「G2とGSは極めて仲が悪かった。ホイットニーとウイロビーはマッカーサーの前でいつも激論を繰返していた。日本の官僚は同時に同じことについて違う命令を出されてうろうろした。G2はお得意のスパイを始め、汚職やアカの理由をつけて200余名の進歩派を本国に追放した。日本の警察も駆り出されてはGSやESS(経済科学局)の高官を尾行した。GSも負けてなかった。彼らはCIE(民間情報教育局)と連絡して、日本政財界マスコミに触手を伸ばし、1947年頃までにアメリカの宣伝の主導権を握った。1947年2月、CIAやPSB(心理戦略局)が日本にやってくると、全権を与えられたガールゲットはDRS(記録調査局)を設立、日本におけるスパイ機関を再編成した」
---松本清張著「日本の黒い霧」23頁
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