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【トピック】
バニャック諸島で200〜300人死亡か スマトラ地震
2005年03月30日22時03分

 スマトラ沖地震で被害が集中したインドネシアの災害対策本部は30日、震源域に最も近く被災状況が不明だったスマトラ島北西沖のバニャック諸島の死者が200〜300人にのぼる、とロイター通信に伝えた。すでに近くのニアス島などでは約400人の犠牲者が確認されている。崩れた家屋の下に生き埋めになったままの住民が多数おり、この日本格化した捜索と救援活動とともに犠牲者数は膨らむ見通しだ。

 被災した島々はスマトラ島から船で十数時間かかることもあり、救援は遅れている。321体の遺体が確認されたニアス島の中心都市グヌンシトリを30日訪れた朝日新聞ジャカルタ支局のインドネシア人助手の目の前では、家族や近所の人たちは泥まみれになりながら、バールや板きれを使って助け出そうとしていた。
 住民によると、前夜まで町のあちこちで建物が崩れ、がれきの下から泣き叫ぶ声が夜通し聞こえた。バイクタクシーの運転手ルテルさん(23)は、自宅の下敷きになった兄の遺体を運び出すため、手作業でがれきを取り除いていた。「体が見えるのに、何もできない。くやしい」。警察に連絡したが、誰も来ない。周囲のがれきの中からも前夜までは悲鳴や声があがっていた。30日になって静かになった。
 電柱が道をふさいでいる。重機などが少なく、復旧作業が始まらない。余震も続いている。道を走る自動車は、政府や軍、国連の車や救急車などわずかで、バイクが頼りだ。ガソリンスタンドではバイクが200台以上、行列していた。
 食べ物が少なくなっている家庭が多いという。店はシャッターを下ろしたままだ。「米をくれ」「水がない」。30日昼過ぎ、緊急食糧を備蓄している県知事公舎に約50人の住民が詰めかけた。略奪を警戒した武装警官隊が追い払った。郊外の倉庫でも同様の抗議があった。
 一方、同島の北にあるシムル島では市街地で火災が発生した、との情報もある。これまで両島で確認された遺体は421体となった。

★交通寸断、負傷者移送に遅れ スマトラ沖地震
2005年03月30日13時38分

 インドネシアのスマトラ島沖で起きた地震は、発生から3日目の30日朝、同国政府や国連などによる救援活動が本格的に始まった。この日朝、被害の集中した同島西方沖のニアス島(人口60万人)に入った朝日新聞ジャカルタ支局の助手によると、多くの建物が崩壊したままだ。倒れた住宅の下敷きになって死亡した遺体が道路上に放置されている、と地元メディアは伝えている。

 300人以上の遺体が確認された同島の中心都市グヌンシトリでは、市内にあるサッカー場や郡長の自宅などに負傷者がバイクなどで次々と運び込まれ、医師らの手当てを受けているという。医薬品や食料、飲料水などが足りない。多数の重傷者は島外への緊急移送が必要だが、空港までの道が寸断されているため、搬送は大幅に遅れている。ヘリコプターが足りず、対岸にあるスマトラ島シボルガに移送されたのは約20人にすぎない。
 キリスト教徒が多い同島では、遺体が相次いで教会に運ばれてくる。カレット通りにある聖マリア教会の敷地には70体を超す遺体が、復活祭で使われたばかりのテントの下に並べられ、布がかけられている。市内のジャミイリルモスク(イスラム教の礼拝所)にも41体の遺体が運ばれ、すでに埋葬された。
 町の中心を走るディポネゴロ通りには、下敷きになった建物から運び出された遺体が放置されたままになっているという。揺れで崩壊する住宅も目立つ。強い余震が続いている。米地質調査所によると、30日午前8時過ぎまでに起きたマグニチュード5以上の余震は28回となった。ニアス、シムル両島周辺の深さ20〜30キロの震源が多い。
 高台に逃げている数千人の住民は、ろうそくや懐中電灯を頼りに2晩目を明かしたという。8割の建物が倒れ、少なくとも6カ所で橋が崩落した。道路も寸断されており、町はほぼ孤立している。
 一方、国連は29日、震源地に最も近いバニャック島とバンカル島の被災状況を上空から調べた。数千人が住んでいる両島も被害が「甚大」と見られるという。

★支援のNGO、続々と被災地へ スマトラ島沖地震
2005年03月30日12時46分

 巨大地震による被害が徐々に判明するなか、国際協力機構(JICA)の国際緊急援助隊の医療チームやNGO(非政府組織)が30日、被災地のインドネシア・ニアス島に向けて動き出した。メンバーの中には前回のスマトラ島沖の巨大地震の際にも派遣された人たちもいる。発生から2日目を迎え、「時間との勝負」と、日本の支援が活発になってきた。

 JICAの医療チームは同日午前、成田空港で結団式を開き、出発した。一行は医師2人、看護師3人、薬剤師1人ら総勢11人。ニアス島で2週間、医療支援にあたる。横浜労災病院の医師庄古知久さん(38)は「建物の倒壊がかなりあり外傷患者が多いだろう。早く診てあげたい」と話した。
 JICAは昨年12月26日に発生したスマトラ島沖大地震・津波の際にも7回、延べ約140人の医療チームを被災各国に派遣した。
 今回のメンバーの一人、東京都立川市の災害医療センターに勤める看護師、大澤志保さん(30)は2月に2週間、自衛隊通訳の健康管理担当として、スマトラ島北部バンダアチェに入った。
 海岸から車で20分ほど離れた内陸部に民家を借りて、通訳らと共同生活した。街は復興に向かっていた。が、海岸近くに行くと建物は土台だけが残り、街の中にも崩れた塀や土砂でつぶれた商店など、津波のつめ跡が残っていた。大澤さんは30日未明、出発準備の合間に「今回は地震直後。もっと大変だろうと想像しています」と話した。
 29日午後8時ごろ、JICAから派遣の電話が入ると、同居する母親に「頑張ってきなさい」と声をかけられた。
 前回と違って今回は被災者の看護にあたる。「現地が実際にどうなっているのか、色々と不安はあります。ただ、現地の人は2度も大きな地震に襲われ、精神的にも大変な衝撃を受けているはず。体だけでなく心のケアにも気を配っていきたい」
 国際医療ボランティア「AMDA」(本部・岡山市)も30日、本部職員の松永一さん(36)をニアス島に派遣した。調整員として、AMDAインドネシア支部の医師団の支援や、医薬品の購入などの任務にあたる予定という。
 松永さんは前回のスマトラ島沖地震の直後にも、津波の被害を受けたインドに派遣され、2カ月以上活動した。「前回の経験もあるので、淡々とやるだけだ」と話していたという。
---asahi.com


【私的めもらんだむ】
 気になるのはバイクタクシー運転手ルテルさんの訴え「警察に連絡したが、誰も来ない。周囲のがれきの中からも前夜までは悲鳴や声があがっていた。30日になって静かになった」である。警察の手が回らないのか、それとも上層部の何等かの指示なのか、国家機構としての統率が取れていないことが引っ掛かる。反政府勢力に対しては迅速な対処はしても、一般国民の窮状には気が向かないとか・・・そんなことはないとは思うが、あまりにも政府の対応が杜撰であることは確かだろう。大手メディアによれば三ヶ月前の津波で艦隊も甚大な被害を受け、空港も地割れして近付けないとか、それにしても海外からの救援活動が目立つわりにはインドネシア国軍の現地での姿が少なすぎる。
 下の写真は今月6日、デモ隊がマレーシア大使館前に押し寄せた時のインドネシア警察隊の警護の様子。こうした警察官が一般国民の要望では中々動いてくれないのは、何処かの国とソックリだ。国民の税金があったればこその警察官だという認識が薄い点でも・・・

【視聴予定】
20時
00 探検ロマン世界遺産 ナスカ地上絵の謎古代ペルーの巨大遺跡世界七不思議▽ミイラが語る真実



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