昨夜のテレビ朝日系列「運命のダダダダーン」では「川島芳子の謎」をやっていた。川島芳子の本名は愛新覚羅(あいしんかくら)顕子で、ヌルハチの子孫・粛親王の娘ということになっている。ヌルハチ(奴児哈赤1559-1626)は満州女真族、廟号を太祖、姓を愛新覚羅といった。中国最後の王朝「清」の初代皇帝として、以後清王朝は三世紀に渡って中国を支配することになる。ヌルハチの子孫・愛新覚羅顕子は日本人の川島浪速を義父とし、16年間を川島芳子として日本で思春期を送り、その後中国に渡っている。当時、満州国建設を目論む日本は、清王朝の血流であるところの愛新覚羅家末裔、川島芳子をスパイとして利用する。そして、軟禁されていた清王朝最後の皇后・婉容(えんよう)の救出に川島芳子を当てたのである。映画「ラストエンペラー」の溥儀(ふぎ)こと宣統帝の皇后がこの婉容である。婉容の救出作戦は成功し、1932年3月1日、溥儀と婉容をもって日本は傀儡国家満州国を樹立、27歳の川島芳子は軍の司令官に任命される。しかし、終戦後の1946年10月10日に彼女は逮捕、1948年3月25日、41歳の川島芳子は北京第一監獄所で処刑されたことになっている。しかし、後のGHQの捜査によって、川島芳子と瓜二つの娘が身代わりに殺されたのではないか?という疑惑が浮上してきた。去年2002年には中国から「ショウレイ」という川島芳子の53歳になる娘が実在する、との未確認情報がもたらされる。番組ではその確認のため中国に渡り、23歳の息子をもつ1949年生まれの元中学教師ショウレイさんを尽きとめる。
以上、番組の要約抜粋に多少別の資料を付け加えてまとめてみたが、圧巻はやはり川島芳子の処刑にまつわるミステリーだろう。川島芳子の娘と名乗る「ショウレイ」が1949年生まれだとすれば、川島芳子が処刑されたとされる1948年の翌年に生まれたことになる。番組でもその辺をいろいろ推測していたが、身代わり説が本当なら辻褄はあう。ベルトリッチ(Bernard
Bertolucci 1940-)監督の映画「ラストエンペラー」1987年作も、こうしたミステリーを念頭に観ればさらに面白くなるだろう。いずれ詳しくまとめてみたいテーマである。
【参考サイト】愛新覚羅家家系図
八年前のあの日、1月17日は忘れもしない。「神戸が大変なことになっている。テレビを付けてみな」と駆け込んできた知人に促されるまま、私はテレビのスイッチを入れ、街から立ち昇る黒い煙に見入った。そして私はもう一つの大変なことに心を奪われていた。母が危篤だったのだ。弟夫婦はすでに集中治療室へと向かい、私は電話の前で途方にくれていた。母は末期癌で入院中に急性肺炎を起こし、生死の間をさ迷っていた。病院で医師から「家族や親戚を呼ぶように」云われて急遽自宅に戻り、東京の弟に電話し、また病院に引き返し、母の苦しそうに喘ぐ様子に右往左往していた。弟夫婦がやってきてから交代し、また自宅に戻って親戚中に電話をかけ・・・そして阪神大震災の惨状を眺めるはめになったのだった。いったい何なのだろう、これは?!私はどうすればいいのだろう?駆け込んできた知人に電話の番を頼み、また病院に引き返したら、集中治療室の前に親戚が集まっていた。「こんなときに何をしているのか?」と親戚の誰かに叱られたことを覚えている。遠方から親戚が集まってくる頃には、母の様態も回復に向かい・・・「危篤のときだけ呼んでほしいな、こっちにも仕事があるんだ」とまた叱責された。この日、母は辛うじて危篤を脱したが・・・その年の瀬に他界した。慌しい年であった。母の18年間に及ぶ闘病生活の締めくくりの年でもあった。母の死んだ日、遺体安置所に向かうとき何処かで赤ん坊の泣き声がした。産声であったかも知れない。忘れたくても忘れられない八年前のこと・・・
【参照】阪神大震災の体験で得たもの&阪神大震災写真集
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