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【トピック】
核施設の被害に懸念も パキスタン地震で

 【イスラマバード18日共同】パキスタン地震では、事実上の核保有国である同国の核開発拠点、カーン研究所や、中国の支援で建設、稼働中のチャシマ原子力発電所への被害が懸念されているが、パキスタン政府は「全く影響がなかった」と全面的に否定している。
 しかし同国の核専門家によると、パキスタンでは核研究施設に設置されたウラン濃縮用の遠心分離機が、地震で1981年以降3回壊れている。特に今回の地震は47年の英領インドからの分離独立以来最大規模で、政府の否定にもかかわず実際には被害が出たとの推測が消えていない。

○これって危ないんじゃない? 第二のチェルノブイリ事故の恐れとか・・・
杞憂だったらいいんだが・・・う〜む。
(見当はつくと思うが、地図上の「チャスマ」は記事上の「チャシマ」のこと。またカーン研究所はカフタにある。イスラマバードから東南にシハラ、カフタと斜めに隣接して連なっている)



核の闇市場とカーン・ネット(1)

 約一年前、パキスタンの「核開発の父」カーン博士を頂点にする国際的な核闇市場が摘発された。首謀者のカーン博士が昨年二月に拘束された後、米国、ドイツ、南アフリカ、マレーシアが、ネットワーク関係者を次々に逮捕した。しかしその実態はまだまだ秘密のベールに覆われている。ネットワークがさらに地下組織化し、暗躍を続けている兆候が確認されている。五月にニューヨークで開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、核闇市場への対応が主要議題になる見通しだ。北朝鮮の核開発とも絡む核闇市場の実態を探った。
(ワシントン・横山裕史)

 アブドル・カディル・カーン博士はパキスタンの「核開発の父」と呼ばれている核科学者。一九三六年英国支配下のインドに生まれ、パキスタン独立後の五二年に同国に移住した。大学卒業後、欧州に留学し、オランダの核関連企業に勤め、七六年に帰国後は核開発に従事した。一九九八年五月、インドが核実験をした直後にパキスタンもイスラム圏で初めての核実験を成功させ、世界に衝撃を与えた。カーン博士はその核実験を成功に導いた立役者だった。

 一九七〇年代以降二十年間以上にわたり、イスラマバード郊外にあるカーン研究所を拠点に核関連機材、技術を不法に密輸する国際的ネットワークを構築し、北朝鮮、イラン、リビアなどに遠心分離器や核兵器製造技術を密売した。そのネットワークはアジア、アフリカ、中東、欧州など世界各地に張り巡らされ、三十カ国以上の政府や企業・個人が関与した。



カーン(Khan)博士
核兵器をばらまいたのは誰か ---抜粋
2004年1月27日  田中 宇

 IAEAは「核兵器のブラックマーケット」の筋をたどっていき、パキスタンに行き着いた。パキスタンで「核兵器の父」と呼ばれているアブドラ・カディール・カーン博士が運営しているカーン研究所(Khan Research Laboratories)が、使用済み核燃料から核爆弾の材料となる高濃縮ウランを取り出す遠心分離器を開発し、それを使って自国の核兵器を作っただけでなく、リビアやイラン、北朝鮮などに輸出もしていた疑惑が強まった。(関連記事

 カーン博士は、パキスタンが秘密裏に進めた核兵器開発計画の中心人物で、1970年代にオランダにあるウレンコ(Urenco)という遠心分離器を製造する蘭独英の合弁企業に勤めていた。彼はウレンコから技術を持ち出してほとんど同じ遠心分離器をパキスタンで製造し、自国の核兵器開発に使うとともに、ひそかに核兵器開発を進めたいと思っている他の国々にも分離器を売ったとみられている。

 IAEAがリビアとイランの核開発施設を査察したところ、相次いでウレンコ型の遠心分離器が見つかり、調べを進めた結果、カーン博士の存在が浮かび上がったのだという。

▼殺された北朝鮮外交官の妻

 北朝鮮の場合、カーン研究所から遠心分離器を買って稼働させているかどうか、今のところはっきりしていない。アメリカの諜報機関は「北朝鮮が遠心分離器を使って高濃縮ウランを抽出している」と分析しており、米政府はこの件も六カ国協議の議題に含めるよう求めている。半面、中国政府は「アメリカから、北朝鮮が遠心分離器を使った抽出を行っているとする主張の根拠を見せてもらったが、これだけでは北朝鮮が高濃縮ウランを抽出しているとは断定できない」と主張している。(関連記事

 とはいえ、北朝鮮がパキスタンから核兵器開発の技術を取得しようとしていたこと自体は多分間違いない。1998年6月、パキスタンの首都イスラマバードで、北朝鮮の外交官の妻が射殺される事件が起きたが、この事件から、核兵器をめぐる北朝鮮とパキスタンの関係の一端が明らかになっている。

 射殺されたのは、兵器を扱う北朝鮮の国営商社「朝鮮蒼光信用社」のイスラマバード駐在代表をつとめていたカン・テユンの妻キム・サナエで、当初は殺害は誤射によるものとされたが、後になって、実はキム・サナエは欧米の諜報機関に対して北朝鮮の兵器開発の実態を漏らす代わりに欧米への亡命を試みたため、イスラマバードにいた他の北朝鮮人によって射殺されたのだ、という報道が出てきた。

(「サナエ」という名前は日本人の名前に感じられるのだが、彼女が「日本人妻」だったのか、サナエという名前が北朝鮮人の名前としてよくあるものなのか、私には分からない)

 カンとキムの夫妻が住んでいた家は、カーン博士の家のすぐ近くで、両家はよく行き来していた。北朝鮮からはカン・キム夫妻のほかに、カーン研究所に通う核開発の技術者たちの集団がイスラマバードに住んでおり、彼らもカンとキムの家をしばしば訪れていた。キムを射殺したのは、北朝鮮当局の命令を受けた技術者集団のメンバーだったと報じられている。(関連記事

▼北朝鮮が展開する兵器のバーター取引

 核弾頭開発はパキスタンのカーン研究所が先行していたが、ミサイル技術は北朝鮮の方が先行していた。そのため、北朝鮮側がミサイル技術を提供する代わりにパキスタンは核弾頭の技術を提供する、という相互関係が以前からあったようだ。カンは1997年にはパキスタンのために、ミサイルの先端や胴体に使うマルエイジング鋼という特殊鋼を、ロシアの製鉄会社から買う算段をつけてやったことも分かっている。(関連記事

 1998年4月には、パキスタンは新型ミサイル「ガウリ」の試射実験に成功したが、ガウリは北朝鮮のミサイル「ノドン」とほぼ同じものだった(ノドンはロシアの「スカッド」を改良したもの)。そして、この試射実験の2カ月後にキム・サナエが殺されている。

 その後も北朝鮮とパキスタンの兵器の関係は続き、2002年7月には、パキスタンの軍用機が北朝鮮に向かい、ミサイル部品を積んで戻ってきたことがアメリカのCIAによって確認されている。2003年3月には、北朝鮮は部品だけでなくミサイルそのものを解体し、パキスタンの軍用機に積んで運んだことが分かり、アメリカはパキスタンのカーン研究所と北朝鮮の蒼光信用社をアメリカとの取引停止処分にした(両社ともアメリカとの取引はなく、処分は政治的な非難の意味合いだけだった)。(関連記事

 北朝鮮はパキスタンだけでなく、他の国とも兵器の交換を行っていると思われる。1999年には中央アジアのカザフスタンが、北朝鮮にミグ戦闘機を数10機売ったことが判明したが、これも兵器交換の一つだった可能性がある。またイラクのフセイン政権も、北朝鮮からミサイル技術を買うことを検討していたことが分かっている。(関連記事




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