チョロ松が・・・変だ・・・よろよろ・・・痙攣したように・・・傾いて・・・歩いてる
ねえチョロ松、どうしたの???・・・どうしちゃったの?・・・さっきまでじゃらけていたのに・・・オレ、困るんだ・・・おまえが元気でないと・・・死ぬわけないよな・・・ふざけてんだろ?・・・冗談キツイよなあ・・・なあチョロ松・・・ふざけてんだろ?
午前0時20分
午前1時
今チョロ松は寝入っている。体温は正常みたい。定期的なクックッという小さな鳴き声、苦しそう・・・体の中の何かと闘っているんだ。神経がやられてるみたいで、起き上がるにも頭が上下に揺れて思うようにならないようだ。思い当たることは、午後マアがチョロ松の首根っこを咥えて、チョロ松が悲鳴をあげていたこと・・・叱り付けてやめさせたが・・・その後遺症かも知れぬ。しかし何が原因か本当のところは分からない。突然に・・・ということしか分からない。命に別状はないだろうが、正常に歩くことは出来ない、という障害を死ぬまで背負うことになりそうだ。朝になって、チョロ松が元気に飛び回っている、そんな奇跡を信じたい。今はそっと寝かしておこう。さっきは取り乱してしまった。何とか命だけは助かってほしい。母の最期を思い出した。このまま寝たきりになってもいいから、何とか命だけは助かってほしいと・・・願いは叶わなかったが・・・今、小猫チョロ松にかける願いも同じだ。
パーコが今いつものようにチョロ松の上に乗ってきた。苦しいのかチョロ松が抜け出そうとする。ああ駄目だ、チョロ松は痙攣したように抜け出して来た。何とかチョロ松を一匹だけにさせて寝かしてやるが・・・ああ今度はマアがチョロ松の上に・・・今夜は眠れそうにない。チョロ松の体は上下に大きく収縮を繰り返している。苦しそうだ。こっちも苦しくなる。いつもおっぱいをあげているミーコもチョロ松の上に被さってきた。これでは弱っているチョロ松が息ができない。どかしても、どかしても、ミーコはチョロ松の上に・・・ああ、どうしよう?
前にもこんな場面が何度もあった。延々と猫の看病をしながら、それでも死んでしまった猫ペロそして・・・名前忘れた数匹。助かった猫ナメジロウ、ブサイクなどなど・・・車に轢かれて死んだ猫、数知れず・・・だから外には出せない理由、それを人は可哀想と・・・私は動物虐待者か?今日は朝までチョロ松を撫でていよう。
ねえTくん、君と心許せる数人にだけは打ち明けたそれ以上の私の苦衷を・・・猫だけでない、あのことさ。ここでは一切書かなかった、あのことに比べれば、小猫の看病はまださほど辛くはないさ。それでも発狂しないでいられる私を、君は同情してくれたね。ちょっとばかり畏敬も混じってたのかな。でもね、私はあのことを境に、自分の何かが取り返しのつかないほど壊れたと、言いたいんだ。さほど強くはいられないもの、人間って・・・私は壊れている、イコール狂っているということにもなるだろう。私は一般人が云うところの正常ではないんだ。こうしてどうでもいいような小猫のことを、異常なほど心配しているのがその証拠さ。今日ね、工場で大きなミミズを見つけたよ。死んでしまっていたようだけど、そっと原っぱに戻しておいた。そして、私がやさしいばかりの人間じゃない、ひどく冷酷な裏の部分もあるってこと打ち明けたね。いわば私の命に内在する光と影、というわけさ。誰しもが潜在意識に内包するこの相対的な本能を、私も例外なく持ち合わせている。私が暴力団の事務所で半殺しの目にあったのも、私が恐怖に麻痺した狂った勇気を持ち合わせていたからさ。正常なら出来ないよ。猫がじゃれあって暴れている。傍らではチョロ松が苦しんでいるというのに・・・でも、それが自然なんだ。彼らは本能のままに、ただ生きることを生きてるだけさ。猫が羨ましいよ。私が何が云いたいのか、自分でも分からなくなっている。
早く夜が明けないかなぁ。朝日がチョロ松が差し込むと、とたんに元気に歩き出すんだ。そこに「チョロ松が歩いている」って、小躍りして喜んでいる私がいる。戻らない平凡は、戻せない時間、その時間を遡ってどうする?どうしたいんだ?って、いつも自問自答してる。今ね、チョロ松に触ったらもがいている・・・生きてるんだ。午前2時半。
「あのことのこと」って、こんなことまで書き出して何になるんだろう?とも思うけど、私的だということで自由気まま、勝手気ままに書いてもいいんじゃないか、というところで書いている。誤解されやすい書き出しだったが、誤解されたままでも別にかまわない・・・およそ矛盾するプライベートのこと。私ではなく、それ以外に傷つくであろう人物のことを考慮して肝心な部分は伏せておきたいだけ。でも、本当はそういうことのほうが大事だってこともあるんだ。それと同時に、表現者としての訓練という意味合いもある。「あまり生々しい他人の傷口は見たくない」って、一昨日ある人から云われたばかりだ。傷口とは云っても、この場合精神的なもので、でも考えようによってはより生々しいかも知れない。だから適当にボヤかしてもあるんだが、効果はなかったかな?第三者が読んでもおそらく何のことやら分からないだろうし・・・その曖昧さが狙いでもあるんだが。
チョロ松は相変わらず寝入ったままだ。この辺になると私も意識が朦朧としてくる。少し仮眠しよう。午前3時半。
午前5時
目覚めたらチョロ松が居るはずの場所に、マアが寝入っていた。慌ててチョロ松を探すが、チョロ松は私の足元でパーコやミーコと一緒居て、そして私が用意していた皿の水を飲んでいた。何という生命力!・・・だが異常な動きはそのままだった。凄まじいまでの「生きる」という命の本能を見せ付けられた思いだ。今はひたすらミーコのおっぱいを吸い続けている。これが生物本来の本能なのだと、悩んでいる暇などない命の原点を、小さな猫が当たり前のように具現化している。
かつて「こんな猫捨ててしまえ」と、それでも私が庇い続けた猫がいた。自動車に下腹部を轢かれてペッチャンコになった小猫のことだ。排泄物を垂れ流しながら、それでも前に進もうとするこの猫のことを、妹が覚えていた。「あの猫が死んだとき、あんちゃん声あげて泣いたから覚えている」らしい。生きている間、その猫はずっと私に寄り添っていた。足の不自由なことを忘れるほど活発な猫で、なんと私の肩によじ登るのが習慣になっていた。その一所懸命さが好きでずっと飼っていたのだった。いまチョロ松も懸命に生きようとしている。私は決してこの猫を見放すようなことはしない。私の足元で固まって寝ている猫たち、パーコ、ミーコ、エリ、マア、そしてチョロ松・・・バン(車)にはチロ、ミッコ、イチコ、ニコ、そして二階にはナメジロウ、ブサイク、茶々丸、ナメタロウ、クロベエ、ハナの計15匹がいる。みんな私の家族だ。もうすぐ夜明けだ。
午前6時半
お粥つくってて鍋焦がした。
午後3時20分
磨きを終え、ベースにサーフェサー吹き付けて、一段落。
小降りの雨、工場内は薄暗く、細かいところが見えなかった。
チョロ松を撫で、皿の水を与える。相変わらず小刻みに痙攣しながら、二口ほど水を飲む。体温も心なしか下がってきているようだ。何とか生き抜いてほしい。
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