バングラデシュ歴史データ
1871-1998
1971/04/17,昭和46/04/17
東パキスタンでアワミ連盟が臨時政府を樹立し、バングラデシュ人民共和国の独立を宣言する。
1971/12/06,昭和46/12/06
インドがバングラデシュを承認する。
1971/12/27,昭和46/12/27
パキスタンのブット大統領が、バングラデシュ独立運動指導者ラーマンと会談する。ラーマンは「統一パキスタン」を拒否する。
1972/01/08,昭和47/01/08
パキスタンでバングラデシュ独立運動の指導者ラーマンが釈放される。
1972/01/13,昭和47/01/13
バングラデシュ暫定憲法が施行され、ラーマンが首相に就任する。
1972/01/30,昭和47/01/30
パキスタンが、バングラデシュ承認に抗議して英連邦を脱退する。
1972/02/06,昭和47/02/06
バングラデシュのラーマン首相とインドのガンジー首相が会談する。
1972/02/10,昭和47/02/10
日本がバングラデシュを承認する。
1972/03/19,昭和47/03/19
インドとバングラデシュが友好・協力・平和条約に調印する。
1972/03/26,昭和47/03/26
バングラデシュが、銀行、保健、貿易などを国有化する。
1972/04/18,昭和47/04/18
イギリス連邦がバングラデシュを公式に承認する。
1972/08/25,昭和47/08/25
バングラデシュの国連加盟が、中国初の拒否権行使で否決される。
1972/12/16,昭和47/12/16
バングラデシュの新憲法が公布される。
1973/03/07,昭和48/03/07
バングラデシュ総選挙で、ラーマンが率いるアワミ連盟が大勝する。
1973/07/06,昭和48/07/06
バングラデシュ政府が、独立後1年半で約5000人がテロにより殺害されたと発表する。
1974/02/22,昭和49/02/22
パキスタンがバングラデシュを承認する。
1974/04/09,昭和49/04/09
インド、パキスタン、バングラデシュの3国が、戦犯釈放などの3国協定に調印する。
1975/01/25,昭和50/01/25
バングラデシュの国民議会が、第4次憲法修正を行う。絶大な権力の大統領制が制定される。ラーマンが大統領に就任する。
1975/08/15,昭和50/08/15
バングラデシュで軍部クーデターが起こり、ラーマン大統領らが殺害される。ダカル・ムスタク・アーメドが大統領に就任する。ラーマン(Rhaman,Sheik Mujibur)55歳(誕生:1920/03/17)。
1975/10/03,昭和50/10/03
バングラデシュで、軍部内ラーマン派ムシャッラフ准将が、巻き返しのクーデターを起こす。
1975/10/06,昭和50/10/06
バングラデシュのクーデターによりサエム新大統領が就任する。
1975/10/09,昭和50/10/09
バングラデシュでクーデターが失敗し、ジャウル・ラーマン陸軍参謀総長が全権を掌握する。サエム大統領は留任する。
1975/11/03,昭和50/11/03
バングラデシュ、8月15日のクーデターで殺されたラーマン大統領に近い親インド派の軍部実力者カリド・ムシャラフ将軍指揮下の部隊がクーデターを起こす。
1977/09/28,昭和52/09/28
ボンベイ離陸直後の日航機DC8を日本赤軍がハイジャックする。犯人はバングラデシュのダッカ空港に強制着陸させると、日本政府に日本で服役中の同志9人の釈放などを要求する。
1977/09/29,昭和52/09/29
バングラデシュのダッカ空港のハイジャック事件で、日本政府は「超法規的措置」をとって要求をのむ。
1977/11/05,昭和52/11/05
インドとバングラデシュが、ガンジス川の水利協定を結ぶ。
1979/01/26,昭和54/01/26
バングラデシュのダッカ西方で列車が脱線転覆し、500人が死亡する。
1981/05/30,昭和56/05/30
バングラデシュで軍部左派のクーデターが起り、ジアウル・ラーマン大統領(45)が殺害される。
1982/03/24,昭和57/03/24
バングラデシュでエルシャドがクーデターを起こす(戒厳令布告)。
1983/02/19,昭和58/02/19
インドのアッサム州で、イスラム教徒ムスリムの地元住民が、バングラデシュから流入したベンガル人移民を襲って約千人を虐殺する。
1985/05/24,昭和60/05/24
バングラデシュ南部・東南部の海岸地帯にサイクロンが襲い、500人以上が死亡する。
1986/05/07,昭和61/05/07
バングラデシュで、戒厳令の下で総選挙が行われる。与党の国民党が大差で勝利する。
1990/11/21,平成2/11/21
バングラデシュで非常事態宣言が出される。
1990/12/06,平成2/12/06
バングラデシュでエルシャド大統領が辞任し、非常事態宣言が解除される。
1991/04/29,平成3/04/29
バングラデシュ東南部に史上最大規模のサイクロンが襲い、14万人が死亡する。
1995/03/23,平成7/03/23
77年9月に日本赤軍が日航機をハイジャックしてバングラデシュのダッカ空港に強制着陸、同軍の要求で他の5人とともに超法規的措置で釈放され出獄して国際手配されていた日本赤軍幹部の浴田由紀子(44)が、偽造旅券を使ってルーマニアに入国しようとして現地の治安当局に拘束される。
1995/05/17,平成7/05/17
福岡県津屋崎町で、不法入国していたパキスタン人、ミャンマー人、バングラデシュ人など32人の男が入国管理及び難民認定法違反の疑いで逮捕される。
1995/12/24,平成7/12/24
インド治安当局が、バングラデシュに近い西ベンガル州で航空機から大量のAK47自動小銃や対戦車手榴弾など旧ソ連製の武器・弾薬を投下した容疑で、香港の航空会社の乗員のラトビア人5人と英国人1人を逮捕する。
1996/03/16,平成8/03/16
バングラデシュのチッタゴンで、野党アワミ連盟の支持者と与党バングラデシュ民族主義党の支持者らが銃激戦となり、1人が死亡し100人以上が負傷する。
1996/03/30,平成8/03/30
バングラデシュのカレダ・ジア首相が辞任する。
1996/05/13,平成8/05/13
バングラデシュ北部の各地で竜巻が起こり、247人が死亡する。最終的には1000人を超えるとみられる。
1996/05/20,平成8/05/20
バングラデシュのビスワス大統領が、アブ・ムハマド・ナシム陸軍参謀総長を政府転覆を図ったとして解任し、後任にマブブル・ラーマン少将を任命する。参謀総長支持派の部隊と大統領支持派の部隊がダッカ近郊とボグラの2ヵ所で衝突し、ダッカ市内が一時緊張する。
1996/06/12,平成8/06/12
バングラデシュで、やり直し選挙が行われる。
1996/06/13,平成8/06/13
バングラデシュの総選挙の開票の結果、アワミ連盟が第1党となることが確定する。
1996/06/23,平成8/06/23
バングラデシュで第1党となったアワミ連盟のシェイク・ハシナ総裁(48)が首相に就任する。
1996/08/27,平成8/08/27
バングラデシュ南部のコックスバザールで、日本の民間援助団体オイスカのボランティアグループが武装強盗団に襲われ、現地職員1人が死亡する。
1997/06/06,平成9/06/06
インド、バングラデシュ、スリランカ、タイの4国がバンコックで閣僚会議を開き、経済協力のための新機構設立宣言に調印する。
1997/11/26,平成9/11/26
バングラデシュの政府と反政府代表者による和平協定締結に向けた話し合いが再開される。インドに逃れていた難民が帰還し始める。
1998/06/23,平成10/06/23
バングラデシュのプラマプトラ川にかかる南アジアでは最長(世界で11番目)のバンガバンドゥ・ジャムナ橋が完成し、開通式が行われる。
1998/06/24,平成10/06/24
バングラデシュのハシナ首相がパキスタンの首都イスラマバードを日帰りで訪れ、ナワズ・シャリフ首相と会談する。
1998/11/09,平成10/11/09
ラーマン元大統領殺害の元軍人15人に死刑判決が出たバングラデシュで、軍部系の最大野党民族主義党の呼びかけで48時間のゼネストが始まる。