04/02/17 (火)
0〜9℃、南西よりの微風
カタールの皇太子(Sheik Tamim Bin Hamad Al Thani)は2004年2月16日月曜日にドファ(Doha) 開発フォーラム( DDF )の初公開の場で演説。 彼は、富める者と貧しき者が協力し合いながら発展途上国の文化に貢献すべきと訴える。また国際的な会議によってパレスチナやイラクの紛争を解決することの必要性を説く。
 ハマド現首長は1995年にクーデターにより実父のハリーファ首長を追放して首長の座についた。この時、ハマド首長は1972年に制定された暫定基本法に「首長は父から子に継承される」と明記し、翌年に三男ジャーセムを皇太子に指名した。その後、カタルの内政は安定の度合いを増し、ハマド首長は1997年8月には米国で腎臓移植手術を受けたものの、直後の11月には北アフリカ・中東(MENA)経済会議のホスト役をつとめ、また1999年4月の日本を含むアジア諸国歴訪、2000年のイスラム諸国会議(OIC)サミット、2001年WTO閣僚会議等の重要な国際会議をこなしており、現在のところ健康を危惧する声は聞こえない。またハリーファ前首長との父子相克は1996年末の両者会談で和解したと伝えられている。
 ハマド首長は父ハリーファ前首長の路線を継承しカタルの内政改革を推進している。一例として国内報道検閲及び情報省の廃止、商工会議所の公選制導入があげられ、また1999年にはカタル史上初めての選挙により地方自治中央評議会議員の選出が行なわれている。また2003年に普通選挙による議会制に移行することを宣言している。
 国内自由化については1996年に開局したアル・ジャジーラ衛星放送が有名である。アル・ジャジーラは他の湾岸諸国のテレビが官製ニュースの枠に縛られ自由な報道が制限されている中では異色の存在であり、9.11テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンの肉声ビデオを放映するなど独自の取材ルートで脚光を浴びている。アル・ジャジーラは一方では湾岸諸国の反体制運動家の声をそのまま流しており、他のGCC各国から強い批判を浴びているが、これに対してカタル政府は黙認する姿勢である。このためサウジアラビアが駐カタル大使を召還するなど、周辺アラブ国家との外交問題に発展しつつある。(「中東経済を解剖する」より引用)

【参考=外務省サイト「カタール」

カタールの液化天然ガス・プロジェクト

 写真の人物は現首長シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニと思われるが、現時点での新皇太子は4男のタミーム殿下(2003年8月指名)とされている。
 カタールへの世界の関心事は液化天然ガス・プロジェクトにある。これが発電と給湯を両立させねばならない自動車の「燃料電池」には最適なのだ。燃料電池の普及には従来のガソリン・スタンドが使えるかどうかが鍵になっていたが、カタールの液化天然ガスはこれを難なくクリアする。2001年7月にエクソン・モービルが具体的な研究協定に調印しており、次いでゼネラル・モーターズがこれらの開発に関与している。同年12月には三井物産と国際石油開発が液化プラントへの総事業費50億ドル(約6500億円)の巨費を投じて、国営カタール石油(旧カタール・ゼネラル石油)との共同開発に進出している。
 1950年代のクウェート・オイルブームから、カタールのガスブームへと国際的行事は大きく変転していくことは間違いあるまい。カタールへの大プロジェクトに参入する欧米諸国ゆえに、アラブの反体制運動のニュースを流すアル・ジャジーラ衛星放送を表立って規制できないという側面がある。しかし、これに水を差すかのようにアメリカ政府は軍事基地を次々とアラブに設置し、2002年4月にはサウジの巨大米軍基地プリンス・スルタン基地をカタールに移転する計画が打ち出された。これにアラブ民衆が反感を持つのは当然だが、世界の諸大国をビジネス・パートナーとして考えるアラブ首長の面々にとっては頭の痛いところだろう。
【参考=広瀬隆著「世界石油戦争」432-435頁より引用要約】

 スルタン基地のカタール移転については二年前のファイルに保存してあった。以下、米軍、湾岸地域の司令拠点のカタール移動を検討(2002/4/6付のワシントン・ポスト紙より)
【視聴予定】
20時
00 運命のダダダダーン「あなたの国で死にます…もう一人の流転の王妃・李方子の生涯」 涙の夫婦愛
 李王朝の皇太子・垠のもとに嫁いだ梨本宮方子にスポットを当てる。司会・三宅裕司、中島知子。 一九一六年、日本の皇族・梨本宮家の長女、方子は自分が李王朝の皇太子・垠と婚約したことを新聞で知る。軍事力で併合した大韓帝国との結び付きを強めるため、日本が仕組んだ政略結婚だった。だが、方子は日本と朝鮮の懸け橋になる決意をし、二〇年に結婚。やがて長男が生まれる。だが、わずか八カ月で息子は亡くなってしまう。終戦後、王皇族はGHQによって特権をはく奪された。貧困に苦しむ夫婦だったが、方子は皇族として身に付けた礼儀作法を生かして花嫁学校を開く。
写真-梨本宮守正王殿下と梨本宮伊都子妃殿下(李方子-Li, Bangja- 妃の母親)
21時
15 プロジェクトX「国産自動車・われらいばらの道を行く」  トヨタ倒産危機▽度胸で走れ
 国産初の乗用車の開発にかけた技術者たちの、執念のドラマを描く。深刻な不況下にあった一九四九年、新興の自動車メーカー「トヨタ自動車」の経営は火の車だった。辞任に追い込まれた創業者・豊田喜一郎は、国産乗用車の開発を夢みていた。製造の主力がトラックだった時代、喜一郎は「いつか日本にも乗用車の時代が来る」と考え、ある一人の技術者に夢を託す。
【私的めもらんだむ】
12時
 仕事にかかる前の午前中には「日々雑感」の大筋をまとめているが、今日のように写真の人物特定にはいつも悩まされる。特にアラブ首長では王族の似通った名前が続々出てくるのでその特定は至難の技だ。系図を詳細にチェックしても、長たらしい前後の名前が逆になったりすると、全く意味が違うことにもなってしまう。仕方なく、生年月日と写真の風貌から年齢を推察し、およその見当をつけている。中には元記事が間違っていることもあり、何度か訂正もしてきた。サウジに至ってはイブン・サウドの妻135人、王子推定7000人に達するというのだから、プロのマスコミですら間違うのも仕方ないことかも知れぬ。
 パソコンのトップページを開いたら、見慣れないアイコンがあったのでクリックしたら突然女性のヌードが画面いっぱい現れた。しばし見とれてしまったが、どうやら迷惑メールにトップページにジャンプするプログラムが含まれていたようだ。ハングル文字で来るいつもの韓国アダルト・サイトのメールだが、さほど悪意があるようにも思えない。むろん、そのようなサイトにアクセスした覚えもない。それも今月でオサラバだ。旧メアドが使えなくなるからだ。その前に「れいんぼう」サイトも引っ越ししなければならない。引っ越しといってもURLが「新じねん」と合併するだけで、「新じねん」から「れいんぼう」へのリンク先を変更すれば済むから、さして支障はないだろう。
14時
 監督がロータップを持って行った。クレーム無し、「大きいのはやりがいがあるだろう」と監督が笑う。次に仕上げる大型ベースのことだ。「もっと品数があればの話ですね」と私、監督はもっと話がしたかった様子だったが、作業の手を休めない私を見て早々に引き揚げて行った。今日追加された部品三点ともども、大型ベースの仕上げに入る。入荷予定の部品二点を考慮すれば、いま休むわけにはいかない。その追加部品を持ってくる頃には大型ベースも完成しているだろう。強風になれば全て作業を中止しなければならない。風が一時的に沈静化している今、仕上げに入っている。
19時
 仕事は16時頃に終えた。明日、僅かな部品を仕上げれば今度の分は全て完了ということになる。その後、カタールの王家サーニー家の図解に取り掛かる。その過程で写真の人物Sheik Tamim Bin Hamad Al Thaniの輪郭も浮かび上がる。図解を完成させたら全身から力が抜けてしまった。思えば、今日は缶コーヒーを飲んだきり何も食べてなかった。食事をつくるのもおっくうだし、いまウィスキーを薄めて飲んでいる。久しぶりに会う人々の口癖「ずいぶん痩せたね」も分かろうというもの、マンジュウのようにふっくら丸かった以前の自分ではない。もう太れないだろう。出来るなら健康的に痩せたかった。不況の直撃を受けたショックがこうさせたのだ。コイズミ某に感謝せねばならぬようだ。カネをかけずにダイエットさせてくれてアリガトウ・・・そして最後に要求したい。国が搾取して痩せた肉代、現金で支払ってほしい。



「新じねん」TOP