2001年4月

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●流血の中東情勢-2001 ●世界の王室・動向 ●バチカン動向 ●インド動向 ●コンゴ動向
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2001/04/30、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 今夜のNHKテレビ番組【地球・ふしぎ大自然スペシャル 「南極・氷のミステリー」追跡】は面白かった。というより考えさせられた。南極の皇帝ペンギンは他のペンギンとは違い、最も寒い場所に住み、それも冬に卵を産む。暖かい場所を好む普通のペンギンたちは、その子どもたちが歩けるようになると、鳥に襲われ、肉食アザラシに食べられるという悲劇が待っている。これに対し、皇帝ペンギンたちは外敵の殆どいない極寒の場所ゆえに、安全に卵を産むことができる。ペンギンの母親たちは卵を夫に預けると、四ヶ月間は海に潜って餌を獲りつづける。ペンギンは胃袋に餌を長期間貯蔵できるようになっていて、ペンギンの父親はその餌を雛に与えながら温めつづける。餌が全く無くなると、自分の胃袋の内壁を剥がして与える。こうして四ヶ月間のペンギンのお父さんは何も食べずに雛を守り、妻が帰って来るのをひたすら待っている。四ヵ月後にお母さんペンギンが餌いっぱい貯めた大きなお腹を滑らせて帰ってくると、今度はお父さんペンギンが雛に餌を与えるために海に潜っていく。まさしく究極の子育てである。雛に餌を与え、子育てのためだけに生きている皇帝ペンギン夫婦には、むろん夫婦喧嘩をする暇はない。人間のように、と付け加えたいくらいだ。しかし、ここでも本当の安全はない。いったん雛のペンギンが親の腹から外に出てしまうと、すでに雛を失った多くの他のペンギンたちが自分の雛にしようと押し寄せてくる。その間に極寒のために雛は凍死する。悲しい命の定めがここにもある。それでも季節は何事もなかったように巡り、多くの命が生まれては死んで、そしてまた生まれていく・・・我が家の黒猫クロも、心なしかお腹が大きくなってきたようだ。たった1年で三匹の子猫全てが死んでしまったことを考えると悲しいが、新たな誕生は考えるだけでも嬉しくなる。

2001/04/29、
マケドニア兵士8人がコソボ国境付近銃撃戦で死亡【写真】
■番組表■(首都圏保存版)

 4月もそろそろ終わりを迎える。この一ヶ月間何をしてきたのか?それを考えると心苦しくなる。車両部門の方はともかく、建築部門は全く進展がなかった。それがここ数年間続いているのだから、今さらと思わぬでもない。それでも自責の念にかられ、一時的に落ち込むときがある。今もこの時点で日誌をキーボードで打ち込んでいるが、顔を上げると両親の遺影写真が否応なく目に入る。そのたびに心の中で「許してね」と謝っている。最近では口に出して謝るようになった。独り言が癖になってしまったのだ。私には三人の親友と呼べる同期生がいたが、うち一人は避けるようになってしまい、今は二人の友と連絡をとりあっている。大宮の友人と、地元で老人介護をしている友人の二人だ。今日は老人介護をしている友から電話があった。いま彼は糖尿病を宣告され、食事療法をしている。85キロあった体重が65キロに減ったのだという。久しぶりに出会った知人が、彼を見間違えたそうだ。それだけ痩せたのだと、「オマエも俺を見たらびっくりするぞ」と電話口で笑っていた。かくいう私も前より痩せてきている。彼は私に「喉が渇かないか?」などと訊ね、糖尿病ではないかと心配している。私の場合は不規則な生活が原因で、朝食と昼食分まとめて夕食に摂取していたりする。さらには意図的に少量の食事をとることもある。満腹してしまうと体調が悪くなるのだ。それだけ胃腸の分解能力が低下しているせいだと勝手に解釈している。持病が影を潜めているだけでもありがたい。いつもながら友には感謝する。「元気か?」という電話が来るだけで元気が出る。「調子が悪い」などと言おうものなら即刻車で駆けつけてくれる。一見して恐モテのする風貌だが、老人介護に転職するようになってから気味が悪いほどやさしくなった。彼はよくスケッチに誘うが、それも学生時代の私が絵画で金賞を張られたりしていたせいだ。オマエは絵がうまかったなぁ、などと言うので、もう上手な絵は描かないと断りつづけている。心から描きたいと思うときまで、絵筆を握ることはないだろう。それでも最近では何故か雑草だけはスケッチしてみたいと思っている。

2001/04/28、土曜
■番組表■(首都圏保存版)
朝まで生テレビ・パネリスト写真
小泉純一郎親内閣発足
相棒のアパートに行って来た-3
 大宮の友人に相棒のことを話したら、さっそく「カンパしたい」と申し出た。有り難い申し出だが、それが出来ないのだ。そんなことをしたら彼の実兄に全て取られて、かえって相棒が叱られるだけだ。私の場合はバスの時刻表の裏にカネを隠し、画鋲で止めてきたぐらいである。つまり彼の財布は兄にチェックされるというわけだ。そのことを説明したら「まるで鬼だね」と呆れていた。いまどき小学生でも千円ぐらいの小遣いは貯金しているはずだ。一昨日訊ねたときの相棒の所持金が百円玉数枚しかなかったことでも、その酷さが分かる。どうしてもカネを渡したいなら、私のように見つからない場所に隠して、そして相棒に隠し場所を覚えてもらうしかない。彼の部屋には電話ぐらいはあるが、何故かいつもタオルが被せてある。私がちょっと借りようとしたら「ダメだ」と言う。「兄ちゃんに怒られる」と怯えているのだ。よく訊いてみると、その電話は家族か兄との連絡用しか使わないよう、念を押されていたのだった。しかも彼にも自室の電話番号は分からない、つまり教えられていないのだ。外に出ることを禁止されている彼は(玄関先から30メートル先にある小さな店は例外として)、外出先から自宅に電話する必要もない、という彼の兄の判断である。なんと知恵の働く兄だろうか。かくして友人の思いやりも、相棒を取り巻く家族のバリヤーによって跳ね返されるのだ。信じられない、という大宮の友人に、ただ私は「一緒に奴のところに行けば分かる」としか言いようがなかった。そのとき、私の言ってることが決して大袈裟ではないことを、友人は見て、そして納得するに違いないのだ。明日の日曜日にも彼は昼夜を問わず自室に居ると100%断言できる。私にはそのことが彼の意志でない限り、監禁されているとしか思えないのだが・・・考えすぎだろうか?彼が外に出られるとすれば救急車で運ばれるときか、または霊柩車が迎えに来るときぐらいだろう・・・そんな笑えない冗談すら言いたくなるが、ほんとに冗談ではないのである。

2001/04/27、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

相棒のアパートに行って来た-2
 相棒が悩んでいる勧誘の一件で電話局に電話した。ところが苦情処理を受ける係は排除されたのだという。では、どこに相談すればいいのか?と訊ねたら、分からないという返事・・・とにかく事情を説明してみたが、結局は相談に乗ってもらえなかった。冷たいものだ。人間なら分かってくれるはずだと思っていたのが甘かったようだ。このまま引き下がるのは悔しい。人権センターなるものを探して相談するつもりでいる。相棒の話では、何度か倒れたこともあると言っていた。運良く兄に電話して救急車を呼んでもらって助かったらしい。しかし、発作などで意識不明になれば電話もかけられないはずだ。一人暮らしの彼にとってそれは致命的だ。それが分かっていながら家族のものは誰一人対応しようとする者はいない。一週間に一度様子を見に来て2000円ぐらいのカネを置いていくだけ・・・冷蔵庫には缶詰しかなかった。近所でも噂になっている。噂をするだけではなく、昔の長屋のように食事の残り物を融通しあったりぐらいは出来るはずだと思うのだが・・・所詮は他人ということなのか。人の良い相棒はよく騙される。そのことを知っている家族は、相棒が外に出ることを禁じている。しかし、今はかなり弱ってきていることから、やはり介護が必要なのだ。それを阻んでいるのが彼の兄で、福祉の保護を受けることを世間体が悪いと拒否している。今のままではもっと世間体が悪いことに気付こうとしない。そんな彼の元には某宗教団体しか来なくなった。仏壇を買ったと喜んでいる。3000円ぐらいの安いものだが、彼にとっては痛い出費であるはずだ。買わせられたのではないか?と疑いたくなる。不況の中で失ったものはカネだけではなく、互いに人を思いやる人情もまた失ったように思えてならない。

2001/04/26、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

相棒のアパートに行って来た
 あれから一ヶ月ぶりになるだろうか・・・例の相棒のアパートに行って来た。相変わらず質素な生活をしていた。所持金は500円ぐらいしか持ち合わせていないようだった。それでも愛想良く迎えてくれる彼はいつもながら神様のような奴だと思う。夜になって帰ろうとすると、泊まっていけ、と言う。仕方なく長居をして帰ってきたが、何度も「泊まっていけ」と引き止めようとする。やはり一人暮らしは寂しいのだろう。うまいものでも食べろと、少しカネを置いて来た。そんな奴が気になることを言っていた。某電話局の職員が何とかプランの勧誘にやってくるのだと言う。ジロジロ室内を見回し、気味が悪いと怯えている。「また来る」と言っていたと、神経質になっている。勧誘対象のプランそのものは安いものではあろうが、何より一見して障害者と分かる相手にしつこく勧誘を迫ることは問題ではないのか?本人は「断ったのに、何度も来るんだ」と完全に怯えている。「オマエの心配しすぎだ、大丈夫だ」とは言ってみたものの、怯えきっている相棒をみて気の毒になった。少し電話局に忠告しておかねばならないようだ。私のところにも何度も電話の勧誘があるが、やはりしつこいと思うことがある。ノルマもあるのだろうが、弱い立場の相手にはそれなりの気遣いも必要だろう。彼らの人権も尊重してもらいたいものだ。

2001/04/25、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 幸福な人々は一様に幸せそうだが不幸な人々はそれぞれに不幸だ、という言葉を思い出している。言葉を替えていうなら、幸福は一様に平凡だが不幸は様々な多様に満ちている、と言うことであろう。これら不幸の形の多様性は周囲を見渡せば分かるほど、多種多様に溢れている。大宮の友人が抱える親についての悩みも、それはまさに底知れぬ地獄の様相を示していた。当初は私の悩みを打ち明けたのだが、友人の赤裸々な悩みを聞くうちに私の悩みなどは何処かに吹っ飛んでしまっていた。彼のプライバシーを尊重して、ここに事の顛末を書くことは出来ないが、いかに人間は弱い存在であるかを如実に物語る悩みであった。それも早急に対策をとらなければ取り返しのつかないことになる。悲しいことだが、このままでは家庭内の問題だけに収まりそうもないだろう。とにかく私も何とか力になろうと、緊急の場合を想定して待機している。友人の彼からは苦悩に満ちた詳細な顛末もファックスで送られてきている。この友人のためには何でもしてやりたい。大袈裟なようだが、そのためには命だって惜しくはないと思っている。これまで何度も彼に助けられてきた・・・迷惑がらずに真摯に私の悩みを受け止めてくれた最後の友人として、今度は私が恩返しをする番だ。
 一生懸命生きて、なお人間には予想外の不幸が待ち受けているものなのだと・・・つくづく思う、思い知る。誰が悪い、誰のせいだとも言えない、神を呪いたくなるような絶望の捨て場さえない不幸が起きたとき、人はどうすればいいのだろう?今回のような友人の悩みも、私は過去に何度も体験してきた。だからある程度のアドバイスぐらいは出来るが、多様に満ちた不幸のどのケースにも自分のアドバイスが効果を発揮するとは断言できない。ただ自分の地獄に向き合うことが先決だと、そこを外して解決の糸口はみつからないことだけは確かだ。かくいう私も不確かで危うい存在であり、翻って、だからこそ分かる弱さも持ち合わせているとしか言えない。落ちる人間まで落ちて、そこから希望という足掛かりを見つけながら一緒に這い上がる、そんな友情があってもいいのではないか?むろん、これは自戒を込めて。 

2001/04/24、火曜

 不景気が私の自虐をさらに直撃する。その気持ちを大宮の友人に吐露した。彼は自分の親のことで悩んでいた。互いの地獄を見せ合うようにして、しばし心も不思議と落ち着いてくる。悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、という共通認識が私を安定させてくれたようだ。彼の誠実さで私は救われた、と実感した。そのことを口に出して友に感謝した。弱い自分・・・それを受け止めながらも、自分を責めに責めて、あげくは周囲の者まで巻き込んでしまう。自分の脆弱さを隠してまで、他者を責めずにはおかない私の攻撃性は何なのだろう?母の死期が迫っていたときにも、私の自虐が研ぎ澄まされた刃物のように外に向かおうとした・・・そのときの危険に身震いしながら、私は今度もまた同じことを繰り返してしまった。全てのことに絶望し、無価値に思え「それがどうした?」と捨て鉢な攻撃性が牙を剥く。向かうべき敵は我が心中にあるというのに・・・いま、私はそんな自己矛盾に向き合いながら途方に暮れている。ふと「ヒロシマの空」という原爆の詩の一節を思い出した。
 だまって一心に掘り返す父とわたし。ああ、お母ちゃんの骨だ。ああ、ぎゅっとにぎりしめると白い粉が風に舞う。お母ちゃんの骨は口に入れると、さみしい味がする。たえがたいかなしみが、のこされた父とわたしを襲いかかって、大きな声をあげながら、ふたりは骨をひらう。菓子箱に入れた骨は、かさかさと音をたてる。弟はお母ちゃんのすぐそばで、半分骨になり、内臓が燃え切らないでコロリところがっていた。その内臓にフトンの綿がこびりついていた。死んでしまいたい!お父ちゃんは叫びながら弟の内臓をだいて泣く。
 これは人間の究極の悲しみの原形だ。私もまた母の骨をそっと隠し持ち、そして泣きながら母の骨をかじって酒を飲んだ。母は今はもう何処にもいない・・・それ以後の私は、世界が終わったかのような虚ろな心のままで今日まで生きてきた。母を失うという喪失感はそれほどのものなのだ。私が死ぬときは母と再会するとき、懐かしい故郷に帰るとき・・・甘えることが許されている幼児に戻るとき、安心して眠ることが許されている母の胎内に帰るとき・・・そんな夢想をしているときだけが唯一心が和んでいる自分がいる。
【らんだむ創作のおと】性懲りもなく更新

2001/04/23、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 体調を崩した・・・というより精神的な脆弱さに起因する自律神経失調というところか。わけもなく寂しい、つらい、咳をしてもひとり・・・といった究極の孤独感に襲われ夜の街に出る。あてどもなく歩く、歩く、もう歩けないほど疲れきったところで居酒屋に入る。溢れる汗そのままでジョッキの生ビールを喉に流し込む。おしゃべりな初老の客が私を見て「美しい」と言ってスケッチをはじめる。変なオヤジだが、嫌な気持ちは起きない。女将が私を「男らしい風貌ね」と、客とは正反対のことを言っている。飲むほどに酔い、人格欠損症のボロを出し切って帰ってきた。ついでに財布を落としてきた。自虐的になっている自分だけが残った。自暴自棄を感じている自分が恐い・・・何処か遠いところへ行きたい。そんなときもあるさ。

2001/04/22、
■番組表■(首都圏保存版)

 一昨日は、今は亡き母の誕生日であった。ヒトラーの誕生日でもあったので、よく覚えているのだ。中学生の頃に母の誕生祝いにケーキをプレゼントしたこともあった。こういうことにあまり照れのない私は、意外な顔をされることもしばしばだった。母のためにケーキを注文したときも、売り場のお姉さんの意外な表情と微笑みに出会ったし、その後、某スナックのマドンナと称される憧れの女性に花束の誕生プレゼントをしたときもそうだった。そのときのことを忘れられないと、数年後に憧れのマドンナから電話があったとき、私は天にも昇りたい嬉しさが込み上げたことを思い出す。子どもの頃は、いつも通勤の際に出会う年上の女性に「お姉さん、きれいだね」と思わず言ってしまうほど正直な(?)自分であった。もっともオマセなだけなのかも知れない。思ったことをすぐ口に出す性癖も、時と場所を選ばないと人に恨みをかうこともある。私にまつわる様々なトラブルの殆どが、そうしたことに所以していることにも気付くのである。うっかり本音は漏らせない、そんな窮屈な人間関係に疲れ果てながらも、最近ではふてぶてしく生きてやろうとする居直った自分を装うようになっている。傷つかずにはいられないナイーブな自分の心を押し隠し、自分に向けられた悪意にもひたすら笑うだけの・・・これも欺瞞であることに変わりはないのだろうが。人にはバカにされていろ、といった庶民的な古い諺がある。バカにされて怒るほど人間は高尚ではないのだと、むしろ自嘲していたいものだ。自分の誕生日さえ嬉しさを伴わぬ今でも、母の誕生日だけは何故か忘れられずに心の中で灯を燈している。そこには笑みを浮かべる母が灯りに照らされてゆらゆら浮かんでいる。もう歳の数だけ蝋燭の灯を燈すことはないよね、おかあさん・・・たった一つの心という蝋燭だけで思い出が蘇える・・・永遠というアルバムがあるのだから。いつになっても貴女の子どものままの私がいるだけで許してください。

2001/04/21、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 初めて入った居酒屋の女将から興味深い話を聞いた。戦後の混乱した時期の話、生きるためにはウラ社会で商売するしかなかったらしい。早い話が、ヤバイ物資の運び人をしていたというのだった。それらが国が絡んだ国家的犯罪であることも女将は知っていた。それは現在も形を変えて続いている。一人殺せば死刑になるが、一まとめに殺せば英雄だ・・・この大いなる矛盾は不滅の法則でもあるかのように・・・今日も紛争国では無惨な人間の死体が放置され、我がニッポン国では次期総理選びの人気投票が始まっている。大銀行の不始末を国民の血税で尻拭いさせ、その血税が大銀行から高利金融業者に貸し出され、銀行の貸し渋りで泣く泣く縋ったサラ金に手を出し破綻する国民の哀れ・・・この悪循環を放置している政府もまた共犯者として指弾されるべきなんだ。これまで公約を守らなかった政治家が一度だって裁かれたことがあるだろうか。裁かれることのない特権を許してしまうほどに日本が平和だとするなら、その平和は欺瞞でしかない。欺瞞に慣れ親しむことの出来ない者に幸いあれ、権力はそうした者たちに反政府主義者という烙印を押しながら、さらに悪の構図を確固たるものに仕上げていくのだ。少年犯罪を許せないほどに、大人のエゴが権力の魔性に安穏としていられる矛盾を・・・考えずに済むまでに日本は堕落してしまったのではないか。

2001/04/20、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 中東情勢が混迷する中、今度は「イランとイラクの国境紛争が激化 ミサイル攻撃で死傷者多数」というニュースが入ってきた。これは21年前のイラン・イラク戦争を否が応でも想起させてくれる出来事であろう。イランの反体制組織ムジャヒディン・ハルク(MKO)が、イラク国内でテロを行ったことへの、イラクによるイランへの報復であるということらしい。現在パレスチナのイスラム武装組織ヒズボラへの報復攻撃を続けているイスラエルも、イランにおけるイスラム武装組織の実態を知るがゆえの執拗な報復なのではないか。これまでイスラエルのモサドは1992年と翌1993年にかけて、二件の殺害事件にイスラム武装組織ハマス関与の疑いを抱いてきた。証拠を残さない巧妙な手口に捜査は難航し、モサドはその手口がイギリスのMI6に酷似していることに気付いたという。皮肉なことに、イランのパーレビ打倒に暗躍したMI6のテクニックが、今度はハマスがイラン流MI6の手口でイスラエル人を殺害している・・・というのがモサドの結論だ。イランで誕生したハマス自体がMI6のシステムを真似た秘密組織であり、インティファーダ反乱もハマスの秘密工作で綿密に練られた作戦であった。のちにホメイニ政権下で組織化されたヒズボラもまたハマスのMI6の手口を継承している。このことはイラン指導部にMI6に精通する何らかの意志を示唆するものであり、その真実は後世を待つまで明らかになることはないだろう。今それを暴露したところで、世の権威ある歴史家に黙殺されるだけだ。
 これまでにもイスラエルは独自のルートを使ってイランに大量の武器を輸出しているが、アメリカのイラン・コントラ事件(別称イランゲート事件)の際には、そのルートをアメリカの人質解放のための武器輸出に提供している。【参照】イラン・コントラ事件と武器商人。このときにはイスラエル外務省No-2のモサド副長官ディヴィット・キムシェ(別訳ダビット・キムヘ)がアメリカとの折衝に当たったが、のちにイスラエルからアメリカにイランとの折衝が引き継がれて以来、アメリカは完全にイランに振り回されている。ここでアメリカはイランの背後に気付くべきだった。
 今回のイランとイラクの衝突でも、モサドはその真相をすでに事前に知っていることだろう。彼らがどこまで知っているか?というより、どこまで関与しているか?というべきかも知れない。彼らはイスラム武装組織の細胞にまで浸透しながら、水面下で熾烈な諜報戦争を展開している。よってマスコミで流されるニュースを額面どおりに受け取ることはできないし、せめて自分なりに調べてから納得したいものだ。
◆イラン・イラク戦争
一九八○年九月二二日、イラク軍の本格的攻撃によって始まった。同時にイラクはアルジェ協定(七五年)の破棄を宣言した。同協定は、イラクがイランの主張通り両国国境をシャトル・アラブ川の中心とするかわりに、イランはイラクの要求通り、イラク内クルド族の自治運動への支援の中止を定めていた。イラク側には、革命直後のイランの不安定、イランの国際的孤立、石油需給の緩和などの事情が自国に有利に働くと判断、ペルシャ湾岸地域での覇権の確立をねらう思惑があった。イラク軍は緒戦を有利に進め、イラン領内に侵攻したが、八二年七月イラン軍によるイラク領内への逆侵攻を許すにいたって戦局は逆転した。その後、相互の首都攻撃、タンカー攻撃を折り込みながら戦況は一進一退、八七年に米ソとくにアメリカがペルシャ湾に艦隊を派遣してタンカーの護衛を開始したため、戦争は国際化した。やがて武器で勝るイラクがイランを追い詰め、八八年八月二○日、国連安保理停戦決議(→別項)に基づく停戦が成立した。
 ところでNHKの再放送でイギリスの作家フレデリック・フォーサイスのインタビュー番組が放映されていた。最初から期待はしていなかったが、やはり期待できないだけの番組であった。惚けているのか、本当に知らないのか?随所に白々しいフォーサイスの証言が綻びをみせていた。

2001/04/19、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 今日も「米大統領とイスラエル首相が電話、砲撃自制で一致」として、ブッシュ大統領が中東和平に向けて努力している(かのような印象を与える)といったニュースが流れている。こうした欧米首脳の和平に対する取り組みには注意が必要だろう。つまり、鵜呑みにできない、鵜呑みにすれば彼らの二枚舌に踊らされることになる、ということである。今から八年前、1993年9月13日におけるホワイトハウスでの「イスラエルとパレスチナの相互的な基本合意」のニュースは全世界を駆け巡った。この発端となったのはノルウェーのオスロにおける中東和平の秘密会談だと言われている。この秘密会談はオスロの山荘で行われたのだが、その山荘の提供者は「オルクラ」(Orkla Borregaard A.S)を支配するアストルプ(Astrup)一族であった。オルクラの会長は一族のNils Astrupだったが、彼の祖母セシル・ファーンリー(Cecilie Fearnly 夫はEbbe Astrup)はノルウェーの海運業海を支配するファーンリー家の令嬢だった。そのノルウェー海運会議所会頭Thomas Fearnlyはユダヤ系のハンブローズ銀行大幹部でもある。この銀行を支配するハンブロー(Hambro)一族は名門ヨーク家と縁続きになっている。ハンプロー家のCharles Hambroとヨーク家のSusan Yorkeが結婚していたからだ。このヨーク家の系図を遡ると突然Annie Rothschildなる人物がヨーク家のEliot Yorkeと結婚していたことが分かる。我らがロスチャイルド家が事実上のハンブローズ銀行の支配者だと言われる所以である。
 さらに「オルクラ」にはもう一人の大物が潜んでいた。重役のアークヴァーク(Torvild Aakvaag)である。彼はノルウェー大企業「ノルスク・ヒドロ」の社長であり、実質的な影響力は「オルクラ」支配一族アストルプを上回っているだろう。この「ノルスク・ヒドロ」の前身は「ノルウェー窒素」といい、大戦中にはせっせと爆薬を製造しながらアメリカの「マンハッタン計画」のために重水を提供していた。戦後は原発業界にも参入してノルウェーの大企業として君臨しつづけている。
 1993中東和平の発端と信じられてきたオスロの秘密工作は、その背景を調べる限りにおいては胡散臭さが付きまとって来るようだ。晴れがましい1993年9月の中東基本合意の様子はジェイン・コービン著「ノルウェー秘密工作」のプロローグ(9-10ページ)に詳しい。このとき口先ウイリーことクリントン大統領の冒頭演説が、今になってはただただ虚しく聞こえてくるばかりだ。のちに暗殺されたイスラエルのラビン首相も、その暗殺の謎【ラビン首相の暗殺者はオトリだった?】と共に、それらの起因はオスロの秘密工作にある。そういう意味でもかつての和平工作の背景を検証することは不可欠だと思うのだが・・・

2001/04/18、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 このところアメリカのコリン・パウエル(Colin Powell)氏がイスラエルとパレスチナの中東紛争に何かと仲介役として活躍しているように見える。17日にパウエルがイスラエルにガザからの撤退を呼びかけると、イスラエルのシャロン首相が即座に軍に撤退を命じるといったふうに・・・まるで歩調を合わせたようなパウエルとシャロンの今回の撤退劇には、前もっての打ち合わせがあったかのように思えるくらいだ。湾岸戦争では統合本部議長として戦闘命令を出したパウエルとは思えないほどである。湾岸戦争ではアメリカ国内の黒人層から英雄視され、ここにきてさらに彼らの支持を一身に集めることだろう。こうした傾向はブッシュ現政府にとっても好都合であろう。パウエルはキング牧師のように権力基盤を脅かすこともないし、むしろ黒人層による政府への不満を抑制させてくれる。そのパウエルが実は英王室と姻戚関係にあるとの噂も流れているようだ。未確認情報なので何とも言えないが、あり得ないこともないだろうが、あまりに飛躍するような話はしっかりした裏付けが必要だ。かつて彼は国家安全保障においてフランク・カールリッチと15年間共に働いてきたが、そのカールリッチがイラン・コントラ事件の事後処理をしていたことは注目に値する。いずれにせよ今回のイスラエル軍の撤退でパレスチナ人の怒りがおさまるとは思えないし、考えようがない。むしろ事態はより深刻になってきた感がある。イスラエルがアメリカの忠告に従ったという印象を世界に与えたことは、そのままアメリカが中東紛争に介入する絶好の口実を与えてしまったように思えるからだ。今度はパレスチナのイスラム武装組織に警告を与えながら、その警告に従わないようであれば国連を持ち出し、あの湾岸戦争のような戦争による制裁の正当化を訴えかねない危険がある。
【関連資料】イラン・コントラ事件と武器商人

2001/04/17、火曜
■番組表■(首都圏保存版)

 今夜のニュースステーションに俳優のロジャー・ムーアがゲストに招かれていた。ユニセフ大使として来日したわけで、アフリカの子供達のヨウ素欠乏症(IDD)が深刻になっているらしい。この病気に特徴的な症状として甲状腺腫があり、喉に腫れ物ができる。また約15%の機能障害を伴うのだという。ロジャー・ムーアは日本の子どもへの性的な虐待についても関心を抱いており、日本に滞在の間やはりユニセフ大使のアグネス・チャンのガイド通訳で小学校などを訪れている。私などは007シリーズの映画でしか彼のことは知らないが、、今回の来日ではデンマークのガールフレンドも同伴しているということで、そのプレイボーイぶりは健在のようである。
ユニセフ【UNICEF】(英United Nations International Children’s Emergency Fundの略)国際連合国際児童緊急資金の略称。一九四六年設立。第二次世界大戦の犠牲となった児童の救済を主な仕事としたが、のち開発のおくれた国などの児童養護計画援助を行う。五三年に国際連合児童基金と改称(略称の「ユニセフ」は継続使用)、国連の常設機関となった。本部ニューヨーク。
【関連サイトアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使ユニセフ大使ロジャー・ムーア来日【写真】

2001/04/16、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 7年前くらいの話になるが、同業のイトコがイラン人を雇っていたことがあった。話が通じない分、かなり神経を使ったらしいが、力が並みの日本人より桁外れに強かったらしい。40キロ以上もあるコンプレッサーを一人で車の荷台に積み込むのだという。それぐらいの重さなら私もバーベルで上げていたが、コンプレッサーとなると話が違ってくる。つまりバーベルのように左右の重さが均等ではなく、エンジン部が重くバランスが崩れて一人で持ち上げることは難しいのだ。それを持ち上げるというのだから凄いものである。そのイラン人はイラン・イラク戦争も体験したという。道理で力があるはずだと思ったが、彼らはそれだけではない、戦争のための技術も会得していただろう。特に接近戦におけるナイフの使い方は必須科目であったと聞き及んでいる。そのへんのチンピラ相手に喧嘩しても、彼らは一瞬のうちに片付けるだけの身のこなしは出来るはずだ。戦争は知らないにこしたことはないが、時として偽善的な平和にうんざりして自ら戦場に飛び込む日本人もいるようだ。地元出身の某フリー映画監督は本ものの戦場を体験したくなってアフガニスタンに渡った。そこでの体験で印象的だったは戦車のキャタピラに轢かれる人間の骨の音だったという。兵士にカメラを向けて殴られたこともあったらしい。何かと人騒がせな彼は、帰国後も山の中で黒色火薬を爆発させて警察の厄介になったこともあった。本もの指向も大変なようだ。先のイラン人もまたそうした戦場の硝煙の匂いを記憶していることだろう。雇い主のイトコを「パパさん」、その連れ添いを「ママさん」と呼んで親しげに働いていたが、二百万ほど貯金したところでイランに帰国した。物価が違うイランのこと、自国では羨ましがられるほどの家を建てたそうである。雇い主のイトコも数年前に脳幹出血で体が不自由になってしまった。そのことを知ったらイラン人の彼はきっと驚いて「パパさん大丈夫?」と心配してくれるのであろうが、海の向こうのイランでは風の便りでさえ届かないだろう。そのイランも巻き込まれそうな不穏な煙が中東に立ち込めてきた。それは人類の未来をも覆い尽くすような暗雲となっていくかも知れない。

2001/04/15、
■番組表■(首都圏保存版)

 ついにイスラエルはレバノンを攻撃した。すでにシャロン首相は先月において「レバノン国内に射程120kmのイラン製Pager surfaceミサイルが存在しており、人口過密地帯である中央イスラエルを攻撃することができる」と語り、イスラエルはそれに対応するように大規模演習の準備として兵士と軍事資産を北部国境地帯に終結させていた。むろん大規模演習とは実際の戦闘状態を想定してのことであり、演習とは口実であろう。つまりイスラエル軍は事実上の総攻撃準備にはいった、ということである。これにアラブ側もシリア陸軍、ヒズボラ市民軍部隊、レバノン陸軍を臨戦態勢に配備している。この意味するところは大きく、そして非常に深刻な事態を予想させるものだった。そして今「イスラエル軍は14日、レバノン領内にあるイスラム教原理主義組織ヒズボラの2つの施設を空爆した」とのニュースが流れているのだ。先月のレバノンとイスラエルの国境における臨戦対峙という情報が流れていた時点で、イスラエルとレバノンの国境地帯が全面中東戦争の非常に危険な一触即発の火薬庫とみられていた。そのことを承知の上でイスラエルがレバノンを攻撃したのであれば、当然のことながらその報復も覚悟しておかねばならない。そして、その報復に報復を呼ぶ攻撃はさらに熾烈なものに展開していくことが予想される。あとで杞憂にすぎなかったと安堵するような、そんな甘いことでは済みそうもないことは、毎日のように少年の葬列を出してきた事実がそれを裏付けている。

2001/04/14、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 キリスト受難の聖週間グッド・フライデーの13日、フィリピンでは自らの身体を傷つける苦行が披露されている。ふと、ここ数日考えてきた自傷行為を思い出している。イエス・キリストの負った痛みを確認するかのように、自らの身体を傷つけ血を流し、クライマックスには十字架に手のひらを釘で打ちつける。そうでもしないとイエスの痛みが分からないかのように・・・しかし、本当のイエスの痛みとは何より心の痛み、心痛ではなかったかと・・・思うのだ。してみれば、信者の自傷行為が必ずしもイエスに近づくこととはならないのではないか。リスト・カット症候群に関連する境界性人格障害では、自傷行為などの症状にさらにストレスが加わると一過性の妄想体験に陥ることもあるという。何かしらそれに類似する心理をフィリピンのイエス受難再現劇に感じている。2000年はイエスの生誕2000年にあたり(正確には2001年だが)、ローマ法王庁も去年1年間は大聖年として祝っている。皮肉なことに、その終わりの時期にイスラエルとパレスチナが衝突したのも、何かしら因縁めいたものを感じさせられる。至福千年、いわゆるミレニアム(millenium)も流行語となった2000年だが、元々はキリストが地上に再臨しメシア王国が建設されるという意味があるらしい。そのためには全ての悪が滅ぼされなければならないという、神の審判の地がハルマゲドンであり、ここにキリスト教の終末観が伴ってくる。本当はもっと深い意味があるのだろうが、この辺がクリスチャンではない私の知識の限界だ。一般的にハルマゲドンという言葉は世界最終戦争そのものの意味に思われているが、実際には地名にしかすぎないのだろう。去年3月17日には、ウガンダ西部カヌング村において「神の十戒復古運動」という教団信者1000人余が死体で見つかっている。元カトリック神父が説く終末論の誇大解釈が招いた結果であった。元神父は逃走したとされる。本当の終末観とは全ての悪が神によって裁かれるという祝福の意味があるはずなのだが、曲解された場合には非常に危険なことになる。謎の死を遂げたヨハネ・パウロ1世の死因解明に挑んだ「法王暗殺}の著者ディヴィッド・ヤロップのあとがきの言葉を思い出す。「私が指弾するのは、カトリック教徒に生まれながら心はカトリック教徒ではない特定の人々だけである」・・・しかり。

2001/04/13、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 テレビ番組「ゆうゆう」で紹介された自殺した少女は「南条あや」という名でホームページを開いていたということだった。リスト・カッターとの接触の過程で、それらしきサイトを偶然発見した。サイトは「南条あやの保護室」とある。おそらく彼女に間違いないだろう。テレビでは本名と写真、それに父親が登場していたが、サイトでそれらは公表されていない。プライバシーを考えてのことだろう。私も偶然にみたテレビでリスト・カット症候群のことを知り、今では少しは理解しているつもりでいる。リスト・カット症候群と関連性があるという「境界性人格障害」、それらにつながる「パニック障害」「薬物依存症」などなど・・・どれもこれも私自身にも少しは思いあたることがある。そして私の周囲にも少なからず思いあたる人々がいることにも気付いた。どんなに聖人君子ぶっても、生身の人間であるかぎり、誰もが思いあたることであろう。それだけ人間は現代のストレスに晒されているということでもあるが、だからこそある程度のメンタルヘルスの基礎知識は必須になってくる。関連サイトを辿っていくと治療薬が気軽に紹介されているが、専門医でもないかぎり、薬よりまずは精神的な面で克服することを優先すべきではないか。薬物依存症を認める某女性とメールを交わしていたが、つい最近、その女性が一気に大量の薬物を飲んで自殺を図ってしまった。命は助かったが、一時は拘束状態におかれたらしい。今では親にも見捨てられたと思い込んでいるようだが、薬にも親にも依存せずに自分の心と真正面から向き合うことでしか解決できまい。結局は本人の意志が生きる喜びに向かうことを・・・祈るばかりだ。死んでも良いなどとは思えないほどに、ひたすら生きることに生きる全ての命に感動してほしい。

2001/04/12、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 最近増えてきている「引きこもり」social withdrawal もそうだが、社会への適応性が欠如することをもって精神神経症もしくは人格障害とする専門家の傾向があるようだ。果たしてそう言いきれるだろうか?と、そういうことで言えば、寝食を忘れてインターネットに夢中になっている今も、私は引きこもりを続行していることになる。「引きこもり」が男性に多いのに対して、「リスト・カット症候群」は女性に多いと言われている。専門家によれば、リスト・カット症候群は「境界性人格障害」borderline personality disorder の人に多いらしい。簡単に言えば、精神病と神経症の境界に位置付けられる人たちのことで、元々精神病名そのものの呼称に曖昧さがあるのに、現代の精神医学はさらに曖昧にして複雑化してきているようである。今夜の「ゆうゆう」では 「漂流する少女たち(04)プチ家出」動機と実態と題して、これまた新語に近い「恋愛依存症」なる症例を紹介していた。これらを総じて「人格障害」とするには安易すぎないだろうか・・・そもそも人格とは何を指して言うのか?社会生活に適応できないことで人格に障害が生じたとするのであれば、社会制度そのものの欠格が問題になる。国民生活の窮状を忘れて大銀行救済に血税を導入するという政治の暴挙こそ、その政策に加担した政治家たちの人格が破綻した証とはなりはしないか。恥知らずゆえに彼らは表面的には何ら症状をあらわすことはないが、その実際は末期的な人格障害を患っているに相違あるまい。こんな社会に適応できないからといって自分を責め、傷つけることはない。まして自殺することなど毛頭ないのだ。親は自分の子どもが「普通の子ども」に育ってほしいと言うが、その「普通」の定義すら曖昧なのだ。親の子どもへの期待が「普通の子」であったり「有名企業の就職」であったのなら、私は親の「子離れ」が解決しない限りにおいて早急な「親離れ」と自立をすすめたい。有名企業への就職を学業の目的とするのではなく、自分がどう社会で生きていくか、その「生き方」を目的とすべきだと・・・

2001/04/11、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 リスト・カット症候群に悩む若者が意外に多いことに気付く。彼らは(彼女たちはと言うべきか)リスト・カッターとして、インターネットでも掲示板などで意見を交換している。こうして気軽に告白できるような環境はやはり必要だろう。それでないと誤解から取り返しのつかない事態にもなりかねないからだ。私の親戚にも一人いた。今は主婦なのだが、結婚前に何度か手首を傷つけ、これに驚いた親が精神病院に連れて行ったそうだ。当時はリスト・カット症候群という病名すら一般的ではなかったので、手首を切って自殺を図ったと噂された。どんなに苦しかったことだろうと思う。リスト・カッターは決して自殺を目的としたものではない、自己確認のための自傷行為だということをみんなに知ってほしい。心ない噂がかえって彼らを自殺に追い込むことがないように・・・

2001/04/10、火曜
■番組表■(首都圏保存版)

 日誌を読み返してみると、自分の心の動きが移し鏡のように分かって恐いほどだ。その心の動きは一瞬として留まることなく、動き流れている。さっき落ち込んでいたかと思えば、数分後には笑っていたりする。憎んだり、愛したり、泣いたり笑ったり・・・その繰り返しの中で自分が生きている、生かされている。これほど不思議なことはない。日常の生活において、その不思議をどれだけ感じているか?によっても生きがいはあるのかも知れない。これらの感動を人間社会は閉じ込めているように感じてならない。息苦しい毎日を感じたら、人はやはり自然の内に帰るのがいい。NHK教育テレビ「ゆうゆう」ではリスト・カットなる聞きなれない問題を提起していた。若い女性が手首を傷つけることを言うのだそうだが、番組の進行過程で自殺してしまった少女の例が紹介され、思わず身を乗り出して最後まで観てしまった。親子でありながら、一般社会の世間体のごとく互いに迷惑をかけまいとしてよそよそしくなる。娘は良い子を演じながら、やがて息苦しさから手首を傷つけることによって自己確認するようになる。これに驚いた親はより監視を密にして叱りつけ、責めたてる。娘はさらに追い詰められたように手首を傷つけることを繰り返していく。自傷による痛みでしか自己確認できない苦悩を、親が理解しない限り、それは続く。ついに親は「勝手にしろ」と叱咤し、娘は自殺に至るという実話であった。
 辞書によれば「リスト・カット症候群」wrist-cutting syndrome として欧米では以前から知られていたそうである。自殺を目的としないで手首を繰り返し傷つける行為で、殆ど女性に多いらしい。自己存在感の確認を目的とした自傷行為であり、それが直接自殺を目的としていないことから、自然に治っていく例が多いという。ただ、予備知識のない親の驚きは相当なものだと想像できる。リスト・カット症候群そのものがパニックによって悪化する傾向があるのに、親がパニックに陥って子どもを責めたてることは危険であろう。自殺した少女の例も、最初は軽く傷つけるだけだったのが、やがては深く手首を傷つけてしまう頃から「自己確認の自傷」という目的が「自己消滅の自傷」という自殺が目的と変化したことが分かる。社会の複雑な人間関係そのままに、家庭でさえ親子が心から話し合えない環境が問題のポイントだろう。娘を自殺に追いやったと自責の念にかられる親が「あの時、娘を抱きしめてやればよかった。だが、娘を甘やかしてはならないという気持ちが先にたってしまった」と反省する。むしろ、娘は親の胸にすがって泣きたかったのではないか・・・そっと肩を抱いてやることが甘やかすことだと思ってしまうところに問題があるような気がしてならない。泣きたいときに泣けない、現代の無情にあって、しっかりと子どもの悲しみを受け止めるだけの、親の胸があったら、抱擁があったのなら・・・・それはきっと命の絆なのだろう。

2001/04/09、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 人間なら誰も望まぬ戦争だと・・・そう思い込んでいた時期があった。それでも起こる戦争とは何か?人が人を殺すことが許されていいはずがないのに・・・パレスチナで毎日のように殺されていく少年の写真を見ながら、心を痛めて泣いている。深夜に、猫を抱きながら、嗚咽している私はやっぱり変人なのだろう。今も何かと迷惑がられながら、海の遥か向こうのパレスチナの少年の死に涙する・・・私は・・・何者なんだろう?私は自分が今でも分からない。父が死んでも泣かなかった私が、母が死んだときには遺体にすがって号泣した。それで気が付いた。パレスチナの少年の遺体の、その額に、頬に、最期の別れのキスをする母親の心だ・・・その心痛だ・・・引き裂かれる命の悲鳴だ。おお神よ!と天を仰いで嘆く母親の心痛に満ちた祈りが、どうか息子を生き返らせてほしい、という切実なものであったら・・・奇跡だって起こっていいはずなんだ。神様だったらそれが出来るはずではないか?イスラムであれ、キリストであれ、仏教やヒンズー教であれ、その純粋な信仰心ですら互いに憎悪させるものは何なんだ?果てしない人類の殺戮の延長に私も存在するという、そのことだけでも私には殺された少年の母親と同じく、涙する理由がある。バカな理屈だと、笑ってくれ・・・理屈にすらなってはいないだけに、私は自分をも嘲笑できるのだから・・・めでたい奴なのだ。おまえは暇人だからそんなことを考えていられるんだ。喰うに精一杯なのに、戦争のことなんか考えてる暇なんてない。原発や戦争に反対して幾らになるというんだ?・・・友人の、いや元友人の、その言葉で私は本当のひとりぼっちになった・・・四面楚歌の闇に手さぐりしながら・・・息子を失ったばかりのパレスチナの母親の、その絶望の闇に私の闇を見ている。心の闇には光が必要だ、乾いた心には悲しい涙だって染み透るというものではないか・・・だから泣くことを許してほしい・・・人知れず悲しみの淵で慟哭する私を許してほしい。足元のタンポポがとてつもなく美しく輝いて見えるほどに絶望しなければ、あなたに近づけないような気がするから・・・

2001/04/08、
■番組表■(首都圏保存版)

 工場の出入り口にタンポポを見つけた。もう春なんだね。長い冬の寒さに待ち望んでいた、その春がやってきたんだ。繰り返される季節のように、人間の人生ドラマにも悩みと希望という季節が巡り巡っているのだろうか・・・色とりどりの花は、そのまま宇宙の結晶であるかのように感じることがある。この神秘に触れずして幸福は語れないような気がする。テニソンが綴った「小さき花に秘められた全て」の存在を感じれるかどうか・・・私にとってもそれが唯一の人生課題でありつづけている。足元のタンポポは神秘であり、そのまま奇跡であることを・・・どれだけ私は理解しているだろうか・・・この大気も水も、電気ですら人類はその本質を分かっていないのではないのか・・・蛇口から滴る寸前の水滴の形状も、まだ科学は解明できていない。応用できることと本質を理解することは全く別の次元の問題のような気がしてならない。タンポポの神秘に新鮮な驚きと賞賛をもって眺めるとき、世界もまた心の中で価値観の大変動が起こっているのに違いないのだ。明日は弁当をもって海を見に行こう。海は命のふるさと・・・懐かしい思い出があるところ・・・

2001/04/07、土曜
■番組表■(首都圏保存版)

 花見にでかけた。途中、知人のやっているジャズ喫茶に寄る。満員のため入るのを諦める。一時は離婚騒動でかなり落ち込んでいた時期があった彼のこと、心配していたがどうやら健在のようだ。ミュージシャンと親しい彼は、また何か大きなことをやってくれるだろう。泉谷しげるとは旧知の仲、ほか原田芳雄など地元に呼んでいる。そのたびに百万ぐらいのカネを使って、いつも貧乏していた。その貧乏を苦にしない飄々とした生き方は尊敬に値する、と私は思ってきた。彼についてはもっと興味深い話があるが、いずれまとめて書いてみたい。最後の最後に「ああ面白かった」と言えるような人生でありたいと、そんな生き方をしている彼が羨ましくなる。

2001/04/06、金曜
■番組表■(首都圏保存版)

 昨夜会った同業社長のことが忘れられない。何とかしてやりたいが、何もしてあげられない苛立だしさ、自分の不甲斐なさに苦しむ。家が競売にかけられる以前から、私は何かと彼に忠告してきた。つまり、こうなること(競売)は予測できていた。だから政府の無利子に近い借入金を実現すべく、会計の専門家にも相談し、引き合わせてきた。まず、帳簿を一切付けていないという驚きから「今からでも遅くはない」として領収書などをまとめるよう励ましてきたつもりなのに・・・ついに何もせず、今回の競売騒ぎに至ったのだ。自業自得ですらある。それでいて「どんなに借金しても、命があるだけありがたい」とニコニコしているのだから理解に苦しむ。奥さんも「題目あげているから大丈夫、私たちには御本尊様がいる」と誇らしげに語る。彼らは某宗教団体の幹部でもあるのだ。宗教もこういうときには困ったものになる。彼らにとっては今の借金地獄も、罪障消滅のチャンスなのであって、むしろ喜ぶべきことだと・・・ついには私を自ら信じる宗教団体へと導くのだから始末に終えない。私とてお釈迦様の教えの少しぐらいは知っているが、その有り難い教えも人間社会の泥に漬かると仏法そのものが穢れていくようだ。もう、いいだろう・・・とも思う。私は私なりに実務的な力添えをしてきたつもりだが、それが宗教の話に導かれては話のしようがない。人間の無惨さだけが心に残る。

2001/04/05、木曜
■番組表■(首都圏保存版)

 せっせと働いてやっと建てた家が、あと10日後に競売にかけられるという、その同業者と酒を酌み交わしてきた。
 事の発端は元請会社の借金の肩代り、つまり保証人になったことであった。数億という莫大な負債を抱えたその会社は、仕事の代金を支払うどころか、借金を肩代りさせるという悪どいことをしたのだ。やはり会社を経営していた私の親戚も、同じ手口で借金を背負い、そして今、家を追われて行方不明となっている。解決策はただ一つ、破産宣告しかない。ここで世間体が邪魔をする。「それだけはしたくない」という見栄が、さらに高利子の借金返済の額を膨らませている。とにかく元凶の元請会社に乗り込んで話をしたい、とする私を同業者の夫婦は必死に引きとめる。話がつかないのは分かりきっているが、気持ちが治まらない。泣くに泣けないこうした借金地獄の例が巷には溢れている。何より日本政府が、不景気の直撃を受けて悲鳴をあげる国民のことを、真摯に受け止めているのかどうか?疑問だ。家を出されたら材料の置き場所がない、というので私の工場を貸すことにした。やりきれない思いだけが残った。

2001/04/04、水曜
■番組表■(首都圏保存版)

 自転車で近所周辺を回るたび景色が変わっている。向かいの弁当屋が店仕舞したかと思えば、近くにローソンが出来ていたりする。そのため、いつも行くコンビニの客は私一人だった。客が新装開店のローソンに吸い寄せられているのだ。私はローソンを通り過ぎて、いつものコンビニに直行したのだが、会計時に一円足りなくなってしまった。こういう時の私は大袈裟になる。「うわぁ〜!一円足りないぞ。パン一個返すか、オマケしてもらうか、どっちかだな」・・・レジ係の兄ちゃんが思わず笑って自前の一円を加えてくれる。こういう応対が嬉しくて、この店が気に入っている。最近はどこの店でも言葉づかいが丁寧になった。今日、消火器を買いに行った大型店でも店に入るなり「いらっしゃいませ」という丁寧な挨拶が待っていた。しかし、その丁寧な言葉づかいとは裏腹に、その店内の従業員の誰一人微笑んでいる者がいないことに気付いた。つまり仏頂面なのである。どんなに丁寧な言葉づかいで挨拶されても、心が通わないのであれば白々しくなる。それでいて仲間の従業員同士では大口を開けて笑っていたりする。なんか変だよ・・・というより不愉快になる。買い物が嬉しくなるような応対は、その購入する物にも増して大事なような気がする。

2001/04/03、火曜
■番組表■(首都圏保存版)

 「お宅の会社はどの辺ですか?」との突然の電話、消防署だと言う。火災防止のために抜き打ち検査をやるのだ。不幸中の幸いというか、私の会社は住宅地図に記載されていないために場所が分からなかったらしい。抜き打ち検査を相手に知られては、これは抜き打ちとはならない。ところが検査する私の会社が住宅地図にないので、仕方なく直接私のところに電話したわけだ。「いつ検査するんですか?」と訊ねたら数日中ということだったが、おそらく明日午前中にはやってくるだろう。それまでに消火器三個ぐらいは追加し、揮発性など危険物と思われる材料は不燃性のボックスの中に入れ、鍵をかけておかねばならない。設備資金などゼロに等しいので焦って考えた。考えたあげく、使われていないロッカーを二階から下の材料場に移動し、これに自転車で使っていたワイヤーの鍵を取り付けることにした。これらは朝一番にやっておかねばならない。火元の付近にはこれ見よがしに消火器を置く。段ボール類も燃えやすいということでチェックされるだろう。何より建築で使っていた揮発性の材料が山ほどあり、これを全てシートで覆うことにしているが・・・ここはかなり厳しいお叱りを受けることは間違いない。とにかく何もしないよりはいい。ポイントは火元に消火器、揮発性の材料は火元から遠ざけておく、ということ。その下準備をしながら数年前の警察からの突然の訪問を思い出している。人里離れた郵便局に強盗が入った事件があったのだが、その事件現場に脚立が置かれていたのだという。警察は強盗がその脚立を使用したものと推定、地元の建築関係会社を片っ端から捜査した。私の会社の前には脚立やパイプ足場が置かれており、国道から丸見えになっている。というわけで、突然の警察の捜査を受けたというわけである。結局、脚立の線からは事件解決の糸口は見つからなかったようだ。どうも私は警察とは縁が切れないようで、時々護送車やパトカーが仕事として工場に運ばれてくる。一度など、パトカーの隣に地元組長の外車が運ばれたりして苦笑したものだ。ほかにもいろいろあったが、彼らとはあまり相性が良くないことだけは確かだ。

2001/04/02、月曜
■番組表■(首都圏保存版)

 道路を挟んだ斜め向かいの弁当屋が突然店仕舞した。隣の倒産した会社もそうだったが、一見繁盛しているように見えた店だった。こうした傾向は最近の倒産の特徴かもしれない。材料費に食い込むような単価の下落にあっては、それこそ利益どころではない、やればやるほど赤字が膨らむ。かつては私も何度かそういう場面に遭遇した。そんな時には丁寧に断ってきたが、中には職人を遊ばせることを嫌って受けてしまう業者もいた。従業員を多く抱えるところはそれが命取りになる。おそらく隣の場合もそうだろう。向かいの弁当屋はチェーン店だった。食材も全て本店から支給され、地代やアルバイト、水道光熱費など・・・諸々の支払いが利益を上回ったと思われる。そうした中にはチェーン店ゆえのトラブルも耳に入ってくる。犯罪としか思えないようなあくどい例もあり、その具体的な社名も公表されてきているようだ。いずれにせよ、これからこうしたトラブルはもっと増えていくことだけは間違いない。昼時になると向かいの弁当屋の前には人が列をなしていた。それが今日を境に見れなくなった。我が社から周囲50メートルあるかないかの範囲内で、すでにここ数ヶ月で三件の店が消滅した。はじめてこの地に父が会社を設立した時には、まわりは田んぼだらけだった。夏には田んぼの蛙がいっせいに鳴き出し、煩いほどだった。まさに田園風景だったのだが、こうして周囲から店が消え更地になっていく様子を見ていると、時間が過去に逆戻りしていくような錯覚に陥る。繁盛しているのは裏隣のパチンコ屋ぐらいのものだ。そのパチンコ屋から堀に投げ捨てられるゴミを拾っているが、堀の中に小さなザリガニを見た。昔はその堀にもっといっぱいのザリガニや、ドジョウがいた。昼時になるとザルでドジョウすくいをする人もいた。それを再現したくなって悪臭放つ堀を清掃しはじめている。そうすると汚れの主な原因は生活排水であることも分かってくる。堀から上流を見れば、もっと多くのゴミがどっさり捨てられている。パチンコ屋に行くついでに、家のゴミをまとめて捨てていくようである。ゴミ拾いは永遠に続くようだ。まずはゴミを捨てる人の心の清掃が先なんだが・・・

2001/04/01、
■番組表■(首都圏保存版)

 先日、弟が墓参りに帰郷したおり米の話を少しばかりした。数年前に、私がサンマを送ったお返しにと母の実家が新米を送ってきてくれた。これがとてもうまかった。オカズなしでも食べられるくらいだ。子どもがいる友人にも分けて、たちまち新米はなくなった。その後、市販の米がどうも不味く感じられたものだった。それだけ産地から送られた新米はおいしかった。弟が「実家の新米をインターネットで売ったらどうか?」と言い出したが、私はすでに実家の叔父にそのことを話していた。頑固一徹な昔気質の叔父のこと、インターネットを口にしただけで拒まれた。その叔父も跡取りの息子がいるものの、息子は早くさばける野菜のハウス栽培に取り組み、叔父は米作りの先行きが不安なようだった。農業就業者の高齢化はもとより、国の減反政策などで、日本の農業は十年もたたないうちになくなるのではないか?と言われている。これに加えてアメリカなどの輸入米が日本市場を狙っており、日本政府は関税でこれを防ごうとしてきた。国産米より4分の1も安くては太刀打ちが出来ないことは明らかだ。しかし日本政府がいかに輸入米に関税をかけても、今度は国産米や輸入米も過剰となってしまう。食糧庁が安い輸入米を買い上げ、国民には国産米なみの価格で売ったわけだが、そのために備蓄米の保管費が膨大なものになってしまった。いきおい政府は日本の農家にさらなる減反を強いることになる。それでも根本的な問題解決とはならないことは明白だ。そこで政府は輸入米が日本上陸する寸前に食い止めようと従量税を導入しようとした。従量税なら為替レートにも左右されない。これにアメリカは通商法スーパー301条という伝家の宝刀を持ち出し「関税を下げなければ、報復処置として日本からの製品にもっと高い関税をかけるぞ」と脅かしてきたわけだ。ここではもはや米の問題が摩り替わっている。その後、意外な日本の抵抗にあって、アメリカも柔軟な態度になってきているようだが・・・これまでの彼らの手口から想定しても、このままアメリカが大人しく引き下がることはないだろう。自由化以前の日本への米の売り込み戦略において、彼らが一万ページものマニュアルをつくったことを思い出す。ありとあらゆる作戦を練りながら、目的のためには手段を選ばない彼らの闘争本能を、まず日本は警戒すべきかも知れない。

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