昨日← 05/01/05 (水)翌日
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【私的めもらんだむ】
 例の無愛想なイトコKのことで、親戚の間でさっそく非難の声が上がり始めたようだ。無理もない、母方イトコでは年長クラスのKが動かず、若手のイトコ同士が連絡を取り合っているのだから不満も出よう。「オレには関係ねえ」が口癖のKの無責任が、いつまでも通用するほど甘くはないってこと。私が訪れてもそっぽ向いていた光景が浮かんでくる。それでなくとも母方の親戚には煩い奴らが揃っているというのに・・・
 本来ならKが率先して若手に指示を出して葬式の連絡をとりまとめるべきなんだ。母方のイトコは多い。先代の先妻と後妻のイトコたちだけでも相当な人数になる。今、こっちで連絡を取り合っているのは、その先妻のイトコたちで、私もその中に含まれる。一向に動く気配を見せないKの態度に、業を煮やし、私はK抜きで連絡を取っている。これが私の最後の母方本家の奉公となるはずだ(そうもいかないか)。
 ちなみに本家の叔父の死因は、餅を喉に詰まらせた窒息死ということだった。「オジキらしい最後だねぇ」と思わず笑ってしまったが、こういうことを聞き逃さないのがKでもある。どんな伝わり方をするのか気になるが、いずれ本家に伝わって不謹慎な私が出来あがるだろう。

10時
 告別式は9日に決まった。私はそれに合わせて出向する。親戚一同に弔問客を加えると、けっこうな人数になるだろう。私の父以来の豪華な葬式だ。地元田舎では一番の土地持ちではなかろうか。もっとも叔父が田畑を買い漁った農地に過ぎないが、それを継承する息子も管理が大変だろう。本当は私の母も先代の娘として、農地の一部を分け与えらるはずだったが、放棄した。叔父は先代の遺産の全てを所有したのだが、そのための努力(?)も並じゃなかったようだ。母の手術の日に、何とか書面に判子を押してくれと、頼んでいた叔父を記憶している。あれは母の遺産相続分を、弟であるところの叔父に譲渡するための書面だったのか・・・母が死なない内にと・・・母がそれを拒んでいれば私も地主になれたわけだ。これから手術に向かう母に、相続権利を放棄してくれと迫る叔父・・・なるほどねぇ。父も母も欲はなかったから、今の私の貧乏もあるわけだ。両親の私への遺産は、無欲と責任感という心の遺産・・・それで充分だ。決して負け惜しみではなく、そう思う。せっせと土地を所有し続けた叔父の努力も、その死によって息子へと手放すことになり、消滅した。ご苦労さん。

 私の叔父への気持ちは、多分、先妻側イトコたち全員に共通するものだろう。彼らの親もまた私の母のように遺産相続権利を放棄しているのだから・・・させられた、と云うべきか。それにしても母方イトコは後妻側合わせると何人になるのだろう?甥や姪を含めると、それこそ分からなくなる。ま、どうでもいいや。

13時
 これから地代を納める。月末に支払うべき地代だが、1月分は早くしてほしいとの地主の要望・・・貧乏人の苦衷も地主には伝わらぬようだ。現在預金高1万弱、叔父への香典2万、花輪生花合わせると借金する他はなし。それに加えて交通費・・・オジキ、何で正月なんかに死んだんだよ。おかげでスッカラカンだ。逆さにされたって、もう鼻血も出ねえ。死んで行く奴つぁ幸いだ、びゅうぴゅう不況の風も鳴いて吹く。オジキ高見の見物とくと見よ、風に吹かれて舞う木っ端、あれがオレだ、の生き地獄。冥土が羨ましい、今日この頃であった。


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