2001年6月

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●流血の中東情勢-2001 ●世界の王室・動向 ●バチカン動向 ●インド動向 ●小泉新内閣の顔ぶれ
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This combo picture shows the back of the future 2 Euro denomination coins from each of the Euro common currency using countries. From top left to bottom right: Austria, Belgium, Finland, France, Germany, Greece, Ireland, Italy, Luxembourg, Netherlands, Portugal, Spain. There are 200 days left on Thursday, June 14, 2001, until the Euro will become the official European currency from January 1, 2002. (AP Photo/EUROPEAN CENTRAL BANK)
ソフト直訳→このコンボ、絵画展、国々を使用するヨーロッパの共通通貨の各々からの2枚の将来のヨーロッパの名称コインの後部。右下のことへの左上のことから:オーストリア、ベルギー、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシア、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ(スペイン、ポルトガル)。ヨーロッパのものが2002年1月1日からの公式のヨーロッパの通貨になるまで、200日は2001年6月14日(木)に残されています。(AP写真/欧州中央銀行)


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最新日誌
2001/06/30、土曜
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気になるニュース(保存版)
豊田自動織機製作所元専務の豊田幸吉郎氏死去
 豊田 幸吉郎氏(とよだ・こうきちろう=元豊田自動織機製作所専務)は29日、呼吸不全で死去、82歳。通夜は7月1日午後6時、葬儀は2日午後1時から名古屋市千種区法王町1の1の覚王山日泰寺普門閣で。喪主は長男克之(かつゆき)氏。自宅は同市東区白壁4の20。
 日本初の自動織機を発明した豊田佐吉の孫で、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)初代社長の豊田利三郎氏の長男。トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長はいとこにあたる。

 伝説の豊田紡織創業者・豊田佐吉には喜一郎と愛子の二人の子供がいた。そこへ東洋綿花を支配する児玉家から次男・児玉利三郎が令嬢・愛子を妻として、後継者の喜一郎とは義兄弟となっていく。喜一郎の母親が佐吉の先妻たみであるのに対し、佐吉の後妻あさを母親とする娘・愛子を娶った利三郎は婿養子になる。跡取り喜一郎と義弟・利三郎の仲は悪かったらしく、関東大震災で米国製トラックが活躍するのを見て喜一郎が日本での乗用車第一号を完成させたときにも、利三郎は義兄を「ゼニ喰い道楽」と非難している。戦後の不況や労働争議もたたって豊田喜一郎は失意のうちに亡くなった。大番頭だった石田退三もまた「二代目はボンクラがいるから豊田一族も要職につけない」と言い放っている。ところが喜一郎没後直後に勃発した朝鮮動乱は、傾きかけた豊田紡織自動車部に特需景気が幸いしてみるみる間に会社を発展させていく。その勢いは本拠地の愛知県挙母(ころも)市を豊田市へと改名させるほどであった。皮肉なことに周囲にボンクラと揶揄された喜一郎の自動車道楽が豊田家再興のきっかけともなったのである。世渡りの巧みな退三はやがて豊田自工社長となってさらに業績を伸ばすことになっていく。
 義兄・喜一郎と仲違いしていた利三郎は、そのせいか自動車部門とは隔離された豊田自動織機社長を経て亡くなっている。昨日他界した豊田幸吉郎は、その利三郎の長男でやはり豊田自動織機の専務止まりであった。利三郎は四人の男の子供に恵まれ、今回死去した豊田自動織機専務・豊田幸吉郎を長男として、次男・大吉郎は豊田通商会長、三男・信吉郎は豊田紡織社長、四男・禎吉郎は日本電気専務を歴任している。
 豊田家の華麗な閨閥は本家・喜一郎の家系によって大昭和製紙の斎藤家に至るが、その社主・斎藤了英の次男を通じて総理を輩出した鳩山家と同族になる。喜一郎の次女・和可子が斎藤了英の実弟・斎藤滋与史(元神奈川県知事、元建設相)が嫁いでいるのだ。詳細に調べれば大昭和製紙の斎藤家は二重に鳩山家と結ばれていることが分かる。第一のルートは、斎藤家→増岡家(増岡組)→鳩山家で、第二のルートは、斎藤家→石橋家(ブリジストン支配)→鳩山家となる。今年三月に死去した高見貞子さんの二人の娘、姉のマジョリーは石橋家へ、妹のエミリーは鳩山家の鳩山邦夫(衆議院議員)に嫁いでいることは有名だ。【参照、鳩山ファミリーの高見貞子さんの死】また豊田家先々代の伝説の豊田佐吉の末弟・豊田佐助(元豊田紡織社長)の家系から陶器業界名門伊奈家(現・INAX)とも同族となる。そもそもトヨタ自動車創業者・豊田喜一郎の妻・二十子は高島屋元社長・飯田新七の娘であった。その喜一郎と二十子の長男・章一郎は、名家三井の伊皿子家・三井高長(三井銀行取締役)の令嬢・博子を娶っている。【参照、新町三井家11代目当主の三井高實氏死去

2001/06/29、金曜
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気になるニュース(保存版)
産廃致死量30倍の硫化水素検出・宮城県村田村

米映画俳優のジャック・レモン氏死去
 米国の映画俳優ジャック・レモン氏が27日、がんによる合併症のため、米カリフォルニア州ロサンゼルスの病院で死去した。76歳だった。妻フェリシアさんと2人の子どもが、ベッドの傍らでみとったという。
 レモンさんはハーバード大学で学び、歌いながら給仕をするウエーターとなった後、54年に映画に初出演。「ミスタア・ロバーツ」(55年)でアカデミー賞助演男優賞、「セイブ・ザ・タイガー」(73年)で主演男優賞を受賞し演技派として高い評価を受けた。また、「お熱いのがお好き」(59年)など7本の映画を、ビリー・ワイルダー監督と共同製作した。88年にはアメリカ映画協会から生涯功労賞を贈られている。レモンさんのスポークスマンは「歴史上、最も偉大な俳優の一人だった」と話した。

 ジャック・レモン(Jack Lemon 1925-2001)の本名はJohn Uhler Lemon Vといい、Cynthia Boyd Stoneと結婚した。そのフェリシア(Cynthia)夫人の前夫は「まごころを君に」で主演男優賞を獲得したクリフ・ロバートソン(Cliff Robertson 1925- 本名Clifford Parker Robertson V)であった。
 ジャック・レモンは1925年2月8日にボストン郊外ニュートン・ウェルズリー病院のエレベーターの中で生まれた。のちアンドーバーの名門プレップ・スクールを1943年に卒業したジャック・レモンは「学年で一番の詩人」に選ばれている。ボギーことハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart 1899-1957)も名門プレップ・スクール出身者で、有名雑誌のイラストレーターだった母親と外科医で成功をおさめた父親の間に生まれている。その後、ハーバード大学でサイエンスを専攻したジャック・レモンは、ティモシー・オレンジという名で劇に出演していたこともある。大学時代のレモンは人をからかったりして喜ぶユニークな存在だったが、73年に「セイブ・ザ・タイガー」で主演男優賞を受賞した時には、母校のハーバード大学の校内誌「ランプーン」において「その年の最悪男優賞」に選ばれた。また彼は55年に「ミスタア・ロバーツ」のパルバー少将役でアカデミー助演男優賞をとっているが、第二次大戦中には役柄と同じように海軍少尉として航空母艦レイク・チャンプランに乗っていた。
 映画「チャイナ・シンドローム」でジャック・レモンは原子炉の深刻な欠陥を告発しようとして原発を占拠する老人技術者役で好演したが、この映画は赤狩り時代に共に抵抗した俳優カーク・ダグラスとヘンリー・フォンダの、それぞれ息子と娘の宿命的な取り合わせによってつくられた。カーク・ダグラスの息子マイケル・ダグラスが製作し、ヘンリー・フォンダの娘ジェーン・フォンダが主演したこの映画は、モルガン財閥が支配するGE(ゼネラル・エレクトリック)の技術者三人が、自社の関与する原子炉の大事故を想定した綿密な分析の元に完成された。そのシナリオには原発の欠陥資料を暴露しようとして事故死に見せかけた殺人も盛り込まれているが、原発事故に関心がある者ならこれが実話カレン・シルクウッド交通事故殺人事件をベースにしたものであることに気付くはずである。映画は女性を男性に置き換えたものだ。カー・マギー社オクラホマ工場でプルトニウムを扱っていたカレン・シルクウッドは、原子炉の燃料欠陥を隠蔽した資料を発見、ニューヨーク・タイムズ記者にその資料を届けようとして交通事故で即死した。そして事故現場からは彼女の死と共に資料もまた消滅していた。彼女は後方の車から追突されながら、ハイウェイの反対車線に押し出され、追尾を振り切るようにしてコンクリート壁に激突して死んだことが分かっている。FBIはこの事件ファイルを極秘に作成、その存在が暴露されてなおFBIは今日に至るまでカレン・シルクウッド交通事故死に関する極秘ファイルの公表を拒んでいる。ちなみにFBIはロックフェラーとモルガン財閥の「USスチール」の重役室から誕生している。またカー・マギー社の重役室を支配していたのがロックフェラー傘下の「ファースト・ナショナル銀行シカゴ」副社長ニール・マッケイで、社主ディーン・マギーはモルガン支配の「GE」重役室に座っていた。
【参考】原発によって消されたシルクウッド、その物語

2001/06/28、木曜
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気になるニュース(保存版)
 かつて、生活保護を受けている一人暮らしのお年寄りがクーラーを使用していることが福祉事務所が知り、生活保護法による最低生活保障の基準を逸脱するものとして急遽クーラーが取り外されたことがあった。生活保護を受ける立場の人間が、クーラーを購入するなど贅沢だと言うのである。おりしもこの年の夏は猛暑つづきで、クーラーを取り外されたお年よりはついに倒れ、救急車で運ばれるという騒ぎになった。これに地域住民が反応、福祉事務所への抗議の声が高まった。慌てた福祉事務所は異例の処置としてクーラーを再度取り付けたという。生活保護法の曖昧さは第一条の最低生活保障と自立助長に対する国家責任と第三条の健康で文化的な生活水準の維持、でも窺える。単なる支給額の増減だけで人間生活を推し量ること自体無理があるのではないか。クーラーを人間の健康以上に贅沢品と判定する考えそのものに無慈悲で冷酷なものを感じる。お年よりは暑さへの抵抗力が少ないのだから、それを軽減してくれるクーラーは生活必需品であり、生命を維持するための医療機器ですらある。クーラーも今では随分安くなった。若者でもクーラーのない生活は珍しいほど普及している。そのため外の暑さにあっても汗が出ることなく、体温調整に狂いが生じるという新たな自律神経失調症も増えてきている。老人はともかく、若い人々は暑さに対しては自然に汗腺が開き、体温調整ができるようになっている。クーラーに頼るあまり、人間の生命維持装置が危うくなってきているようだ。夏の盛り、駅の新築工事をしたことを思い出した。大型の冷却装置が稼動する工事現場では肌寒さを感じるほどであったが、外に出るたびに急激な温度差で目眩を感じ「これでは駅の新装オープンでも倒れる者が出るぞ」と囁きあったものだった。案の定、駅ビルの完成式典当日に次々と人が倒れるという騒ぎになった。してみれば人間の冷却機関であるところの汗の効用をもう一度見直すべきかも知れない。そろそろ私の誕生日も近づいている。私の出産も夏のこと、産婆さんが畑を耕していて産気の知らせが間に合わず、近所中大騒ぎしての私の誕生であったらしい。私の従兄は正月に産気づいての誕生であった。いま地元のテレビ局では盛んに「誕生日おめでとう!」が連発されている。今日を誕生日とする人の名を読み上げているのだ。誕生の祝福ほどに、この世が人間にとって住み良い環境なのかどうか?もはや嬉しくはない誕生日を迎える私にとっては、死ぬときぐらいは本当の意味で祝福してほしいと思う。

2001/06/27、水曜
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気になるニュース(保存版)
F4戦闘機、民間施設に誤射する(地形図&写真含む)

 今日も蒸し暑かった。頭からキノコが生えてくるような湿気が鬱陶しい。思考能力も停滞、漫画ですら登場人物の名を片っ端から忘れていく。むろん、こんな時は本など読む気がおきない。クロもこの蒸し暑さの中で、子育てに専念しているようだ。ときおり台所に出てくるのだが、すっかり痩せ細っている。餌もあまり食べない。神経質になっていて、落ち着きのない目をキョロキョロさせている。野良猫にとって子育ては命がけのようである。半日以上は子猫に母乳を与えている。私の子どもの頃は手がかかったと、母がよく言っていた。最近、母親の子供に対する虐待が問題化している。こうした保護者の虐待は年々増加しつつ、児童相談所に寄せられる児童虐待件数は約1万2000件以上になるという(1999年度)。表面化しない虐待を加味すればその数倍になるのではないか。死亡例もあり、母親自身が虐待をエスカレートさせてしまう自分が制御しきれないという際立った特長がある。去年5月には子供の人権を守るための児童虐待防止法が制定されたが、それより虐待を加える側の保護者の精神カウンセラーが必須だろう。これに対しては子育て支援総合計画「新エンゼルプラン」が保育サービスを実施している。仮に子供が虐待から解放されたとしても問題行動を残す例が多く、外傷後ストレス障害(PTSD=posttraumatic stress disorder)や注意欠陥・多動性障害(ADHD=attention-deficit hyperactivity disorder)などの障害が報告されている。PTSDは阪神・淡路大震災後の心理的ケアで注目されるようになり、極度の恐怖体験によって自律神経の興奮状態など心理的な再体験が繰り返される。特に外傷体験は苦痛の再体験を伴い、本人の意志に反して繰り返されることが多い。ADHDは刺激に過敏に反応するあまり集中することが困難になり、常に手足を動かしたり移動しないと不安になるなどの症状がみられる。親と子の関係では圧倒的な力の差がポイントとなり、親が子を心身共に支配するかたちで虐待が行われる。子供は虐待に耐えるため無理に適応させようとして、例えば自分をボールと思い込むことで自己を二重化していく。さらに暴力が加えられるようならば子供はそのパニックを自傷行為によって転換しようとして、刃物で自分を切り刻む様子を想像するようになるという。保護者の抑えきれない虐待のエスカレートによって、子供は子供で必死になって自分の心と闘っているのだ。実際に虐待が加えられている最中にも、子供は現実そのものを否定しながら記憶から消そうとさえする。親を信頼すればこそ、自分が悪い子だからぶたれているのだと・・・それでも親に愛着を寄せるいたいげな子供の心をまず親が知るべきではないだろうか。マザー・テレサの言葉を思い出す。人間の最大の不幸は、自分が誰にも必要とされない、誰からも愛されていないと思うことにあると・・・クロは今夜も朝まで子猫に母乳を与えつづけるだろう。すっかり痩せ細った体は命を子猫に与えているかのようでもある。

2001/06/26、火曜
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 蒸し暑い一日だった。数日前から車輌が途絶え、従業員を遊ばせている。こういう時が最もつらい。朝から頭痛がするのも、あながち蒸し暑さのせいばかりではないだろう。先月はけっこう売上げがあり、その分相殺すれば採算が取れないわけではなく、今日のように暇であっても焦ることはないのだが・・・不景気の先が見えないことの不安がどうしても頭をよぎるのである。ニュースをチェックしても抜本的な対策となれば何も見えてこない。骨太改革もいいが国民の窮状が日を追って深刻になっていく中では早急で具体的な生活対策が求められているのだ。小泉総理は以前から法人の民営化を旗印にしているが、莫大な負債を覚悟で引き受けてくれる民間会社がそう簡単に出てくるものかどうか?負債の責任問題が問われぬままに、また税金の投入が続くようであれば何が改革なのか?ということになる。24兆円の借金を抱える日本道路公団についても小泉総理は「日本道路公団だって例外なく民営化するのは当たり前だ」と公然と言い放っているが、これまでの独占ファミリー企業による天下り絡みの接待汚職など数々の焦げ付きの責任追求が成されないままで、食い逃げされた穴だらけの特殊法人など民間が引き受けるはずもあるまい。ある意味で、そうした法人負債の責任所在を曖昧にしての民営化は、かえって食い逃げ当事者の追尾を不可能にしてしまうことになるのではないか?引き受けを渋る民間に対しては、さらなる血税投入という国民の懐をあてにした選択すらしかねない政府のこと、ここは人気に頼らない賢明な国民の判断を待たれるところだ。300兆円を越える77主要特殊法人の借金が日本の悪しき利権構造ゆえの産物ならば、それらを温存してきた政府を含め、その責任を問わずして民営化を急ぐことは早計すぎると思うのだ。すでに小泉総理は改革に伴う痛みを国民に強いるような発言をしている。これまで国民の財布であるところの莫大な公的資金が大手金融救済に投入されてきたが、今度は改革の大義に再び国民のカネが使われるのではないかという懸念が拭えない。小泉総理の「国民と共に改革に伴う痛みを分かち合う」という言葉の、本当の真意を国民が知る頃には手遅れかも知れない。「どの政党よりも、どの野党よりも、一番熱心なのは小泉内閣ではないか!」小泉総理の自画自賛が国会に轟く中、それに付和雷同して一億国民が追従する歴史的瞬間に、私はいつか来た道を追憶するばかりである。さぁ、とくと御覧あれ!大改革の幕開けだ!平成維新の狼煙は焚かれた、鼓舞した国民の心に警鐘は聞こえない・・・

2001/06/25、月曜
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 平成12年度の文部科学大臣賞受賞作「親の目子の目」は、親の働く姿を子供に見せるといったユニークな作品だ。この番組は以前に観て記憶に残っていたものだった。家庭内での父親とは違う、仕事場で働く父親の真剣な姿に、子供たちは一様に「カッコいい」と感動する。私が小学生の頃の作文にも「ボクのお父さんはお酒も飲まないで一生懸命働いている。ボクが大きくなったらお父さんのようになりたい」と書いたそうである。書いたそうだ、というのは母がそのことを覚えていて、私が成人してなお母が笑いながら言うのが常だった。父は一滴の酒にも顔が真っ赤になったが、息子の私はその父に似ずに酒を好んで飲み、それを諌めるように母が小学生の作文のことを持ち出すのであった。父が職人たちを率いて高い鉄塔などの仕事をしている現場は、それこそ父を仰ぎ見ながら子供心にも感動していたものだった。のちに私も足場に登るようになって、高所で作業することの爽快感を実感したが、何度か危ない目にあった今では足がすくんでしまう。若い頃は、危険と隣り合わせの仕事に充実感すら覚えたものだ。太い鉄骨一本を抱きかかえるようにしてスルスルと登ることなど朝飯前であった。つまり足場もいらないのだ。最近の足場には階段すら付いているが、昔は丸太を番線で括っただけの簡単なもので、これがけっこう揺れるのである。五寸釘の先端に頭をぶつけたこともあったが、あれは痛かった。急ぎの仕事では足場を移動する後から、足場を解体されたこともあった。足場が完備されるようになってから致命的な事故が増えたように思う。それだけ気が緩むのであろう。気が張っている時にはそんなに事故は起こらない。一歩足を踏み外せば命を落としかねない、命がけの仕事に言え知れぬ充実感があるのだ。そんな現場で働く父の姿を見て、子供が心を動かさないはずはない。お父さんの一生懸命に、子供の心が共鳴するのだ。不景気はそんなお父さんの活躍する現場すら奪っているのが悔しい。

2001/06/24、
■番組表■(首都圏保存版)

 倒産した隣の空き地に新たな入居者が決定したようだ。又聞きでは居酒屋のチェーン店ということ、さっそく担当不動産屋に事の真意を訊ねてみた。噂は本当だった。いつもながら事前の報告は全くなかった。寝耳に水とはこのことである。以前の入居者は当社の出入り口まで使ってきたが、今回は境界線をはっきりさせているようなのでトラブルはなくなりそうだ。それでも食材を扱う居酒屋のこと、大量の生活排水で堀に悪臭が漂うことは避けられまい。これで隣は三回も会社が入れ替わったことになる。最初の会社は鉄工所で、うなぎ養殖用のタンクを製作して大々的に売り出そうとした矢先に倒産した。タイヤを完全燃焼させて温水をつくるというユニークな発想で、地元の新聞にも取り上げられたものだった。しかし下請け業者が設計どうりに造らなかったため、温水が逆流して大量のうなぎを死なせてしまう。さらに関連業者がカネを持ち逃げするというアクシデントも重なって、ついに倒産してしまったのだ。次に入ったのが建材を扱う会社であったが、今年の正月に倒産したばかりだ。そして今度入ってくるのが居酒屋チェーン店ということになる。裏のパチンコ屋と今度の居酒屋と、私の周辺は俄かに騒がしくなるばかりだ。野良猫たちも居酒屋の残飯あてに徘徊しなければいいが・・・
 一昨日、クロの産んだ子猫たちを確認したばかりだったが、すでに子猫たちは居なくなっていた。おそらくクロが子猫を咥えて場所を移動したものと思われる。人間に覗かれることを嫌っての移動であろう。そうした野良猫の習性を分かっていながら、つい気になって覗いてしまったことが悔やまれる。今度はそっとしておいてやろうと思っている。天気が回復次第、また自然を求めてMTBを走らせよう。午前中はできるだけ自然の中で過し、午後から事務作業をすればいい。このまえ電話してきた友人は「もっとも面倒なのは人間関係だ」と言っていたが、それは私もつくづく思い知ることである。ストレスの大半はそうした人間関係に原因すると言っても過言ではないだろう。それを癒すためにも自然と接していきたい。雨上がりの鬱陶しさも、植物の濡れた葉を見ていると落ち着いてくるから不思議だ。地中に染み込んだ雨水を根が吸い取り、活き活きとしていくイメージだけで元気が戻ってくるような気がするのである。

2001/06/23、土曜
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新町三井家11代目当主の三井高實氏死去
 三井 高実氏(みつい・たかみつ=新町三井家11代目当主、学校法人北泉学園理事長)は、22日、心不全で死去、74歳。通夜は24日午後6時、葬儀は25日正午から東京都文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻依子さん。自宅は同区春日2の26の3。

 新町三井家は三井11家の総領家の内にある。三井総領家とは北家、永坂町家、室町家、南家、新町家を指し、いわば配下の三井一族を統括する立場にあるということになるだろうか。死去した北泉学園理事長の三井高實氏は、三井本社社長だった三井八郎右衛門を父とする。三井八郎右衛門は北家11代目だが、その息子・三井高實が新町家の依子を娶ったために新町11代目を継ぐ事となった。幕末の混乱期において三井家は幕府と朝廷側双方に通じながら蓄財し、戊辰戦争の戦費を調達して新政府に食い込み、公金を浮き貸ししてはさらに富を蓄えてきた。これら三井11家を紹介するには長くなるので、典型的な例だけをあげる。何といっても大富豪閨閥の究極願望は天皇家に至ることだが、三井家もそれは抜かりがない。一般に三井と住友はライバルと思われているが、こと閨閥に関しては五重六重の血流が入り混じる典型的な同族なのである。代表的な例が永坂町家の三井高泰(元三井物産社長)で、彼は住友家当主・住友吉左衛門の娘・楢光を娶っていた。住友家は正田家とも縁続きであるから、必然的に三井家も天皇家と結ばれていることになる。
 三井家にはもっと興味深い歴史上人物が系図から次々と登場してくるが、戦後に活躍してきた彼らの一族を少し書いておく。昭和62年国内高額所得二番目に連なった松乃茶屋社長・三井姿子は、三井室町家12代目・高大の未亡人であったが、一本松家の高義は有名な馬の彫刻家、木村町家の高孟は連続入賞した教育映画製作者として、その従弟・井原高忠は日本テレビの敏腕ディレクターだった。先頃亡くなった作曲家・團伊玖磨の、その祖父・團琢磨は暗殺されたが、その肩書きが三井家が支配する三井合名理事長だったというのも興味深いことである。

2001/06/22、金曜
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国内初のダム湖の土砂を排出始まる、黒部川で
 富山県宇奈月町の黒部川で、出し平ダム(関西電力)と宇奈月ダム(国土交通省)が同時にゲートを開けてダム湖の土砂を排出する国内初の「連携排砂」が20日夜から始まった。排砂は、たまった土砂を減らしてダムの延命を図るのが狙い。河口の漁業者たちは漁業被害を訴え、反発姿勢を強めている。国内のダムは急流に造られるため、流入する土砂対策が共通課題になっている。すでに地元首長らを交えた協議会は連携排砂を了承しているが、黒部川河口の漁業者でつくる入善・朝日刺し網部会の佐藤宗雄代表(52)は「連携排砂で富山湾に流れ込む土砂が増え、さらに漁業被害が広がるのではないか」と話した。

 連携排砂の開始は20日夜だから、この日誌を書いている頃にはすでに終わっていることになる。これによる自然破壊は相当大きいものになるだろう。黒部川から大量に流れる土砂により、その川に生息する微小生物や魚の生態系が壊され、特に海へ流れ込む合流点での被害は漁民の生活さえ脅かすことになるのは必須だ。以前にNHK総合テレビの「プロジェクトX」という番組で、黒部ダムをつくるまでの壮絶な挑戦の様子が放映されたことがあった。あの番組を見ながら感動に涙した視聴者も多かったはずだ。しかし、私はどうしても手放しで喜べないものを感じていた。ダイナマイトまで使ったあれだけの大工事に、黒部の自然生態系が無事で済むわけがないと思ったからだ。このことを「プロジェクトX」が一切触れていなかったことが気になるのである。日本全国に散在するこうしたダムによる生態系の破壊は必然的に自然破壊をもたらし、その下流及び河口一帯にまで及びながら被害は救いようのないまでになっていくのは明白だ。「海が自浄作用を失ったら人類は絶滅する」という海洋生物学者たちの警告は、現に黒部川の連携排砂によっても証明されてしまうことになるだろう。

2001/06/21、木曜
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 午前中、老人介護を職業とする友人から電話があった。今日は休みなのだと言う。糖尿病で20キロ痩せたという友人である。その彼が勤め先で嫌なことがあったらしい。薬漬けの延命処置を優先する病院のあり方に疑問を抱き始めているのだ。偶然に、その生々しい会話を耳にして内心ひどく憤慨したという。人間の命を値踏みする病院の体質を知ってしまったのである。それでも自分には批判することは許されていない、批判でもしようものなら即刻解雇されるという自分の弱い立場も理解している。そんな彼のやりきれない想いが伝わってきた。
 調子はどうだ?と訊かれたので「ずっしり体が重い感じだ」と正直に答えたら、オレもそうだと言う。横になるにも地球の引力を感じるぐらいの脱力感に悩まされている。私の場合、これに目眩が加わる。とはいえ、毎年のように痛風に襲われていたのが、ここ数年まったくなくなっていることも確かなのだ。尿飲用療法を続けているからかも知れないと、勝手に思い込んでいる。尿飲用療法を始めたきっかけは、腸内出血らしきドロドロした大量の血便に驚いた当日のことで、思い切って尿を飲んだ翌日には嘘のように出血が止まったことにある。そのうち痛風も起こらなくなり、激痛に苦しんできた過去が嘘のように思えてくる。かつては暴飲暴食の日々で、調子が悪くなるたびに鉄アレイとバーベルで筋肉を鍛えては、さらに暴飲暴食を繰り返すという無茶なことをしてきた。体力の維持が決してイコール健康とはならないのだ、ということを知った時には松葉杖の世話になっていた。母の末期癌の手術時期と重なって、それは苦しかった。そこにきて、大手得意先の大幅受注減というオマケまで付随した。あの当時のことを思い出せば、現在の脱力感や目眩などたいしたこともないと思わぬでもないが、洗濯機の渦を見ているだけで目眩に襲われる気味の悪さは我慢できなくなる。そんなときはMTBに跨って走ることにしている。目眩したままなので無謀なのだが、これが意外とバランス感覚を呼び戻す効果があるようだ。
 そろそろ私も父が死んだ歳に近づいてきた。経営者だった父が他界したのは私がまだ20代の頃であった。私も若かったが、それ以上に父も経営者として死ぬには若過ぎたようだ。いまでも父を知る人は「あんたのオヤジさんは偉かった、惜しい人を亡くした」と私に会うたびに言い続けている。その父の傍で育った私は誇りでもあるが、一方では仕事のために家庭を犠牲にしてきた一面もあったことも事実なのだ。最近になって仕事依存症なる言葉が認知されてきたようだが、父はまさしくそれであったと・・・親不孝だった自分を棚に上げて、あえて言いたくなる。あの頃の父の頭髪はすでに真っ白だったが、今の私の髪はまだ黒々としている。嘘のようだが、父の元で働くようになった思春期の時期の方が、私の頭髪は白髪混じりで灰色に近かった。それ以後の若い時分にはやたらバーベルを持ち上げてきたせいで、今でも体格だけはよく「ときどき目眩を起こす」などと弱音を吐いても、誰も気の毒がってくれない。一度人工的につくりあげた肉体は、たとえ痩せても、痩せて見えないらしい。芸能では武田鉄也が面白いことを言っている。彼も体を鍛えぬいたあげく痛風になったようだが、最近ではコーヒーを飲んでも無意識にテーブルをこまめに拭いてしまっている自分に唖然としているという。つまり女性化した自分を発見してしまったと言うのだ。歳月と共に男性ホルモンが枯渇し、頑張りが効かなくなる。その分、しぶとい女性ホルモンが首をもたげ、気配りするナイーブな自分になっている。これは私も実感している。
 今日電話してきた友人は一見、人が寄り付くことを拒むコワイ雰囲気を持っている。ワルぶっているに過ぎないのだが、「元気か?目眩するなんて言うから心配してるんだぞ」などと顔に似合わぬ気配りをみせる。彼も私同様、どこか荒っぽい建築業界で働いてきた。そいつがかつて、私の母の見舞いに花束をもって現れたなどとは誰も想像すらしていない。弱みは見せられない砂漠のような人間社会にあっても、それが友人となれば存分に弱みを吐くことができる、弱くていい、許し許された空間が必要なのだと・・・一昨日は仲違いしていた友人からも電話があった。こいつの第一声も「元気か?」であった。元気じゃねえよ!能なし、カネなし、仕事なし、な〜んにも無い、ないない尽くしだ!もっとも暇だけはたっぷりあるがな・・・荒ぶる口ほどに心やさしき男たち、みんなけっこう純情なのよ・・・押し潰されてたまるかって、必死に生きているんだ。

2001/06/20、水曜
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 クロがお産した。押入れの中で黒と白の二匹を確認、今年の夏もこれら子猫たちに振り回されそうである。去年は三匹とも黒猫だったが、白猫が生まれたところをみると今度の父親はおそらく白猫だろう。つまり去年と今年の父親は違うということになる。人間なら何かと噂になるところだ。そういう意味でも野良猫は自由だ。もっとも人間社会も不倫が流行になるぐらいだから、野良猫と大して変わらないともいえる。出会い系サイトでも家庭の主婦が若い男性を求めての不倫が流行っているらしい。主婦が遊び感覚なのに対して、若い男性のほうが本気になりやすいという傾向があるようだ。それが元での傷害事件もぼちぼち起こっている。単なる火遊びに終わらないのが不倫の常、惹かれあう男女の方程式は不滅とさえ思えてくるほど厄介な問題ではある。今、この瞬間が良ければいい、とする快楽主義は国の負債に酷似する。これから子供たちが大変な重荷を背負うことが分かっていながら、さらに借金を先送りにして負債を増やしつづけている政府、そして大人たち全般の無責任は近い将来間違いなく呪われることになる。少年犯罪の多発を許さないと重罪を課そうとする大人たち自身、経済的にはその少年らの未来を踏みつけてしまっているという点で、大いなる矛盾を抱えている。少年犯罪を許さない以上に、いったん惚れたら騙されても惚れ通して酷い目にあった、過去の戦争における日本人の国民性を思い出す。こうした国民性を引きずったまま日本人の多くが、人気一辺倒の小泉内閣支持に傾いていくのであれば、国民の安易な総意そのものが問題になってくる。小泉政権に至るまでの、政治家としての小泉純一郎という人間が何をしてきたのか?彼が厚生大臣だった時期に何が起こったのか?そうした彼の軌跡を辿ったうえで、この国を任せて良かった政治家なのか、を冷静に熟慮した総意であるのかどうか・・・今や小泉総理は盛んに民意を後ろ盾にした政策を強調しながら、今日の答弁でも野党の質問の矛先を巧みに換わしていた。このまま行けば、やがて人気の高揚は小泉純一郎という人間そのものの自己主張に、むしろ国民の総意が追従していくことになりかねないのではないか。これは、いつか来た道である。人気という遊びは不倫に似ている。当人は遊びのつもりでも、相手が本気であれば厄介なことになるのである。

2001/06/19、火曜
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気になるニュース(保存版)
 今月4日と16日の写真が出来ていた。MTBで地元の海と山を走り回った時の写真である。一応「自然の写真」と名付けてファイルした。安いスキャナーなのであまり鮮明にコピー出来なかったが、プリントされた元写真はかなり鮮明である。ここはデジタル・カメラが欲しいところだが、例によって金銭的余裕がない。そろそろパソコンの分割払いも終わるので、その時にデジタル・カメラを購入しようとも思ったが、諦めた。自分がこれから何をしたいのか?会社経営を含めてもっとシビアな目的意識を考え始めているからだ。頭の中ではアイデアが少しずつ固まりつつある。あとは設計を具体的な形にすべく、少しずつ行動を起こすだけである。最近、子供に「大きくなったら何になりたいの?」と質問する大人たちに疑問を感じている。女の子だったらスチュワーデス、男の子だったらさしずめパソコン・ゲーム関係の仕事であろうか・・・それらは一様にカッコ良くて、カネが儲かる職種に限られている。中には政治家などという変り種もいるが、それとて理由は「お金が儲かるから」といった具合だ。名門大学に入り、大手企業に就職し、マイホームを建てて・・・それが目的とする一般的傾向も、何か変ではないだろうか?そこには「どう生きたいか?」といった最も本質的な目的意識が欠落している。本来の目的こそ「いかに生きるべきか」であって、大企業に就職しマイホームを建てるなどということは手段に過ぎないと思うのだ。現代教育の欠陥もそこにあるような気がしてならない。生きることを教えずして何が教育なのだろう?若い夢の到達点がマイホーム止まりなどという、ごく普通の人々のごく当たり前の常識とやらの未来像に危険すら覚えてしまうのだ。

2001/06/18、月曜
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 今日で草刈りはほぼ終えた。水面に近い枝には泡が付着していたが、これには青蛙の卵が入っていたはず、心の中で「ごめんよ」と謝りながら枝をはらった。水溜りの中にはザニガニもいた。上流には小さな虫たちがいたが、これも雑草が繁茂しているせいである。倒産した工場裏は誰も草を刈ることもなく、人間の手が入らないゆえに虫たちが増えたのだった。さらにその上流からは絶え間なく生活排水が流され、悪臭を放っている。その流れがここにきて雑草に遮られ、下流に流れる時にはきれいな水になっている。数年前までは隣組で定期的な草刈りが行われ、ために毎年夏になると堀は腐敗臭を放ち、ボウフラが蠢いていた。皮肉なものである。隣の会社が倒産したばかりに、そこには自然が戻ったということになる。このことに気付かず、気付こうともせず「雑草のせいで排水が悪い」と右隣の奥様はいたく憤慨しているのである。いつも悪臭を放っていた堀が、今年は悪臭がしないという事実にさえ気付いていないらしい。自然はそれだけで奇跡であり、その奇跡がすぐ傍で起こっているのだよ、奥さん。よく見て!小さな命の蠢くさまを、アンタ方はそんな虫たちを意味もなく毛嫌いして駆除してしまうけど、それが回り回って人間を駆除することになるということを考えてみたことがあるのか?キャンプ場で「川の音が煩くて眠れない、水洗トイレがない」と管理人に苦情が殺到し、今ではオートキャンプも都会並みの完備になり門限まで決められているそうである。最近都会の間で田舎暮らしがブームとなり、私の地元にも田舎の家を買い取って田舎暮らしを実践している都会人がいる。ホームページもあって、ちょっと覗いてみたら「まずは虫との闘いだ!」などと書いてある。悲鳴すらあげながら、それこそ殺虫剤を毎日のように噴霧しているようだ。虫を嫌って何が田舎暮らしなのだろう?と首を傾げたくなる。虫の次には雑草との闘いになる。彼らは都会暮らしに疲れて田舎に来たあげく、今度はその自然と格闘して疲れ果てていくのである。それこそ自然と向き合うには自然に任せるしかない。虫も雑草も自然に受け入れて、まずは闘うことを止めるべきなのだ。川の流れを、吹く風を、諸々の自然を読みながら、自然に沿って無理のない手を加えていく。自然と対立するのではなく、自然と共生して行くためには自分の命を、その心を自然に融合させていくことだ。それでなければ自然から得られる恵みも、コンビニで買う弁当とさして変わらぬことになる。自然は人に便利なようにはならないし、なってはいない。むしろ自然に分け入る先達の技が必要とされる。というわけで、自然をテーマにしたサイトを予定している。明日あたり、ハマヒルガオの花を背景に撮った愛車MTBの写真を載せるつもりである。その後、渓谷で張ったテントと絶景渓谷パノラマ写真なども載せて行く予定。私はすっかり自然に嵌ってしまったようだ。

2001/06/17、
政治集会に爆弾、15人死亡 バングラデシュ
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 ちょっと目を離した隙にクロの姿が見えなくなった。ここのところクロが外に出ていくことが気がかりでならないのだ。この前の夜、いつものように外に出るクロの後を付いていった。自宅から工場内に向かうクロ、そして工場前の旧国道のところで止まると、しばし佇んでいる。旧国道の路面にはヘッドライトの光が行き交い、走っていた。心配していた通りだった。クロは走行する車が途絶えると、ゆっくり旧国道を横切り始めたのだ。これで分かった・・・去年産まれた三匹の子猫たちは、クロの後を付いていき、そして車に轢かれたのだった。そして今年、クロは再び子猫を孕み、大きな腹を揺すりながら旧国道をひっきりなしに往来しているのだ。私は路面に挽肉のようになって死んでいた子猫を思い出し、そして今、クロが車に轢かれやしないかと怯えているというわけである。さっきも外に出ないように餌を与えたりしていたが、やっぱりクロは外に出ていってしまった。たかが野良猫のこと、何をオレは心配しているのだ?気にすることはない、気にすまい、それでも気になってしまう自分に嫌気がさしている。
 ふと母の言葉がよみがえった。「オマエが外に出るたび心配でならない」・・・夜の繁華街に出かけては心配かけていた私のことである。それが今になって、野良猫を心配する自分と母の心がダブってきた。ああ、そういうことだったのかと・・・オフクロはそうして私を心配していたのかと、胸をえぐられるような心痛に喘いでいる。幾つになっても子を想う母親の気持ちは変わらないのだね。若さとはかくも残酷に、そんな母親の心配には気付かずにいられるのだ。そして、幾つになってもマザー・コンプレックスのままであることも、男はしっかりと自覚せざるを得ないのであろう。そう思い至る今に、母親はもう何処にもいない。雨上がりの夕暮れ時に、台所でまな板を叩く包丁の音を確めるようにして・・・私はひたすら母親の残像を探しつづけている。

2001/06/16、土曜
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 雨上がり、草を刈った。背丈ほどもある葦(よし)が大半で、堀に沿った畦道いっぱいに繁茂している。最近では琵琶湖の汚染も葦を植えることで透明度が増してきたと聞き及ぶ。役立たずとして邪魔もの扱いされてきた葦も、その浄化作用が見直されてきているようだ。葦を刈りながら、葦の生い茂っているところの水がきれいなことに気付かされる。生活排水も葦の根がきれいにしてくれているようだ。清潔好きなお隣さんは、そんな葦の浄化作用など知ろうともせず、葦を邪魔ものとして排除することしか考えていない。葦を刈ったおかげで見映えは良くなったものの、これから夏にかけて堀は腐臭を放つようになるだろう。それでも根から数センチほど残して刈ったから、まだ浄化してくれるかも知れない。近所周辺の堀はコンクリート製に整備され、傍を通るだけで強烈な腐臭が鼻をつく。我が家の裏の堀はまだ改修されておらず、葦のほか菖蒲がところどころ群生して黄色い花を咲かせてきた。かつては田んぼがあってドジョウとりをする光景も見られたものだ。その田んぼを潰して今のパンチコ屋が建ち、客が缶ジュースの空缶やゴミを投げ入れているのである。草を刈ったおかげで、草に隠れていたゴミも顔を出している。チェルノブイリ原発では放射能除去にヒマワリを植えようという案も出されているという。研究の結果、ヒマワリを植えると放射能残留濃度が減少することが分かったという。チェルノブイリ原発一帯にヒマワリの花が咲き誇る光景は壮観であろう。植物たちの浄化作用の実例はもっとある。環境汚染を食い止めてくれるこれら植物の浄化作用はもっと注目されていい。昔から海の浄化作用は知られているところだが、その海が浄化をしなくなった時こそ人類絶滅だと警鐘を鳴らす学者もいる。

2001/06/15、金曜
ユーロ通貨リスト
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 昨日今日と肌寒い日が続いている。4月並みの気温なのだそうである。雨も降り、気分も滅入りがちになる。こんな時に限って目眩が起こる。軽い目眩なのだが、立っていることも困難になる。というわけで今日は早く休もうと思っている。雨がやみ次第、草刈りをしなければならない。隣の奥様からは相当嫌われているらしく、こちらから挨拶しても険しい表情が返ってくる。草刈りをすれば少しは機嫌を直してくれるだろう。隣人を愛せよ、である。日誌も今日は少なめになるが、このへんで休みます。

2001/06/14、木曜
 
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ロッキード事件で有罪の丸紅元専務、伊藤宏氏死去
 ロッキード裁判丸紅ルートで有罪判決を受けた元丸紅専務の伊藤宏(いとう・ひろし)氏が10日午後3時、心不全で死去した。74歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日正午から東京都港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿で。喪主は妻清子さん。
 伊藤元専務は、ロッキードの大型ジェット機トライスターを全日本空輸に売り込むため、故檜山広・元丸紅社長らと共謀し、故田中角栄元首相に5億円のわいろを渡した。檜山元社長の腹心だった伊藤元専務は事件当時の社長室長で、ロ社と丸紅との間の金の受け渡しを裏付ける「ピーナツ領収書」に署名したことで知られる。
 贈賄などの罪に問われた伊藤元専務は二審で懲役2年執行猶予4年の判決を受けたが、上告手続きをとらず、87年に有罪が確定した。

 昨日13日が伊藤宏・元丸紅専務の告別式であった。伊藤専務は当時の丸紅社長・檜山広の指示の元、田中角栄に直接賄賂を手渡した人物だが、その田中角栄の娘が今や外務大臣として何かと話題になっていることは衆知のことだろう。以前に日誌にも書いたやはり丸紅専務の大久保利春は、安田財閥から吉田茂元総理へと連なる閨閥にある。先月は安田財閥と同族である根津コンツェルンの根津延子さんや團伊玖磨氏、高見貞子さんなどの死が相次ぎ、これらの著名人たちが全て同族であっても不思議はないことを示唆しておいた。その前にせっかく丸紅社長・檜山広の名前が登場してきたので、彼もまた同族であることを書いておきたくなった。まずは丸紅専務の大久保利春との系譜だが、彼ら二人は日比谷家を中継点にして血流が結びついていく。檜山広の娘・檜山文江さんは船橋晴雄という人物の元に嫁いでいるが、以下ややこしくなるので詳細は省く。船橋家→西村家→青山家→杉浦家→ここで日比谷家が出てくる。今度は大久保利春だが、彼の妹・百合子さんが安田家に嫁いでいた。以下詳細省略、安田家→池田家→岩波家→山田家→鈴木家→ここで日比谷家が登場する。いつもながら思うことだが、彼らのような遠戚の場合は互いに同族と初めから認識し、かつ示し合わせて丸紅に入社したわけではないだろう、ということである。しかしながら彼らは資産家ゆえに出世は約束されたようなものであり、例えば丸紅社内においての幹部会議などで出世を約束されたゆえの出会いがあったはずである。そこで檜山と大久保が必然的に遠戚関係であることを互いに知ることになったとしても不思議はない。話は比較的近しい親戚の日比谷家での冠婚葬祭に及び、同族意識が芽生える。そんな背景を想像しながら、さらに日比谷家から系図を辿れば池田勇人なる名前がひょっこり出てくるのだ。ひょっとして?は、ひょっとするのである。かつての日本の総理大臣、池田勇人である。その娘・祥子は石橋慶一なる男と結婚している。かのブリジストンタイヤの石橋家であり、石橋家の令嬢・石橋安子さんが鳩山家の鳩山威一郎と結婚して、現在国会で活躍中の鳩山由紀夫氏が生まれたわけである。威一郎の父親が元総理の鳩山一郎だから、池田家→石橋家→鳩山家の御三家は二人の総理大臣を輩出してきたということになる。このへんは檜山と大久保ら遠戚と違い、実に近しい同族意識としては確信的であろう。【参照】鳩山邦夫衆院議員の義母、高見貞子さん死去團伊玖磨さんの通夜に弔問客次々
 実はロッキード事件に関与した重要人物、田中角栄から小佐野賢治、全日空社長の若狭得治などなど全てひっくるめて同族であったとしたら・・・その証拠が広瀬隆著「私物国家」280-281ページの系譜に印されている。さらに佐藤朝泰著「閨閥」、大森映著「日本の財界と閨閥」などを参照すればより深く理解することが出来るはずである。

2001/06/13、水曜
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気になるニュース(保存版)
 普通の人々がまた騒ぎ始まった。木を切れ、雑草を刈れ、塀を修理しろと近所の迷惑だと叱られている。隣では強力な除草剤を使い草も虫も絶滅させて、きれいになったと喜んでいる。ところが今度は、その隣の私の家から虫たちが飛んでくる。何とかしろ、と言うわけだ。結局のところ、隣組の指図に従おうとしない私の存在が最も迷惑なのだ。価値観の相違はいかんともし難い。自生する草を雑草として、虫たちを気味の悪い害虫として、それらを排除することで生きていられる普通の人々の常識とやらに、私の価値観が悉く噛みあわないのだ。そろそろ「出ていけ!」の大合唱が始まるかも知れない。回覧版は私に手渡されることなく投げ入れられている。彼らにとって私が雑草であり、害虫であり、従って人間社会の秩序を保つためには排除すべき対象となる。それでいて裏のパチンコ屋から投げ入れられるゴミにはみんな黙視している。金持ちには媚びへつらうのである。塀を越えて隣に侵入したイチジクの枝が邪魔だと言われて伐採したが、一年おきに実る我が家の柿が浸入すると「まぁ、美味しそう!頂いてもいいですか?」と丁寧なご挨拶・・・ああ、いいよ。どんどん食べてくださいって・・・でもね、アナタ、その美味しい柿が自然に育まれたものだってこともジックリ味わって食べてくださいね。自然の中では草も虫も生態系の範疇にあって、それゆえに雑草も害虫もいないのだよ。人間の都合だけで自然が成り立っているわけではないんだ。自然を破壊しておきながら、その自然の恵みだけは甘受する、そんな都合のいいことは続かないよ。それはそれ、これはこれ、と言わんばかりに切り替えの巧みなアナタ方は今、常識という除草剤、秩序という殺虫剤でもって私を駆除しようとしている。私が出ていけばきっと住み良い環境になるのでしょうから、私は数年後にここを出ていきます。さぁ、田舎暮らしの始動だ!生きものが生きものとして生きて生かされる自然が待っている。そこでは草も虫もみんな仲間だ、友だちだ。私が死んでも墓はいらない、墓を立ててくれる人も必要ない。虫たちが私を全てきれいに食べてくれる。私が大地の肥やしとなって、その上に咲く小さな野の花が私の墓標だ。

2001/06/12、火曜
イランの元王女、ロンドンで謎の死
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 四ヶ月前に訪れた郊外の秘境を、今日再び訪れた。あの頃は殺風景だった風景も、今ではすっかり緑に覆われていた。それでも谷間の川に転がる巨石群はそのままに、剥き出しの自然の荒々しさが迫ってくる。今度も人影はなかった。まるで私のためだけに用意されたような舞台風景だと錯覚しながら、しばし谷間の川音という自然のオーケストラに聞き入っていた。川の音に混じって微かに野鳥のさえずりが聞こえている。早朝だったら騒がしいほどのさえずりに違いないと、朝もやに響く野鳥のさえずりを想像する。そうだ、今度は夜明け前にここを訪れてみよう。煩わしい人間社会のしがらみを切り離し、幽閉された秘境空間に自分の心を漂わせている今、私は宇宙の胎内に包まれているようでもある。つまり、心地よい・・・見渡せばほぼ直立した山の谷間、突然の地震に山が身震いすれば、何十トンもある巨岩が落下して私は簡単に押し潰されるだろう。それでもいいと、死への恐怖を超越した言え知れぬ幸福感に浸っている。
 ふと、何故かベトナム帰還兵の悲痛な心が浮かんできた。祖国に帰還しても社会復帰できないほど、彼らの心は殺戮に血塗られている。ベトナム戦争の地獄は歳月を経てなお継続し、夜の眠りさえ妨げている。そうして彼らは普通の人々が住む人間社会から逃れ、森の深遠へと分け入り、そこで生活を始めた。森の自然だけが彼らの地獄を癒し、受け入れてくれる。ベトナムの戦場にも森はあった。その戦場で繰り返される兵士たちの殺戮にも、森はひたすら沈黙して、ただそこに有った。もの言わぬ自然はそんな人間の地獄の営みを、責めるでもなしに、あるがままに存在しているだけだ。それは神の沈黙にも似ている。その沈黙は、人みずからの裁きを待っているかのようでもある。裁きの法廷は我が心中にあり、人は最期に訪れる死をもって自らを裁くことになるのではないか。日本のいま現在、児童殺人の容疑者を許さない普通の人々によって日本中が騒然となっている。おりしもアメリカでは連邦ビル爆破の犯人と目される青年が、遺族たちに中継されて死刑が執行された。中東ではイスラエル人とパレスチナ人が報復が報復を呼ぶ果てしのない戦いをつづけている。
 そんな騒音も谷間にまでは届くことはない。ここだけは人間社会の怨念も届くことはないと、川面を眺める・・・しかし、よくよく見れば岩場の陰にもゴミの散在が人間の痕跡を残していることに気付かされる。生活用水の取水口に留まるビニールの端切れは、岩を寄せ集めて水を取水するための導引に使われているビニールだった。ビニールで水漏れを防いでいるのだ。ところどころ岩を覆うビニールは、岩に繁茂する小さな微生物たちを窒息させている。谷間の水を取水するためのパイプも繋がれ、その水を人が飲み、田んぼに導かれている。切り立った山にも、戦後の植林が窮屈そうに立ち並んでいる。川の上流においてさえ、人間のために自然は必然的に汚されている。それでもここは人力によるささやかな人の手が入っているだけで、まだ救われている。多くの場合、人間のためにの自然は救いようのないほど破壊されている。自然のために人間が有るようには出来ないものか。海から魚を、土から野菜を、毎日自然から生きる糧を得てきた人としては、それら自然に感謝こそすれ破壊してならないのは極々当然のことだろう。「また来るよ!」、かくして私は谷間に反響する自分の声をあとに帰ってきたというわけである。

2001/06/11、月曜
右利きの前国王、左から銃弾 ネパール、自殺説に疑問
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 いつもピンチには変わりはないけれど、あえて「もうピンチだ!」と悲鳴をあげて、貧乏生活を再認識してみる。ポーカー・フェイスの苦手な私は、もろに苦悩を面にさらけ出すしか脳がないのだ。暑いときは「暑い!」、寒い時には「寒い!」、やせ我慢はストレスが溜まるだけ、カネが貯まるようなストレスは自分には無縁なのだ。今日は社会保険について相談していた。「それじゃ、川に財布を落として見失ったようなものだね!」とは、会計担当の妹が私の雇用保険を今まで収めていたことへの反応、感嘆詞だ。妹はミスったのだった。事業主が雇用保険を収めてどうするの?というわけ、「そのカネは返ってきませんよ、諦めるしかありません」だって!そうなっているんだって!・・・そんな、ばかな?川に落とした財布は流れ流れて社会保険制度という大きな口で食べられてしまったんだ。「その社会保険の支払いが苦しくなったんですけど、国民年金保険に移行する場合はどうなるんでしょう?事業主だけ国民保険にして、従業員はそのまま社会保険に加入するということは・・・」はぁ?それも出来ないんですか?事業主も従業員も一括して社会保険か国民保険か、二者択一しか選択余地はないということですね。なるほど勉強になりました、って感心している場合じゃないんだ。初歩的な質問で申し訳ないんですが、から始まった今日の相談事、その道のプロの懇切丁寧な説明に感謝しながらも、一方では絶望的になっていった。「私、一応役員報酬毎月10万もらっていることになっているんですが、実際には5〜6万程度しか使ってないんで、その辺社会保険が安くなるとか・・・」、あ?それもダメ?10万以下はみな同じようなものって、そうなんだ!ハハハ・・・何だか可笑しくなっちゃった。10万でも申請しても5万でもあまり変わりはないってことね。ははぁ、社会保険は強制保険と同義語だったんだあ、たまりませんね。「ところで、仮に社会保険を払いつづけたとして、政府はちゃんと年金を払ってくれるんでしょうかね?」受給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられたって、これ酷すぎません?その間に死んじゃったら・・・遺族年金ですか、でも私のように天涯孤独な身の上は・・・はぁ?はい、それまでよ!ですか?それじゃ私の人生は泡のようなものですね。若い自分には結婚しようとした相手もいたんですが、母や妹が難病にかかりましてね、借金というオマケ付きの引き継いだ会社もあって苦労が見え透いていた。んで、苦労するのは嫌!って言われちゃって、相思相愛だったのに・・・あ、すいません。長くなっちゃうのでやめます。ところで、何の話だっけ?

 メチャクチャでござりますがな、相談受けた御仁笑ってたけど、笑わした当人の私は心で泣いているんだ。今度の新総理は前向きで元気だなぁ・・・リストラされても希望はある、頑張れば何とかなるって言い切っていたけど、何に頑張ればいいんだろう?赤字覚悟の仕事を頑張って、その報いが自宅の競売という同業者を思い出すよ。それでも御本尊様が付いているって頑張ってしまっている。現代社会では信仰すら救済とはならないようだ。一緒に題目あげようなんて言ってたけど、ごめんだね。教祖の悪口言ったら怒られちゃった。

 底なし不景気といわれる御時世、事業主の大半は借金抱えて青息吐息、借金を苦にしての自殺も珍しくはなくなった。ここに何度か登場した同級生の経営者の場合もそうだった。「まさか?」というより「やはり」というほど、私もまた「やはり」の部類に入る自殺多発業種に数えられるのことは確かだ。借金返済を目当ての自殺も珍しくはないようだ。かつては自殺の場合は契約後二年が経過しないと民間保険会社の支払いが行われなかった。商法では自殺の保険金は支払わなくてもいいことになっている。しかし、それは建て前で、実際には保険会社が遺族の生活保障も加味して、今では一年前の契約ならすぐ保険金がおりるようになっている。つまり自殺を決行する一年前に保険契約をすれば、その遺族はすんなり保険金を受け取ることが出来るというわけだ。何億という高額保険に加入するのはそれこそ借金返済目当ての事業主に多く、一応加入以前の調査も行われるが、売上げ競争に奔走する保険会社にとって高額契約は上客でもあることから調査も形だけになりやすい。保険会社にとって最大の関心事が自殺か?他殺または事故か?という問題であって、他殺や事故となれば保険金を倍額支払うことになる。事故に見せかけた自殺、というのが最も厄介らしい。例えばビルから転落した場合、それが誤まって落ちたのか?自殺覚悟の飛び降りなのか?その相違が保険会社には大きく響いてくる。事故になれば一億円が二億になるのだから、これは必死になる。保険会社は何としてでも自殺になってほしいわけだが、裁判所は多くの場合自殺の断定には厳しいところがあり、自殺と分かっていても結局は示談で保険会社が倍額の七割支払うといったケースが多いという。保険金目当ての自殺志願者は遺書を書かない方がいいかも知れない。それ以前に保険金を支払う余裕すらない私の場合は問題外となります。貧乏万歳!である。もっとも私の万歳には多分に「お手上げ」の意味があると思われるのだ。

2001/06/10、
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 ああ、雨が降ってるね・・・日曜日だというのに。今日はまたあのハマヒルガオに会いに、浜辺に行こうとしてたんだ。恋人に会いにいくようなワクワクした気持ちで、弁当をつくってソワソワして・・・まだ降りつづけるのか、もうすぐ止んでくれるのか、何度も曇空を見上げながら・・・ハマヒルガオにも聞こえているだろう潮騒の寄せては返す波音と浜辺の風景を想像していた。あれから一週間たとうとしている今、彼女はもう花を散らせているかも知れない。そうしたら再会は来年を待つことになる。それでもいい、毎年花を咲かせてくれることが分かっているから・・・毎年会えるんだもの、そうして私はひたすら貴女を待ち望んでいる。そうなんだ、私はハマヒルガオに昔の恋心を見ているんだよ・・・恋焦れていた青春の日々とは違い、今はただ淡い思い出に浸っているというわけさ。今日のように待っていたんだ、あの日、雪の舞い散るあのクリスマス・イブに、私は貴女に手渡すはずのプレゼントを小川に捨てたんだ。あの夜、貴女は来なかった、嘘を信じて待ちつづけたピエロの哀れな心を、私はあの夜一緒に捨てました。闇に流れて消えていった私の無惨な恋心よ。会いたいと言ったのは貴女の方だった、そして、会わずにはいられなくなった私を何故か貴女は裏切った。貴女を裏切らせたのが微妙に揺れ動く女心にしても、私はそれを知らない、知りたくもない。知ってどうなる?歳月はいつしか恋心を淡い思い出だけに結晶させていく。嘘のない愛にまで昇華した思い出に永遠を添えて、私は浜辺でひっそりと咲いているハマヒルガオの花に転化する。ああ、雨がやんだね・・・静かな夜、雨の雫だけが心に響いている。

2001/06/09、土曜
ソロス氏が一線を引退か 社会貢献へと米紙報道
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 痛ましい、と言うよりほかはない。昨日起きた「児童教諭殺傷事件」のことである。大手マスコミも容疑者が精神障害者であるにもかかわらず、その実名と写真を公表するという異例の事件となった。この事件の絶え間ない報道はこれから数週間に渡って続くであろうから、その詳細をここに書くまでもないだろう。さっそく掲示板を巡回してみたが、幼い我が子を殺害された親が「とにかく犯人を死刑にしてほしい」、と涙ながらに訴える心情を受けての投稿が目立った。掲示板の「容疑者への人権擁護は許さない」までの激しい非難と大多数の同情が渦を巻いて、いまや日本列島は容疑者への非難の連呼で打ち震えている。国の裁きを待てない、待つことを許さないほど「ごく普通の人々」の激しい容疑者への怒りは、その相手が精神障害者であることすら問題とはならないようである。まるで国民全てが裁判官になったような錯覚に陥る。我が子を殺されて犯人を憎む親の気持ちは、当然ながら無理もないと思う。しかし、それに同情した多くの人々が一様に容疑者の死刑を求め声高に叫ぶのであれば、少し感情に走りすぎてはいませんか?と言いたくなってしまう。つまり、感情が先走りすることで問題の核心が見えなくなってしまうことへの危惧感である。死刑という物理的な消去法によって問題が解決するほどこの事件は単純ではないはずだ。受刑者の反省と後悔なき早急な死刑執行は、何の解決にもならないばかりか教訓にすらならなくなる。心の介在なき物理的抹消法の短絡さは、次の犯罪を育む布石とすらなりかねないと思うのだ。今回の容疑者のように「死刑にしてほしい」ゆえの犯罪ならなおさらである。ここで彼を死刑にしてしまったら、ただ彼の達成感を満足させるだけになってしまう。「人を殺した自分が死刑になって殺される」ことを望んだ彼は、自分で自分を追い詰めることの苦痛を逃れるためのものだとしたら・・・死刑執行はかえって彼の手助けをしてしまうことになるのではないか。
 今度の事件の被害者は子供たちに留まらないものになるだろう。昂ぶる国民感情の余波は容疑者の「精神障害」という共通点からその領域をも必然的に差別化してしまうからだ。現代人のストレスはもはや避けようのないほど一般化し、ために開かれた精神カウンセラーが求められ、最近では誰でも気軽に精神科医の相談を受けるようになりつつある。それがここにきて開かれつつある扉が一気に閉ざされることになるかも知れない。これは悲劇の現場となった学校も同じで、せっかく開かれようとした学校現場が再び閉ざされることは避けられなくなる。犯罪予防の見地からも、それが不審者を事前にキャッチするといった監視社会の待望も、警察より以前に子をもつ親の間から出てくることは疑う余地がない。すでに評論家などからもそれを示唆する言葉が飛び交ってきている。子供の安全のためには監視社会も仕方ない、というより、是非とも厳重な監視システムの導入を望む父兄たちによって、それはかなり早急なかたちで実現するだろう。これは警察にとっても渡りに舟となる。「人を見たら泥棒と思え」から、現代では散策する人は警戒する者にとって不審者となり、不審者は何をするか分からない犯罪者、精神異常者へとエスカレートしていっても不思議はなくなる。来たる監視社会はより厳重になっていく過程で、被害妄想のさらなる相乗効果をもって誰もが誰もを監視せざるを得ない未来都市が形成されていく。

 ここで何度か書いてきた知的障害をもつ仕事上での相棒も、嫉妬から精神錯乱となって精神病院に入院した友人の父親も、家の商売を嫌うあまりある日突然発狂して隔離された知人も、潔癖症から自分を許せなくなって自殺未遂を繰り返している某婦人や、それぞれの悩みの葛藤の果てに精神病院の門を潜らなければならなかった巷の人々のことを・・・ひと括りにして精神異常者の烙印を押して済ませてしまうほどに、普通の人々は自分が健常者だと思えるのかどうか?むろん精神病歴のある容疑者以前に、我が子を殺された親の心情を理解しての上での私の意見である。あえて忠言がましいことを書いたことの理由は、「犯人許すまじ」厳罰指向の連呼が国民総意の様相を示してきたことへの危惧を覚えた、その一点にある。ただ犯罪予備軍としての精神病疾患への偏向を払拭させたかった。

2001/06/08、金曜
ネパール王族惨劇事件を目撃した王族関係者が記者会見
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 昨夜から目眩に悩まされている。真っ直ぐ歩くことができない。足元が沈んでいくような感覚は気味が悪いものだ。母も何度か目眩に襲われ、倒れたことを思い出した。遺伝的なものかも知れない。高血圧の遺伝は父からしっかりと受け継いでいることは分かっている。洗顔時に鼻血が出て洗面器が真っ赤に染まったこともある。脳幹出血で生死をさ迷った従兄も何とかリハビリで生還したが、後遺症として麻痺が残り社会復帰は不可能となった。その従兄から昨日電話があり、高血圧の注意を受けた。甘く考えていると取り返しのつかないことになる、と心配しているのだ。ありがたいことである。どうやら山谷への旅という計画も延期せざるを得なくなったようである。何よりMTBでの200キロ以上の長旅には耐えられそうもないし、よしんば旅を決行しても目眩の発作で野垂れ死にする公算が多分に大きい。旅に所持しようと思っていたPHS携帯電話も中継局のない場所では連絡が取れなくなる。ましてツーリング用テントで野宿する身にあっては緊急時に救急車を呼ぶことも出来ないだろう。その一方では野垂れ死に覚悟の無謀な自分がいる。山谷ホームレスの苛酷な現状に、自分は頭で考えているだけではないか・・・冬の寒さに打ち震えながら夜を過すことを、夏の猛暑に辟易して生きることの実感を伴わぬ限りにおいて、私もやっぱり偽善者でしかなくなる。それでいいのか?と自問自答の悶々とした日々に悩んで来た。その覚悟の上での旅の計画であった。
 時折「元気か?」と電話をよこす友人の一人から、数日前に「ついに20キロ痩せた」との連絡を受けた。糖尿病ゆえの激痩せであった。痩せたのは食事制限だから心配はしていない、と平静を装ってはいたが、その食事療法がかえって糖尿病への抵抗力を弱めている感じがしてならない。この前は10キロ痩せたと連絡があったばかりで、数週間もしないうちにさらに10キロ痩せたと言うのだから尋常ではあるまい。元々は85キロの巨漢であった彼が20キロも痩せたというのだから想像がつかないでいる。「オマエが俺と街の中で出会っても、俺と分からないで通り過ぎるはずだ」と電話口で笑っている。それでいて奴は「目眩は治ったか?」と自分のことより他人の私のことを心配してくれている。私の緊急時には彼のところに電話を入れることになっている。即座に彼は救急車に連絡、私のところにやってくるという手はずだ。発作時の私が自分で救急隊に住所を知らせる時間的余裕がないからだ。しかし、その友人がいま糖尿病で苦しんでいるとなれば、今度は私が彼のために何とか役に立たねばならない。昨夜も電話をしたが留守番電話になっていた。何かあったのではないか?と心配してしまうが、奥さんが看護婦だけに少しは気が楽だ。

 お釈迦さまは「生きることは悩むことだ」とはっきり断言している。あまり仏法には詳しくない私でも、苦渋に満ちた人生を通じて納得してするようなところがある。その基本的教義「四諦八正道」では、四つの道しるべで締めくくってある。それらは、人生は苦そのものと見極める「苦諦」、その苦は欲望と偏着を呼び寄せることを自覚する「集諦」、その集諦を滅却しようと努める「滅諦」、その滅諦の具体的実践としての手段「八正道」の四つで成り立つ。その八正道とは、正しい見解「正見」、正しい思惟「正思惟」、正しい言葉「正語」、正しい行い「正業」、正しい生活「正命」、正しい努力の仕方「正精進」、正しい自覚「正念」、正しい瞑想「正定」の八つであるという。どうやら「四苦八苦」という馴染みのある言葉も、この「四諦八正道」から来ているようだ。それでは「正しい」とはどうことか?ということになるが、一般的な「正義」を指すならその危険性も考えねばならない。湾岸戦争において米国主導の連合軍はそれこそ「正義」を旗印に、イラクは「聖戦」を唱えながら結果的には多くの戦死者を出してしまった。戦争に正義は都合のいい大義にもなり得る。何が正しくて何が悪いのか、その価値判断なくして「正義」の暴走は必須なものとなってしまう。対立する正義はもはや「正しい」のではなく、「悪い」ことになるのは大いなる矛盾ではないか。最もお釈迦様のいう「正しい」定義とはそんなレベルに位置するものではないだろうが。
 尊いはずのお釈迦さまの教えも、現代日本においては某宗教団体のように政権を得るための道具として、またやたら高額の葬式仏教に成り下がったりしていては救いようがあるまい。母の葬式でもお経の値段40万円を、20万に値切ったことを思い出す。一般に80万円が読経料の相場だというが、数時間で数十万もの稼ぎはたまらない、などと思うのは不謹慎だろうか。母の葬儀にはおよそ140万かかったが、一般的に最低でも170万円ぐらいはかかるらしい。無縁仏の場合は三大新聞で告知され、その後、墓地改装の広告を三回出しても遺族が名乗り出ない時にはお寺の権限で処分する。無縁仏が一旦収まった墓地から遺骨を無縁墓に移行するのだ。広告を出した損料は無縁仏が入っていた墓を新しい墓として再利用した時に上乗せするから、損はしない。つまり墓への新入居者の遺族が新しい墓地を買ったと思うのは錯覚で、実際は買うわけではないことになる。坪50万のところを広告代含めて80万で提示するから、お寺には坪50万が新しく入るというわけだ。私のように旅先での野垂れ死にを標榜するものは、それこそ墓もいらないと常日頃言っている。旅先で死んだ場合は、その旅先で火葬する場合もあるそうだ。夏場は遺体も痛みやすいので、その方がいいかも知れない。旅先の葬儀社が火葬許可証を貰い家族を呼んで火葬する。その後、帰ってから正式の葬儀をすることになる。その時に旅先の葬儀社は帰った先の地元の葬儀社へと引き継ぎが行われるが、最初に死体に取り付いた旅先の葬儀社がマージンをがっぽり受け取る算段になる。戒名を付けるにもカネがかかる。もっともレベルが高い「大居士」や「清大姉」の最高クラスの戒名は500万円というのもある。むろん戒名の値段にリストは存在しないが、一般的に50万円が相場と言われているようだ。そこに読経料が含まれているのかどうか、もチェックポイントになる。死んでいく者にとってはどうでもいいようなことだが、遺された家族にとって浮世はその悲しみから引き戻すかのように、カネの呪縛は葬式というイベントによって最高潮に達するというわけである。この不景気にうかうか死んでもいられない、のである。

2001/06/07、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 C型肝炎が元で肝臓ガンとなり死亡する患者が増加しているのだという。ある町では50代のC型肝炎患者が71%に達するという驚くべき調査結果が出ている。C型肝炎はC型ウィルス(HCV)によって起こるもので、これまで日本人の約2%がHCV保有者とされ、90万人の患者がいるとされてきた。ところがここにきてHCV感染による肝臓疾患での死亡者が急増、今では200万人に及ぶHCV保有者がいるのではないかと推測されている。C型肝炎はHCVに感染したからといってすぐに症状が出るものではなく、およそ10年の歳月の過程で肝硬変が慢性化して肝臓ガンへと移行する。
 その多くの原因は1960年代の輸血に起因しているといわれ、ウィルスが混入した売血輸血によってHCV保有者が増加していった。当時は結核が蔓延していた時代で、それらの手術で売血輸血が使われていた。ロシアでは依願退職した軍人らが生活のために今も売血で生計を立てているらしい【ロシア軍崩壊の危機、給料遅配…将校も農業や売血】。中国では1998年10月に売血が禁止されたということだが、裏返せばつい数年前まで売血が日常的に行われていたということになる。日本でも戦後、貧しさゆえの売血が盛んに行われ、過度の売血による黄色い血が問題となっていた。日本では1969年に売血による輸血用保存血液の製造が中止されている。
 こうした売血禁止処置によって一旦はC型肝炎も激減したかのようにみえたが、その後、1992年においてさえ検査の技術が確立されていなかったため、さらにHCV保有者が急増した。沈黙の殺し屋といわれるC型肝炎がここまで増加したもう一つの原因には、厚生省と医療機関などの対策の遅れにあったともいえる。そして集団予防接種での注射針の使い回しがさらにHCV感染者を拡大させていく。100万とも200万人とも言われているHCV保有者だが、本人が感染しているとは気付いていない例を含めればその数は恐ろしいものになってくる。そしてその悲劇は薬害エイズを遥かに凌ぐものになっていくことだろう。その薬害エイズとC型肝炎は血液感染という類似性があるが、1998年9月3日、それを象徴するようなショッキングなニュースが流れた。フィリピンでエイズ感染者が売血をしたというのだ【エイズ感染者の献血告白でひと騒ぎ】。日本でも薬害エイズによる第二次感染者以降の正確な感染者数を把握することは不可能だと言われている。このこともC型肝炎と酷似する。薬害エイズで見せつけた厚生省と製薬会社の癒着や経済効率重視による人命軽視は、C型肝炎でも医療関係者が同じような無責任さを露呈しつつある。前述のC型肝炎患者多発地帯の町役場の対応がすでにそのことを物語っている。彼らは人の命を何だと思っているのか。役場は「ノーコメント」と言ったのだ。

2001/06/06、水曜
■番組表■(首都圏保存版)
気になるニュース(保存版)
 ネパールのギャネンドラ殿下の国王即位に抗議する民衆に、警官隊が棍棒で殴りつけるニュース映像が流れている。それはあたかも警官隊の暴力による民衆デモへの抑止力が当然のように、今や世界各地で行われている。中東では投石するパレスチナ人少年に対して、急所に当たれば即死するゴム弾でもって迎え撃つイスラエル軍。それらの映像が毎日のように茶の間のテレビに映されている。「悪いことをするとこうなるんだよ」と親は子供たちに教える家庭も少なくはないだろう。寄らば大樹の陰、とはよく言ったものだ。大樹とは権力そのものの象徴として、その権力に異議を唱える者には棍棒をもって応えるのが慣わしになってきたかのようだ。踏んでいる足は踏まれた足ほど痛むことはない、棍棒を持つ手は棍棒で殴られる相手ほど痛みを知らないし、心が痛むこともないのだろう。やっと紛争地区にも平和が戻ったと、農作業に向かう畦道で多くの農民たちが地雷で足を吹き飛ばされている一方では、安価で性能の良い地雷が工場で大量生産されている。地雷探知機にも反応しないプラスチック製の地雷を誇らしげに説明する技術者、その誇るべき地雷の部品を組み立てては生計を立てている従業員、それら勤勉な人々のおかげで裕福な生活を維持できる経営者と、それに連なる政治家たち・・・そこには「地雷が人間の足を吹き飛ばしている」という事実を認識してはならない、暗黙の掟がある。こうした軍需工場が欧米諸国には下請けを含めると無数にあり、中には倒産する会社やリストラを敢行する会社も出てくる。リストラされた解雇された従業員たちが抗議の声をあげ、ここでも警官隊が棍棒を振るう機会が与えられる。解雇された者たちは「これは人権蹂躪だ!」と叫ぶが、それ以上に彼らの勤勉さが作ってきた地雷が紛争国の人々の足を奪い、命を奪ってきたことには気付こうとはしない。飼い慣らされた者たちの悲しみよ、明日のパンのために悪魔に勤勉を誓ったゆえの末路を知れ・・・巷の神々の沈黙、今は神の不在に人間の奢りだけが許されているかのように・・・ただ小さき者たちの証言のみが未来に迎え入れられる時がやってくるのだろう。もっと弱く、小さくあれと・・・絶望の闇にしか射すことのない一筋の光のことを・・・

2001/06/05、火曜
■番組表■(首都圏保存版)
 昨日海岸で見たハマヒルガオが忘れられない。きれいだった。ちょっと遠いけど、これから毎朝ハマヒルガオに挨拶しようと思っている。早朝、日の出と共に海へと向かい、恋人に会うようにわくわくしながら・・・それでも季節の移ろいはいつもハマヒルガオを咲いたままにしてはくれないだろう。あと数日もすれば花を閉じ、初夏になる頃には枯れ果ててしまう。ハマヒルガオの花に再会するには来年まで待たなければならない。それでも自然は約束事のように毎年ハマヒルガオの花を咲かせてくれる。人の世も季節の移ろいのように、死んでは生き、生きては死ぬことを繰り返しているのだろうか?およそ80年毎の人の季節がそうであるならば、私の人生においては、自分がいつ花を咲かせてきたのか知りたくなってくる。いま分かっているのは開花時期が過ぎていることだけ、実らぬ人生に種子を落とすこともなく、枯れ果てていく自分だけを知覚している。誕生日に贈られたカスミソウの花束が忘れられないと、人伝に聞いたマドンナの言葉の真意を知りたい。忘れられないあの時の貴女の感動は、そのまま贈り手の私のことが忘れられないのだと言ってほしいのだ。私が貴女を密かに恋焦がれ愛していたことを、カスミソウの花束に読み取ってくれたのなら、今でも遅くはない・・・その心を打ち明けてほしい。もう一度、過ぎ去った青春の日々の彩りを今に蘇えらせることが出来るのなら、もう思い残すことはないものを。潮風に吹かれて小さく揺れていたハマヒルガオの花は、小刻みに震える貴女の心、愛の波動かと・・・浜辺に佇んで夢想する私はやっぱり孤独なんだ。夢想は私の孤独の特効薬、無数の妖精たちの囁きが聞こえるところ・・・心の闇が深ければ深いほど妖精たちはより輝きを増して希望の花粉をまき散らす。

 昨日、防波堤の石段に頭を抱えてうずくまっている青年を見た。傍らのバックは彼の生活を凝縮しているように膨らんでいた。彼が抱え込んでいる頭にも絶え間ない潮騒が聞こえていたことだろう。この、絶望を絵にしたような光景をMTBに乗った私が横切り、どうも気になって引き返した時にはもはや立ち去った後だった。人生の旅は行く宛てのない放浪の旅に似ている。観光旅行のように決められたスケジュールに名所旧跡や温泉が待っていることもなく、旅の疲れを癒す帰るべき家すら待つことはない。人間はこの世に生まれた瞬間から、片道切符を手渡された旅人のように、ひたすら死に向かって歩きつづける。思い出を振り返ることは出来ても、その思い出に戻ることは出来ない。
 途中水飲みに寄ったキャンプ場の片隅にテントがひとつだけ張られていた。住人は留守をしているようだったが、洗濯バサミだけが潮風に揺れていた。そこには長年住み着いた生活の匂いと痕跡があった。何がしか訳あっての長逗留と思われた。さらに防波堤を走っていくと、双眼鏡で海を眺めている老人に遭遇した。水平線彼方の漁船でも眺めているのだろうと微笑んだものだったが、その老人の屈んだ姿勢に不自然なものを感じた。双眼鏡の視線の延長を辿ると、彼方に若い男女が抱きあってキスを交わしている光景が見てとれた。何のことはない、このスケベ爺は覗きが趣味だったのだ。幾つになっても人間の性への興味だけは枯れないようである。かと思えば日差しの中で海水パンツひとつでひたすらランニングを繰り返す青年がいた。防波堤を往復するたびに無表情な顔が私の前に現れては消えた。そんな中で中年の釣り人が「その自転車、高かったろう?ツーリングかい?何処からきたの?」と声をかけてきた。「いやぁ、地元の者です。久しぶりに海に来たれど随分変わりましたね」、結局この日、人と交わした言葉はこの時だけだったが、やはり人と会話するのは嬉しいものだ。

 ところで、今回の旅の計画にさっそく障害が立ちはだかった。また会社の運営でのトラブルである。原因は社会保険、この前の全額請求の蒸し返しである。数日中訪問するというが、うんざりする。かつての口論の果ての差し押さえ騒動を思い出す。どうやらあの時の一件が尾を引いているようだ。苦しい中で払いつづけてきた誠意も無視され、全額支払を強要する彼らに権力の無慈悲を痛感する。仕事が何とか軌道に乗ってきているだけに、ここで潰されたら口惜しいのだ。どこまで苛めたら気が済むのであろうか?極力低姿勢で乗り切るつもりでいるが、一方ではひと思いに会社をやめたいとする自暴自棄が首をもたげている。やってられるか!というのが本音だ。こういう土壇場には夢想すら起きない。同業社長に訊けば同じ悩み、先代急死で後継者となった若き経営者が差し押さえの通達に抗議して、職員の目の前で灯油をかぶって焼身自殺、数日後、それを悲観した老母が庭先で息子の後追い焼身自殺をしたという話も伝わっている。「我々は法律にのっとっり当然のことをしたまでだ」これが彼らの言い分である。その何処にも人間性の欠片もない。いや、人間だから出来るのであろう。戦争を正当化できる人間性には何ら価値を見いだす事は出来ない。

2001/06/04、月曜
■番組表■(首都圏保存版)
 今日は朝早くから一日中MTB(マウンテン・バイク)で海岸線を走ってきた。約一ヵ月後の旅のための予行演習である。リュックにテントと寝袋を詰めての走行であったが、最初は気にならない程度の重さも、時間と共に疲労が蓄積してリュックが肩に重く圧し掛かってくる。やはり装備類は出来るだけMTBのキャリアに積んだほうが良さそうである。それでないと、体重プラス装備の重さが全てサドルにかかって、股間が痛くなるのである。これには最も悩まされ、ために何度も休憩するはめになってしまった。急がずゆっくり楽しみながらの旅を第一義に掲げているので、とにかく休憩には時間余裕をとるつもりだ。地元郊外の海岸線を走行しながら、さまざまな問題に遭遇した。次の問題点はテントの張る場所のことである。一応キャンプ場で宿泊するのが無難だと考えていたが、その無難であるはずのキャンプ場が最も宿泊には向かないことに気付いた。前の利用者が捨てたゴミが散在し、特に食べ残しの残飯がそのままにしてあったりして臭くて汚いのだ。トイレも同様で、とても入れたものではない。人間が立ち入る場所悉くがゴミの山で、若者の溜まり場となっているらしい公園には段ボール箱にアダルト雑誌が用意されていた。この辺一帯は暴走族のルートになっているらしく、海岸に出ると幾筋ものタイヤ跡があったりする。危険すら予感させる。人間が踏み入った自然は、もはや自然の脅威以前に汚く、臭く、そして危険になっている。カラスも生ゴミを狙って至る所で飛行していた。ちょっと目を離した隙に食べ物が狙われて、追い払う始末だ。もう日本の何処にも本来の自然はないのではないか?と絶望したくなる。
 それでも辛抱して人間の比較的入らないような場所を探すと、海岸の砂浜一帯にハマヒルガオの群生が突然出現したりする。よく見ると花から花へと体に花粉をつけた蜂が忙しそうに飛び回っているのが分かる。ここにテントを張ろうとしたが、砂地なのでテントを固定することが出来ず、風で吹き飛ばされることが予想された。何よりハマヒルガオの花が押し潰されることが分かって諦める。テントを張る場所がなかなか見つからず諦めそうになった時に、防風林の中に一ヶ所だけ格好の場所を発見した。雑草が伸び放題であまり人が踏み込まない所に小さな休憩所があったのだ。ここは小さいながら屋根もあるので、雨が降っても大丈夫だと思われた。ただキャンプ場ではないだけに見つかったら注意されるかも知れない。旅の予行演習としては、どうしてもこういう場所でテントを張り一夜を過ごす必要があるのだ。自然の中でひとり一夜を過ごすということは思ったより簡単ではない。日中は気にならない自然の音も、夜の闇に閉ざされれば虫の音すら煩く感じられるほど聴力が研ぎ澄まされる。自然そのものが心の中に踏み入ってくるような感覚は、あまり自然に接していない人間には恐怖さえ感じられるだろう。私も例外ではない。だから習うより慣れろで、やるつもりなのだ。
 今日は日差しも強く、帰ってきた時には露出していた腕や顔面がヤケドしたように真っ赤になっていた。これも何度か日差しの中で走っているうちに慣れるだろう。明日は火照った皮膚を冷ますために予行演習は中止することにした。私が今度購入したMTBはサスペンションが前後に付いているので、一般のキャリアは装着できない。そのためにサスペンション用のキャリアを注文した。準備は着々整えてきたが、いざ出発という段階になって予想外の障害が出ることも考えておかねばならない。最も障害となりそうなのが天候不順で、雨が降ればアウトなので天気予報の読み方も覚えようと思う。次に考えられるのが親戚の訃報で、いま現在母方の叔母が意識不明となりつつある。その時はその時で断念し、秋にでも挑戦するつもりだ。誰に強要されたわけでもなく何も焦ることはない。したがって悔しがることなどサラサラない。気楽にいこう、としながら、どうしても焦りが出てくるのは納入期限に縛られて必死で仕事をした記憶がよみがえるからだろうか。

2001/06/03、
■番組表■(首都圏保存版)
 昨日はテルアビブでのパレスチナによる自爆テロと、ネパール皇太子による同族の殺害事件と、立て続けにショッキングなニュースが流れた。ネパール王室での殺害事件は皇太子の結婚問題が起因となっているようだが、王族だけの閉ざされた中での事件であること、皇太子が自動小銃を乱射したとしても一瞬にして十数名も殺害することは可能なのか、などの疑問もあるようだ。凶器となった自動小銃の種類は分からないが、速射で十数名を殺害するには一つの弾倉では足らず、空になった弾倉の脱着および予備弾倉の装着という一連の動作が必要だろう。これまで伝えられたように、皇太子が別室で軍服に着替え、自動小銃を手にしたとすれば、事前の周到な準備が用意されていたことになる。どうも、これら計画的犯行が皇太子単独で考えられるようには思えないのだ。また、最初の報道では凶器は自動小銃となっていたが、後に二丁の銃と報道されている。これは自動小銃二丁を抱えることは重装備となって不自然であり、所持しやすさから二丁の拳銃ということになろう。もしくは自動小銃と拳銃という組み合わせだったのかも知れない。集会の殆どの王族が殺害された今、その真相の全貌が明らかにされることはないだろうと思われる。
 皇太子自身自殺を図って危篤状態になっている今、ネパールの慣例からか王位継承はそのまま重体の皇太子に引き継がれたが、当然のことながら摂政となった国王の弟ギャネンドラ王子(54)が事実上の新国王に抜擢されることを意味する。ところで犯行現場は王族たちが集まったカトマンズの王宮なのだが、そこにギャネンドラ王子も招待されていたのだろうか?犯行は1日夜に起こったとして、報道では「ギャネンドラ王子は2日、滞在先のネパール中部の町ポカラから軍用ヘリで急きょカトマンズに戻った」とされている。ということは、ギャネンドラ王子は犯行当時カトマンズの王宮に居合わせず、ポカラの町に滞在中だったことになる。皇太子の結婚問題という大事に殆どの王族が集まっていた中に、より近しい国王の弟ギャネンドラ王子が列席しなかったという事実は何かしら偶然では済まないものを感じる。ネパールの今後は、最近支持率が高まっているネパール毛沢東主義ゲリラの動向が大きな影響力を持つことになるかも知れない。いずれにせよもっと詳しい情報が入らない限りにおいては、私の推理も憶測にすぎないことは言うまでもない。

2001/06/02、土曜
■番組表■(首都圏保存版)
気になるニュース(保存版)
ダイヤのデビアス社再び同族企業に【記者会見写真5/18】
ネパール皇太子が結婚を反対され、国王同族を殺害
 今朝のニュース、テルアビブの海岸ディスコで自爆テロは予想されていたとはいえ、これでイスラエルの報復が本格的になるだろうことはほぼ確実となった。今回は珍しく日本のマスコミでも大きく取り上げていたのが印象的だった。私もここで流血の中東情勢のサイトを立ち上げて関連記事を整理してきたが、これまで毎日のようにパレスチナ人の葬列が繰り返されてきたことは衆知の事実であろう。5月18日夜にはイスラエルが初めてF16戦闘機を導入、パレスチナ人への攻撃は熾烈さを増していた。ところが、パレスチナ人の怒りが爆発寸前になったと思われた時点の22日、イスラエルは急にパレスチナに停戦を呼びかけて一方的に軍を引き上げたのであった。私も、あれ?と首を傾げながら、これは大変なことになるのではないか?といった漠然とした予感に包まれたものである。
 黒澤明監督の映画「用心棒」を思い出した。対立するヤクザが急に手打ち式をするというので喜ぶ居酒屋の亭主に、主人公の素浪人が怒鳴る場面がある。「ばかやろう!バクチ打ちが仲直りするのはもっと大喧嘩するためだ。喧嘩が長引けば賭場も立たねぇ、せっかくの縄張りが台無しになる。そこでちょっと手を打つ。早い話が、仲直りしてもっとデカイ喧嘩の種を育てるんだ。バクチ打ちの仲直りほど物騒なものはねえんだぞ」かくして宿場は壮絶な勢力争いの地獄絵図と化すという筋書きである。
 相手を窮地に追い込みながら自尊心を悉く傷つけ、怒り心頭に達した相手にわざと隙を見せて叩かせる。これで大喧嘩の口実はできる。かつてのアメリカが太平洋戦争前に日本に仕掛けた手口である。テルアビブの自爆テロに対してイスラエルが大々的な報復攻撃を表明している現在、アメリカもまた口裏を合わせるようにパレスチナの自爆テロを非難し始めているのも腑に落ちない。
 もう20年も前になるだろうか、南イリノイ大学には巨大で完全な地図があることで知られていた。ここに若いエリートたちが定期的に集い、人類学、民族学、心理学、数学物理学といったあらゆる分野のエキスパートである学者陣の指導のもとで、熱心な特別授業が続けられていた。しかしその授業内容は、A国の経済基盤を崩すためにはB国からどのくらいの難民をA国に流入させれば可能になるか?といった風変わりなものであったらしい。現在もこの大学に完全な地図が存在するかどうかは不明だが、コンピューターの発達した今ではパソコンに完全な地図のソフトを導入するだけで事足りるだろう。現代では戦争を専門に研究する学者もいて、特に男性は名誉を侮辱されるだけで簡単に致命的な暴力に走る傾向があるのだという。
 イスラエルはこれまで幾度となくアラブ諸国の非難を浴びながらもパレスチナ人への攻撃をやめようとはしなかった。これらは同時にパレスチナ人の名誉を侮辱するものでもあった。子供も大人も虫けらのように見境なく殺害してはテロへの報復攻撃だと嘯いてきた。むろんパレスチナ武装組織による自爆テロも非難されるべきであろうが、圧倒的な被害者の数によってもイスラエルの過度な報復攻撃が事態を悪化させてきたことは確かである。すでに5月20日での犠牲者(死者)はパレスチナ人441名、イスラエル人87名にのぼっていた。とにかくイスラエルもパレスチナも全ての武器を放棄することなしには解決の糸口は見えてくることはないだろうし、それが出来ない宿命的な人間の原罪をただただ呪うばかりだ。

2001/06/01、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

薬害エイズ裁判で控訴中の旧ミドリ十字の川野元社長死去
 薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われ、一審で有罪判決を受け、控訴していた旧ミドリ十字(現ウェルファイド)の川野武彦元社長が5月22日に死去したことがわかった。71歳だった。親族からOB会を通じて同社に連絡があった。親族のみで葬儀を済ませたという。川野元社長は93年にミドリ十字社長に就任。エイズウイルス(HIV)感染の危険性を知りながら非加熱製剤の販売を続け、同製剤を投与された患者1人を死亡させたとして、歴代社長の松下廉蔵、須山忠和両被告とともに96年10月、起訴された。昨年2月、川野元社長が禁固1年4カ月、他の2被告も実刑判決を受け、3被告とも控訴していた。川野元社長については死去に伴い公訴棄却の決定が出る。

 薬害エイズで有罪となった今回死去した川野元氏はじめ、起訴された前社長・松下康蔵、須山忠和両被告のうち、やはり最も責任を問われるべき人物は松下康蔵だろうと思われる。何故なら、彼ら三名のうち最も強大な影響力と決定権を松下康蔵の背後に垣間見えるからだ。松下康蔵がミドリ十字の現役社長だった当時のミドリ十字の非加熱血液製剤クリスマシンを投与された患者が、1995年エイズ感染が元で死亡、遺族が松下康蔵を告訴した。ここで問題となったのは、すでに安全な加熱製剤が承認された後であったことである。ミドリ十字はそれが分かっていながら危険な非加熱製剤クリスマシンを回収せず、それを黙認した厚生省の責任もまた重大である。犯罪的ですらあるだろう。さらに遺族は当時のミドリ十字経営者会議議事録を証拠保全するよう裁判所に申請、しかしミドリ十字は書類提出を拒みつづけた。破防法団体規制の適用は法務大臣の認可を必要としているが、細川内閣時代の法務大臣・三ヶ月章がミドリ十字社長・松下康蔵の親戚であった。松下康蔵の妻・澄子の兄が元法務大臣だったのだ。それがどうした?と言われそうだが「法務大臣が認可しなければ証拠資料の提出は拒むことができる」ことを、義理の兄弟として松下康蔵に三ヶ月章元法務大臣が耳打ちしてもおかしくはない。まして松下康蔵は薬害エイズの被告という刃を突きつけられていた渦中にあり、何としてでも罪を逃れたい一心であったろう。ワラにも縋りたい松下康蔵に、妻の兄が元法務大臣であったことは渡りに舟と推察するのが至極当然だ。
 のちにミドリ十字は悪名を払拭しようとするかのように武田薬品工業に買収されていくのだが、その武田薬品もまた戦時中に医薬品を軍部に流してきた歴史ある会社であった。ここで731部隊を想起するのは不謹慎だろうか。現在人気沸騰中の小泉総理にして薬剤業界との癒着疑惑があったことなど持ち出すのも国賊と言われそうである【参照=小泉総理と薬剤業界】。ついでに小泉総理と人気を二分する我らが田中真紀子外相についてもちと触れておく。武田薬品がキノホルム乱売でスモン病を引き起こしたとき、製薬部門を指揮していた部長が岡見清二という人物だった。やがてその功績(?)から副社長に抜擢された岡見清二氏の御曹子が今田家の令嬢を娶っていた。今田家には二人の姉妹がおり、鈴木直道という男性の元にも姉妹の幸子さんが嫁いでいる。その鈴木直道氏の実弟の名を鈴木直紀といい、その妻の名を田中真紀子と言った。ただそれだけだけである。ここではあえて憶測を避けたい。
test

2001年5月の日誌