2001年7月

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●流血の中東情勢-2001 ●世界の王室・動向 ●バチカン動向 ●インド動向 ●小泉新内閣の顔ぶれ
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最新日誌
2001/07/31、火曜
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写真速報・世界】7枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】5枚(保存版)
 小泉総理の「こじき発言」には当然のことながら抗議の声があがったが、それに対する総理の反応が「それは揚げ足取り」という逆批判であった。国民の総意で総理になったと信じている小泉氏は、今度の「こじき発言」も国民の総意を代表しての発言とでも言いたいのであろうか。こういった類いの批判が庶民レベルで交わされるのであれば、さほど大きな問題とはならないだろう。しかし、一国を預かる総理の発言となれば言葉のもつ重さの度合いが違ってくる。職業柄、私はよく高い足場に登ったが、足場が高くなればなるほど眼下の人々が蟻のように小さく見えてくる。そこで手元の工具でも落としてしまうようなことがあれば、その工具は加速度によって凶器と化し、運悪く人にでも当たれば大怪我をする。総理大臣というニッポン国の頂上まで登りつめた小泉氏であれば、自分の不注意な発言が時に凶器となって深刻な問題を引き起こすことぐらいは自覚しておくべきだろう。総理としての小泉氏には、大勢の国民が眼下に群がる蟻のように見えることもあろう。権力という指先ひとつで蟻を選り分けられるような錯覚にも陥りやすくなる。国民の人気を独占したと思っている総理は、砂糖に群がる蟻ように集ってくる国民のほかに、少数の懐疑的なグループがいることも視野に置いているはずだ。すでに小泉総理は「懐疑派との対話推進」という寛大な意思を表明していたが、その矢先の「こじき発言」は前言を覆すものではないか?小泉総理の眼には、ホームレスの人々の存在が取るに足らない蟻のように見えたのだろう。あたかも民意を代表するかのように愛嬌を振りまきながら国民に握手を求めたかといえば、今度は権力者の顔に戻って「こじき」云々をのたまう豹変ぶりは人間「小泉」の人格を疑うものだ。
 田中外相への注進が国民のメール抗議となって押し寄せるという現象が問題となっているが、さほど国民が権力者擁護に肩入れするといったことも珍しい現象である。慶應義塾大学の草野教授と、京都大学の中西教授もまた田中外相に注進したあげく、田中外相のファンらしき一般人から「火をつけるぞ」との恫喝メールをもらったそうである。まさか「殺す、火をつける」といった恫喝までも民意を象徴するものだとは思わないが、集団ヒステリーの傾向が漂ってきていることは否めないようだ。民主主義の理解としては「人民による、人民の統治」が一般定説だが、小泉総理の人気もまた民意によるものと自画自賛しているように、それを踏まえれば小泉総理はまさに民主主義の権化となろう。しかし同時に、ファシズムの由来がイタリアのムッソリーニ信奉という民意によることも忘れてはなるまい。大戦後、多くの日本国民は「国に騙された」として、戦争推進に加担した指導部たちが裁かれることで終戦の区切りをつけたようなつもりでいる。国民があくまでも犠牲者でいられる民主主義とは何と居心地がいい安全地帯であることか。民意に媚びへつらう権力者が登場してきた今、その民主主義の本当のあり方が問われるのは我々国民の側にあるのかも知れない。

2001/07/30、月曜
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写真速報・世界】7枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】3枚(保存版)
ぽえむ「こんにちわ!元気かい?
(今日のめにゅう、私的SF近未来いためもの)
このクソ暑いのにクーラーも動きやしねえ。扇風機も回らねえんだぜ、つまり電気が止まったままだってことさ。電力の自由化が災いしたんだ。原発も爆発しちまって、この国は放射能だらけだ。何処にも逃げ場なんてありゃしない。見ろよ、この頭。ごっそり髪の毛抜けちゃってよ・・・ま、オレだけじゃねえからいいようなものの、娘っこは哀れだぜ。若い奴ら放射能で汚染されて抱き合うことも出来ない始末さ。で、誰の責任だ?て、ことになると、そりゃ総理だわな。その総理はとっくに死にやがった。いや、死んだって噂だ。人伝に聞けば自殺したらしいってことだ。でもホントのことは分からねえ、国会議事堂からヘリに乗って逃げ出したのかも知れねえな。新聞もこっちまで回って来ねえんだ。回ってきたって、新聞買うカネもなけりゃ仕方ねえや。第一、カネなんてのも通用しねえ。物々交換でみんな何とか命つないでるってわけよ。それもゴキブリと交換してよ、けっこう慣れるとうまいもんだぜ。あんたも一匹食べてみな。なに嫌がってんだよ?食べねえと死んじまうぞ。もっともこんな世の中じゃ、死んだほうが幸せってもんかも知れねえな。さっきもそこで首吊りした奴がいてな。みんな喰われちゃったよ。こんなふうになったのも、そもそも数年前の参議院総選挙のせいなんだ。あんときも、今日みてえな暑い日だったなあ・・・きゃあ!純ちゃん、こっち見て!なんて家庭の主婦までも熱狂してたっけ。ま、オレも騙されて一票入れちゃったから大そうなことは言えないが、まずかったよアレ。大改革の旗印も、その直前に世界大恐慌になっちゃったから、みんな歯車が狂いだしたんだ。そんな中でも総理は改革を推進したからたまったもんじゃない。やると言ったらやる!って、問答無用だった。ところが法人を民営化しようにも誰も買うものがいないありさまだ。無理もねえ、大恐慌でみんなすっからかん、命が維持できるだけアリガタイ世の中になったんだ。そんなところに総理は大規模な公的資金をぶち込んで売り出したもんだから、我慢強いはずのニッポン国民もついに激怒したんだ。売り出したというより、公的資金をつけて投げ売りしたようなもんだ。そうしたら今度は日本中の火山が次々と爆発してよ、グラリ傾いた原発もあれよあれよと言う間に爆発して放射能が飛散した。かくして地獄絵図が日本全国で展開されたというわけさ。ところで、あんたは誰なんだ?なによ、過去からきた旅人だって?おいおい、このクソ暑いのに冗談はよしてくれ。腹減ってんだから、過去に戻れねえよう喰っちまうぞ!

2001/07/29、
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写真速報・世界】5枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】4枚(保存版)
大恐慌迫る?8月夏休みが危ない
 私が野宿した27日から今日にかけて涼しい日がつづいた。温度差10度というから、こんな異常気温は珍しいのではないか。今、これを書いている29日17時時点でようやく汗ばみ出したので、猛暑最中の急激な気温降下は三日間に及んだことになる。台風接近で暑い空気を吹き飛ばしたせいかも知れない。明日からまた猛暑に戻りそうだが、今度は台風八号が接近しつつあるという。外での現場仕事も待ち構えているので、涼しいに越したことはない。去年は猛暑の直撃を受けながらの、つらい仕事であった。一時間毎の休憩と送風機の強力な風がなかったら仕事にならなかったはずだ。涼しい日が仕事中もつづくことを祈りたい気持ちだ。
 子猫たちが数日前からようやく離乳食を食べ始めた。ニワトリのモモ肉を指で細かくほぐして食べさせている。ガリガリに痩せていた母猫クロも、最近は少しずつ太りだしてきてホッとしている。猫にもエイズ感染があると知って、一時はクロもエイズに感染したのではないかと、いらぬ心配までしていた。黒と白、二匹の子猫たちも日を追ってやんちゃ振りを発揮している。名前を付けるのに困っている。「くろ」と「しろ」がもっとも自然な名前なのだが、すでに母親が「クロ」という名前なので迷っているのだった。ここは「ブラック」と「ホワイト」という英語名にして区別したいと思っている。妹は「そのままじゃないの」と言うが、面倒くさいので「そのまま」にしている。白い子猫「ホワイト」は、瞳が青みがかった水色をしている。
 28日には「米ミサイル防衛実験成功、実際には誘導信号発信 」というニュースが世界に流れたが、このニュースは20日の日誌に書いた田中外相、ミサイル防衛計画「支持」 政府見解踏み出すの捕捉内容と一致している。これらは氷山の一角であろう。これまでもアメリカは軍事機密の元に多くの事実を隠蔽してきたが、小泉総理がアメリカ政府に追従する姿勢をみせていることから、日本も遠からずアメリカ並に国家機密を盾に情報公開を拒む場面が出てくるだろう。

2001/07/28、土曜
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 自然に包まれているという自覚は、同時に宇宙の法則に在る自分を体感することではないか?などと取り留めのない考えに浸っている。福沢諭吉は人間の平等を説いたが、天の上も下にも人をつくらずと言うわりには、貧富の差は元より人間は生まれながらにして不平等というスタートラインに立たされている。むしろ、天は上や下に人をつくっておいて、それを人間社会の中で我々がどう是正していくかという試練を与えているように思える。先頃、我らが小泉総理の大分での「こじきでも字読める」発言が問題となっているが、これは彼が権力者の顔を国民に垣間見せてくれた瞬間でもあった。人気で国民の支持を得た浅薄な権力者の優越感から出た差別用語でもあったろう。そこには権力の頂点に座して庶民を睥睨する慢心が見え隠れしている。(以下、例によって多分に私の夢想趣味含む→)「だから云わんこっちゃない。いつかあの男はおまえを捨てると、お父さんはあれほど結婚に反対したじゃないか」・・・そのようにしてニッポン国民は言葉巧みに現れた小泉という男に惚れこみ、狂喜して結婚しながら最後には捨てられる哀れなドラマの主人公となるのではなかろうか。いやいや、彼はそれほど間抜けではなかろう。なぜなら国民を利用していることを悟らせないほどに、権力を行使することにかけて彼は特異な能力をいかんなく発揮するからである。彼もまた天によってニッポン国の上席に座ることを不平等に約束されている人物なのかも知れない。自画自賛を盛んに口にしながら、独裁色を巧みに人気というベールで覆い隠し、颯爽として登場してきた我らがヒーローに栄えあれ・・・坊や、落とし穴に気をつけるんだよ。右も左も道はみんな穴だらけだからね。ほらほら、そっちに行っちゃ危ないってば!急いじゃ駄目、立ち止まってよ〜く考えるんだ。危険を感じたら後ずさりして逃げなさい。休んでいいんだ、頑張らなくていいんだよ。考える暇がないほど忙しくなったら要注意だ。考えることを止めちゃいけない、考えを人に預けちゃ危ない、心を盗まれないように注意するんだよ。心を預けたり盗まれたりしたら、今度は命まで奪われかねないからね。不憫な坊や、お母さんの声が聞こえてますか?

「自由の身になる意志はない、と奴隷が明言したとき、主人が彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯奴隷とすることができる」
旧約聖書『出エジプト記』より

2001/07/27、金曜
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写真速報・世界】9枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】6枚(保存版)
 ついに野宿を決行、などと大それたものではないが、河原付近でひとり一夜を明かした。台風六号が接近中ということで心配していたが、東部に外れたようで何とか台風の直撃を免れる。それでも時に突風でテントがあおられる。目前には竹林があり、風で揺らぐ笹の音がしていた。遠くで祭囃子の太鼓の音も微かに聞こえてくる。野宿は耳を敏感にするようだ。河の流れる音もしていた。むろん街灯なぞ全くないので、周囲は闇に包まれている。だが全くの闇ではない。暗闇に眼が慣れてくるにつれ、周囲の木々がうっすらと墨が滲んだように浮かんでくる。夜空も月夜のように薄明るい。郊外とはいえ、一キロ先は市街であり、その街の明かりが雲に反射しているのだった。しばらくテントの中でワインを飲んでいたが、ほどよく酔ったところで外に出た。闇の中にうっすらと白い田舎道が見える。幻想的で懐かしい風景だ。ひたすら幼い頃のことを思い出していた。父と母に手を引かれて歩いた夜道のことを・・・最初は涼しいと思っていたが、夜が深まるにつれ肌寒くなる。強風がテントを叩く。自然は決してやさしくないことを思い知った。世界中で自分だけが地球に取り残された最後の人間のように思えてきた。風で大きく揺らいでいる竹林は、まるで生きている妖怪のようだ。ストレス解消を目的に野宿したはずだったが、周りの音に敏感に反応してしまうほどに神経過敏になる。これが慣れるようでなければ野宿はつづけられない。そう思って肌寒いテントの中で長袖に着替える。暑かったら脱ぐ、寒くなったら着る。この当たり前のことが自然の中では大事であり、命にかかわることも実感する。テントの下のゴツゴツした地面の感触が、直に身体に伝わり、ために眠ることができない。これも覚悟のうえのこと、自然に野ざらしにする命の感触を味わう。朝が来るまでそうして命を野ざらしにしているのだ。ここで死のうと誰も知ることはないし、まして救急車を呼ぶこともない、呼びようがない。そして・・・夜明け前、ようやく眠りにつく。朝はやかましく、すぐにやってきた。野鳥の大合唱で目覚める。睡眠不足の脳に眩しい朝日が痛いほどだ。朝の光の直撃に体が反応して、テントを解体し始める。コンパクトにまとめた荷物をザックに詰め、一夜を過した空き地を振り返りながらMTBを走らせる。疲れてはいるが、命を体感した充実感に包まれながら・・・

2001/07/26、木曜
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写真速報・世界】10枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】5枚(保存版)
 慣れているはずの四面楚歌、それでもやっぱり生身の人間のところで悩んでしまう。生活苦にもろに見えてくるのは人間のエゴばかり、生活するためには悪魔とだって手を結ぶことも仕方がない、のだと、利用価値の失った者を切り捨てていく。以下、創作劇(半分ぐらいは実体験に基づく)・・・おまえんとこの会社も必死なようだな。会社ぐるみで官庁に豪華接待かけて、おそらく今度の入札も独占するんだろうよ・・・上のやることなんて関係ねえさ、オレは子供に喰わせられるかどうか?だけが問題なんだ・・・それじゃ会社の奴隷を甘受してるってことになるな。贈賄攻勢がバレて会社が社会制裁受けることになったらどうするんだ?・・・それはそれで別の働き口みつけるさ・・・なるほど、気楽なもんだな・・・おまえほど気楽ではないぜ。戦争反対だの原発反対だのぬかしやがって、おまえなんか誰にも相手にされんだろ?・・・ああ、四面楚歌のうえに気楽で、貧乏で、たまらなく自由で孤独なもんさ。オレはおまえみたいに器用には生きられんからな・・・だから甘いって言うんだ。生活力失った男なんてのは社会のクズなんだ・・・奴隷になるよりマシだと思うぜ・・・奴隷で何が悪い?理想なんか追求してオマンマ喰えるはずもない・・・そうか、おまえが奴隷で甘んじていられるのは理想を捨てたからだったんだ!・・・この不景気に理想なんかクソの役にも立たねえ。カネが全てなんだよ・・・オレには、おまえにとって全てのはずのカネが、クソの役にも立たねえように思えるぜ・・・そのカネがなくて不自由さ感じてるの誰なんだ?・・・貧乏もこう長引くと不自由だが、カネで全てが解決すると思うなよ・・・カネがあるから食い物買えるんだろうが、バカめ!・・・それが人類に共通する大いなる錯覚というものなんだ。カネのために自然を破壊しておきながら、その自然の恵みであるところの食べ物をカネで買っていると錯覚してやがる・・・何が錯覚だよ?カネ持たねえで「私は理想主義者です」って、何か買えるのか?・・・だから人間の作るものはろくでもねえって言うんだ。勝手に大地を線引きして、貨幣制度を立案し、貨幣の価値を絶対視しちゃったところから戦争も始まっているんだぜ・・・おやおや、おまえは戦争もカネのせいだって言いたいらしいな・・・じゃ武器商人は何で説明できるんだ?そこに戦争ビジネスがあるからだろ。カネになりゃ誰が死のうと関係ない奴らが、戦争を正当化して大儲けしてきたのが歴史だったんだよ・・・ふざけるな!誰だって自分が殺されるかも知れない戦争なんて望むはずもない。第一、戦争になりゃ生きるか死ぬかでカネどころじゃあるまい・・・そうなんだ、戦争おっぱじまりゃカネどころじゃないのが庶民感覚というものだ。ところが、まだ言うけど、その戦争で大儲けしている一部の奴らがいるから始末が悪い。そのためには権力が要る。戦争を合法化するための権力が、やがては戦争ビジネスに結びついていくんだ・・・でもよ、そんなこと知ってどうすればいいって言うんだ?家に帰りゃガキが腹減らして待ってるんだぜ。戦争に反対して、警察に睨まれて、仕事なくして、どうして生きていかれるんだよ?!おまえの考えはそれだけでも無責任極まりないってもんだ・・・そうだな、おまえの言うとおりオレは無責任だ。生活力のない社会のクズ野郎だ。けどな、自分で考えることをやめて奴隷に甘んじるほどに腐っちゃいねえんだ。みろよ、この世ん中、罠だらけじゃねえか!子供のこと本当に心配するなら、その罠に気付かせてやるのも親の仕事っていうもんだ・・・おまえみたいな疫病神はごめんだね。仕事中だってのに、おまえの寝言聞いてる暇に損したじゃねえか!・・・時はカネなり、死んでもカネのこと忘れるなよ・・・

2001/07/25、水曜
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写真速報・世界】9枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】4枚(保存版)
 明石歩道橋事故で現場にいた見物客は5000人に及んでいたらしい、との見解が発表されている。当初は3000人とされていたが、それでは肩は触れ合うが各自の移動は可能であり、あれほどの大惨事が起こる可能性は少ない。よって5000人相当の見物客がいたのではないか、と再検証されたようだ。群集心理として、倒れた人を踏みつけても前に進もうとする「踏みつけパニック」は、後に戻って逃げ道を模索するという知力すら奪ってしまうという。これは戦争に突入していった過去の大戦前の世相に類似する。前に戦争という崖っぷちが見えていながら、ことさら前に進んで転落してしまう悲劇のことを考えている。軍隊の指揮系統は明確にして単純であるがゆえに、人々が自分の意志すら軍部に委ねてしまったようなところがある。現代でも、その情報の多様性と多さに惑わされ、何を基準にしていいのか?分からぬ曖昧さに辟易している人も多いだろう。そんな時、我が小泉総理のような断定的な物言いに国民が惹かれていく傾向も否定できない。その危険を考える余裕も一考していいのではないか。それでないと、日本はまた「いつか来た道」を歩み始めるような気がしてならない。
 明石歩道橋事故の直接の死因は外傷性窒息、胸が強い圧力で押し潰され、ために酸素が取り込めずに呼吸困難から心臓停止で死亡したとみられている。これらは5〜10分以内に人工呼吸を施せば助かるのだが、救急車が到着したのは10分後であった。この数分の遅れが生死を分けてしまった。早急な人工呼吸を受けて助かった例がひとつだけあったらしい。救急車が遅れた原因は交通渋滞で、当初は3分で現場に急行できると予測していた。ここにも読みの甘さがある。まさか花火大会でこんな惨事が起こるなどとは誰が想定していただろうか?日常に潜む危険は、やはり常日頃から心がけておく必要がありそうだ。


2001/07/24、火曜
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 猛暑の中、地元地域に点在する現場写真を撮るため、MTBに乗って一日中現場巡りをする。天気を甘くみていた。何度か目眩で倒れそうになる。コンクリート地面の輻射熱で、路上の外気は40度に達していたと思われる。帰社後、ダウン。猛暑にあっては一時間おきの休憩は必須だ。その都度、作業衣を脱ぎ、頭から水をかぶって体熱を放出するなどの対処をすべき。有毒ガスを抜くための強力な送風機も持参するので、これを扇風機がわりに利用したい。それと水分の補給も欠かせない。かつて屋根の作業で日射病にかかったことがあった。頭を金槌で打ち付けられるような頭痛と、冷や汗が流れる。これを放置すれば死に至る。仕事に無理は禁物だ。仕事に人間を合わせるのではなく、人間に仕事を合わせていくことだ。生きものとしての人間であることを片時も忘れてはならぬ。現場での事故は事前の準備で防げる。何度か事故で亡くなった死体も見ている。人間の命とはかくも脆いものなのだと、つくづく思い知った時のことも忘れてはならない。自戒。

2001/07/23、月曜
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長野で山岳遭難2件、大阪と東京の計3人が死亡穂高連峰・地形図
写真速報・世界】6枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】2枚(保存版)
 ここのところの猛暑で我が家の猫族もグッタリしている。窓という窓を全部開けても、我が家の中はいつも熱気が篭っている。屋根が分厚いセメント瓦なので、天井から熱が降ってくるようなものだ。家の中の蒸し暑さはそのまま朝方までつづく。だから熟睡できるのは早朝に限られてしまう。あまり暑いようなときは、屋根瓦に放水する。昨日の日曜日に屋根に登ったら、屋根瓦にはキュウイ蔓が浸入し、実が鈴生りになっていた。生命力の強い植物である。あと一ヶ月もすれば食べごろになっているだろう。キュウイはそのままでは固いので、バナナやリンゴなどと一緒にビニール袋に入れておく。二週間もすればそれで柔らかくなる。今年は柿の実もたくさんなった。柿は一年おきに実をつけるようだ。ムクゲの白い花も咲き出した。とうに私の背丈を通り越して、今では2メートルを更新中だ。ムクゲは毎日4輪ぐらいずつ花を咲かせている。朝日に映えて白く輝く様子は神秘的だ。夕方には萎んで二度と花を咲かせることはないが、次から次へと新たな蕾が開花して途絶えることなく、夏の終わり頃までつづく。友人にもらった紗羅双樹(しゃらそうじゅ)も私の背丈を遥かに越して、まだ空に向かって伸びつづけている。この木の名前はお釈迦様に由来し、その紗羅双樹の根元で永遠の眠りについたと言われている。しかし、仏法研究では実際にはそれとは違った種類の木であることが判明しているようだ。絹のように白く透き通った上品な花を咲かせる。仏教寺院にはよくこの紗羅双樹が植えられている。キンモクセイも虫に葉を食べられながらも、少しずつ成長してやはり私の背丈ほどになった。秋にはオレンジ色の無数の小さな花を咲かせ香しい匂いを放つ。雑草も逞しく育っている。時々黒いアゲハチョウが庭を飛来してくることがある。母の入盆前に幾度となく飛来しては、きっと母ちゃんがアゲハ蝶になって来ているんだ!と思い込み、思い込ませてくれた懐かしい蝶だ。昨夜は突然家の中に舞い込んだアシナガバチに逃げ惑っていた。やがてアシナガバチは天井の蜘蛛の巣に捕らえられて動かなくなった。蜘蛛の巣の主が居なかったおかげでアシナガバチは逃げおおせたが、もし主の蜘蛛がいたなら蜂とてその命はなかったであろう。よく見ると、蜘蛛は巣にかかったどんな小さな虫も見逃さないようだ。まるで蜘蛛の巣そのものが神経の糸のように、獲物がかかったとみるや、蜘蛛はたちまち獲物に襲い掛かって体液を吸い取る。

「大きく張りめぐらした巣の真ん中に座る 鋭敏な蜘蛛にたとえようか 糸の端に何かがちょっとでも触れれば たちまち蜘蛛は前身で感じる」
サー・ジョン・ディヴィス『霊魂の不滅』より

2001/07/22、
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写真速報・世界】7枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】3枚(保存版)
 そろそろ現場仕事の準備にかからねばならない。主要材料は注文したが、指定材料なので届くまで一週間以上はかかる。かつて他の業者と材料費を比較参照したことがあった。その結果、個々の材料によって材料価格の相違があることが確められた。つまり卸し問屋は個々の業者に応じて価格を変えていたのだ。何を基準に価格を決定しているのかは知らないが、去年は電話で聞いた価格より、実際に請求してきた価格は高かった。仕入先を調べても、同じ材料の値段が店によって違っている。一個当たり1000円違っても、大量注文となればその差額は大きいものになる。以前には大手が買い占めて品不足になったことも何度かあった。石油ショックの時の買い占めは大規模なもので、買おうにも材料がない状態が続いたものだ。それに味をしめたのか、無いはずの材料が倉庫に山積みになっているのが発覚、社会問題になったこともある。倉庫を見せろ、と食い下がった若い頃、取引停止になって悔し涙を流したことを思い出す。あの時は初代理事長だった父が急死したばかりの時だった。父が存命の頃は低姿勢だった人々が、その父が亡くなったとたんに手のひらを返すような態度になる。それが人間社会での教訓だった。食うか食われるか、人間のエゴは果てしなく、弱い者は騙され、引き裂かれて喰われていく。そうして喰い太った成り上がり業者に、銀行が湯水のように融資を流し込んだ時期がバブル絶頂期の日本だった。ありあまる資金は会社の規模拡大に投入され、そしてバブルが弾けて莫大な借金だけが残った。我々みたいな浮き草のような零細企業は何とか生き延びてきたものの、バブルのツケを公的資金で凌ぐような日本では先行きも不安になる。コケにされてきたついでに、今度は死んだフリでもしようかと思っている。コケにされる、とは花の咲かない植物の地衣類「苔」のことだと思っていたが、辞書で調べると「虚仮」とあり、踏みつけにする、バカにしてあなどる、ということらしい。元々は仏法用語で「内心と外相とがちがうこと。真実でないこと」を指すという。
 深夜、懐中電灯で猫たちの巣を覗いた。母猫クロの乳首に吸いついたまま眠っている白と黒の子猫たちがそこに居た。生きることだけに生きている小さな命が羨ましくなった。

2001/07/21、土曜
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 ブルガリアのシメオン2世に次いで旧ユーゴのアレクサンダル元皇太子が帰国して話題になっているが、欧州ではこれら王族の末裔たちがシメオン2世に続いて政治に関わっていくのではないか?との憶測がささやかれている。そんな折り、スペインはボルボン家のファン・カルロス1世(現国王)が地中海のバレアレス島で休暇を過し始めたとのニュースが流れている。マヨルカ島の空港に到着したというから、正確にはバレアレス諸島の中のマヨルカ島ということになる。おそらくマヨルカ島の何処かにファン・カルロス王族の別荘があるのだろう。皇太子はフェリペ(アストリアス公)、上に二人の姉がいる。二人の皇女はすでに既婚者で、長女エレーナはハイメ・デ・マリカラールと、次女クリスティーナはイニャキ・ウルダンガリンという男性と結婚している。現国王の后ソフィアはギリシア王室の皇女であった。【参照】今年四月撮影、闘牛士とスペイン国王ファン・カルロス1世一族最近のファン・カルロス1世(現国王)。このことからスペイン王室はギリシア王室と最も近しい親戚筋にあたることが分かる。
 そのスペイン王室の家系には死の商人ザハロフの血脈もしっかりと結びついている。ベージル・ザハロフ(Sir Basil Zaharoff)はイギリスの兵器メーカー「ヴィッカース」の代理人として、第一次大戦中のヨーロッパを駆け巡って早期決戦回避を工作している。これは一見ザハロフが戦争終結に向けて奔走しているようにみえるが、実際には全くその逆で、彼の本当の狙いは戦争を長引かせることにあった。こうしてザハロフはギリシアをも戦争に巻き込むのに成功すると、バルカン半島の戦火は激しく燃え上がっていく。さらにザハロフはトルコに狙いを定め、トルコの銀行を買収しながら、そのトルコにヴィッカースの子会社をつくって戦争を準備している。アラビアのロレンスがトルコを打ち破った後の和平会議において、それら和平案を悉くつぶしたのもザハロフだった。こうしてザハロフが戦争を長引かせながら、ヴィッカースは莫大な利益をあげていった。世界的な死の商人として誉れ高いザハロフの結婚相手はマリア・デル・ピラール・アントニア・アンジェラ・パトロチオ・フェルミナ・シモーナという長ったらしい名前のスペイン王室の皇女であった。ここでは簡単にシモーナ皇女にしておきたい。
 シモーナ皇女が連なるスペイン王族は、遠くボリビア鉱山王バティーニョ家とも結婚していた。ボリビア鉱山利権をめぐって隣国パラグアイと戦ったこのチャコ戦争は、その犠牲者百万人とも伝えられている。しかも、その悲惨なチャコ戦争の火種を育てていたのがザハロフだった。兵器の売り込みにかけては天才的なサハロフは、生活のための道具しか手にしなかったインディオたちに、人を殺すための武器を持たせることはたやすい事だったに違いない。ために何百万人もの命が犠牲になろうと彼らは知ったことではない、戦争ビジネスの膨大な利益だけが目的なのだから。かくしてスペイン王室の財政はザハロフによって安泰を約束されながら、ロスチャイルド家もまた最も近い同族ジェームズ・ゴールドスミスをボリビア鉱山王バティーニョ家の令嬢イサベルと結婚させていく。結果的に、ロスチャイルド家の血脈はここでスペイン王室へと繋がっていく。
 かくも華麗なる閨閥を背景にスペイン王室は継続しつつ、真夏の猛暑を避けるために休暇をマヨルカ島の別荘で過すスペイン王ファン・カルロス1世の皇族たちがおられる。別荘から眺める地中海はきっと素晴らしい風景だろう。その北東900キロ先のジェノバではG8が開催され、地平線はるか東へ2500キロ先ではイスラエルとパレスチナが報復戦争に互いの血を流しつづけている。 

2001/07/20、金曜
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写真速報・世界】6枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】4枚(保存版)
田中外相、ミサイル防衛計画「支持」 政府見解踏み出す
 訪欧中の田中真紀子外相がチェコ国営放送のテレビインタビューに、米国のミサイル防衛計画については「支持する」、米国が地球温暖化防止のための京都議定書からの離脱を表明した問題では「米国の参加なしで批准することはありえない」などと、従来の政府の見解より踏み込んだ発言をしていたことが明らかになった。ともに米国と欧州の利害が食い違う問題で、明らかに「米国寄り」の外相の発言は主要国首脳会議(ジェノバ・サミット)などで問題化することも予想される。外務省にはすでに、発言の真意について中国政府などから問い合わせが来ている。
 インタビューは16日に収録され、同日、現地で放送された。外相は米国がミサイル防衛計画の迎撃実験に成功したことにふれ、「世界には核兵器を拡散させる恐れがある国家が41も存在する。日本は米国の計画を支持する」と明言。これまで同計画を「理解する」としてきた日本政府の見解から踏み込んだ。 京都議定書をめぐっては「米国の立場をよく理解している。我々の目標は02年(の議定書発効)だが、米国の参加なしで批准することはありえないだろう。米国が参加するよう全力を尽くす」と述べた。 6月末の日米首脳会談では、小泉純一郎首相が「国内では米国抜きで批准すべきだとの意見が強いが、米国と協力しながら、EU、世界といっしょに協力していけるようにしたい」と述べていた。

 この田中外相のミサイル防衛計画「支持」発言は、三日後に杉浦正健外務副大臣が「理解」を意味するものだとして、チェコのテレビ局側の誤解を強調している。言葉尻云々よりも、田中外相や小泉総理がアメリカの顔色ばかり気にするため、その場凌ぎの発言が誤解を招くことになったことは確かだろう。これは京都議定書にも言えることだ。飛んでくるピストルの弾丸をピストルの弾丸で撃ち落とすようなものだ、と皮肉られているくらいのミサイル防衛計画である。1984年にはその難しい空中でのミサイル迎撃のテストが成功したとしてSDI開発に拍車がかかったが、のちに標的となるミサイル内部に発信装置が仕込まれていたことが暴露される。ミサイルは探知されて迎撃されたのではなく、ターゲットのミサイル自ら位置を発信して迎撃を誘導したことになる。つまり、ミサイル迎撃のテスト成功は全くの嘘だったのだ。SDIより精度があがったといわれるNMD(ミサイル防衛計画)だが、すでに去年1月と7月の二回の実験には失敗している。そこに追い打ちをかけるような技術者による内部告発が出てくる。
「空中でのミサイルの識別能力はたった5〜15%でしかないため、テストは失敗続きだった。これらはアメリカを守るためではなく、国民の公的資金を食い物にする陰謀なのだ。彼らの狙いは軍需産業が職場をつくり出すことにあり、ために無用なNMD開発をなくてはならないものにしているにすぎない」
 それでも我らが小泉総理率いるニッポン政府は大国アメリカの傀儡国として、アメリカ国民がそうであったように、今度は日本がNMDのために国民の税金を提供していくことに何ら疑問を持たないであろう。
【関連サイト】ミサイル・データベース米ミサイル防衛実験成功、実際には誘導信号発信  

2001/07/19、木曜
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写真速報、世界】6枚&【写真速報イスラエルvsパレスチナ】4枚(保存版)
 亡命していたブルガリアのシメオン2世元皇太子が帰国し、総選挙で勝利したのは一ヶ月前のことだったが、今度は旧ユーゴのアレクサンダル元皇太子が亡命先のロンドンから帰国して話題になっている。アレクサンダルの父親はペータル2世(在位1934-1945)で、その王妃アレクサンドラはロスチャイルド家の血脈に近いデンマーク王室の一員である。その王妃アレクサンドラの従弟が1967年ギリシアでクーデターを起こして失敗、イギリスに亡命したコンスタンティノス2世(在位1954-1973)であった。彼の妻アンナ・マリーもまたデンマーク王フレデリク9世の皇女である。クーデターに失敗したコンスタンティノス2世は、ギリシアで復活したパパンドレウ政権の目の敵にされてきた。また旧ユーゴの王室は一貫してセルビア候カラジョルジェビッチ家が継承していることから、セルビア王室としたほうが適当かも知れない。アレクサンダルにとって曽祖父に当たるセルビア王ペータル1世(在位1903-0921)の后ゾルカは、クロアチア王室のモンテネグロ・ニエゴシ家の皇女であり、同じ姉妹ヘレネ皇女がイタリア王室サヴォイア家のヴィトリオ・エマヌエレ3世(在位1900-1946)の后となって、ユーゴとイタリア王室も結ばれていた。
 イタリアは1946年に王政を廃し、1999年春のNATO軍によるユーゴ空爆に加担している。この時のNATO軍の攻撃の理由が「アルバニア人への、セルビア人の一方的な虐殺」だった。攻撃から一ヵ月後「セルビア治安部隊に処刑されたはずのフェヒミ・アガニとバトン・ハジウは生存している」とのニュースが流れ、NATOの嘘が明らかになっていく。この矛盾した理由付けはイタリアでも起こった。イタリアは憲法11条において「他の人民の自由を侵害する手段および国際紛争を解決する方法としての戦争を否認する」と定めていながら、「宣戦布告はしていないので、これは戦争ではない」と奇妙な論理を展開して二万回に及ぶ空爆に参戦していった。その空爆がどのようなものであったか?誤爆とうそぶきながら、爆撃地に散乱していたのは女性や子供たちの死体であったことを、私たちは決して忘れてはならないのだと思う。ズタズタに引き裂かれ荒廃した国土と国民の心に、いま忽然と亡命していた皇太子が現れるなどとは実にタイミングが良すぎるではないか。シメオン2世とアレクサンダルという二人の皇太子の帰国は、これからヨーロッパ統一国家の幕開けとしては恰好の演出になったことだけは確かなようである。
【参照】ロンドンから旧ユーゴ元皇太子が帰国 二つの宮殿に入居

2001/07/18、水曜
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イスラエルとパレスチナの情勢が緊迫してきました。そこで写真速報をアップすることにしましたが、無修正ですので写真の読み込みに多少時間がかかるのと、ソフト直訳であることを断っておきます。【写真速報イスラエルvsパレスチナ、18日分6枚】
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「ワシントン・ポスト」社主キャサリン・グラハム女史死去
 「ワシントン・ポスト」社主キャサリン・グラハム(Katharine Graham)女史が死んだ。【参考】米言論界を代表、Wポスト紙のグラハム元社主死去。84歳の高齢だったが、八年前にはすでに息子ドナルド(Donald Graham)に経営を委ねている。彼女の父ユージン・マイヤー(Eugene Meyer)もやはりワシントン・ポスト社主で、その父と同名の祖父は世界銀行の初代総裁であった。彼女自身と父親、そして息子と三世代に渡ってワシントン・ポストの社主を引き継いだこの一族は、その名前からすぐにユダヤ人だということが分かる。欧米のマスコミ業界にユダヤ人が多いのは衆知の事実だ。彼ら大手マスコミは時に国家権力の傀儡となって報道管制に協力し、ために事実を国民に伝えるという義務を怠ってきたことはよく知られている。湾岸戦争がその恰好の例となろう。特に日本に国際貢献を押し付け煽ってきた「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」は、その歴代会長の名前を調べるだけで如何わしさが分かるというものだ。キャサリン・グラハム女史もその会長として、「ニューヨーク・タイムズ」社主アーサー・サルツバーガー(ARthur Sulzberger U)までも会長を歴任している。ここ「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」同様、サルツバーガーという同族三世代によって支配され、またその親子三世代共に同名を継承している。しかも彼ら一族もユダヤ人であった。これだけユダヤ人脈が続けば、我らがユダヤ王ロスチャイルド家関与の気配がしてきそうだが、まさに「ニューヨーク・タイムズ」支配のサルツバーガー家から同族ベリー家の扉を開けたとたん、彼らは忽然と現れるのだ。
 コラムニストのピューリッツァー賞を獲得したサイラス・サルツバーガー(Cyrus Sulzberger)はその名のとおり、先の「ニューヨーク・タイムズ」支配のサルツバーガー家と兄弟の親戚筋にあたる。そのサイラス・サルツバーガーの娘マリナ(Marina Sulzberger)が「フィナンシャル・タイムズ」支配のベリー家御曹子アドリアン(Adrian Berry)と結婚していた。そのアドリアンの叔父デニス(Denis Berry)の結婚相手の名をローズマリー・ロスチャイルド(Rosemary Rothschild)といった。彼女のイトコは「エコノミスト」社主イヴリン・ロスチャイルド(Evelyn Rothschild)だが、彼らの曽祖父こそロイター通信創立者ライオネル・ロスチャイルド(Lionel Rothschild)であった。ちなみにライオネルの父親が伝説の金融王ネイサン・ロスチャイルド(Nathan Rothschild)である。こうして振り返れば、殆どの欧米大手マスコミにはロスチャイルド家の息がかかっていることが推測できよう。そのポイントとなるのが先の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」歴代会長の名前であろう。「ワシントン・ポスト」社主グラハム女史、「ニューヨーク・タイムズ」社主アーサー・サルツバーガー、そしてここにもう一人付け加えたい人物がいる。CBS創業者ウィリアム・ペイリーである。ペイリーの妻バーバラ・クッシングの、その姉妹の一人は「ムーディズ」支配者ジョック・ホイットニーと結婚しながら、もう一人はホテル王ウィリアム・アスターの妻に納まっていた。そして1995年にCBSはウェスティングハウスに買収されたが、そのウェスティングハウスはロックフェラー家の持ち物ではなかったか。

 キャサリン・グラハム女史についてはまだ分からないところが多々あり、いずれ再検証する必要がありそうだ。俳優ロバート・レットフォードが何やらグラハム女史についてインタビューを受けていたテレビ番組を思い出した。またグラハム女史の亡くなった夫の死因でもとかく噂になっていたようである。その詳細は分からないが、世界に冠たる新聞社を統率してきた女史ゆえの話題性ということだろう。
【写真】ニクソンとキャサリン・グラハム

2001/07/17、火曜
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 昨日の日誌に続きになるが、守被告が殺人罪で起訴されている下山雪子さんの件で、もう二例ほど筋弛緩剤ではなかったとする証言を付け加える。二階堂医師の証言よれば「モニターには心筋梗塞特有のST上昇の波形を示していた」という。通常はSの波は高くTの波は低く表示されるのだが、低いはずのTの波形も心筋梗塞になると高くなって現れる。緊急に呼び出された時に二階堂医師が見た心電図は、まさにそのT波が上昇した心筋梗塞を示す波形であった。筋弛緩剤が投入されていれば、心臓筋も弛緩してしまいST波も現れることはない。さらに雪子さんは下顎(かがく)呼吸の症状も出ていたという。呼吸困難が続くとその最後には顎を上げて呼吸をしようとする。弛緩剤が投与されていれば、顎が弛緩して下顎呼吸すらできないことになる。酸素吸入で一時的に呼吸が回復し、ST波が上昇して心臓異変を示し、下顎呼吸によって下山雪子さんは死亡した。これらは全て心筋梗塞の症状を呈するものであり、筋弛緩剤投入後の患者には決して現れない症状である。これらの事実を全て否定して、検察はあくまでも筋弛緩剤マスキュラックス投与によるものだとして守被告を状況証拠だけで有罪にしようとしている。こんな横暴が許されて良いわけがあるまい。

 いま落雷で一瞬パソコンの電源が切れてしまった。閃光と同時に雷鳴が轟いている。何故か、こういう時には嬉しくなる。自然がその存在を自己表現しているように思えるのだ。そろそろお盆前後にかけた仕事の準備をしなければならない。有毒ガスと、粉塵と、それに加えて猛暑が待っている。こんな時でもなければ、自分が生きている実感が湧かないのも皮肉なものである。 

2001/07/16、月曜
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 昨日のテレビ朝日系列・スクープ21での「独占告白仙台・点滴殺人事件で元院長が初めて語った衝撃事実」は、まさに衝撃的な内容であった。筋弛緩剤を投与したとして殺人未遂及び殺人罪に問われている事件で、ここにきて元院長の告白によって無実である可能性が限りなく大きくなってきたのだ。現在、守被告は女児11歳と1歳の二人と男児4歳、それに45歳の男性ら計四人の件で殺人未遂、また89歳の下山雪子さんの死に対しては殺人罪で起訴されている。北稜クリニック元院長・二階堂昇医師は当時を振り返りながら「雪子さんの死因は心筋梗塞であり、筋弛緩剤マスキュラックスが投与された症状ではなかった」と証言する。二階堂医師は呼吸困難に陥った雪子さんの元に駆けつけ、酸素吸入で一時的に呼吸が戻ったことを確認している。筋弛緩剤が投入されているなら、筋肉が弛緩しているために呼吸が戻ることはありえないのだと言う。しかし、雪子さんの死因が「心筋梗塞によるもの」とした二階堂医師の診断は「すでにモノ(マスキュラックス反応)は出ている」とする検察に拒否された。
 また風邪で入院した45歳の男性には二階堂医師自身が往診し、抗生物質ミノマイシンを処方した。その男性患者の様態に異変が生じたとき、二階堂医師は抗生物質ミノマイシン投与によるアレルギーと診断、その処置を施して回復に向かった。これも検察庁は「すでに筋弛緩剤マスキュラックスが検出されている」として、二階堂医師の「抗生物質アレルギー」の診断そのものを拒んでいる。
 さらに女児二名と男児一名に関する筋弛緩剤投与疑惑も、検証すればするほど検察の取り調べの矛盾点が明らかになる。鑑定では女児の血液(1cc当たり)からマスキュラックス25.9ng(ナノグラム)/mlが検出されたというが、この程度の濃度にするには500ccの点滴容器の中にマスキュラックス4mgのアンプルを20〜30本を投入しなければならない。手当に奔走する医師や看護婦の隙を狙っても、それは無理というものだろう。しかも筋弛緩剤マスキュラックスは非常に代謝が早く、48時間以内の血液中では全く検出されなくなる。210分後に鑑定したとされる女児の血液から検出された25.9ng/mlのマスキュラックスも、そのことで言えば30本以上のアンプルを使用しなければならない、という矛盾がまた出てくるのである。さらに検査当局は一週間後に採取したとされる血液からは20.8ng/mlのマスキュラックス成分が検出されたと言うが、これが事実だとすれば途方もない量のマスキュラックスを投与しなければならず、これはどう考えても不可能だ。
 この事件の特異性は「果たして筋弛緩剤が投与されたのかどうか?」という、事件が本当に起こったのかどうか?という曖昧さにある。したがって警察官に取り調べを受けた守被告もまた混乱したまま「自白を強要された」のであろう。この事件の唯一の物的証拠は血液鑑定のみであり、その鑑定そのものに濃厚な疑惑が浮かび上がってきている今、警察や検察側の捏造による冤罪疑惑という新たな展開になってきた。それを検察は「状況証拠のみでも守被告を有罪にできる」と意気込んでいる。無実の人間をかくも罪人に仕立て上げようとする検察とは何なのだろう?裁判の過程で血液の再鑑定が求められているが、これまた鑑定にあたった大阪府警科学捜査研究所では「検体は鑑定で全て使い切ってしまった」という。犯罪捜査規範では「血液などの鑑識にあたっては裁判などの再鑑定の可能性があるため、検体の一部は保存し、再鑑定のための考慮をはらわなければならない」と定められている。
【関連】北稜クリニック、点滴疑惑事件リスト

2001/07/15、
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 ウォーターゲート事件でのハント夫人の飛行機事故が気になっている。単なる飛行機事故ならFBI捜査官が50名も現場に急行するはずもない。それが彼女の夫ハワード・ハントによるニクソン大統領への100万ドル恐喝に関することはおよそ想定できる。FBIが墜落現場で必死で探し求めていたものこそ、その証拠資料ではなかったか?つまり、ハント夫人は夫からその資料を預かっていたのではないだろうか?それが飛行機に同乗した他の人々まで犠牲にするほどインパクトのある資料である公算が大きい。奇妙なことに50名もの係員を現場に派遣しておきながら、当初FBIはその事実を認めていない。騒ぎが大きくなってからFBIは事実を認めているが、その説明は全くされないという奇妙さだった。ウォーターゲート事件に連なるニクソンの揉み消し工作にはCIAが関与していることが分かっている。ハワード・ハント自身が元CIA工作員であった。現場で不審な動作を見せたマッコードもCIA保安部の少佐担当官であった。当時のCIA長官リチャード・ヘルムズは個人的にもハワード・ハントを知っていた。ハントは小説家を目指してピッグス湾侵攻作戦をテーマにしたことがあり、ヘルムズの暗号名「ナイト」をそのまま使っていた。これらのことから、ハント夫人が所持していた資料にはピッグス湾侵攻作戦とCIA、それに連なるニクソンらの隠された事実が記述されていたのではないか?といった噂も出た。さらにCIA長官ヘルムズこそディープ・スロート(内部告発者)ではないか、という説まで飛び出している。しかし歴代のCIA長官にしては珍しくも、ヘルムズは自分に忠実で実直な性格の持ち主であった。いつもは感情を抑えるタイプのヘルムズが、この時ばかりは激昂してピッグス湾との関連を強く否定している。今では「ウォーターゲートはニクソンを巻き込んでCIAが仕掛け、それがきっかけで退陣せざるを得なくなるようニクソンを追い込んだのもCIAだった」というのが定説になってきているようだ。当然のことながらCIA長官ヘルムズの関与も疑われたが、本当の黒幕はCIAのフロント(偽装組織)を通じてCIA勤務の長い「鉛管工グループ」の、ハワード・ハントにつながる人物だと囁かれている。「鉛管工グループ」とはホワイトハウス地下室にある特別調査班で、大統領に奉仕する目的だけに創設されたものとされている。これを承認したのがニクソンであり、ためにCIAの敵意をかっていたらしい。これを事実とすれば、盗聴工作現場で不審な動きをしたマッコードはCIAが放った内部通報者ということになる。それではハワード・ハントにつながる本当の黒幕とは誰なのか?それを知るためには、ウォーターゲート事件後に誰がCIA長官になったか、何が起こって何が隠され、また何が明らかになったか、などを辿らねばならないようだ。

2001/07/14、土曜
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三宅島の地形図
 昨日と今日は目まぐるしく天気が変化した日であった。晴れていた空がにわかに掻き曇り、薄暗くなったかと思えばどしゃ降り、そして閃光を伴った雷鳴が轟く。幼い頃に蚊帳の中に飛び込んだ夜のことを思い出した。母が「ほら、ヘソを盗られるぞ」と言うと、耳を塞いで布団の中に頭を隠したっけ。そんな母も老いて、雷鳴に肝を冷やして倒れたことがあった。笑えなかった。末期癌の痩せ細ったその命は、雷鳴にもショックを受けるほど弱っていたのだから・・・なんという運命だろう。天を仰ぎ、落雷に撃たれて死んでしまいたいほどの悲しみに、神はまだ沈黙を続けているんだぜ・・・そうして、いつまで同じことを考えてクヨクヨしているんだ。死んだ人間は二度と戻らないのに、忘れなよ。いや、忘れるべきだ。それでないと、前に進めないじゃないか・・・前?前に進んで何が待っているというのか?待っているのは確実な死でしかない。希望はいつでも刹那的で不確かな気まぐれにしかやってこない。挨拶する暇さえありゃしない。その点、絶望だけは確実に生活に根付いていやがるんだ。しかも毎日のように挨拶を欠かさない。「また来たよ」って、来なくてもいい不幸という手土産を抱えながら、帰るときにだって「また来るよ」などと挨拶しやがる。もう、うんざりだ・・・どうしてそう悲観的なことばかり考えるんだね?・・・産まれついた瞬間から人間は絶望というこの世のスタート地点に立ったようなもんさ。分かるだろ?赤ん坊が泣き喚くのも、この世に生まれる苦悩を本能的に記憶しているからなんだ。それなのに親は大喜びで誕生を祝うのさ。皮肉なことに、やっとこの世の苦悩から解放される死の瞬間にさえ、今度は家族が嘆き悲しむことになる。本人が解放される喜びに浸っているときに、だぜ。この逆説こそ人生の本質なんじゃないか?・・・シェイクスピアの「きれいは汚い、汚いはきれい」という台詞に通じるね。腐って分解していく命は透明なのに、人類は腐らないものばかりつくってしまった。腐らないものはきれいだと錯覚して、そのきれいなものに埋もれて窒息していく・・・腐らないものは死なないものだ。その死なないものを発明したばかりに、人間は死ぬことすら自由にならない。生きていることが苦痛なのに、近代医療は死なせない苦痛を与えるにすぎない。ああ、思い出すよ、オフクロのことを。何本もチューブを差し込まれてさ、痛み止めのモルヒネが注入された時点でオフクロは人格が消滅したんだ。看病するオレの顔すら判別つかなかった。疲れ果てていたときに「あんたはオフクロさんが死ぬの待ってるんでしょ?」と言われたっけ。その瞬間にオレは壊れた。返す言葉もないほど疲れていたんだ、分かるかい?人の痛みを知らない奴の言葉だったけど、同時に図星だったんじゃないか?って自分を責め始めるんだ。壊れていく自分の心を自覚しながら・・・雷雨を伴ったどしゃぶりはすぐにやむ。すぐに太陽が顔を覗かせ、濡れた木の葉の雫を光らせる。明日は晴れるだろう。茹だるような暑さを伴いながら、太陽はあと何億年生きられるのだろうか?

2001/07/13、金曜
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 昨日の帰り道、旧国道の道路沿いに猫の死骸を見た。見慣れた光景だが、私にとってはその都度恐怖に囚われるのはいかんともし難い。その光景が脳裏に焼き付いて離れなくなる。ただ、猫の死骸を道路わきに寄せてあったことが唯一の救いでもある。轢かれたままにしてあれば、おそらくペチャンコになっていたであろう。去年死んだ子猫の場合は、それこそ原形を留めないほど無残な死骸になっていた。今年になってクロはまた子猫を産んだが、今から車に轢かれなければいいが、と心配してしまう。去勢も考えたが、二万以上の費用もままならず、何より産まれる命に神の摂理をみる想いがしてきたのである。数年前、県下でカゲロウ(蜉蝣)の異常発生が問題になったことがあった。カゲロウは交尾を終えると数時間で死んでしまう。二〜三年の幼虫期から成虫になってのはかない命である。宙に舞い上がりざまに落下して死んでいく無数のカゲロウが、まわりの風景を見えなくするほどに次から次へと現れては消える生と死の営みが繰り返されていた。人間の寿命もカゲロウのように短縮すれば、その命のはかなさが分かるような気がする。ちょうどカゲロウの数分が、人の命の五年分ぐらいになるだろうか。何のために命が生まれて、そして死んでいくのか?日本の物件を買いあさるアメリカ人のバイヤーが「現代社会は弱肉強食そのものだ。食うか食われるかしかない」と豪語していたことを思い出す。ビル・トッテン氏もアメリカ人は海賊だと言い切っている。そういう競争社会では敗北者は認められない、見捨てられる存在になる。学校でも教育の主体は、名門校に入り、著名な大手企業に入社するエリートを育むことに変わりはないだろう。カゲロウのようなはかない寿命にあって、立身出世や地位の確立を本懐とするような人生に、いったい何の価値が見出せるというのか?欲望達成を目的とする願望より、生き方そのものに価値を見出すことの方が大事なことと思われる。日々、喜怒哀楽の感情が起伏する生活にあって、心ならずも人の心を傷つけてしまったことへの反省と、誠実に生きようとしながらも現実との狭間で苦悩することが無意味であるはずがない。必死になって勝ち取った仕事やその報酬レベルで優劣を誇る無意味さより、何を言われようと人を憎まないでいられることの困難さに挑むことのほうに価値がありはしないだろうか?そのための時間だけはたっぷり取っておきたい。

2001/07/12、木曜
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 MTBで地元周辺の河川敷を走らせながら野宿できる場所を探し回った。やはり人目のつかない所が野宿の第一条件だろう。そんな場所を一ヶ所だけ見つけた。それも駅に近い。周囲に高層マンションがあるものの、雑草が生い茂って死角になっている。そこに至る道も狭く、たとえ車が入ってきても行き止まりになっている。鉄橋の傍であることが唯一の難点だが、絶えず水の音がしていて、電車の通過する音がむしろ心地よい。コンクリートの平地もあってテントを張るに最適だ。すぐ傍には柳の木々が密集していて、野鳥たちもやってきている。というわけで、ここを隠し砦のポイントに決めた。ストレスが溜まったらここに来てテントを張って、ワインを飲んで、歌など歌って、酔いしれて眠ってしまおう。朝は野鳥の声で目覚めることだろう。そこの対岸には数件のバラック小屋が建っている。一度迷い込んだことがあり、小屋の中からおばさんが出てきて驚いたものだ。つまり人が住んでいたのだった。何か事情があってのことだろうが、体裁ばかりの人間関係に疲れている私には羨ましくさえあった。今度また迷い込んでみようと思っている。今度は何かきっかけをつくって話をしてみたい。ここは普通の人々の迷惑とかで噂にもなっているようだ。彼らの通報によって、遠からず撤去されるような気がしてならない。そっとしてほしい、と思う。
 河の下流に沿って気ままにMTBを走らせていたら、やっぱり海が見たくなった。今度は始めてのルートで海に向かった。途中、護岸工事の場面に何度か遭遇した。河を掘り起こしている傍らを通ると、腐臭がして咳き込んだ。福田組と看板に書いてあったが、あの小沢一郎の福田組ではなかろうか?と思ったりした。こうした護岸工事の汚水が海へと流れ込むことも環境破壊の一因になっているようだ。ヘリに乗って上空から俯瞰して見れば、茶色に濁った川が海へと流れ込んでいく様子がはっきり分かるはずだ。私が市長だったら、上空のヘリから「工事を即刻やめなさい!あなた方は自然を破壊しているのです」などとマイクで呼びかけるかも知れない、などと夢想した。夢想するには今日は最高の暑さだ。何度か目眩がして、ペダルを踏む感触すら分からなくなった。海に着いて服を脱ぎ捨て、ひとりではしゃぎ回った。ずっとMTBに乗っていたので股間が汗でぐっしょりになっていた。パンツも脱ごうと思ったが、人目があるのでやめた。すでにハマヒルガオは枯れて、無かった。来年まで待つしかない。彼女とデートするのを待つようにワクワクする。彼女といえば、ひとり海を眺めていた女性がいた。思春期の頃を思い出した。難破船があった浜辺で、海を見つめていた若い女性に声をかけたっけ・・・歳はいくつ?なんて訊かれて「17でーす」なんて答えて、それっきりだった。つまり相手は年上の女性だったというわけ、お粗末な思い出であった。女性はひとり海を眺めるのが似合う。男は素っ裸で海に飛び込むのが似合う・・・かも知れない。海は良い、山も良い、自然まるごと良い。私は自然が好きだ。運命に見放されても、自然はそのまま受け入れ、癒してくれる。ハマヒルガオは枯れても、来年にまた咲くことを自然は約束してくれる。自然があるかぎりにおいて・・・

2001/07/11、水曜
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 「GIDEON’S SPIES」の著者ゴードン・トーマスは、やはり彼の出版した「狂気への旅」でCIAのマインド・コントロールに言及しているという。CIAがそのことを認めるのに10年の歳月を要したらしい。私もJFK暗殺に関連してマインド・コントロールについて触れているが、最も有名なのがMK=ULTRA(MKウルトラ)であり、オルソン事件だろう。今から48年も前、1953年11月22日、ニューヨークのスタトラーホテルに宿泊していた米陸軍所属のオルソン博士が転落死した。当時は自殺として片付けられたが、22年後の1953年にオルソン博士がCIAの人体実験に関わっていたことが発覚、ホテルからの転落が単なる自殺ではないのではないか?という疑惑が急浮上する。再調査の結果、転落死する数日前のメリーランド州ディープ・クィーク・レィクでの連絡会議において、博士以下七人にLSDが投与されたことが分かった。ここで博士は発作を起こし、ニューヨークの病院で手当を受け、その治療のために問題のホテルに宿泊した矢先の転落死だった。このオルソン事件をきっかけにCIAの洗脳工作が暴露され、分かっているだけで米軍人2500人、囚人2500人、ほか精神病患者などが人体実験のモルモットとされていたという。これらの洗脳工作にはCIAだけではなく、国防省、米陸軍、保健厚生省なども関与する大規模な実験だった。
 オルソン事件以後、CIAの洗脳工作は途絶えたかのように思えた。しかし、その十年後にカスチロという男がNBI(国家捜査局)によって逮捕され、再びCIAのマインド・コントロールが問題となる(参考、マインド・コントロールされた男カスチロ)。米陸軍はベトナム戦争においても実験を継続していた。1962年9月、LSDの人種別による反応を調べるための暗号名「ダービー・ハット」の実験がスタート、工作員の容疑をかけられていた北ベトナムのアジア人に6マイクログラムのLSDが投与された。それ以前にも陸軍は自国の兵士を使ったLSD投与の実験をしており、これらは「サード・チャンス」という暗号名がつけられていた。ダービー・ハットもサード・チャンスもCIAには知らされなかったが、その成果を探るためにCIAは自国の陸軍に対してもスパイ活動を行うという有様だった。
 こうした一般には信じがたい洗脳工作は続けられ、その都度問題化しては中止されたが・・・今では殆どその手の情報が問題となることはなくなった。その意味するところが全面的な中止なのかどうか?を推測する時には、やはり表向きには中止しても極秘に実験を継続してきた、過去の教訓が参考になる。数年前の日本において、最終的には一万人ともいわれる子供たちがテレビのアニメの閃光に卒倒した出来事を想起してほしい。ここでの締めくくりにW・G・ウォルター著『生きている脳』の一部を紹介する。
 「刺激が有効であるためには閃光と脳のリズムとの間の同期性程度は極端に正確でなければならない。閃光と脳とを同期させるためにフィードバック系が採用された。これは脳のリズム(脳波)そのものによって点火される。この機器を使用すれば、てんかん患者にみられるような一過性の発作性放電を惹起することができる」 

2001/07/10、火曜
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真鶴・現金輸送車強奪事件
ウォーターゲート事件とハント夫人の飛行機事故
 中東情勢からウォーターゲート事件へと予想外の展開をしてしまったようだが、一見脈絡のないようなものでも注意深く調べれば意外な展開を示すこともある。せっかくだから、この連想ゲームを続けていきたいと思う。
 1973年12月、シカゴ近郊でユナイテッド航空機が墜落し、乗組員と乗客全員が死亡した。その乗客の中にハワード・ハント夫人がいた。ハワード・ハントは先のフランク・スタージスと共にウォーターゲート事件に関与した男である。このハントとスタージスにはもう一つ共通点がある。あのJFK暗殺現場で偶然撮られた三人の浮浪者の写真が、スタージスと共にハントもまた酷似しているとして関心を呼んだのである。このことはすぐに忘れられたが、騒ぎの発端はコンピューターの専門誌が「写真の警官が、実際にはダラス署に所属していない」ことをコンピューターで分析してみせるというものだった。その資料としてJFK暗殺当日の三人の浮浪者を連行する警官の写真を提示したのだが、このことは暗殺現場に偽の警官がいたことを示唆するものでもあった。それはシークレット・サービスマンも例外ではなく、ダラス署のワイズマン巡査によってJFK暗殺当日にシークレット・サービスの偽者がいたと証言されている。この時の容疑者がバーナード・バーカーという男だった。そして・・・ウォーターゲート事件で逮捕された五人の男たちの中に同じ名前があるとしたら、先のハントとスタージスを加えてみれば、この符合のただならぬものを感じさせてくれる。ウォーターゲート事件に関与した人物の一部を以下にあげてみる。
 ●ハワード・ハント、●フランク・スタージス、●バーナード・バーカー、●ジェームス・マッコード、●チャールズ・ニコルソン、●ジョン・コールフィールド、●アンソニー・ウラセウィッツ
 うち上位三名が何らかのかたちでJFK暗殺と関わっていたものと思われる。1974年8月、ニクソン辞任の直前に公開されたホワイトハウスのテープ記録にはハワード・ハントに関する内容も含まれている。その中でニクソンが、ハントに100万ドルを要求されて苦慮する記録も残っていた。恐喝である。こうして翌年12月にハント夫人の乗った飛行機が墜落する事故が起こるのだが、事故現場には50人以上のFBIが駆けつける物々しさだった。むろん飛行機事故に多数のFBIが動員されることは異例のことである。FBIは墜落現場から何を探し出そうとしていたのか?果たして単なる飛行機事故だったのかどうか・・・その推定の自然な帰結としては、ハント夫人が夫から何らかの資料を(100万ドルに相当する?)預かったゆえの口封じではなかったのか、となる。JFK暗殺に関しては私なりにまとめたものがある(JFK暗殺めにゅー)が、どうやらこれにウォーターゲート事件も付け加える必要がありそうだ。

2001/07/09、月曜
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気になるニュース(保存版)
 昨日書いたベイルート支局長バックリーの死の真相は、「GIDEON’S SPIES」(日本での書籍名、憂国のスパイ)の著者ゴードン・トーマスによって明らかにされたものである。その真相を打ち明けたウィリアム・ケイシーはレーガン政権下でのCIA長官だったが、メリル・リンチの顧問弁護士でもあった。この時の財務長官はメリル・リンチの会長ドナルド・リーガンで、大統領首席補佐官がハワード・ベーカーだった。今日のNHK番組クローズアップ現代で、そのハワード・ベーカーが日本大使として独占インタビューに応じている。彼はウォーターゲート事件では上院特別委員会の副委員長としてニクソン追い落としに一役かっている。そもそもウォーターゲート事件とは何だったのだろうか?ワシントンはポトマック湖畔のウォーターゲート・コンプレックスのビルに盗聴器を仕掛けようとした五人が逮捕されたのが発端だが、それにニクソンが関与した疑惑がかけられ結果的にニクソンは辞任した。この事件はビルに浸入しようとした犯人たちによっても不審な点が垣間見えていた。彼ら犯人たちは共和党のニクソン再生委員会の指示で動いたとされるが、共犯者たちは浸入する以前に警備員に待ち伏せされていた。逮捕された共犯者の一人マッコードは浸入時に不審な点があり、仲間内からも警戒されていたが、彼は以前にCIAで働いていたことがあった。もう一人の共犯者フランク・スタージスもまたマッコードに不審を抱いていた。私の記憶によれば、彼はJFK暗殺当日に機関区で浮浪者としてFBIに連行されたうちの一人に酷似する。彼らはすぐに解放されたが、のちにスタージス本人ではないか?と騒がれたものだ。これが本当だとすれば、スタージスは世紀のクーデターと言われるJFK暗殺とウォーターゲート事件の双方に関わったことになる。最も彼の場合は下部組織の一員としてであって、あまり重要な証言は得られないであろうが、それでも事件の謎を解く手がかりにはなるかも知れない。ウォーターゲート事件ではすでにイギリスMI6の関与が噂されているが、仮にMI6が関与しているとすればその黒幕は途方もない大物の可能性がある。かつてのイラン指導者ホメイニはMI6が育成した人物だということは、諜報界では衆知の事実となっているようだが、これに「ハマスはイランから派生したもの」であることを加味すれば中東情勢はもっと違った見え方がしてくるだろう。例によって、この辺はいずれも憶測の範疇としておこう。

2001/07/08、
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気になるニュース(保存版)
 イスラエルとパレスチナの抗争が続く中で、フランスの大統領が六日イスラエル首相に「アラファト氏を追い詰めないようと」として「アラファト議長を中傷するのは逆効果だ」との忠告を表明したのに対し、中国もまた「パレスチナは中国の真の友人」と婉曲にイスラエルを牽制している。これに対しイスラエルのシャロン首相はドイツ首相との会談での「勧告受け入れはテロ停止が条件」との姿勢は崩していないようだ。昨日はスパイについて触れたので、ここでちと水面下での動きを過去の例を参考に考えてみたい。1984年3月16日、ビル・バックリーCIAベイルート支局長が誘拐された後に死亡した。当時のレバノンはキリスト教民兵により一千人近いパレスチナ人が二つの難民キャンプで虐殺され、その報復を誓うパレスチナ人たちで溢れていた。バックリーがそのターゲットとなったのは明らかだった。当時のモサド長官はナホム・アドモニ(1982年就任)で、バックリー誘拐の報告は逸早く知る立場にあった。しかもアドモニは、誘拐後のバックリーが拷問されている様子も詳しく知っていた。なぜなら当時のレバノン大統領バシル・ジェマイエルとモサド長官アドモニは互いに協力し合っていたからだ。アメリカからバックリーの探索を要請されたアドモニは、ここで「誘拐の背後にPLOあり」とぶちあげている。しかし、実際にはPLOは何ら関係がなかった。アドモニ長官は敵対するヒズボラとキリスト教民兵の双方に武器を調達していたのだった。アメリカの同情をひこうとするアラファトの企ては、モサド長官がバックリー誘拐の罪をPLOに着せることで頓挫したのだ。この一件は当時の中央情報局長官ウィリアム・ケイシーによる非公式の証言であるが、遠からず明らかになることだろう。これを参考に現在の中東情勢を考察するときには、公式で発表されたものとは違った見え方がしてくるはずである。つまり、今もアラファトを追い詰めているシャロン首相の背後にモサドの暗躍を想定する必要がある、ということである。さらに言えば、パレスチナを真の友人とする中国も、それを額面どおりに受け取ることは判断を誤まることにもなりかねない。モサドと中国が水面下で何をしてきたか(特にアフリカで)?を踏まえながら、中東情勢がそう簡単に沈静化するわけがない事情を知っておく必要があるだろう。

2001/07/07、土曜
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 どきゅめんと掲示板にゾルゲに関する転載投稿記事「特高がゾルゲの暗号を解読 情報源解明で泳がせる」がアップされたので、少しそれに関連したことを書いてみたい。この当時の日本での暗号解読にかけて、ロシアはアメリカやイギリスなどより優れていたと思われる。イギリスのMI5(軍事諜報部第5部、対抗スパイ活動)も優秀ではあったが、日本などアジアを軽視する傾向があり諜報部でも能力のないスパイばかりが送り込まれていた。その点、ゾルゲは的確な分析能力を発揮し「シンガポールはイギリスの無防備の象徴である。それは要塞ではなく、冒険的侵略者にこれみよがしに取ってくれと言っているようなものだ。ここは比較的小さな損害で三日のうちに奪える」と、情報提供者のグンター・シュタインに語っている。やがて日本が冒険的侵略者となってシンガポールを陥落させていくのだが、このことでもゾルゲのただならぬ能力が窺える。アメリカもまたさほど日本を重要視はせず、フリードマンという暗号の天才が登場するまでは、暗号解読はできても解釈ができないというありさまだった。ゾルゲは自らが語学に堪能なのに加えて、英語を流暢に話す宮城という日本人に日本語を英語に翻訳させている。ゾルゲはこうすればモスクワでの評価があがることを利用したのである。さらに尾崎の博識を得ながらメッセージの意味するところを正確につかみ、ゾルゲ自身によってロシア語に翻訳した概要がロシアへと送られていた。こうした中で日本の特高もゾルゲの暗号を解読していたわけだが、ゾルゲほどに情報の価値を活用できなかったようだ。結果的にゾルゲが逮捕されたことで特高の成果があったようにみえるが、彼は逮捕されることを知りながらも特高の息のかかったキヨミと夜を共にしている(参照、ゾルゲと二人の女性)。ゾルゲの頭にはスターリン政権下で殺されていった仲間のことなどがあったのではないか?祖国のために尽くしながら、スターリンの過度の猜疑心から粛清されていったことが、彼を祖国に帰ることを断念させたのかも知れない。ゾルゲ自身何度か危険な目に遭遇している。当初はNKVD(表向きは内務人民委員会だが、実際は秘密警察、KGBの前身)に所属していたが、同胞が次々とスターリンによって粛清されるに及んで、ゾルゲは赤軍本部第四部に転属願いを出して認められている。赤軍の秘密情報機関である第四部は、NKVDやコミンテルンとは無関係にモスクワ共産党指導部と直結し、しかも強力な組織であった。ゾルゲの友人であったイグナス・ライスもスイスにおいて暗殺されたことから、ゾルゲの第四部への転属は聡明な判断だといえよう。まだ興味深い話があるのだが、長くなるのでこの辺にしておきたい。

2001/07/06、金曜
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福島パチンコ店強盗事件
 昨日起こったパチンコ店の強盗事件は、地形を巧みに利用した周到な計画の元に起きた事件だろう。現場周辺ではヘリコプターでの捜索も続けられたが、強盗現場と経営者が解放された場所に、信夫山が立ちはだかって死角になるのが分かる。実は、こうしたパチンコ店を狙った強盗事件は予め予想されたものであった。実行犯グループには日本人以外の者も含まれていたはずである。これら未確認情報がテレビのニュースで流れたことがあった。番組では何とパチンコ店強盗を示唆した盗聴テープの会話を流していたのだ。これから不景気に乗じて全国のパチンコ店で強盗事件が勃発することが懸念される。当初は今回のように地方のパチンコ店がターゲットになりやすいだろう。たとえ実行犯が逮捕されても、外国語が邪魔になって捜査は遅れることになる。それ以前に実行犯たち自身が、誰の指令で動かされたのかも知らない公算が大きい。あくまでも憶測ということで不用意なことは言えないが、この種の情報は一部のマスコミ関係者や警察上層部がすでに知っているはずである。私の自宅裏もパチンコ店であるが、見たところ隙だらけのようだ。数年前にはパチンコ店がブルで壊されるという荒っぽい事件も起き、宝石店などの強盗事件も荒っぽい手口が目立ってきている。盗聴テープでの彼らは「カネになるなら何でもやる」と言い切っていたのが印象的だった。強盗がさほど珍しくもない世相になりつつある昨今、一般の人々が巻き添えをくうことも考えられよう。注意するに越したことはない。ところで、番組で流された盗聴テープの出所はどこなのだろうか?マスコミが盗聴したテープであるはずもない、とすれば、それは盗聴マニアからの提供ということになる。おそらく携帯電話を傍受したものだろう。盗聴テープの内容が内容だけに、ここでその詳細を公表するのが憚られる。いずれにせよ、日本は犯罪的にも欧米諸国に限りなく近づいてきていることだけは確かなようだ。

2001/07/05、木曜
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気になるニュース(保存版)
 今日は再び幽境の谷を訪れた。高校生らしきグループも来ていたが、おそらく授業をサボったのだろう。解放感からか、奇声をあげて騒いでいた。私は巨石に遮られた場所で日光浴をしていたので、彼らには私が居ることすら気が付かなかったはずだ。ここ数日少しずつ日光浴をしているが、デリケートな皮膚を鍛える意味もある。今日の日差しは強く、見る間に汗が滴り落ちる。木陰で弁当を食べる。気持ちのいい風が杉林を通り過ぎていく。しばし散策していたら、突然釣り人が現れた。相手は一瞬ギョッとした表情で私を見ていたが、「暑いですね」と言ったら「ほんとですねぇ」と笑顔が返ってきた。あまり人相が良くない私は、その悪印象を払拭させるためにいつも自分から挨拶するようにしている。それでないと警戒されてしまうからである。初めて入った居酒屋で「暴れないでくださいね」などと言われたこともあり、苦笑したことを思い出す。帰り道、例の相棒を訪れた。私のMTBを見てさかんに羨ましがる相棒に「ほしけりゃ、やるよ」などと冗談言っていたら、近所のおっさんが出てきて「ちょっと寄っていきな」と誘われる。大きな声がするので覗いたら私がいた、ということだった。そこで昼から焼酎をご馳走になる。私のことは相棒から聞いているという。いろいろ話をしたが、サラ金からの借金で泣かされている人の話が印象に残っている。内容を聞けば聞くほど実に悲惨な話であった。かつて保証人になった父が、取り立て屋に恫喝されていた夜のことを思い出していた。当時はまだ二十歳前の私だったが、取り立て屋にくってかかったことがあった。そんなカネ、オレが今からつくってやるから待ってろよ!そんな捨て台詞を残して外に飛び出したっけ・・・外に飛び出してから保証した金額が幾らなのか?も、分からないことに気付いた。手ぶらで帰ると、すでに取り立て屋はいなかった。父が「みんなオマエの剣幕にびっくりして帰ったぞ」と笑っていた。あんな嬉しそうな父の笑顔は初めてだった。そんな父も私が二十代半ばの時に急死してしまった。父の笑顔だけが懐かしく思い出される。数年前に母も死んだ。正直、これからどうすればいいんだろう?と、途方に暮れたことも確かである。かつて「子供のときに親に死なれたので、親の顔すら分からない」という人の話を何度か聞いたことがある。してみれば、私の場合は親の面影を思い出すことが出来るだけ幸せなのかも知れない。

2001/07/04、水曜
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銀座で発砲、バイクの2人組逃走 暴力団抗争か
 この蒸し暑いのに、くだらない些細な苦情ばかり言ってくるお隣さん。今度は電線を直せ、と言ってきた。我が家から伸びている電線が、弛んで垂れ下がっているから直せと言うのだ。よくもまあ次々と苦情のタネを見つけるものである。頭に達するまで垂れ下がっている、というので見てみたら、確かに垣根の上付近まで垂れ下がっている。それでも頭に接近するほどではない。よくよく聞いてみれば、垣根上部を剪定するのに脚立を立てて登っていたと言う。今にも電線が首にかかるような騒ぎをしているのだが、脚立に登れば電線で首吊りだって出来るだろう。馬鹿馬鹿しい。仕方ないので電力会社に電話して直してもらった。隣の苦情は年々増えてきている。今では一週間に一度は苦情を寄せてくる始末だ。樹木の枝が浸入してくるので切ってほしい、と言われて切ったのは去年のことである。それも枝を切っただけでは許してもらえず、根元から切り倒してしまった。ここまでくると異常というほかはない。ほかに何かやることはないのだろうか?苦情を言われる度に対処してきたが、それにも限度がある。相手が困るのを見て喜ぶタイプなのかも知れない。というわけで、ますますもって私は田舎暮らしを夢想するばかりなのだ。できることなら、すぐにでも自然の中へと飛び込んで行きたい。明日にはMTBに取り付けるソーラー式ライトが届くことになっている。これは電池の充電も可能な優れものだ。ツーリング用テントも装備したし、今年末までには厳寒にも耐えられる暖房用ベストを購入する予定だ。つまり、季節を選ばない究極のサバイバルを考えているのである。父の会社創業時に何もかも燃え尽きてしまった大火災の過去を教訓に、必要最低限の生命維持物資だけは装備しておきたいと思っている。生活費半分を削りながらの計画、苦しいだけに達成感もある。

2001/07/03、火曜
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 今日も暑かった。いま私の室内は午後3時現在で30度を越している。これからが本格的な夏の暑さが始まる。クロは子猫たちを亡き母の寝室で育てているようだ。そっとクロを追跡していくと、ベッドの片隅に入っていくのだ。すると微かに子猫たちの鳴き声がする。また覗いたりするとクロが子猫を移動させてしまうので、そっとしておいている。ランニングシャツでも汗が吹き出るくらいなのだから、黒い毛並みのクロは相当暑いはずだ。キャットフードを食べ残すクロを心配して、私が食べよう残しておいたウィンナーを食べさせたりしている。空腹のときはそれこそ体を摺り寄せて甘えてくるクロも、いったん食欲が満たされると振り向きもしないで外に出ていく。野良猫の自由さがときに羨ましくなる。おそらく今度生まれた子猫たちも、クロの特訓で野良猫としての習性を身に付けていくのだろう。去年の子猫たちも木から屋根伝いに自由に闊歩していたくらいだから、およその想像はできる。傍に車が行き交う道路さえなかったら、子猫たちも死ぬことはなかったはずだ。できることなら私は子猫たちに横断歩道を渡るよう躾たいぐらいだ。
 暑い日中、タバコを買おうと横断歩道のところに来たら、男女の高校生らしき集団に出くわした。信号が青になっても渡ろうとせず、話に夢中になって道を譲ろうともしない。イライラしながらその中を突っ切ってきたが、どんな教育を受けているのかとしばらく怒りがおさまらなかった。もう一つの横断歩道で車が途絶えるのを待っていたら、突然大きな声が響いて驚いた。なんと白バイの警察官がマイクで私に呼びかけているのだ。思わず身構えたが、よく聞くと「待っているから、渡りなさい」というだけのことだった。スピーカーの音が割れて聞きにくいのであった。一応ペコリ頭を下げて渡ったが、かつては警察と相性が悪かった自分のこと、親切にされるとかえって気色が悪いものだ。それにしても暑い日だった。午後5時現在、私の室内は30度を維持したままである。

2001/07/02、月曜
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北谷(ちゃたん)町女性暴行事件(地図含む)
 また有吉佐和子女史の「複合汚染」を読み始めている。1975年7月に完成したこの本は、彼女自身が「もう公害というものは小説という虚構で捕らえることができないのを思い知った。事実の重みがあまりにも大きい。事態は、小説という読み物にのせるには、あまりにも深刻だ」と文中に書いているように、渾身の知力を注いで書かれたノンフィクションである。当初、佐和子女史は公害を小説のかたちで表現しようとしていたらしい。主人公はとある田舎町の市会議員、やがて彼は市長となって町の発展のために次々と工場を誘致する。ここで公害が問題となり住民たちが騒ぎ出す。これだけ地元のために尽力をつくして発展させてやったのに何が公害だ!と激怒する市長は、新聞記者を集めて工場排水を飲んで見せる。その一方では、市長の最愛の孫娘が公害が原因で苦しみながら死んでしまう。佐和子女史がそんな小説の構想を練っていたとき、実際の公害問題もまた深刻になり、ついにあちこちの工場長たちが新聞記者の前で排水を飲んでみせるという、彼女の小説のシナリオ通りのことが現実に起こってしまう。そのことが原因で、彼女は小説を放棄し、ノンフィクションに着手したのだという。
 「複合汚染」は市川房枝参議院議員の選挙活動を佐和子女史が手伝うところから始まる。そこに市川女史を応援する青年グループのリーダー格に管という青年がいた。今日の民主党幹事長・管直人である。管直人率いる青年グループらは、市川女史がダメなら佐和子女史を立候補させようと勝手に画策していた。これを知って彼女は辟易し「それなら徹底して彼らに嫌われよう」と決意する。このへんのくだりはけっこう笑える。彼女はフジテレビの「笑っていいとも」に出たこともあった。思ったことをスバリ言う佐和子女史に、タモリは苦笑しながら、やがて口煩いオバンとして閉口する様子が印象に残っている。有吉佐和子女史は1984年に亡くなっている。53歳の作家としては若すぎる死であった。「複合汚染」には彼女の徹底した調査能力が見てとれる。難解な専門用語も噛み砕いて分かりやすく説明している。日本の資料は信用できないと、欧米から資料を取り寄せて調べる徹底ぶりだ。つくづく惜しい人を亡くした、と思う。彼女の本当の評価は「複合汚染」の再評価と共に、これから数年を待たずしてなされるだろう。今から26年前に、日本にもレーチェル・カーソン女史に匹敵する作家がいたのだと、「複合汚染」という本が世に出たことを感謝してやまない。

2001/07/01、
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 暑い日が続く。これからが夏本番という今に暑がってばかりもいられまいと・・・奮起しようとするのだが、そもそもそれが無理というもの。生物としての体がままならぬ。またあの幽境たる谷間に行こうかと思っていたが、アユ釣りが解禁されたばかりで人ごみが予想された。それでは海にでも行こうと、明日の弁当の準備をしている。先月の四日に行ったときにはハマヒルガオが咲いていたが、ほぼ一ヶ月経った今では枯れ果てているだろう。今度はどんな花が咲いているだろうか?そんな空想に浸るだけで海の波音が聞こえてくるようだ。いや、それは確かに聞こえている。人間関係の様々な軋轢に疲れたら、夢想に浸るといい。それが習慣になると、いつしか夢想と現実の境界も薄れていく。青い空に浮かぶ雲にも心を乗せることだって出来るのだ。浜辺の風に揺れるハマヒルガオの花も、私の心の中では永遠に咲きつづけていられる。そうして私は母の面影も心に焼き付けてある。母が死んで半年ばかりは、この世から消え去った無惨な現実を受け入れることが出来なくて、家のここかしこに母の残像を探し求めたものだった。目覚める朝にも、台所のまな板を叩くリズミカルな包丁の音を聞こうとしていた。ほら、早く食べないと冷めるよ、みんなで一緒に食べないなら片付けるぞ・・・・煩いなあ、分かってるって、そんなこと・・・分かってなかった、あの頃、口喧しい親の小言が懐かしくなっている今、私は歳月に逆らうようにして夢想する。現実には耐えがたい孤独にあっても、思い出を引き寄せて夢想の中に浸っている分には幸せすら感じる。眩しく照り輝く朝の海を眺めながら、波音に耳を傾けながら、浜辺にそよぐ潮の匂いを嗅ぎながら、自分の心を自然のままに漂わせていたい。寄せては引いて行く波の絶え間ない繰り返しに、季節の移ろいに付随する思い出を浮かべながら・・・今まで生きてきた過去と、今日を生きている今の自分に、明日の見果てぬ夢を託しながら・・・


2001年6月の日誌
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