JFK暗殺現場の目撃者たち |
ケネディ米大統領暗殺事件の目撃者、ジーン・ヒルさんが死去 ジーン・ヒルさん(ケネディ米大統領暗殺事件の目撃者)ロイター通信によると、2000年11月7日、血液疾患のためテキサス州ダラスのパークランド記念病院で死去、69歳。 1963年11月22日の暗殺の瞬間をとらえた26秒間のフィルムに、赤いレインコートを着て映っていたため「赤いコートの女性」として有名になった。実行犯とされるオズワルドは三発撃ったといわれるが、ヒルさんは三発以上の銃声を聞いたと証言していた。 オリバー・ストーン監督の映画「JFK」(91年)の撮影の際、コンサルタントとして当時の様子を伝えた。(ロサンゼルス=共同) 公開処刑と影で囁かれているJFK(ジョン・F・ケネディ元大統領)暗殺だが、また一人、当時の目撃者が死去した。彼女はダラスのバークランド記念病院で死去したらしいが、ここは暗殺当時に瀕死のJFKが最初に運ばれた病院だったはず。何かしら因縁めいたものを感じさせる。そのジーン・ヒル女史が写っていたとされるフィルムには、実はもっと重要な真実が隠されている。 |
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ジーン・ヒル女史は中央左寄りの赤いコートの女性だが、その右側(白い丸枠)の女性はナイトクラブのシンガー、ベバリー・オリバーである。この女性のことはすでにJFK暗殺ファイルで紹介してあるが(参照【JFKは前方からの狙撃が致命傷となった】)、彼女もまたJFK暗殺の瞬間を至近距離から撮影していた。左のフィルムからも推察されるように、かなりの至近距離からベバリー・オリバーがカメラを回していたのが分かる。このフィルムはFBIに没収され、二度と戻ることはなかった。 そして赤いコートを着たジーン・ヒルの左、黒いコートの女性メアリー・ムー・モーマンもまたポラロイドカメラで暗殺の瞬間を撮影している。この時のフィルムは没収されることはなかったが、不鮮明なために世間の注目を浴びることもなかった。しかし・・・ |
(以後、以前書いた「JFKは前方からの狙撃が致命傷となった」から文章を抜粋する) 不鮮明な彼女の写真に二人の研究家ゲーリー・マックとジャック・ホワイトが関心を示していた。彼らはまさに大統領が撃たれた瞬間のその写真に、柵の向こうでライフルから立ち上る白煙と、警察官らしき人物と二人の人影の輪郭を割り出したのだった。彼らが写真の分析中に最初に気付いたのが白煙と、メタルのような僅かな反射光であった。調べるうちに反射光はバッチのようなものであり、そこに制帽と制服らしきものを着た人物が浮かび上がってくる。それらはダラス警察の制服に類似していることも分かった。狙撃犯がダラス警察官の制服を着ていれば誰にも怪しまれず狙撃場所に行くこともできる。さらに分析していくとその狙撃犯の背後に、頭の尖った人影が浮かび上がる。ちょうどそれはヘルメットをかぶった時にできるシルエットのようであった。狙撃場所の背後には鉄道の線路がある。鉄道員とすれば納得がいく。警察官と鉄道員という奇妙な取り合わせも、狙撃する警察官と、その周辺を見張る鉄道員(偽者であろう)とすれば俄然真実味が出てくる。そしてもう一人の人影を、その左に彼らは発見するのである。ポラロイド写真の不鮮明さから、彼らの分析結果は断定できる証拠とはならないように思えた。しかし後にそれらの分析結果を裏付けるような証言が次々と出てくるのである。 |
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←メアリー・ムー・モーマンが撮ったポラロイド 写真の原画。まさにJFKが狙撃された瞬間で、 この直後に、JFKの右後部が吹き飛ぶ。 ゲーリーとジャックが注目したのは丘の上の フェンスで、その立ち木の下にライフルを構え る警察官の姿を割り出した。 |
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