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【トピック】
フセイン元大統領の異父弟拘束、シリアが協力か

 [バグダッド 27日 ロイター] イラク暫定政府は27日、反政府勢力で指導的な役割りを担っていたフセイン元大統領の異父弟、サバウィ・イブラヒム元秘密警察長官を拘束したと発表した。
元長官は、シリアからイラク国内の反政府勢力を指図していたとされるが、米軍による旧政権高官の55人の指名手配リストでは36番目の人物。
拘束された日時や場所など、詳しい状況は明らかにされていないが、28日に公表される見通し。 ただ、イラク政府高官は匿名を条件に「大きな圧力を受けているシリア当局が元長官拘束で何らかの働きをした。シリアは現在、非常に多くの問題を抱えており、元長官拘束では協力を申し入れたが、米国も関与している」と述べた。

★フセインの異父弟・元大統領顧問逮捕とイラク暫定政府
 既に拘束されている金庫番バルザン元在ジュネーブ国連代表、ワトバン元内相と並ぶイブラヒム3兄弟の1人で、旧政権の権力基盤を支えた大物だ。
 最近は、なお逃亡中のイッザト・イブラヒム元革命指導評議会副議長らとともに、隣国シリアとの国境地帯を行き来しながら、反米武装勢力の指揮、資金援助にあたっていたと指摘されていた。
(読売新聞)


サバウィ・イブラヒム
元秘密警察長官
Sabawi Ibrahim
フセイン大統領を巡る動き■
<権力者への道>
1932. 10. イラク王国独立
1937. 4.28 フセイン氏、イラク北部ティクリートに生まれる
1957.   フセイン氏、バース党に入党
1958. 7. カセム准将率いるイラクの自由将校団が王制打倒、共和制革命。ファイサル2世国王一家処刑
1959.   カセム首相暗殺未遂。フセイン氏は実行メンバーに加わり、エジプトへ逃亡
1963. 2. バース党系将校団のクーデターでカセム首相処刑。フセイン氏は直後にイラク帰国。アレフ大統領就任
  11. アレフ大統領がバース党を政権から追放
1964. 9. バース党がクーデターに失敗。フセイン氏投獄
1968. 7. バース党と軍のクーデターでバクル将軍が大統領就任
1969. 11. フセイン氏、政権ナンバー2の革命指導評議会副議長に
1979. 7. バクル大統領引退。副大統領だったフセイン氏が大統領に

<戦争と一族支配強化>
1980. 9. イラン・イラク戦争開戦
1981. 6. バグダッド近郊に建設中のオシラク原子炉をイスラエル軍機が破壊
1984. 11. 米国がイラクと国交回復
1988. 3. イラン軍が占領したイラク北部ハラブジャに対し、イラク軍が毒ガス攻撃。クルド人住民約5000人が死亡
  8. イラン・イラク戦争停戦発効
1989. 5. フセイン大統領のいとこ・ハイララ国防相が不審死
1990. 8. イラクがクウェートに侵攻
1991. 1. 多国籍軍空爆で湾岸戦争開戦
  2. クウェート解放、米国が勝利宣言
  3-4. クルド人やイスラム教シーア派住民が武装ほう起。イラク軍が鎮圧
1993. 6. ブッシュ元米大統領暗殺未遂事件への報復として、米軍がバグダッドの情報機関施設を巡航ミサイルで攻撃
1995. 5? フセイン大統領の長男ウダイ氏、ワトバン内相(フセイン大統領の異父弟)に発砲、負傷させる
  8. フセイン大統領の娘婿カメル兄弟がヨルダンに亡命
  10. 国民投票でフセイン大統領信任。支持率99.96%
1996. 2. 大統領の赦免決定を受け帰国したカメル兄弟が、親族に襲撃され死亡
  9. 米軍がイラク国内の防空施設を巡航ミサイルで攻撃。南部飛行禁止区域を北緯33度以南に拡大
  12. ウダイ氏が暗殺未遂で重傷
1998. 11. イブラヒム革命指導評議会副議長の暗殺未遂
  12. 査察拒否への報復として、米英がバグダッドなどを大規模空爆
2000. 3. 国民議会選挙でウダイ氏が当選
2001. 5. フセイン大統領の二男クサイ氏、バース党中核組織の地域指導部メンバーに
  9. 米同時テロ

<テロ支援疑惑>
2002. 1.29 ブッシュ米大統領「悪の枢軸」演説
  9.12 ブッシュ米大統領が国連総会で演説。イラクの「増殖する危険」と向き合うよう国際社会に要求
  10.15 国民投票でフセイン大統領信任。支持率100%
  11.8 国連安保理が決議1441を全会一致で採択。イラクに大量破壊兵器査察の無条件受け入れを要求
  27 国連査察団が4年ぶりに査察再開
  12.7 イラクが安保理への申告書で大量破壊兵器はないと明言
2003. 1.27 国連査察団が「イラクの協力は不十分」と正式報告指摘
  2.5 パウエル米国務長官が国連安保理で報告。イラクによる大量破壊兵器の隠ぺい工作の証拠を提示
  24 武力行使を容認する決議案を米英スペインが国連安保理に共同提出。仏独露は査察継続を求める覚書を提出
  3.7 米英スペインがイラクの武装解除期限を17日とする新決議修正案を国連安保理に提出

---2003/03/21 読売新聞朝刊
【私的めもらんだむ】
 サダム・フセインがに捕まった後、2003年5月サダム第2夫人サミラ・シャーバンダルはレバノンのベイルートに逃れ、以後そこに住み付いている。その手配をしたのがイギリス当局だった、との指摘もあった。サダムの居場所をアメリカに教えたのはサミラであり、これはレバノン当局が明らかにしている。アメリカとイギリスはここでも共同歩調をとっていたわけだ。
 こうしたことを踏まえると、今回のサバウィ・イブラヒム拘束劇も単にシリアの関与のみならず、アメリカやイギリスが間接的にであれ関与していたとしても不思議はない。つまり、彼らの関与とは「事前にそれを知っていた」ということでもある。彼らはサダムの拘束以前にサミラ夫人によって居場所を知っていながら、何故かしばらく放置していたことになる。

追加資料

 サダム・フセイン関係を調べていたらバルザン・イブラヒムの近況写真を見つけた。サダム大統領の特別裁判に関連して、現在も刑務所に拘留中らしい。最初は着衣から本人と気付かなかったが、名前が Barzan Ibrahim Hassan というのと、顔の特徴からバルザン本人に間違いないだろう。元ジュネーブ国連大使の彼は、サダムにとっては異父弟で最近拘束されたサバウィの弟、娘がサダムの長男ウダイに嫁いでいた(のち離婚)。バルザンはウダイを強欲な権力指向の男として嫌っていた。ちなみに、逃亡中のイッザト・イブラヒム元革命指導評議会副議長の娘も、サダム長男ウダイに嫁いでいた。

 同じく裁判を待つサダム大統領の腹心、元副大統領Taha Yassin Ramadanの写真もあった。この男は91年当時内相をしていたサダムの異父弟ワトバン・イブラヒムに酷似している。どう見てもワトバンとしか思えないのだが・・・おそらく私の思い込みだろう。

バルザン・イブラヒム
Barzan Ibrahim Hassan
元副大統領
Taha Yassin Ramadan
【視聴予定】
19時
30-00 クローズアップ現代、家庭内事故をどう防ぐか


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