- オランダ王室のベルンハルト殿下はシュレーダー男爵の一族であり、その男爵は大戦中にはシュレーダー銀行の頭取とスイス国際決済銀行(BIS)の理事を兼務していた。そのシュレーダー銀行には後のCIA長官アレン・ダレスが理事として名を連ねている。また後にアメリカ国務長官となる兄のジョン・ダレスは何とI・G・ファルベンの重役であった。これはドイツ・ナチスと敵対関係にあるはずのアメリカとしては実に奇妙なことだった。戦場ではナチスと連合軍とが熾烈な戦闘で血を流している一方で、アメリカ政府は敵国の兵器を製造するI・G・ファルベン社にダレス兄弟を送って支援していたことになる。さらに米国企業はI・G・ファルベンとの関係を続け、米国のスタンダード・オイル・ニュージャージーとドイツのI・G・ファルベン社は合成ゴムや合成石油に関して技術提携していた。この時、同社の顧問弁護士をしていたのがアレン・ダレスだった。ロンドンではI・G・ファルベンとその取り引き相手の分断を狙う英国情報機関が、大戦中いくつかの秘密作戦を駆使して米国メディアを操り、ナチスと米企業との関係を暴露しようとしていた。
- 英国の機密文書によれば、ダレス兄弟は米メディアの動きを阻止すべく、即座に英国情報機関に手を回した。その手法が機密文書にはこう記されている。「ダレスとひとりの同僚が、I・G・ファルベン社に関する暴露は中止させるように要請した。その根拠は、このまま続ければスタンダード・オイル・ニュージャージーなどの大企業を巻き込むことになり、ひいては米国の戦争遂行能力に支障を来す恐れがある、というものだった」ダレス兄弟によって結ばれていたシュレーダー銀行、国際決済銀行、ベルンの戦略事務局、I・G・ファルベン社の間の黒い関係は、大戦中のヨーロッパ全土に拡がっていたことになる。【参照『ヒトラーの秘密銀行』205〜207頁】
- ロイヤル・ダッチ・シェルの創立者デターディングは、親ナチス的な妄想に身を委ねていた。グループのトップの座に着いてから三十年を過ごした後、1936年、彼はドイツのメクレンブルグに引退したが、それからも頻繁にオランダに赴き、両国の協力を強調しようとした。彼が死ぬと世界中のシェル・グループの営業所で追悼式が行われ、葬儀にはヒトラー、ヒムラー、そしてゲーリングが列席した。
- 現在、エクソンをはじめとするロックフェラー系諸会社は、大戦中にナチスの強力な化学工業グループ、 I・G・ファルベン社(1946年に理論的には解体された)と協力し続けたのと同じように、今度は共産国の企業と協力している。ヨーロッパが侵略された当時も、エクソンは1926年に取り交わされた協定に従って、情報交換や協力推進を続行した。I・G・ファルベン社は企業の根本方針を何ら変えることなく積極的で好意的な支援を受けた。ドイツの石油保有量が足りない、と見るやI・G・ファルベン社は1935年、エクソンとゼネラル・モーターズと提携し、ドイツにテトラエチル製造工場を建設した。こうして合成燃料を供給されて、ナチスの高度に機械化された兵器はガソリン切れにならずにすんだのだった。【参照『ウォッカ=コーラ・下』162〜163頁「ドイツ化学工業と米国資本の結びつき」】
- I・G・ファルベンはドイツの金属会社「メタルゲゼルシャフト」の株主になっているが、その金属会社のメインバンクはハンス・フレデリックス(Hans Friderichs)を会長とする「ドレズナー銀行」である。フレデリックス氏はほかにも「AEGテレフンケン」の会長も兼務、「アリアンツ保険」の重役でもあった。この保険会社の名は連合軍(アライアンス)を起源とすることから、NATOなど欧州の連合軍と密接な関係があると思われる。最近スキャンダルで揺れている「ドレズナー銀行」の最高責任者はベルンハルト・ウォルターという人物であり、これはシュレーダー男爵の一族から輩出したベルンハルト殿下と何らかの姻戚関係にあることを示唆しているようだ。シュレーダー男爵と言えば映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出す。男爵夫人に再婚を迫られながら、子供たちのために家庭教師のマリアを選ぶトラップ大佐。あの男爵夫人こそシュレーダー男爵夫人であり、映画ではエリノア・パーカーが魅惑的な中年女性を好演していた。トラップ一家はやがてドイツ・ナチスの追求を逃れ、アルプス越えをするのだが、実話を元にした映画でもあった。子供たちに慕われたマリアは1987年に他界、映画以上に興味深い人間ドラマであったようだ。【参照『赤い盾・上』345〜347頁】