JFK暗殺めにゅー
ロスコーの日記が盗まれる
- オズワルドが厚木基地で所属した海兵隊航空管制第一飛行大隊は一時期フィリピンのU2基地に寄港していたが、その当時、後に暗殺の狙撃犯と目されるロスコー・ホワイトもフィリピンやその他の場所でオズワルドと会っている。ロスコーはオズワルドと同じ海軍に所属し、極東での特別任務に就いている。ロスコーは1957年から1971年の謎の死を遂げる2〜3日前まで日記を付けていた。ある日、三人の年配のFBI職員が突然ホワイトの家にやってくると、ロスコーの日記の写真を撮って帰った。ところが数時間後、一人が「ノートを忘れた」といって戻ってきた。そして日記はなくなった。さらにFBIはロスコーの遺した47枚の写真と証拠品の入った段ボール箱を持ち去っている。
- ロスコーの妻ジュネーヴァはルビーの店でストリッパーとして働いていたが、『タイム誌』はルビーとストリッパーの写っている写真をから「彼はアリバイとしてストリッパー使っていたのではないか」という疑念を抱いたことがある。しかし写真のそのストリッパーこそジュネーヴァであったことは知らなかっただろう。彼女は当時のルビーを回想する。
- 「彼はいつも威嚇するようで、私が働いていた時も、何にでも飛びつき自分が欲しいものは何でも手に入れるような男でした。私は一晩で200ドル貰っていました。今までの人生でそんなに稼いだことはありませんでした。夫が政府から貰うお金は197.10ドルでしたから」
- NEXT