昨日← 05/01/25 (火) →翌日
![]()
【トピック】 ★ギニア大統領、陰謀加担者の掃蕩へ[リベラシオン]
ギニアのコナクリで陰謀加担者の掃蕩が始まった。この旧フランス植民地の「終身」大統領ランサナ・コンテは、連続3期目の大統領に就任してからこの1年、日々襲撃をやり過ごしてきたが、水曜日またしても暗殺を危機一髪で逃れた模様だ。首都周辺を車で移動中だった大統領一行が銃撃されたのだ。大統領の親衛隊が反撃したが、襲撃者は逃走に成功した。ただちに治安警察部隊は数10通の逮捕状を発行した。
1984年、クーデターによって政権の座に着いたコンテはコートジボワール大統領ロラン・バグボと親しく、共通の敵をともに戴いている。その敵とはブルキナファソの大統領ブレーズ・コンパオレだ。この地域内で発生した不審な発砲事件の背後にはコンパオレがいると疑われているのだ。しかもほとんどあからさまといってもよいこのような非難は、国民の不満がうなぎのぼりに高まる嘆かわしい状態のギニア政府内部では歓迎されている。いっぽう野党側は、これがギニア国民の注意を日々の生存という重大問題からそらせるための政府による大掛かりな陰謀だと主張している。
鉱物資源が豊かなこの国において(中でもボーキサイトの埋蔵量は世界の3分の1を占める)社会主義的な運動が盛んになっている。昨夏、ギニアの主食の一つである米の価格が高騰したことから、コナクリで大規模な暴動が発生した。コナクリでは停電も頻繁に発生している。同じ時、ガソリン価格はなんと66%も暴騰した。政府は学生によるデモ隊を厳しく弾圧した。学生たちは150人収容の大学の講堂に、なんと500名も詰めかけたのだった。ギニア中央部では人々は「慢性的」な飢餓に苦しめられており、最近はコレラの伝染によって数10名の死者が出たという証言もある。このような状況下で、国内で大きな混乱が発生していないことこそがむしろ驚異的だ。
以上、阿修羅掲示板より要約
投稿者 なるほど 日時 2005 年 1 月 23 日
【ギニア関連】
★ランサナ・コンテ ギニア共和国大統領-外務省
(His Excellency General Lansana CONTE
President of the Republic of Guinea)
★ギニア共和国大統領ランサナ・コンテ閣下の訪日について
平成14年12月6日 外務報道官発表
ギニア共和国大統領ランサナ・コンテ閣下の公式実務訪問については、既に11月22日付にて外務報道官発表を行ったところであるが、今般、ギニア共和国政府よりの申し出により、同大統領閣下の訪日は中止となった。
ギニア大統領
Lansana CONTEコートジボワール
大統領
Laurent GBAGBOブルキナファソ
大統領
Blaise COMPAORE
★12月13日、コンテ大統領のスピーチ
「ギニアに混乱をもたらそうと画策している人間がいるために、この会見を開くことになった。私の死亡説を流したのは彼らだ。私はギニアの大統領として、神と国民の意志によりこの国を動かしている。他のうそつき連中の口車に乗るではない。私は軍人だし、野党と協力するつもりもない。私を馬鹿にするのにもほどがある。もううんざりだ。私を辞めさせられるのは君たちであって、野党の連中ではない。今回は目をつぶっておくが、目を覚まさない奴は叩くこともあるだろうから、充分に用心するように。私は政治家ではなく軍人であるから、やるときにはやることを知っておくように。
日本訪問ができなくなったのは、君たちみんなが知っているように、永いこと具合が悪かった左足の状態がさらに悪化したためだ。ただそれだけのことだ。そのためにギニアを放棄するつもりはまだない。--中略-- 私は健康が許す限りギニアのために働かねばならない。神が私の死を望むときまでは」
豊富な地下資源などの利権確保を狙う地域紛争の場合は、旧来から存在する部族間の好悪の感情を煽る者と、戦闘を手助けし、時には戦闘そのものを請け負う者が、民間の会社組織として半ば公然と動くという、嫌な世の中になりました。
そういえばギニアにも、ギニア軍兵士を再教育する部隊が米国から送り込まれ、内陸のキンディアの町で軍事訓練をしています。さらに内陸のカンカンの町では昨年夏から、中国の軍人50人がギニア軍兵士を半年間の予定で教育していましたけれど...。
『金鉱山からのたより』2003/01/13
発行元:ギニア会 代表 齊藤 清
★ランサナ・コンテ政権の本質
コンテ政権は登場から十年余りの期間、危機の連続であった。何度か側近に向かって「いっそ郷里へ帰って百姓でもするか」と弱音をもらしたらしい。それにもかかわらず、ギニアはコンテを必要とした。政権にとって最大の危険な存在はやはり軍部であった。ギニア国軍はトゥーレの第一共和制時代、アフリカでも屈指の兵員数と装備を誇り、国連PKOやアフリカ諸国の独立支援に転戦したことがあり、もちろんギニアとして国力不相応な存在であった。経済再建時代に入り、その適性規模への縮小は、経済負担軽減のほか、軍部の政治への容喙(ようかい)能力を絶つうえでも絶対に必要であり、事実コンテはこれを実行した。それでも前記の如く国軍の反乱事件が発生した。このときコンテがいなかったら、ギニアは今頃どうなっていたであろうか。豊富な鉱物資源は軍閥間での奪い合いの好餌となり、部族の利害がこれにからみ、国土は軍靴で踏みにじられて、シエラレオネやリベリアの二の舞となっていたかも知れぬ。この危機をコンテは最小の犠牲で切り抜けたといえよう。
経済再建と政治・社会的安定のため、最初の手探りの努力が展開されていた合間の1993年、コンテは複数政党制のもとでの国民投票による最初の大統領選挙を実施し、民選大統領としての洗札を受けている。これを皮切りに、1995年ギニア最初の国民議会の議員選挙、および市町村議会議員選挙をそれぞれ実施し、国の民主化と地方分権への軌道を敷いている。
1998年12月、コンテは二回目の大統領選挙を経て、引き続き政権を担当することとなった。今後、コンテがギニアの発展のため、どのような政治手腕を発揮するか、注目されるところである。
【私的めもらんだむ】 9時
昨夜、母方叔父の訃報が入る。分家、故母の妹、その亭主・・・ひたすら酒を飲み続け、そして死んだ。母方親戚筋から絶縁された私としては何ら感慨も起こらない。
コタツが壊れた。ストーブはあるが灯油が無い。毛布に包まってこれを書いている。また風が唸り出した。春が待ち遠しい。巡る季節の春よりも、心の春が来て欲しい。猫に餌をやらなければ・・・
11時
腹いせにコタツを叩いたら・・・直った。やってみるもんだ。希望がひとつ叶った、と大袈裟に思うことで元気を出そうとしている。そんな自分がなんか寂しい。猫に餌をやらなければ・・・
12時
猫に餌をやった。自分に餌をやらなければ・・・山芋、麦飯、白湯。やらねばならぬ仕事無し。入荷は週末か・・・2月は忙しくなるとか・・・ほんとかね。その前に夜逃げするはめになるかも。ホラー映画も敵わぬ日々ハラハラドキドキ綱渡り。風もフキョウフキョウと鳴いて吹く。風邪ひいた。
18時
ギニアの件を書くにあたり、早速初歩的な間違いを起こす。ギニアと赤道ギニアを混同したまま、大統領の名前が一致しないことで「おかしいな?」などと首を傾げていたのであった。紛らわしいこと甚だしい限りだ。話題としてはサッチャー女史のバカ息子が登場する赤道ギニアの方が面白いだろうが、ギニアも調べていくうちにランサナ・コンテ大統領の人間味に興味がわいた。まるで子供を諭すかのようなスピーチはコンテ大統領の人間臭さが出て面白い。ちなみにスピーチの「死亡説を流したのは彼らだ」や「うそつき連中」とは、宿敵ブルキナファソ大統領ブレーズ・コンパオレの、息のかかった国内一派のことだろう。マチガイナイ。
【視聴予定】
♀ 「新じねん」TOP
♂