累々たる戦争犠牲者の遺体を見ても何も感じない人間という生き物・・・ベトナム戦争でも同じだった。死体が転がる道端の、その傍を人々が通り過ぎていた。腹を減らした子供たちが米軍トラックの後を追いかける。米兵はその子供めがけて隠し持った人の頭ほどある石をぶつける。むろん軽傷では済まない、犯罪だ。殺人だ。合法的な殺人、虐殺を合法化する戦争というもの・・・それが許されてしまう人間社会。我々はもう一度、権力者の言葉を噛み砕いて検証すべきだ。個々人が、それをしなければならない。1991年5月27日にブッシュ大統領が云ったこと『アメリカの対外政策は道徳的で重要なものである。したがって国民は小さな悪という道徳的選択をしてもらいたい。それが真実というものだ。現実の世界では善悪のはっきりしたものなどないのだ。道徳的絶対などないのだ』・・・恐ろしいまでの、この言葉の意味を理解することが、どれほど大事なことか。やがて後世の人々が、身震いするほどに悲惨な今の戦争を子供たちに語り聞かせる日が必ずやって来る。その時、あなた方は何をしていたんだ?と、やっと戦争が去ったと喜んで田畑を耕す人々の、その足元で地雷が炸裂するとき、負の遺産のあまりにも痛々しい無残を遺すだけの私達だったのかと・・・この前も知人Kに云われた。そんな戦争のことばかり考えていたら恐ろしくなる、生活出来やしない。発狂しちゃうぞ・・・おお、この狂える世の中にあって、発狂は希望ですらある。心を麻痺させて食らうことだけに生きていける人々の幸せよ。排泄しながら飯を食らい続けるように、心を排泄しながらカネを食らい、生き延びるために他者を殺す戦争を合法化するがいい。ときに欲望に苛まれながら、ときに保身の誘惑に身悶えしながら、なまみの自己に葛藤する日々・・・それを嘲笑する者に、それを無意味だとは云わせないために・・・オレは自分を生きることを諦めてはいけないのだと。
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