★中東和平協議延期 銃撃でパレスチナ人死亡、ハマス報復
パレスチナ自治区ガザからの情報によると、南部ラファのユダヤ人入植地近くで9日、パレスチナ人男性(20)が銃撃され死亡した。自治政府とイスラエルの両首脳が8日に停戦宣言をして以来、銃撃による死者は初めて。一方、10日朝にはガザ南部のユダヤ人入植地に、大量の迫撃砲弾が撃ち込まれた。死傷者はなかった。過激派ハマスが犯行を認め、男性が死亡した銃撃事件への報復だとしている。
停戦合意後、過激派の対イスラエル攻撃は初めて。イスラエルと自治政府の治安当局者による実務協議が10日に予定されていたが、イスラエルは同日朝、自治政府に延期を通告した。イスラエルが直ちに報復行動をとる気配はないものの、停戦合意が早くも揺さぶられている。
ガザの自治政府筋によると、9日、入植地内にいたイスラエル軍からラファの住宅地に向けて激しい銃撃があったという。イスラエル軍側は「不審者が近づいたので威嚇のため銃撃した」と説明している。またハマスは10日の攻撃後、ロイター通信に「迫撃砲弾やロケット弾を計46発発射した」と語った。
停戦合意後、ハマスは「我々は合意に拘束されない」との声明を出しており、パレスチナ人の死亡事件は、過激派に攻撃再開の口実を与えた形だ。双方の攻撃について、自治政府のエレカット交渉相は10日、「(停戦)合意に対する深刻な挑戦だ」と懸念を表した。
イスラエル軍放送は10日午前、「軍はガザに展開しているパレスチナ治安部隊が過激派対策を取るのを待っている」と伝えた。
---asahi.com
★イスラエル・パレスチナ 暴力停止で合意 和平協議再開へ一歩
【カイロ=加納洋人】イスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長らが出席する中東首脳会談が八日、エジプトの保養地、シャルムエルシェイクで開かれた。両首脳は会談後、双方が暴力の停止で合意したと発表、停戦を宣言した。双方は二〇〇〇年秋に始まった第二次インティファーダ(反イスラエル占領闘争)に終止符を打ち、約四年半ぶりに本格的な和平交渉再開に向けた第一歩を踏み出すことになる。
会談後の記者会見で、アッバス議長は「今日は新しい時代の始まりだ」と述べ、パレスチナ新和平案(ロードマップ)に基づき、和平への道筋がついたことを確認した。
シャロン首相も、暴力停止を条件に軍事行動を停止すると宣言。「イスラエルはパレスチナ人を支配し、その運命を左右し続けようとは考えていない。未来は双方に開いている」と述べた。
イスラエル側は、拘束している約八千人のパレスチナ人のうち九百人を釈放し、さらなる釈放について今後、継続協議することや、ヨルダン川西岸五都市から軍を撤退することも明らかにした。
また、同首相はアッバス議長をイスラエルの私邸に招待、議長もこれを受諾したという。
ただ、イスラム原理主義組織ハマス幹部は、両首脳の停戦宣言に縛られないと、述べた。これまでの武力衝突で五千人近くが死亡。会談で合意したイスラエルに拘束されているパレスチナ人釈放について、武装各派は不十分だとしており、停戦合意が守られるかどうかは不透明だ。
会談は、故アラファト前議長の死後、穏健派のアッバス氏が選出され、米国が交渉に積極的姿勢を打ち出している現在の好機を生かそうと、エジプトのムバラク大統領が提唱した。ヨルダンのアブドラ国王も出席した。
会談を受け、エジプトとヨルダンはイスラエルに抗議して召還していた駐イスラエル大使を帰任させることを決めた。
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【両首脳の宣言(要旨)】
アッバス議長
われわれは、パレスチナ、イスラエル双方に対する暴力を、どこの場所であれ、停止することで合意した。
今日、平和への新たな機会が平和の都市(シャルムエルシェイク)で誕生した。
シャロン首相
パレスチナ人のイスラエルに対する暴力の停止と引き換えに、イスラエルはパレスチナに対する軍事行動を中止することで合意した。
われわれは、パレスチナ人が独立し、尊厳を持って生きる権利を尊重する。
今日が、よりよい未来へのプロセスを再び始める日になることを心から願う。
(産経新聞)
★「停戦」合意、ハマス幹部は「拘束されない」と言明
【カイロ支局】AP通信によると、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスのレバノン駐在代表、ウサマ・ハムダン氏は8日、アッバス・パレスチナ自治政府議長が同日宣言した暴力停止について、ハマスは拘束されないと言明した。
(読売新聞)
★イスラエル・パレスチナ停戦合意について
--日本軍事情報センター 神浦 元彰
[コメント]この和平宣言に対してイスラム原理主義のハマスは拘束されないと表明した。ハマスがこのまま和平を受け入れるには、今までの犠牲が多すぎるということだろう。本来なら、この機会に国連平和維持部隊を投入して、双方の兵力引き離しを行い、緩衝地帯を作り出す方法がある。しかし過去に国連PKO部隊は、イスラエル軍の軍事侵攻で、たびたび排除(無視)されてきた歴史がある。とても今の状況で国連PKO部隊を投入する気にはならないだろう。
しかしイスラエルとパレスチナ両国民に、和平に対する期待が高まってきたことは事実である。また、そのような気持ちを、敗北主義と非難する人がいることも事実である。そこで言えることは、和平は敗北主義だと非難する人に、和平の楽しさや将来に希望があることを理解してもらうことだ。戦争によって失った幸福や希望を、和平によって気がつくことなのである。
90年代の前半、私はカンボジアの奥地でポル・ポト派の兵士に何度も話しを聞いた。彼らは戦争でジャングルに潜み、雨に濡れ、虫に刺される苦しい生活を語ってくれた。田や畑を耕し、川で魚を捕り、雨に濡れない家に住むことが、どれほど幸せか語ってくれた。その時、「もうこの人たちは戦争は出来ないな」と感じた。2年前に現地に行くと、草が茂り、木が茂っていた場所が、広大な畑になっていた。住む家は草や木の葉の家から、高床式の木造の家に変わっていた。井戸が掘られ、鶏や豚などの家畜が飼われ、近くには学校も出来ていた。
人々が戦争によって失うものと、平和で得られるもので、これほど大きな格差があると知ることができた。
もともとイスラエルとパレスチナは、彼ら自身が戦争を継続する力はない。戦争によって集まる国際的な援助で、この戦争が戦われ、人々が生活が出来るという現実がある。戦争をすることが生存する条件になっているのだ。そのような連鎖を断ち切ることが必要だ。戦争のためではなく、平和での建設こそ、人々を幸せにすることを知って欲しい。
そして日本の人はエルサレムをぜひ訪れて欲しい。エルサレムは私が最も好きな都市である。人間とは何か、歴史とは何か、宗教とは何なのか。それを知ることの出来る都市だからだ。エルサレムに平和が訪れれば、こんどは家族と一緒に訪れたいと思う。
★マフムド・アッバス Mahmoud Abbas
マフムド・アッバスは、68歳。彼は、ファタハ運動の設立者の1人、パレスチナ解放機構の政治機構の長である。1950年代、特にマフムド・アッバスは、カタール亡命当時、今著名な政治ポストを占めている一連のパレスチナ人を組織に徴募して、事実上、PLOの人事課長の役割を演じた。
アラファトと共に、マフムド・アッバスは、カタール、ヨルダン、レバノン及びチュニス等、パレスチナ人のリーダーが流刑時代を過ごした諸国を歴訪した。
近東から、アッバスは、モスクワに派遣され、1960年代末、東洋学大学で学位を授与。専攻は、シオニズム史。
アッバスは、最近になって初めて、近東政策の第一面に出た。その首相任命まで、彼は、陰に留まることを好んだ。しかしながら、彼が昼夜を問わずいつでも電話を掛けられる人々の中には、かなり早期に、国家指導者から諜報機関の指導者まで、アラブ世界の最も影響力ある人物がいた。
これらの関係は、アッバスがPLOにとって最も成功した資金集めの専門家の1人になることを助けた。1980年、彼の貢献が公式に認められ、彼は、機構の国際関係を担当する課長となった。
特に彼は、オスロで達成された合意の構築者の1人と考えられている。1993年、マフムド・アッバスは、アラファトと一緒に、オスロで達成されたコンセンサスを確定する文書の署名のために、ワシントンを訪れた。
インティファーダの最中、マフムド・アッバスは、再三、イスラエル人に対する武装攻撃を停止するように呼び掛けた。彼は、そのような各行為がパレスチナ行政府の権限に対して次なる打撃を加える根拠をイスラエル政府に与えるとして、自説を説明した。
マフムド・アッバスは、最も多くのことを約束するパレスチナの政治家の1人と考えられている。
2005年1月9日、マフムド・アッバスは、2004年末に死去したヤセル・アラファトの代わりにPLO議長に選出された。アリエル・シャロンは、アッバスの勝利を祝福した。
★本当に「停戦」が成立するのか?
2005年2月8日 文責:ビー・カミムーラ
今日、8日、エジプトのシャルムエルシェイクで、アッバス新自治政府議長とシャロン首相の会談が行われ、相互停戦の合意が発表される見通しです。
3500名以上の犠牲を出したこの4年間に終止符が本当に打たれるなら、喜ばしいことです。しかし、この「停戦」はとてももろいものだと言わざるを得ません。
この停戦により、イスラエルは900人のパレスチナ人囚人の釈放(…しかし、そのほとんどは逮捕3ヶ月以内、全体での囚人数は8000〜9000人)と5つの西岸の都市の治安権の返還(ラマッラー、エリコ、トゥルカレム、カルキリヤ、ベツレヘムのみを対象。ジェニンとナブルスが除外されていることに注目)を実施する予定なのですが、パレスチナ抵抗諸機関からは「停戦発表前にアッバスはレジスタンス・グループと話し合いをするべきだ」とクレームがついています。
ハマスの指導者のひとりであるムハンマド・アッザハル氏は「政治犯の釈放が完全に行われない。本当にイスラエルが今の攻撃や侵攻を停止するのか、見届ける」という談話を発表しています。また、イスラーム聖戦のナフェズ・アッザム氏は停戦そのものについて語ることは避け、「今後のことは我々ではなく、イスラエルの姿勢いかんによる。我々は巨大な監獄のなかで日々惨めな生活を強いられ、イスラエルの行いを実際に体験している。イスラエルが現実にどう振る舞うのかが問題なのだ」と語っています。
実際に4日(金)にもガザでは非武装の民間人2人がイスラエル軍によって殺されました(イスラエル軍も非武装だったと認めている)。5日(土)にはガザのハンユニスでイスラエル軍の砲撃、銃撃が民家に向けて行われ、41歳の男性が首を撃たれて負傷しています。逮捕作戦も相変わらず続いています。
暫定的な停戦が始まってから11日目の今月初旬に、この期間だけでも22人が殺され、47人が負傷し、約200人が逮捕されているということで、ラファの小学校で少女が殺されたのをとどめに「堪忍袋の緒が切れた」とパレスチナ8グループの共同声明が出されていました。
要旨は「イスラエル軍が(土地収奪などを含めた)攻撃を止めない限り
は自分たちは武器を捨てない」というものです。
7日、イスラエル、パレスチナを訪れていたコンドリーザ・ライス米国務長官はアッバス議長と会談し、「ロードマップ」に基づいた和平協議再開の重要性を強調しました。米国はパレスチナに緊急援助として雇用を生み出すため4000万ドル(約42億円)の支援を自治政府に約束。と、同時に停戦を監視し、パレスチナ自治政府治安組織を再建するために「治安調整官」を派遣することを表明しています。
米軍の指導下で自治政府治安組織が再編されたとして、その矛先がハマスやイスラーム聖戦の活動家取り締まりに向けられていったら、それは単にイスラエル軍の肩代わりをしているにすぎなく、また、自治政府はイラクのアラウィ同様「傀儡」としか見られなくなります。不人気なアッバスがそれを行ったら、ますます人々の気持ちは自治政府から遠のくでしょう。
---ナブルス通信 2005.2.8号
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握手を交わす
Mahmud Abbas (L) と
Ariel Sharon (R) |
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ラファ難民キャンプで、囚人全員釈放を求めるパレスチナ人のデモ |
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中東来訪しながらも何故か首脳会談には出なかった米国務長官
Condoleezza Rice |
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