バングラデシュ歴史データ1871-1998
70年代
1971/04/17,昭和46/04/17
東パキスタンでアワミ連盟が臨時政府を樹立し、バングラデシュ人民共和国の独立を宣言する。
パキスタンでバングラデシュ独立運動の指導者ムジブル・ラーマン(アワミ連盟ハシナ党首の父親)が釈放される。
1972/01/13,昭和47/01/13
バングラデシュ暫定憲法が施行され、ムジブル・ラーマンが首相に就任する。
バングラデシュ総選挙で、ラーマンが率いるアワミ連盟が大勝する。
1973/07/06,昭和48/07/06
バングラデシュ政府が、独立後1年半で約5000人がテロにより殺害されたと発表する。
1974/02/22,昭和49/02/22
パキスタンがバングラデシュを承認する。
1975/01/25,昭和50/01/25
バングラデシュの国民議会が、第4次憲法修正を行う。絶大な権力の大統領制が制定される。ムジブル・ラーマンが大統領に就任する。
1975/08/15,昭和50/08/15
バングラデシュで軍部クーデターが起こり、ムジブル・ラーマン大統領らが殺害される。ダカル・ムスタク・アーメドが大統領に就任する。ラーマン(Rhaman,Sheik Mujibur)55歳(誕生:1920/03/17)。
1975/10/06,昭和50/10/06
バングラデシュのクーデターによりサエム新大統領が就任する。
1975/10/09,昭和50/10/09
バングラデシュでクーデターが失敗し、ジャウル・ラーマン(BNPジア党首の夫)陸軍参謀総長が全権を掌握する。サエム大統領は留任する。
1975/11/03,昭和50/11/03
バングラデシュ、8月15日のクーデターで殺されたラーマン大統領に近い親インド派の軍部実力者カリド・ムシャラフ将軍指揮下の部隊がクーデターを起こす。
80年代
1981/05/30,昭和56/05/30
バングラデシュで軍部左派のクーデターが起り、ジアウル・ラーマン大統領(45)が殺害される。
1982/03/24,昭和57/03/24
バングラデシュでエルシャドがクーデターを起こす(戒厳令布告)。
1983/02/19,昭和58/02/19
インドのアッサム州で、イスラム教徒ムスリムの地元住民が、バングラデシュから流入したベンガル人移民を襲って約千人を虐殺する。
1986/05/07,昭和61/05/07
バングラデシュで、戒厳令の下で総選挙が行われる。与党の国民党が大差で勝利する。
90年代
1990/11/21,平成2/11/21
バングラデシュで非常事態宣言が出される。
1990/12/06,平成2/12/06
バングラデシュでエルシャド大統領が辞任し、非常事態宣言が解除。
1996/03/16,平成8/03/16
バングラデシュのチッタゴンで、野党アワミ連盟の支持者と与党バングラデシュ民族主義党の支持者らが銃激戦となり、1人が死亡し100人以上が負傷する。
1996/03/30,平成8/03/30
バングラデシュのカレダ・ジア首相が辞任する。
1996/05/20,平成8/05/20
バングラデシュのビスワス大統領が、アブ・ムハマド・ナシム陸軍参謀総長を政府転覆を図ったとして解任し、後任にマブブル・ラーマン少将を任命する。参謀総長支持派の部隊と大統領支持派の部隊がダッカ近郊とボグラの2ヵ所で衝突し、ダッカ市内が一時緊張する。
1996/06/12,平成8/06/12
バングラデシュで、やり直し選挙が行われる。
1996/06/23,平成8/06/23
バングラデシュで第1党となったアワミ連盟のシェイク・ハシナ総裁(48)が首相に就任する。
1997/11/26,平成9/11/26
バングラデシュの政府と反政府代表者による和平協定締結に向けた話し合いが再開される。インドに逃れていた難民が帰還し始める。
1998/11/09,平成10/11/09
ラーマン元大統領殺害の元軍人15人に死刑判決が出たバングラデシュで、軍部系の最大野党民族主義党の呼びかけで48時間のゼネストが始まる。
【詳細】
|
|