クロの子猫三匹、行方不明。昨夜、屋根に登って行くところを目撃したのが最後だった。今朝、車に轢かれてないか?旧国道に出て見るも、異常なし。近所周辺を探索したが、何処にもいない。ワンパーク、コミック、チロ2号、朝8時現在行方不明。あたりまえだが、警察に捜索願いを頼むわけにもいかず、ひたすら子猫を探し回る。母猫クロも探し回っている。みなさん、子猫三匹が連れ立っているのを見かけませんでしたか?見かけたら知らせてください。神様、子猫が事故に遭わぬよう見守ってください。今日は朝から強い陽射しが照り付けている。
小鳥のさえずりで目覚め、窓を開けると木立の葉が風に揺れ、木漏れ日が地面に揺らいでいる。その中で猫たちが戯れる。ここには都会の騒音はない。聴こえるのは小川のせせらぎ、見えるのは新緑に彩られた山と青い空、澄んだ大気の匂い、全ては自然のままに命の気配に満ちている。そして時間は止まっている。老いることがないのだから、自分の歳を数える必要はない。肉体の衣を着ることもなく、ただ人は命の光だけに生きていられる。虹色に輝く光を放射し、虚空を自由に行き交う人々・・・感応しあう心があれば言葉も要らない。悲しみは敗北した。涙が流れるのは嬉しいから、そうして人は心地よい気持ちだけを糧に生きていられた・・・そんな遠い記憶のこと、思い出してみませんか?地球以外のそんな星々があるなんて、夢でしか想像できないもの・・・忘れているだけなんだ。憎みあい、殺し合い、いがみ合うより愛しあう。絶望の淵に腰を据えたときにだけ闇に光る星のことを・・・私の現実逃避という夢想も、現実の前にはシャボン玉のように脆い。夢想が壊れて、悲しみは復活した。時間も再び動き出し、自分の歳を数え始めた瞬間から死への旅路が始まった。グローバル化は貧富の格差をさらに押し広げていく。大気や水も人の心も値踏みされ、涙も悲しみを取り戻す。斜め向かいのケーキ屋が潰れたんだと・・・いつものことだ。明日は墓参りに弟夫婦が東京からやってくる。しかし荒れ放題の我が一族の墓地には墓がない。塔婆だけが風に揺れている。私に墓は要らない。生きた証ならここにある。生かされてある命なら生きてもみよう。ただ奴隷のように生きるのだけはゴメンだ。富めるものの支配欲に終止符を打てない人間社会の中で、自分を終わらせたい衝動を辛うじて支えている、気温30度、午前11時現在のけだるい私の心が汗ばむ。しかしながら、創作希望の夢想持続をもって「ここに私の全存在が有る」と言い切れるほどに、夢想呆けした自分がいる限り、私は自ら人生に幕をひくことはないだろう。
子猫たちを見つけた。隣の工場の、その隣の椿屋敷の裏に彼らは居た。クロが連れて行ったらしい。クロは私を見るとフェンスを登り、天辺にある有刺鉄線をかいくぐって寄って来る。見事な体さばきである。あとは子猫たちが腹をへらしてやって来るのを待つだけだ。そのためには隣の駐車場を横切って来なければならない。つまり車に轢かれる危険が伴う。心配すればきりがないが、とりあえず安心した。
ペロが死んだ。隣の庭の、松の木の下で・・・眠るように横たわっていた。可愛がっていた分、その喪失感も大きい。一日中外を徘徊し、餌を食べる時にしか帰らなかったペロ・・・一昨日の夜、擦り寄ってきたペロを抱き何故か「ペロ、死ぬなよ」と話しかけたこと、悪い予感ばかりが的中してしまう。神よ、たまには良い予感を的中させてほしい。愛すべき人々を墓から蘇えらせ、歓喜の涙で溢れさせてほしい。人生のシナリオから、不幸につながる不吉な文字列を全て削除してほしい。チロはペロが死んだということが分からないらしく、動かぬペロの遺体を見ても匂いを嗅いだだけで見向きもしない。車に轢かれなかったことだけがせめてもの救いだ。今にでも起きだしてくるように、ペロの遺体は生前のままだ。今夜はペロの通夜、おまえの八匹の猫一族と、人間族であるところの私とで見送ろう。いつも舌を出していたゆえに私はペロと名付けたのであった。さらばペロ、一年間ありがとう。
【視聴予定】
■22:00-23:00 NHK総合 高速道路のゆくえは?公団民営化▽台風15号▽現地報告・チリ人妻の豪邸競売 |