2001年3月

newほぼ毎日更新 03/09更新 02/07追加 new03/30更新 02/05追加
●流血の中東情勢-2001 ●イラク紛争地図 ●シャロンの素顔 ●バチカン動向 ●福島原発news
◆ポップアップ広告消去プログラム
どきゅめんと映像トピック
兵役に服したマケドニア人たちが、アルバニアの村に進撃していく

2001/03/31、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 弟夫妻が両親の墓参りに帰郷、久しぶりに市販の寿司を食べた。こんな時でしか寿司など食べれなくなっていたことに気付く。一缶120円のコーヒー缶でさえ買うことを躊躇い、自販機の前で思案する日が続いている。最近ではこまめに電気を切るようになったし、特に電気を使う炊飯器は食べる前以外は保温のスイッチすら入れない。二回の食事だけで食べきれるように少量ずつ炊いている。今日の義妹のように、久しぶりに会う者からよく「痩せた」と言われる。そのためか最近では持病の痛風に悩まされることもなくなった。その半面、目眩を起こす頻度が多くなってきている。座りっきりでインターネットに夢中になっているせいもあり、自分でも運動不足だと思っている。エコノミー症候群が問題になっているが、私も他人事ではない。静止した姿勢を続けていると身体下部の血液の流れが鈍くなる。そのために血液が凝固する血栓(けっせん)が出来やすくなる。立ち上がるなどして急に動くと今度は血液の流れが速くなって凝固した血液塊が剥離し、そのまま心臓へと還流することになる。心臓部の血管はまだ太いから大丈夫なのだが、そこから肺の細小血管に運ばれると血管が塞がる塞栓(そくせん)が起こる。飛行機の中で同じ姿勢を強いられるエコノミー・クラスに起こりやすいことから、これがいわゆるエコノミー症候群と呼ばれる所以だ。いったんエコノミー症候群に襲われたら、詰まっている血液の流れを改善すべく抗凝固剤や血栓溶解剤投与をしなれけばならなくなる。部位によっては手術しなければならないというから大変である。私の母も繰り返される手術の過程で、足の血管の異常に気付いていた。「こんなになっちゃった」と言いながら足を見せたことがあったが、それはまさしく血管の血栓を示す膨らみであった。母の死後、やはり大手術をした知人が足を見せながら「何だかおかしいんだよ」と血管のどす黒い膨らみを気にしていたが、これもエコノミー症候群の類いであったかと思い至っている。最近になってようやく一部の病院でも下半身のマッサージなどをして対応しているようだが、殆どの病院はまだエコノミー症候群を軽くみているようだ。MRSAすなわち院内感染でも同じことだが、私の母が隔離病棟に移されたことで病院側に質問した時でも、最初はそれが院内感染だと認めることを躊躇し否定すらしていた。こちらの執拗な質問にやっと認めたぐらいで、やはり患者側の病気に対する基礎知識も必要ではないかと思う。エコノミー症候群のように、日常的に起こりやすい病気なら尚更である。

2001/03/30、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 大宮の友人が送ってくれた玄米を、さらに地元の友人にあげたのだが、やはり少し古かったようである。最初の送り主から古いことは言われていたが、地元の友人は食べてみてその味の違いが分かったようだ。便利な世の中になったもので、200円あれば玄米2キロの精米ができるようになった。だから米は玄米のまま保存しておくのが良いと、地元のその友人は言う。私は最初から胚芽精米を購入しているが、それだと日が経つにつれ味が落ちていくのがよく分かる。それを何とか防ごうと、ゴミ袋用のビニールに密封しているが、あまり効果はないようだ。ペットボトルに米を入れて貯蔵している人も多いらしい。時々ペットボトルに水を入れて水筒代わりに使っているが、一日経つと臭いが鼻につく。これは微量な化学成分が水に溶け出しているものと思われるが、健康に悪影響はないのだろうか?と心配になり、水を入れ替えて飲むようにしている。水や米などは毎日摂取するものであり、それだけ安全性は留意しておくべきかも知れない。食事が身体をつくる、と断言する学者もいるくらいだ。戦前のある小学校で脚気(かっけ)が多発したことがあった。調べていくうちに精米に原因があることが分かり、急遽胚芽米や玄米の摂取運動を子どもたちの親に呼びかけ、それ以後脚気は減少したという。ところが戦後、日本では再び精白米を常食するようになり、そのことの悪影響を心配する栄養学者もいるようだ。
【脚気】ビタミンB1の欠乏による栄養失調症の一。末梢神経を犯して下肢を麻痺させ、または脛(すね)に浮腫ができる。米を主食とする東洋特有の疾患。歩行困難となり、甚だしい場合は衝心(しようしん)して死に至る。江戸やまい。乱脚の気。脚疾。脚病。乱脚病。あしのけ。色葉字類抄「脚気、キヤクキ、カツケ、アシノケ」―‐しょうしん【脚気衝心】
 これまで脚気は「米を主食とする東洋特有の疾患」と思われてきたが、自然米にはむしろ天然ビタミンB複合体が最も豊かに含まれていることが分かっている。それではなぜ米を食べて脚気になるのか?・・・これはフィリピン地方刑務所での米国人宣教師たちによる食事改善(?)が参考になる。彼らの博愛主義は、愚かにも自然米を磨いた白米に替えて、何百人という囚人たちを脚気にして殺してしまったのである。自然の恵みそのままに人は生かされているのであるが、その恵みを人間は加工し、経済効率を上げるために毒物に変えてしまっているのだ。食の原点を考えることは、同時に自然の恵みを考えることでもあるはず・・・

2001/03/29、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 そろそろ今月も終わりだが、会社継続の是非を問われるなど、決断を迫られた節目の月だった。こんな時に某役所の職員が来たりする。年初め三ヶ月間は毎年売上げが減る時期であり、どうしても月額全額を支払うことは出来ない。その分、春以降に穴埋めしながら年末までには何とか全額納入してきた。このことは以前から説明して納得したはずなのだが、今回も同じ説明をする羽目になった。職員も頷きながら聞いているので、一応納得してもらえたと話を終えると・・・なんと「そこを何とか全額を支払ってほしい」と話を振り出しに戻すのにはあきれた。それが出来ないから説明しているのに・・・かつては口論のあまり、差し押さえまでされかかったことを思い出し、今回は高ぶる心を抑えて我慢した。それでも、何度説明したら分かってもらえるのか?限界ぎりぎりの節約までして払ってきたこれまでの誠意も認めないのか?と、食い下がった。せっかく会社の継続を決断しようとしていた時だったので、出鼻をくじかれた思いだった。この不況に借金せずに会社をやっていくことは並大抵のことではない。自殺した同級の経営者が脳裏に浮かんだ。抑えたとはいえ、私の反抗的な態度は彼の上司に報告されるだろう。その時は、その時だと覚悟している。折りしも注文していたMTBが届いた。これにテントを積んで、何処にでも行けるように準備をしている。会社のことで零細経営者の不眠症は当たり前、自殺者まで続出している現状すらこの国の公僕は無視している。自殺に追い込まれる前に、私はMTBに乗って自然の懐に飛び出すつもりだ。人間社会に打開策が見えないなら、あとは自然しかない。こうして生きていられるのも自然の恵みがあってのことではなかったか・・・その恵みを食べ続けることでしか生きられない命というものを考えてみたい。生きる原点としての自然に接することでしか、今の私は生きていけない。自然に隠された神聖に少しでも触れることができれば、私も生きている自分の命を再認識することが出来るような気がする。

2001/03/28、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 テレビも衛星放送の一般普及率が増大する昨今、その映像も膨大なものとなり、映像そのものの貴重価値が薄れてきているようだ。上の写真のように、装甲車の間に挟まって行進する兵役に服したばかりの兵隊たちを見ながら、一人一人の不安が入り乱れた心情を思うことも少ない。時に一枚の写真をじっくり見ながら、そこから何が読み取れるか?を考えてみたくなった。彼らはこれから東のアルバニアの村に進撃に向かおうとしている。そのマケドニアの国の中にも25%のアルバニア人がいる。少数のアルバニア人たちの多くは追放され、難民となりつつある。中にはマケドニア人とアルバニア人が結婚した例も多いはずだ。民族分断の狭間で、彼らは最も苦しい選択を迫られているだろう。そんな中で、アルバニア人でありながらマケドニア軍に忠誠を近い、服役した者もいるはずである。上の写真の兵隊の一人がそうだとしたら・・・彼はこれから自国の同胞を殺しに行くことになる。これは耐えがたい苦しみを伴う。祖国アルバニアにいる家族や親戚に銃を向けなければならない自分とは何なのだろう?・・・と彼は自問自答する。装甲車の排気ガスを吸いながら、重い足を引きずり、思わず逃げ出したくなる衝動を抑えながら・・・「これが戦争なんだ、戦争だから仕方がないんだ」と、自分を納得させなければならない彼の不幸は・・・そうなんだ、私の、あなたの、全人類に共通する不幸なんだ。それでも発狂せずにいられるのは、決して意志が強いからなのではなく・・・悪魔と共存できる人間の不幸であり原罪ゆえではなかったか。そんな一兵士の心の悲鳴も装甲車や戦車の音に掻き消され、人を殺す道具であるところの銃を持ち、人を殺すことに何の矛盾も感じなくなるまで兵士の心得を唱え、殺されないためには殺すしかない究極の戦場へと自分を駆り立てていく・・・春がもうすぐそこまでやってきているというのに・・・

2001/03/27、火曜
■番組表■(首都圏保存版)

 瀬戸内寂聴女史(住職というべきか)がテレビのシリーズでお釈迦様のことを話していた。晩年のお釈迦様のことで、下痢をしたとか、身体が弱っていく様子をリアルに説明している。「なんだ、釈迦といえども人間と同じじゃないか」と不謹慎にも思ってしまった。そういえばイエス・キリストだって若くして磔になったし、仏様や神様も苦労続きで無惨に死んでいくところは人間と変わらないようだ。お釈迦様は「生きることは苦である」と断定的に言っているし、そのお釈迦様が80歳になる頃には死期を悟って旅に出る。それを瀬戸内女史は「お釈迦様は野垂れ死にを覚悟して死出の旅路に向かった」と解釈する。面白い解釈である。そして、その旅の途上で後世の宗教学者を悩ませる「命は美しい、この世は甘美だ」という言葉を発する。「人の世は苦に満ちている」という前言をひるがえして「人の世は甘美に満ちている」と言うのだから、自己矛盾しているわけだ。しかし、だからこそお釈迦様は自己矛盾に苦しむ人間により身近に感じられてきたのかも知れない。そして入涅槃のとき「真理は永遠であるが、生命は永遠ではない」という言葉を残して死んでいる。アフガニスタンにおいてタリバンがバーミヤンの二大石仏を爆破し、最近その跡形もない現場写真が公開された。貴重な遺跡が破壊されたことで世界中が大騒ぎしたが、私はさほど落胆には及ばないと思っている。いかに多くの、そしてバーミヤンのような巨大な石仏を作っても、それがお釈迦様を崇め奉る対象物であるかぎり、等身大のお釈迦様の心からは遠くかけ離れたものだと思う。それは同時に物欲を戒めた教えからも離脱し、単に「もったいない」として、その「もったいない」石仏を破壊したタリバンに報復を誓うことの方が、お釈迦先様はお嘆きになるに違いない。噂には聞いていたバーミヤンの二大石仏の存在も、タリバンのおかげで身近に考えることができたし、それゆえに人の心にお釈迦様の存在が広がったとも言えるのではないか。

2001/03/26、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 数日前は全く仕事が入ってこなかった工場に、徐々に車が入り、また忙しくなってきた。我々のような零細会社は何の保証もない。元請の都合で大きく左右されるところがある。親亀コケれば小亀もコケる。そうした不安定な状況下では、やはりその根底に信頼感が必要なのだと思っている。町工場のような零細なところほど、そうした人情長屋に似た信頼感がまだ残っているようだ。危ないとみれば切って捨てる、経済効率ばかりを優先する大手とは違うのだと・・・私が相棒と呼ぶところの知的障害をもつ職人も、一般の会社では全く相手にされない。リスクが大きすぎる、経済効率が悪い、ミスを犯せば会社存続さえ危ぶまれる社会において、障害者の雇用は大手ほど避ける傾向がある。それをあえて雇用する会社にはそれこそ政府の補助が必要なのだが、現実にはまったく逆のことが多い。仕事においては確かにミスは許されない厳しい側面が伴う。わずかなミスで取引先の信頼感を失い、取引停止の憂き目にもあう。それでも一心不乱に仕事に取り組む彼らの姿は、むしろ健常者の方が学ぶべきだと思っている。知的障害ゆえに何度教えても覚えてくれない苛立ちもあるが、それ以上の根気で時に叱り付けながらでも覚えさせていく・・・ミスを犯せば生活が成り立たない厳しい側面を肌で覚えさせる。まして危険を伴う足場での作業は真剣勝負である。相棒もそれを承知で乗り越えてきた。やれば出来る、出来るまで覚えさせる、出来て当たり前の仕事を、現場でやってきた。他の職人が混ざり合う大きな現場では、その成果を見せる場面でもある。最初は相棒をバカにして笑っていた職人たちも、彼の仕事の実績を目の当たりにして笑えなくなる。「そのことを忘れるな」・・・家族に見放されて一人暮らしをしている相棒に、私はそう言って別れてきた。もう二度と会えないかも知れない。それだけ相棒は弱っていた。不況の波は彼のような最も弱い立場の人間から呑み込んでいく。何より世間の蔑視が冷たく突き刺さる。仕事の出来ない奴が彼を利用し、そして賃金も払わずに捨てたということが何度もあった。騙されても憎むことを知らない相棒は微笑むだけだったが・・・私は時に怒り狂って我を忘れてしまうことを自戒すべきなのだろう。人は弱められることでしか知覚できないことがあるようだ。マザー・テレサが餓死寸前の人々を抱き上げ、召される寸前の彼らの瞳に「イエスを見た」と言った言葉の重みを・・・その言葉が命となって心に染みとおるまでには、私はまだもがきつづけていくのだろうか・・・

2001/03/25、日曜
■番組表■(首都圏保存版)

 バイオ・テクノロージーの急速な発展によって様々な分野への応用研究が成されてきているが、ヒトゲノム計画(human genome project)のように世界的な規模でDNA解明が進んでいることで、それが「生命の解明」に結びつく糸口として推進を促す科学者が増えてきているようだ。クローン(clone)でさえ即刻に人間に応用すべきだとして、すでに試験管ベビーの適用が現実となった例をあげながら、未知の分野を恐れないで挑戦しようと訴える科学者までいる。子どもを作りたくても出来ない不妊症の夫婦の苦しみを考えてほしい、と言うのだが、それ以前に動物でのクローン実験での失敗例データがあまり重要視されていないのが気になる。特にクローン動物に顕著な肥満という傾向も、それが細胞レベルでの相互作用によって更なる取り返しのつかない問題に進展する恐れもある。単に遺伝子の解明が進んだことだけで、それが根源的な「生命の解明」になるのかどうか?も疑わしい。科学が先端を行けば行くほど、心ある生命としての温もりが失われていくような気がしてならない。それにも科学者たちは精神医学の物理的要因の研究成果を盾に反論する。鬱病の患者には脳の温度分布が低い傾向が見られる、として脳の温度を色分けして視覚的に説明し、心的な障害には脳の部分欠損など物理的な要因が作用するのだと具体的なデータで説明する。それで一般人を納得させるに充分だと思っているようだ。
 最近ではアートもバイオの世界に突入し、ネズミなど小動物の細胞を人の形に付着させて培養する試みも成されている。また通常なら左右対称の蝶の羽の紋様を、蝶のサナギの側面に刺激を与えて片方の紋様を変化させたりしている。彼らに言わせると、これはコンピューター・アートを越える歴史的な革命としてのバイオ・アートの登場なのだそうだ。突然変異の発生率は1遺伝子1世代で10万〜100万分の1という発生頻度の低さだが、これに放射線や突然変異誘発剤を用いて遺伝子に傷をつけ、突然変異体を増大させる試みはすでに行われている。これらを魚に応用したのが三倍体魚(triploid fish)で、通常は2対の染色体群(二倍体)を圧力や温度を変えて刺激を与え、3対の染色体群(三倍体)を作る。三倍体魚は生殖エネルギーを必要としないため成長が続き大きくなる。これも実用化されているが、元々は突然変異を作るための技術であったことに留意されたい。その過程においては多くの実用化にならない、すなわち奇形などの失敗例があるということも忘れてはなるまい。徹底した管理の元で行わなければならないことは言うまでもないが、ここまでバイオ技術の応用が一般化してしまえば変異体の流失も考えられよう。それが有害な変異体であれば大変なことになることはおよそ想像がつく。これまでそれに類似する事故はなかったか?発生原因の曖昧な感染病原体による社会的事件はなかったのか?そう考えていく時に思い当たること・・・今は明かされることはないが、後世において物議をかもすだろう事実が今、進行中であってもおかしくはないだろう。

2001/03/24、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 ウグイスのさえずりで目覚めた。やっと春が来たんだなぁ・・・タバコを買いに行く途中で梅の花々を眺めて歩いた。その梅の木の地面には自動車の残骸が放置されている。現代世相を凝縮したような風景だ。かつては毎年、その梅の木の持ち主が我が家を訪れ、ザルいっぱいの梅の実を売りに来ていた。母はその実を大きな壺に入れて梅干をつくっていた。塩とシソの葉を混ぜながら、手を真っ赤に染めていた。梅干が出来ると、知人や親戚に送った。そのことで喜ばれることが、母の楽しみでもあった。限られた余命を宣告された末期癌にあっても、母は梅をつくり続けようとして梅の咲く季節を待ち望んでいた。しかし、母はその梅の花の咲く季節を迎えることなく・・・死んだ。いつも梅干が入っていた大きな壺は空っぽになっている。もう母の梅干は食べられなくなった。母を思い浮かべるたびに梅干を思い出し、その思い出と共に唾液を飲み込む。ビワの木の袂で撮った一枚の写真には、末期癌で自宅療養していた痩せた母が写っている。私はその寂しげな母の写真を見るたびに胸が苦しくなる。秋になると、ビワの実を野鳥たちがついばみ、その木を三匹の子猫たちを率いた母猫クロが登っていた去年の頃・・・そんな風景も夢のように・・・季節は巡り巡ってくる。地面に落ちたビワの実の、そのタネが芽を出し、玄関に沈丁花の甘い香りが漂う季節の今、私は放心したようにただ庭を眺めている。

2001/03/23、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 前から気になっている子どもの問いかけがある。「人間はどうせ死ぬのに、なぜ生きているの?」というものだが、テレビの街頭インタビューで、これに大人たちは一様に苦笑していたのが印象的だった。つまり答えられなかった。私も答えられない。そして、これから死ぬまでその問いには答えられないと思っている。ただ、それでも「生きているだけで意味があるのではないか」という漠然とした考えは変わらない。今月11日の日誌に知的障害の相棒のことを書いたが、彼は今、介護が必要なのに一人暮らしをしている。させられている、と言ったほうがいい。彼が私と一緒に仕事をしていた頃は、その給料を家族にそっくりそのまま渡していた。仕事がなくなった今、彼は月2万に満たない生活費を渡されて暮している。彼は以前から死にたいと漏らしていたが、彼にしてみれば生まれた時から病気がちで、生きることは苦痛以外のなにものでもなかったようなところがある。去年の一月にも喉の手術をしたのだと笑っていた。彼の身体には手術の繰り返しの跡が生々しく残っている。それでも「生きているだけで意味がある」ことを納得させないことには、彼はとっくに自殺していただろう。また私は今月の日誌にシスターのことを書いたが、彼女は「生まれてきてしまった」ことで自殺を図ったことがあるという。その原因は高齢出産のために、母親が彼女を産むことに躊躇した、ただその一点にあった。この世に誕生することを親に歓迎されないままで生まれてきてしまった、ことの心の傷が彼女をして自殺まで追い詰めてしまったのだ。やがて彼女は神の僕となることを決意、その信仰生活において「生きているだけで祝福なのだ」という思いに至っている。何の役にも立たない無意味な存在としての自分なら、いっそ周囲に迷惑がかからぬように自殺してしまおう・・・とした考えも、神はそんな人間社会の都合を超越して「生きているだけで祝福される」という許しを与えてくれるのだと・・・してみれば「私も生きてていいんだ」という思いから、生かされていることへの感謝へと結びついていくような気になってくる。人間だけの都合で自殺されたらたまらない、から、死んでたまるか、殺されてたまるか、となり、今も世界の紛争地帯で殺し殺されていく人間の都合という戦争のことを考えている。しかしながら先の子どもの「人間はどうせ死ぬのに、なぜ生きているの?」という問いかけには正直、明確に答えられないのも事実なのだ。

2001/03/22、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 親猫クロのお腹が大きくなっている。新たな命の始動だ。サンが亡くなって間もないのに、クロはもう出産の準備にかかっているようだ。妹はすでに産まれてくる子猫を捨てる準備をしているし・・・何とも慌しいことである。これら猫の出産に絡む攻防戦に、私はどう関与すべきなのか?産まれてくる命にはそれなりの意味があるはずだという、私の考えは変わらないのだが・・・それを妹は無責任だと責めたてる。自分ではそれほど無責任だとは思えず、野良猫の誕生を期待しているようなところがある。先月の週刊文春2/22号に「文豪とペットたち」という写真とエピソードが載っている。これなどを読むかぎり、私などはまだ良い方だと思うのだが・・・
アーネスト・ヘミングウェイ【Ernest Hemingway 1899-1961】アメリカの小説家。「失われた世代」に属し、ハード-ボイルドの代表者。作「日はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」など。
 ヘミングウェイは晩年を過ごしたキューバで50匹の猫を飼い、仲間を殺した猫を射殺するという厳しい一面もあった。
幸田文【1904-1990】文豪で名高い父・幸田露伴を綴った「終焉」で注目され、代表作に「流れる」「おとうと」などがある。
 幸田文は、自分の猫がよその猫に苛められていると、裸足で飛び出し、猫の喧嘩に加担した。
谷崎潤一郎1886-1965小説家・劇作家。東京生れ。東大中退。第二次「新思潮」同人。「刺青(しせい)」「少年」など、耽美と背徳の空想的な世界を華麗に描いたが、大正後期から日本的な伝統美に傾倒し、王朝文学の息吹きを現代に生かした新しい境地を開いた。作「蓼喰ふ虫」「春琴抄」「細雪」「少将滋幹の母」など。
 谷崎潤一郎は、口移しで猫に餌を与えるほど溺愛したが、フグの干物を与えすぎて中毒死させてしまった。
大佛次【1897-1973】小説家。本名、野尻清彦。横浜生れ。東大卒。鞍馬天狗物や「赤穂浪士」、現代小説「帰郷」、史伝「パリ燃ゆ」など。リベラルな平衡感覚が底に光る。文化勲章受章。
 大佛次郎は、多いときで常時20匹もの猫を居候させ、生涯に可愛がった猫は500匹以上だった。

2001/03/21、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 押し堪えていた悲しみが堰を切ったように溢れ出し、止め処のない涙を流しながら嗚咽している慟哭の果てに・・・もし一筋の光が差し込むのであれば、それは命の輝きであってほしいものだと・・・まだ願望を保てる自分に驚くことがある。縁の下で朽ち果てていくだろう無惨な猫の死骸でさえ、純粋な命の輝きとしてとらえるなら、それはきっと神に召された魂のこととして昇華させていくことが出来るのではないか・・・サラエボのブルバナ橋の上で折り重なるようにして死んでいったボスコとアドミラの、その夥しい血を吸い取ってしまう大地からだって、二人の魂が一つに溶けあって昇華していった愛のかたちを・・・そこに見てとることが出来るのだろう。きっと、そうなのだ。彼らの純粋な愛が無意味であるはずがないのだ。とるに足らない野良猫の小さな命でさえ、その死を悲しむ心でさえ、無意味なものは何一つとしてなく、命を輝かせる神聖な存在に気付くことがある。天空に浮かぶ雲がみるみるうちに屹立し、いななく白馬に変身しようとも、驚くには値しない。そんな夢想をさらに解放するなら、白髪白髭なびかすゼウスの残像が正義の剣を天高く掲げているのも見えてくる。神話の世界そのものが展開される夢想のままに・・・私は自分が踏みしめる大地の息遣いを確かめよう。その大地に亀裂が走り、地響きを伴い火山が一斉に火を噴こうとも、唯一普遍の存在のことを夢想する限りにおいては、人の命もまた普遍でありつづけられるのだと・・・何もかも委ねられる寛容さを探し求めながら、心の旅を歩き出そう。

2001/03/20、火曜
■番組表■(首都圏保存版)

 サンの鳴き声が途絶えた・・・やはり全身を打撲していたのか?・・・死んだようだ・・・それを認めたがらない自分がいる・・・夢の中でサンは何度もその姿を見せている・・・なんだ、生きてるじゃないか・・・天国の空を疾走する一匹の黒猫・・・あれが「サン」なんだ・・・もう誰にも邪魔はさせないよ・・・思い切り駆け巡れ・・・私は今もお前の名を呼びかけている・・・そして、これからも・・・サンの鳴き声が私の心の中で聞こえている・・・嬉しそうに喉を鳴らしながら・・・私はいつものように濡れたタオルでお前の黒い毛並みを撫でている・・・深夜の病室で母の白髪を撫でていたように・・・おかあさん・・・覚えていますか?・・・そっちに一匹の黒猫が行きますので可愛がってやってくださいね・・・おとうさん・・・そろそろ貴方が亡くなった歳に私も近づいています・・・人生半ばにして死んでいった貴方の口惜しさを感じます・・・私もそっちに行きたい・・・それがままならぬ今、私は懐かしさだけに生きていくことにしました・・・そっと死神を引き寄せて、あの世に馴染んでおきます・・・その時になってパニックを起こさないように・・・それでも私は最期の時に慌てふためくことでしょう・・・いつも自己矛盾に苦しんでいます・・・もう応えることのないサンの名を呼びつづけながら・・・人間社会の四面楚歌の中で・・・私は今日ほど孤独をつらいと思ったことはなかった・・・

2001/03/19、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 私が「サン」と呼んでいた子猫が車に轢かれた。私が近寄っていったら逃げた・・・前足を轢かれたらしい。その場所は以前に子猫が轢かれた所だった。サンは隣の庭の片隅に隠れて出てこない。しばらくそっと様子を見ることにした。痛いだろう・・・骨折しているはずだ・・・おそらく日参しているオス猫シロに追いかけられて道路に飛び出してしまったのだろう。さっきまで私に寄り添って喉を鳴らしていたのに・・・今は放心状態で涙も出ない。日本は命が保てない、命を育むようにはなっていない、そんな気がしてならない。全ての命に寿命があるにせよ、少なくとも事故の想定されるような世の中は間違っている。母猫クロが子猫の「サン」を探し求めているように鳴いている。哀しい鳴き声だ・・・あれは何処かで聞いたような・・・
 しばらくして隣の庭に行ったがサンはいなかった。夜になって懐中電灯で探しても見つからない。折れた前足を引きずったまま何処に行ってしまったのだろう?それでもサンは家に帰ってくるはずだと、私の元に戻ってくるはずだと、信じていた。そして夜半、私の呼びかけに微かなサンの鳴き声が応えた。縁の下から聞こえるその鳴き声はかぼそく、そして悲しい声だった。いくら呼んでもサンは縁の下から出ようとせず、ただ私の呼びかけに小さく応えて鳴くのだった。私はいつしか涙声になっていた。さぞ痛いだろう、そして寒く、腹も減っていることだろうと・・・座布団とキャットフードを縁の下の出入り口に置いておいた。いつしかサンは私の呼びかけにも応えず、静かになった。いくら呼んでも応えない・・・もしや轢かれたのは足だけではなく、弾き飛ばされたとしたら全身打撲となっているはずだ・・・そんな不安に襲われながら私は子猫「サン」に呼びかける。早くこっちにおいで、足を失っても、身体が麻痺しても、オイラはお前を見捨てやしない。オイラにはお前が必要なんだ。またオイラの傍で甘えていいんだよ、喉を鳴らしながら嬉しそうしているお前を見ているだけで、オイラも嬉しくなるんだ。・・・よりによってまたあのオス猫シロがやってきて猛り狂ったように鳴いている。このシロのせいで・・・もう、いい・・・疲れた。明日は親戚の通夜だ。悪いことは重なるもので、私の愛車、折りたたみ自転車のペダルが壊れた。そして工場には車が一台もない・・・つまり仕事がない。明日は知らない、知るものか・・・ただサンのことだけが気がかりなんだ。サン、待ってるから戻ってこいよ。

2001/03/18、日曜
■番組表■(首都圏保存版)

 今朝、親戚の訃報が届いた。長患いの末の死であった。人はいずれ死ぬことは分かっていても、それを明日は我が身とはなかなか実感出来ないもののようだ。出来ることなら死はなるべく遠ざけておきたい。それでいて生きることに専念するという認識もなく、自分が生きているという生命の実感すら湧かない。たまたま病気になって、自分が生身の人間であったことを感じる時のみ、健康のありがたさを知るという範囲に留まっている。私は時折激痛で歩けなくなる痛風の持病をもっているが、それとて激痛が治まれば辛かった時のことはすっかり忘れてしまう。歩けないことがどんなに辛いことか・・・普通に歩いている今は足の存在さえ忘れたかのようである。それを戒めるかのように、私は日誌においてだけは生と死を極力取り上げてきた。自分の痛みを忘れないことで、他人の痛みもまた少しは分かろうとしてきた。それでも自分では気付かないまま人を傷つけていることがある。人間なら分かる、生身の人間なら感じる、他人もまた自分と同じ命をもつ人間として、心を分かち合うことで何とか保てる人の道というものを考えていたいものだと思う。今日のように訃報を聞いても何の感慨も湧かない自分がむしろ恐ろしい。同居している野良猫を心配するほどに、人の痛みが分からないのも考えものであろう。その自己矛盾ゆえに私はいつも悩むことになる。明後日が通夜、その翌日が告別式だという。今年は訃報が続く予感がしている。

2001/03/17、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 いつも週末になると落ち着かなくなる。以前はよく居酒屋で飲んでいたが、不景気の今はそれも出来ない。街に出れば少なくとも一万円はすぐ使ってしまう。近辺の親戚の家に行くだけでも往復4000円ぐらいのタクシー代がかかるのだから、これでは限られた生活費が足りなくなってしまう。というわけで気心の知れた友人と電話で話をするのが精一杯になる。その電話も市外通話だと電話料金が気になっておちおち長話も出来やしない。人の声というのは誤魔化しのきかないところがある。つまり顔が見えない分、声の抑揚などの微妙な変化で気持ちまで伝わってくるのは誰しも経験しているようだ。迷惑そうな声の感じを受けたら、私は二度と電話しないことにしている。CIAなどは以前から声を分析する装置で嘘発見器に応用しているくらいだ。イスラエルではすでにパソコン用ソフトとして売り出している。遊園地で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくるだけで心が休まるときがある。音の全く無い空間では人は発狂してしまうらしい。何も無いような宇宙空間でさえ実際には音があるのだという。音というより波動と言ったほうがいいだろう。人間の心臓の鼓動のようなものが宇宙にも響いているのかも知れない。どんなに泣き喚く乳飲み子も心臓の鼓動に似たリズムの音を聞かせるだけで泣き止むことも分かってきている。それはおそらく胎内で響いていた母親の心臓の音を胎児が記憶しているためではないかと言われている。それに音階が七つというのも、虹の七色に相通じるものがあるような気がしてならない。雨上がりの虹に驚きをもって眺めていた子どもの心を取り戻してみたいものだ。虹色の音に心のハーモニーさえあれば人はもっと幸せな人生を送れるような・・・そんな予兆を自然に感じていたい。

2001/03/16、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 頻繁に現れている白い野良猫を「シロ」と呼ぶことにした。今いる母子黒猫の母親が「クロ」だから、まさに「そのまま」である。仮に、これらシロとクロが結ばれるとしたら、その間に生まれる子猫は白と黒の斑なのだろうか?と考えてみた。メンデルの法則を思い出した。その法則を、モーガンが染色体上で線状に配列する遺伝子で確認し、現在のように細胞内のDNAが遺伝子の実体であることが解明されてきたわけだ。ヒトの全遺伝子を解析しようとするヒトゲノム解析も各国がこぞって競争しながら、さらにクローン人間の実現化まで考えるようになった人類のこと、人が人をも作りかねない勢いに漠然とした危惧を感じる。正確にいえば、人がその遺伝子を操作することによって作り出す新種の生命体であって、あくまでも人は人を作ることは出来ないのであろう。しかしながら、殆ど瓜二つの生命体をコピーのように作り出すクローン技術は、まさに人が命を創作出来るような錯覚に陥ってしまう。これらを人間に応用すればクローン人間の登場となるのだが、今のところ全く同じものが出来るのではないことが分かってきている。すでに不妊症の解決にクローン技術を応用しようとする動きもあるようだが、まだ未知の分野であり、その危険性も考慮すべきだろう。これまでの動物実験でもクローン化された動物が一様に太ってしまうことも判明している。その原因が全く分からない今、クローン技術を人間の応用に踏み切ってしまうには危険すぎるのではないか。たとえ外見が酷似しようとも、細胞レベルでの変異も想定すべきだろうし、当然のことながら遺伝子レベルでの一部の変異が相関的に連鎖して総体的な異変へと展開していくことも仮定しておくべきだ。西洋医学に象徴される疾患部の部分的治療や、それら疾患部切除をもって治療にあたる現代医療の有り様も再検討すべきだろう。癌治療においても早期発見が大事だと言いながら、まるまる癌疾患部だけを取り除くわけではない。それに連携する神経系統や毛細血管なども否応なく切断されるわけだし、私の母の例をあげれば、切開手術するたびに癒着と転移の繰り返しで、そのための再手術が十年以上も続いてきた。直腸、大腸、小腸と切除されながら、最後にはレントゲンで見落とされた脊髄への転移での手術の約半年後に絶命した。私の母のように腸の殆どを切除し、今度は肺に転移したという知人がいる。病院嫌いとなったその知人は再手術を拒否、漢方薬を飲みながら普通の生活に戻った。医師から数年の命だと宣告されながらそろそろ十年目になる。断定は出来ないが、おそらくその知人が手術していれば今では生きていなかったような気がしてならない。その知人の場合、漢方薬が効を発したとは言い切れないが、命の総体をもって完治に導くという東洋医学にも着目してもいいのではないか、と思うのだ。部分は総体に連結し、総体は部分に通じることの研究と応用を切に望んでやまない。

2001/03/15、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 今夜の番組アンビリバボーでは多重人格を題材にしていたが、いつも思うことはあまりに興味本位に扱いすぎやしないか?ということだ。私がこの日誌で自問自答するというのも、そういう意味では相対的な人格を創作しているし、複数の登場人物を想定して扱う小説家などはそのまま多重人格であろう。それら多重人格の原因もパターン化し、いつも幼児虐待というところに落ち着くというのも甚だ疑問だ。現代のような複雑化した人間関係においては、複数の人々の人格を理解しなければならないことでは、自分を多重に人格化する必要もあるだろう。こうして私が書いていることでも、それが自分の心の全てではなく、時間がたてば考えも変化する。つまり主体的な人格なぞ何処にもないのではないか、と思うわけだ。ちなみに広辞苑によると「人格」とは、
 (personality)(1)人がら。人品。(2)〔心〕ある個体の認識的・感情的・意志的および身体的な諸特徴の体制化された総体。(3)道徳的行為の主体としての個人。自己決定的で、自律的意志を有し、それ自身が目的自体であるところの個人。(4)法律関係、特に権利・義務が帰属し得る主体で、法律上、独自の価値の認められるべき資格。権利能力。
 だそうである。これでは何のことか分からない。「多重人格」にしても欧米あたりでは解離性同一性障害(dissociative identity disorder)、略称DIDと言うのだそうだが、突然の人格交代と交代時の主人格の記憶喪失が顕著であるとしている。それも幼児期による性的虐待がその主な要因であるとしていることは変わらない。しかしながら、分析、分類といった研究対象としての精神鑑定で、生身の人間の心を理解することは不可能ではないのか?とも思えるのだ。専門家の間でもこれら定着化しつつある幼児虐待原因説に異議を唱える者も出てきているようだ。意図的に人格を作り出す一人芝居だとする専門家もいるのだ。むろん、これとて断定するには早計ではあろうが、奇怪な出来事として興味本位に扱うテレビ番組だけはそろそろ止めて貰いたいものだ。

2001/03/14、水曜
■番組表■(首都圏版)

 我が家の黒猫母子親子を追い掛け回すオス猫は許せないと思ってきた。彼女たちは凄まじい勢いで逃げ帰ってくるのだが、オス猫たちはそのまま家の中にまで追ってくるのには閉口した。それに激怒、追い返すのが私の役目ともなっている。これが毎日続くのだからいいかげん疲れる。特に夜明け方に攻防戦が展開されることが多く、これでは眠れるものではない。オス猫に出会ったらとっちめてやりたい・・・と思いつつ、回覧版を届けた帰り道にやっとオス猫に遭遇することができた。そいつは倒産した隣の会社の倉庫裏にいた。白くでかいオス猫、水色の珍しい眼をしている。裕福な飼い主に育てながらも、何かの事情で捨てられたものと推察した。フェンス越しだったので私を見ても逃げようとしない。それを読んでいるあたり長い野良猫生活を送っているものと思われる。白い毛並みも汚れたままだ。「おい!」と声をかけると、みじめな境遇を訴えかけるように眩しそうに私を見ている。なんだか可哀想になった。よせばいいのに、後でキャットフードと母の形見の衣類をその場に持っていった。私が近づくとサッと逃げ出す。ここのところ日中は暖かいが、夜と朝が寒い日が続いている。衣類にでも身を横たえ、キャットフードで飢えを凌いでくれたら・・・と思う。そっとその場を立ち去ったが、こんなはずではなかったのだ。二度と我が家に寄り付かぬよう追い出すはずだったのに、私は自分が分からなくなった。たかが野良猫一匹、何処で凍死しようが飢え死にしようがかまわないではないか。そんな繊細な神経で会社なんてやっていけるのか?・・・友人の言葉がよみがえる。「原発が爆発しようが、戦争が起ころうが、そんなこと考える余裕なんかない。いま喰っていくことだけで精一杯なのに、他人のことなんか考えられるもんか」、してみれば、よりによって野良猫のことなんか心配している私は何なのだろう?

2001/03/13、火曜
早朝雪あり
■番組表■(首都圏保存版)

 黒猫ヤマトの宅急便が荷物を自宅まで取りに行くサービスを始めたそうだが、便利な世の中になったものである。私は今年の初夏あたりに自転車旅行を計画しているが、目的駅周辺の宅急便会社宛てに荷物を送るサービスを利用すれば、自分だけ身軽に電車に乗って行けることになる。後は到着駅から宅急便会社に自転車を取りに行くだけで済む。ヨーロッパの某国では貨物列車に自転車を積み込むという無料のサービスがあるらしい。私は時折足の故障に悩まされるので自転車は欠かせない。数年前から自転車旅行を計画していながら、突然痛風の発作に襲われるというアクシデントで実現できないでいた。最近では発作の予兆を感じ取り、事前に予防処置をすることも可能になった。今年は何とか自転車旅行が出来そうだと今から楽しみにしている。考えるだけでも楽しい。とにかく貧乏旅行になることは覚悟して、とりあえずテントなどの装備を準備したいと思っている。目的が決まれば、貧乏など苦になりはしない。ために冷蔵庫の中が空っぽになったのを、さすがの妹も驚き、心配しているようだ。味噌とご飯だけでしのぐつもりなのだ。新品の自転車を購入するためにはそうするしかない。つらい時には自分の空想癖を大いに活用している。黒猫ヤマトの宅急便のコマーシャルに、うちの黒猫親子がデビューすることになり、私にはそのギャラという思いがけない大金が入り込む、なんてのも面白い。彼女たちのためにホームページも作ってあげよう。鳴き声なんかも入れちゃう。空想は現実とのギャップが大きければ大きいほどその効果は絶大なものがある。口の悪い友人には「病院に行ってこい」などと言われるのもしばしばなのであった。

2001/03/12、月曜
■番組表■(首都圏版)

 「は〜い、お疲れさま!」・・・パッと照明がつく。私の人生で出会った人々の顔、顔、顔・・・みんな笑顔で私を囲んでいる。「あっ、父ちゃん、母ちゃんだ」、死んだはずの両親が笑顔で私に近寄ってくる。「夢じゃないよね?」、父が笑って言う。「人生という夢は終わったんだ。ここからは終わりの始まりなんだ」、そうか・・・私は死んだっけ・・・「待ってたんだよ」母が涙声で言う。長かったようで、短い、そんな人生という夢が終わって再びこうして両親に巡り合えるとは・・・こんな嬉しいことはない。私は親不孝という役柄を演じ、最後にはそれを悔いながら孤独のうちに死んでゆく・・・それが私という役だったわけか、はは・・・な〜んだ、そうだったのか!ところで私が死ぬ直前までやっていたインターネットはどうなるんだろう?確か、私はキーボードを打ちながら突然の心臓発作を起こしたはず・・・「それでオマエは死んだんだよ。ほら、あそこにオマエのホームページが見えるだろう。掲示板では大騒ぎしているのが分かる・・・ここ数日、どきゅめんと日誌を更新していないから皆心配しているんだ」、私は慌てた「じゃあ、もう戻らなくちゃ」、「それがダメなんだよ」・・・なぜ?「だってオマエは死んだんだ。戻れないんだよ」・・・そ、そんな!それじゃ、生き返してくれ。「それが出来ないんだ」・・・ここの責任者は誰なんだ?このシナリオを書いた責任者は・・・私の人生が、私の自由にならないなんて、不公平じゃないか?!そりゃこうして両親に会えたことは嬉しいよ。でも、あっちの世界にはやり残したことがいっぱいあるんだ。流血の中東情勢だって、途中でやめるわけはいかないんだ。毎日せっせと整理してきたのに・・・どうしてくれるんだ?ここの責任者を呼んでくれ!何とか交渉して、シナリオ書き直してもらわなくちゃ・・・心臓発作を起こした私は、そのまま仰向けに倒れて後頭部を強打し、そのショックで再び心臓が動き出したとか・・・救急車の中での人工呼吸で息を吹き返したとか・・・チーン!・・・なんの音だ?「オマエの通夜が始まったんだ」、え?私はここにいるのに、どうして?そんな、バカな・・・なんてこったい・・・

 う〜む、真に迫る今夜の日誌だな。ゾクゾクしちゃうね。恐いくらいだ。これも私の死に対する恐怖心の表れかもね。その恐怖心を払拭させたいがための創作なんだ、きっと・・・

2001/03/11、日曜
■番組表■(首都圏版)

 一昨日書いたところの相棒のことが気になっている。奴は生まれたときから病弱だった。医者は二十歳まで生きられるかどうか、と思っていたらしい。大手術を何度も繰り返した。そのたびに周囲は奴の短い生涯を想像して気の毒がった。私の父もそんな中の一人だった。確か奴の手術の前夜だったと記憶している。事務所にいた父が「あれも可哀想な男だ」とポツリと呟いたのだった。その父が死んで、奴は今も何とか生き延びている。奴の両親もまたすでに他界した。その時、奴は一年間ぐらい放心状態だった。死にたい、と漏らしたこともあった。それを心配して私は奴を飲みに連れ出し、歌を歌わせた。歌にならない歌に周りの客はし〜んとしたが、私は一人で拍手しながらはしゃいだ。しかし、それも奴の兄妹に注意され、奴は会社も辞めさせられて一人暮らしとなった。それが今まで続いてきたというわけである。とにかく兄から、私には「会うな」と言われているらしい。悪い遊びばかり教えるから、であろう。私は悪い奴なのだ。それでも奴には誰にも引けをとらないぐらいの仕事は覚えさせてきた。何処にいっても喰うに困らないだけの仕事は教えてきた。しかし、この不景気では覚えた仕事も生かすところがない。何より、奴の家族が仕事をすることを許さず、一時は施設に入れたこともあった。ところがそこは重度の障碍者の施設で、驚いた奴は数日もしないうちに逃げ帰ってきた。それでも家族の誰ひとり奴を引き取る者がいず、結局は今の古い市営住宅で暮すはめになったというわけだ。病弱なうえにご飯に味噌汁をかけただけの生活をしていれば先が見えている。これまで幾度か私が引き取ることを考えたが、その都度、奴の家族から反対されてきた。思えば私のような他人が口を差し挟むこと自体間違っているのだろう。あのままでは確実に奴は弱っていくだけだ。それを知っていながら何にも出来ない自分が歯がゆい。何のためにこの世に生まれてきたのだろう?いつか奴はそんな意味のことを呟いたことがあった。どんな汚い仕事でも嫌がらずやってきた奴の仕事振りは、相棒だった私がよく知っている。帰りがけに「オマエはもっと誇りをもっていいんだ」と奴に言ってきたが、ただニコニコするだけの奴にどれだけ私の言わんとすることが伝わったか、甚だ疑問だ。その屈託のない笑顔に、奴はやっぱり神さまだと、いつも思うのだ。

2001/03/10、土曜
■番組表■(首都圏版)

 「人を壊してみたかった、人を殺してみたかった、人の内臓を見たかった」と言って犯罪に走る少年、そんな少年たちの凶悪犯罪に厳罰をもって対処しようとする大人たち・・・しかし、その大人たちも「そろそろ子どもを作ろうか」とか「いや、車を買うほうが先だ」とか何気なく言っている言葉の本当の意味に気付かない。人は命を作ることはできない。人智を越えたところの命の誕生を、大人はモノを作るように無意識にでも言うことの潜在的な危険はないのか?大人によって「作られた子ども」が、やがて「人を壊してみたい」と思う。つまり、親も無意識に子どもを「命」としてではなく「モノ」として考えている限り、「モノ」として育てられた子どもが、やがて少年となってモノとしての人を「壊してみたい」と思うことに矛盾はなくなる。そんな言葉の根源的な問いかけをシスター渡辺和子女史(ノートルダム清心学園理事長)が語っている。言葉に命がある、心がある、生きている言葉として考える時、安易な言葉は使えなくなる。してみれば私は何と乱暴な言葉を使ってきたことか。最近の医学でも胎児は産まれる以前にも、腹水に浸りながら両親の言葉を聞いていることが分かっている。口喧嘩をすれば、その内容を理解しているかのように胎児は身をよじる様相を示す。心が休まるような音楽が流れていれば、胎児もまたゆったりとするのだそうである。シスターの言葉は単に一時的な気休めではなく、まさに現代医学がそれを証明しているということになる。時として人は言葉という暴力でもって相手を傷つけ、相手を自殺にまで追い込むことすらある。迂闊に乱暴な言葉は使えないものだと、私などはつくづく自戒せねばならぬ。人間が本当に元気になるときには、そうした何気ないことに気付かされるときなのかも知れない。
 余談だがシスターの父君は陸軍のお偉いさんらしく、2.26事件の際にシスターの目前で射殺されたのだそうである。ちと後で調べてみたいと思う。
関連サイト
ノートルダム清心女子大学

2001/03/09、金曜
■番組表■(首都圏版)

 親猫クロが妙な動きをしている。直感的に出産場所を探している、と思った。まだクロのお腹は大きくはないが、連日のオス猫の攻勢に夜も眠れない鳴き声が響いていたから、分かる。妹は今から産まれるだろう子猫の処分を警告している。川に投げ捨てるのだという。私は反対した。自分の食費を削っても育てるつもりだが、妹のヒステリックな声に黙るしかない。これまで毎日野良猫と暮してきて、誰にも懐かない猫が、私の声ひとつで私だけには寄って来るようになっている。私が歩くたびに野良猫の親子が付いて来る様子に、さすがに妹も驚き、笑い、そして苦笑する。また野良猫が産まれたからといって、私には捨てられるものじゃない。子猫が車に轢かれていた時にも、私はその遺体を直視できなかった。前夜まで可愛がっていた子猫を想うばかりに・・・自分が情けないとも思う。野良猫のことぐらいで大袈裟だと言われようが、私には野良猫たちが家族同様なのだ。保健所に頼めば薬殺してくれると、野菜を売りにくるオバちゃんが言ったときにも耳を塞ぎたい気持ちだった。中学生の頃だったか、いつもの通学路に三匹の捨て猫がいた。そこを通るたびに私は耳を塞いで通った。哀しい子猫の鳴き声がたまらなかった。ある日を境に、その猫たちの鳴き声がピタリとやんだことがあった。数週間後、私はどうしても気になって草むらを掻き分けて子猫を探した・・・そして、そこに白骨化した猫の死骸を見た。私は自問した。なぜ助けてあげられなかったのかと・・・猫の生涯は短い。しかし彼らが産まれてきたには何かそれなりの意味があるはずなのだ。そう思う気持ちは大人になってからも少しも変わらない。いや、むしろ母が死んで以来、さらにその思いは強くなっているようだ。猫なんか可愛がるより、お嫁さん探して可愛がったらどうなの?と妹に言われつづけてきたが、すでに遅い・・・私にだって好いて好かれた恋愛の時期はあったのだ。事情あって別れなければならなくなった、つらい思い出があるんだ。この前、かつて一緒に仕事していた知的障害をもつ相棒に会いに行った。悲惨なものだった。彼は家族に見捨てられていた。外に出られぬくらい弱ってもいた。それでも誰を恨むでもない、いつも微笑を絶やさない神さまみたいな奴だ。食事時、彼はご飯にストーブで沸かしていた湯をかけるとたちまち食事を終えた。それだけか?・・・うん。彼の屈託のない笑みに私はいえ知れぬ痛々しさを感じた。いつもは味噌汁をかけて食べるのだと笑っている。ただ本人は辛いとも思っていないようだった。それを見ている私の方が辛くなっている。思えば私も見捨てられたようなものだ。相棒との違いは自分の意志でそうしているかどうかの相違にすぎない。妹が子猫を捨てるような場面になったら、私も猫と同じに捨ててもらいたいものだ。さあ、これから私も野良猫だ。捨てられていい野良猫が私なら、捨てられないエゴのために自滅していく人間どもが見えてくるというものではないか。
 「らんだむ創作のおと」・・・読まなくても読んでも、書かなくてもよかったような心のつぶやきです。

2001/03/08、木曜
■番組表■(首都圏版)

 このまえの自己主張の反応がまた新たなトラブルを予兆させて返ってきた。因果応報とはこのことだが、予想していただけに冷静に受け止めているが・・・トラブルを避けるためには自分が我慢するしかない。自分が我慢することでトラブルが防げるならそうしたい。そうすべきだ。ただ当初から何も理解してもらえなかったのかと、それが悔しいだけだ。何度かこちらが折れて和解の場を設けたりしてきたが、それがかえって相手を増長させただけに終わったことも口惜しい。心ある人間なら理解できるはずだと、分かってもらえるという思い込みも甘かったと、そこまで来たらホントのところ話にならない。それをまた我慢して自分の心をねじ伏せようとしている・・・私は何なのだろう。ええい、面倒だ!と、ぶち切れたまま相手に向かっていきたい衝動を抑え、喉を撫でられて嬉しそうに眼を細めている黒猫に「猫だって人の優しさが分かってくれるのに、なあ・・・」と語りかけている。自分の犯罪を問われて「謝ればいいんだろ」と居直る人間の類いのことである。泥棒の現場を見られて「返せば文句ないだろ」と言うのと酷似する類いのことである。それで済むと思っている狡猾な心には、それで済まさないための意思表示が必要だ。だが、そのための意思表示も相手に通じなかったとしたら・・・そこのところで足踏みしている今の私はもはや限界なのだ。その限界をさらに押しのけて自分に我慢を無理強いしている。よく我慢したな・・・かつて母がそういってくれた日のことを忘れてはいない。屈辱に耐えていた夜のことであった。今の私にもう一度、そんな母のねぎらいの言葉があったのなら・・・その母も今はない。こんな夜は孤独が身に染みて痛い。

2001/03/07、水曜
■番組表■(首都圏版)

 中東情勢が俄かに緊迫してきた。イスラエルとパレスチナの動向は目の離せないものがあり、これまで私は転載文に現場写真を貼り付けて、より臨場感を持たせようとしてきた。それは日本のマスコミや政府が中東情勢をあくまでも対岸の火事としかみていないことへの反感もあった。中東に殆どの石油を依存している日本にすれば対岸の火事どころではないはずだ。そして、ここにきてエジプトがイスラエル軍に対して警戒態勢をとったことから、中東情勢はさらに具体的な展開を示し始めたと思っている。つまり、紛争から戦争へ、アラブ周辺地帯を巻き込む中東全面戦争への予兆のことである。ただならぬものを感じるのだ。すでに合衆国の駐イスラエル大使は「パレスティナ情勢の不安定さは、更に劇的な展開を迎える非常に真剣な可能性を孕んでいる」として戦争の脅威を示唆し、エジプトはそれに呼応するかのように「我々は戦争準備を完了した」と宣言しているのだ。イランもまた「勝利-9号」というペルシャ湾での統合演習を終えたばかりだが、その目的とするところは中東戦争を視野に入れたものであってもおかしくはない。むしろ、そう考えるべきかもしれない。また今月初頭にはイスラエルがパレスチナ人への大規模攻撃を示唆していることから、それらが火種となる可能性は十分に考えられることだろう。日本のマスコミは相変わらず中東情勢には関心がないようだが、たまには総力取材で徹底検証しても良さそうなものだ。ちっぽけな島国の中で芸能人のスキャンダルをスクープなどと言っているようではなさけない。

2001/03/06、火曜
■番組表■(首都圏版)

 今月の支出は多い。借地の値上げは動かないものとみていい。およそ倍。これらの厳しい条件下でやっていく自信はあるか?自問自答の日々が続いている。今後の経済動向も加味しなければならぬ。むしろ、そのことが決定条件になるやも知れぬ。三月危機説が頭をよぎる。すでにその徴候は出ている。親会社は大丈夫か?親亀こけたら小亀もこける。自然の中で、山に問い、河に訊き、空をあおいでみても何も答えはしない。妹が地主への借地代支払いの承諾を求めてくる。およそ一ヶ月間の考える余裕はある。決断を急ぐことはない。じっくり考えるんだ。私が判断を誤まれば全てが無駄になり、不況風の吹きさらしにさらされる。大海の荒波に漂う木っ端のようなもの・・・それでも浮いていなければ・・・仏壇の位牌ふたつ・・・両親の労苦がこの小さな会社には染み込んでいるんだ。雇ってほしいとの突然の電話、再就職の悲痛な願いにも応えることが出来ない。許してくれ、勘弁してほしい、こっちも火の車なんだ。それでも生きることに疲れたらおしまいだ。まだまだ・・・死んでたまるか、末期癌の母の言葉がよみがえる。まだ風が冷たい・・・春はまだか?

2001/03/05、月曜
■番組表■(首都圏版)

身近な郊外に秘境を見る
 我が家からそんなに遠くない場所に、こんな絶景があるとは知らなかった。その場所で私は河の流れの音を聴きながら半日を過ごした。以前から地図を眺めてはマークしていた場所だが、実際には想像以上の絶景だった。秘境と言い換えてもいいだろう。民家からたった50メートルぐらいの杉林を通り抜けると、その場所はある。ひとりも人はいなかった。眼前に押し被さるように垂直の山が現れる。そして花崗岩の巨大な岩石と、それを縫うように河が流れ、川面に反射する光の乱舞にしばし呆然としていた。その光景はまさに山河の象徴そのものだ。岩肌を見ると、今にも崩れ落ちそうな巨石がいたるところに顔を覗かせている。これまで地震のたびに幾度か落石があったことが偲ばれる。たとえその落石にあって私の肉体が押し潰されようともかまわない、といった奇妙な感覚にも囚われた。それだけ私にはインパクトのある場所だった。なぜもっと早く来なかったのかと悔やまれる。今は枯れ木ばかりの山も、春から夏へと季節が移ろいゆく毎に、この辺一体は緑に覆われることだろう。そして秋の紅葉もまた素晴らしい彩りを添えてくれるはずである。素足で河の浅瀬を歩いてみたが、まだ皮膚を刺すような冷たさだった。人がこうした自然と向き合うときには、心がそのまま言葉になることも何となく察知できた。そうして、今まで人間社会の巷で悶々として悩んでいたことも、ここでは無意味であり、人間の知性を凌駕する否応のない神秘の存在をも知覚できるような気になってくる。自然はそのままにして神聖なのだと・・・見上げる空の、雲間に見え隠れしている太陽の光に見入っていた。もっと上流に行きたかったが、まだ冷たい河の水にそれを遮られた。再び杉林を抜けながら、下流に近づく度にゴミが増えていくことにも気付かされる。民家の下水が流れ込み、その清い水も濁っていく。堤防を歩く頃には自転車が投げ捨てられ、ビニールやプラスチックが浮いているのを見ることになる。河が人間集落の中心に近づけば近づくほど、汚されていくのがよく分る。それでもこの河は地域住民たちの定期的な清掃によって綺麗に保たれているほうである。天気が良ければ、また明日もこの河の上流へと遡ってみたい。ただ黙って山河と対座しているだけでも嬉しくなる心の高揚は、人間もまた自然の一部であることを暗示させるものなのだろう。

2001/03/04、日曜
■番組表■(首都圏版)

 黒澤監督作品「用心棒」で、枝を空高く放り投げて、落ちた枝の方向に歩いていくという素浪人の冒頭シーンがあった。気ままに旅をするという、そのことだけで次に何が待っているかは知らない期待感もある。映画の主人公のように、自分も人生の主人公として道を歩いているとの実感も現代では得がたいようだ。ましてその道を自分で決めることすら難しいのではなかろうか。自分の歩いている道の土の感触を味わいながら、歩一歩地面を踏みしめていく・・・それを私は明日から実行する。いつも歩いている道から、ちょっとだけ外れた脇道を目指すのだ。そこが何処へ続くのかは知らない方がいい。宛てのない旅路への門出だ。自分でオニギリを作って、ザックを背負い、折りたたみ自転車を組み立て、夜明け前の道に飛び出すんだ。もう誰も私を止められない。そんな道を人生に例えたなら、それは人間社会から外れた転落への道行きだと思われかねないだろう。そんな分別臭い世間ともおさらばだ。世間体ばかりの偽善にはもうウンザリなんだ。自殺をしたくなったら自然の只中に飛び込むしかない。自分を殺す以上に自然はもっと寛大であり、そして厳しく人の命を締め付けてくるはずだ。人間社会に息苦しさを感じたまま我慢することはない。大自然に身を委ね、心も命も委ねながら、自然でしか生きられない自分のことも知ることになるんだ。その死でさえ自然だけは飾らない厳粛さで包んでくれるはずなんだよ。

2001/03/03、土曜
■番組表■(首都圏版)

 私は何を悩んでいるのだろう?表立った理由は金銭的なものに起因しているが、実際には人間への不信感がその本当の理由だ。そこから始まって最後には自己不信に囚われる・・・いつものパターンだ。うんざりするほど、こんなことを繰り返してきた。神さまでもあるまいし、些細なミスや人間的な至らなさに悩んだところで何になるというのだ。まして他人への不信感を抱くほど、私は自分がどれだけ潔癖だと言えるのだろう。二日にアフガニスタンのタリバンがバーミヤンの二大仏の爆破を宣言して以来、とうにまる一日が過ぎてしまった。破壊された無惨な石仏の瓦礫が見えるようだ。昔々・・・インドのひとりの若者が出家して苦行の果てに掴んだもの・・・世界で自分ほど極限の苦行を重ねた者はいない、としながら、それでも悟りを得られなかった若者はついに苦行を放棄する。苦行の果てに待つものは肉体の死であり、その瀕死の修行僧を救ったのが村娘スジャータの乳粥だった。そして生気を取り戻した若者が菩提樹の元で瞑想に入ったとき、永遠無き実体を会得しながら悟りの境地を開く。これが悟りを達成した者「仏陀」として、やがてはシルクロードを通じてアフガニスタンのバーミヤンに伝えられた・・・ここではイスラム教との対立はなかったようだ。その証拠として巨大石仏が現代まで遺され、残念ながら今日イスラム原理主義集団タリバンによって爆破されたわけである。この事件は仏教界においても歴史的な事件として記憶されるであろうが、もとより現世に永遠の実体なぞ存在しないと宣言した仏陀のこと、その仏陀の造形物を人類がいかに破壊しようと何ら影響があるわけではなかろう。そこにあるのは救いようのない怨念を繰り返す人間社会の地獄絵図だけだ。その地獄に慣れ親しむあまり、地獄を地獄とも思えない不幸のことのほうが深刻ではないのか。そうしてみると、日々の生活において心の地獄と向き合うことのない、つまり苦しみから逃れようとしている自分が浮き彫りになってくる。逃げて逃げ切れる場所なぞ何処にもない、まして自分の心から逃げ切ろうとすることの愚かさよ・・・そんな愚かな私が勝手に仏陀を想像し、勝手に解釈しながら何とか自分を納得させようとしている。これとて偽善に過ぎないのではないかと・・・破壊されたバーミヤン二大仏の瓦礫のイメージに自分の心を見ている。

2001/03/02、金曜
■番組表■(首都圏版)

自分に投げつけられた非難の礫を持て余し・・・閑散とした夜の街を彷徨った。
許してくれない非難以上に、自分で自分が許せなくなることの地獄の方がつらい。
誤解だと説明するにも疲れたら、一杯の冷酒を喉に流し込むんだ。
空に星があるように、浜辺に砂があるように、ボクの心にたったひとつの・・・
小さな夢がありました・・・・マイクを握って歌っている今夜の自分の心・・・・
ひとひとひと、その顔、その眼、私の歌を聴いている人々の心、心、心。
こんな賑やかな店内にあっても、私の心はいつもひとりぼっちだ。
何もかもまわりは消えてしまったけれど、ボクの心のたったひとつの・・・・
小さな夢も消えました・・・・みんな、さようなら。そして、ありがとう。
再び寒風吹く夜の街路地へと漂いながら、何故か自殺した級友の顔ばかりが浮かんでいる。
つらかったろう・・・オレもつらい。生きている今が、オレにはもっともつらい。
死ぬまで生きていることに疲れているんだ。そっちは居心地いいかい?
たったひとつの小さな夢って何だろう?心のこと・・・命のこと、愛とか・・・
思考が途絶えたら、それで私は死ねると思う。
何も考えることが出来ないくらいに絶望したら・・・それでも生きていたいとしたら・・・
それはきっと愛とかのために、未練がそうさせているのかも知れないよ。
そして、目覚めたら空っぽの財布、という現実が、今の自分をさらに自覚させているんだ。
地代の、給料の、値上げという要望が今の私を追い詰めていることだけは確かだ。
人生に吐き気がしても、何も吐けないくらい心が空っぽなんだよ。
それでも生きていることを許してくれる神様に、ありがとう。さよならは言えないくらい・・・
あなたの存在は残酷に、大きくのしかかっているんだ。

2001/03/01、木曜
■番組表■(首都圏版)

 そろそろ商売の節目に差し掛かってきたようである。存続するか、やめるか・・・地主の借地契約仲介者を前に一ヵ月後の決断を迫らた。その時の雑談で、隣の会社社長が大金を持って逃亡したことを聞かされた。例の倒産した会社のことである。バカヤロウが・・・迷惑かけた分、土下座して謝罪すべきだろうが!・・・思わず激怒して仲介者を驚かしたようだが、実にやりきれない。愛人に子供を産ませ、先妻とは離別、その愛人の子供を後継者に仕立て上げるという目論みも崩れ、あげくにドロボーと成り下がったこの老獪な社長に腹が立っている。今年の正月に、奴の倉庫にレッカー車が突っ込むという事故があったが、今思えばそれも単なる事故ではなく、恨みによる事件だったと思い知る。大晦日から正月にかけて正面には門松が立てられ、照明も煌々と付けられていた。どこから見ても倒産する会社には見えないし、それもまた演出だったのだ。計画倒産だ。このクソ社長、おそらく日本にはいないだろう。本人はそれで済むだろうが、奴の親族に対する世間の風当たりも尋常ではないはずだ。そんな話のついでに、私の同業同級生の死が自殺だったことも知った。やっぱり・・・原因は莫大な借金苦、当の同級生が生前に話していた言葉を思い出す。「銀行が手のひらを返すように融資を渋ってきた」・・・それが直接の原因だと思い至る。それに恐喝まがいのことも話していた。業界の闇に暗躍するウラの紳士たちのことだ。バブル絶頂期の大手銀行と彼らの腐れ縁は、何千億という使途不明金がウラ社会に吸収されるという結末となった。今度はそのウラ社会が力をつけて公然とオモテ社会に出てきている。我が子が有名企業に就職できたと喜ぶのもいいが、その会社の前身が元々ウラ社会の企業であっても不思議はなくなる。舎弟企業というやつだ。これが日本の実態だ。こうした実態にはマスコミも口を閉ざすしかなくなるはずだ。何故ならマスコミのスポンサーが彼らとなるからである。そして全ては合法的(?)に事は進められて行くだろう。何事も無かったように・・・季節は巡り・・・人々の忘却ゆえに表層的な平穏はつづくであろうが・・・こんな時だ「ドカンと、戦争でも始まればいいんだ」と、友人が腹立ちまぎれに言った捨て台詞が効果をもたらすのは・・・過去の大戦もそうした民意の不満の爆発と共に起こってきた。そして何が残ったか・・・累々たる人類の血の連綿と、戦争ビジネスで肥え太った財閥のさらなる陰謀ではなかったか・・・歴史は繰り返すことの人類に未来はない。言い換えれば、戦争を繰り返す人類に未来はない、ということだ。パレスチナでの犠牲者を毎日のように列記してきたが、最近ではそれが追いつかないほど犠牲者が増えてきている。「流血の中東情勢-2001」には載せ切れなかった二枚の写真がある。権力者たちが笑顔で握手している瞬間にも、名も無き貧しき人々の血が流されているという、その一点をおいても、仕組まれた戦争の真実が垣間見えてくるはずなのだ。


【2001年2月の日誌】
今月作成した関連ファイル
口蹄疫 CM-流血の中東情勢 バルカン紛争地図
ロシアvsチェチェン情報 エルサルバドル裏面史 中東情勢戦略図、イスラエルとレバノン国境
アラブ・サミット-2001/03