★『新風ネパール王国支援委員会』設置趣意
ネパール王国において一九九六年から始まった共産党(非合法)毛沢東主義者によるテロ活動は、二〇〇三年二月に政府との間で一旦休戦となった。休戦中の会談においてゲリラ側は、共産主義共和国建設のための新憲法採択を要求し一歩も妥協しない姿勢を貫いた。休戦は七カ月後の八月二十七日に共産ゲリラ側の一方的な会談打ち切り宣言によって終わりを告げ、以来、共産主義者たちは過去に倍する残虐非道の手口を用いて美しいヒマラヤの王国を血まみれにしている。また、観光立国である同国の経済状況は危機的な事態に陥っている。
★2001年ネパール異変の真相
六月二日未明(現地時間一日夜)、ネパールの首都カトマンズの王宮で銃撃事件が発生した。伝えられるところによると、王宮内で発砲したのはディベンドラ王子で、彼の銃撃により第十代国王ビレンドラ夫妻の他、王族が十人射殺されたという。自殺を図ったディベンドラ王子が新国王に即位したが、二日後に死去、ビレンドラ元国王の弟ギャネンドラが新たな国王に即位 した。
殺されたネパールの元国王ビレンドラは民主化政策に積極的だったが、新国王になったギャネンドラは専制君主制度の復権を望んでいる。またギャネンドラは政府による一部過激派の取り締まりに批判的で、警察どころか軍隊まで投入することを主張していた。それでいて彼はまた、毛沢東主義派に資金援助も行っていた。
これは矛盾するように思えるが、じつはそうではない。インドを初めとする都市型市場経済を認め一部特権勢力だけが利益を得るような主義思想を排除したいという主張なのだ。ネパールの毛沢東主義者は多数の貧困層の心情を理解するいっぽうで王政には反対しているわけではない。専制君主制度は貧困層には希望でもあるのだ。
---行政調査新聞
★王族殺害事件: 謎と解釈
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