左はイラク、右はさっき我が家の屋根から撮った空の写真だ。同じ青い空の下で、一方では殺戮の連鎖に怯え、一方では表面上は平和そうだが生活苦に喘ぐ人々がいる。その大不況に喘ぐ人々の中に、私がいて、大空を見上げている。あの空へ、あの柔らかい雲の内に抱かれたらどんなにいいだろう。その青空の向こう、大気圏を抜けたところに漆黒の大宇宙がある。物象の要らない無限の世界、全ての意識が統合された世界のことを、漠然と感じている。解き放たれる心の自由もここでは迷子だ。自分とは何なのだ?命とは?唯一分かっていることは、人間は寿命という期限付きで地球に堕とされた存在、であるということ。際限のない欲望を糧として自らを破滅におとしめる、人類総体としての宿命存在・・・血まみれになって嫌々ながらこの世に産まれたのに、それとは裏腹に両親の祝福で迎えられる矛盾の極致・・・人間は生まれた瞬間から死の墓場へと歩み出す。釈迦は、苦しむためだけに人間は生まれるのだと云う。そうして、その苦しみからやっと解き放たれる死の瞬間において、またあの矛盾が繰り返される。重い肉体という鎧を脱ぎ、散々苦しめられた紙切れ、オカネからも解放されるというのに、最期をみとる家族は、死んではいけない、と滂沱の涙を流して嘆願する。彼らはこの期に及んで、私をまた地獄へ引き戻そうとしている。おお、この大いなる矛盾・・・集中治療室での延命治療、酸素を無理やり嗅がされ喉にはチューブが刺し込まれる。心臓が止まりそうだと胸を切開され、心臓を鷲掴みされる。痛いんだよ、もういいかげんに休ませてくれ。
真っ青に透き通るような秋空の下、屋根の上で私はそんな妄想に囚われている。大空というキャンバスに夢を描くイメージを膨らませながら・・・もう人間社会にはウンザリしている自分がいる。出口はこの大空だけだ。不審な様子で屋根の上の私を窺がっている隣の奥さんへ・・・こんにちわ、ご機嫌如何ですか?奥さん、空を見上げてごらんなさい。ほら、あの白い雲なんてアンパンに見えませんか?おいしそうですねえ!あら、居なくなっちゃった・・・奥さ〜ん、どうしたんですかぁ、救急車なんて呼ばないでくださいよぉ。そっちから見ると私は変わり者に見えるけど、私にすればそちらの方が変わってるんですからね。多分。そのへん、よく考えてください。早とちりはいけません。
猫が鳴いている。彼らのウンチを片付けなければ・・・地獄だ。お釈迦様は正しかった。でも宗教屋のみなさん、私を勧誘しないでくださいね。てめえら来たら滅茶苦茶に論破してやるから、覚悟しておきなさい。
---11時20分現在の妄想
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