04/8/23 (月)
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野党支持者が列車に放火 バングラ、爆発死者18人(19人?)に

 【ダッカ22日共同】バングラデシュの首都ダッカで野党アワミ連盟の集会に手りゅう弾が投げ込まれた事件で、興奮した野党支持者らが22日、南東部チッタゴン近郊の駅を襲撃、列車に放火し車両数両を焼いた。警察が沈静化に当たったが、AP通信によると約20人が負傷した。21日起きた集会爆発事件の死者は22日までに18人になった。
 これまでの情報によると、集会では同連盟党首のハシナ前首相の演説直後に手りゅう弾が少なくとも7発投げ込まれて爆発。犯人は不明だが、同連盟はハシナ前首相を狙った暗殺未遂事件と非難、治安確保に対する政府の対応に抗議して24日から48時間のストライキを宣言した。

死者の数、上記の「共同通信」18人死亡発表の19分後「毎日新聞」は19人と報道。爆破の規模からもっと死者は増える可能性あり。
負傷者の数、これまでの200人負傷者数が「読売新聞」では300人に上るとの海外の別報道を紹介。
手榴弾の数、「毎日新聞」は目撃者の13回の爆発音を聴いたことを紹介、投げ込まれたのは13個の手榴弾だった可能性もある。
ハンナ党首の怪我、「AFP通信」は足へのかすり傷程度と発表。

バングラデシュの基礎的なところをまとめる。
与党 バングラデシュ民族主義党(BNP Bangladesh Nationalist Party)
党首カレダ・ジア(Khaleda Zia)
1981年に暗殺されたジアウル・ラーマン大統領の未亡人。
野党 アワミ連盟(BAL Bangladesh Awami Leabue)
党首シェイク・ハシナ・ワゼド(Sheikh Hasina)
1975年に暗殺されたムジブル・ラーマン初代大統領の長女。


バングラデシュ歴史データ1871-1998

 70年代

1971/04/17,昭和46/04/17
東パキスタンでアワミ連盟が臨時政府を樹立し、バングラデシュ人民共和国の独立を宣言する。
パキスタンでバングラデシュ独立運動の指導者ムジブルラーマン(アワミ連盟ハシナ党首の父親)が釈放される。
1972/01/13,昭和47/01/13
バングラデシュ暫定憲法が施行され、ムジブル・ラーマンが首相に就任する。
バングラデシュ総選挙で、ラーマンが率いるアワミ連盟が大勝する。
1973/07/06,昭和48/07/06
バングラデシュ政府が、独立後1年半で約5000人がテロにより殺害されたと発表する。
1974/02/22,昭和49/02/22
パキスタンがバングラデシュを承認する。
1975/01/25,昭和50/01/25
バングラデシュの国民議会が、第4次憲法修正を行う。絶大な権力の大統領制が制定される。ムジブル・ラーマンが大統領に就任する。
1975/08/15,昭和50/08/15
バングラデシュで軍部クーデターが起こり、ムジブル・ラーマン大統領らが殺害される。ダカル・ムスタク・アーメドが大統領に就任する。ラーマン(Rhaman,Sheik Mujibur)55歳(誕生:1920/03/17)
1975/10/06,昭和50/10/06
バングラデシュのクーデターによりサエム新大統領が就任する。
1975/10/09,昭和50/10/09
バングラデシュでクーデターが失敗し、ジャウル・ラーマン(BNPジア党首の夫)陸軍参謀総長が全権を掌握する。サエム大統領は留任する。
1975/11/03,昭和50/11/03
バングラデシュ、8月15日のクーデターで殺されたラーマン大統領に近い親インド派の軍部実力者カリド・ムシャラフ将軍指揮下の部隊がクーデターを起こす

 80年代

1981/05/30,昭和56/05/30
バングラデシュで軍部左派のクーデターが起り、ジアウル・ラーマン大統領(45)が殺害される。
1982/03/24,昭和57/03/24
バングラデシュでエルシャドがクーデターを起こす(戒厳令布告)。
1983/02/19,昭和58/02/19
インドのアッサム州で、イスラム教徒ムスリムの地元住民が、バングラデシュから流入したベンガル人移民を襲って約千人を虐殺する。
1986/05/07,昭和61/05/07
バングラデシュで、戒厳令の下で総選挙が行われる。与党の国民党が大差で勝利する。

 90年代

1990/11/21,平成2/11/21
バングラデシュで非常事態宣言が出される。
1990/12/06,平成2/12/06
バングラデシュでエルシャド大統領が辞任し、非常事態宣言が解除。
1996/03/16,平成8/03/16
バングラデシュのチッタゴンで、野党アワミ連盟の支持者と与党バングラデシュ民族主義党の支持者らが銃激戦となり、1人が死亡し100人以上が負傷する。
1996/03/30,平成8/03/30
バングラデシュのカレダ・ジア首相が辞任する。
1996/05/20,平成8/05/20
バングラデシュのビスワス大統領が、アブ・ムハマド・ナシム陸軍参謀総長を政府転覆を図ったとして解任し、後任にマブブル・ラーマン少将を任命する。参謀総長支持派の部隊と大統領支持派の部隊がダッカ近郊とボグラの2ヵ所で衝突し、ダッカ市内が一時緊張する。
1996/06/12,平成8/06/12
バングラデシュで、やり直し選挙が行われる。
1996/06/23,平成8/06/23
バングラデシュで第1党となったアワミ連盟のシェイク・ハシナ総裁(48)が首相に就任する。
1997/11/26,平成9/11/26
バングラデシュの政府と反政府代表者による和平協定締結に向けた話し合いが再開される。インドに逃れていた難民が帰還し始める。
1998/11/09,平成10/11/09
ラーマン元大統領殺害の元軍人15人に死刑判決が出たバングラデシュで、軍部系の最大野党民族主義党の呼びかけで48時間のゼネストが始まる。
詳細


【私的めもらんだむ】
▼11時
 8時半頃、監督が完成品を引き取って行った。特にクレーム無し。次の仕事、ベースが入荷するのは今週末頃・・・材料も尽きてきている。カネの工面に悩む。監督が「オークションで猫を売ったらどうか?」と珍しく冗談を云う。
 バングラデシュ関連を引き続いて書いている。多少脳が飽和状態。気温が急速に下がり、体調も思わしくない。数日前との気温差10℃もあるのだから、体温調整機能がおかしくなるのは当たり前かも知れない。

▼12時
 温かいミルクコーヒーを自販機で買った。「ありがとうございました。午後からもお仕事頑張ってください」自販機が女性の声で語りかけてくる。『あのね、もう仕事は終わって、午後からは無いの。頑張る必要も無いんだよ。ば〜か』・・・心の中で悪態をついてはみたが・・・久しぶりに聴く若い女性の声に、ふと心がほぐれる・・・やさしさに飢えているというか、心に染みるというか・・・思わず自販機を抱きしめたくなった。

▼15時
 機械にまつわる海外のジョーク三題
ドイツ
 フランクフルト駅に置かれている体重計に、100キロはあろうかと思われる紳士が乗った。しかし、あいにく体重計は壊れていて、針はゼロを指したまま止まってしまった。そこに通りかかった2人組「おい、見たか?ショルシュ、あのデブは中は空っぽだぜ」
ロシア
 重量級の男女が多いことで知られるキエフの町に、人工音声で知らせる新型体重計が路上に置かれた。ある日、100キロ以上はあろうかと思われる女性が乗った。しかし、体重計からは何の声も聴こえることはなかった。故障したと思った女性が降りたとたん、声が聴こえた。「この機械は一度に二人以上乗ると壊れます。お一人ずつどうぞ」
フランス
 マルセイユの機械技師が友だちに得意満面で話した。「ボクは素晴らしい機械を発明したよ。簡単にいえば、入口から生きたブタを入れると、出口からはソーセージになって出て来るんだ」 友だちはニヤニヤしながら云った「そんな機械、珍しくはないね。現に君の両親にしたって、その機械を逆に使ってソーセージを入れたから、君というブタ野郎が出来たんじゃないか」

 おまけ、世界的な投機屋たちの格言「ブタは肥らせてから喰え」

▼17時
 他人事とは思えぬニュース

ネコ暴れ、旅客機引き返す ブリュッセル
 【ブリュッセル10日共同】ブリュッセルからウィーンに向けて飛行中のSNブリュッセル航空機内で9日、操縦室に紛れ込んだ乗客の飼いネコが副操縦士に飛び掛かって大暴れし、同機が緊急に引き返すトラブルが起きた。
 同機が9日午後、ブリュッセル・ナショナル空港を離陸して約20分後、灰色のネコが操縦室に侵入。なぜか「攻撃的」で副操縦士に飛び掛かって腕を引っかいた。機長は用心のため引き返すことを決めた。
 航空会社によると、ネコは旅行用のかごに入れられていたが、何らかの原因で抜け出し、客室乗務員が機長らに機内食を届けた際、操縦室に潜り込んだらしい。
 このネコは世界中のキャットショーに出演、受賞歴もあるという。同機には乗客58人が乗っていた
---2004年(平成16年) 8月23日付け「室蘭民報」---

【視聴予定】
21時
54-23:10 報道ステーション 関西空港バブルに踊らされた町…期待と現実長野智子がその理不尽に迫った テレビ朝日

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