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JFケネディ・ジュニアはクリントン元大統領夫婦とブッシュ親子による謀略により暗殺されたという証言が公表される (阿修羅)
ニューヨークの911事件にからんで、消えたブレディ債1200億ドルについてのスクープ記事を書いたトム・フロッコ氏が、今度はJFケネディ・ジュニアの暗殺について、もとCIA、Division4の工作員からのインタビューをもとに、曝露記事を発表した。

現在、いくつかの州で捜査が進められており、この情報提供のキーパーソンであるもとCIA Division 4の工作員デルバート(Delbert)氏からの最終的な了承を得たので、このリポートを公表するにいたった。
このもと諜報部員によると、このJFケネディ・ジュニアの暗殺に関する曝露記事が発表されるやいなや、ブッシュSr(41代大統領)と現大統領ブッシュJr.、42代大統領クリントンと上院議員ヒラリー・クリントンはホワイトハウスで会合を持ち、この件について議論をかわしたそうだ。
一方、この暗殺についてはすでにシカゴの大陪審の前で2人の人間が証言をしたことも知られている。
さらに驚くべきことに、現在、米国諜報部員達は、特別検察官のフィッジェラルド氏やその他の検察官達による、ホワイトハウス上層部の人間達による911関与、それに伴うファイナンス、贈収賄、暗殺などの捜査を注意深くモニターしており、今や米国諜報部員の60%以上の人間が現在のブッシュ政権が交代することを望んでおり、この2週間以上にわたり、諜報部員と軍部の人間がもはや大統領命令に従わないくなっているという情報があるとのこと。
この「誰がJFKジュニアを殺したか」というリポートによると、JFKジュニアは2000年の大統領選挙の立候補に意欲を燃やしていたが、それに危惧を抱いたクリントン元大統領、ヒラリー、ブッシュ元大統領、現ブッシュ大統領らが、彼を暗殺するために、ホワイトハウスのオーバルオフィスでこの暗殺について議論をし、モサド工作員により暗殺が実行された
JFKジュニアのセスナ機には爆弾が仕掛けられ、ある高度に達したときに爆破し墜落したが、これは「事故」にみせかけるための標準的な手口であった。この暗殺により、JFKジュニアと妊娠中の妻、彼の妹が殺された。
また、事件の2日前、ブッシュ元大統領と現ブッシュJr.現大統領がJFKジュニアのセスナ機があるニュージャージ空港でモサド工作員二人といるところが目撃されている。
JFKジュニア暗殺を命令するためにホワイトハウスのオーバルオフィスの会議に参加したのはクリントン大統領とその妻、ヒラリー、元検事総長ジャネット・レノ、FBI長官、ルイ・フリー、元大統領ジョージH.W.ブッシュ、故ローレンス・ロックフェラーであり、13人委員会のインナーサークルのうちの3人が電話会議に参加した。

ケネディ機の事故原因 両親を乗せてくるヘリコプター (航空の現代:ケネディ家の悲劇)
NYC99MA178(NTSBレポートより)
原因は飛行機の不調ではなく、JFK Jrの空間失調症による「自滅」事故と結論付けているNTSBの19ページにもわたる報告書の最初の部分。

○写真資料
http://gallery.muzi.com/pfg/english/1002864.shtml
Piper Saratoga SP

1999/05/19、
ニューヨークにてキャロリン・ベセット(Carolyn Bessette左)と
JFKジュニア(John F. Kennedy Jr)

John F. Kennedy Jr
Carolyn Bessette
Lauren Bessette
映画
【視聴予定】
19時
30 クローズアップ現代 人民元・中国ビジネスの行方 --NHK総合

中国が通貨・人民元を対ドルで2.1%切り上げてから、1ヶ月半が経った。切り上げと同時に管理変動相場制が採用されたが、上昇率はきわめて小幅にとどまっており、当局は国内産業保護のために緩やかに改革を進める姿勢を崩さない。米国では「対中貿易赤字が縮小されない」と苛立ちが根強く、さらに圧力を強める動きが続いている。その一方、安いコストを求めて中国に進出、生産を行ってきた日本企業は、戦略の転換が迫られている。中には、一段のコスト削減を図ったり、ベトナムなど中国以外に工場を移転する動きも始まっている。人民元切り上げは、私たちににどういう影響を及ぼすのか。その最前線を伝える。
(NO.2134)
スタジオゲスト : 内堀 敬則さん
    (みずほ総合研究所・主任研究員)

21時
15 その時歴史が動いた 二宮金次郎四万人を救う▽奇跡の復興術▽役人との対決▽少年像誕生秘話 --NHK総合

その時:天保8年(1837)4月
出来事:天保の大飢饉で小田原藩が一人も餓死者を出さずに乗り切った
  幕末の日本を襲った天保の大飢饉。全国規模でおこった冷害により餓死者は30万人におよび、江戸時代最大の災害といわれる。この時、村々の救済に活躍したのが農民・二宮金次郎だった。勤勉の象徴として知られる金次郎だが、その名を残したのは大災害の続発した幕末にあって、独創的な手法で復興を成功させたその功績にある。「やる気の重視」「利益の半分は社会のために還元する」という彼の思想は、現代にも多くの教訓を与えている。二宮金次郎の業績を「復興と人心」という観点から描く。

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