JFK暗殺めにゅー
ジャック・ルビーが暗黒街に入る
- ルビーはシカゴのウェストサイドで育ちながら15歳の頃にはマフィアの走り使いをしている。彼らチンピラを雇っていたのがアル・カポネであった。1939年、シカゴ・スクラップ業界組合の設立者レオン・クックが殺された。理由は唯一マフィアの息のかからない組合だというだけだった。容疑者の組合役員ジョン・マーチンが逮捕され、参考人としてジャック・ルーベンシュタインという書記も呼ばれた。クックは背後から撃たれたにもかかわらずマーチンは正当防衛で無罪となり、その七年後にジャック・ルーベンシュタインは姿を消した。そしてテキサス州ダラスに現れると、その名はジャック・ルビーと変わっていた。後に殺人会社(Murder Lnc.)と異名をとるユダヤ系ギャング組織をつくったマイヤー・ランスキー(Meyer Lansky)は、その本名をスチョウリャンスキー(Meier Suchowljansky)と言う。これまで判明しただけでも800件を超える殺人契約が実行されたとされる殺人会社のボス、マイヤー・ランスキーはベラルーシ(白ロシア)のグロズノに生まれている。移民としてアメリカに渡ってからのランスキーは売春、麻薬、密造酒と手を染めながらギャングの頭目に成り上がる。ルビーはやがてカポネを遙かに凌ぐランスキーの配下に収まるが、その背後には同じ移民としての仲間意識があったのかも知れない。それでもルビーにとってランスキーは雲を仰ぐような存在であった。若い時分はランスキーも血を血で洗う抗争のただ中にいたが、やがて顔のないホワイトカラー・ギャングとして洗練された一大殺人シンジケートの頂点に立つのである。彼らにとっては一国の指導者といえども、要請があればビジネスとしての商品に他ならない。JFK暗殺の前後にルビーが震える手で受話器を取っていた相手は必ずしもCIAだけではなかっただろう。オズワルドを撃った直後のルビーは汗びっしょりで何かに脅えていたが、オズワルドが死んだと知らされたとたん、汗は嘘のように引き落ち着き払っていたという。
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