1998年5月の日誌
1998/05/31、日曜
- パキスタンの自粛宣言で一応一触即発の事態は避けられたかのようだ。これでインドが収まればいいが、今後の成り行きいかんを見守るしかないだろう。最悪の事態は回避されても人間の怨念は燻り続け、そう簡単には歩み寄ることはないだろう。印パ両国が最も気付かねばならないのは、超大国の糸引きをのことである。彼らが印パ紛争における戦争ビジネスをそう簡単にあきらめるはずはない。
- 書店で偶然に手に取った松田十刻著「チャップリン謀殺計画」(原書房)を読み始めている。日本では久々の大型新人であり、史実をしっかりと踏まえた構成が嬉しい。巻末に紹介されている29冊に及ぶ参考文献から著者の並々ならぬ読書力と調査能力がうかがえる。チャップリン謀殺に暗躍する日本のブラック・ドラゴンも、日本の右翼「黒龍会」のことだと思われる。読みかけのページにはヒトラーの活字も踊り、ちょうど私もヒトラーについて考えていた時なので、ページをめくるにワクワクする思いである。小説とはなっているが、背景は史実に基づいており、現代史を考察する上でも貴重な資料である。
- 予約していた広瀬隆著「地球の落とし穴」は品切れという。おかしな話だ。古書の絶版ならともかく、新書での品切れには腑に落ちない。何らかの圧力がかかったのではないか?勘ぐりすぎかも知れないが、予約した上での品切れは始めてのことだ。
- 地元のプラスチック廃棄物処理施設は、あれほど住民の反対にあいながら、とうとう立地されることが決定した。これで我が地元はダイオキシン発生源となってしまった。業者が絡む使途不明金が市長に流れているとの噂の渦中で、市長が突然出馬を断念した経過はさらに疑念を表明するかたちになっている。支援団体の会長をしていた某女史(元教師)が「支援していた私たちに出馬断念すら教えてくれなかった市長が不思議でならない」と言うから、黒い噂の一端を披露したら目を丸くして驚いていた。そんなことも知らなかったのかと、私の方も驚いた。子供たちの未来が大人たちの利権によって絶望の淵に追いやられようとしているのだ。
1998/05/30、土曜
- インドとパキスタンの核実験はだんだんエスカレートし「核兵器使用も辞さず」というところまで来てしまいました。何より狂喜する彼ら大衆に、第二次大戦直前の日本にだぶらせているのは私ばかりではないだろう。真珠湾奇襲に「勝った!勝った!」と狂喜した日本の民族性と相通ずるものがあるように思えて仕方がない。同時に、日本に原爆が投下された時にもニューヨークではアメリカ国民が何十万と集って狂喜乱舞したことも合わせて思い出される。こうした大衆心理の背後には、ために死んでしまった(または死んでいく)犠牲者のことがスッポリ抜け落ちていることに気付く。勝利の美酒とは、かくも人間を酔わせてしまうものなのだろうか。戦争に偶然はない。戦争は起こるべくして起こり、起こす必要のある一握りの権力者によって仕向けられている。人を殺すための武器を調達し、同じ民族を対立させておきながら引き裂き、双方に武器を流しながら利益をはかる。印パ対立がこれほど深刻化してしまった背景には、欧米先進国などの死の商人たちの暗躍があったはずである。彼らは数年前のインタビューにも「我々は近々アジアで起こる紛争のために兵器を調達している」と語っていた。当時はそれが、いつ、何処で、どのようにして起こるか分からなかっただけである。アメリカはここでも制裁をちらつかせているが、そのアメリカが印パ双方に武器を供与してきた張本人ではなかったか。それに追従する日本政府も浅はかなものである。橋龍の芝居がかった物言いは何とかならないものか。言葉遣いが丁寧な分、言ってることの本質は実に好戦的である。
1998/05/29、金曜
- 15時、来客あり「病院で医師が刺され、犯人が逃走、市内の道路で検問が始まっている」という。「こっちに向かっているかも知れない」などと冗談を言っていたが、物騒なことに変わりはない。被害程度も、犯人像も知らないが、追いつめられる犯人にしてみれば必死であろう。刃物を持っているらしいから被害が増える可能性もある。
- 17時、地元のニュースで詳しいことを知る。現場の病院は私も何回か通った道沿いにある。犯人は入退院を繰り返していた42歳の男性患者、午前9時頃、首を切りつけられた神経科の担当医は重体、居合わせた別の医師と母親に軽傷を負わせ、車で逃走。午後1時50分、東京にて逮捕。ということであった。動いた地元の警察署は数日前に私が世話になった部署、他人事には思えない事件であった。この事件、全国版のニュースでは放映されないでしょうね。
- もうすでにご存じのことと思うが、パキスタンがインドに対抗して核実験を実施した。詳しいことは他のホームページを見ていただくとして、私は黒澤明監督の「生きものの記録」を思い出している。異常に核戦争を恐れる老人(三船扮する)が、自分の家族を核爆弾から救うためにブラジル移住を決断するところから物語が始まる。しかし家族の多くは被害妄想だとして相手にせず、孤立した老人は心労のあまり病に倒れる。老人の死期を感じた家族縁者たちは頭を寄せては財産分与の話、これに絶望した老人は財産がなくなればブラジルに移民してくれると思いこみ、自分の経営する工場に放火してしまう。そのラスト、精神病院に隔離されている老人の元へ弁護士が見舞いにいく。まぶしい太陽が格子窓を照らした瞬間、老人は立ち上がる。「おや?燃えているんじゃないか?お、おお、燃えている!地球が燃えている!早くこっちに来なければいかん。早くこの星へ逃げて来なくては・・・ああ!」老人にとって精神病院の隔離室こそ安全な星となっていたのだろう。私は先に「異常に核戦争を恐れる老人」と書いたが、むしろ異常なのはそれを恐れぬ一般多数の人々かも知れない。何千発という核ミサイルと同居している人類の危うい位置を考えれば、それこそ異常なのではないだろうか。仕事現場の休憩時、政官財の汚職の話の最中にひとりが「ドカンと核爆弾でも落ちればいいんだ」と苛立つように言った。そしてみんなが同調したように笑う。以前の私だったら笑うだろうが、どうも最近はこの手の話に笑えなくなり、無理に笑うとすると顔がひきつってしまう。別に聖人君子を気取っているわけではないが、核戦争そのものより人間の心の方に無気力な絶望感を感じてしまうのだ。まずは人間の心の中から兵器のない平和な砦をつくらねばなるまい。時に癇癪を起こす性癖に悩む私だが、その悔いと共に平和を祈る心を揺るぎないものにしたいという願望だけは保ちたいと思っている。今日も一回、私は癇癪を起こしてしまった。自己矛盾はかくも承知だが、そのたびに「軌道修正」と題目のように呟く癖がついている。明日だって軌道を外れた心のミスを犯すかもしれない。そのときも軌道修正と呟いているだろう。
1998/05/28、木曜
- 足場組立終わる。さて、これからが本番だ。頭の中でいろいろシュミレーションしてみた。来月にまたがってしまうが、利益は出そうだ。問題は安全性、事故だけは絶対に起こしてはならない。以前に転落して大手の仕事がフイになったことがあった。あの仕事を今もやっていたら、かなり楽になっているはず。安全対策のための機材もそろっている。その点検が先だ。助っ人も頼んであるが、あまり当てにしないことだ。最悪の場合も考えておく。部門別の車輌の方は従業員に任せてある。ここは一切口を出さない。やりやすいようにしてやるだけ。で、売上げの一割はコンピューターの拡張に回す。何か開発を手がけねばと思う。やるなら規模の大きいことをしたい。友人が金策に困ってきたことがあり「裏の山だけは手をつけなかったが、友達が困っているのを黙って見てられない。山を処分してもいい。で、幾ら必要なんだ」と私が言ったら、「1億あれば何とか・・・」と答える。「小切手がいいか、それとも現ナマか、現ナマならでかい鞄が必要だぞ」と言ったところで友人が吹き出す。「よく言うよ」というわけ、借金の山ならいくらでもある。夢だって海の広さほどある。だがカネはない。カネのない分だけ夢でカバーしている。その夢も最近は悪夢が多い。
1998/05/27、水曜
- ボランティアを、その語源から調べた人がいた。言葉は生き物であることをつくづく考えさせられる。以下抜粋。
- ボランティアという言葉は、ラテン語のボランタス、ボランタールという言葉からきている。これは「自由意志」「自ら進んでする」という意味である。これが「ボランタリー」という言葉になると、中世ヨーロッパの教会のミサに、オルガニストが弾く短い即興曲を意味するようになる。これから派生して、フランス語では「ボランテ」となり、「喜びの精神」を意味する。これに「イア」がついて、英語の「ボランティア」となる。これは名詞としては「有志者・志願者・自発的な活動」、動詞としては「自ら進んで提供する・自発的に申し出る・志願する」ということになる。この言葉は正義・勇気といった内容を持つことから、自らの自由な意志、主体性、勇気をもって共同体の危機や課題の解決に向かう人のことを指す言葉となり、日本では1960年代から、そのまま英語の「ボランティア」という言葉が使われることになった。
1998/05/26、火曜
- 近未来に関する情報提供者を募集します。私も、という方は右上からお入りください。最初は小説形式を考えたのですが、情報の原型が保てず無理のようです。分析検証する過程である程度の未来像も浮かび上がってくると思います。私は監修ということで整理させてもらいます。あしからず。
- 雨で仕事が流れている。今日も午前中は雨らしいが、準備だけはしておくつもり。明日はイトコの会社から2名派遣されてくる。どれだけ仕事が進むか。ここで利益をあげないと今年は苦しくなる。本業以外の新規事業も考えているが、隙間産業を狙い撃ちにするゲリラ戦法しかないようだ。景気の回復さえ見込めれば苦しくとも今のまま会社を保持していくつもりだが、そろそろ頭の切り替え時かも知れない。何があってもおかしくはない。現状維持は困難と踏んだほうがいいだろう。異業種が集って新たな開発を推し進めることも必要となるかも知れない。イトコ同士が協力していくことが先決か・・・仕事がないのにそれも無理としたら、海外か。香港にでも殴り込むか。生き延びるための道は自ずから開拓していかねばならないのは必須だ。計画の目安すら立たない現状、どうする?なんて考えたりしている。零細でも社長はつらいのよ。銀行さん、カネ貸してくれ。また寝不足だ。
- 「自由な人間とは、試練を受けながら自由な社会を維持する責任を負い、規律を守れるよう、自らを変えていこうとする人々のことである。満ち足りた、拘束のない生活を送りたいと願っている人々が望むさまざまな基本的自由の中で、恐怖からの自由は手段であると共に、目標でもあります。民主制度に基づいて権力が行使される国家を築こうとする国民は、まず自らの心を無気力と恐怖から解放しなければならない」アウンサン・スーチー『自由』より。
- 「現代社会をつくりだしている、そして人間の上に立っているシステムの最大のものは、国家や政治のつくりだしているシステムである。本来は人間と人間が直接的な関係をもっていたら、政治に頼らなくてすむ部分はたくさんある。ところが人間たちの中に直接的な関係性がなくなってしまっているために、国家や政治のシステムに取り込まれてしまう。そのことによって政治がだんだん強固なものになっていき、今度はその政治そのものが人間たちを包み込みはじめる。そして不気味なる人間管理システムのようなものができあがっていく」内山節『国民国家とは何か・システムへの依存』より
- 「われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている。それが人間の状況を破壊から救い出す唯一の拠点といえるかもしれない。われわれが処理しがたくなった巨大な消費文明の排泄が人間を腐らせつつあることから救い出すのも生物学拠点からであろうし、反体制運動が、政治学的世界よりむしろ生物学的世界になってしまっていることを冷静にみとめる次元もそうである」司馬遼太郎『人間の集団について』より
- 「人間のつくったものは自然のつくるものよりは合理的である。しかしその合理性は常に一面的であり、トータルシステムから検討すればとんでもなく非合理である場合が多い。人間は数量化できないものを恐れることを忘れている。われわれがいま学ばなくてはならないのは包丁の刀さばきのように、自然の骨と肉のスジにそって文明という刀を走らせることである。そして合理主義を根底から検討し直さなくてはならない」立花隆『エコロジー的思考のすすめ』より
- 国家の中の人間か、人間あっての国家なのか。国家理念に「恐怖からの自由」を打ち出したスーチー女史の言葉は、とりもなおさず内山氏の「人間と人間の密接な関係」につながってくる。そして司馬氏が「生物学的次元」での文明論を示唆し、立花氏は「合理性からの脱却」を提唱しながら自然回帰の文明論を展開する。国家システムの冷たい機構の枠組みでは人間を制御しきれないところまできている現代、そこへ生き物としての人間を主体とした生態的な国家はつくれないものか、というわけであろう。国家を生物学的見地から問い直そうとする試みは当然の帰結だと思うが、それこそ立花氏の言う「数値化できない自然」への取り組みは困難を極めることになるだろう。内山氏は国家の権限の縮小から「人間と人間、そして自然への密接な関係」を提唱している。それには日常的に人間が自然の中に分け入り、そこから生活の糧を得る技が必要だとする。人間生活と自然が一体となって始めて開ける生産と労働を主体とした社会である。近代国家の元凶は、貨幣制度が労働の意義を根底から覆し、マネーゲーム化してしまったことにある。経済の基盤は生産にあるにもかかわらず、それが投機的な対象となるあまり労働をないがしろにしてしまった。買収が公然化している現代、人々は労働の意味を失い、労働意欲の欠如から生産する喜びすら忘れたかのようである。投機的な社会は生産能力の偏りを生み、必然的にカネでカネを買う不自然な世界を現出させている。この奇形化した世界システムが貧富の格差をさらに大きくしていくことは必然である。世界的規模の富の集中は、同時に地球規模の搾取に他ならない。そのどこにも自然は見あたらない。むしろ自然も投機の対象となり、人間に管理された不自然な自然だけが残る。鑑賞するだけの自然ではなく、自然の中から糧を得てきた先達の技が、今もっとも必要とされるべきだ。豊作貧乏など論外な、豊作を自然に感謝してきた昔の有りようそのものが求められている。
1998/05/25、月曜・・・雨が心に染みる
- 「心の正しい位置とは魂の打ち砕かれた状態のことである。すべてを失い、踏みにじられ、砕かれる。しかもそのすべては自分の罪のためであると知り、認める。心を打ち砕かれるというのは、ただひどい目にあったというだけではない。それは、打ち砕かれ悔いる心から祈りへと到達する信仰の道である」楠本史郎・若草教会牧師『砕かれた人』より。無宗教の私でも何となく分かるが、美しい言葉のわりには無惨な言葉でもある。徹底した犠牲で貫かれたキリスト教の本質とは何なのか?仕事もせずに「自分は神の子」だと言ってはフンドシ一丁で処刑された無惨な若者、キリストよ。世界中で最も哀れな神ゆえに、私はあなたを無視できないところがある。命がけのハッタリにしても凄いと思う。でも磔にされたあなたをシンボル化してしまった人間はいかがなものか。私なら絹の衣であなたを包んであげたい。異端者ゆえの発想か・・・世界に蔓延している砕かれた魂に、祝福を。
- 黒澤明監督の「酔いどれ天使」で三船扮する肺病を煩うヤクザが夢を見るシーンを思い出した。波に打ち寄せられる棺、その蓋を開けるヤクザがそこに自分が横たわっていることに驚く。そして棺の中の自分がカッと眼を開き、襲いかかってくるという悪夢だ。自分の影に脅えるということは恐怖感の極地であろう。フェリーニ監督「道」のラスト、大道芸人のザンパノが深夜の海岸で夜空を仰ぎ、ふと自分の罪を意識して脅え、そして号泣するシーンは今も私の心に焼き付いている。こうした一連の名画を観るたびに、人は人を裁くことは出来ないのだと実感させられる。罪を犯した人間は、その罪の意識によって裁かれている、と思うからだ。よって完全犯罪は成立しない。世間は騙せても自分は知っている、その記憶によって罪の意識が生じ、そして自らを裁いていく。してみれば死刑制度ほど残酷で無意味なものはないのではないか。まして無実の人間であれば尚更のこと、死刑を断行してしまった人間の罪ほど深く大きなものはあるまい。多かれ少なかれ人間ならば罪のない者など皆無だろう。私にしても知らずのうちに人の心を傷つけてきたはずである。そしてそれを忘れてしまっている自分に原罪の何たるかを考えさせられる。自分を許せないほどに苦しむのであれば、それはそのまま罪の裁きを受けていることにもなろうか。死はその総決算の瞬間でもある。閻魔の大王が帳簿を調べるまでもない。人は自分で自分を裁く決定的な瞬間が必ずやってくる。そんな気がする。「どうか私を殺してください」という詩を書いた詩人がいた。そこには戦争が人を殺してやまないことへの痛烈な批判が込められている。その戦争は人がつくる、人の心がつくる。私の、あなたの憎悪がつくる。仕掛けられた罠の回避には、そのことへの洞察力しかないのではないか。
- どうやら警察の一件では自分をさらけ出してしまったようだ。認めたくないけど自分もかなり脆いもんだと、ひとしきり反省もしている。無実の人間が犯人に仕立て上げられる過程が実感させられて、貴重な体験であった。健康な人が病院に入ると病人になってしまったような感覚が、警察にもあって、何もしていないのに犯罪人になってしまったような錯覚に陥る。これが恐い。顔をしかめる癖とゴツイ体つきをしている私は、一見して凶暴な男に見られがちだ。強そうに思われるから警察官も数人がかりで取り押さえる。ここで彼らの逮捕術がいかんなく発揮される。羽交い締め、腕を後ろにねじ上げる、その間、怒声で威嚇する。見事なもんです。署内では住所と氏名を執拗に問われるが、一切拒否、逮捕の容疑を言えない警察に何も答える必要はない。弁護士の介入を要望するが無視される。そこへ幹部らしき人物が警察官を叱咤「おまえたちは何をしてるんだ。すぐ釈放しろ」となったわけである。つまり警察官たちは(機動隊かも)職務権限を逸脱したことになる。まして相手の身の自由を奪う拘束にしても、人権侵害のなにものでもないだろう。これから日本はこういうことが日常茶飯に行われると思う。疑わしきは罰してしまう。とにかく腹が減った1日であった。ここでアバヨなんて書いたりした私だが、落ち着くにしたがって逮捕劇を冷静に受け止めるだけの余裕も出てきた。権力の魔性に一発かませないことにはアバヨなんて言ってられない。おふくろも草葉の陰で泣いているかもしれないが、これもオイラの宿命さ、許してくれ。死んでなお、親不孝の限りを尽くす大馬鹿野郎・・クスン。
- 追伸、皆が心配しているとのメールをいただいた。「応援しています」とのメールには思わず泣いてしまいました。やめるわけにはいきませんね。メールはとても励みになりました。私もだいぶ落ち着いてきたので大丈夫です。ホントに心配かけて申し訳ありませんでした。「警察に不当逮捕された」などと友人に言っても、被害者扱いされず笑われる始末です。それほど傍若無人に見られてしまう損なキャラクターです。ガラスのようなナイーブな私の神経が分からないのですね。困ったものです。もっとも本当の困り者は私なんですが・・・どうやら警察とは相性が悪いことだけは確かなようです。勝手に警察が敵愾心をもっているだけで、私自身はお友達になってもいいと思っているのですね。でも言うこと成すことが反抗的な私を警察が嫌っている。おっと、今日から足場組立の準備をしなければなりません。高いところは気持ちがスッキリしますよ。転落しない限り、この日記は続いていくでしょう。寝不足が心配。
1998/05/24、日曜
- 少し落ち着いてきた。何の容疑か身に覚えのない不当な逮捕で、警察署に何時間も拘束されたのである。弁護士を呼ぶことも許されず、ただ泊まってもらうの一点張り・・・そこへ幹部らしき人物が現れ、「おまえたちは何をしてるんだ。すぐ釈放しろ」の一言で私は解放された。人権蹂躙とはこのことである。以前にも夜の街道を歩いていたらそのまま交番へ強制的に連行され、朝まで拘束されたことがある。その時も容疑はなかった。陰険な警察官の薄笑いに曝されての強制拘束は決して忘れない。まるで私が暴れるのを待っているかのような拘束であった。公務執行妨害への導引である。テレビでは警察官がどれだけ市民を守っているか、感謝すべき善良なる警察官ばかりが誇張して宣伝されている。冗談ではない。市民の人権を踏みにじっている現実がここにある。
- 私の過去が褒められたものではないことも確かだ。暴力団が間に入っていて業者の工事金がもらえなかった時、介入して幾ばくかのカネを取り立てたこともあった。生意気だと、組の事務所で袋叩きにあったこと、レイプされた女性のために某社長宅に乗り込んだり、叩けばホコリの出る体である。警察には私のファイルも保存されているだろう。暴れん坊のレッテルは剥がそうにも剥がれない。それでも卑怯なまねは決してやらなかった。誰であろうが悪いことは正すべきであり、そのためにはモロに命をぶつけてきたつもりだ。ところがどうだ、今は卑劣な喧嘩ばかり目に付く。警察のでっち上げなぞ最たるものだ。とにかくいわれのない容疑で拘束されたら、終始黙秘権を通すしかない。後は弁護士だ。それを許さない警察ゆえに問題なのだ。悔しくてならない。まだ怒りが冷めやらぬ。
1998/05/23、土曜
- 会津のある農家ではまだ田圃に水を引いていない。田植え時期を間違えればそのまま農家にとっては死活問題につながる。その農家では野草の成長具合で田植え時期を決定している。今年は野草の成長にも異変が起きているのだそうだ。育つには育つが稲が弱まる恐れがあり、今は苗に活性剤を与えて力を蓄えさせている。田圃に水を入れる時期、田植えをする時期、それを自然を観察しながら決めている。気象庁の予報は殆どあてにしない。その農家には何代にも渡って書き記した記録が保存され、野草と田植え時期の関係も記述されてある。その確立は90%に迫るというから驚きである。自然は嘘をつかないということか。二宮金次郎は旬のナスの味に異変を感じ、ヒエやアワを植えて飢饉から農民を救っている。田舎には赤トンボの飛ぶ様子で翌年の気象を言い当てる人もいる。数年前、日本は異例の冷夏で農家が被害にあったことがある。その時には、それ以前に自然がすでに冷夏の到来を告げていた。野草の花々はいち早く咲き誇り、早く実を付けながら冷夏に備えていた。野草も子孫を残すために必死で生き残ろうとしている。そのことに気付いた農家だけが被害を受けなかった。今年も植物たちは例年より早く花を咲かせている。気象庁はエルニーニョ現象だと言うが、具体的に今後の気象変化がどうなるかには言葉を濁わしている。暑い夏が暖冬となるまで続くのか、暑い夏は短期的で冬が早く到来するのか、降水量はどうなのか・・・予測が外れたでは済まされない農家の生活がかかっている。してみれば人間の知力などはいかに不確かなものか、ここに自然を教師として学ぶ意義がある。しかし殆どの人々は自然との関わり合い方を知らない。自然からの恵みを生きる糧としながら、その自然をことごとく破壊してきたゆえにである。アウトドアブームもいいが、川の音がうるさくて眠れない、水洗便所がない、という苦情が殺到するに至っては論外であろう。「田舎の空気は新鮮だ」と深呼吸して、帰りにはコーラの缶を投げ捨てていく都会人たち、原発は安全だと言いながら、安全なはずの原発が都会に建てられることはない。無農薬の新鮮な野菜を欲しがる都会に、農家はせっせと有機野菜をつくるが、虫食いで変形した泥だらけの野菜に不満を言う。安全な野菜は虫たちも知っているゆえのことである。田舎はせっせと新鮮な食べ物を都会に送るが、都会の飽食ゆえのゴミは田舎に捨てられる。これ以上、都会人たちの要望にどれだけ田舎が貢献すればいいのだろうか。長くなった。でもまだ書き足りない。インターネットが素晴らしいとすれば、私のような田舎者が発言できることかも知れない。
1998/05/22、金曜
- アメリカ五大湖の一番東にあるオンタリオ湖、ここは釣りのメッカだ。かつてオンタリオ湖は高濃度のPCBに汚染されていた。PCBなどのホルモン攪乱物質はオスをメス化させるだけでなく、脳にも影響を与えることが分かってきた。ニューヨーク州オスウェゴ校ではオンタリオ湖の魚を食べた母親から産まれた子供を調査している。トーマス・ダービル博士は言う。「子供の物覚えに違いが現れている。水は確かにきれいになった。しかし、生物には化学物質が濃縮しているのだ」工場から排出された化学物質は湖のプランクトンに取り込まれ、そのプランクトンを小魚が食べ、濃縮されていく。その小魚をさらに大きな魚が食べ、この段階でPCBの濃度は湖水の280万倍に達する。そして食物連鎖の頂点にいる人間に最も大きく蓄積することになる。この学校でPCBの脳への影響を調査し始まったのは七年前だった。地元の母親1000人から産まれた200人の赤ちゃんの追跡調査を開始、その結果、オンタリオ湖周辺で産まれた赤ちゃんは通常の赤ちゃんよりストレス反応を多く感じるという結果が出た。77年のオンタリオ湖の汚染濃度は9060ng/g、それが93年には1720ng/gまで減少している。それは、湖はきれいになっても魚に蓄積されたPCBが濃縮されていたことを証明する。脳への影響はストレスだけではなく、記憶力の減少も懸念されている。ボール・スチュアート博士は言う。「目に見える影響ではなく、行動や記憶力に違いが現れる。『彼は頭が悪いから』とか、『育て方が悪いから』という一言で済まされてきたことに、環境の汚染物質が影響しているかも知れないなんて誰も考えつかなかったのだ」ミズーリ大学の生物科学科フレデリック・ボムサール教授は「ホルモン攪乱物質をメスのマウスに与えると、そのメスから産まれたオスは攻撃的な性格になる。マウスの行動に影響したということは、人間の行動にも影響が出ることを示唆している。ホルモンの仕組みは人間もマウスも同じだからである」と述べる。体の中で作られたホルモンは細胞を目指し、中ではレセプター(受容体)がホルモンの到着を待っている。ホルモンはレセプターと結合して、体を正常に維持する命令を伝えようとする。しかしここでホルモン攪乱物質に邪魔されると正しい命令が伝わらないだけでなく、脳に何らかの影響を与えると考えられている。マウスに投与されたのはビスフェノールA、プラスチックの一種ポリカーボネート樹脂の原料である。投与されたのは母親、わずか1億分の84グラムだった。妊娠中に摂取すると極微量でも子供に影響することが分かった。子宮の中でメスに挟まれたオスは何故か性格が穏やかになる。調べてみると、それは30兆分の1グラムという極微量なホルモンの差で起きていることが分かった。胎児期はホルモンにさらされる時期でもある。体の組織が作られる大切な時期にはごく微量でも脳の発育に影響し、その結果行動や性格まで変えてしまう。元々生物は一つの細胞が分裂して成長を繰り返す。元になる細胞がダメージを受けると、分裂した細胞もそのダメージを引き継いでしまう。胎児期のわずかな狂いが、結果として大きなダメージを招く。ホルモン攪乱物質はオスをメス化させるだけでなく、おなかの中にいる胎児の一生までも左右するのだ。ダービル博士はオンタリオ湖を眺めながら語る。「こうして見ると何も問題はないように思えます。自然も私たちも健全だ・・・と、でもそれは錯覚なのです。川やその周辺の動物たちには異常があらわれているのです。川の水を分析すれば様々な化学物質が検出されます。きれいに見えても汚染されているのです」以上、日本テレビ系列「環境ホルモンが脳を与える影響」より。
1998/05/21、木曜 法人申告所得でトヨタが2年ぶり首位
- 帝国データバンクが20日発表した1997年の法人申告所得ランキングによると、トヨタ自動車が申告所得を2倍に増やし、2年ぶりに首位に返り咲いた。消費税率引き上げ前の駆け込み需要増、レジャー用車(RV)人気で国内販売が伸びたことに加え、円安を背景に輸出が好調だったことが貢献した。
トヨタへの低率関税がマレーシアとタイで適用承認
- トヨタ自動車は20日、東南アジア諸国連合(ASEAN)域内の貿易に低率関税を認める産業協力協定(AICO)の適用を、マレーシアとタイで承認されたと発表した。日本の自動車業界では初適用。AICO承認により、トヨタはマレーシアとタイで生産する54品目の自動車部品を、この2国間では5%以下の関税で輸出入できる。マレーシアで生産するステアリング部品、タイで生産するディーゼルエンジンなどを融通し、両国で組み立てるASEAN市場向けの自動車に使う。
- 自動車業界で唯一元気そうなのがトヨタと本田技研であるが、そのトヨタが上記のように法人申告所得でトップに立った。トヨタ自動車を牛耳る豊田一族に関してはここでも何度も書いてきたが、その閨閥を「日本の閨閥」リストにまとめてみたい。これまでの記述もまとめて豊田ファミリーをファイルにしたので閨閥リストを参照にしながら検討すれば理解も深まると思う
1998/05/20、水曜
- インドネシアが沸騰している。というわけで「インドネシア特報」にジャンプするようにした(上・右端)。日誌もなるべく更新するが、久しぶりにまとまった仕事が入り、来週あたりから更新も不定期になりそうだ。人集めや段取り、高所作業のための安全対策と何かと気を使う(私は一度転落して怪我している)。危険な仕事ほどワクワクするのは性分なのか。人生においても崖っぷちに立たされるような緊迫感を求めてしまいがち。咄嗟のアクシデントにも的確な処置をできるようになりたいと思ったりしている。何が起きてもおかしくはない時勢、うろたえないだけの基礎情報で対処したいもの。昨夜の友人はビール飲んで寝込んでしまった。4人の子持ち、みんな親から巣立つまでオトーサンは大変なんだな。橋龍も何考えてんだか・・・冷え切った景気に税金だけは持っていかれる国民の悲鳴が聞こえぬようだ。勤勉で忍耐強い日本の国民性をいいことに、私物化して肥え太るブタ共をこれ以上野放しにしていくわけにもいくまい。国民の権利を当然のこととして主張していかないことには、何も変わらないまま国民は隷属化していくだけだ。インドネシアでは国会に1万以上の学生が集結しているが、主要道路は軍部の装甲車が封鎖して一般民衆と学生を分断、暴動を防いでいる。昨夜観たポーランド映画「鉄の男」も一般人と学生の別行動のもたらした悲劇と苦悩であった。権力に押し潰されていく民衆の主権が当時の記録フィルムを交えて再現されていく。生活に喘ぐ民衆、理想に走る学生、これらが一体となることを恐れて分断を図る権力者たち・・・弾圧の銃弾に倒れていく人々、その犠牲者を担いでさらに前進していく民衆の捨て身の抗議が続く。インドネシアの熱風は暴動と化したが、ポーランドの民衆は自らの犠牲でもって弾圧に屈しないことを証明してみせた。マハトマ・ガンジーの言葉を思い出す。「ネズミが大挙して虎の口に殺到すれば、さすがの虎も吐き出さずにはいられなくなる」さしずめ日本は国民の血税をむさぼる虎に例えられるだろう。その排泄物をいただくことに甘んじるだけの隷属化を望むか、それとも腐敗権力の牙を抜くために虎の口に向かって行進するか・・・二つに一つの選択しかない。
1998/05/19、火曜
- テスト段階ですが「日本の閨閥」(けいばつ)のリストを作成中です。それぞれの一族へとジャンプできるようにしたいと思っています。不定期ということで歩みはのろくなりそう、宜しく。むむ、いま友達が「酒飲むべ」とやってきている。ちっ、カネも無えし、酒屋にツケだな。
12日 ジャカルタで学生デモに発砲、4人が死亡8人重体
- インドネシアの首都ジャカルタで12日、キリスト教系のトリサクティ大学の学生らのデモ隊に治安部隊が発砲した。病院によると、4人が死亡、8人が重体で集中治療室で治療を受けている。死者6人の情報もある。そのほかにも、多数のけが人が治療を受けた。「政治改革」を求める学生デモは2月から全国で続いてきたが、首都で犠牲者が出たことで、緊張がさらに高まる恐れが出てきた。政府、治安当局は、カイロで開催中のG15首脳会議に出席しているスハルト大統領の留守中に発生した、「最悪の事態」に衝撃を受けている模様だ。
499人の死者を出した暴動発生からジャカルタ、平静さ取り戻す
- 4日目を迎えた17日のジャカルタ市内は平静さを取り戻しつつある。市民生活は徐々に平常に戻りつつあるが、市内各所では重装備の国軍兵士が警備を続け、物々しい雰囲気が漂っている。インドネシア当局によると、近郊を含めたジャカルタでの暴動の死者は少なくとも499人に上っているが、ジャワ島中部の町ソロでも店舗の焼け跡から14人の焼死体が収容されたことが、17日明らかになった。(時事)
- インドネシアの暴動による死者は新たにジャワ島で発見された14人を合わせて513名となった。死者の数は今後の調査によってはさらに大きく塗り替えられるだろう。軍部は現在のスハルト政権を支持する意向だが、これもこの先どうなるか分からない。約6年前、1991年11月12日に勃発した東チモールの『サンタクルス虐殺事件』では300人がインドネシア軍部によって殺されている。1975年以来、東チモール民主共和国の独立に軍事介入してきたインドネシア軍部は、この間、東チモールの総人口の30%を超える20万人もの住民を虐殺してきた。そして、それは現在も監視体制の中で続けられている。言われなき逮捕の末、拷問で殺されていく若者が後をたたない。軍部のこうした非道が運命共同体としてスハルト政権と結びついている。スハルト政権が倒れれば、当然軍部の東チモールに対する責任も問われることになる。今度のジャカルタ暴動は東チモールにとっても一大転機となりかねない可能性がある。今のところ平静さを取り戻したかのようにみえるが、今後、東チモールの独立運動が再び再燃すれば軍部も動くだろうし、手薄になったジャカルタ市内で同時に暴動が再燃すれば軍部の力も及ばないことになろう。インドネシア軍部の分裂から国民の側に立つ部隊も出てくるかも知れない。いずれにせよスハルト政権は末期的な様相を示すはずである。ちょうどフィリピンのマルコス政権崩壊に類似したかたちで終わるのではないか。
- これまでスハルト一族が支配してきた利権は膨大なものになっているが、日本は東チモール問題を無視しながら年間10億ドルもの資金がODA(政府開発援助)としてスハルト一族を肥やしてきた。理由はインドネシアの天然資源が豊富だという経済効率のみで、虐殺されてきた東チモールの人権問題には何ら触れていない。この罪は大きい。独裁者スハルトが倒れたらODAの回収も難しくなるのは目に見えている。今度のジャカルタ暴動では華僑街を狙って焼き払った感もある。経済基盤を中国人に奪われたという多くのイスラム教徒たちの妬みが噴出したもの。
- 中国の特務機関はスカルノ前政権時代からインドネシア政府に深く浸透していた。この頃の特務機関のボスは「康生」(こうせい)で、愛人でもある江青を巧みに毛沢東に接近させて事実上の夫人に仕立て上げていた。ソ連もまたディスインフォメーション課(第一局A課)を設置、攪乱戦術を展開していく。アメリカのCIAはスカルノのそっくりさんを起用して「幸せな日々」(ハッピー・デイズ)なる乱交フィルムをばらまき、スカルノ転覆を謀るが失敗、後々までスカルノの恨みをかうことになる。これにKGBはアメリカの公文書を偽造してスカルノを激怒させ、反アメリカ運動を煽ることに成功する。KGBもスカルノ転覆を狙っていたのだが、1965年9月30日、ここで中国特務機関が工作していた武力蜂起が突然に実行される。スカルノ政権の軍部が襲撃される中、その反撃も凄まじくインドネシア共産党は壊滅、国中で50万人の人間が殺されるという阿鼻叫喚の地獄が展開する。しかしスカルノは勝利に酔いしれている間もなく、翌年3月、今度は獅子身中の虫スハルト陸相によって政権の座を追われてしまう。やがてスハルトは西側諸国に擦り寄ると、自国の軍部を把握しながら政権の地盤を固めていくのである。それから32年後の今日、スハルト政権の屋台骨は大きく軋み始めている。インドネシアは何処に向かうのか、予断を許さない情勢であることだけは確かだ。
1998/05/18、月曜
- どうも厭な予感がする。世界的な規模で起きている大型企業の合併のことである。ダイムラー・ベンツが三菱と提携し、今度は日産ディーゼル工業を傘下に従えたわけだが、そこに焦臭いものを感じるのだ。戦時中のドイツ・ジェット戦闘機『ME202』は日本で建造されたことなど、日本とドイツの軍需産業が復活したようにもとれるのだ。大日本帝国とナチスの再現である。ダイムラー・ベンツが吸収したメッサーシュミットは、イギリス本土を爆撃した『109E型』をつくり、『FW109』には川崎重工の戦闘機『KI84ハヤテ』の部品が装備されていた。そして『ハウニブー』の1号と2号が日独共同開発のために日本に飛来すると、戦争は終結へと向かっていく。この未来の秘密戦闘機は『ヴリル』へと進展しながら、やがて近未来において忽然と姿を現すはずである。あの湾岸戦争の最中に展開した『トロージャ・プロジェクト』はいまだにトップシークレットのようである。戦後の日本も平和という美名の影で三菱重工業は相模原製作所で戦車を、名古屋航空製作所で戦闘機を、長崎造船所で魚雷や艦艇を造ってきた。また日産自動車は荻窪工場でロケットやミサイルを、共々現在進行形として進行している厳然とした事実がある。ミサイル製造に関しては三菱重工、東芝、川崎重工なども参加しているが、誘導装置は日本電気も担当している。こんなことを書くと各大手企業からお叱りを受けかねないが、事実だから仕方がない。マスコミがこうした事実をタブーとしてあまり公表してこなかった責任の方が重い、と言わざるを得ない。日産や川崎で造ったミサイルの胴体は東芝に運ばれ、ここで誘導装置が取り付けられたりする。ミサイルに関しては三井グループの東芝と三菱が競い合い、高空用ミサイル「ナイキ」を巡って激しい争奪合戦を繰り返してきた。こうした兵器生産の過程が家電開発に大きく貢献している。レーダー用マグニトロン開発が電子レンジに化けたりするのである。日本は世界各地で起きている一連の紛争とは何ら関係のないように思えるが、それは我々が知らされていないか、報道管制が敷かれているどちらかであろう。例えばコントラに関連して、ホンジュラスの特殊部隊を訓練したラキア・タラ(朝の星)はれっきとした日本人であった。そのラキア・タラはコントラ指導者ファゴスに言ったとされる次のような証言がある。「我々は日本政府と日本の巨大多国籍企業が一緒になった秘密グループであり、今後40年に渡って日本を指導する『日本のエリート社会』を代表している」と・・・むろん国民の多くはこんな事実は知らされていない。これはデマだろうか?またファゴスによれば「1983年11月、反共組織レジスタンス・インターナショナルのパリ会議で、通称『キャプテン・マタロ』と名乗るG2(自衛隊幕僚二部)を筆頭とする四人の日本紳士に会った」という。これら中央アメリカでの反共連盟の悪事が裁判沙汰になり、次なる司令部の本拠地として日本が有力候補にあげられている。日本を安全な拠り所とするこうした動きは、とりもなおさず日本の国民にとっては暗黒社会の到来以外のなにものでもない。マスコミにとってはこれらもタブーであるらしい。「有事」を口にする政治家が多くなってきた昨今、我々国民の知らぬところで軍需産業が首をもたげてくるという懸念は思い過ごしだろうか。「兵器は引き金を引く人間の、その心に起因する」と喝破したマハトマ・ガンジーの言葉を今こそ思い出すべきだろう。
- 土曜日、久しぶりに繁華街で痛飲する。どういうわけか、いつも出くわす人物がいる。「局長」と呼ばれる御仁、最初はあだ名だと思っていたが、どうやら市長の側近というエリート官僚らしい。かなりの泥酔で客に訳の分からぬ罵倒を浴びせている。もめ事が起こらぬよう、つい庇ってしまう私だが『公務の緊張感からのストレス』を察してのことだ。酔いが覚めたら私のことなど忘れてしまっているだろう。翌日の日曜日、某団体組織が東京からの講師を連れてやってくる。前もって聞いていない突然の来客に憤慨し、帰ってもらう。趣旨に賛同もすれば援助もするが、組織に縛られるのだけは遠慮したい。そのことはいつも言っているはずだ。以前にも別の某団体に勝手に祭り上げられて迷惑したことがあった。その組織の悪しき実態から自分が利用されていることを知り、集会の壇上でひとり憤慨して脱会宣言をしたものだ。惜しい、生意気だ、様々な雑音が入り混じる中、もう二度と組織なんかには入らぬと決意している。こういうのを意固地と言うのだろう。比較評価されること自体、嫌悪するのだから仕方がない。自分ではごく有り前の考えも、意を異にする者にとっては論外であり、敵となる。価値観の相違だけはどうにもならない。不景気の話になると「戦争でも起きて軍需景気になればいい」という短絡的な論拠を披露する手合いが増えてきた。そのたびに憤慨する私に相手は面食らうようだが、日常の会話にも末期的な危険性を感じるがゆえの反応に他ならない。戦争を肯定するいかなる意見にも私は反対であり、それに異議を唱えるのが当然だと思っている。思っているというより思いこんでいる。100%の人間が戦争を望んでも「それは違う」と言い切れる人を私は尊敬する。そういう覚悟のことを考えていたい。今朝も母の夢を見て目が覚めた。死んでから三年以上もたつというのに、親不孝ばかりしてきた私には最大の悔いであり、原罪でもある。この苦しみは死ぬまで続くはずだ。母の死を経験して、はじめて母の愛の深さを知った。子を想い、慈しむような母の愛をもって、世界の平和を祈り続けることができたら・・・若くして自殺を考える子らに言いたい。殺伐とした世相にこそひとりひとりの心の有りようが大切なのだと。自分ひとりの心の幸福と平安さえ確立すればいいのだと。自殺は核ボタンを押すことに等しい、自らの破壊者であり殺人者でしかない。またとりとめのないことを書いてしまったようだ。勝手放題に生きてきた私にそれを言う資格はないが、老いた母を亡くして夜中に号泣している哀れなオジンの戯言として汲んでほしい。さればとて墓に衣は着せられず、である。
- 大阪は元気いいですな。キツネ目の組員ヤマネコさんが何かやるらしい。場所が近ければ私も野次馬の一人として参加したいくらいだ。さて、どうなることやら・・・一応ヤマネコさんの言い分も聞いてやってほしい。
1998/05/15、金曜
- 昨夜も日本テレビ系列の続編特集「インドからの警告」が放映された。問題の相次ぐ奇形児出産の新聞記事を頼りに、インド環境汚染の権威アンナマライ大学のスブラマニアン教授と共にバンガロールの町へとテレビクルーは向かう。出産したのはK・C・総合病院の産婦人科、ここでさらに詳しい写真とホルマリン漬けにされた問題の胎児を見ることになる。その胎児をとりあげたギータ・ムラリーダル女性医師は語る。「最初は普通の出産だと思いましたが、二つめの頭が出てきてびっくりしました。92年にも別の病院で同じケースを見たことがあります。82年には生きているケースとして10歳の女の子を見ました。両方の頭で話していました。きちんと座ることが出来ないようでした。今は見せ物として各地を転々としているようです」ここで病院側はインターネットで世界の医師たちとの情報交換資料を出す。そこには日本での例も紹介されてあった。それは1993年における神戸のケースで、やはり首が二つで胴が一つの奇形児である。このインドの病院では重度の奇形児が1%(600人中6人)という高い確率で産まれている。後頭部の頭蓋骨が欠損し、脳がむき出しになっているケースが特に多い。インドでは子供が何人生まれたかでさえ統計がとられず、こうした奇形児出産が公になる以外にも産まれている可能性も否定できない。世界でも10万人に1人の割合で二つ頭の奇形児は産まれている。原因が農薬によるものなのか、突然変異なのか、その特定は今後の調査にかかっているが、最近頻繁に使われているBHCなどの猛毒農薬の影響が最も懸念されている。日本ではすでに禁止されているが、その禁止されて余った農薬がインドなどの第三国に輸出されているとなれば重大な問題となろう。この番組は今夜も引き続き続編が放映される予定だ。
- 番組中で放映された写真をここに紹介する。アクセスが殺到する夜の11時からは表示に時間がかかりすぎるので、他の時間帯にすれば宜しいかと。
- インドは世界第二の人口を擁するゆえに脳下垂体を世界に供給するメッカともなっている。不妊症の女性や発育不良の子供を治療するための脳下垂体ホルモンが世界的に不足し、インドではそれを補うように何百万という人間の死体から脳下垂体を取り出して欧米諸国に提供してきた。しかし脳下垂体ホルモンを注射された患者は同時にクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)の人間培養器にもなっていった。CJDは静かに脳を食い潰しながらスポンジのような塊に変化させ、見る、聞く、話すという人間の能力を全て奪い去る。1985年に最初のCJDの症例が報告された翌年、CJDに汚染された動物性タンパク質を摂取した牛が牛海綿状脳症(BSC)に感染したのである。まだ記憶に新しい「狂牛病」である。イギリスは自国の何百万頭というBSCに感染したと思われる牛を焼却場に送ると、一方では自国の牛について偽りの情報を流し、アジア諸国に記録的な低価格でこれらの牛を売却した。特にインドには「聖なる牛」を大量に仕入れるよう促し、イギリスからBSCの脅威を拭い去ろうとしたのだった。こうして第三国は先進国のゴミ捨て場となっていったのである。【工学社『サイバーX』3号「狂牛から人間へ」より要約】
1998/05/14、木曜
- 市販の弁当を買ってきた。フライの揚げたて弁当に食欲をそそられ、いざ一口食べてからギョッとした。発泡スチロールの容器に穴が開いていたのである。正確に言えば、揚げたてのフライの熱で発泡スチロールが溶けて穴が開いていたのである。私は思わず口に含んだフライの断片を吐き出した。環境ホルモンの疑いのあるスチレンが溶解したのは明らかであった。弁当屋の主は油で揚げたばかりのフライを即座に発泡スチロールの容器に入れたのであろう。容器が溶けるぐらいだから相当の熱さであったはずだ。なまじ環境ホルモンのことなど知っていただけに恐怖を感じたわけだが、知らなければそのまま平気で食べ、恐怖など感ぜずに済んだことだろう。しかし危機を意識するための恐怖がないほど恐ろしいことはないとも思えるのだ。食べたからすぐ死んでしまうという即効性の猛毒ではないが、体内に入った化学物質の毒性は細胞レベルでは遅効性の猛毒となって確実に命を蝕んでいくことには変わりはない。排出されることもなく蓄積するだけの物質に至っては、子孫代々に渡って悲劇は受け継がれていく。奇形の出産がごく日常的になりかねない不安は、インドにおける農薬を例に出すまでもなく日本の、人類の忌まわしき未来を予兆する。人間が人間として生きていく権利を主張するためにも、身近にある危険のことをもっと直視すべきだろう。
- 昨夜の民間テレビ番組で恐ろしい報告がなされていた。PCBや農薬など化学物質が、発生地より遠隔地に高濃度の汚染が報告されているという。尾ヒレが奇形のイルカ、クチバシが交差している水鳥などの奇形が目立って増えているのだ。特に熱帯地域で大量に使われている農薬の汚染は深刻で、インドのチダンバラン市場では先進諸国で禁止されている農薬が今でも売られていた。日本では71年に禁止された強力な殺虫剤BHCは、ごく微量でも発ガン性が疑われているが、ホルモンを攪乱することも分かっている。インドの農民がこの猛毒BHCを素手で扱いながら、体の不調を訴えている場面には底知れぬ恐怖を覚えた。レーチェル・カーソン女史の「沈黙の春」にはBHCのことも書かれてある。「ある農場の少年二人はBHCの袋を車から降ろしていた。やがて二人の少年は急性白血病で死んだ」その猛毒農薬の粉塵の大半は(99.6%)大気中に広がり、河へと流れた農薬の0.3%は蒸発し、0.1%は海へ流れ、99.2%が熱帯ゆえに上空へと移行し、地球規模の汚染を続けながら最終的には北極へと運ばれ蓄積されるという。インドの取材の過程で農薬が原因と思われる奇形児(ひとつの胴に頭がふたつ)が産まれたという新聞記事に遭遇する。その二日後には新たな奇形児出産が報道された。続編は今夜とのこと、5月14日の夜【日本テレビ系列「今日の出来事」10:54〜】日本の未来を憂いるなら必見。
- 大阪府豊能郡能勢町の廃棄物処理場「豊能郡美化センター」で、調整前の空焚きを行って測定値を軽くおさえる工作をしていたことは4月の日誌にも書いた。今度はそこで働いていた元現場作業員が内部告発をしている。処理場を管理運営するのは豊能郡環境施設組合(管理者は南殿利正・豊能町長)。設計した三井造船と、その子会社の三造環境エンジニアリング(SKE)が運転管理にあたっている。ダイオキシン基準値を超えていることが分かったのは昨年3月、それを知りながら翌月には炉の24時間稼働を強行していたという。許容量を超えるゴミを燃やしたため煙突からは真っ黒な煙が吹き出していた。不完全燃焼のためダイオキシンが大量に放出されていたわけである。隠蔽工作は96年秋と、97年1月、5月の3回に渡って行われた。検査の3日前になると、ふだんは来ない三井造船本社の人間が3人やってくる。ほかにSKEから4〜5人、三井が連れてくる4〜5人の民間測定業者がいつも一緒である。そして炉の中を灯油バーナーで加熱して空焚きをする。この時には現場作業員は外され、SKEの人間が空焚きをする。外部に隠蔽工作が漏れないようにするためである。ゴミも分別されダイオキシンが出そうな塩化ビニールの買い物袋などは持ち帰ってしまう。それでも厚生省基準値がオーバーするということは炉自体に欠陥があることを示唆している。しかも組合は昨年5月にダイオキシン低減のための新型炉建設を15億6000万円で再び三井造船に落札している。ダイオキシンが出ないようにするためには800度以上の高温が必要だが、焼却炉自体が800度以上では運転できない欠陥炉であった。あるときは炉の温度が800度を超えた時点でSKE社員が「こらアカン、炉が壊れる!」と叫んだという。今、現場作業員たちの間で密かに囁かれていることがある。仲間がガンで入院しているからである。本社に対して「作業員の体内ダイオキシンを検査してほしい」という要望書も出したが、本社から返ってきたのは「検査方法がない」という冷たいものだった。すでに母乳のダイオキシン検査が行われているように、検査方法がないわけがあるまい。【参考『週刊現代5/23日号』54〜56頁「ダイオキシン汚染は隠蔽された」より要約抜粋】
1998/05/13、水曜 パキスタン、インドに対抗して核実験の可能性も
- インドの核実験に対して、隣国パキスタンでは「インドの脅威に対抗すべきだ」との声が高まりつつある。ナワズ・シャリフ首相は慎重な姿勢を崩していないが、軍部と親密な同首相がタカ派の圧力に押し切られれば、インドに対抗して核実験に踏み出す可能性がある。専門家は今回のインドの実験について、南アジアの「核のパンドラの箱」を開けるようなものだと指摘している。パキスタンの「核の父」といわれ、ミサイル開発の責任者でもあるアブドル・カディール・カーン博士はインドの核実験の知らせを聞いた11日夜、「パキスタンはいつでもインドの核能力に対応できる。政府の指導者がゴーサインを出しさえすれば、実験は可能だ」と語った。
- 印パ紛争の火種は日を追って拡大する様相を示している。何が両国をこれほど憎悪に駆り立てるのか・・・一般に言われているヒンドゥー教とイスラム教との宗教戦争が根底にあることは否定できないが、何より憂慮しているかのようなアメリカ自身が、印パ双方に武器を流してきたことで紛争が悪化したことを忘れてはなるまい。1965年の印パ戦争では、パキスタン軍のパットン戦車がインド軍のシャーマン戦車と戦い、両軍はともにアメリカ製輸送機によって運ばれた。後にアメリカは国会での兵器禁輸法制定によって武器輸出は禁じられたが、その禁輸中にもアメリカのF86セイバージェット戦闘機90機がパキスタン空軍に輸出されていた。これらの戦闘機はイラン向けという名目で西ドイツから輸出されたが、その到着先はパキスタンだった。仲介は西ドイツの仲買人ゲルファルト・メルティンス、当時は国際的な死の商人サム・カミングズの仲間だった。メルティンスは西ドイツの秘密情報部を通じて、セイバー戦闘機はペンタゴンの許可を受けて販売されていた。【参考アンソニー・サンブソン著『兵器市場』232頁「第三国での不正」】
- 国防総省やCIAなどの資料を元にアメリカの軍事専門家がつくりあげた「ガイド・ツー・ウォー」によれば、世界最大の紛争地域はシベリアからインドネシアに至る半月形地域、次いでインドとパキスタン、さらにイラン、サウジアラビア、バルカンとなっている。そして1999年までにインドとパキスタンが戦争をはじめる確立は30%、双方が二個師団の兵力を投入して国連が介入するまで戦闘が続くと予想されている。さらに双方が本格的な核兵器を使う確立も20%と予測した。こうした予測は随時変更され、本格的な印パ戦争の確立は上がり続けている。冷戦後の欧米諸国は最新の軍事技術を印パ両国に売り続け、ために印パ戦争による大量破壊の全面戦争の可能性は日増しに強くなっている。
- 西アフリカ海岸沿いのシエラレオーネでは逃亡していたカバー大統領が西アフリカ多国籍軍の支援で復帰したが、その背後でイギリスが武器を供与していたことが発覚、国連の武器禁輸に抵触するとしてクック外相が苦境に立たされている。1年前の軍事クーデターで追放されていたカバー大統領を、民政復帰の旗印の下にイギリスが支援を決定、軍事企業「サンドライン」(代表・スパイツァー)がナイジェリア主導の西アフリカ多国籍軍に武器を調達したというもの。問題はこれをクック外相が「知らなかった」と弁明したことから一気に国民の疑惑をあおってしまった。つまり武器支援の手段に隠さねばならない何らかの理由があるのではないか、という疑惑である。カバー大統領が復帰する以前から、イギリス政府はカバー大統領と会談を重ねてきたという。当然、外相としてのクックも同席しなければならない職務にあり、知り得る立場にあったはずである。疑惑の核心はクック外相が本当に知らされていなかったのか、または軍需企業「サンドライン社」との具体的な取引内容に違法な資金の流れがあったのではないか、ということである。いずれにせよ政変劇の影で苦しむのは国民である。世界的な人権擁護団体アムネスティも「シエラレオーネの国内的な武力紛争は、政治的な解決に向けて動き始めているが、無防備な民間人らが拷問を受けたり殺害されたりしている」として救援を呼びかけている。
1998/05/12、火曜 インド、24年ぶり核実験
- インドのバジパイ首相は11日午後、同国西部ラジャスタン州ポカランで計3つの地下核実験を実施したことを発表した。インドが同地で1974年に初めての原爆実験をして24年ぶりの実施。今後隣国の核疑惑国パキスタンとの核競争が激化しそうだ。バジパイ首相によれば、実験は午後3時45分(日本時間午後7時15分)に行われた。3つの爆発実験は(1)核分裂装置(2)熱核装置(3)小型装置としており、いずれも実質的に核爆発装置とみられる。同首相は「実験は予測通りの成果を上げた。地上への放射能漏れもない」と説明している。首相は「実験を成功させた科学者と技術者に祝いをいいたい」と述べた。
- まずはインドがここに至った背景から入りたい。印パ対立の発端は第二次大戦後に英領インドが独立するにあたり、ヒンドゥー教徒のインドと、イスラム教徒のパキスタン二国が誕生したことに始まる。これにインドと中国の国境問題が絡み合ってくる。1914年に制定されたマクマホン・ラインを中国とインドの国境と主張するインドに対し、中国はこれに反発、1954年以来インドと中国は断続的な衝突事件を繰り返してきた。そして5年後のチベット反中国政府暴動が勃発すると、インドはチベットに同情的な態度をとり、これが中印紛争のきっかけとなる。旧ソ連はこれを利用してインドの核開発に協力していく。対する中国はパキスタンに肩入れし、後にM11と呼ばれる射程1000キロのミサイル技術をパキスタンに提供することになる。1965年に印パ紛争が勃発すると、アメリカはインドとパキスタン両サイドに兵器を提供することで紛争をあおってきた。2年後には中国が初の核実験に成功、下火になっていた中印紛争が再発する。1971年になるとインドとパキスタンの紛争もさらに激化し、12月3日、ついに全面戦争に突入する。印パ両国のこうした憎悪が核兵器開発に拍車をかけてきた。インドはすでに核兵器を所有しているが、さらにイギリス系企業の支援を受けながらアグニ型ミサイルの性能強化をはかり、クルージング・ミサイルの製造にもとりかかっている。ここで5月1日に書いた文章を抜粋する。1987年10月、科学技術庁主催の国際放射線廃棄物会議が日本で開催された。この時、壇上で演説したのがIAEA議長のスイス人ルドルフ・ロメッチであった。ロメッチはチェルノブイリ事故が起きると被害者少数のデマ報告を世界に流し、その成果(?)を評価した日本の科学技術庁によって招かれたのであった。しかしロメッチは翌年、原爆用ウランをドイツからパキスタンに密輸、パキスタンの核兵器開発に多大な貢献をして、逮捕された。こうしてパキスタンも中国のみならず何とIAEA議長からも支援を受けていた。インドとパキスタンはいつ核戦争が勃発してもおかしくはない状況にある。そこで思い出すのがやはりこの日記で書いた次のようなものである。1993年11月初頭、ロシアのグラチェフ国防省は26ページからなる新戦略を作成し、ホワイトハウスにも報告された。ここに驚くべきことが明記されている。「核拡散防止協定を批准しない国々に対しては、核攻撃を行う権利がある」というのだ。つまり中国やイラク、パキスタンなど、核拡散防止協定に賛同しない国にはいつでも核攻撃してもかまわないと宣言しているのだ。「軍事騒動が勃発する国々に対しては核兵器をもって対処する」のが新戦略の骨子なのだ。米ロのこうした取り決めは、とりもなおさず米ロの軍事同盟を示すものである。(5月3日の日誌参照)何とバカげた世界であろうか。しかしこれが現実である。核拡散防止条約などと、いかにも先進諸国は平和に向けて努力しているようなスタイルをとりながら、実際には核戦争の脅威を増加させてきたのだ。今、アジアは彼らの姑息な謀略によって一触即発の事態に追い込まれている。今後アジア諸国の火薬庫が次々と連鎖的に爆発する可能性があるのだ。
- 底なし不況の悲鳴が頻繁に聞こえてくる。夜逃げした魚屋さん、魚が腐りだして近所で大迷惑しているらしいなどなど。「飛ぶ鳥、跡を濁さず」なんて諺も、借金苦の地獄には通用しないとみえる。東京でビルのメンテナンスをしている弟がまた人を雇った。この不景気に大丈夫なのだろうか?「けっこう何とかなるもんだよ」と元気そうな返事、借金してパソコンも買ったという。私のマシンより高性能だ。ふと死んだオヤジの口癖を思い出す。「去る者は追わず、来る者は拒まず。人生は河の流れに似ている」云々、来る人、去る人、人の出会いという流れを示唆した言葉であろうか。私のところへもリストラされた職人がやってくる。それを私は「来る者を拒む」場合が多い。弟と比べれば何と度量の狭い自分だろうか、と思う。チャンス到来と思える仕事が舞い込んでも少し調べさせてもらう。利益云々のことではなく、前の業者の事情を知るためである。私が割り込むことによって前の業者が困ることはないか?ということである。相手にも家族があろう。そんな時にはやはり断ってしまう。よくオフクロが私をからかって笑ったものだ。小学生の運動会、障害物競走で私は先頭を走っていたが、突然立ち止まって後から来る者を待っていたらしい。運動会を何だと思っているのか、というわけである。結論からいえば私は「競争が大嫌い」なのだ。そうらしい。自分でも自分が分からない。中学生の頃は筆記テストの毎日に嫌気がさして白紙で出したことがある。こんな私だから会社をやっていても拡張する考えなどさらさらなかった。これがバブル崩壊後には吉と出た。仕事を拡張した同業者が次々と潰れていく中、何となく生き延びてこられた。ところが世の中はそう甘くはない。日本を私物化したバカタレ共のおかげで、私のような零細会社にも構造不況の波がやってきた。リストラされた職人を救いあげるほどの余力もない。だから弟のことが不思議でならない。半面羨ましくもある。これからどうなっていくのか?同じ思いの友人がこれからやってくる。「何か持ってこい」と言ったら「納豆ならある」と言う。今夜は納豆を肴に酒を飲むことになりそうだ。
1998/05/11、月曜 シーグラムが英ポリグラムを合併交渉
- シーグラムは世界最大のレコード会社ポリグラム(音楽映像部門)を合併に向けて交渉しているもよう。(親会社のフィリップスがポリグラムの75%の株を保有)シーグラムは3年前にもアメリカのユニバーサル・スタジオを買収している。【9日、ニューヨーク・タイムズ】
- シーグラムは世界最大のワイン・メーカーとして有名だが、一方では「アメリカの死の商人」爆薬メーカーのデュポン株22%を取得するなど、1960年代から投資に本腰を入れてきた。シーグラムの会長エドガー・ブロンマン(Edger Bronfman)は、世界ユダヤ人会議の会長でもある。ブロンマン一族はロスチャイルド一大ファミリーの中核として、南アフリカの核兵器からカナダのウラン産業まで動かす「死の商人」となっている。エドガー・ブロンマンの父サミュエル・ブロンマン(Samuel Bronfman)はモントリオールの「シーグラム」を買収して、シーグラムを世界的な洋酒メーカーにまで発展させた。その背後には、娘のアイリーンを「ロシアのロスチャイルド」と言われたグンツブルグ男爵に嫁がせ、カナダの息子エドガーがウォール街のクーン・レーブ一族のアンと結婚するという閨閥の影響があった。【参考『赤い盾・下』761〜762頁】
1998/05/10、日曜 ベンツがクライスラーと合併交渉
- 大手自動車メーカーのメルセデス・ベンツを傘下に持つ独ダイムラー・ベンツは6日、米第3位の自動車メーカーのクライスラーと合併交渉を進めていると発表した。両社の売上高の合計は約1300億ドル(約17兆円)に達し、合併が実現すれば第2位の米フォード・モーター(売上高約1470億ドル)に肉薄する巨大メーカーが誕生する。世界の自動車産業の地図を大きく塗り替えるとともに、日本の自動車業界に与える衝撃は大きい。ベンツは6日朝、両社の名前で声明を発表し、合併交渉の事実を確認した。同時に「まだ合意には至っていない」と付け加えた。ダイムラー・ベンツは、メルセデス・ベンツのほか、航空機やエンジニアリング部門を有する多角的な企業。売上高でクライスラーを上回る。欧州の自動車関係者には、ベンツがクライスラーを買収するとの見方が強い。その場合の買収金額は350億ドルにのぼる見込みだという。
ベンツ、今度は日産のトラック部門買収交渉か?
- 11日発売のドイツ有力週刊誌シュピーゲルは、米クライスラーとの合併に合意した独ダイムラー・ベンツが、日産自動車のトラック部門の買収に乗り出す計画だと報じた。同誌によると、ベンツ経営陣は今後数カ月間で買収交渉を成立させる構えで準備を進めているという。対象となっているのは、日産自動車系列の日産ディーゼル工業だとみられる。
- 世界の大手自動車メーカーがさらに合併して巨大化し、日本も例外なく呑み込まれようとしている。ダイムラー・ベンツにはライナー・グート(Rainer Gut)という重役がいるが、この男はロスチャイルド財閥の代理人(クレディ・スイス会長)として派遣されている。つまりダイムラー・ベンツはロスチャイルド銀行の支配下にあるということである。一方のクライスラーはロックフェラー・グループの役員が兼務する会社である。ロスチャイルドとロックフェラーという世界二大財閥の怪物同士が結託したという見方もできよう。ダイムラー・ベンツは1989年にかつての戦闘機メーカーの「メッサーシュミット」と合併している。その時に合併に貢献したドイツ銀行のヘルハウゼン頭取は後に爆弾で吹き飛ばされている。暗殺の背後に何があったのか?調べてみる価値はありそうだ。その合併の一年後にダイムラー・ベンツは日本の三菱重工と提携する。戦時中のメッサーシュミットと零戦を思い起こせば不思議な偶然の一致を感じる。三菱は今もって日本軍需産業の要として、主力戦闘機を製造し続けている。そして今度は日産が狙われている。意外と知られていないが、日産自動車は三菱同様、軍需産業のミサイル製造メーカーでもある。「日本のロケット史は日産のロケット史」と日産が自賛するように、日本のロケット弾の90%は日産が製造してきた。こうした側面を考える時、最近の大手自動車メーカーの一連の合併には焦臭い軍需産業の影が跋扈しているように思えてならない。
1998/05/09、土曜 独紙「射殺されたバチカン衛兵隊長は旧東独のスパイ」(ロイター)
- 8日付独ベルリナー・クーリエ紙は、4日夜射殺されたバチカンのスイス人衛兵隊アロイス・エスターマン隊長が旧東独の治安警察「シュタージ」のスパイだったと伝えた。同紙によると、下士官により夫人とともに殺害されたエスターマン隊長は1979年、「シュタージ」に入り、1981年から4年間、バチカンの情報を提供していた。匿名が条件のベルリンの情報筋によると、エスターマン氏はローマ発オーストリア・インスブルック行きの夜行列車で、「シュタージ」に雇われた人物にバチカンの極秘情報を少なくとも7回手渡したという。暗号名「ベルダー」で活動していたエスターマン氏は、ローマ法王との関係の近さと世界中を容易に移動できるバチカンの旅券を所持しているという理由で、旧東独当局に重用されていた。同氏は、スイス人衛兵隊の薄給を補うためスパイ活動に手を染めたとしている。[ボン 8日 ロイター]
- 聖域バチカンでスパイ絡みの事件が報道されるのは久しぶりである。旧東ドイツの治安警察「シュタージ」のスパイだったわけだが、スイス人衛兵隊長という肩書きは絶好の隠れ蓑となったようだ。当時の旧東ドイツは旧ソ連の支配下にあり、「シュタージ」はKGBの管轄内にあったものと思われる。類似した事件で思い出されるのがP2(ジェッリの教宣第二部隊の略語、フリーメイソン)を組織したリチオ・ジェッリで、バチカン銀行とイタリア政府の中枢部に巣くっては政策決定部門で暗躍していた。後にジェッリのファイルからKGB関連の書類が混じっていることが発覚、彼がKGBのエージェントであったことが暴露されている。今回のバチカン衛兵隊長によるスパイ事件も、P2事件同様、バチカンにおけるKGBコネクションの浸透を証明する。その目的の主たるものはバチカン内におけるフリーメイソン勢力の拡大にあると推定されるが、同時にバチカン銀行にも狙いを定めていたものと思われる。バチカンの極秘情報を流していたと言われるが、聖域バチカンに極秘情報があること自体まだまだ奥深い謎があるというものだろう。旧ソ連の解体でKGBコネクションも消滅したかのようだが、実際にはアメリカのCIAと結びついてさらに影響力は強大になっているのではないか。
1998/05/08、金曜
- トヨタ自動車は、6月末付の人事で、豊田英二名誉会長の3男の周平氏(50)を役員に昇格させる。周平氏は1977年に入社。現在は部長級で、新型の小型大衆車の開発責任者。4月に次長級から米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁企業の副社長に抜てきされた豊田章一郎会長の長男、章男氏(42)と並び将来の社長候補と見られている。また、豊田章一郎経団連会長(トヨタ会長)の補佐役として政財界での人脈が広い張富士夫専務(61)を副社長に昇格させる人事を決めた。
- トヨタ会長の長男がGM関連会社の副社長に抜擢されたことは先月1日の日誌にも書いた。今度は豊田家第二の分家、豊田平吉の流れをくむ豊田英二の三男の周平氏を役員にすることで、トヨタ自動車が実質的にトヨタ一族の同族会社であることを世間に知らしめたことになる。ちなみに本家はかの有名な豊田佐吉を頂点として、トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎から現会長の章一郎、そしてゆくゆくは社長の椅子に座るだろう章男へと続く。章男の妻は厚子、大蔵省の藤本進の娘である。日本を代表する華麗なる閨閥は「鳩山家」と「宮沢家」があげられるだろう。広瀬隆氏が言うところの「国家を私物化した一大家族」がこの二大閨閥に集中することで同族となる。豊田家も例外ではない。以前に鳩山家の系図に大昭和製紙会長の斉藤了英(故人)をあげたが、その弟の滋与史(静岡県知事・元衆議院議員)の妻・和可子は豊田家本家の豊田喜一郎(トヨタ自動車創業者)の娘であった。つまり豊田家本家から斉藤家を介して鳩山一大ファミリーになっていたのである。それだけではない。元日本カーボン社長の近藤賢二は宮沢家に属しているが、その娘・純子は弁護士一家の高島家に嫁いだ。その4男・克之の妻美佐子は豊田幸吉郎(豊田自動織機取締役)の娘であった。本家の豊田佐吉は先妻の「たみ」からトヨタ自動車を産み、後妻の「あさ」から自動織機を産んだ。その後妻「あさ」の家系から三代にして宮沢家の血脈へとつながったのである。宮沢家と鳩山家は共に姻戚関係にあるとすれば、豊田家もまた同族として日本を支配する一大ファミリーとなる。以下にいる涌井局長もまた同族であることは以前に書いた。
涌井局長を温存?、「大事なポスト」と蔵相答弁
- 「重大な疑惑があるという具体的な指摘がないのに、大事なポストにある者の身辺をさらに調べあげるのはいかがか」大蔵官僚の金融機関からの過剰接待問題に関する7日の参院予算委員会集中審議で、松永光蔵相が涌井洋治主計局長をこう評した。涌井氏は脱税事件で起訴された泉井純一被告から絵画を贈られた問題で厳重注意を受けたものの、省内ではなお次期事務次官候補と目されている。そうした大蔵省内の「論理」が浮き彫りになった一幕だった。涌井局長をめぐっては、この夏の定期異動で、次期次官をにらんで主計局長に留任するかどうかに関心が集まっている。自民党などには更迭論も強いが、有力幹部が次々と処分された大蔵省では、涌井氏を残留させたいとの気持ちが強い。
- 松永蔵相は涌井長官を庇っているつもりであろうか。ゴールデンウイークで国民の税金を数億円も使ったことはどうなるのか。閣僚11人しめて数億円なりの外遊費用も国民の納得のいくものではあるまい。殆どの閣僚の公務はたった1日で済み、あとは外遊である。ちなみに松永蔵相は4日間のイギリス外遊であった。
1998/05/07、木曜
- 以前から私の頭を離れない課題がある。ペンタゴンが推し進めている「電磁波を照射して電離層の操作をはかる」というハープ(HAARP)計画のことである。BBCテレビでも特集として放映されたが、それは「いかに人類に貢献できるか」といった類の宣伝臭の強いものであり、その実態を知れば知るほど「いかに人類の脅威となるか」との疑念が出てきてしまうのである。この件に関しては殆どのマスコミが沈黙を守っている。ここでも少しずつ資料を集めているが、ペンタゴンが大がかりな電磁波兵器を目論んでいることは疑いようがない。折りも折り、オーストラリアの「ネクサス・マガジン」で報告された実態が日本の出版社によって紹介されることになり、これを機会に検証してみたいと思っている。ニコラ・テスラからハープ計画、電磁波兵器、マインド・コントロールへと進展していくことを予想しながら事実を突き合わせていきたい。権威ある(?)識者層からの反撃も考慮して、できるだけ憶測を省き事実に基づいた資料を提示していく。事実を前にしても、信じられないから信じない頑な非難も甘んじて受けるが、その時は反証に足る事実をもって応じていただきたい。私の知るに及ばない関連資料をメールで教えていただければ大歓迎である。なにせ私の最終学歴が中卒ということもある。基礎知識を学びながらの苦しい作業になることは今から覚悟している。日誌などの日替わりでは無理なので、電磁波のコーナーに不定期に書き込んでいきたい。【参考図書・『サイバーX』工学社2号「ブライト・スカイPart1〜2」100〜125頁、3号「Part3〜4」105〜132頁。ベギーチ&マニング共著『ハープ・悪魔の世界管理システム』学研。マーガレット・チェニー著『テスラ』工作舎。ほか『洗脳の時代』などなど】
- 自民党の加藤紘一幹事長は4日午前、ニューヨーク市でキッシンジャー元国務長官と約1時間会談し、日本の経済問題などについて意見交換した。席上、加藤氏は「不良債権のディスクロージャー(情報開示)を図り不良債権処理を実質的に進めていきたい」と述べ、景気対策の中でも今後、不良債権処理に全力を挙げる考えを表明した。特に加藤氏は自民党主導で金融機関の不良債権処理策を約1カ月でまとめ上げたことを強調した上で、「大蔵省や建設省は何ら有効な処理策を打ち出せなかったが、初めて政治の力で包括的な処理のスキーム(枠組み)をつくった」と自民党の政策立案能力が向上していることを強調した。
- 佐藤紘一幹事長がキッシンジャーをどれだけ知っていて会談に臨んでいるか、甚だ心配ではある。通称「ロックフェラー財閥の代理人」と言われる彼に対抗するだけの外交手腕を佐藤氏が持ち合わせているとは到底思えない。それでなくともキッシンジャーは謎が多い、要注意人物の一人だ。いきなり結論を出すようだが「キッシンジャーは第二次大戦中にODRAという特別グループに入れられていたソ連のエージェントであった」という事実は意外と知られていない。今もってキッシンジャーの個人外交の詳細はなぜか極秘扱いで、米国議会でも秘密になっている。彼は1923年5月27日にドイツのフェルトに生まれ、本名をアルフレッド・ハインツ・キッシンゲルという。1938年にユダヤ難民として家族共々アメリカに渡っている。後に国務長官となったキッシンジャーは保安上の危険人物とされていたボリス・クロッソンをSALT(核兵器制限交渉)の政治情報担当に起用している。このクロッソンがソ連側のスパイの疑惑がかけられた時にもキッシンジャーは何故か庇い通している。リー・ハーベイ・オズワルドがソ連からアメリカに帰る際にでっち上げの報告書を書いて資金を調達したのもクロッソンであった。そのオズワルドがダラスに向かうと、あのケネディ大統領暗殺が起きるのである。映画にもなったドナルド・フリードとマーク・レーンの共著「ダラスの熱い日」の中にもキッシンジャーらしき人物が登場する。ヴァージニア州ヴィンナにあるフォスター屋敷でクロード・ポーリッツ教授なる人物が財界の大物たちを前にケネディ一族の系図を説明するところがある。そして徐々にケネディ大統領暗殺の具体的な消去法が語られるという恐ろしい設定だ。映画でもポーリッツ教授がキッシンジャーそっくりにメイクされていたが、映画の公開が危ぶまれた理由も分かろうというものである。小説の登場人物が実在する人物と分かるのだ。キッシンジャーについてはまだまだ謎があるが、少しずつ調べていきたい。
1998/05/05、火曜
- 元味の素社長の鈴木恭二氏死去
- 鈴木 恭二氏(すずき・きょうじ=元味の素社長)3日午後6時50分、心不全のため東京都港区の病院で死去、89歳。葬儀・告別式は7日午前11時30分から港区高輪2の11の1の泉岳寺で。喪主は長男重成(しげなり)氏。自宅は港区南麻布4の1の12の1122。
- 鈴木恭二は本家長女「栄」の婿養子、京都織物会長の田中一馬の次男である。味の素の鈴木家は代々家督を継ぐごとに襲名し、初代社長・泰介、二代目・三郎、三代目・恭二(婿養子)、四代目・重明ともども「鈴木三郎助」を名乗ってきた。婿養子に入った恭二は、義弟の重明が育つ間に社長と会長職を務め、重明が四代目社長になると常任監査役となって見守った。味の素の鈴木家の家系はそう単純ではない。本家の泰介と実弟の忠治によって大きく二つの血脈に別れ、兄泰介の死後に忠治の庇護によって鈴木一族はさらに華麗なる閨閥へと発展していく。特に分家である弟の忠治の息子たちは「鈴木八兄弟」と称され、八人そろって東大を出るという血脈の特定銘柄となる。忠治自身兄と共に味の素社長として後には昭和電工社長、内閣顧問にまでなっている。その長男・三千代は味の素の副産物である昭和酒造を引き継ぎ「三楽」へと発展させ、次男の松雄は工学博士として昭和電線会長となって他界、三男の竹雄は東大名誉教授にして法制審議会商法部会の重鎮、四男の義雄は通産省重工業局長を経て日揮会長、五男の治雄は財界きっての理論家、六男の正男は三菱重工副社長と三菱自販社長を経て同社相談役、七男の秀雄は大蔵官僚出身の国際金融局長やIMF理事を歴任、八男の松雄は次兄松雄とつくった多摩電気工業の会長となる。この兄弟からは有名人も輩出しているが、三男の鈴木竹雄と正子の間に生まれた娘・文子は磯村尚徳に嫁いだ。お茶の間でお馴染みだったミスターNHKである。まだまだ書き足りないが、きりがないのでいったん打ち切る。これだけの系譜にはどうしてもスキャンダルは付いて廻る。追伸として 聞いてびっくり、味の素 元専務 の女遊び を付記する。
- 「いつみても波瀾万丈」の番組に「あのねのね」の清水國明が出ていた。前妻のクーコが癌で入院した時、「死ぬのが恐い」と告白したことが心に引っかかっているという。天真爛漫で底抜けに明るいクーコが、死を前にして脅えている。その時、清水は「死ぬなんて眠るようなものなんだよ」と思わず慰めてしまった。ところが数日して「クーコが『眠ると死ぬ』と言って眠らない」という報告が入る。清水は、自分の不用意な慰めの言葉がかえってクーコを苦しめている、ことに気付いて唖然としたという。作家の吉川英治も同じようなことを著書に書いていた。母の臨終間際に「おかあさん、天国には綺麗な花が咲いているんですよ」と慰めて言ったつもりが「バカなことを言うんじゃない」と一喝されたという。死にゆく人間にとって、生きているものの慰めは残酷でさえある。死にゆく者は家族や愛する者と否応なく引き裂かれ、産まれてきた時と同じく、たった一人で死んでゆかねばならない。全ての未練は許されない。何もあの世には持っていけない失うだけの瞬間だ。全てを失って得られるものは思い出だけだ。生きてきた心の軌跡だけだ。その心に愛があるかどうかしかない。清水はクーコを回顧しながら嗚咽する。クーコがベットに居ない時には、新しく入院してきた患者の部屋にいたという。自分が入院したばかりの時の心細さを考えてのことだった。38歳の若さで他界したクーコを振り返って清水は語る。「人間の寿命の長さは何の意味もない、長生きしたから幸福だったとか、短命だったから不幸だったなどとは誰も言い切れない、肝心なことは生きている間にどれだけ感動したかだ」と。だから私は今を精一杯生き、いつ死んでもいいように生きたいように生きていくと・・・。
- 生きる者にとって、特に現代は「死は忌み嫌うべき存在」であるかのようだ。そういう意味で死は暗いイメージでしかとらえられていない。まるで「死にたくないために生きている」かのように・・・しかし人間は必ず死ぬ生き物でしかない。死亡率100%の人間生命ならば「死ぬために生きる」ことを考えるべきなのではないか。大地に境界線を引き、ここからここは自分の土地だとか、意見の対立に相手の人間を許せなくなったり、他人と比較する優劣判断でしかできなかったり、死んだら消えてゆくものに固執する無駄に気付いてもいいはずだ。人生とは多様性の中に生きることでもある。自分と違う意見を、その違いの多様性を受け入れることでしか、対話は成り立たないような気がする。そして死はその多様性の中の1なるものである。生きているということは「多様性の中の1なるものを看破する」という意味においては死と同等である。これが私の漠然とした死生観であるが、むろん違って良い多様性も認めての上である。とりとめのない事を書いてしまった。
1998/05/04、月曜
- 一昨日の日誌(2日)に竹下登元首相の系図を登場させたが、その竹下が今も住んでいる住居が世田谷区の代沢にある。この住居が売りに出されているらしい。元々この邸宅は故人となった佐藤栄作元首相の持ち物であり、竹下はこれを借りて自宅としていた。(竹下家と佐藤家は遠戚関係にある)その佐藤家の別荘などの物件も売りにだされているという。旧軽井沢の三笠地区にある一等地に1700坪を超える佐藤家の別荘は、昨年1月に売却され所有権が芸能プロダクション関係者に移っている。坪80万で売ろうとしたが不動産の値下がりで30万にしかならず、別荘の半分を所有している佐藤信二と折半で佐藤家はそれぞれ約2億6000万円を手にしたことになる。佐藤元首相の長男は佐藤竜太郎でアジア海洋掘削専務を経て現在はJR系のホテルの会長を務めている。その竜太郎の実弟が橋本内閣通産大臣の佐藤信二であり、泉井事件で責任者を放置してきた。(彼は台湾原発輸出責任者でもある)このところの佐藤家の売却は佐藤竜太郎の息子・佐藤栄治に起因している。栄治は大学を出ると遠縁にあたる三井家の三井物産に8年間勤めたあとパリに留学する。事の発端は留学中の友人に体育会系の就職情報誌の経営を任されたことにある。その情報誌にはソニー創業の盛田一族の盛田昌夫が出費、役員に住友不動産の子息・高城竜彦(後に詐欺事件で逮捕)や元西武セゾングループの幹部たちが顔を連ねていた。ところが元セゾングループの幹部が会社のカネを使い込み、後を任された高城竜彦が女優の山咲千里に入れあげるとサラ金に手を出して会社をピンチに陥れる。こうして1億の負債を出してしまうのだが、これを盛田家が支払って何とか修復する。しかしここで役員をしていた日産グループの鮎川家が苦し紛れに架空の売上げを計上、結果的に3億5000万円の負債を出す。ここで止めればいいようなものだが、佐藤栄治は平成7年に「フィリピンの椰子の廃材をベニヤ板に代用、日本に輸入する」という儲け話に飛びつく。この事業のために栄治は旧佐藤邸を担保に2億円を借り入れるが、肝心の椰子材は日本に運ぶ途中でカビが生えてしまう。窮地に陥った栄治が竹下元首相の住む佐藤邸や別荘を売りに出したというのが事の顛末であった。しかし当の栄治はこれに懲りるようすもなく、昨年からクレジットカードの提携事業を開始している。
1998/05/03、日曜
ロシアの核ミサイル1発、全米で680万人余が即死
- 北極圏の1隻のロシア原潜から、偶発的に核ミサイルが発射された場合、米国の8都市の住民計683万8000人が死亡し、さらに数百万人が致死量の放射線を浴びる――ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師の会」の一員である米国の団体「社会的責任のための医師」がこんな予測をまとめた。ロシア軍の弱体化、核兵器の管理能力の低下で、冷戦時代よりも核ミサイルの誤射の危険が高まったと懸念する医師や科学者たちは、こうした悪夢を避けるには、ミサイルを迎え撃つ弾道ミサイル防衛(BMD)計画に巨額の予算を注ぎ込むよりは、核ミサイルをいつでも発射できる警戒態勢を米ロがともに解除すべきだ、と提言した。核ミサイルが誤った警報などに基づいて発射された場合の被害見積もりに使われたのは、北洋艦隊のデルタ4級原潜。潜水艦発射弾道ミサイル(射程約8300キロ)を16基搭載し、それぞれに核弾頭が4つある。この原潜が選ばれたのは、サイロ(地下格納・発射台)式や地上移動式のミサイルより、偶発的な発射を防ぐ安全システムが甘い▽ロシアの戦略核原潜の中軸として残る――などの理由からだ。
- 1日の日誌に書いた記事を参照にされたい。曲がり間違えば全面核戦争になりかねないこうした警告はこれまで幾度もなされてきた。その都度、心配はするものの辛うじて免れてきたことで安心しきってしまうことはなかったか?薄氷を踏むような危うさは原発問題にも類似する。日々の生活に追われてそれどころではない、というのが大多数であろうか。しかし今、我々人類に忍び寄る脅威もまたリアルである。1993年11月初頭、ロシアのグラチェフ国防省は26ページからなる新戦略を作成し、ホワイトハウスにも報告された。ここに驚くべきことが明記されている。「核拡散防止協定を批准しない国々に対しては、核攻撃を行う権利がある」というのだ。つまり中国やイラク、パキスタンなど、核拡散防止協定に賛同しない国にはいつでも核攻撃してもかまわないと宣言しているのだ。「軍事騒動が勃発する国々に対しては核兵器をもって対処する」のが新戦略の骨子なのだ。米ロのこうした取り決めは、とりもなおさず米ロの軍事同盟を示すものである。いまやロシア軍の給料でさえアメリカが支払っていることは公然の秘密となっている。核攻撃の必勝法はたった一つしかない。どこの国より最初に全面核攻撃を仕掛けることである。遅れた国が敗戦国となるのである。間違って作動した一発の核ミサイルが、迎撃システムによって全面核戦争に突入しかねない恐ろしさがある。核戦争に生き残りはいない。地球を覆う放射能によって人類は死に絶える。いまもって「核兵器はそれを持つ国と国の牽制によって、戦争を未然に防ぐ効果がある」と信じている指導者がいる。「核戦争を核兵器で防ぐ」とは何とすばらしい発想ではないか。「それでは核兵器をなくしたらどうだろう」とまで思い至らぬところが権力者の凄いところである。「それでは少なくしたらどうだろう」と言いながら他国には「そうしないと核攻撃をするぞ」と核兵器で脅す矛盾がたまらない。「プルトニウムは飲んでも安全だよ」と子供にアニメーションを見せるような国もある。アニメの中のプルト君はいかにもおいしそうにプルトニウムを飲んで見せている。いまに学校給食のメニューに加えかねないのではないか・・・ここまで人類は来てしまった。ここから始まるのか、ここで終わってしまうのか、生きものの記録として我々が深く刻印しなければならぬのは「平和への祈り」ではなかったか。
1998/05/02、土曜
緊急ニュース
鴨志田孝之・日銀理事が自殺
- 2日午前3時すぎ、東京都板橋区小茂根、都住宅供給公社の向原団地第2住宅205号室内で、日銀理事鴨志田孝之さん(58)が首をつって死んでいるのを、鴨志田さんの運転手が見つけ、110番した。「もう疲れた。限界です」などと書かれた遺書があり、板橋署は自殺とみて関係者から事情を聴いている。鴨志田さんは内部管理担当で、日銀接待汚職事件や給与水増し疑惑についての対応の責任者だった。同署の調べによると、鴨志田さんはワイシャツとステテコ姿で、室内の台所と6畳間の間のかもいに、ナイロン製のひもを掛け、首をつっていた。遺書には「このような形で終わるのは心苦しい限りですが、お許しください」などとも書かれていた。同団地は、今年2月に死亡した鴨志田さんの実母の居宅で、現在は空き家だった。[時事通信社]
以下、インターネットより「鴨志田孝之」で検索 【中日新聞】日銀の常識は世間の非常識
- 接待を奨励し、料亭接待さえ「不適切ではない」とする日銀の常識はあまりにも世間とかけ離れている。一連の汚職、腐敗の根はこうした非常識にあるのではないか。日本銀行は職員に対する金融機関からの接待について調査を始める、という。幹部二人が大手銀行五行から総額数百万円の接待を受けていたとの報道があったからだ。調査は当然だが、それを発表した記者会見の席での鴨志田孝之理事の発言には驚いた。風俗店での接待は不適切だが、高級料亭ならば「不適切とは言い切れない」と答えたのである。それだけではない。「職員に広く世間と接触するよう求めてきた」と、これまでにも民間金融機関からの接待を受けることを、事実上勧めてきたとも、暗に認めた。大蔵省でさえ、幹部への過剰接待が明るみに出たら、形だけでも反省のポーズを示した。それに比べて、日銀のあっけらかんとした非常識さには開いた口がふさがらない。「銀行の銀行」がこんなふうだから、民間銀行も「右へ倣え」する。大蔵省OBの前日本道路公団理事への贈賄容疑で逮捕者を出した日本興業銀行の西村正雄頭取が、接待は当時の社会通念の範囲内と居直ったのは、日銀を頂点とする日本の金融界の体質に根差していると言えよう。では今回、日銀はどの程度踏み込んで調査するのか。何しろ、当の鴨志田理事が「自己申告なので、調査には限界がある」と初めから認めている。こう腰が引けている以上、形だけのものにならざるを得まい。日銀の「ごっつぁん体質」は、大蔵事務次官OBの松下康雄氏が総裁を務めていることと無関係ではあるまい。同氏は「大蔵腐敗の原点」とされる一九七九年の「公費天国事件」当時、同省官房長だった。大蔵官僚への鉄建公団などからの過剰接待問題で国家公務員法の懲戒処分である戒告を受けている。このことから「日銀総裁にはなれない」とみられたが、昭和天皇崩御に伴う恩赦で処分が帳消しとなり、総裁に就任できたとささやかれた。職務上の倫理感覚の欠如が不問にされた成り行き、と言われても仕方あるまい。「あの不祥事の前歴も日銀総裁への障害にならなかった」と、スネに傷持つ大蔵官僚や日銀職員は大いに勇気づけられた。興銀も似たようなものだ。九一年の東洋信用金庫の架空預金事件の主役となった大阪の料亭の女将(おかみ)と何度も会食した黒沢洋頭取(現会長)が何ら責任を取らず、居座り通した。接待し、されることを当然とする金融界。背景には、大蔵省・日銀と民間金融機関によるなれ合いの「官業一体カルテル」で、大手銀行に巨額の超過利潤が保証されている現実がある。接待は、このゆがんだ構造の所産だ。だから、いくら意識改革を唱えても限界がある。官業の癒着を断ち切れる透明な金融行政の確保が先決だ。
【西日本新聞】「日銀の常識は世間の非常識」 元日銀キャリアが証言 隠語使い“公然の事実” 軽い接待「ざぶん」 高額なら「どぼん」
- 大蔵省と同様の接待漬けが指摘されている日本銀行(日銀)の元キャリア職員が十三日までに、接待の生々しい実態を証言した。軽い接待は「ざぶん」、高額の場合は「どぼん」という“隠語”で呼んで、行内でも公然の事実だったという。日銀は、資金の貸し出しや金融機関を指導する「日銀考査」を通じ、銀行などに対して強い立場にあり、こうした「権力」が度重なる接待につながっていた。証言したのは、元日銀キャリア行員で、経営コンサルタント会社「P・J・S・P石井プランニング」代表の石井正幸氏(49)。同氏によると、日銀で接待を受けることが多いのは、金融課銀行担当ら。石井氏は昭和五十年代に営業局総務課の銀行担当となり、当時、各行からお呼びがかかった。「夜、ちょっと、お時間ありますか」。そんな誘いがかかった時は、一万円から一万五千円相当のコース料理。日銀近くの路上に銀行のハイヤーが待っており、店に直行。日銀側からは係長と担当、相手は課長クラスの四人で懇談するケースが多かった。内輪では、各行から月に一度ほどある、こうした「軽い」接待を「ざぶん」と呼んでいたという。担当係員は三行ずつしか持っていないが、係長以上は大手二十行すべてを所管。「相当、回数が多かったはずだ」と指摘する。調査役(課長補佐クラス)以上が出席する料亭などでの接待は「どぼん」と呼ばれた。三カ月に一回ほどあり、コンパニオンが呼ばれることもあったという。「どぼん」は、お土産が付きもので「『英国屋』のワイシャツのお仕立券をもらったこともある」という。ほかにゴルフ接待もあり「帰りにカーディガンをもらったこともあった」。石井氏はひんぱんな接待に違和感を持ち、日銀の施設で銀行の担当者を逆接待したこともあるが、相手側から「日銀の接待を受けるのは初めてだ」と驚かれたという。日銀は「視野を広げる」ため、外部の人と積極的に交際することを奨励する一方で、明文化した規則などで、接待の限度について定めていなかった。「(会食は)情報交換や本音の議論をする場。一緒に政策運営をしているという感覚で、互いに安心感があった。よもや伝票が表に出るなんて思っていないし『五万円くらいならいいだろう』っていう感じ。日銀の常識は世間の非常識だった」と当時の雰囲気を振り返る。その感覚が今でも続いていることは、日銀の先日の記者会見で、図らずも明らかになった。料亭接待について、鴨志田孝之理事は「不適当と言うのは難しい」。報じられている数百万円の接待にも「好ましくない」との言葉は聞かれなかった。【東京新聞も同内容の記事を載せている】
- 生前の鴨志田氏の写真(例によって表示には時間がかかります)。鴨志田理事についてはここでも書いている。TBSのインタビューに関したもの。
細川元首相が議員辞職願を提出、「民主党結党で一区切り」
- 新しい民主党の結成の調整役を務めてきた細川護煕元首相は30日午後、議員辞職願を伊藤宗一郎衆院議長に提出した。連休明けの衆院本会議で辞職が認められる見通しだ。細川氏は辞職の理由を記者会見で「政界に入った当初から60歳を区切りにしようと思ってきた。民主党発足はその思いを達するひとつの機会となった」と述べ、自民党に代わる政権勢力の結集に道筋がついたことを契機に、議員としての活動に区切りをつける決断をしたと説明した。次の衆院選には後継者を立てる考えを表明したが、将来、再び政界で活動する可能性は否定しなかった。民主党の菅直人代表、羽田孜幹事長は、議員辞職願提出後に細川氏から説明を受けたが、本人の意志は固く、慰留はしなかった。細川氏は民主党では役職につかなかったため、党運営に直接的な影響はない。しかし、党内の調整役だけでなく、菅氏らとならぶ「顔」の一人だっただけに、民主党にとってはマイナスに働くとの見方が多い。細川氏は記者会見で声明文を発表。細川政権でめざしてきた「政権交代のある民主主義」の実現について、「新進党のてんまつといい、必ずしもいい形となって結実しえなかったことは、まことに申し訳なく思っている」としたうえで、「改革をめざす諸勢力が結集して、政権の選択肢として民主党立ち上げまでこぎつけることができたことは、まともな民主主義の政治に向けての確かな一歩だ」と民主党結成を評価。「当初からの(60歳が区切りという)思いを達するひとつの機会となった」と辞職の理由を説明した。【朝日新聞より】
- 菅氏らとならぶ顔の一人だっただけに、民主党にとってはマイナスに働くとの見方が多いとは何とも的外れな記事ではないか。「居座ってもらってはマイナス」とはっきりいうべきだろう。遠縁の評論家・細川隆一郎にして「あれは一族一門の中で一番のアホですよ」と言い切っているのだ。オレンジ共済事件で友部達夫から3000万円を受け取った男が、同時に総理大臣までなったという話は「毎度バカバカしい」落語である。細川護煕は最後までバカ殿ぶりを見せつけてくれたとい点で面白いキャラクターではあった。いずれゲームのキャラクターで再登場させてあげたいくらいだ。難問が起こるたびに「やーめた」と言って逃げるという無責任な役回りで。その都度、悲鳴をあげるのは国民でゲームオーバーとなる。このゲームには黒幕・小沢一郎という隠れキャラクターがいる。幹事長の椅子に座っている小沢は、背後で細川を切り捨て、オレンジ共済組合の政界工作費10億円を使途不明金にしてしまう。佐川急便で5億円の闇献金を受け取った金丸信を尻目に、談合事件で中村喜四郎が逮捕されてもそっぽを向いて、小沢は依然として揺るがぬ黒幕を演じる。【参照『私物国家』181頁「小沢一郎の裏切りと政治腐敗」】
- オレンジ共済の友部が接触した一人に選挙対策事務局長だった中西啓介がいる。この中西は信組破綻事件にも顔を出し、闇献金にはいたって鼻がきくようである。中西の妻の旧姓は古賀といい、衆議院議長の山口喜久一郎を叔父とする。その山口家を辿っていくと血脈の流れの向こうに細川家が見える。つまり中西啓介と細川護煕は遠戚関係にあり、仲良くオレンジ共済事件で顔をつき合わしていたことになる。しばし山口家に戻って下流に行くと藤山家に直結する。ここでは佐藤政権下で経済企画庁長官をしていた藤山愛一郎がひょこり顔を出し、その姉が広瀬家に嫁いで広瀬篁治(こうじ)が生まれている。破綻した安全信組大口預金者「ゼネラルリース」の監査役にして東京協和信組の理事である。弟の愛一郎の息子・覚一郎は嘉納家から嫁をもらったが、同じ嘉納家の子女を嫁にした涌井洋治がいる。大蔵官房長から主計局長に昇進した話題の男である。涌井は泉井純一から絵画をもらったとされている。この時の様子を泉井自身がこう語っている。
- 「平成七年の10月に涌井官房長が再婚したのを聞いて、ピカソのデッサンを贈りました。あれにしても、以前、アメリカに行ったときに画廊で一枚20万円くらいでまとめ買いしたものなんです。そのうちの一枚を額装したものであって特別に買ったものではありません」ピカソのデッサンがたった20万円とは思えない。むしろ値段が分からないゆえに、絵画贈賄ほど効果的なことはないともいえる。その絵画を画商に売れば多額の現金に化けることにもなる。つまり送り主は最初からその目的で画商に現金を渡しておけばいいのだ。画商は絵と引き替えに現金を渡す仲介役になるわけだ。幽霊会社と同じカラクリである。そういう意味で絵画の値段などは最初から問題外なのだ。ちなみに大阪国税局が査察に入る直前にも泉井は高価な銅版画を涌井に贈っている。
- 藤山家の家系からは飯田庸太郎も輩出している。三菱重工社長にして日本原燃監査役、そして日本原電取締役という重鎮である。また嘉納家から名門石橋家とつながれば、推察のとおりブリヂストンタイヤの一族となり、そのブリヂストンを設立した本家アサヒコーポレーションが倒産したのは今年の4月1日だった。地下足袋の製造で一世を風靡し、やがては大手靴メーカーと成長しながらタイヤ部門を独立させた。倒産の原因は海外メーカーの進出だといわれている。分家ブリヂストンは本家アサヒコーポレーションを切り離したことになる。共倒れを防いだとも取れよう。石橋家が出てくれば鳩山家が出てくるのが華麗なる閨閥の妙である。元総理大臣を輩出した華麗なる一族、鳩山ファミリーについてはここで何度も書いたとおりである。石橋家のアサヒコーポレーションを倒産させた三代目当主の徳次郎(65)の父親は、同じく石橋徳次郎(幼名・重太郎)という。その徳次郎の末の弟・石橋進一は二代目の社長だったが、その息子・石橋毅樹は浜口家から嫁をもらっている。ヤマサ醤油で有名な名家である。NHKの連続ドラマ「澪(みお)つくし」のモデルはその浜口家であった。浜口一族の浜口慎七郎は元政友会総裁・久原房之助を父に持つ愛子を娶っている。久原家が大洞家と結びつき、玉置その子が出てくる。その子の父親は玉置敬三、東芝社長にして日本原子力事業社長でもある。慎七郎の妻・愛子の姉は重子といい、北野家に嫁いだ。その北野家と竹中家は姻戚関係にある。大手建設・竹中工務店の一族である。その息子が竹下家の嫁を娶ると、竹下登元総理が義父となって現れてくる。今、その竹下登は世田谷区に住んでいる。その他一族として「棺桶にゴッホの絵を入れて一緒に焼いてくれ」と豪語した大昭和製紙の斉藤了英、鹿島を筆頭に日本を牛耳る大手ゼネコン一族、宮沢喜一元総理から中曽根まで、政官財界の重鎮がぞろりと勢揃いする。難しいがいずれリストにして整理してみたい。その際に参考とする本を紹介しておく。広瀬隆著『私物国家』、佐藤朝泰著『閨閥』、大森映著『日本の財界と閨閥』。ところで新聞に気になる記事があった。以下。
興銀証券常務の広瀬興貞氏が死去
- 広瀬 興貞氏(ひろせ・おきさだ=興銀証券常務、富士紡績社長広瀬貞雄氏・朝日新聞社専務広瀬道貞氏・通産省機械情報産業局長広瀬勝貞氏の実弟)は30日午前7時15分、心不全のため東京都新宿区の病院で死去、51歳。葬儀・告別式は7日午前10時から千代田区麹町6の5の聖イグナチオ教会で。喪主は妻真知子(まちこ)さん。自宅は世田谷区桜新町1の28の16。
- 気になっているのは通産省の広瀬勝貞氏のことである。泉井事件でも通産官房長官の広瀬勝貞なる人物が通産省の疑惑官僚を軽微な処分で済ましているが、肩書きが違うので別人ではないかと疑っているのだ。もっとも肩書きが変わっただけなのかも知れない。本人と確認がとれるまでは何とも言えないが、泉井事件の渦中にあった広瀬氏もまた妻の実家から華麗なる銀行族へと血脈が続き、最終的には日本を支配する一大ファミリーの範疇に入ってしまう。常陽銀行頭取の亀山家からはゼネコン汚職で断罪された竹内藤男が輩出、亀山甚頭取の娘が竹内藤男に嫁いでいるのだ。情報産業局長の広瀬氏のほうは例の「ノーパンしゃぶしゃぶ」リストに名前が載っていた。
1998/05/01、金曜
- 1985年にノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師の会」(本部ボストン)は29日、ロシア軍の核管理システムの老朽化などにより、偶発的核戦争の危機が冷戦終結後に大きくなったと警告する報告を公表した。同会の米国支部が作成したこの報告は、戦略核弾頭だけで6000発近いロシア軍の膨大な核兵器と管理・制御システムの欠陥増大が「当面最大の憂慮の対象」と指摘、米ロ両国の核ミサイルは依然高度の警戒態勢にあるため、誤認や誤作動による核ミサイルの発射が全面核戦争に発展する恐れがあるとしている。報告は特に、コンピューターの「2000年問題」がロシアの核管理システムを狂わせかねないと警告した。米ロ両国は1994年、ミサイル照準の相互解除で合意したが、報告は「核兵器自体は即時発射が可能であり、一部のミサイルは警戒システムの作動で自動発射できるよう設計されている」と述べ、米ロ両国がミサイルの警戒態勢停止や緊急発射能力の解除で合意すべきだと強調した。(時事)
- 我々人類がいかに脆い時代に生きているか、これはそれを証明する事態だろう。五年前の3月、バンクーバーでの会談の席上、エリツィン大統領はクリントン大統領に「このままでは核兵器の事故が頻発し、核戦争の危険もある」と詰め寄った。「バレンツ海では水槽の中の金魚のようにソビエトの潜水艦が動き回っている」と言われるように、予算がないロシアは世界中の潜水艦をここに集結している。エリツィンが怒るのも無理はなかった。この年初頭、ロシアのアクラ型潜水艦(潜水時一万トン、速度35ノット)にアメリカ最新鋭の潜水艦が衝突したのである。3秒遅れていれば大惨事になったといわれるこの事故をアメリカ政府は「北極海での軽微な潜水艦事故」で片づけていた。春になると再び深刻な事故が勃発した。タイフーン型ミサイル潜水艦がグレミハの地上基地からSSN20核ミサイル(射程5000キロ)をクレーンで収納しようとしていたが、突然ロープが切れてミサイルが司令部を直撃したのである。その時にミサイルの起爆装置が発火して火災になり、巨大な潜水艦は高温で赤茶色に焼けただれた。大事には至らなかったが、後にこの潜水艦はレッド・オクトーバーとあだ名された。冗談ではあるまい。
- 1963年6月、米ソ両国は偶発的な核戦争が起こらぬようホットラインの設置協定が結ばれた。しかし1980年6月3日、国防総省のコンピューター・スクリーンに「ロシアがミサイル発射」の指令信号が点滅すると、アメリカ政府は核搭載機をハワイから発進させたのだった。むろん誤報であった。同年11月19日、マッコネル空軍基地で今度は「ロシアへミサイル発射」の指令信号が点滅、コンピユーター・ミスを確認して慌てて発射プラグを引き抜いた一触即発の事故が起きている。1979年11月9日、コンピューター・ミスでアメリカ全軍が核攻撃警戒態勢に突入した。1967年6月、アメリカ航空母艦が地中海に進行、怒ったコスイギン首相が核戦争を決意。1983年6月、ミルウォーキーの若者が電話のホーム・コンピューターで核基地のコンピューターを操作。1966年1月17日、核兵器搭載の爆撃機がスペイン沖に墜落、水爆が行方不明。時期は極秘とされるが、アメリカの潜水艦がロシア戦艦の真下に浮上。1980年9月19日、大陸間ミサイル「タイタン」が爆発して弾頭が飛来。1983年6月10日、西ドイツにてミサイル運搬トラックがトレーラーと衝突、ミサイルが高速道路に投げ出された・・・これらはSFだろうか?
- 1987年10月、科学技術庁主催の国際放射線廃棄物会議が日本で開催された。この時、壇上で演説したのがIAEA議長のスイス人ルドルフ・ロメッチであった。ロメッチはチェルノブイリ事故が起きると被害者少数のデマ報告を世界に流し、その成果(?)を評価した日本の科学技術庁によって招かれたのであった。しかしロメッチは翌年、原爆用ウランをドイツからパキスタンに密輸、パキスタンの核兵器開発に多大な貢献をして、逮捕された。
- エリツィン大統領とクリントン大統領には切っても切れない共通点がある。「フットボール」と呼ばれる大統領専用のアタッシュケースを片時も離さないという共通点である。その中には核の発射ボタンが内蔵されている。ロシアはシステムそのものの老朽化によって爆発しかねないのであるから「フットボール」は必要ないだろう。アメリカは?・・・さて。