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6時
故母の義理の弟、私にとっては本家の叔父が死んだ。何かと話題の叔父であったが、正月早々他界するとはそんな叔父に相応しい人生の幕引きとなった感がある。ひとつの時代が終わったと、すでに亡くなった私の両親を含めて思うのだ。それは、もうあの頃のことを覚えている親戚も少なくなった、ということでもある。いつかは死ななければならぬ人間、ということで例外はない。叔父の魂はやがて私の母に遭遇し、語り尽くせぬ懐かしい話に花を咲かせることだろう。「姉に買ってもらったセルロイドの筆箱のことは生涯忘れられねぇ」と酔って語っていた、夜のことを・・・今に私は思い出している。子供のような大人、そんな叔父の額には暴力沙汰に巻きこまれたときの傷跡があった。かつては東北のシカゴと呼ばれた、知られざる田舎の暗黒街・・・それは今も変わらず地元勢力図の中に組み込まれている。より巧妙に権力と結びついた闇の図式、さらに厄介なのは、ウラ社会が堂々とオモテ社会に出てきたことである。もはや切った張ったの時代ではなくなった。私は叔父の傷跡を見るたびに、そんな時代背景を連想していたものだった。「白いものでも親が黒だと云えば、それは黒になるんだ」わけの分からぬ理不尽な説教に反発しながら、妙に人間くさい叔父の存在が懐かしくなる。悲しくはない。ただ寂しい。熱を失い、寒々とした葬儀が予想されるだけに、私は叔父の葬儀に出たくない。唯一叔父の熱が感じられる、思い出だけに浸っていたい。
12時
親戚にタブーがあるように、叔父の地元にも根強いタブーが存在する。叔父の額の傷は、飲み屋でのトラブルで負ったものだ。叔父の辛辣な言葉が、ある客を憤怒させ、ビール瓶で殴られ裂傷を負ったのだ。地元有力政治家を背景にもつ叔父は、即座に電話で助けを呼んだ。その客は急を知って駆けつけたその筋の実働グループによって袋叩きにされた。それを自慢気に話す叔父が、私には醜悪に思えた。闇社会を拠り所とするハイエナ・・・その中の叔父・・・
かつて私の地元で交通事故を起こした親戚がいた。叔父は私に助けを求めた。有力者に頼んで事故を揉み消してくれ、と言うのだ。それは後ろ盾を必要としない私にとっては無理な話だった。地元ウラ社会を多少なりとも知ってはいたが、卑怯な真似はしたくなかった。あの頃、私も叔父のように某事務所で頭を叩き割られる傷を負っていた。その理由は全く叔父の場合と逆だった。日頃は内気な私ではあったが、理不尽なことには我慢の出来ない性分も少しはあるのだ。それが誰であろうと、単身乗り込む多分に無謀な性格でもあったろう。今思い返しても身震いする。それは叔父の熱とは別の、義憤にかられての熱だと思う。それが行動に結びつく時、どんな結果になるか・・・今も私の頭に残る傷跡がそれを物語っている。
それでも私は叔父に同じ匂いを感じ、何処かしら親近感を抱いていた。親戚や世間から疎まれ、忌み嫌われるという意味で・・・私と叔父は同類だと、今更ながら思うのだ。だから今回の叔父の死の、その葬儀には出たくないのだ。葬式仏教の胡散臭さ、延々と続く読経に麻痺していく足・・・したり顔の聖職者が受け取る札束に怒りすら覚える。前の親戚の葬儀では読経代50万円が手渡され、諸々の経費を含め300万は下らない葬儀に、今は極貧の私には違和感ばかりが募る。それにも増して、葬儀の席でヒソヒソ交わされる世間様の死者への陰口・・・それらが冒涜となって私の脳裏に伝わる時に、私は思わず逃げ出したくなる衝動にかられる。そこに死者への哀悼は微塵も無い。「なあオジキよ、死んでなお忌み嫌われては成仏しようもないだろ」と・・・「オレに墓は要らない、その辺の道端に埋めてくれ」と・・・
叔父の死で、正月早々抹香くさい話になった。幼児の頃、母のその父親の葬儀の席で、私はわけもなく笑い転げては叱咤された記憶がある。某イトコもそれを覚えていて「オレはあの時のおまえの非常識が許せない」と睨み付けられた。へえぇぇぇ〜、お互い子供の頃の記憶に許せない気持ちとはこれいかに・・・今回の叔父の葬儀にはそんなイトコが取り仕切るはすだ。地元では肝の据わった不動の主として尊敬されているらしい。こいつの顔にも叔父のような傷跡がある。いわば同世代親戚みんな傷持ちってわけだが、その傷の意味合いはそれぞれに違うのも面白い。陰気な葬儀の場に耐えるには密かに面白がるしかないだろう。
さてと、そろそろ葬儀の日程が伝えられる頃だ。火葬場も正月休みならば延期も有り得る。友引は避けねばならぬ・・・叔父の遺体を傍らに、そんなことが話し合われているはずだ。暖冬の影響で叔父の遺体も日増しに痛むことも考慮されるだろう。私の場合、留守の間の猫の餌はどうするか、が当初の問題になる。親戚からすれば、何処までも不謹慎な私であろう。「それで良し」と自分で納得でもしなければ自分が保てない。ああ面倒くせえ・・・
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