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【トピック】
私は皮膚が溶けた患者を治療した
=ファルージャの化学兵器 [イラク情勢ニュース]
---阿修羅戦争掲示板より、投稿者white
 アブ・サバハは何か異常な事態を見ただと気がついていた。昨年の11月、バグダッド大学のグランドにできた難民キャンプに座って、ファルージャから逃れてきたり排除されたりした家族のために働いているとき、ファルージャのジョラン地区から来た住民が、もっとも激烈だった戦闘の模様を目撃したのだと話してくれた。

 「彼ら(米軍/訳註)はキノコ雲のような煙をあげる奇妙な爆弾を使った」と彼は話した。「それらの爆弾の破片は大きな火の玉となって、火傷したところに人々が水をかけたあとでも、皮膚のうえで燃えつづけていた」のを彼は見たのだった。

 エンベッド取材(米軍への同行取材/訳註)をしてない1人のジャーナリストとして、私はファルージャから追い払われた住民たちと話すのに何時間も費やした。ファルージャ郊外のサクラウィヤ地区で働いているファルージャ出身の医者は、米軍による包囲期間中、「皮膚が溶けてしまった」犠牲者を治療したことを話した。

 話をすることへの報復を恐れて、彼は名前をアハメド医師とだけ簡単に紹介するように求めた。「私がみた患者や遺体は明らかに炎をだす兵器で負傷していて、他には榴弾(りゅうだん)による負傷はなかった」と彼は言った。
 レバノン放送公社(LBC)の仕事をしていたフリーランスのカメラマンであるブルハン・ファサア氏は、戦闘がはじまって最初の8日間のさまを現地で目撃した。「いたるところでクラスター爆弾(焼夷弾もその一種/訳註)を目にしたし、弾丸を受けずに燃えて死んでいる多くの遺体を見つけた」と彼は話した。「だから彼ら(米軍)は明らかに燃える兵器を使っていたんだ、特にジョラン地区では」。

 ファサア氏は、自分の写真の2〜3コマをロイターに売ったものの、LBCの方は彼の提供するテープ(ビデオ)を放映しようとしなかった。彼は米軍兵士から撮影器具を取りあげられる前に、幾つかのテープを市外に密かに運び出していた。

 焼夷弾の使用を秘密にしようとする米軍の企みとおぼしき場面を目にした者もいた。「アメリカ兵がファルージャのそばを流れるユーフラテス川に相当数の遺体を投げこんでいた」−−市外に追放された住民の1人アブドル・ラザク・イスマイルが説明した。

 2004年12月までファルージャで働いていたアハメド医師は、「ジョラン地区の中心部では、米兵たちが爆撃された民家をまるごと除去しようとしていて、その一方では、ほとんどの被弾した民家はそのまま放置されていた」と語った。

 彼はブルドーザーが土壌をかき集め、さらにトラックに積んで運び出すところを見たと言った。米軍が「特殊兵器」を使用した特定地区では、爆弾が破裂した現場ごとに200平方メートルの土壌が除去されていたと彼は言った。


▲「イラク駐留米軍はファルージャで化学兵器を使った
イタリア国営放送がドキュメンタリーで証拠ビデオを放映
---暗いニュースリンクより

イタリア国営放送(RAI)で、恐怖のドキュメンタリーが放送された。かねてから噂のあった、米軍によるイラク・ファルージャ大虐殺の実体を伝える衝撃の映像だ。ドキュメンタリーのタイトルは『ファルージャ:隠蔽された大虐殺』。フィルムは以下リンクで見ることができる。(訳注:虐殺死体がそのまま放映されているので注意すること)

同ドキュメンタリーによれば、米軍が使用したとみられる武器は、白リン弾(white phosphorus)MK-77焼夷弾(ナパームの後継武器といわれる)。白リン弾は第二次大戦中、米軍の沖縄上陸戦において、日本軍の地下壕攻撃の際に使われている

ところで、この二つの武器の使用に関して、疑惑が最初に伝えられた直後の2004年12月に、米国務省は公式発表で非常に巧妙に説明している。その主張を簡単にまとめると以下のとおり:

  • ナパームやそれに類する武器を敵軍に対して使用することは国際法で禁止されていない。従って、2003年のイラク侵攻開始時に米軍がフセイン軍に対してMK-77焼夷弾を使用したが、違法ではない。(napalm or napalm-like incendiary weapons are not outlawed. International law permits their use against military forces, which is how they were used in 2003.)
  • 米軍はファルージャ攻撃ではMK-77焼夷弾を使っていない。(no Mark-77 firebombs were used in Fallujah)
  • 白リン弾は、通常照明弾として夜間の戦闘で使用され、それ自体違法ではない。ファルージャにおいて、米軍は非常に慎重に白リン弾を用いており、敵に直接浴びせてはいない。(Phosphorus shells are not outlawed. U.S. forces have used them very sparingly in Fallujah, for illumination purposes. They were fired into the air to illuminate enemy positions at night, not at enemy fighters.)
おわかりだろうか?米政府によれば、MK-77焼夷弾も白リン弾も「適切に使用された」というわけなのだ。「どうか安心して、違うチャンネルをお楽しみください」といわれて、アメリカではメディアも国民も納得してしまっているご様子なのである。

おそらく、今後の米国政府の対応は、アブグレイブ刑務所の虐待事件と同じように、「一部の現場兵士が暴走した」で片付けるつもりなのだろう。


○訪日中のブッシュが金閣寺あたりを散策して放った言葉「実に平和だ」は、実に的を得た強烈な皮肉にしか聞こえなくなるくらい、米政府が認可したであろうところの白リン弾使用惨事である。合法化される国家犯罪の最たる雛形として、これらは末代まで語り継がなければならない。ブッシュの口をついで出る「平和」のなんと空虚に響くことか。なんという欺瞞であるか・・・そのブッシュの唇から連綿と滴り落ちる血糊を見よ。




ブッシュとコイズミの夫婦漫才 1
---きっこの日記より
ニポンを食い物にしてるクセに、平然とやって来た厚顔無恥なブッシュは、愛犬のコイズミを連れて、金閣寺でお散歩をした。それで、その映像をニュースで見てたあたしは、あまりのコイズミのバカっぷりに爆笑しちゃって、飲んでたココアを噴き出しちゃって、スカートにシミを作っちゃっただろうが! by ネゴシックス‥‥なんてことも言ってみつつ、ニポンの恥、コイズミは、「今日はいい天気ですね」ってことをブッシュに伝えようとして、こうノタマッタのだ。

「いや〜今日はいい天気だね〜」って言ってからブッシュのほうを向いて、「ア〜‥‥ウ〜‥‥サン!」 そして太陽を指差して、「サン!サン!‥‥サン・オブ・カントリー!‥‥いや、カントリー・オブ・サン‥‥か?」

これが、一国の総理大臣の、しかも、アメリカを同盟国としてアガメタテマツッてやまない人間の英語力だとは、呆れ果てて何も言えなくなる。まるで、海外ロケに行った時の出川哲郎並みの英語力か、それ以下だと言えるだろう。こんなバカをニポンの代表にしとくから、アメリカは調子に乗ってナンでもカンでも無理強いして来るんじゃん。そして、この幼稚園児以下のバカ英語に対して、隣りのブッシュは、「このバカ、何言ってんだか分かんないけど、とりあえず、うなづいときゃいいか」って感じで、テキトーに首をタテに振ってた。

それにしても、いくらレイプ事件のホトボリを冷ますためだとは言え、一応はロンドンに留学してたワケだし、ロンドンじゃ一度も大学に行かずに連日SMクラブに通ってたんだとしても、SM嬢とのやり取りで多少は英語を話せるようになっても良さそうなもんなんだけど、太陽を指差して「サン!」って、お前の知能は昆虫並みか? 太陽を指差して「サン!」、犬を指差して「ドッグ!」、リンゴを指差して「アップル!」って、こんなことしか言えないで、何が「日米首脳会議」だよ? トットとお家に帰って、信子と積み木遊びでもしてたほうがいいんじゃないの?(笑)


【私的めもらんだむ】
○10時半、仕事の休憩時にコレを書いている。全身粉だらけ、靴も履いたままだ。足が腫れて靴が脱げないのだ。症状は悪化の一途を辿っているようだ。それに加えて寒さが身に染みて、絶望感をつのらせている。歩けないのに歩かねばならない、動けないのに動かねば仕事が進まない、悲鳴をあげながら何とかのた打ち回ってやってはいるが・・・これが限界・・・否、限界と云えるうちは限界じゃない・・・たった一人の戦争に自己葛藤する自分がいる。妹が来た。ほっかほっか亭の一番安い「のり弁」を頼んだ。腹ごしらえしてからまた仕事だ。悩んでいる暇はない。

○18時、今度は肘が腫れてきた。ここも数日前から痛かったのだが、今日は激痛に苦しむこととなった。これで足と手が不自由になったわけだ。それも痛むのは左側だけ、左手と左足・・・ちょっと横になっただけで激痛が走る。たまらんなぁ。仕事の方は16時で区切りがついた。何度か転倒しそうになりながらも乗り切った感じ。その間、火の気全く無し。ストーブに点火しようにも足が曲げられない。危険なので止めた。鼻水流しながらの作業であった。明日は仕上げに入る。慣れとは不思議なもので、不自由な体がいつしか普通に思えてくる。諦めない限り、工夫次第で何とか仕事は進むものだ。それでも痛みだけは我慢できずに、相変わらず悲鳴をあげての作業だった。さっき猫が数匹でディスプレイの上に乗り、思い切り転倒させてしまった。幸い壊れなかったが、転倒した瞬間にまた大きな私の悲鳴が響いた。それを元に戻すにも一苦労で、足と手を曲げるたびに激痛で悲鳴をあげる始末だ。かくして悲鳴の日々が続いている。


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