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★イラクで反英感情噴出 英軍、地元警察に突入
両国関係確認も地元は補償要求
【カイロ=加納洋人】イラク南部のバスラで、駐留英軍がイラク警察に拘束された英兵二人を救出するため、地元警察に強行突入した事件を契機に、現地の反英感情が高まっている。移行政府のジャアファリ首相は二十一日、ロンドンでリード英国防相と会談、両国関係に影響がないことを確認したものの、バスラ県評議会は同日、対英協力を全面停止する決議を採択するなど、反発は収まりそうにない。これまで治安が比較的安定していた南部の情勢も流動化してきたようだ。
現地からの報道によると、バスラ市内では二十一日、短銃などで武装した警察官や一般住民約五百人がデモ行進し、「事件は英軍の蛮行だ」「英兵二人をイラク法廷でテロリストとして裁け」と気勢を上げた。
また、バスラ県評議会は同日、英軍との協力を全面停止する決議を全会一致で採択、英政府に謝罪と事件で死傷した地元民への補償を要求した。
反英感情の急速な高まりの背景には、今回の事件をめぐる英軍とイラク側との認識の差がある。
英軍部隊は十九日に装甲車などで地元警察署に突入、地元住民が装甲車に火炎瓶を投げつけるなどしてこれに抵抗、イラク人五人が死亡した。
英国防省は、警察が英兵二人の身柄をイスラム教シーア派民兵に引き渡す懸念が強まったため救出作戦に踏み切り、二人をシーア派民兵の拠点から救出したと説明する。
これに対し、バスラ県知事は、英軍の突入作戦を察知したため、英兵二人をイスラム教シーア派の反米指導者サドル師の民兵組織、「マフディー軍団」の管理下の民家に移したと反論、イラク内相は「英兵二人は警察署で拘束し、民兵組織の手には渡っていない。英軍はうわさで行動した」と異なる見解を表明する。
バスラでは十七日に、マフディー軍団の幹部数人がテロに関与した容疑で英軍に拘束され、サドル派はこれに反発していた。英兵二人は英陸軍特殊空挺部隊員とされ、同軍団など民兵組織の偵察に携わっていた可能性があり、その最中に、現地警察に怪しまれて拘束されたという。
イラク南部はシーア派が多数を占め、中西部のスンニ派地域と比べて治安が比較的安定しており、英軍は地元との良好な関係を誇ってきた。
しかし、南部の治安は、シーア派民兵組織が実質的に担っているのが実情で、バスラの警察官の約六割は、マフディー軍団やシーア派政党、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の民兵組織、「バドル軍」などのメンバーで構成されているうえ、テロリストが警察内部に潜入しているとも指摘される。
今回の事件では、シーア派民兵組織と警察が、表裏一体で治安に当たるという矛盾点が表面化した格好となっている。
(産経新聞)
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バスラで英軍に抗議する人々

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★英国はイラクから撤退せず─英兵奪還で国防相
[バスラ 21日 ロイター] イラク南部バスラで、英軍がイラク警察に拘束されていた英軍兵士2人を奪還したことに対し、地元で英軍の行動を非難する声が高まっているが、英国政府はイラクから撤退しない方針を示している。
デーリー・テレグラフ紙によると、リード英国防相は「帝国的な占領軍としてイラクに留まる構想はない。また、テロリストのためにイラクから逃げることもしない」と述べた。
イラク駐留英軍は19日、英兵2人を捜索するため装甲車を使い、刑務所に突入した。
イラク警察や地元当局者によると、この2人の英兵はバスラで情報収集活動をしていたが、パトロール中の警官隊に発砲。この騒乱でイラク人2人が死亡し、2人はイラク警察に拘束されていた。
英軍当局によると、2人の身柄は武装組織に引き渡されていたとの情報を得たため、刑務所に隣接する民家から救出するよう命令が出されたという。
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○以下、バスラで燃えた装甲車での脱出劇証言、抜粋要約
写真参照、新じねん追記
★バスラの英兵が燃える装甲車からいかにして逃れたかを語る
【情報元】Soldiers describe how they fled flames
engulfing armored vehicle
「私の顔は燃えていた」とGeorge
Long,軍曹29歳は語る。
「ガソリンは私の後部にどんどん流れた。幸い私はゴーグルを付けていた。それはパニックだった」
20歳のRyon Burton兵と19歳のJo
McCann兵長は無事に装甲車から逃れることが出来た。
彼らは逮捕された二人の英兵士を助けるために進軍していた。そして後方から来る自軍を誘導するために、砲塔のハッチを開いた時に火炎瓶が投げ込まれたのだ。
操縦士のBurton兵は語る。
「炎が消えたあとも装甲車の中は水蒸気が立ち込めて息が出来なかった。後は逸早く逃げることが急務だったが、そんな中でもなぜか人生のことを考えていた」
彼らを救出しようとして医療班を呼んだMcCann兵は語る。「彼らを医療班に渡した後に砲塔に触ったが、まだ熱かった。しかし装甲車はどこも故障せず無事だった」
自国英兵を救出に刑務所に向かった英軍は、散々戦車で破壊し回ったあとで、そこに目指す目標の英兵カップルがいないことに気づく。目標の英兵カップルはすでに移動させられていたが、そこで自軍に発見された。 |
○大手メディアは「2人の身柄は武装組織に引き渡されていたとの情報を得たため、刑務所に隣接する民家から救出するよう命令が出された」として英軍当局の事後報告を転載している。仮にこれが本当なら、英兵カップルは英軍が奪回に向かった時点で武装勢力に処刑されていたはずだ。それに英軍が移動現場の民家に踏み込んだ当時、肝心の武装勢力はどうしたのだろうか?逃げ出したとでも言うのだろうか?当初、英軍当局は「奪還に向かったが目指す英兵はいず、移動させられた民家で発見した」と公式発表していた。武装勢力に拘束された、というのは奪回を正当化するための英軍の口実だろう。
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奪還作戦の指揮官
Nick Henderson |
「バスラの治安部隊が二人を釈放していれば、刑務所の襲撃は必要なかった」と語る。
実に身勝手な話だ。 |
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