としていけばいい。それでも倒産の憂き目にあうなら仕方がない、その事実を受け止めるだけだ。仕事が途絶えるたびに、経理を担当している妹から「仕事がなくなったけど、どうするの?このままでは会社潰れちゃうよ」と責められるが、「慌てるな」と言うしかない。よくもこんな時にノンビリしていられると、追い打ちをかけられながらノイズをシャットアウトするように自分の殻に逃げ込む。ところが一転して仕事が舞い込み多忙になると「仕事が間に合わない、どうするの?」とまた責められる。苦労が絶えないのはそのことで、目先に振り回される人間の逡巡が苦労を自ら招いているようにしか思えないところがある。
ジンチョウゲの花がひとしきり香りを放った後で、今度は椿の花が咲こうとしている。注意深く見ていると、それぞれの木々には芽がいっぱい付いているのが分かる。彼らはあの寒く長い冬にじっと耐えながら、春を感じた今、いっせいに芽を吹き出していたのだ。やがて彼らは若葉を繁らせ、花を咲かせ、実を結ぶという一連の成育過程を通っていくことになる。何もかも枯れ果てたように思える冬の間に、彼らはすでに準備をしていたのだ。このところの不景気の冬の時代には、会社もまた枯れたようになるのは仕方のないことだ。その冬に、いずれは開花するための準備期間として会社もあるのだと、思うようになりたいものである。彼ら植物たちは太陽の光と、水と、大地が存在する限りにおいて何ら他に欲することなく生きている。しかも一カ所に植え付けられたら最後、そこから一歩も動くことなく・・・人間はどうだろう?一カ所に留まりながら太陽の光を満喫して花を咲かせる彼らと、金融システムに絡め取られながら必死に生活の糧を保守しようと絶え間なく動く人間たち、しかも我々は耐えまざる欲望ゆえの格差にも葛藤し続けている。世界から戦争が消えることはなく、多くの難民たちが流浪の旅を強いられている。大地は踏みにじられ、荒廃の一途を辿っている。人よ、知らずして踏みつけている野辺の小さな花の存在に気付けと、ささやく声がする。その小さな花が宇宙へと昇華する隠された神秘のことを、テニソンは看破していた。
塀の裂け目に咲く花よ。汝を裂け目より引き抜きて、われ汝を、根ごと全て、ここわが掌中に握りけり。小さき花よ・・・されどもし、われにして、根ごと全て、全ての中の全てなる、汝の何たるかを知り得なば、神と人との何たるかをば、われ知らむ
1999/04/08、木曜
外なる物象と内部の同一性
「われわれの見る事物は」と、ピストーリウスは小声で言った。「われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独特の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。シンクレール、大多数の人々の道は楽で、ぼくたちの道は苦しい・・・しかしぼくたちは進もう」(ヘルマン・ヘッセ著『デミアン』「第六章・ヤコブの戦い」149頁より)
デミアンとは悪霊にとりつかれたもの、デーモンの意味合いがあるという。ヘッセは本書の中でシンクレール少年の心の葛藤を通じて、謎の少年デミアンを登場させ、悪魔をも内包する神聖なるものへの希求を表現しようとしている。それは西洋文明の性善説、性悪説を凌駕する、ヘッセの東洋思想の憧憬でもあり、また挑戦でもあると考えられる。さらに孤独な音楽家ピストーリウスの登場は、シンクレールをより深い精神世界へといざなっていく。唯心、唯物といった隔たりを越え、外部物象と内なる心との同一性を認識することで自らの運命を受け入れていく。ある意味でヘッセは人類の意識変革の到来を予見しているとも言える。
1999/04/07、水曜
昨夕、友人と久しぶりに酒を酌み交わす。話の過程で「日本も核ミサイルを装備するべきだ」と友人が言いだす。どうやら本当にそう思っているらしい。これまで何度も原発の危険性を話してきた私だけに、核ミサイル待望論に至ってはもはや言うべき言葉も失ってしまった。「どうせ原発なんかなくならないんだから、おまえ一人で反対したって無駄というものだ」・・・いつしか友人は帰り、私は言え知れぬ空洞を味わっていた。心を許してきた友人だけに、内心ショックだった。
1999/04/06、火曜
激化するコソボ情勢を考える
コソボ難民が83万人を越えたという。クリントン大統領は地上部隊の派遣は見送っているものの、空爆は引き続き続行するという強硬姿勢は変わらないようだ。ユーゴを擁護する国はないと言われている最中、ミロシュビッチ大統領はますます孤立し、かつ自暴自棄な暴挙に出ているようにみえる。しかしながらこれほど民族間の対立を悪化させた背景には、その憎しみを煽るようにして武器を送り込んできた欧米の諸大国の存在があったからではないのか。それは近所同士の些細な諍いに武器を与えるようなものである。ロシアは一応ユーゴを擁護するような立場をとってはいるが、そもそもそのロシアも大量に武器をユーゴに送り込んできた張本人だ。それが少なからずロシアの軍需産業を潤わせ、さらにアフガン撤退であぶれた兵士を傭兵としてユーゴ国境に潜伏させてきたのではないかという懸念がある。市街地を破壊してきたミサイルは果たしてセルビア軍だけのものであったのかどうか?その疑問が大きな鍵となる。なぜなら当初のミサイルは対立する民族双方に向けられていたからである。
そもそもユーゴ内戦では民族間の紛争というより、使われている武器による勢力争いでもあった。ドイツとフランスの武器による殺戮から、アメリカ製の武器がどっと入り込み、それに対してロシア製の武器が応戦してきた。その欧米諸国が今、コソボ難民を救おうと一大キャンペーンを世界に呼びかけている。何という矛盾、何という偽善であろうか。マスコミもそれに呼応しながら、悪漢ミロシュビッチをさらに浮き出させている。まさにミロシュビッチこそ諸悪の根源であり、それを叩きつぶすことによって勝利とする似非平和思想が浸透している。92年初頭の南米チリによるFAMAE(国営兵器会社)の11トンにも及ぶクロアチアへの兵器密輸、93年8月のチェコとオーストリアによるパナマ経由の武器密輸、欧州兵器メーカーによる南米ボリビア経由の兵器密輸などなど・・・発覚されない密輸を含めると膨大な武器がユーゴに集中していったことが分かる。クリントンは言う「バルカン半島で残虐行為を見過ごせば、さらに残虐行為を招くだけだ」と、しかし、そうした残虐行為を仕向けていったのは誰なのか?そのことを抜きにして今度のユーゴ戦争は語れまい。いかなる戦争においてもそれを正当化する指導者は独裁者であり、人類の敵であり、為政者の何ものでもない。今回流された民間人のおびただしい血の流れは、そのまま我々人類の行方を暗示しているように思えてならない。このユーゴ問題は追って詳細に検証する必要がある。
1999/04/05、月曜
まだ肌寒さが残るが、桜は満開となった。この季節になると思い出すことがある。私の少年期はいつも父の元で働く職人たちの群れの中にあった。花見には桜が咲き乱れる松ガ丘公園という市内の小高い山にくり出し、そうした職人たちの酒盛りが始まる。そして喧嘩もまた始まる。最初はほろ酔いで機嫌がよくなった職人たちは通りがかりの人々に愛想良く酒をすすめるのだが、酔いが回ってくると自分が酒をすすめた相手を忘れ「おめえは誰だ?」となる。「誰に断ってオレたちの酒を飲んでいるんだ」と啖呵を切った瞬間から騒然となり、収拾のつかない喧嘩になる。その筆頭株がKという職人で、一升瓶をそれぞれ両手に持ってかち割って凄むという暴挙に出る。警察沙汰になる前に、私の父が職人を叱りつけて収まるのだが、少年当時の私は花見には喧嘩が付き物なんだという意識を植え付けられたようだ。それが行事でもあるかのように私は思っていた。昨今は警察の監視もあって花見での喧嘩は殆どなくなった。今ではそれが当たり前だと思うし、花見は和気藹々として楽しむべきものであることは言うまでもない。あの当時、喧嘩の先頭に立っていた職人Kは、今では自宅で介護される老人の身となっている。自分ではまだ現役だと思っていて、このところの不景気に仕事がないことを嘆いている。人の命も、桜の花が散るように消えていくのだろう。毎年深夜、私は散ったあとの桜の花弁を踏みしめるのが習慣になってしまった。人々の宴の跡を想像しながら、ひとり佇んではボンヤリしている。その時、私は同時にあの当時にタイムスリップして職人たちの花見の様子を思い浮かべている。そこには天上からのスポットライトで照らし出された父も母も居て、散りゆく桜の中で笑っている。やがて降りしきる桜吹雪はそうした残像さえも徐々に消してゆく。牡丹雪の降る冬の日に際限なく空を見上げていた幼い頃のように、天上からの桜吹雪に上昇していく心を感じている。
1999/04/04、日曜
NATO軍によるユーゴ空爆が続行される中、奇しくも今日はNATOが発足した日でもありました。今度の空爆では難民も相当数出ているようです。着の身着のまま、故郷を追われて行くあてのない旅路を余儀なくされる彼らの不安のことを考える時、それを他人事としてかえりみない風潮に底知れぬ虚無感を感じます。ここにきて、コソボから流れる難民をマケドニアが拒否したいというニュースも伝わってきています。同じ人間として、いったい何がそれを阻むのでしょう?アメリカは湾岸戦争の時のように、遙か上空からのミサイルのピンポイント爆撃の映像のみを放映しながら、最新兵器の威力を誇るようなことをしている。そこには破壊される建物の中に存在する人の命の悲鳴は全く伝ってこない。瞬間的な死に訪れる家族との永遠の別離、恐怖、ひとりの人間の命に関わる思い入れなくして語れない戦争のことを、私たちは同じ生身の人間として受け止めるべきではないのか・・・
1949年、NATO(北大西洋条約機構)が成立しました。この時にはアイスランド・アメリカ合衆国・イギリス・イタリア・オランダ・カナダ・デンマーク・ノルウェー・フランス・ベルギー・ポルトガル・ルクセンブルク(五十音順)の12ヶ国が調印し、同年の8月24日に正式に発足、その後ギリシャ・スペイン・トルコ・西ドイツが加盟し、総勢16ヶ国となりました。国際連合憲章に基づき、最高司令官の下に北大西洋軍を設置し、集団で防衛する事が目的です。ちなみにNATOは、「North Atlantic Treaty Organization」の略称です。(メールマガジン『社会人の知恵袋』より)
この国の過剰情報化は、おそらく、過剰商品化、過剰消費化同様に、人間本来の身体システムと身体のリズムに合わないのだろうといまでも思う。緩慢な、生殺しの暴力に、それは似ている。よしや生臭いのであれ、埃臭いのであれ、すえているのであれ、死臭を含むのであれ、私は人の世界の風らしい風に、空調の空ではない、まっとうな風に当たりたくなった。体中に詰まったデータやら数値やら分析情報やらをことごとく吐き出して、窒息していた感官のすべてを蘇らせたくなったのである。
辺見庸著『もの食う人びと』あとがきより
1999/04/03、土曜
1999/04/02、金曜
アメリカで猛威をふるっているウィルス『メリッサ』が日本に上陸するのも間近だと言われている。『メリッサ』とは何なのか? [Robert Lemos & Lisa Bowman,ZDNet/USA] のレポートより引用した。
26日にMelissaウイルスがインターネット上で発見されてから,企業IT管理者は,その繁殖を阻止しようと,前述のSubject行を伴った電子メールにフィルターをかけるなど,必死の防護策を講じてきた。だがこうしたフィルターを通過してしまう「新種」の出現により,彼らは防護策を見直す必要に迫られている。しかも,より致命的な破壊力を持つ「Melissaクローン」を作ることも可能だと,セキュリティの専門家は指摘する。中でも,電子メール仕様「利用して,あらゆる電子メールプログラムの機能に入り込めるMelissaの変種を作るのMAPI」をは難しいことではないという。
詳細・ウィルス『メリッサ』
1999/04/01、木曜
う~む、日記帳の始めは理由もなく書くことがためらわれる。
とりあえずは三月末日の日誌でごめんなさい。
↓
まだ未完成ですが、ユーゴ空爆の略図を作成しています。