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【トピック】
ラビン元首相:暗殺から10年、再発懸念の声 イスラエル

 【エルサレム樋口直樹】パレスチナ解放機構(PLO)との歴史的和解を果たし、オスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)を導いたラビン元イスラエル首相が暗殺されてから、4日で10年の節目を迎えた。シャロン首相主導の占領地ガザ地区からの撤退によって、和平反対派の極右勢力による政治的暗殺の再発を懸念する声が世論の8割を超え、10年前の世相と似通った政治情勢を指摘する声が出ている。

 ラビン元首相は95年11月4日夜、テルアビブで行われた平和集会の席上、極右思想を持つユダヤ教原理主義者のイガル・アミール服役囚(当時25歳)に射殺された。93年のオスロ合意によって占領地のパレスチナ人に初めて自治権を与え、「土地と平和の交換」に踏み切った元首相は、占領地を「神から与えられた地」と信じるアミール服役囚にとって裏切り者と映ったからだ。

 シャロン首相は今年8月、ガザ地区の全ユダヤ人入植地21カ所の撤去を柱とする撤退を強行。これに反対する極右勢力から「裏切り者」「独裁者」などと激しい非難を浴び、自らが率いる右派の最大与党リクードは賛否両派に分裂した。ラビン元首相もシャロン首相も手詰まり状態にある占領政策の打開を目指し、極右勢力の反発を招いた点で似ている。

 独立系の研究機関「イスラエル民主主義研究所」が7月に行った世論調査によると、「再び政治的暗殺が起こる可能性はあるか」との問いに、84%近くが「イエス」と答えた。世俗派や左翼の回答者では90%が暗殺の再発を危惧(きぐ)している。

 実際に撤退に反対するガザの宗教右派のラビ(ユダヤ教導師)がシャロン首相を呪う秘儀を行うなどしており、首相周辺には本人の姿が隠れるほど多数の警護員が配置され、首相府や官邸などの警備は厳重を極めている。

 ラビン元首相の暗殺後、オスロ合意で高まった和平ムードは急速に冷却化した。ガザ撤退は和平プロセス再開へのチャンスを内包しているだけに、撤退に賛成した大多数のイスラエル人は懸念を強めている。

 イスラエルでは12日に元首相を追悼する大規模な記念集会が予定され、クリントン元米大統領が演説するほか、ライス米国務長官らが参列する予定。ガザ撤退を機に和平ムードを喚起する狙いも込められている。

毎日新聞 

【参考】
ラビン人気を再び盛り上げるために狂言暗殺---阿修羅掲示板より

オスロでラビン・イスラエル元首相の追悼式典

 4年前、パレスチナ和平に反対するユダヤ人学生に暗殺されたラビン・イスラエル元首相の追悼式典が2日、ノルウェーの首都オスロで開かれた。和平推進を目指す首脳外交の場を提供したオスロは、しばし、使命に殉じた故人への思いに浸った。

 バラク・イスラエル首相は、ラビン氏が5年前、同じ会場でノーベル平和賞の授賞式に臨んだ際、戦争で死んだ兵士たちに思いをはせて「その死に意味を持たせるために和平を選んだ」と語ったことを挙げ、「われわれは、あなたの死に意味を持たせることを約束する」と語った。平和賞を共に受賞したアラファト・パレスチナ自治政府議長は、ラビン氏の遺影に深々と頭を下げ、敬礼して「自らの血をもって信念を守った」と故人をたたえた。そして「隣人であるイスラエル国民に、和平への道を共に歩こうと呼びかけたい」と語った。「和平に反対する人々は夫を暗殺したけれども、その志は生きている」と語ったレア・ラビン夫人は、前日のノルウェー国王による追悼晩さん会でバラク、アラファト両氏に向かって「夫が手がけ、そのために命という高い代償を払った和平の決着に、正しい道筋がつけられるかどうかは、あなた方にかか
っています」と述べた。2人が、この要望にどうこたえるか。困難な課題を抱える最終地位交渉をめぐる話し合いが、式典後のクリントン米大統領を含む3首脳会談からまた始まる。

これは邪悪な、しかも見事な謀略だ

「ラビン首相暗殺について、イスラエル政府のシャムガール委員会は単独犯説をとっている。これは、下降気味だったラビン人気を再び盛り上げるために狂言暗殺が仕掛けられたという事実を隠蔽するものだ。犯人とされたイガル・アミールは、イスラエル諜報界にいる黒幕の支持を受けて、単独犯の役を演じたに過ぎない。アミールが撃ったのは空砲だった。それに、三発撃ったとされているが、実際は一発だけだった。
現場で発見された薬莢が、イスラエル警察によって弾道テストにかけられたが、アミールの銃の弾道とは一致していない。ラビン首相の体には出血が認められなかった。さらに、首相が出席した平和集会のために、警察の手で交通が遮断されていて、病院までは車で45秒で行けるはずだったのに、ラビン首相を乗せた車が8分ないし12分も要したことも、理屈に合わない。熟練した運転手が、病院までわざわざ時間をかけて車を走らせている途中で、ラビンは二発の銃弾を撃ち込まれた。しかも、それは、首相のボディガードであるヨラム・ルビンの銃から発射されたものだった。病院に着いたときには、この銃は姿を消し、二度と発見されなかった。首相の体から摘出された銃弾も、11時間の間、行方が知れなかった。ルビンは後に自殺を遂げている。もし私が事実を語れば、体制が完全にひっくり返る。この国を破壊するにじゅうぶんなことを、私は知っている。」(イスラエルのジャーナリスト、バリー・シャミシュの主張)

 シャミシュは、首相の救命手術に尽力した三人の外科医と話をし、アミールが発砲したとき現場に居合わせた警察官たちの証言についても、検討を重ねている。警官たちは全員、車に乗せられたイツハク・ラビンの体には外傷が見あたらなかったと証言した。外科医たちはこの証言を認めようとしない。ようやく病院に着いたときのラビン首相は、明らかに胸に受けた大きな傷の痛みに喘いでおり、首の下方には脊髄のひどい損傷が認められたという。医師たちは、銃で撃たれた傷の場合、現場で負傷の兆候が見られず、病院に着いたときに複数の損傷が表れることなどあり得ないと断言する。シャムガール委員会は、このような外傷があったことを示す証拠はないと結論づけた。それ以降、外科医たちはこの問題について論じることを拒んでいる。アミールが首相を撃ったときそばにいた、あるシン・ベットの捜査官は「警官が聴衆に向かって、落ち着けと叫ぶのが聞こえました。これは空砲だから、と・・・」と非公式の法廷で証言している。同じ審理において、レーア・ラビンは、夫が至近距離から撃たれたにもかかわらず、よろめいてくずおれたりはしなかったと述べている。「夫はちゃんと立っておりましたし、異常は見受けられませんでした」。彼女はまた、自分が病院に到着してから一時間ものあいだ、夫に会うことを禁じられたと言っており、シャミシュによれば、諜報の高い地位にある人物から「すべて予定通りのことであり、心配には及ばない」という説明を受けたらしいラビン首相の未亡人は、この件についても、また夫の暗殺に関連したいかなる問題についても、公的な発言をかたくなに拒んでいる。

 シャミシュは、首相が収容された病院に勤務する17人の看護婦と同じく、未亡人も沈黙を強いられていると睨んでいる。「これは邪悪な、しかも見事な謀略だ。ラビン首相は、人気回復をエサに、狙撃の的となるよう説得されたのだ。首相が防弾チョッキを身につけていなかった理由もそこにある。つかの間の脚光を浴びる役者として、アミールが慎重に選ばれた。彼は黒幕に操られる道具だった。自分の撃つ空砲が、病院に行く途中でラビン首相を暗殺するのにどう利用されるのか、つゆほども知らなかっただろう」。これらシャミシュの証言は全てインターネットで公開されている。

【『憂国のスパイ』原題GIDEON'S SPIES 198-200頁】


○うむ、この転載元は私のリンク切れのHPだな・・・懐かしい。私は当時から重要視していたことなんだが、インターネット上ではあまり追及されていないようだ。暗殺の背景はJFKの場合と酷似している。現在、海外のサイトを含めて検証をしている。しかもこの構図は至る所で見られる。


Yitzhak Rabin
Yigal Amir

1=ラビン、2=アミール、3=警察官もしくは警護員、4=運転手Damti、そして・・・5=問題のボディガード「ヨラム・ルビン」(Yoram Rubin)。シャミシュによれば、彼こそ車内でラビンを射殺した張本人ということになる。
不鮮明な画像を装ってアミールAを消している新聞↑もあった。これが作為的でないとする向きは、画像をよく比較検討されたい。



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