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【トピック】 ★捜査当局追跡40年、マフィア大ボスまた逃走 イタリア
40年以上も逃走生活を続けているマフィアのボスを逮捕しようと、イタリアの捜査当局が執念深い捜査を続けている。3年がかりで準備を進め、先月末には南部シチリア島パレルモで大規模な強制捜査を実施。手下とみられる計51人を逮捕した。しかし、ボス本人は今回も事前に情報を得たとみられ、捜査網をくぐり抜けたという。
当局の標的は、六つの終身刑判決を受けているベルナルド・プロベンツァーノ被告(72)。「ボス中のボス」とされる大物マフィアだ。映画「ゴッドファーザー」のモデル、故ルチアーノ・リッジョの部下で、逃走中の93年からシチリア・マフィアのトップになったとされる。
パレルモで反マフィアの捜査をするグラッソ検事は「まわりの水を取り去れば魚がみえてくる」と語り、逮捕への執念をにじませた。反マフィア法違反などで逮捕された51人の一部は、グラッソ検事の暗殺計画を立てていたともいわれる。
逮捕者のうち、同被告を裏切ったことがあるとみられる1人は取り調べ中に自殺。最近まで同被告に食料を運ぶ係だったとされる者は「ボスは野菜好きで今も健康」などと語っているという。
捜査当局が入手した同被告から部下への指令メモには、「レモンの皮をトラック1台分調達しろ」などという奇妙な内容も。捜査を混乱させるために同被告が故意に流したと当局はみている。
★「伊首相にマフィアが感謝」 英誌がパロディー 04/03/06
英誌エコノミスト最新号(6日)は、逃亡中の大物マフィアが出した手紙の形をとったパロディー記事を掲載し、イタリアのベルルスコーニ首相を痛烈に皮肉った。タイトルは「ボスの年間報告書」で、手紙の最後には「イル・カポ(ボス)」のニセ署名入り。イタリア国内では、記事を批判する声も出ている。
手紙の「書き手」にされたのは、ベルナルド・プロベンツァーノ被告。映画「ゴッドファーザー」のモデルとされたコルレオーネ・マフィア、故ルチアーノ・リッジョの部下と言われ、被告人不在のまま六つの終身刑判決を受けている。40年も逃亡中で、「マフィアを撲滅できないイタリア」のシンボル的な存在だ。
手紙は「総選挙でシチリアの全議席を勝ち取ったのに、我々の希望をすべてかなえてはいない」とベルルスコーニ政権に不満を漏らしつつ、資金洗浄や架空会社設立がしやすくなったと報告。裏返せば、現政権下の経済政策に対する批判だ。
さらに「ベルルスコーニ氏の敵意に満ちた態度は、裁判官の弱体化に役立った」として、マフィアに有利な環境ができたことを感謝。自ら汚職裁判を抱え、裁判官に対する批判を繰り返す同首相を皮肉った。
これに対し、伊有力紙コリエレ・デラ・セラは5日付1面で同誌に批判的なコメントを掲載。「ジョークでも笑えない。これがアイルランド共和軍(IRA)署名の手紙や、最近のイラクの流血事件についての冗談なら載せただろうか」などと読者に問いかけた。 (03/06 20:41)
---阿修羅掲示板より
★「ゴッドファーザー」のモデル サルデーニャ島で壮絶な獄死
1993年11月15日
映画「ゴッドファーザー」のモデルとされるイタリアマフィアのドン、ルチアーノ・リッジョ服役囚がこの日、サルデーニャ島の病院で死亡(当時68)した。彼は、シチリア島・コルレオーネの一派を率いてきた人物。敵対するマフィアを殺害して終身刑を受けていた。本物のゴッドファーザーも心臓発作には勝てなかった。
★刑務所でマフィアのボスが自殺 2005年02月01日
マフィアのボス、フランチェスコ・パストイア、62才がモデナの独房で遺体となって発見された。彼は、逃亡中のマフィアのトップ、ベルナルド・プロヴェンツァーノの最も信頼のおかれていた手下の一人として、またコスカ(シチリアマフィア)の殺し屋として収容されていた。彼は首を吊っていた。今朝、刑務所の警察官にて発見された。パストイアは捜査の中心人物で、月曜日の夜に50人もの逮捕者がでたばかりである。
(2005年1月28日、パレルモ)
★いまだ続く黒い影 現代マフィアの基礎知識
イタリアの犯罪組織といえば、言わずと知れたマフィア。広義のマフィアの中には、“本場”シチリア・マフィアのほか、ナポリを中心に暗躍するcamorra(カモッラ)、南部カラブリアを拠点とし誘拐を得意とする'ndrangherta(ンドランゲタ)などが含まれている。
その構成員のことをひっくるめて「マフィオーゾ」という。しかし彼らは日本のヤクザとは違い、「ついに若頭から昇進!」なんて週刊誌報道されることもなく、金ピカの家紋を掲げた事務所を構えることもない。ひたすら影の存在であり続ける。また、ちょっと手広く仕事をしてるヤクザな感じのオジサンまで、ときに「マフィオーゾ」と呼ぶから、誰がマフィアかは逮捕されるまでわからないのだ。
5月26日日曜日。ナポリから東に50kmの町アヴェリーノで、カモッラを構成する一族vs一族の抗争から女性3人が銃撃され殺されるという事件が起きた。3日後に行なわれた葬儀は、マスコミさえも締め出して警官150名による厳戒体制のなか行われた。
ちなみに5月末には、10年前にマフィア裁判の判事が乗った車を爆破した犯人9人が、刑期を終えて出所した。これは高速道路の下に爆弾を仕掛け、車が通りかけたところを爆破するという、恐るべき手口として、イタリア人の脳裏に焼きついている事件だ。
しかし、そうした大きな事件でもない限り、これから夏にかけて盛んになる南部のマフィア系抗争(よくあるのが2人乗りのスクーターで並走し、標的を銃撃するもの)の大半は、当日トップニュースになることもなく、翌日にはヘッドラインから消えてしまう。インパクトのあるトップニュースにならないところに、南部ではいまだいかにマフィア系犯罪が多いか想像できる。
先日、イタリア政府は本土とシチリアを結ぶ連絡橋を2004年末に着工すると発表した。多くのイタリア人は、「ついでにマフィアが海を渡って来ないといいんだけど」と皮肉を込めて言う。
---2002 July 29
★グラッシ事件10周年とマフィアとのたたかい 4 settembre 2001
今年2001年8月29日は、シチリアの企業家リーベロ・グラッシの暗殺10周年であった。10周年にあわせてグラッシのことを紹介したいと思っていたが、4-5日旅行をしていたため書きそびれて月がかわってしまった。
グラッシは、パレルモで衣料製品の工場を経営していた。マフィアから「みかじめ料」pizzoを要求されると、彼はそれを拒否しただけでなく、新聞やテレビで「みかじめ料」を拒否しようと訴えたためついにマフィアに暗殺されてしまった。
グラッシが暗殺された1991年8月は、ジョヴァンニ・ファルコーネによる反マフィアのたたかいが高まっている時期であった。ファルコーネは、この時期には、パレルモからローマに移り、マルテッリ司法相のもとで刑事部長として、アメリカのFBIをモデルとした強力なマフィア捜査機関の創設を準備中であった。この提案は、グラッシの死後、全国26ヶ所の組織犯罪捜査機関として実現されることになる。しかし、グラッシ暗殺の9ヶ月後の1992年5月24日、ファルコーネは妻とともにマフィアに暗殺される。そしてその2ヵ月後ファルコーネの親友であったパオロ・ボルッセリーノもマフィアに暗殺された。
8月末に、ルナルディ・インフラ交通相が、「マフィアと共存しなければならない」という失言をしたことに対し、チャンピ大統領に手紙を書いて抗議したのは、リーベロ・グラッシの妻のピーナ・マイサーノであった。
彼女は、「Cosca(シチリア・マフィアの下部組織)に対するたたかいはまだ勝利していないように感じる」と述べている。
グラッシ暗殺10周年の8月29日、パレルモでは記念行事が行われた。と同時に、グラッシ暗殺後閉じられていた衣類の工場が、反恐喝基金による支援を受け、家族によって再開された。
★肝っ玉女性町長
Mayor leads women's revolt against mafia
by John Phillips
Mafiaの本拠地、シチリアで女性町長が圧力に屈せず頑張っているという記事です。
San Giuseppe Jatoの女性町長、Maria Maniscalcoは、車を焼かれ、殺人の脅迫を何度も受けている。警察によれば、シチリア・マフィアのボス(the head) が、彼女に的を絞って脅しをかけている。彼女はマフィアに対するシチリア女性の戦いの象徴なのだ。
彼女の町は、いわばマフィアの凶悪な犯罪そのものと深く結びついている、マフィアが支配する町だ。1995年には、密告者(supergrass)の息子で、11才の Giuseppe Di Matteoが、誘拐され、殺されたあと、酸の入った中に投げ込まれた。この事件をきっかけに、人口10000人の町は、今までの意識が変化してきているようです。Maria Maniscalcoは、11月30日の選挙で再選をめざすようですが、その公約の一つが少年が酸で溶かされた家の跡地を、彼を記念する公園にするというもの。しかしマフィアのやり方はここまで残酷なんですね。
だが町の貧しい人々にとって、マフィアは時には保護者でもある。彼らの半分はマフィアが建てた不法建築に住んでいるから、反対することもなかなか難しい。しかしマフィアが今のまま実権を握っていれば、暴力と死がはびこるだけだということに、人々も気づいてきた。こうした中で奮闘しているのが、この女性町長なわけですね。マフィアも彼女の再選を防ぐべく、いろいろ脅しをかけている。彼女は当初はつけていた警察の護衛も断ったようです。なるようにしかならない、というかあまり効き目はないと思っているようです。
こうした中で、人々の意識が変わり始めている。例えば、かつてはマフィアの犯罪を告発する密告者となった構成員mafiosiは、妻や母たちからも見捨てられた。それだけ、周囲の圧力というか脅威が強く、そうしなければ地域社会で生き残ることは難しかったのでしょう。しかし例えば、Rosalio Scarantinoのような女性も現れてきた。彼女の夫は、裁判官殺しの容疑で3人のボス達が刑務所送りになるきっかけを作った人物。彼女はかつて夫と関係を絶っていたが、最近はTVなどで、夫に犯罪から足を洗うように呼びかけた。
しかしもちろんマフィアとの戦争が容易なものでないことは、女町長もよく分かっている。マフィアと行政機関の一部との結びつきもまだある。こうした中で時代の風が少しずつ吹き始めた。
若いころの
Bernardo Provenzano逃亡中のProvenzano
想像図
★ジョヴァンニ・ファルコーネが亡くなって
ファルコーネは、1992年5月23日、妻のフランチェスカ・モルヴィッロと3人の護衛の警官とともに、シチリア島のプンタ・ライシ空港からパレルモへ向かう高速道路を車で移動中に爆殺された。この事件は、爆殺の現場の地名を取って、「カパーチの虐殺」と呼ばれている。マフィア撲滅のために生涯を捧げたこの判事の死は、それから約2カ月後に起こった彼の同僚、パオロ・ボルセッリーノ判事と5人の護衛警官の爆殺事件とともに、イタリア国民に大きな衝撃を与えた。彼らの死の記念日には、イタリア各地で市民たちの集会やデモがもたれた。また市民の家庭では、このふたりの判事への哀悼と彼らの遺志に連帯する意を示すために、家のベランダに白いシーツが掲げられた。出版界でも、マフィアに関するドキュメンタリーや研究書、マフィアへの反対を訴える書物やパンフレットが、次々に刊行された。このようなマフィアに反対する国民レヴェルでの大きな世論が起こったのは、イタリアでもはじめてのことであったろう。政府は国家の威信をかけて、マフィアへの徹底的な捜査と追求に向けて重い腰をあげた。その成果か、93年の1月には、24年ものあいだ逃亡生活を続けながらマフィアの世界を牛耳っていた「ボスの中のボス」、サルヴァトーレ(トト)・リーナが逮捕され、その数カ月後には首相を歴任したキリスト教民主党の黒幕ジュリオ・アンドレオッティに、贈賄とマフィアとの癒着の容疑で捜査通告が出された。そして、ミラノ地検が主導する大規模な政治家の汚職摘発によって、キリスト教民主党と社会党は消滅し、イタリア政界は再編成の時代に入った。今思えば、情勢はあれからめまぐるしく変転していったのである。
78年にロッコ・キンニーチ判事がパレルモ地裁の予審部長になり、彼のもとで、ファルコーネとボルセッリーノを含む若い世代の判事たちが活躍するようになる。彼らは、銀行口座を調べてマフィアの不正な利益を洗い出し、マフィアを摘発するという新しい捜査方法を用いて効果をあげた。ところが、キンニーチ判事は83年にマフィアに殺されてしまう。これは、マフィアが要人の暗殺にはじめて爆弾を用いた事件であった。キンニーチ判事を失ったマフィア捜査班は、その後任としてアントニーノ・カポンネット予審部長を得て、さらに4年間捜査活動をおこなうことになった。
ファルコーネはブシェッタに会い、彼に事情聴取した。ところが不思議なことに、このふたりのシチリア人のあいだには、判事と犯罪者という立場を越えた信頼関係が成立したらしい。そして、ブシェッタの証言と捜査にもとずいて、イタリア史上前代未聞のマフィア大裁判が開始されたのである。86年2月2日にパレルモで開廷されたこの大裁判は、翌年の12月17日に結審し、456人の被告のうち342人が有罪判決を受けた。これは、マフィアに対する国家の勝利であるかのように見えた。しかし、ブシェッタはファルコーネに警告している。「連中はまず自分を殺そうとするだろう、そして次はあなたの番だ」と。
88年1月に検事局最高議会がカポンネットの後任の予審部長に選んだのは、マフィア捜査のエキスパートでマフィア大裁判の立役者であるファルコーネではなく、68歳の老判事アントニーノ・メーリであった。このときから、ファルコーネを孤立させる動きがパレルモ地裁内で大きくなっていく。その翌年の春から夏にかけて、ファルコーネの信用を失墜させようとする怪文書が発端となった「コルヴォ事件」が起こる。さらに6月21日には、パレルモ近郊の海岸にある彼の別荘のそばの岸壁に、50数本の爆弾筒が仕掛けられた。暗殺未遂事件か、それとも脅しのメッセージか。これらの一連の陰惨な事件の背後には、政治家たちを通して法曹界の人間を動かしているマフィアの姿が浮かびあがってくる。91年4月にファルコーネは、当時の法相クラウディオ・マルテッリによってローマの法務省に呼ばれ、主としてローマでマフィア捜査を続けるようになる。「ファルコーネは社会党員に売られた(マルテッリは社会党員)」という中傷が飛んだ。しかし彼は黙々と自分に課せられた仕事に没頭した。92年5月の「カパーチの虐殺」まで。
★ファルコーネ暗殺とマフィアとの同棲"coabitazione"
Elio Veltri, Mario Travaglioの『金のにおい―ベルルスコーニの成功の起源と秘密』 L'Odore dei soldi, Origini e misteri delle fortune di Silvio Berlusconi は、Fabrizio Calvi 記者の Paolo Borsellino検事へのインタビューをおさめている。このインタビューが行われた2日後の1992年5月23日、ボルセッリーノとともにマフィアとたたかったジョバンニ・ファルコーネ検事 Giovanni Falconeが暗殺される。
ファルコーネは、トラパーニの空港からパレルモに向かう高速道路上のCapaci付近で、妻および3人の警備とともにマフィアの仕掛けた爆弾の犠牲となった。(stragi di Capaci)
ボルセッリーニがこのインタビューで語っているのは、ベルルスコーニとマフィアとの関係についてであった。
この事件から2ヶ月もたたない7月19日に今度はボルセッリーニが5人に護衛とともにマフィアにより暗殺された。(Stragi di via D'Amelio)
事件から9年を経た今年、2001年5月23日、パレルモでは、事件の起きた17時58分に市中にサイレンが鳴らされた。学校での記念行事が行われ、毎年開催されている国際会議が開かれた。今年のテーマは「グローバリゼーション: 倫理、価値、ルール」であった。
しかし、ファルコーネとボルセッリーノの暗殺というマフィアからの反撃の後、マフィアに対する追及は弱体化している。
1999年10月23日パレルモ地裁は、アンドレオッティ元首相のマフィア裁判で無罪判決をくだした。アンドレオッティのマフィアとの共謀事件は、ファルコーネ検事やボルセッリーノ検事が暗殺されたあと、パレルモ地検検事となったジャンカルロ・カゼッリが捜査を行ってきたものであった。
歴史学者のニコラ・トランファリアは、ファルコーネ・ボルセッリーノ暗殺事件以後をマフィアとの同居、同棲 "coabitazione" と呼んでいる。
最新の "coabitazione" の例は、mafioso のベルルスコーニが首相になる日が近づいているということである。ベルルスコーニについては、メディアの独占の問題、資金洗浄、贈賄の容疑で刑事被告人であるという問題のほかに、mafiosoであるという問題がある。
今回のイタリアの総選挙結果について、政権交代メカニズムが動き出したなどと超楽観的に評価するむきもあるが、mafiosoが政権中枢を握るという点では、'90年代以前の状態に戻ってしまったということもできる。
---Falcone, 9 anni dopo 現代イタリア事典
爆殺された検事
Giovanni FalconeFalconeに次いで
爆殺された検事
Paolo Borsellino
イタリア首相
Silvio Berlusconi
【私的めもらんだむ】 「最悪の政治家を決めるのは極めて難しい。これこそ最悪の奴、と思ったとたん、もっと悪い奴が必ず出て来る」
ジョージ・クレマンソー Georges Clemenceau 1841-1929
フランス政治家、急進社会党のリーダー、雄弁をもって保守政党を攻撃「虎」の異名あり。
「信義に背き、狡智によって人々の頭脳を欺く、これ絶対君主の偉業なり」
マキャベリ Machiavelli 1469-1527
「不正の存在を前にして黙する人は、実は不在の共犯者にほかならない」
ラスキ Harold Laski 1893-1950
イギリス政治学者、西欧社会主義の立場からプロレタリアート独裁を批判。
9時
カパーチ虐殺の1992年、ポッカリ穴の開いた道路の、その現場写真を見た記憶がある。正義がいとも容易く抹殺されていく現実に、私の心は震えていた。それが恐怖によるものなのか、義憤にかられてのものなのか・・・知らない。ただ、ファルコーネとボルセッリーノという二人の検事の、命がけで不正に立ち向かった勇気に敬服していたこと、それは確かだ。権謀術数のシンボルともされるイタリアのマキャベリは云った。
「人間は死ぬ危険がない場合は馳せ参じ、支持を約束するが、死ぬ覚悟が到来すると何食わぬ顔で分散していく」
私はどうか?と、会社の死であるところの倒産の危機に直面しながら自分の心に問う。寒さで鼻水を垂らしながら、僅かな仕事に必死でしがみついている、その自分の今の姿こそ、不器用な私の意思表示だ。誰にも替われることのない・・・これはオレの地獄、たったひとりの戦争・・・
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