阪神大震災の体験で得たもの
- 闇が深ければ深いほど光は鮮明に輝く、その光とは愛だと、全てを無くした直中で価値の転換を悟った人々の例があの阪神大震災であった。あの時、人々は互いに「命が助かって良かったね」と喜び合っていた。誰も「大変だった」とは言わずに、互いに助け合い、命の大切さを噛みしめていた。香川さんという中年男性は突然崩れ落ちた大きな梁の下敷きになっていた。香川さんは奥さんと二人の子供の名を呼びながら、暗闇に響く余震の中で震えていた。いくら呼んでも返事がないことに絶望しかかっていた時、地鳴りに混じって地底から響くような声がしたという。それは微かな歌声だった。やがてそれは音大卒の奥さんの歌声であることを知る。普段は何気なく聞いていた妻の歌う『ふるさと』が、崩れた梁の下敷きになっている闇の中で、それは心に染み通るように感じられたと言う。闇の中に一筋の朝日が射し込む頃になると、妻の歌声も高く、明るく、さらに大きく反響していく。香川さんもいつしか妻の声に合わせて歌っていた。そしてその歌声を聞いた近所の人々によって、香川さん夫妻は無事救出される。しかし子供たちはすでに亡くなっていた。「志を果たして、いつの日にか帰らん」瓦礫の中で何度も歌ったその歌詞で、香川さんは『子供たちは故郷に帰って行ったのだ』と思うことが出来たのだという。志(こころざし)とは命を輝かせる愛そのものではなかったか、そう悟ることが出来たことで、全てを失ったゆえの人間本来の意味を見いだすこともできたのだと。
- またある場所では崩れた屋敷の中にお婆さんと孫が閉じこめられていた。幸いに助け出された子供に「恐かったろう?」と聞いたら「とっても楽しかった」と意外な返事が返ってきたという。闇の中でお婆さんは孫に『わらしべ長者』の昔話を聞かせていた。21日間の観音様への願掛けで、最初はワラをつかんだ主人公が、それをミカンと交換し、ミカンと白い布、馬、米と、だんだんお金持ちになっていくという話。お婆さんは話の途中で「今度は何と交換するのかな?」と孫に質問しながら、ややもすると恐怖に泣きかねない孫を気遣っていた。孫は「テレビ、ファミコン」と思いつくことを言っていたが、やがて人間に本当に必要なものが分かりかけてくる。孫が「おにぎり」と答えた時には『ああ、お腹が減っているんだな』と悟り、「セーター」と答えた時には『ああ、寒いんだな』と悟って孫を抱き寄せていた。孫の温もりがお婆さんにはとても愛おしく思えた。孫が「包帯」と答えた時には、孫がけなげにケガの痛みを堪えていることを悟った。孫は「お化け、洞穴、川、波にさらわれる蟹」と思いつくままに答える中に、現実に今起きていることへの恐怖が感じられた。洞穴のような瓦礫の家、大波が押し寄せてくるような余震と地鳴り・・・やがて孫は「洞穴から助けられるアヒル!」と元気で甲高い声を出した瞬間、一条の光が闇の中に射し込んだのだった。そこから顔を覗かせたのは近所でも評判の親不孝のボンボンだった。日頃は何もしないそのボンボンが、この日、誰に言われるまでもなく率先して救出活動に奔走していたのだ。お婆さんは『わらしべ長者』の最後の締めくくりに孫に「こうしておまえは助けられ、大金持ちになったのでした」と結ぶと、孫は「ファミコンもオカネもいらないよ。ボクはお父さんとお母さんがいるだけでいいんだ」と両親の元に走って行った、とさ。(いずれも聖心女子大学の鈴木秀子女史の震災聞き取り体験談より)