史実・黄金伝説
ハンガリー金塊列車
大戦末期、ユダヤ人から略奪した金塊、通貨、装身具などを山々と摘み、46輌編成ブダペストを出発したハンガリー金塊列車は、ナチスやその同盟国が企てた略奪品輸送のなかでも最大規模のものだった。だが、エルサレムのシオニスト中央公文書館(CZA)の記録文書によれば、この列車の
積み荷の多くはエルサレムのユダヤ機関などに引き渡され、ハンガリーのユダヤ人社会には返還されなかった
。積み荷に対する請求権は当然、シオニスト団体より、ホロコーストから生還したユダヤ系ハンガリー人20万人のほうにあった。またカストネル列車で1944年にブダペストからスイスに逃れたユダヤ系ハンガリー人が支払ったベッヒャー供託金の一部がこのユダヤ機関に渡ったこともCZA文書から確認されている。
ハンガリー金塊列車は最初46輌編成で出発したが、うち8輌は故障で切り離された。高官及び警備員たちが14輌を奪い、残った24輌が1945年5月末、ザルツブルグからほど近い地点で連合国軍部隊によって発見された。文書には各車輌番号と所属先(大半はハンガリー鉄道「MAV」となっていた)が記録されていたが、ドイツ製、フランス製、イタリア製の客車も含まれていた。積み荷の各箱には「1」から「1560」までの番号が振られていた。中身の略奪品は金製や銀製の時計、宝石箱、骨董品、蓄音機、カメラ、ペルシャ絨毯などのほかハンガリー西部都市ジェールの美術所蔵品もそっくり含まれていた。連合軍は積み荷の完全な目録は作成しなかったが、当時の換算で総額3000万ドルとされた。
【引用『ヒトラーの秘密銀行』355〜356頁】
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